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新たなステージに進んだ「永田町」の暑い夏

2017.08.06

2017年夏、日本の政界は、安倍政権の内閣改造で新たな「ステージ」に入った。森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひと段落し、新しい“戦い”の輪郭が見えてきたのだ。

私は、内閣改造の当日、産経新聞から感想を問われ、実務能力や国会答弁の安定性を重視した点で「リアリズム内閣である」とコメントさせてもらった。そういう顔ぶれであることは間違いないが、それと共に、来年9月の「自民党総裁選」をにらんだ絶妙の配置であることに、あらためて注目している。

ひと言でいえば、「石破“封じ込め”内閣」である。今回の組閣で驚いたのは、石破派の入閣待望組ではなく、まだ当選わずか3回で、同派の将来の有望株「斎藤健氏」を農水相として閣内に取り込んだことだ。完全に石破派への揺さぶりである。

それだけではない。無派閥の野田聖子氏を総務相という重要ポストに取り込んだことも、「石破対策」と言える。来年9月の総裁選に、安倍首相としては、「野田氏に出馬して欲しい」というのが本音だ。

最大の理由は、総裁選での「石破氏との一騎打ち」を避けたいからだ。安倍首相は、2012年の総裁選で、第一回投票で石破氏に敗れている。石破氏は、地方票と国会議員票の第一回投票で199票を獲得しながら過半数には至らず、国会議員票のみの投票となった第二回投票で安倍氏に逆転された。

安倍首相にとって重要なのは、「複数の総裁候補が出馬すること」である。一騎打ちの場合、地方票では、またしても大きく石破氏が上まわる可能性がある。そうなれば、「敗北」である。

そのためには、安倍首相は、野田聖子氏にも、河野太郎氏にも、来年の総裁選に出馬してもらいたい。閣外で舌鋒鋭く政権を非難されるのは困るが、閣内に取り込んで、よしみを通じた上で、総裁選に「出馬してもらう」ことは、安倍首相にとって不可欠な戦略と言える。

それを見越して、野田、河野両氏を「閣内に取り込んだ」と見るのが自然だろう。両氏が、来年の総裁選への自身の出馬に早くも言及しているのは、そういう背景がある。

しかも、今回の野田氏の起用は、“元祖”女性宰相候補である野田氏本人にとっても、実に大きい意味を持つ。1998年にすでに郵政大臣を経験し、明晰な頭脳と情に厚いことで当時の郵政官僚たちを虜(とりこ)にした野田氏が、今後は、安倍首相の後ろ盾を「得る」ことになるのである。

その後、現われては消えていった女性宰相候補の中で、彼女が「復活」の糸口をつかんだことは、実に大きい。たとえ安倍批判をおこなっても、もともと安倍―野田ラインは、93年同期当選組として強固なものがあっただけに、今回の起用ほど意味深なものはなかなかあるものではない。

安倍、石破、野田、河野という4者が総裁選に出れば、確実に票は割れる。もし、野田、河野両氏を重要閣僚で遇しておかなければ、出馬しても“泡沫”で終わる。いや、推薦議員「20人」のノルマを達成できずに、またしても総裁選に「出馬できない」可能性もある。

両氏の抜擢は、石破氏の第一回投票での過半数獲得を「阻止するもの」なのである。石破派への揺さぶりのための「斎藤健氏の閣内取り込み」と共に、野田・河野両氏の重要閣僚への抜擢は、この改造内閣の性格を明確に特徴づけていると言っていいだろう。

この6月に、私は当ブログで「やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える」というタイトルで、民進党の「崩壊」と、自民党に代わる新たな現実政党の「出現」について、書かせてもらった。

これまでくり返し書いてきたように、私は、現在を「左」と「右」との戦いではなく、「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実主義者)」の戦い(つまり「DR戦争」)だと分析している。安全保障分野で言うなら、「空想的平和主義者」vs「現実的平和主義者」の戦いである。

旧態依然とした現実無視のマスコミ報道は、今国会のテロ等準備罪法案、森友、加計問題……等々でも、いかんなく発揮された。迫りくる北朝鮮や中国の危機に対して、国民の生命、財産、そして領土を具体的にどう守ろうかという議論が必要な時に、ただ“揚げ足取り”や、煙もないところに“火をつけて歩く”ことが大手を振っておこなわれた。

こんなレベルのマスコミと野党は、決して国民には受け入れられない。今後、国民の支持を集める政党が出てくるなら、それは「現実政党」であることが必須条件となる。

抽象論や観念論をふりかざして、国会近くにいるデモ隊の中に飛び込み、叫んだり、煽ったり、アジったりする。そんな“空想空間”に生きる政党や政治家は国民に愛想をつかされて、やがて「消え去る」だろう。

その意味で、私は、国内外の厳しい現実に対処できる「リアリズム」政党こそが、これから「日本の政治」を担っていくと思う。

最近、小池百合子都知事が率いる「都民ファースト」への“合流&加入”を目指す政治家の動きが顕著だ。しかし、私は、「決められない都知事」小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろうと思う。

「築地は守る、豊洲は活かす」という論理的に“破綻”したキャッチフレーズで都民に巨額の税負担をもたらす小池都知事は、ある意味、舛添前都知事より「タチが悪い」かもしれない。

「6000億円」という気の遠くなるような総事業費をブチ込んだ豊洲新市場は、企業債(借金)の利息ですら「370億円」にのぼる。「築地売却」による“借金の圧縮”こそ都民のために急務であることは明らかなのに、どっちにもいい顔をするために「築地は守る、豊洲は活かす」とは言いも言ったりである。まさに「決められない都知事」の面目躍如と言える。

残念ながら、こんなリーダーに率いられた政党は、自民党政権の受け皿とはなり得ないと私は思う。耳ざわりのいい言葉を発することと、「現実政党」とは、多くの場合、イコールではないからだ。

しかし、国民は「二大現実政党」時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である。

用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対「石破茂」戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、「新たなステージ」に進んだのである。

カテゴリ: 政治

真実を隠す「政治運動体の機関紙」となった新聞

2017.07.30

異常な“政治狂乱報道”が、やっとひと区切りついた。最後は、陸上自衛隊トップの辞任、蓮舫民進党代表の辞任、そして、稲田朋美防衛大臣の辞任という形で、2017年前半の混乱政治が終わった。

それは、本来は、国民に「真実」を伝えるべき新聞が、まるで「倒閣運動体」の機関紙に過ぎないレベルに堕(お)ちたことを示す日々でもあった。今年2月に、南スーダンPKO日報問題と森友問題が勃発し、以後、加計学園問題がつづき、連日、新聞もテレビも、劣化したお粗末なレベルを見せつづけた。

しかし、これらの「ファクト(事実)」とは一体、何だったのだろうか。事実にこだわるべきメディアが、「主義・主張(イデオロギー)」、それも、「安倍内閣打倒」という目的に向かって、報じるべきファクトを報じず、国民を一定の方向に導くべく狂奔した毎日だった。

嬉々として、これをつづける記者たちの姿を見て、「ああ、日本の新聞記者はここまで堕ちたのか」と失望し、同時に納得した。

私は今週、やっと新刊の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館)を上梓した。締切に追われ、ここしばらくブログを更新することもできなかった。しかし、産経新聞に〈新聞に喝!〉を連載している関係上、毎日、新聞全紙に目を通してきた。

私は今、来年に刊行する政治がらみのノンフィクション作品のために、かつての大物政治家たちの「回想録」や「証言集」を読み始めている。そこには、多くの新聞記者が登場してくる。大物政治家たちは、彼ら新聞記者の「見識」を重んじ、新聞記者に意見を求め、自分が判断する時や、大きな決断が必要な際に、大いに参考にしている。そのことが、大物政治家たちの証言集の中に随所に出て来るのである。

しかし、今の新聞記者にそんなことは望むべくもない。記者がどこまでも追及しなければならないファクトを置き去りにし、「政権に打撃を与えることだけ」が目的の報道を延々とつづけているからである。

会ったこともないのに、天皇や安倍首相が幼稚園を訪問したというデタラメをホームページに掲載し、ありもしない「関係」を吹聴して商売に利用してきた経営者による「森友問題」は、国会の証人喚問にまで発展した末、安倍首相の便宜供与という具体的な事実は、ついに出てこなかった。

問題となった森友学園の土地は、伊丹空港への航空機の侵入路の真下に位置している。かつて「大阪空港騒音訴訟」の現場となったいわくつきの土地である。「騒音」と建物の「高さ制限」という悪条件によって、国はあの土地を「誰か」に買って欲しくて仕方がなかった経緯がある。

そのために、破格の条件でこれらの土地を売却していった。現在の豊中給食センターになっている土地には、補助金をはじめ、さまざまな援助がおこなわれ、“実質的”には100%の値引きとなっている。

また、森友学園と道ひとつ隔てた現在の野田中央公園となっている土地にも、いろいろな援助がおこなわれ、“実質”98・5%の値引きが実現している。それだけ、国はこのいわくつきの土地を「手放したかった」のである。

森友学園には、地中に埋まっているごみ処理費用としての値引きをおこなって、実質86%まで値下げをおこなった。しかし、前者の二つの土地に比べれば、実質的な値引きは、まだまだ「足らなかった」と言える。これは、新聞をはじめ、マスコミならすべて知っている事実だ。

だが、新聞は、この土地の特殊な事情や、ほかの二つの土地のことに「全く触れず」に、ひたすら安倍首相が「関係の深い森友学園の経営者・籠池氏のために破格の値引きをおこなった」という大キャンペーンをくり広げた。

そして、証拠が出てこないことがわかるや、今度は「忖度」という言葉までひねり出して「疑惑」を継続報道した。国民に不信感を抱(いだ)かせる抽象的なことは書くが、それに都合の悪い「ファクト」は、いっさい報じなかったのである。

加計問題も、図式は同じだ。12年前の小泉政権時代の構造改革特区時代から今治市の民主党(当時)県議の働きかけによって、加計学園は獣医学部新設に動き始めた。だが、新聞はそのことには、いっさい触れず、加計学園は、安倍首相の友人が理事長を務めており、「加計学園に便宜をはかるため」に、「国家戦略特区がつくられ」、獣医学部の「新設が認められた」とされる疑惑をつくり上げた。

森友問題と同じく、ここにも、「憶測」と一定の政治的な「意図」が先行した。そこに登場したのが、天下り問題で辞任した文科省の前川喜平前事務次官である。前川氏は、「行政が歪められた」という告発をおこなったが、抽象論ばかりで具体的な指摘はなく、文科省内の「総理のご意向」や「官邸の最高レベルが言っている」という文言が記された内部文書がその“根拠”とされた。

しかし、現実には、公開されている国家戦略特区の諮問会議議事録でも、文科官僚は獣医学部の新設が「必要ない」という理由を何も述べられなかったことが明らかになっている。そして、いわば「議論に敗れた」ことに対して、文科省内部での上司への弁明の文書ともいうべきものが、あたかも「事実」であるかのように報道され、テレビのワイドショーがこれに丸乗りした。

これらの報道の特徴は、ファクトがないまま「疑惑は深まった」「首相の関与濃厚に」という抽象的な言葉を並べ、国民の不信感を煽ることを目的としていたことである。

ここでも都合の悪い情報は報道から除外された。前述の加計学園が12年も前から手を挙げていて、それが今治選出の県議と加計学園の事務局長が友達だったことからスタートしていたことも、国会閉会中審査に登場した“当事者”の加戸守行・愛媛県前知事によって詳細に証言された。

愛媛県が、鳥インフルエンザやBSE、口蹄疫問題等、公務員獣医師の不足から四国への獣医学部の新設を要請し続けたが、岩盤規制に跳ね返され、やっと国家戦略特区によって「歪められた行政が正された」と語る加戸前知事の証言は具体的で、文科省の後輩でもある前川氏を窘(たしな)める説得力のあるものだった。

しかし、多くの新聞は、ここでもこの重要な加戸証言を黙殺した。自分たちがつくり上げた疑惑が、虚構であることが明らかになってしまうからである。新聞は、前川氏の証言だけを取り上げ、逆に「疑惑は深まった」と主張した。

ついに稲田防衛相の辞任につながった南スーダンの日報に関する報道も、「隠ぺいに加担した稲田防衛大臣」という一方的なイメージをつくり上げた。自衛隊の南スーダンの派遣施設隊の日報は、今年「2月6日」には存在が明らかになり、新聞各紙も防衛省の公表によって、「2月7日付夕刊」から大報道していた。

黒塗りの機密部分もあったものの、日報は公開され、国民はそのことをすでに知っていた。それから1週間後の「2月15日」に防衛省で開かれた会議で、日報を隠蔽することなどは当然できない。しかし、新聞をはじめ、ほとんどのマスコミは、すでに日報が公表されていた事実にいっさい触れず、あたかも「すべてが隠蔽された」という印象報道をおこなったのである。

事実を報じ、その上で、批判をおこなうのがジャーナリズムの使命であり、責任であることは言うまでもない。しかし、哀しいことに日本の新聞記者は、いつの間にか「政治運動体の活動家」になり果ててしまったのだ。

外交評論家の岡本行夫氏が、朝日新聞の慰安婦報道をめぐる朝日社内の「第三者委員会」の委員となり、2014年暮れに発表された報告書に記したこんな文章がある。

〈当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。

 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。
 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。

新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない(一部略)〉

明確に岡本氏は、〈新聞社は運動体ではない〉と述べていたが、残念ながら、新聞の実態はますます悪化し、いまや〈政治運動体〉そのものと化し、もはや、“倒閣運動のビラ”というレベルにまで堕ちているのである。

メディアリテラシーという言葉がある。リテラシーというのは「読み書き」の能力のことで、すなわち「読む力」と「書く力」を表わす。情報を決して鵜呑みにはせず、その背後にどんな意図があり、どう流されているものであるのかまで、「自分自身で判断する能力」のことをメディアリテラシーというのである。

新聞を筆頭とする日本のマスコミがここまで堕落した以上、日本人に問われているのは、このメディアリテラシーの力であることは疑いない。幸いに、ネットの発達によって玉石混淆とはいえ、さまざまな「ファクト」と「論評」に人々は直接、触れることができる。

どうしても新聞を読みたい向きには、政治運動体の機関紙と割り切って購読するか、あるいは、真実の情報はネットで仕入れた上で、その新聞の“煽り方”を見極め、これを楽しむ意味で読むことをお勧めしたい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

やがて日本は「二大現実政党」の時代を迎える

2017.06.19

第193回通常国会は、さまざまな意味で「歴史に残るもの」となった。森友学園や加計学園問題に多くの時間が費やされた低レベルの国会に、ほとほと嫌気がさしたのは、私だけではないだろう。

この情けない有り様を見ながら、私は、「やがて日本は、二大現実政党の時代が来る」と思った。それは、決して「本質」に踏み込まない不毛な「印象操作」と「パフォーマンス」、そして、「最初に結論ありき」の子供じみた政治家たちのスタンスに起因する。

森友問題から加計問題に至る「5か月間」は、それほど情けないものだった。森友学園や加計学園に対する「便宜供与」が本当に安倍首相にあったなら、それを出せばいい。しかし、印象操作を目的に、ひたすらパフォーマンスがくり返される「劇場型国会」に、いい加減にしろ、と叫びたかった良識ある国民は多いだろう。

テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案の審議も、最初から最後まで「ケチをどうつけるか」という枝葉末節の議論に終始し、最後は参議院法務委員会での「日本維新の会」の質問中に民進党が法相の問責決議案を提出して、“審議拒否”策に出た。

「しめた」とばかりに、自民党が委員会の採決をすっ飛ばして「中間報告」による本会議採決に持っていく奇策に出た。しかし、産経新聞以外のメディアは、維新の質問中に民進党によって法相の問責決議案が提出され、民進党が審議拒否戦略に出たことを報じていない。自民党の一方的な「中間報告」による本会議採決だったとしか国民に情報を「出さなかった」のである。

「パレルモ条約(国際組織犯罪防止条約)」批准のために不可欠な国内担保法である組織犯罪処罰法改正案は、テロやさまざまな組織犯罪と向き合わなければならない日本にとって、不可欠な法律である。

これを締結していない国は、ソマリアや南スーダン、コンゴ、イラン、パラオ、フィジー、ソロモン諸島ら、日本を入れて11か国に過ぎない。かつて、旧民主党は現在の政府案の基になる修正案を国会に提出した。対象を「組織的犯罪集団」に絞り込み、さらには、犯罪実行のための「予備行為」を処罰要件とする、今回の政府案に酷似したものだった。

旧民主党も、当時は、国際的な組織犯罪への危機感を「共有」していたのである。米、英、独、仏、伊……先進国はもちろん、テロや国際犯罪から国民を守りたい国々は、「共謀罪」か、「参加罪」か、いずれかの国内法をつくり、パレルモ条約を批准している。では、先進国のなかで、今回、野党が主張したように、それによって「内心の自由」や「思想の自由」、あるいは「表現・言論の自由」が犯された国があったのだろうか。答えは、ノーである。

この法律によってパレルモ条約に加盟する最大の利点は、各国との“捜査情報の共有”にほかならない。各国がテロや国際犯罪との戦いで掴んだ情報を共有できることは、日本国民の「生命」と「財産」を守るためには、不可欠なものだ。

爆弾ひとつとっても、雷管に何を使い、起爆装置に何を使うか、あるいは、自爆テロをどういう経過を辿って実現していくか、それらの集団の捜査の端緒をどこから見出すか……等々、テロや組織犯罪から国民を守るために不可欠なものが、各国の捜査機関には蓄積されており、それを日本は「共有」できるのである。

しかし、日本は、ソマリアや南スーダン、コンゴなどと同じく、それらのネットワークから“除外”されている。戦前の治安維持法の時代に「戻るかもしれない」と、反対する人々がいるからである。私は、NHKの日曜討論に出演して反対派の人々と話し合ったが、彼らが話す抽象論に「はあ?」という思いを強くした。

どうしても、私は10年前、防犯カメラの設置に対して強力に反対した政治勢力やジャーナリズムのことを考える。彼らは、あの時と同様、今回も「監視社会の到来」を訴えて、法案に猛反対したのである。

街のあちこちに設置された防犯カメラによって、彼らが主張してやまなかった「監視社会」は、10年後の今、到来しただろうか。平穏に暮らす国民の「命」を守ることよりも、そんな不安ばかりを煽って、政治家としての責任を果たさなかった人々は、あの時、主張したことを今、どう総括するのだろうか。

戦後72年におよぶ民主主義国家としての歩みを無視して、あの思想警察「特高」が存在していた時代の「治安維持法」と同列に並べて国民の不安を煽る手法は、私には理解できなかった。観念論や抽象論で、国民に不安ばかりを植えつけようとする手法は、このインターネット時代に、もはや通用しない。

私は、現在を「左」と「右」との戦いではなく、「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実主義者)」の戦い(つまり「DR戦争」)だと分析している。安全保障分野で言うなら、「空想的平和主義者」vs「現実的平和主義者」の戦いである。

「不安商法」の時代は、とっくに過ぎ去っている。今でも、この古典的な手法にしがみつく政治家に、国民の支持は絶対に集まらないと私は思う。

もし、集まるとするならば、「現実政党」に対して、である。私は、これを「保守政党」とは呼ばない。「保守」とは、旧来のものを守ることを意味するからだ。そうではなく、あくまで「現実政党」である。

東京都議選を前に公認候補の離党ラッシュが続いた民進党で、今年4月、長島昭久・衆議院議員が離党届を提出し、記者会見で語った中身は、象徴的だった。

「“党内ガバナンス”という魔法の言葉によって、一致結束して“アベ政治を許さない!”と叫ぶことを求められ、過去に自分たちが推進し、容認してきた消費税も、TPPも、ACSA(日米物品役務相互提供協定)も、秘密保護法制も、安保法制も、憲法改正論議も、共謀罪も、すべて反対、徹底抗戦、廃案路線で突き進む。

行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も、建設的な提案もない。与野党の妥協も政策調整の余地もない。国民世論の統合を期待されている国会において、かえって国民の中にある分断の萌芽(ほうが)をさらに拡大しているようにしか見えないのです」

私は、「リアリズム」が、今後の政界のキーワードになることは間違いないと思う。あらゆる政策に是々非々で議論を戦わせ、国民にとって「なにがベストなのか」という点で、ある時は妥協し、ある時はとことん戦い抜く――早く、そんな「二大現実政党時代」の到来を実現し、「現実政党」同士の中で、意味ある政権交代を国民が選択できるようになって欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 政治

流動化する「韓国情勢」の先にある懸念

2016.11.30

昨日、帝国ホテルで第25回山本七平賞(PHP研究所主催)の受賞パーティーがあり、出席させてもらった。受賞者は、『なぜ私は韓国に勝てたか 朴槿恵政権との500日戦争』(産経新聞出版)の加藤達也・産経新聞編集委員で、特別賞には、読売新聞編集委員の三好範英氏による『ドイツリスク』(光文社新書)が選ばれた。

両作とも大変な力作だったので、妥当な受賞だったと思う。かくいう私も、6年前にこの賞をいただいた。今回は、二人の受賞者が共に「新聞記者」ということで、多くの新聞社幹部が集うパーティーとなった。

新聞記者の知り合いが数多くいたので、旧交を温めることができたパーティーでもあった。しかし、なんといっても、話題は、この授賞式の当日に、朴槿恵大統領が「辞意を表明した」ことだろう。

加藤前ソウル支局長は、受賞の喜びを「大変栄誉ある賞をいただき光栄です。韓国では、裁判所も検察も、政治の力によって動きます。この本が、日本人の韓国への理解を促す一助になれば幸いです」と挨拶した。

加藤氏は、朴槿恵大統領への名誉毀損で起訴され、出国停止状態のまま闘い抜き、無罪判決を勝ち取った人物である。加藤氏がコラムで書いた「セウォル号事件」の際の“空白の7時間”がまさに大問題となり、ついに朴氏が辞意を表明するに至ったというのは、なんとも感慨深い。

会場には、山本七平賞の選考委員でもある呉善花さんもいたので、久しぶりに話をした。彼女もまた朴大統領の辞任には、特別の感慨を持っていた。

しかし、与党セヌリ党の朴大統領の失脚は、当然ながら、野党勢力の伸長を促し、今後、多くの韓国ウォッチャーが懸念する通り、韓国の急速な“左傾化”が憂慮されている。

言いかえれば、北朝鮮勢力との接近である。今回の反朴デモにも、多くの北朝鮮工作員がかかわっているのは自明だが、私が思い起こすのは、あの金大中時代から廬武鉉時代(1998年~2008年)のことである。

韓国が、10年の長きにわたって続いたあの「太陽政策」の失敗を、再び繰り返さない保証はどこにもない。それは、極端な見方かもしれないが、韓国に「軍事クーデター」さえ呼び起こしかねない“不安定な政治状況”をもたらすだろう。

核弾頭の小型化に向けて急ピッチの研究開発がつづく北朝鮮。果たして韓国は、アメリカの「THAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル)」導入が、激しい中国の反発を生んでいる中で、“ポスト朴”政権が誕生しても、腰砕けせずに、この導入方針を「維持」できるのか、予測がつかない。

おまけに、アメリカには、さらに先行き「不透明」なトランプ政権が誕生し、朝鮮半島をめぐる米・中の綱引きがどう展開するのかもわからない。

日本の尖閣支配に対して、中国国家海洋局海監東海総隊が「日本の実効支配打破を目的とした定期巡視」をおこない始めて、丸4年。いつ、どのタイミングで、尖閣に中国の武装漁民が上陸し、それを守るために、中国の4000トン級の新型多機能海洋法執行船がどう出るのかも予断を許さない。

不安定要素を増す東アジア情勢で、韓国が、まさに「太陽政策」の金大中・廬武鉉時代の「再来」となるのなら、これは日本人も“他国の出来事”などと笑っていられる場合ではない。

来年は、フランスでも大統領選があり、ドイツでは連邦議会選挙もある。「2017年は、世界情勢が一挙に流動化する」という観測が流れる中、習近平・中国国家主席や、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長が“高笑い”するような事態が東アジアに現われることだけは避けなくてはならない。

2017年は、「アメリカ-日本-台湾」の連携の重要性が、さらにクローズアップされる年となるだろう。その意味で、日本の安倍首相がトランプ次期大統領を御(ぎょ)することができるのかどうかは、東アジアのみならず、世界平和という観点からも、非常に重要だ。

仮に、それが失敗して、「米中接近」の時代が逆に到来するなら、私たち日本人も、ある種の覚悟が必要な「時」を迎えるかもしれない。

カテゴリ: 国際, 政治

国会「二重国籍」論議が示したものは何か

2016.10.06

これは、逆に、蓮舫氏に感謝すべきことかもしれない。私は、昨日(5日)、今日(6日)と2日にわたって続いた自民党の有村治子議員の「二重国籍」に関する国会質問を見ながら、そう思った。

民進党の蓮舫氏が「二重国籍」を隠したまま、三度も参議院議員に当選し、行政刷新担当大臣という閣僚にも就いていた事実は、国会に大きな波紋を広げた。なぜなら、その二重国籍騒動の中で、蓮舫氏の過去の発言が次々と明らかになり、結果的に、民進党代表選のさなかでの発言が虚偽であったことが白日の下に晒されたからだ。

朝日新聞紙上で発言していた「(日本の)赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」(1992年6月25日付夕刊)、「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」(1997年3月16日付夕刊)、週刊現代誌上での「そうです。父は台湾で、私は二重国籍なんです」(1993年2月6日号)、あるいは、文藝春秋「CREA」誌上での「だから自分の国籍は台湾なんですが、父のいた大陸というものを一度この目で見てみたい、言葉を覚えたいと考えていました」(1997年2月号)…等々、かつて蓮舫氏は、二重国籍を隠すことなく、堂々とこれを表明していた。

日本より、むしろ「父の生まれた国」への熱い思いを滔々と語っていた蓮舫氏が、民進党代表選の過程で、元通産官僚の八幡和郎氏(現・徳島文理大大学院教授)の指摘でこの問題が浮上するや、発言が二転三転し、ついには、代表選の途中で「台湾籍離脱の手続き」をせざるを得ないところまで追い込まれたのは周知の通りだ。

代表選の対抗馬だった前原誠司氏にも「ウソは言うのはよくない」と窘(たしな)められたほどの蓮舫氏が、それでも代表に当選するあたりが、民進党という政党の限界を表わしているだろう。

しかし、ここで重要なのは、国益が衝突する外交や国防の最前線で、果たして蓮舫氏のように、「父の母国」に強い思いを持つ二重国籍者に、日本の自衛隊の最高指揮官であり、外交の責任者たる「総理」になる資格が果たしてあるのだろうか、という根本問題である。

外交や防衛の最前線では、言うまでもなく、ぎりぎりの判断が求められる。日本の国益を代表してその任に当たる人物が、「(日本の)赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」という人物があたることに疑問を持たない人はいるのだろうか。

日本では、国籍選択は国籍法第14条によって規定されており、「二重国籍」は認められていない。また、外務公務員法には「外務公務員の欠格事由」という項目があり、二重国籍は厳しく戒められている。それにもかかわらず、前述のように日本の自衛隊の最高指揮官であり、外交の責任者たる「総理」に二重国籍者が「就く資格」が果たしてあるのか、ということである。

本日の参議院予算委員会で有村治子氏は、外交官以外にも、総理補佐官や外務大臣、自衛隊員、要人警護のSPなど、国家機密に近い、あるいは、これを知る立場に就く人が二重国籍者であってもいいのか、という問題意識をもとに質問をおこなった。

現行法制度のもとで二重国籍状態にある人物が閣僚など「政府の要職」に就く可能性が排除されないことに関して、安倍首相は、「国家機密や外交交渉にかかわる人々であり、適切な人物を選ぶよう運営してきた」と説明し、「問題点として存在する。われわれもしっかり研究したい」と答弁するにとどめた。

外務公務員法にのみ、明確な「二重国籍」の禁止条項があるという歪(いびつ)な法体系を炙り出すことになった今回の二重国籍騒動。民進党には、コスモポリタニズムを信奉し、世界市民(地球市民)を志向する人が多いのかもしれない。

しかし、民進党が、国益がぶつかり合う国際社会の舵(かじ)取りを任せられる政党ではないことが、有村氏の国会質疑で浮かび上がったことは間違いないだろう。

カテゴリ: 政治

小池都知事は「税金“掴み取り”時代」に終止符を打てるのか

2016.09.30

国会、そして都議会も開会し、いよいよ政治の季節がスタートした。国会では、早くも「年明け解散」の憶測が流れ、与野党の攻防が本格化している。しかし、なんといっても、世間の注目は、小池百合子東京都知事だろう。

一昨日(9月28日)、都知事就任後初の都議会の本会議で、所信表明演説をおこない、豊洲問題について「都政は都民の信頼を失ったと言わざるを得ない。誰が、いつ、どこで、何を決めて隠したのか、責任の所在を明らかにしていく」と語り、“旧勢力”への事実上の宣戦布告をやってのけた。

小池氏は、さらに「なれ合いや根まわしでコトを丸く収めるのではなく、都民の前で決定過程を詳(つまび)らかにする。議論をぶつけ合うのが、新しい姿だ」と述べ、都議会との真剣勝負も宣言した。

私は、「やっとこういう時代が来たか」と、東京都の納税者の一人として思う。全国で唯一、地方交付税の分配を受けない富裕自治体・東京。2億5千万人の人口を抱えるインドネシアと同規模の「13兆円」の予算を有する東京都では、当初の計画からいくら金額が膨張しようが、「すべてOK」という納税者からは信じられないような感覚が都庁全体に蔓延(まんえん)していた。

いわば業者による税金の“掴(つか)み取り”である。豊洲市場にかけた異常な予算には、盛り土のない空洞問題よりも、都民の多くはそちらの方に溜息をついている。

豊洲市場の主要3施設の落札率は「99・9%」だったという報道に接して怒りを覚えない納税者はいるだろうか。平成25年11月に行われた1回目の入札時の予定価格は、3棟で合計約628億円だったが、応札がなく不調に終わり、12月におこなわれた再入札では、一挙に1035億円まで膨らんだという。

土壌汚染対策費も当初の約1・5倍にあたる858億円に膨張するなど、最終的な総事業費は5884億円に及ぶとされる豊洲市場。まさに「税金“掴み取り”」の集積とも言える様相を呈している。

東京五輪の予算の膨張ぶりもまた、溜息が出るばかりだ。コンパクトな大会が売り物だったはずの東京五輪の開催費の総額が、いつの間にか、招致段階の7340億円から4倍以上の「3兆円」にハネ上がる見込みというのである。

これは、東京都の都政改革本部の会議が試算したものだが、果たして、そんな膨張を納税者の誰が許すのだろうか。

湯水のごとく税金を使うのではなく、質素で、それでいて整然とした日本らしいオリンピックにして欲しいというのは、都民だけでなく国民全体の思いだろう。関連施設や競技会場の建設にあたって、業者による落札率が100%近くになるような事態は、絶対に許してはならない。

小池都知事は一体、誰と、そして何に対して戦いを挑むのだろうか。それは、富裕自治体として、ほとんどチェックもなかった「税金“掴み取り”体質」である。

長年、業者と飲食を共にし、さまざまな恩恵を受けながら、「都議―業者―都庁職員」という納税者不在のトライアングルは維持されてきた。この長年の悪弊、言ってみれば、窺い知ることができなかったブラックボックスを打破できるかどうか。小池氏の手腕は、そこにかかっている。

2020年の東京五輪後、日本は政治の大動乱期を迎える。仮に、小池氏が東京都の膿(うみ)を出し切り、数千億円、いや、それ以上の税金を都民のもとに取り戻すことができるなら、小池氏は、‟ポスト安倍”の筆頭に躍り出るだろう。

「維新」との連携で、小池新党は、東京五輪後の政界のイニシアティブをとることができる可能性がある。石原慎太郎氏が80歳になってから都知事を辞任し、「総理への道」を夢見て17年ぶりに衆議院議員に復帰したように、小池氏の最終目標も、当然、「総理の座」にある。

税金にたかる“トライアングル”の元凶を炙(あぶ)り出し、納税者の負託に応えて欲しいと心から願う。

カテゴリ: 政治

「小池百合子氏圧勝」が証明した“DR戦争”の決着

2016.08.02

小池百合子氏の圧勝で、ほっと胸を撫で下ろした人が、私のまわりには沢山いる。なにより恐れたのは、「鳥越氏が都知事になることだった」という人がいたのでその理由を聞いたら、「都政が“プロ市民”たちに牛耳られるのは、どうしても嫌だった」という。

たしかに都民とは関係のない「憲法改悪阻止」「ストップ・ザ・安倍」「非核都市宣言」……等々と、昨年の国会周辺を取り巻いた人たちが主張することをそのまま述べておられた鳥越氏とその支援者たちに、ある種の“恐怖”を感じた向きは少なくなかったようだ。

都庁で“プロ市民”が跋扈(ばっこ)し、13兆円もの予算に大きな影響を与えるような事態が避けられたことは、たしかによかったと思う。

前回のブログでも書いたように、日本の人口の10分の1が集中する大都市東京では、人生の終末を迎えた老人たちが悲惨な環境にいる。「待機児童問題」より遥かに深刻な問題がそこにはある。

NHKは、「漂流老人」という言葉を用いて、劣悪な環境の中で人生の終末を過ごす人々の姿を捉えていたが、「待機児童」問題も含めて、つくづく東京に住む人は、幸せをつかめていないように感じる。

そこへ1970年代の思想そのままの“老ジャーナリスト”が出て来ても、支持を得られなかったのは、当然だったように思う。

統一候補として鳥越氏を担いだ野党四党は、直前の参院選で計「240万票」を獲得している。知名度のある鳥越氏を統一候補にできた段階で、野党には「勝てる」という目算があっただろう。

しかし、鳥越氏が獲得した票数は、わずか「134万票」。目論見より100万票以上、少なかったのである。そのことをどう見るか。私は、この選挙が「新時代の到来」を意味するものであったということを感じる。ほかの言葉で言い換えるなら、“ドリーマー時代の終焉”ということだ。

今の世の中が、昔のような「左」と「右」との対立の時代でないことは、当欄でも繰り返し論評してきた通りだ。現実には決して目を向けない“ドリーマー(夢見る人)”と、現実を直視する“リアリスト(現実主義者)”の戦いという「DR戦争」がつづいている今、その「決着」を示す選挙結果だったように思う。

今回の選挙がおもしろかったのは、「DR戦争」を明確に示すキャラクターが揃ったことだった。まさに鳥越氏は、“ドリーマー”を代表する人物だったし、“リアリスト”である増田氏と小池氏の二人は、「組織をバックにする人」と「そうでない人」に分かれて、有権者の審判を仰いだ形になった。

選挙戦の過程で、鳥越氏は、過去に尖閣問題に関して、「一体どこの国が日本に攻めてくるって言うんですか」「(中国が攻めてくるというのは)妄想です。そんなことはあり得ない」「万一、ないとは思うが中国が攻めてくる可能性はあるかもしれない。その場合は、自衛隊が戦うべきです。アメリカなんか要らないです」と、支離滅裂な発言をしていたことが明らかになった。

それは、70年代から時間が止まっているのではないのか、と思わせるレベルの低さであり、実際に選挙演説でも、「ガン検診受診率を100パーセントにする」「島嶼部では、消費税を5パーセントにする」という現実離れしたことを語り、口を開けば開くほど票を減らしていった。

自らの女性スキャンダルが報じられた際の対応も最悪だった。「事実無根」として週刊誌を検察へ刑事告訴したが、出演したテレビ番組では、当該の女性とその旦那との「三者会談」をおこなったことを認めてしまった。その上で、最後まで記者会見も開かず、「一体、どの部分が事実無根なのか」という有権者の根本的な疑問には、ついに答えることがなかった。

その人物が、慰安婦の一方的な証言には、「立派な証拠になる」と発言していたことや、また、自らサンデー毎日編集長時代に宇野宗佑首相の女性スキャンダルを女性証言だけで報じたことを「上に相談せず、自分のクビをかけて世に出した」と答えていたことがわかり、まさに“史上最大のブーメラン”という笑い話にもなってしまった。

出馬表明の時が「支持がMAX」であり、あとは本人の実像が露わになるにつれて、票が減り続けるという、‟喜劇の主役”ともなった鳥越氏を見て、私は、この鳥越氏の「票の減り方」こそ、新時代の到来を意味するものだと思った。

もし、インターネット時代以前の「新聞」と「テレビ」だけが大衆の情報源だった時代なら、鳥越氏の「虚像」は、維持されたに違いないと思うからだ。マスコミの「主役」である“ドリーマー”のジャーナリストや評論家によって、露骨な鳥越氏支持の番組が目についたが、もはや、それが「通用しなくなった」ことを、今回の選挙は明確に示したのである。

私が注目したのは、投票日の出口調査で、20代の若者の中に、鳥越氏を支持する人が、「10パーセント」に満たなかったという事実である。各メディアの出口調査で、そのことが明らかになったことで、私は、「うーん」と唸ってしまった。

鳥越氏を支持している層とは、「高齢者」であり、若者は、いくら既存のマスコミが鳥越氏を推しても、もはや反応しない。笛吹けど「踊らない」のである。なぜだろうか。

それは、若い人こそ「現実」を見ているからだ。あの民主党政権時代の「3年3か月」で、就職の“超氷河期”を過ごし、いわば地獄ともいうべき「現実」を徹底的に見せつけられた。彼ら若者は、口では、耳ざわりのいいことばかりを唱えるドリーマー政治家たちの「本質」をとっくに見てとっていたのである。

それを思うと、2位増田寛也氏に100万票以上、また、3位鳥越俊太郎氏にはダブルスコア以上の大差をつけた「291万票」という小池百合子氏の大勝には、さまざまな意味が含まれていたことがわかる。

日本の選挙の中で、唯一、コントロールが利かない選挙――それが東京都知事選である。1100万人(正確には、1127万4000人)の有権者を持つ東京都知事選の結果は、言うまでもなく日本の「今後」を指し示すものである。

悔しくてたまらない既存メディアは、これを「若者の右傾化」と呼ぶ。あるいは、「ネトウヨ」などというレッテルを貼って、その真実を見ようとしない。だが、今回の選挙で明らかになったのは、「若者こそリアリスト」であり、彼らが「DR戦争の主役である」ということだ。

60年安保を経験した高齢者、70年安保を戦った団塊の世代。先にイデオロギーありきの「55年体制」にどっぷり浸かった、言わば“55年症候群”の人たちの時代は「終焉を迎えた」のである。

世代間戦争は明らかに若者、つまり、リアリストの勝利となった。その意味で、小池氏大勝は、高らかに“新時代の到来”を宣言するものだったと思う。

カテゴリ: 政治

いよいよ東京都民の「見識」が問われる

2016.07.13

私は、溜息ばかり吐(つ)いている。一連の都知事選候補者騒動を目の当たりにして、である。タレントの石田純一氏(62)が突然出てきたり、小池百合子氏(63)が「都議会の冒頭解散」という“あり得ない公約”をブチ上げたり、都知事選が‟劇場型”であることは承知しつつも、「おいおい、大丈夫か」という思いが強い。

それでも、最後の最後に、鳥越俊太郎氏(76)が野党統一候補として出てきたことへの驚きに比べれば、まだまだ大したことではなかっただろう。鳥越俊太郎氏の名前を聞いて、いったい「都政をどう考えているのか」「都民も舐められたものだ」と思ったのである。

鳥越氏の7月12日の記者会見での発言を聞いて、私は自分の耳を疑い、「ああ、やっぱり」と思った。舛添問題の発端となった例の都立市ヶ谷商業跡地の韓国人学校増設問題に対する質問に、彼は「具体的に知りません」と答えたのである。

当ブログでも何度も書いてきたように、市ヶ谷商業跡地の韓国人学校増設問題とは、待機児童、待機老人問題に悩む東京都の喫緊(きっきん)の課題として浮かび上がったものだ。しかし、鳥越氏は、その問題を知らない。

「(知事の)任にあたることになったら、東京都民に納得いただける策を打ち出したいと思います。今の段階では、そういう立場にないですから詳しいことは言えません。すみません」

鳥越氏は会見でそう言ったのである。そして、彼の口から出たのは、憲法改正問題や安全保障法案の問題で、ひたすら安倍政権批判だった。数日で「消えた」タレントの石田純一氏が、都政とは関係のない「国政レベルの話に終始した」のと、まったく同じだったのだ。

さらに鳥越氏は、「中国、韓国、アジア各国の首都と首都サミットのようなものを開いて、若者の文化交流、音楽の交流を首都レベルでお互いに続けていく。そうすることで、国では難しいけど、自治体同士で地に足が着いた交流ができるかもしれない。そういうことは、ちらっと考えています」と語った。

私は、「あーあ」と思った。舛添氏がおこなった、まさに“都市外交”とやらの弊害が都民から反発を食らったまさに韓国人学校増設問題だったのに、鳥越氏は、それを知らないばかりか、さらに国を飛び越えた“都市外交”を押し進めようというのである。

頼むからそんなことに都民の税金を使わないでくれ、是非、都内の老人施設をまわり、都心の高齢者がどんな環境で人生の「最期」を迎え、どう過ごしているか、見て欲しい。私は、心からそう叫びたくなった。

‟二元外交”をおこなえば、相手に誤ったメッセージが伝わってしまう危険性があり、舛添氏がそこから躓(つまづ)いたことも知らないまま、あなたは「野党統一候補」という御輿(みこし)に乗って出てきたんですか。私は、そう思って、暗澹たる思いになった。

前回のブログでも書いたように、「2代」つづけて自公が押し立てた都知事がスキャンダル塗(まみ)れで任期途中で辞任した。猪瀬、舛添という2人の都知事の不祥事に、最も反省しなければならないのは、二人を選んだ東京都民である。しかし、それを押し立てた自公が、性懲りもなく、東京都民の税金を4000億円も地方に割り振った元岩手県知事の増田寛也氏(64)を担いだのである。

前回のブログで、「自公に鉄槌を!」と私は書かせてもらったが、本当に反省のかけらもない、どうしようもない組織だと思う。全国でダントツの数を誇る待機児童8000人、そして日本で最も悲惨な最期を迎えている大都会東京の待機老人たち――いったい、今すぐ手を差し伸べなければならない彼らを差しおいて、都民の税金はどこへ消えているんだろうか。

まともな都政論争を聴きたい、と心から思う。今日おこなわれた日本記者クラブでの四者の討論会を聞いていても、鳥越氏の話を聞いて、「なぜ都知事なのか」「せめて都政というものを少しは勉強してくれ」と思わない人はいただろうか。

私は『リーダーの本義』というビジネス書を出したばかりだが、「あなたには、“リーダーの本義”というものがわかっていますか」と問うてみたい衝動に駆られた。

野党統一候補でいけば勝てる、というネームバリュー重視の選択だったのだろうが、いかにも都民は「舐められた」ものである。いい加減、都民も「見識」を示さなければ、さまざまな意味で、次世代へ禍根を残すだろう。

カテゴリ: 政治

次の都知事には「本義に生きる人」を

2016.06.15

つくづく人間の器量とは、土壇場でこそ発揮されるものだと思う。舛添要一都知事の醜態は、人間として、リーダーとしての「行動」「考え方」「覚悟」、あるいは、「身の処し方」……など、あらゆることについての「教訓」を後世に残してくれた。

その意味では、舛添氏は、長く日本の歴史に「名を残した」ことになる。国民の怒りが尋常なものでないことを最後に知った与党の自民党と公明党の優柔不断さも見苦しいものだった。「引導を渡した」のは与党だったとはいえ、とても許されるべき感覚ではなかっただろう。都民による彼ら「自公への鉄槌(てっつい)」は、いつか必ず振り下ろされるべきだと私は思う。

それにしても、待機児童問題で悩む「新宿区の要請」を蹴って、旧都立「市ケ谷商業」の跡地を韓国学校の増設用地として貸し出すという舛添氏の方針が明らかになって以降、丸3か月も迷走した末の辞任劇に、私は、ある種の感慨を覚えている。

市ヶ谷商業跡地問題で、〈これは、ひょっとしたら、舛添要一都知事の“命取り”になるかもしれない。私はそう思っている。いや、そうすべきだと思う〉と、当ブログで書かせてもらったのは、ちょうど3か月前の3月17日だった。

以後の動きを私は、へえーっと溜息をつきながら、見させてもらった。都知事として呆れるようなケチな“醜聞”が次々と噴出して来た。そして、その疑惑解明の最大の功労者は、今回も週刊文春だった。またも“文春砲”の威力を見せられたのである。

先週号で「独走第6弾」となっていたが、まさに政党交付金という名の「税金」にたかる公私混同の政治家の姿について、実に細かく、丹念に、辛抱強く、報道してくれたと思う。それは、国民の税金で政治資金、すなわち政党交付金を賄うべきか否か、ということの是非まで問うものでもあっただろう。

物事の真相や疑問点への解明を週刊誌に“丸投げ”するマスコミばかりの中で、またひとつ週刊誌の役割を果たしてくれたのではないだろうか。

私事で恐縮だが、私は、人間の器量は、土壇場でこそ発揮され、ホンモノのリーダーとは、大きな使命、すなわち「本義」に忠実に生きる人たちであることを著わした『リーダーの本義』というビジネス書をちょうど上梓した。

これは、福島第一原発所長だった吉田昌郎氏や、終戦時、内蒙古の在留邦人の命を救い、戦後は「台湾」を救った根本博・陸軍中将、あるいは「義」のために闘い、悟りを得て「不識庵」と名乗った戦国最強武将・上杉謙信……等々、「本義」に生き、死んでいった多くのリーダーたちの姿を描かせてもらったものだ。

私は、この3か月間、この本の校了作業をしながら、舛添氏の醜態を見つづけた。都知事の本義とは何か――。私は、その意味では、舛添氏が、そのことをわかっているのか、あるいは、考えたことがあるのか、ということを、この3か月間、ずっと考えていたことになる。

都民の生命・財産を守るという最大の「本義」を忘れ、毎週末、都外の湯河原に公用車で通い、豪華外遊では都民の税金を惜しげもなく使い、生活費にさえ自身の身銭は切らず、ひたすら“税金”にたかり、待機老人や待機児童の問題など都の喫緊の課題への「視察」は一度もおこなわず、ひたすら趣味の美術館まわりを視察名目でやり続けた人物。

そんなリーダーが、すべてが明らかになっても、それでも開き直ろうとした姿は、日本人の美徳とされる「恥」の概念からも、本当に多くの教訓を私たちに与えてくれたと思う。

「私欲」のみで生きる人は世の中に多いので、それは責められるべきことでもない。しかし、1300万人の都民の生命と財産を守る「使命」のある都知事には、私は「本義」のために生きる人を選びたい。

カテゴリ: 政治

日中外相会談「大失敗」の意味

2016.05.02

最近、どうも不思議なことがある。安倍政権の外交姿勢である。2012年12月の政権発足以来、“対中包囲網外交”を展開し、ある意味の「焦り」を中国側に生み出してきた安倍外交が、ここのところ、どうもおかしいのだ。

中国の報道を細かくフォローしている『レコードチャイナ』が4月30日におこなわれた北京での「日中外相会談」の新華社の報道を紹介している。それによれば、中国の王毅外相は岸田文雄外相にこう述べたのだそうだ。

「この数年の間に、日中関係は絶えず波乱がありました。その原因については日本側が一番よくおわかりでしょう。近年、日本はたびたび関係改善を希望しています。もしあなたが誠心誠意で来たのであれば、私たちは歓迎します」

「中国には“その言葉を聞き、その行動を見る”という言葉があります。今日はあなたがどのように日中関係を改善するか意見を伺いたい。それと同時に、日本側が本当に行動に移すかということも見なければなりません」

「日中は隣国。私たちは当然日本と健全で安定した友好関係を発展させることを希望しています。同時に、この関係は必ず、歴史を正視するという基礎、約束を守るという基礎、協力であり対抗ではないという基礎の上に築かれなければなりません。あなたの今回の訪中が、日中関係の実質的な改善に作用することを期待しています」

これらは一読すればわかるように、「外交の常識」では考えられないような非礼な言葉の連続である。一国の外相を迎える時に、これほどの礼を失した態度と言辞で会談に臨んだ例は、なかなかあるものではない。

岸田外相に対して王毅外相が発言した中身は、要するに「日本が関係改善を希望しているから、あなたに会ってやった。もし、誠心誠意、日本が態度を改めるなら歓迎してやる」「日本にどんな関係改善の意見があるのかは聞く。しかし、問題はそれを日本が本当に行動に移すかどうかだ」「日本は、歴史を正視し、約束を守れ。中国に対抗するのではなく、中国に協力的であれ」ということである。

私は、2014年11月にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で訪中した安倍首相に対して、習近平国家主席が、憮然とした態度で会見したことを思い出した。ほかの国の首脳との会見では、バックに両国の国旗を配して、にこやかに接遇したが、安倍首相に対してだけは、あからさまに「我々は、あなたを歓迎していない」という態度をとったのである。

今回も予想されたこととはいえ、王毅外相の態度に、多くの日本人が呆れ返ったに違いない。1970年代から80年代に持て囃(はや)された「日中友好」という概念が、もはや「とうに存在しなくなったこと」がわかる。

読売新聞によると、これに対して、岸田外相は日本の記者団から会談での発言内容を質問されても、「日本の立場をしっかり伝えた」と語るだけだったという。一方、中国側は王毅外相の発言を詳しく公表し、その中には、岸田外相が「歴史の反省」に言及したとも指摘したそうだ。つまり、王毅―岸田会談は、中国側の「一方的な攻撃」で終わったのである。

産経新聞は、王毅外相の発言を中国側が以下の「4項目」の対日要求を岸田外相に出した、という視点で報じている。

(1)誠実に歴史を反省し、「一つの中国」政策を守る。
(2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」をまき散らさない。
(3)経済面で中国を対等に扱い、互恵を基礎に各領域の協力を推進する。
(4)国際・地域協力で中国への対抗心を捨てる。

いやはや凄まじい要求である。まるで宗主国が属国を指導し、窘(たしな)めるかのような文言というほかない。これらの報道を読んで、根本的な疑問を持たない人がいるだろうか。

「一体、日本は何を期待して、中国を訪問しているのだろうか」ということである。今回の訪中は、中国とのパイプの太さを強調する自民党の二階俊博総務会長と外務省における‟チャイナスクール”の積極的な動きによって実現したものとされる。

チャイナスクールとは、中国で「中国語の研修」を受けた日本の外交官たちのことだ。彼らは、語学研修時代から中国政府と深い関係を結んでいる。彼らの特徴は、中国の意向に従順で、中国を利用して自らの立身出世をはかることにある。言うなれば、「どっぷりと中国に浸った外交官たち」である。

この3月には、外務省の「チャイナスクール」を代表する横井裕氏(前トルコ大使)が駐中国大使に就任し、安倍政権下で‟干されて”いたチャイナスクール組は復活を遂げていた。

中国側の思惑通りの今回の展開は、中国がそのチャイナスクールを利用して日本側を見事に「手玉にとった」ということにほかならない。そして、今月20日に、台湾で民進党の「蔡英文政権」が発足する前に、「日台接近」に対する警鐘を鳴らすことにも成功したことになる。

着々と成果を挙げていた政権発足以来の「対中包囲網外交」を安倍首相はなぜ「転換」したのだろうか。しかし、いずれにせよ、きっかけが、前述の2014年11月に北京で開かれたAPECにあったことは確かだろう。

この時、日本は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで一致したことを「認める」という大失態を犯している。

日本政府がそれまでの「尖閣は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場から「日中両国が『異なる見解』の存在を‟認識”した」というものに転じたのである。私はそのニュースを聞いて、耳を疑った。

中国は、これからはこの合意をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出し、「日本もそれを‟認識”していたではないか」と強調してくるだろう。

「必要ならば、武力で自国の領土(※釣魚島のこと)を守る準備はできている」と事あるごとに言い続けている中国にとって、それは計り知れないほど望ましい「日本側の譲歩」だったのである。この時も、それを押し進めたのは、チャイナスクールの面々だった。

会うたびに、日本が譲歩を迫られる中国との「会談」。岸田外相は、今回の訪中で中国の李克強首相とも会談し、同氏の今秋の「訪日」を要請したという。これだけコケにされても、それでもまだ中国の首脳に日本に「来てもらいたい」らしい。

私は、せっかく成果を挙げていた安倍首相の対中外交が「変質している」ことを深く懸念する。中国との「真の友好」を目指すなら、今は中国と「接近する」ことではなく「距離を置く」ことの方が重要だからだ。

日本が中国に対して、毅然と距離を置き、中国側から日本への「接近」のシグナルとメッセージを引き出さなければならなかったはずである。経済的にも、また南シナ海での領土問題や、あるいはPM2・5などの環境問題でも、困っているのは「中国の側」だからだ。

今回の岸田訪中は、日本国民だけでなく、他のアジア諸国にも大いなる失望を生んだ。周辺諸国と摩擦を繰り返し、国際的に孤立化する習近平政権に、なぜ日本はこうも擦(す)り寄らなければならなかったのか。

絶対に譲歩してはならない国に対して、誤ったメッセージを伝えてしまった岸田外相。チャイナスクールの復活と、対中包囲網外交の変質は、これから安倍政権に重いボディブローとなって効いてくるだろう。

カテゴリ: 中国, 政治

「1票の格差」という欺瞞

2016.04.29

昨日、共同通信の配信で、この夏の第24回参議院議員選挙に「293人」が立候補の名乗りを上げていることが明らかになった。各地方紙がこれを一斉に大きく報じたことで、参院選への空気が一挙に高まった感がある。

野党は勝敗の鍵を握る32の改選1人区のうち、すでに「21選挙区」で統一候補擁立に事実上、合意しているのだそうだ。勝敗の行方は、まさに「与野党一騎打ち」の選挙区での成績次第なのである。

今回の参院選は、公職選挙法の改正によって、史上初めて「18歳以上」が有権者となる。また、「一票の格差」を是正するため、「鳥取と島根」、そして「徳島と高知」が「合区」となった。つまり、2県で「1議席」しか選ばれないのである。

熊本地震の影響もあり、衆参同日選挙の可能性がほぼ消えた今、この2点が参院選の注目点となる。私は、後者の「1票の格差」問題に大いなる疑問を持つ一人だ。

私自身が、代表的な過疎県である「高知県」の出身であることも関係しているだろう。高知県は、簡単に言えば、四国の南側(太平洋側)を占め、7100平方キロメートルもの面積がある。しかし、過疎で人口は減り続け、今は「72万8000人」しか県民がいない。川崎市の人口のおよそ半分だ。

「1票の格差」を唱える弁護士たちや、これに憲法違反のお墨付きを与えた最高裁をはじめ、司法の人間は、果たして真の意味で「1票の価値」を考えているのだろうか、と思う。

拙著『裁判官が日本を滅ぼす』でも指摘させてもらったが、司法の人間(特に裁判官)は、事案を判決文に組み込む「要件事実」だけで判断する。そのための訓練を徹底的に受けているのだ。そこで排されるのは、「事情」である。

「1票の格差」の司法判断を例にすれば、機械的に人口と議席の配分で選挙区ごとの「1票の格差」を割り出し、これを「違法」「違憲」と訴える“原告”がいれば、「要件事実」は整っている。そのまま機械的に「違法」「違憲」と判断すればいいだけである。

そこには、本来の政治が持っている役割や、切り捨てられる地方の問題、さらには都市部出身の議員たちだけで決められていく政治が何をもたらすか、それが本当に民主主義と言えるのか、というような「事情」は一切、考慮されない。

私は民主主義国家で、ある程度の「1票の格差」があるのは当然だと思っている。東京に住む人間と、地方に住む人間が数字的な「1票の価値」にこだわるなら、それは「地方を切り捨てる」しかないからだ。

有無を言わせぬ「少子化」によって、今後、日本の人口はますます都市部に集中していく。過疎県は、人口がさらに減少し、不便な地方に住む人はどんどん少なくなっていく。そこから選出される国会議員もいなくなっていくのである。

すでに過疎県は「合区」にされ、今後、過疎化が進めば、2県だけでなく3県、4県で「1議席」という事態も遠からず来るだろう。都会出身ばかりの国会議員によって国政が論じられ、ますます人口の都市部集中と過疎化が進んでいくというわけだ。

高校野球だって、そのうち、東京や大阪、神奈川など人口の多いところから何校も出場して、地方は「2県に1校」、「3県に1校」などという時代が到来するかもしれない。「地方の時代」などと、うわべでは言いながら、実際には、完全に地方が「切り捨てられる」のである。

ちなみにアメリカの上院では、「各州2名ずつの選出」と定められており、人口が3700万人もいる「カリフォルニア州」と、わずか「56万人」のワイオミング州では、1票の格差は、実に「66倍」もある。

だが、アメリカでは、「これほどの1票の格差は許されない」として、ワイオミング州と隣の州を「合区にして是正せよ」などという声は起こらない。

日本では、わずか「2・13倍」で、‟違憲状態”なのだそうだ。弁護士たちが意気揚々と「1票の格差」を訴える原告団として裁判所に入っていくニュースをよく目にするが、私は、「この人たちは、民主主義の基本というものを本当にわかっているのだろうか」と疑問に思う。

取材や講演で、全国に出張する私は、地方で「1票の格差」についての司法判断に対して、反発の声をよく聞く。先月も北海道で、「私たちがこんなに過酷で広大な北海道に住んでいるから、北海道は日本の領土なんだ。もし、いなかったら、とっくに外国の領土になってるよ」と怒る人がいた。

地方のことを「理解」も、「想像」もできない司法の人間たちの判断によって、どんどん「地方が切り捨てられていく」のは、本当に情けないかぎりである。

「1票の格差」訴訟と、その最高裁判断への「ノー」を国民が突きつける時は、すでに到来しているように思う。政治家こそ、声を上げるべきだろう。地方出身の国会議員たちは一体、何をしているのだろうか。

果てしなくつづく都会への住民移動と、それを追いかけて「1票の格差」を是正していこうとする司法判断に敢然と反対を唱え、‟地方切り捨て”にストップをかけようとする政党が出てくれば、是非、そんな党を支持したいものだ。

カテゴリ: 司法, 政治

待機児童問題は「舛添知事」の“命取り”になるのか

2016.03.19

これは、ひょっとしたら、舛添要一都知事の“命取り”になるかもしれない。私はそう思っている。いや、そうすべきだと思う。

都議会議員のやながせ裕文氏が、「舛添知事は、韓国人学校より保育所をつくれ!」と必死で訴えている新宿区の「韓国人学校問題」のことである。

私は、都民であり、新宿区民でもある。今はもう成人しているが、二人の息子は新宿区で育っている。新宿区民として、やながせ都議に「がんばれ! なんとか舛添知事の暴走を止めてください!」と声を大にして言いたいと思う。

発端は、3月16日、東京都が韓国学校を増設する用地として、新宿区矢来町にあった旧都立「市ケ谷商業」の跡地を韓国政府に有償で貸し出す方向で「具体的な協議に入る」と発表したことだ。

そのことを報じた産経新聞によれば、「韓国政府から要請があったため」で、都は地域住民の意見を踏まえ利用方法や条件などを詰めるのだそうだ。しかし、これに反発の声が上がった。新宿区と言えば、東京都の中でも待機児童の多さで、かねて有名な地だからだ。

新宿区では、昨年4月時点での待機児童は「168名」となっている。話題になったツイッターの「保育園落ちた日本死ね!!! 何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」とつぶやいた母親ではないが、本当に「何なんだよ日本」と思っている母親はいくらでもいるのである。

都では「保育所」や「特別養護老人ホーム」など福祉施設が大きく不足しており、待機児童、待機老人問題は言うまでもなく喫緊(きっきん)の課題だ。やながせ都議によると、東京都は都立公園の緑地まで「福祉施設に転用」しなければならない事態に陥っているという。

当該の市谷商業の跡地は、現在、新宿区立小学校の校舎の建て替えで仮校舎になっており、これが終了したら、新宿区で「2校目」になる韓国人学校の用地にする計画だという。

「都民より韓国人を」という舛添知事の感覚はどこから来るのだろうか。新宿区にすでに1つある韓国人学校で生徒が収容できなくなったというのなら、自分たちで土地を探して「2か所目」をつくればいいだけのことである。

待機児童や待機老人問題をはじめ、さまざまな用途がある都の土地を「韓国人学校のために貸与しなければいけない理由」は一体、どこにあるのだろうか。しかも、昨年、新宿区長が市谷商業跡地の「継続使用」を都に打診したところ、都から「要望は受け入れられない」と断られた、というのである。

周知のように韓国人学校は、韓国の「民族教育」がおこなわれている各種学校に過ぎない。そんな学校に、なぜ都民(新宿区民)がシワ寄せを受けなければならないのだろうか。

都の資産や税金が韓国の「民族教育」のために使われることに「都民のコンセンサス」が得られるなら、舛添氏は、これを取ってからやるべきだろう。

私は、2014年7月、舛添氏が就任間もない時期に韓国を訪れたときの発言や振る舞いをどうしても思い出してしまう。当ブログでも書いたが、舛添知事はこの時、朴槿惠大統領と青瓦台で会い、まるで朝貢外交でやってきた使節のようにぺこぺこと頭を下げている。

その舛添氏の姿は韓国国民の溜飲を大いに下げさせ、セウォル号事件での窮地がつづいていた朴大統領にとって大きな“支援”となった。

そして、会談で舛添氏は、朴大統領から次のような“お言葉”を頂戴している。「一部政治家の言動で両国関係に難しさが出ているが、正しい歴史認識を共有しつつ、関係を安定的に発展できるよう努力をお願いする」「慰安婦問題は両国関係だけではなく、普遍的な人権に対する問題。真摯な努力で解決できる」と。

この「正しい歴史認識」と「慰安婦問題」について、舛添氏がどんな返答をしたのか、当時、報道はなかった。しかし、彼がこの時、ソウル大学でおこなった講演での発言を見れば、容易に想像がつく。

「90%以上の東京都民は韓国が好きなのに、一部がヘイトスピーチをして全体を悪くしているのです」――舛添氏は“事実”とは全く異なるそんな発言をしたのである。

世界各地で慰安婦像を建て、さまざまな議会で日本非難の決議をおこない、日本を貶める行動を世界中で展開している韓国に、のこのこと出かけて行き、あちこちで愛想を振りまいてきたのだ。

都民の「誰」が、こんなことを都知事に望んでいるのだろうか。私は不思議でならない。報道によれば、舛添氏の就任以来の海外出張費は、すでに「3億3千万円」にも及んでいるという。

都民の税金は、こうして喫緊の課題ではなく、知事の「都市外交」に消えている。私は、外交とは国の専管事項なので、なぜ自治体の長が、相手国に誤解を与えるような二元外交をおこなえるのか、これまた不思議でならない。

誰か、舛添氏の“暴走”を止める人はいないのだろうか。都民を守るために都議会の“解散覚悟”で都知事の不信任決議に向けて動き出す政党や都議はいないのだろうか。

いずれにせよ、「2018年都知事選」で、舛添氏の「再選」を阻むために、多くの政治勢力が結集することが強く求められる。少なくとも、私は「都民」より「外国」の利益をはかりたい知事だけは、ご免蒙りたい。

カテゴリ: 政治

いつまで続くのか「空想」と「現実」の戦い

2015.07.17

安保法制が衆議院を通過し、参議院に送られた。いつものように国会では、中身の乏しいエモーショナルな質問が繰り返された末の衆院通過だった。

私は、今国会での議論に期待を寄せていた一人だ。中国の膨張主義による領土拡大路線と、北朝鮮の核ミサイル開発という“二つの大きな脅威”に対して、日本人がどう自分たちの「生命と財産」、そして自国の「領土」を守るのか、という極めて重要な「安全保障問題」が議論されるはずのものだったからである。

しかし、「これは、戦争法案だ」「子供たちを戦場に送るな」という情緒的な主張のもと、重箱の隅をつつくような枝葉末節の議論に終始した印象が拭えない。与党推薦の参考人の学者が「安保法制は違憲である」と国会で述べたことから、その傾向はさらに強まった。

歴史的な自民党のこの“大失策”は、これほど大事な国会審議の参考人選考を「官僚に丸投げする」という信じられない感覚から生じたものだ。しかし、同時に、それは、官僚まで反乱を起こすほどの大きな安全保障問題だったことを示している。

安倍首相が言う「ホルムズ海峡の機雷除去」というのは、目の前の中国と北朝鮮の脅威に比べて、あまりに説得力の薄いものだった。それが、「国民にエモーショナルに訴えて、戦争への危機感を盛り上げ、反対の声を大きくしていこう」という野党の戦略をますます加速させる原因にもなったと思う。

憲法論議は極めて重要なので、「違憲だ」「合憲だ」とただ主張するのではなく、本質に入っていって欲しかった。国会での三人の学者による「違憲論」と、百地章・日大教授や西修・駒大教授の「合憲論」も踏まえて、本格的な論議をして欲しかった国民は多かっただろう。

私が憲法論議で興味があったのは、「形式論」ではない。それは、憲法そのものの意味も含めた論議である。平和憲法を持つ日本は、その憲法が規定している「戦力の不保持」の中で生きている。

しかし、現実には、日本は自衛隊という立派な「戦力」を持つ国である。自衛隊が持つ戦車や戦闘機、護衛艦……等々を見て、「いや、これは戦力ではありません」と言ったら、世界から腹を抱えて大笑いされるだろう。実際に、日本の憲法学者には、「自衛隊は違憲」と述べる人が多い。

では、そんな「存在」がなぜ認められているのか。そのポイントは、当の憲法が定めている国民の「幸福追求権」にある。国民の幸福は、言うまでもないが、他国からの「攻撃」や「支配」を受けないことを大前提とする。自分たちの生命や財産、あるいは領土を失って「幸福を追求」することができないことは当然だからだ。

そこに、憲法が「戦力の不保持」を謳(うた)っていながら、「自衛力」が認められ、自衛隊という「戦力」が容認されている根拠がある。その中で、国際社会の現実を踏まえて、その日本の「自衛権の行使」の線引きをどこにするかという、極めて重大な論議が今国会には期待されていたのである。

私は、国民は、切実な、本当の意味の“存立危機事態”の議論を聞きたかっただろうと思う。少なくとも私はそうだった。しかし、116時間に及ぶ衆院での国会質疑の中で、国民が関心を寄せた議論の本質には、ついに至らなかった。

最大の原因には、全質問の「9割」が、野党によって占められていたことにあるだろう。枝葉末節にこだわる野党には、「政権に打撃を与える」ことのみに汲々として、大局として国民の生命・財産を守るにはどうしたらいいのか、という最も重要な議論をおこなう意識が見られなかった。

それは、アメリカが「世界の警察」の座を降り、現実化する中国と北朝鮮の脅威の中の「日本が置かれている状況」への危機感が、野党側にはほとんど感じられなかったという意味でもある。

私は、2013年9月10日、オバマ大統領がアメリカ国民に対してテレビを通じて、「私は、退役軍人や連邦議員から“アメリカは、世界の警察官でなければいけないのか”という書簡を受け取っています」「アメリカは世界の警察官ではありません」と宣言して以降、世界は「新たな国際情勢に突入した」と思っている。

それは、長くつづいた冷戦下の国際情勢が“過去のもの”となり、その後のアメリカ“一強時代”も終焉した、ということである。

アメリカの衰退を見てとった中国が、南シナ海で他国の領土に軍事基地を建設するという挙に出たのは、周知の通りだ。そして、日本の領土であるはずの東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)を自国の「核心的利益(つまり自国の領土)」と表現し、「必要ならば、武力で領土を守る準備はできている」とまで広言するに至った。

13億人の中流化を目指して驀進(ばくしん)する中国には、圧倒的な食糧や資源の不足という事態が刻々と迫っている。それは、同時に周辺諸国への“しわ寄せ”と“脅威”となって現実化しているのである。

われわれ日本人は、この先、自分たちの子や孫の時代の平和をどう守るか、つまり相手にどう手を出させないか、言いかえれば「相手に戦争を起こさせないためにはどうすればいいか」、ということを真剣に議論しなければいけなかったはずである。

そのことが論議されるはずの国権の最高機関たる国会で、情緒的で、かつ現実を踏まえない「質問」が延々と続いたことを、国民はどう捉えればいいのだろうか。大いなる関心を持って国会質疑に見入っていた国民には、溜息しか出てこなかったのではないだろうか。

私は、これは、「左派勢力」と「右派勢力」の戦いではないと思う。いや、このいまだに「左右の対立」でしか、こういう重要な問題を捉えられない単一の思考こそ、すべての元凶ではないかと思っている。

この単一の思考法が最も蔓延しているのは、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。私はこれを「マスコミ55年症候群」と呼んでいる。1955(昭和30)年に、保守合同によって誕生した自由民主党と、左右の再統一によってできた日本社会党との「保革対立」が始まった、あの55年体制である。

イデオロギーによる考え方が“絶対”だったあの時代の思考をいまだにつづけている日本のマスコミや国会の状況には、本当の意味で溜息が出るだけである。

私は、いま激突しているのは左と右の勢力ではなく、空想家、夢想家である“ドリーマー(dreamer)”と現実を見据える現実主義者“リアリスト(realist)”であろうと思う。つまり、DR戦争だ。

「一国平和主義」、言いかえれば冷戦下の「空想的平和主義」の中で生きてきた人々が、果たして「現実」を見て本当の意味の議論ができるのかどうか。私は、参議院でこそ、国民の生命・財産、そして領土を守るために「何が必要なのか」という本当の意味の安全保障論議を闘わせて欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 国際, 政治

衆院選は「DR戦争」に突入した

2014.12.02

いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。

しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“realist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。

今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。

他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。

いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。

その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。

しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。

マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。

しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。

だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。

その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。

彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。

その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。

中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。

私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。

すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。

11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。

朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。

もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。

集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「realist(現実主義者)」との対立でもある。

左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。

それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。

カテゴリ: 中国, 政治

尖閣の“致命的譲歩”と日中首脳会談

2014.11.08

中国の“力の戦略”に、ついに日本は屈した。APEC(アジア太平洋経済協力会議)を前にして日中両政府が11月7日に発表した文書について、私は、「ああ、日本はやってはいけないことをしてしまった」と思った。

第一報を聞いた時、正直、耳を疑った。それが、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで「一致した」というものだったからだ。

中国問題に多少でも関心がある人間なら、「まさか」と誰しもが思ったに違いない。日本政府は、これまで一貫して尖閣について、「日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場をとっていたからだ。

今回、日中両国が4項目で合意した文面の中で問題の部分(第3項目)を読んでみると、「双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域で近年緊張状態が生じていることに異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで、意見の一致を見た」というものである。

日本側から見れば、至極当然の文言で、なんら目くじらを立てるものではないように思える。だが、私には、冒頭のように「ああ、してやられた」としか思えなかった。たしかにこの文章では、尖閣諸島など東シナ海の海域において「“領土問題”が存在する」とは言っていない。

しかし、あの中国共産党相手に、これはいかにもまずい。今後、中国は、この文言をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出すだろう。

中国の論理では、日本が「異なる見解」を有していることを「認識」したというのは、すなわち「領有権を中国が主張していること」を日本側が認めたことになる。今後、日本側からいくら「領土問題は存在しない」と言っても、中国側から言えば、「おまえは“異なる意見”があることを認識していたではないか」となるからだ。

さらに問題なのは、後段の「対話と協議を通じて、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態を回避する」という見解である。これは、尖閣に対して延々とおこなってきた中国による“示威行動”がついに功を奏したことを意味している。なぜなら、「不測の事態を回避する」というところまで「日本を“譲歩”させた」ことになるからだ。

中国にとって、これで尖閣問題は、フィリピンやベトナムが頭を悩ませる西沙(パラセル)諸島や南沙(スプラトリー)諸島と、同じレベルの問題まで「引き上げること」に成功したと言える。

言うまでもなく中国にとっては、「自国が領有権を主張している」海域に公船を派遣しようが、民間の漁船が出向いていこうが、「日本とは“見解が異なる”のだから当然」ということになる。

なんでも都合よく解釈して、あとは“力攻め”で来る中国共産党にとっては、願ってもない「成果を得た」ことになる。本日、外国記者たちとの会見に出てきた王毅外相の抑えようのない「笑み」がすべて物語っている。

私が疑問に思ったのは、日本は、「前提条件なしの首脳会談」を求めていたはずなのに、なぜこんな譲歩をしてしまったのか、ということだ。そして、日本はこれで「何を得たのか」ということである。

中国の首脳とそこまでして「会談しなければならない」理由はいったい何なのか。APECのホスト国である中国で、なぜ、日本は首脳会談を実現しなければならなかったのだろうか。

日本は、「会話の扉はいつでも開かれている」という立場をただ堅持していればよかったはずだ。「前提条件なしの首脳会談」がだめというのなら、つまり、向こうが会いたくなければ、「会わなければいい」し、これまで当ブログで何度も書いてきたように、冷静さを堅持し、毅然として中国と「距離を置くべきだった」のである。

独善と傲慢な国家運営によって周辺諸国と摩擦を繰り返している習近平政権に、なぜ日本は擦り寄らなければならなかったのだろうか。レームダック状態に陥ったオバマ政権がいくら日中の首脳会談と摩擦の緩和を望んでいようと、日本がそれに乗る必要はなかったはずである。中国との「真の友好」を目指すなら、今はむしろ「距離を置くこと」の方が大切だからだ。

報道によれば、8日付の環球時報(中国共産党機関紙の「人民日報」系)は、さっそく4項目の合意文書について、「安倍首相の靖国参拝を束縛」することができ、さらに(釣魚島の)主権に関して、これまで“争いは存在しない”と公言していた日本が、「危機管理メカニズム構築に関して中国と協議したいと望んでおり、これは釣魚島海域で“新たな現実”が形成されたと宣告したのと同じだ」と、勝利宣言ともとれる記事を掲載した。

私は、この報道の通りだと思う。中国にとって、それは「歴史的な勝利」を意味しており、その“新たな現実”なるものによって、尖閣周辺の“力による示威行動”は今後、増えることはあっても、減ることはないだろうと思う。

つまり、「何年後かの日本」は、尖閣をめぐってより危機的な状況に陥るだろうということだ。絶対に譲歩してはならない国に対して、なんの益もない「日中首脳会談実現」のために、日本は致命的な失策を犯してしまったのである。

カテゴリ: 中国, 政治

永田町で教訓を「生かす者」「殺す者」

2014.10.20

「なんのための改造だったの?」。永田町では、そんな声が飛び交っている。改造前には、辞任が取り沙汰されるような閣僚スキャンダルは出なかったのに、満を持したはずの内閣改造をおこなった直後、次々とスキャンダルが噴き出した。

目玉だった女性閣僚のうち、小渕優子経済産業相と松島みどり法相の二人が「一緒に辞任する」というのだから、大変な事態である。

先週から今週にかけて、辞任劇に至る永田町の動きは興味深かった。選挙区内の祭りで配られた「うちわ」をめぐって松島みどり法相が窮地に追い込まれていくのに対して、最初に追及した民主党の蓮舫議員も、「うちわ」のようなものを「配っていた」と反撃を食らうなど、低レベルな議論が飛び交う様相を呈していたからだ。

さらに週刊新潮の報道から発した小渕優子経済産業相の案件の方は、「呆れてものも言えない」というのが多くの国民の本音ではないだろうか。

いまどき、これほど「露骨」で、しかも「わかりやすい」不明朗な資金処理をやっていたこと自体に国民は驚いたに違いない。今まで問題にならなかったことの方が不思議なぐらいのお粗末な資金処理である。

女性総理候補のトップといってもよかった小渕氏は、大きな打撃を受けた。私は、これまで繰り返されてきた政治資金問題、いわゆる“政治とカネ”の問題で、過去の事件による教訓が「まったく生かされていないこと」に最も驚いた。

記者会見で小渕氏は、「私自身がわからないことが多過ぎる」「信頼するスタッフのもとでおカネの管理をしていただいたが、その監督責任が十分ではなかった」「すべて私が甘かった」と思わず吐露した。

後援会の誰かに“食いもの”にされたのか、あるいは、自分が全く知らないところで“何かが起こっていたのか”――いずれにせよ、小渕氏の政治家としての資質の問題だろう。

過去の教訓を「生かす」か「殺す」か。それで運命が大きく変わってくるのは永田町に限らず、一般社会の常識である。私はその意味で、小渕氏の失態に同情の余地はなく、さらに言えば、この脇の甘さで“国家の領袖”を目指すのは、とても無理だと感じざるを得なかった。

私は、大臣就任時、各メディアのインタビューに対して能面のような表情で答える小渕氏のようすを見て、「あれ?」と思った。小渕氏の人間的な魅力がまったく出ていないように思えたのである。

だんだん自民党内で地歩を固めるにつれ、逆に「表情」を失い、「能面」のようになってしまったのだろうか。失言を恐れて機械的なやりとりになっていったのかもしれないが、もしそうなら、政治家としての限界だろう。ご本人の「実力」と政治的な「地位」、それに周囲の「期待の大きさ」との間に、だんだんと「乖離(かいり)が生じていたのではないか」と推察する。

「二人を任命したのは私であり、責任は私にあります。こうした事態になったことに国民に深くお詫び申し上げます。しかし、政治の遅滞は許されません」と語った安倍首相も悔しさが隠せなかった。まさに「なぜ?」という思いだろう。

私は一方で、永田町の動きの中で過去の教訓を“プラス”にする側のことも印象に残った。ほかならぬ北朝鮮による「拉致被害者家族会」のことだ。

またしても「家族会」によって政府は「交渉とは何か」の基本を教えてもらっているような気がする。先週の10月16日夜、家族会が「安否に関する報告が聞ける段階まで派遣は待つべきだ」とする申入書を政府に提出した。

この申入書は、東京で開かれた集会の中で山谷えり子・拉致問題担当大臣に家族会から直接、手渡された。私も、このニュースに接してハッとした。そして、「さすがだなあ」と唸ってしまった。

「(拉致問題は)完全に決着している」。家族会が重視したのは、今月、ニューヨークで北朝鮮外務省の高官が、この発言をおこなったことだった。このひと言で、「北朝鮮の拉致問題に対する態度が変わりつつある」ことに家族会は気づいたのである。

叔父の張成沢を無惨にも粛清したことにより、頼るべき中国からソッポを向かれた金正恩・朝鮮労働党第一書記は、経済破綻の立て直しを日本からの「巨額の援助」に頼ろうと方針転換した。そこで出てきたのが、拉致被害者の「全面的な再調査」だった。

両国の間で合意されたこの「再調査」は、いかに北朝鮮が追い詰められているか、を表わすものでもあった。しかし、今月のニューヨークでの北朝鮮高官の発言は、家族会にとって「その方針は果たして堅持されているのか」という疑念を生じさせるものだったわけである。

さっそく、「いまピョンヤンにのこのこ出かけていったら、相手のペースに乗せられる」と懸念を持った家族会には、「さすが」というほかない。長年、北朝鮮と対峙している家族会にとっては、北朝鮮の考えることは「手に取るようにわかる」に違いない。

私は「無法国家との交渉とは何か」を家族会が教えてくれているような気がする。いや、「外交とは何か」という根本を教えてくれているのかもしれない。なぜなら、家族会は「調査結果の提出期限」を決め、それが守られない場合は「協議を白紙に戻すことも検討すべきだ」と主張しているからだ。

一刻も早く拉致されている肉親を取り戻したい家族会が、相手のやり方を熟知しているがゆえに、逆に「相手のペースに乗ってはならない」と必死で堪(こら)えているさまが浮かび上がる。

断腸の思いで今回の申入書が出されたことを想像すると胸が痛む。そして、集会で家族会代表の飯塚繁雄さんが語った以下の言葉も印象深かった。

「今、ピョンヤンに行くのは拙速だ。単に“来い”というだけで、日本側が乗り込んでいくのはリスクがある。それでも総理の判断で行くのであれば、担当者1人か2人で行き、情報を“持ち帰るだけ”にしていただきたい」

外交における交渉とは、「力と力」、「駆引きと駆引き」の勝負である。相手の要求通り、北朝鮮に、ただ行けば、相手のペースに乗り、家族会が指摘するように、相手のつくった土俵に上がることになってしまう。

秋から冬に向かえば、北朝鮮は今年も“飢餓の季節”を迎える。「引き伸ばしによる援助の先取り」で人道的支援を勝ち取ろうとする北朝鮮の目論見は、家族会の苦渋の申し入れによって風前の灯になったと言えるだろう。

本日、政府は、日本人拉致被害者の再調査について、伊原純一・外務省アジア大洋州局長ら交渉当事者を訪朝させることを正式決定する方針を固めたが、家族会の申入書によって、伊原局長への安倍首相の指示は、事前とは「決定的に違うもの」になるだろう。

「(拉致問題は)完全に決着している」という北朝鮮の揺さぶりが勝つのか、家族会が言うように「調査結果の提出期限を決め、それが守られない場合は協議を白紙に戻すべき」との主張が勝つのか。

秋が深まり、寒さが増していく中で始まった「北朝鮮」と「家族会」との我慢比べ――正義が勝つことを私は、信じたい。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治

都民は、ついに煽られなかった

2014.02.09

あまりにあっけない結果だった。注目の東京都知事選は、投票が締め切られた2分後、舛添要一氏が「午後8時2分」に支持者と共に「万歳」をするという幕切れとなった。

都知事選は、日本の選挙の中で唯一、“制御のきかない”選挙である。有権者1082万人という想像を絶する規模であり、世論調査なども、ほとんど参考にならない。知名度が最大当選要因と言われる所以である。

それだけに、これほど圧倒的な差がつく都知事選となるのは意外だ。私は多くの国民と同じく細川護煕氏が「どこまで票をとるか」に注目していた。

それは、小泉元総理が、「この戦いは、原発ゼロでも日本が発展できるというグループと、 原発なくしては発展できないというグループとの争いだ」と言って、細川氏を担ぎ出したからである。

つまり、「脱原発」というワン・イシューで小泉氏が細川氏を擁立し、選挙演説でも圧倒的な聴衆を集め、一時はブームになるかと思われたからだ。

しかし、都知事選なのに「なぜ原発なのか」という冷ややかな見方は最後まで払拭(ふっしょく)されなかった。都知事選に原発問題を持ち込んだことに、「都民をバカにしているのか」という声を、私は何人もから聞いた。

東京には、人口の過密化による居住環境の悪化、住人の高齢化による高齢者ホームの問題、待機児童問題など、喫緊(きっきん)の課題がそれこそ山積している。そんな中で、選挙に「原発」を持ち込み、しかも、「この戦いは、原発ゼロでも日本が発展できるというグループと、 原発なくしては発展できないというグループとの争いだ」と“レッテル化”したのである。

今回、細川氏が「3位」に終わるという選挙結果に一番、驚いたのは、その小泉さん本人だったと思う。それは、郵政選挙で成功したワン・イシューのこの選挙手法、つまり、 “レッテル選挙”が「通用しなかった」ことだ。

それは、小泉氏に煽られるほど都民は「愚かではなかった」からだろう。そして、そもそも小泉さんは完全に勘違いしていたことがある。それは原発問題を都民は「それほど単純に見ていない」ということだ。

多くの国民、都民は、将来的には、原発がなくなって欲しいと思っているに違いない。私は、あの福島原発事故の真実を描いたノンフィクション作品『死の淵を見た男』を一昨年上梓した。

あの過酷な事故は、福島の浜通りに生まれ育った現場のプラントエンジニアたちが、命を賭けて、汚染された原子炉建屋に突入を繰り返し、ぎりぎりで格納容器の爆発を回避したものである。

官邸や東電本店からの「海水注入中止命令」にも逆らい、吉田昌郎所長のもとで踏ん張った彼ら福島の男たちがいなければ、日本は実際にどうなっていたかわからない。

つまり、一歩間違えたら、日本そのものが崩壊する危険性を持っているのが原子力エネルギーである。それだけに、「脱原発」ができるなら、本当にありがたいと思う。

だが、現実には、原発がストップした震災以降、液化天然ガス(LNG)の輸入による火力発電に頼らざるを得ず、消費税にして2パ―セント分にあたる年間4兆円近い輸入増によって「円」が外国に流出している事態がつづいている。

震災以降、すでに日本の貿易赤字の累計は「20兆円」を超えている。また火力発電による環境破壊の問題も懸念される。現在、想定されている自然エネルギーでは、「エネルギー問題」を解決できそうもないからこそ、国民は悩んでいるのである。

また、資源小国である日本で、もはや原子力への人材確保が見込めなくなり、安全な「第四世代の原子炉」が生まれる可能性が極めて小さくなったことも残念だ。

そんなエネルギー問題に対して、小泉氏は、「即、原発ゼロだ」「イエスか、ノーか」という“土俵”をつくった。しかし、都民は、そんな単純な土俵には乗って来なかったのである。

その意味で、今回の都知事選は、レッテル選挙で有権者が「煽られないこと」を示した点で、極めて注目すべきものだったと思う。舛添要一氏が都知事に相応(ふさわ)しいかどうかは別にして、この点においては、有意義な選挙戦だったのではないだろうか。

カテゴリ: 政治

「靖国参拝」から見る“マスコミ55年症候群”

2014.01.07

今日は、時事通信と内外情勢調査会の恒例の「新年互礼会」が午後5時から帝国ホテルであった。私は、講師として内外情勢調査会で講演をさせていただいているので、今年も顔を出させてもらった。

会場に入っていったら、すでに安倍首相のスピーチが始まっていた。今日は元赤坂の迎賓館で来日中のトルコのエルドアン首相との首脳会談があるはずだ。その直前にわざわざ帝国ホテルまで恒例の首相スピーチをしに来たようだ。首相は、立錐の余地もない富士の間の聴衆に、「経済」を強調するスピーチをおこなった。

「経済最優先で、日本の経済を力強く、さらに成長させていきたい」「やっと掴んだデフレからの脱却のチャンスを絶対に手放すわけにはいかない」「賃金の上昇が更なる消費の拡大につながる。これで企業の収益がアップし、更に設備投資にもまわっていく。すなわち経済の好循環を実現できる。今度の通常国会は、好循環を実現するための国会としていきたい」

話題の「靖国参拝」には触れず、ひたすら経済をさらに回復させていくことを安倍首相は強調した。時にユーモアを交えて会場から笑いをとり、10分近く首相はスピーチした。

私は、昨年とは随分違うなあ、と思った。政権発足直後だった昨年の新年互礼会では、「大型の補正予算の一日も早い成立と執行が最大の景気対策。野党には是非、協力してもらいたい」と大いに意気込んでいた。気負いがそのまま聴く側に伝わってきたものである。

しかし、安倍政権は、2013年の株価を1年間で56・7%も上昇させることに成功した。デフレからの脱却を、公約通り、実現させつつある。今日の挨拶には、そのことへの自信が溢れていたように思う。

昨年のスピーチを「気負い」という言葉で表わすなら、今年は「余裕」だろう。私は、会場でスピーチを聴きながら、そんなことを考えていた。

そして、私は、この自信が年末(12月26日)の靖国参拝につながったことを想像した。「この首相の自信が、中国と韓国をいかに恐れさせているだろうか」。思わず、私はそこまで考えてしまった。

国民の大多数は、すでにわかっているように、中国と韓国は、日本が何をやっても、日本への非難はやめない。それでしか、それぞれの国内での反発を抑えられないからだ。小泉首相の最後の靖国参拝以来、日本の折々の首相は、7年間も参拝を回避したが、それで中国や韓国との関係は少しでも改善されただろうか。

そんなことは全くない。どんなことをしても、日本への憎悪を政権の糧(かて)とする中国・韓国の非難は収まることはないのである。

いまマスコミに衝撃を与えているのは、靖国参拝の国民からの支持が6割から7割に達している、ということだ。調査結果の中には、実に「8割」を超えているものもある。今日の会場では、その話に花を咲かせている人もいた。

マスコミ各社は、あれだけ力を入れて首相の「靖国参拝」を叩いたのに、なぜこれほどの支持を受けているのか、おそらく理解できないのではないか、と思う。

それは、私は、“マスコミ55年症候群”のせいだと思っている。マスコミ55年症候群とは、私の造語だが、要は、保守合同と社会党の左右再統一でできたいわゆる「55年体制」というのが、恐ろしいことにマスコミには、まだ「続いている」のである。

マスコミ以外の人には理解できないかもしれないが、日本社会党が消滅した1996年以降も、また自民党が単独では政権が維持できなくなり、公明党との連立をしなければいけなくなって以降も、マスコミの中は、いまだに「55年体制」がつづいている。これは、その思考法において、という意味である。

つまり、マスコミでは、いまだに55年体制における左右の「イデオロギー」が、判断基準なのだ。もっと簡単に言えば、「右か」「左か」、つまり「右翼か」「左翼か」ということだ。

そんな判断基準は、国民の間ではとっくに終わっている。靖国参拝を支持している国民は、別に右翼ではない。普通の国民である。普通の国民は、ペリー来航以来、吉田松陰や坂本龍馬を含む国事殉難者およそ250万人の魂を祀った神社に、後世の人間や国家のリーダー(今は安倍首相)が参拝に行くことは、何もおかしいものだとは思っていない。

なぜなら、国のために子孫も残さないまま若くして無念の思いを呑んで逝った先人たちのお蔭で、「今の平和と繁栄がある」という感謝の気持ちの大切さを知っているからである。例えば、太平洋戦争の主力となった大正生まれの若者は、実に同世代の7分の1にあたる200万人が戦死している。

その人たちの魂に対して、後世の人間が感謝の気持ちを捧げ、頭(こうべ)を垂れることは、当たり前のことであり、他国にとやかく言われるものではない。それは、「右翼」「左翼」などと、左右の判断基準であれこれ言えるものでは「ない」のである。

つまり、国民は、55年体制の基準などからは、とっくに脱却している。先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛するのは、どう考えても日本人にとって“普通のこと”である。しかし、それが、“マスコミ55年症候群”にかかればたちまち「右翼」とされてしまうのである。

この症候群の特徴は、左右のイデオロギーという唯一の判断基準しか持たないため、靖国参拝をする人やそれを支持する人は、「戦争をしたい人」であり、「国家主義者」であり、「右翼」とされてしまう。彼らがレッテル張りばかりするのは、判断基準がひとつしか存在しない、その症候群のせいである。

ベストセラー『永遠の0』の作者、百田尚樹さんは、よく「右翼だ」と批判されている。私は雑誌で百田さんと対談もしたことがあるが、彼はもちろん右翼などではない。先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛する普通の人である。

それを右翼という表現しかできない“55年症候群”の人が、マスコミ以外にも少なくない。そして、その人たちは盛んに自分と考え方の異なる人にレッテル張りをおこなっている。彼らにとっては、靖国参拝支持者の多さは、日本国の「右傾化」としか捉えられないのである。

今回の世論調査でわかったことは、そんな左右の判断基準を国民はとうに「超えている」ということである。マスコミも、左右のイデオロギーを唯一の判断基準にする“55年症候群”から、早く解き放たれたらいかがだろうか、と思う。そして私も、先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛する人間でありつづけたいと、心から思う。

カテゴリ: 政治, 歴史

激動の2014年で問われる「意識」

2014.01.04

2014年が明けた。このお正月も締切が迫る単行本執筆に明け暮れた。そんな中で、ほっと一息、つかせてもらったのは、いつもの箱根駅伝である。

今年も、年明けに相応しいアスリートたちの激走を見せてもらった。王者・東洋大学が「その1秒を削り出せ」というスローガンの下に、一人一人が「1秒」を縮めていったさまが圧巻だった。

設楽兄弟という大学陸上界を代表する二枚看板を擁しながら、今シーズンは出雲、全日本とも駒澤大学の後塵を拝し、2位。大会前、優勝候補の筆頭は、言うまでもなく駒澤で、東洋はチャレンジャーの立場にあった。

しかし、総合力で引けを取らない東洋がどう巻き返すか、注目を集めていた。その東洋のスローガンが「1秒を削り出せ」だった。

勝つための努力は、どのチームもしている。しかし、土壇場で発揮される底力は、単なるアスリートとしての能力だけでは、はかれない。野球でいえば、“球際(たまぎわ)の強さ”という言葉で形容される勝負強さがそれである。

59秒差で復路に挑んだ駒澤は、9区にエース窪田忍を配していただけに、「逆転」に少なからず自信を持っていただろう。しかし、それを打ち砕いたのが、窪田が登場するまでに差を3分40秒に広げた東洋の6、7、8区の快走だった。

6区・日下佳祐が区間4位の走りで1分17秒まで駒澤との差を広げると、7区・服部弾馬、8区・高久龍の連続区間賞で、どんどん差を広げていったのである。

これで勝負は決した。それぞれが「1秒を削り出す」走りとは、こういうものか、と思わせてくれた。意欲ある強豪校が力を伸ばし、一方で伝統校が闘争心を失い、転落していくのが勝負の世界というものだが、東洋には昇竜の勢いがあった。雪辱を期す駒澤との来年の激突が今から楽しみだ。

私は、勝負の世界の厳しさを毎年、お正月に見せてもらって気持ちを新たにする。2014年は、間違いなく激動の年になるだろう。

前回のブログで書かせてもらった安倍首相の「靖国参拝」は大いに反響があった。この年末年始、あちこちで、私のブログへのご意見をいただいた。

私は、「安政の大獄」以来の国事殉難者およそ250万人を祀った神社に、先人の労苦と努力に思いを馳せ、後世の人間が感謝の気持ちを捧げるのは、当然のことだと思っている。アメリカではアーリントン墓地へ、中国では八宝山革命公墓へ、また韓国では毎年6月6日が「顕忠日」であり、戦没者・殉国者に敬意を払う日となっているのはご承知の通りだ。

無念の思いを呑んで、子孫も残さずに多くの先人が亡くなっていったのは、どの国にもある「歴史的事実」である。日本では、大正生まれの男子は、同世代の7分の1にあたる実に「200万人」が戦死している。それは、どの家族にも辿れば戦没者が「必ずいる」と言われるほどの数だ。しかし、日本では、こうして亡くなっていった先人たちに頭(こうべ)を垂れることすら干渉され、非難されている。

なぜ、どの国でもおこなわれていることが、日本だけ許されないのだろうか。これは、1985(昭和60)年に当時の中曽根康弘首相が掲げた「戦後政治の総決算」を打ち砕くために、同年7月から8月にかけて朝日新聞が靖国参拝反対の大キャンペーンを張り、“禁じ手”である『人民日報』を動かして非難の社説を書かせたことを嚆矢(こうし)とする。

靖国参拝は、朝日新聞のこの“禁じ手”によって国際問題化されたのである。それまで参拝やA級戦犯の合祀について、ひと言もモノ申したことがなかった中国が、85年以降、これを外交カードに使えることを学習し、それに韓国が追随を始めたのが、いわゆる「靖国参拝問題」なのである。

「強制連行」という朝日新聞の誤報から始まった従軍慰安婦問題といい、私は、日本のひとつのメディアによって、ここまで「日本と日本人が貶められていること」に疑問を感じる一人である。このために、日本の若者が現在も、そして将来も、国際舞台で、どのくらい不利益を被(こうむ)るかを考えると、どうしても深い溜息が出てくるのである。

朝日新聞をはじめ中国・韓国と主張を一(いつ)にする日本のメディアは、年末におこなわれた各種の世論調査で、安倍首相の靖国参拝に賛成する人が6割から7割を占めたことに衝撃を受けただろう。

先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛することは自然の感情である。そのことを「いけない」と主張するマスコミや言論人が靖国参拝問題では圧倒的だったが、一般の人々は、まったくその影響を受けなかったことになる。

私は、言論の「根拠」を見極める時代が来た、と思っている。インターネットの普及によって、これまで「情報」と「意見」を独占してきたメディアの欺瞞(ぎまん)が暴かれつつある。その意味で、2014年は間違いなく激動の年である。それぞれが自分自身で独自の見解を「根拠をもって」構築することが、今ほど大切な時はない、と思う。

カテゴリ: スポーツ, 政治

激動の国際情勢と国会攻防

2013.12.05

昨日の12月4日は、東日本大震災から「1000日」という節目の1日だった。東北各地で犠牲者に対する黙祷(もくとう)がおこなわれた。

私も、この日に特別の感慨を持った一人だ。あの日から「1000日」が経過したのか、としみじみ思う。長かったようにも思うし、短かった気もする。

死者・行方不明者1万8534人(2013年11月8日現在)を出した東日本大震災は、筆舌に尽くしがたい傷跡を人々の心に残した。無念の最期を遂げた人のあまりの多さに、人々は「言葉」というものを失った。

私は、1000日が経過した昨日も福島で取材をおこなっていた。震災直後にはたくさんのジャーナリストが東北各地で取材をしていたが、ひとり減り、ふたり減り、1000日目の昨日は、随分少なくなったような気がする。

そんな中で、今日も福島で私は取材をつづけた。「あの日」のドキュメントを私は今も追っているのである。ジャーナリストである私には、この悲劇の中で挫けず闘いつづけた人々のことを「後世の日本人」に残すことしかできないからである。

震災から1年4か月が経った昨年7月、私は、吉田昌郎・福島第一原発元所長にお会いした。吉田さんが、不治の病を押して、わざわざ西新宿の私の事務所を訪ねて来てくれた「あの日」のことも、忘れられない。

その吉田さんも今はない。58歳という若さで吉田さんは今年7月に帰らぬ人となった。2013年も残り少なくなって、今年亡くなった方々の特集をするメディアがあり、私にもコメントを求めてきている。“日本を救った”亡き吉田さんのことをできるだけ私は正確に、そして詳しく、話をさせてもらっている。

明日は四国で講演があるため、夕方、福島から帰京した。帰りの新幹線でまどろんでいると、ある自民党の参議院議員から携帯に電話があった。

特定秘密保護法案の採決で、「本会議は、明日の朝まで徹夜の攻防になるだろう」とのことだった。その後、今日の本会議は休会に入ったそうだから、改めて明日、闘いが再開されるのだろう。

言うまでもなく特定秘密保護法案とは、日本版NSC(国家安全保障会議)のために不可欠なものである。各国が持つテロ情報をはじめとする「機密情報」がスパイ天国の日本には提供されない事態が長くつづいた。

法案は、そういう事態にピリオドを打つためのものでもあるが、野党が反対するようにこれが情報を独占的に持つ官僚たちを“委縮”させ、国民の知る権利が不当に害されることがあってもならない。

かつて1980年代にスパイ防止法の攻防を取材していた私にとっては、国家の安全を脅かす「機密情報」と国民の「知る権利」との線引きの難しさを久しぶりに感じさせてくれる問題である。この攻防は30年前にも見たものだと、思い出される。

だが、国際情勢は明らかに80年代とは変わっている。今や紛争の火種として世界から注目されているのは、中国の覇権主義である。東シナ海でも南シナ海でも、領土的野心を剥き出しにする中国とどう対峙するかは、周辺国にとって最大の問題となっている。

そして、その中国は、前回のブログでも書いたように中国共産党系の新聞が社説で「闘いのターゲットは日本に絞るべきだ」と広言して憚らないのである。

私は、かつて当時の竹下登首相の秀和TBRビルの個人事務所に中国の人民解放軍総参謀部第二部の人間が正体を隠して「私設秘書として入り込んでいた」ことを思い出す。それが生き馬の目を抜く国際社会の最前線の現実なのだ。

特定秘密を国益のために「守る」ことの重要性も軽んじるわけにもいかないのである。それだけに、ここのところの国会の攻防を与野党どちらに与(くみ)するわけでもなく、私は興味深く見させてもらっている。

さて、綺麗事では済まないテロを含む国際情勢に対峙するこの法案はどんな運命を辿るのだろうか。じっくりウォッチさせてもらおうと思う。

カテゴリ: 地震, 政治

息を呑み、身が震える「終戦記念日」

2013.08.15

本日、戦後68回目の終戦記念日を迎えた。20歳で終戦を迎えた最前線の元兵士ですら「88歳」というご高齢となった。昨年、完成させた拙著『太平洋戦争 最後の証言』シリーズの3部作の取材の時もそうだったが、“時の流れ”というものに、深い感慨を覚える。

毎年おこなわれている「全国戦没者追悼式」に、本日も天皇・皇后両陛下が出席され、お言葉を述べられた。私は今日、静岡県浜松市の「アクトシティ浜松」でおこなわれた「浜松市戦没者追悼式典」の記念講演を頼まれていたので、天皇陛下のお言葉は、浜松でお聞きした。

「終戦以来、すでに68年、国民のたゆみない努力により、今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶ時、感慨は今なお尽きることがありません」

今日の陛下のお言葉の中で、私はこの部分が特に心に残った。それは、陛下の心からの叫びではなかったか、と思う。さらに陛下はこう続けられた。

「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」

この部分にも、国民の多くは感慨を深くしたのではないだろうか。戦没者に対する「悼み方」にまで中国や韓国にクレームをつけられる現代の日本にあって、多くの遺族は、釈然としない思いを抱いている。心ある日本人の多くも同じ思いだろう。それだけに陛下の一語一語が身に染みた遺族は少なくないだろう。

私はそのあと、「大正世代が示した“誇りある日本人”」と題して、最前線で戦った元兵士たちの「最後の証言」について、講演をさせてもらった。今日の会場は、身内に戦没者がいるご遺族が多かったせいか、ハンカチで目頭を抑えながら聴いてくれる人もいて、話に熱が入った。

結局、あれほど靖国参拝を念願していた安倍首相は今日の参拝を見送った。中韓の圧力だけでなく、アメリカの意向が大きかったのだろうと推察される。私は、終戦記念日に行きずらいなら、参院選後の「いつ」であろうと、これまでに「行くべき」だと思ったが、安倍首相にその決断はできなかったのである。

就任以来これまで、安倍首相は強さとしたたかさを中国と韓国に植えつけることに成功していたが、これで両国に「与(くみ)しやすし」のイメージを持たれたことは間違いない。その意味で、日本の独自の文化である死者への追悼の仕方まで、あれこれ物申される現象は、安倍首相の譲歩によって、「今後も繰り返される」ことになったと見ていいだろう。

本日、安倍首相の代理として玉串料を奉納した自民党の萩生田光一総裁特別補佐は、記者団に「参拝見送りは、総合的な判断だ」と語ったそうだ。

そして、「本日は参拝できないことを英霊にお詫びし、靖国への思いは変わらないと伝えてほしい」と安倍首相に伝言を託されたことを萩生田氏は明らかにした。

こうして、国の礎となって亡くなった方々への“もう一つの追悼の場”に、安倍首相は「行くことができなかった」のである。

あれほどの中国と韓国の大非難の中、靖国参拝をおこなった当時の小泉首相の度胸と気概をあらためて感じる。国家の領袖としてのプレッシャーの凄さは、やはりその地位に就いた者でなければわからないのだろう。

政治家は、いかにあるべきか。衆参に圧倒的な勢力を有する安倍首相にしても叶わなかった終戦記念日の靖国参拝。毎年8月15日に繰り広げられるこの“壮大なドラマ”に、私はいつも息を呑み、身が震える気がする。

カテゴリ: 政治, 歴史

「壮大な裏切り」と二大政党時代の終焉

2013.07.22

参院選が終わった。結果は、予想通り、「自民圧勝、民主惨敗」だった。昨夜のテレビ局の選挙特番を見ながら、まだ始まって間もなかった自民党と民主党という“二大政党時代”が終焉したことを実感した。

昨日のブログでも書いた通り、民主党の復活はもうあり得ないだろうと思う。2009年8月に、国民不在と官僚依存という宿痾(しゅくあ)から抜け出せない自民党政権への鉄槌の意味で国民が下した「民主党圧勝」という選択は、3年3か月に及ぶ民主党政権時代に嫌というほど「失敗であったこと」を見せつけられた。

今後、民主党がどんな言い訳をし、どんな綺麗ごとを並べても、もはや国民はこの党に政権を委ねることがないだろうことは、昨日のブログで触れさせてもらった通りである。

民主党政権下で国民が受けた“壮大な裏切り”への失望は、その期待が大きかっただけに、時が経っても消えることはないだろう。日本のマスコミを牛耳る進歩的ジャーナリズムの一部は、それでも民主党を持ち上げつづけたが、国民の目は欺けなかったのである。

私は、今回の選挙結果を見て、2つのことを感じている。1つは、前述の通り、二大政党政治の終焉である。もう1つは、これまで、盛んに「第三極」と言われた勢力が、今後、民主党に代わって台頭し、自民党とある時は連携し、またある時は、対決するという立場をとらなければならない時代が来るということである。

二大政党政治の終焉については、すでに私は6月23日に「日本はこのまま“大政翼賛” 時代に進むのか」と題して書かせてもらった。それは、巨大な政党がひとつだけ存在し、あとは影響力を持ちえない弱小勢力だけになることへの懸念を抱いたからである。

安倍晋三氏の祖父・安倍寛氏(昭和21年に51歳で死去)は、大政翼賛会に属さず、非推薦でこの巨大政党に立ち向かった山口県油谷町出身の元衆院議員である。

「なんぼ安倍が苦戦(九銭)でも、一銭足せば当選(十銭)となる」というキャッチフレーズを掲げて軍部全盛の戦前に、大東亜戦争に反対する姿勢を貫いて議席を得た孤高の人だ。私は、信念や政策を変えないという点では、安倍晋三氏は、この父方の祖父・安倍寛氏の血を引き継いでいるような気がする。

安倍氏は、当選者の名にバラをつけ、大政翼賛会もかくやと思われるほど「当選者だらけ」になった赤いボードの前で破顔一笑した。大政翼賛体制に反対して戦った祖父を思い浮かべて見ていた私には、それは大変興味深いものだった。

二大政党時代が終わり、一党独裁時代に突入した今、私は同時にこれで「第三極」という言葉が消えたことを考えた。二大政党があってこその「第三極」だったからである。

一党独裁体制では、もとの第三極は、その一党独裁体制下で「対抗勢力を目指す」しか存在意義はない。具体的には、「日本維新の会」と「みんなの党」だろう。

今回、両党が得た議席は、それぞれ8議席である。両党を合わせて16議席しかとれなかったのに、「対抗勢力を目指す」というのは、ちゃんちゃらおかしいと、臍(へそ)で茶を沸かす人もいるだろう。

しかし、私は両党がこの程度の議席しかとれなかったのは、選挙協力が解消され、お互いが候補者を立てあって、“潰し合った”からだと思う。

橋下徹氏の従軍慰安婦発言で即座に選挙協力を解消した渡辺喜美代表の判断と行動には、党内で今も疑問の声が飛んでいる。昨夜の選挙特番で、維新の松井一郎幹事長がみんなの党の江田憲司幹事長に対して「今も(両党の)現場ではうまく意思疎通ができているのに……」と呼びかけるシーンがあった。

それは、「松井―江田」という現在もつづく強固な関係の障害となるのが、みんなの党の渡辺代表であることがはからずも明らかになったシーンだった。みんなの党の創設者である渡辺氏が今後も今の姿勢をつづけるなら、「第三極」から「対抗勢力」への発展を阻害する存在となる。その意味で、みんなの党は、維新に近い勢力と渡辺氏に近い勢力とに「分裂する可能性」を孕んでいると見るのが自然だろう。

共産党が対抗勢力になり得ないのは当然だ。なぜなら、共産党は「非現実政党」だからである。非現実な政策を訴える政党が日本で政権をとることはあり得ない。それこそが、かつての革新票を衰退させている原因だが、対抗勢力には現実的な政策を掲げ、かつ、労組依存ではなく、無党派層を取り込む可能性のある党しかない。

維新とみんなが注目を浴びるのはそれが理由だが、肝心の党代表が両党の選挙協力ほか、「勝つための戦略」をとる上で障害となっているのは事実である。

私は今回の選挙で勝利を得たのは、アベノミクスのみならず、“自由と繁栄の弧”に基づく中国包囲網外交を展開する安倍氏の基本路線が国民の支持を得た結果だろうと思う。

各党の獲得議席は、自民党65(+31)、民主党17(-27)、公明党11(+1)、みんなの党8(+5)、共産党8(+5)、日本維新の会8(+6)、社民党1(-1)、生活の党0(-6)、みどりの風0(-4)、諸派・無所属3である。民主党への失望と安倍政権への期待は、国民の間にこれまでにない大きなエネルギーを生み出したことがわかる。

二大政党政治が終わり、文字通り、新時代に歩み出した日本。中国と韓国のマスコミがさっそく安倍政権への懸念を表明したことが、逆にこの選挙結果の意義を指し示しているのかもしれない。日本が歩むべき道とは何か。選挙結果が出たあとだからこそ、じっくり考えてみたい。

カテゴリ: 政治

民主党は今日以降“どんな道”を辿るのだろうか

2013.07.21

いよいよ参院選の投開票が始まった。マスコミの世論調査は、いずれも自民党の圧勝を予想している。3年3か月に及ぶ民主党政権が終焉を迎えて7か月余り。“アベノミクス”を掲げた安倍政権が「もっと景気を回復させるのではないか」という期待感が支持の拡大を呼んでいるようだ。

6月26日の国会最終日、民主党ら野党が参院本会議で電力会社の発電と送電部門を分社化する「発送電の分離」などを盛り込んだ電気事業法や生活保護法の改正案を含め、重要法案を軒並み廃案にして安倍首相の問責決議を可決した段階で、この選挙は「ねじれ国会の解消」が最大の争点になった。

「ねじれ国会の解消」が争点になったということは、「解消」にイエスかノーか、ということである。野党にとっては、実に愚かな選択だった。電気事業法は、民主党が今国会で成立させることで合意し、衆院から参院に送られてきた法案であり、ほかにも日本版NSC(国家安全保障会議)を創設するための法案なども、相次いで潰れてしまった。

私は、以前のブログにも書いたが、今の選挙は「レッテル選挙」だと思っている。より簡潔に、よりわかりやすく、よりアピール度の強い「争点」を打ち出せた側が選挙に勝つのである。

2005年の総選挙では、「郵政民営化」にイエスかノーか、また2009年の総選挙では、「政権交代」にイエスかノーかが問われ、それぞれ片方が一方的に勝利したことを考えればわかりやすい。

争点はほかにもあったのだが、「郵政民営化」、あるいは「政権交代」というレッテルを貼ることに成功した側が圧倒的勝利を得たのである。

私は今回の参院選を見て、憲法改正問題がどのくらい争点になるかを注目していた。なぜなら、世論調査を見ても、憲法改正には、たとえば朝日新聞が「賛成38%反対54%」(5月時点)、読売新聞は「賛成51%反対31%」(3月時点)など、国民が迷いを持っていることを示す拮抗(きっこう)した数字が現われていたからだ。

しかし、国会最終日の安倍首相への問責決議可決、そして重要法案の廃案という野党の戦略がこれを吹き飛ばし、「ねじれ国会の解消」こそが最大の争点であることに、自らしてしまったのである。「原発」「TPP」も争点にはなっているものの、「ねじれ国会の解消」という大争点には、まったくかなわない。

昨夜、私は話題の秋葉原の安倍首相の“最後の訴え”を聴きに行ってきた。聴衆の熱気がどのくらいのものか、この目で見てみたかったからである。しかし、盛り上がってはいたものの、昨年の総選挙の時に比べれば熱気は低かった。

それは、勝敗が「あまりに明らか」だからだろう。選挙に行こうが行くまいが、もはや自民党の圧勝はわかっている。民主党に政権担当能力がなかったことは、国民の多くが知っており、国会最終日に民主党が見せた愚かな「選択」でもわかるように、国民は2度とこの党を政権につかせはしないだろう。

国民の生命と財産、そして領土を守るという国家の最大使命すらわかっていない政党であったことを、国民は3年3か月の民主党政権時代に嫌というほど「学んだ」からである。国会最終日に民主党がとった愚かな戦略は、日本が災害も含めて“有事”になった時、ここにだけは自分たちの身を委ねてはいけないことを改めて教えてくれたのである。

私は、今日の選挙でさらに大きな打撃を受けるだろうこの政党が、今後、どんな道を歩むのか、その方が興味深い。2009年の総選挙の比例で民主党が獲得した票は、「2984万票」である。昨年12月の総選挙では「962万票」となり、たった3年で実に「3分の2」が泡のごとく消えた。

選挙とは残酷なものだと思う。昨夜、党首の奮戦ぶりを捉えた番組をNHKでやっていたが、海江田万里・民主党代表がいくらアベノミクスの批判をおこなおうが、ほとんど共感を呼んでいないように映った。

自らこの参院選の最大争点を「ねじれ国会の解消」という非常にわかりやすいものにしてしまい、憲法改正問題という国民が「迷っている」問題へのアピールを消してしまった戦略には、なんとも言うべき言葉を持たない。

民主党には、中国に利する尖閣発言をおこなう元代表もいれば、選挙戦の最中に安倍首相を名誉毀損で提訴する元代表もいる。政治家が国会の論戦での決着を目指すのではなく、司法の世界に「問題を持ち込む」という考えられないパフォーマンスに国民は二の句が告げないのではないか。

果たして民主党は、今後、どんな末路を辿るのだろうか。私は6月26日のブログに「民主党は参院選後“存在”できるのか」と書かせてもらった。国民を失望させ、求心力も消えた政党がどんな四分五裂を見せるのか、それが気にかかったからだ。

衆議院と参議院の差はあるとはいえ、4年前に史上最多の「2984万票」を集めた政党は、どこまで坂道を転がり落ちるのだろうか。これから民主党が辿る道は、有権者の怖さと怒りを見せつけるという意味で、日本の政界でこれまで見たことがないような「残酷なもの」になるような気がする。

カテゴリ: 政治

民主党は参院選後「存在」できるのか

2013.06.26

今日は宇都宮で講演があり、午後、帰京したら、参院本会議で安倍首相の問責決議を民主、みんな、共産など野党の賛成多数で可決したというニュースが流れていた。これによって、電力会社の発電と送電部門を分社化する「発送電の分離」などを盛り込んだ電気事業法や生活保護法の改正案を含め、重要法案が軒並み廃案になったそうだ。

電気事業法は、民主党が今国会で成立させることで合意し、衆院から参院に送られてきた法案である。そのほかにも、日本版NSC(国家安全保障会議)を創設するための法案や、在外邦人の「緊急時陸上輸送」を可能とする自衛隊法改正案も、成立はならなかった。

夕方から安倍首相の記者会見があるそうだが、この衆参“ねじれ現象”の解消が、国民にとって大きな関心事、そして参院選の「最大の争点」として浮上したことを感じるニュースだった。

私は最近、「政権担当能力」ということをよく考える。私が子どもの頃、自民党と社会党の対立構造である“55年体制”が長くつづいた。その頃、自民党は社会党を念頭に「野党には政権担当能力がない」と選挙のたびに主張し、政治の「安定」ということを盛んに強調していた。

日曜日の朝のNHKの国会討論会を父親と毎週のように観ていた早熟系の子どもだった私は、その度に、「政権担当能力って何だ。やらせてみた方が面白いじゃないか」などと思っていたものだ。

その後、細川政権なども誕生して、土井たか子氏が衆院議長になるなど、“野党系”の政権というのがどういうものか、味わうこともできた。だが、今回の民主党政権の「3年3か月」は、本当の意味で「政権担当能力」というものを考えさせてくれた日々だったと思う。

いつも書いているように国家というものは、国民の生命・財産、そして領土を守るために存在する。国家の領袖とは、国民に対するその使命を「背負う者」である。しかし、民主党政権には、その根本がなかったことは、多くの国民が感じた通りだと思う。

大震災や原発事故への対応だけでなく、中国や韓国に対する卑屈な姿勢も、国家というものの「存在意義」を理解していなかったことに由来していたように思う。

今日、土壇場で、安倍首相への問責決議に同調して民主党が重要法案を葬り去ったというニュースに接して、「ああ、やっぱり」と、私は一人で合点してしまった。

政権担当能力とは、文字通り「政権」を取った時に現われるものだが、実は、そうではなく、野党の時にも、見ることができるものではないかと思う。国民の生活にかかわる法案すら葬り去ることを良しとする民主党。彼らが今日見せた方針転換は、「ああ、やっぱりこの党はこの程度か……」と思わせるに十分だったのではないだろうか。

フラフラしながら、すべてその時の風まかせで、国民の生活さえ念頭に置いていない政党――衆参の“ねじれ現象”がいかに国民にとって、マイナスとなるか、今日はじっくり「国民に見せてくれた」ということではないだろうか。

私は、3日前のブログにも、あまりにも一つの党が大きな勢力を持ちすぎることへの懸念を“大政翼賛時代”という言葉を用いて書かせてもらった。だが、それは、「衆参がねじれ現象のままでいい」という意味ではない。

今日、私は民主党が土壇場で問責決議を可決させたことで、来たるべき参院選の国民の審判は、民主党に「より厳しい結果になる」だろうことを感じた。

有権者の審判とは怖いものである。民主党は、参院選で今回の都議選をさらに上まわるような“潰滅的打撃”を受けるような気がする。果たして民主党は、参院選後も「存在」できるのだろうか。そんなことを考えながら、安倍首相の問責決議可決のニュースを私は見ていた。

カテゴリ: 政治

「維新」を失墜させた“石原発言”とは何だったのか

2013.06.24

今日も一日、次の作品の取材に明け暮れた。締切が近づいているのに、まだ取材が連日つづいている。夕方やっと事務所に戻ってきたら、驚くべきニュースが流れていた。都議選の敗北を受けて、「維新の会」の共同代表である橋下徹氏と石原慎太郎氏が電話で話し合い、「力を合わせて参院選を戦おう」と確認し合ったというニュースである。

「えっ?」と思ったのは私だけではないだろう。石原氏が共同通信のインタビューに答えて、橋下氏の従軍慰安婦発言について、「大迷惑だ」「弁護士の限界だ」「言わなくてもいいことを言って、タブーに触れたわけだから、いまさら強弁してもしょうがない」……等々と、大批判を展開したのは、つい18日のことである。

都議選の投開票のわずか5日前に、党の共同代表同士が「意思疎通ができなくなっている」ことを満天下に晒して、その党が選挙に勝てるはずはない。これを受けて、橋下氏は翌19日に「都議選敗北なら(共同代表の)辞任もあり得る」という考えを明らかにせざるを得なかったのは記憶に新しい。

選挙の結果は、案の定、厳しいものだった。維新の会は改選前の「3議席」を「2議席」に減らした。しかし、前述のように、今日、両共同代表は電話会談をおこない、「参院選は頑張ろう」ということで一致したのである。そして、橋下氏は大阪市役所で記者団を前に、「もう一度チャンスを与えてほしい。参院選で全国民からしっかりと審判を受けたい」と表明した。

驚いたのは、有権者だろう。二人の代表の間に亀裂が生じ、党がバラバラになろうというところに、わざわざ票を入れる人などいるはずがない。それは維新の会の都議選での「票数」と「獲得議席」にそのまま現われた。しかし、選挙が終わったら、二人は「ともに頑張ろう」と確認し合ったというのである。

落選した維新の会の都議選候補者たちも、きっと信じられない思いに違いない。あの石原発言は何だったのか、と。選挙終盤に、維新の会の不協和音をわざわざ「有権者に知らせること」が目的だったのか。あるいは、ほかの党に「勝ちを譲る」ために、最初から自分の党を「犠牲にする」作戦だったのか。一体、なんのための石原発言だったのか、さっぱりわからないのではないだろうか。

おそらくこれが巷間、囁かれている“暴走老人”ということなのだろう。自分の発言がどういう影響を及ぼすか、そのことすら考察できないレベルになってきていることを感じる。

おそらく、維新の会では、誰も石原氏に忠告やサジェスションができる人がいないのだろう。土壇場で代表が何を言い出すかわからない党とは、実に不幸というほかない。参院選で、維新の会がかつての勢いを取り戻すことは極めて困難になったのではないだろうか。

さて、事務所に帰って来たら、もうひとつニュースが私を待っていた。こちらは嬉しいニュースである。拙著『死の淵を見た男 吉田昌男と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)が、今年度上半期のアマゾンのノンフィクション部門で売り上げ「第1位」になったというニュースが担当編集者から届いたのだ。

日本の書籍の売り上げでかなりの部分を占めつつあるアマゾンは、今後ますますシェアを伸ばすことが予想されている。書店が少ない地方や、あるいは近くに書店があっても規模の面で、読みたい本が置いていないところは多い。

アマゾンは、そういう読者のニーズに応える貴重なインターネット上の通販サイトである。そこで、今年上半期のノンフィクション部門のランキングが「1位」になったというのは光栄だ。改めていうまでもないが、この作品は、福島第一原発事故の極限の状況の中で、吉田昌男所長のもと、家族と故郷、そして日本を「死の淵」から救った福島・浜通りの人々の姿を描いたものである。

この本を上梓した時、私は何人もの方から「勇気がありますね」と言われた。同じノンフィクションの世界にいるライターからも言われた。それは、「これほどの“東電バッシング”の中で、よく本を出せましたね」ということだった。

私は、逆に不思議に思ったものだ。放射能汚染の原子炉建屋の中に何度も何度も突入し、日本を救った福島・浜通りの男たちの姿をありのまま描くことに、どうして「勇気」がいるのか、わからなかったのである。

反原発でも、原発推進でもない私は、純粋に「事実」でしか、物事を見ない。これまでのブログでも書いてきたように、従軍慰安婦問題など、歴史的な問題でも同じだ。日本のメディアには、「イデオロギーでしか物事を捉えることのできない人」が多いが、私はそうならないように、いつも自分を戒めてきた。

そんな思いと立場で書いた作品が、アマゾンのノンフィクション・ランキングでトップになったということは、少なくとも読者は、そんなイデオロギーなどで「物事を見ていないこと」を示している。私は、少し嬉しくなった。

いま締切に追われている作品も、執筆が佳境に入っている。まだまだ仕上がりまでには時間がかかりそうだが、この作品でも毅然とした日本人の姿を描きたいと思っている。是非、ご期待いただきたい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

日本はこのまま「大政翼賛」時代に進むのか

2013.06.23

「これでは、大政翼賛時代の到来だ……」。あまりの自民党の圧勝ぶりにそんな声さえ飛んでいる。参院選の前哨戦となった注目の都議選は、立候補した自民党の「59人」が全員当選するという前代未聞の結果となった。

同じく全員当選した公明党の23議席を加えて、自公で82議席の獲得である。全127議席の64・5%にあたる。驚異的な数字というほかない。

前回2009年7月の都議選では、民主党が42選挙区のうち38選挙区でトップ当選し、230万票を獲得した。「54」という圧倒的な議席を得たその民主党が、今回は3分の1以下のわずか「15議席」に留まったのである。

興味深いのは今回、民主党の支持層が、「共産党に流れたこと」である。民主党支持者の中には、コアな革新支持層が少なくない。彼らは、槍(やり)が降っても自民党には投票しない。しかし、受け皿がないため、共産党がその票を獲得し、改選前の8議席から倍増以上の「17議席」という躍進につながったのである。

雪崩を打つとは、このことだろう。半年前の総選挙で圧勝した自民党の勢いは衰えず、前回の選挙と逆の結果を出す、選挙特有の“振り子現象”さえ、まったく見られない。私は、あらためて有権者の民主党への“怒りの大きさ”を感じる。

中国や韓国に対する異常な弱腰外交、経済や金融面の無策、果ては、国民の「命」さえ守ることができなかった稚拙な大震災や原発事故への対応などに対して、有権者は民主党に「愛想尽かし」というより、今も「怒り」が抑えられないのだろう。

国民の生命・財産・領土を守ることもできなかった民主党政権への怒りが、昨年の衆院選だけでなく今回の都議選も席捲(せっけん)したように思う。もはや民主党は、その「存在意義」を議論しなければならない段階に来ており、参院選も無惨な結果が待っているのではないだろうか。

昨日のブログで「注目」と書いた「みんなの党」と「維新の会」は、圧倒的な自民党の勝利に「吹き飛ばされた」感がある。それぞれ「7議席」と「2議席」に留まり、自民党の「59議席」に比して、あまりにも大きな開きがある。これは、両党のこれまでの第三極の構築戦略が「失敗した」ことを明確に告げている。

1か月後の参院選でも、「第三極の構築」は極めて難しいだろう。「維新の会」と「みんなの党」が袂を分かった以上、巨大な自民党の前に存在感は示しにくい。まさに自民党による“大政翼賛時代”の到来である。

株式市場と外国為替市場の乱高下にもかかわらず、盤石だった与党体制――憲法改正に向けて安倍首相は、自信を深めたに違いない。「第三極」に陰りが見えてきた中、政界は、「新しい時代を迎えた」のである。

自民党による独裁体制ではなく、健全な第三極の成長を望んでいた私には、なんとも心配な結果でもある。参院選も、このまま自民党が“独走”するのだろうか。

民主党政権のあまりに愚かな「3年3か月」は今、自民党への過剰な期待を呼び起こしている。それが当然だと思う一方、民主党が、とてつもないツケをわれわれ国民に「残した」ことをつくづく感じるのである。

カテゴリ: 政治

都議選の注目は「維新の会」と「みんなの党」

2013.06.22

明日は、都議選の投開票日である。私の事務所がある新宿界隈は、選挙戦最終日となった今日、一日中、候補者の絶叫が響いていた。国政選挙に次ぐものとして、都議選は毎回それなりの注目を浴びるが、候補者の必死さは国政選挙に劣らない。

だが、やはり国政選挙並みの注目度とはいかず、いつも投票率は“いまひとつ”だ。そのため、組織票を持つ政党が順当に議席を確保するのが常で、おのずと「一般の関心も乏しくなる」という悪循環になっている。

私は、今回の都議選は、「維新の会」と「みんなの党」に注目している。「維新の会」は、橋下徹・大阪市長による従軍慰安婦発言の影響をどう受け、そのことで袂(たもと)を分かった「みんなの党」が有権者のどんな審判を受けるのか、ということである。

私は、政治とはつくづく怖いものだと思う。従軍慰安婦問題に関して「(歴史的事実と)違うことは違うと言わなければならない」と、大筋で正しいことを言ったにもかかわらず、橋下氏は大バッシングを受け、ついには、都議選で敗北したなら「維新の会の共同代表を降りる」というところまで追い込まれた。

一方、橋下氏の従軍慰安婦発言に対してすぐ大批判を展開し、選挙協力まで解消した「みんなの党」の渡辺喜美代表も、これが功を奏したかと思えば、そうでもなさそうだ。

時事通信の世論調査で、従軍慰安婦発言前の4月には、維新の会とみんなの党の支持率は、共に「1・5%」で同率だったが、発言後のこの6月には、維新が「1・7%」と0・2ポイント上げたのに対して、みんなは、逆に0・2ポイント下げて「1・3%」となっている。

時事通信の世論調査は、1975年以来、38年間も毎月おこなわれている継続性と信頼性に定評があるものだ。内閣支持率と政党支持率の推移を見るためには、日本で最も参考になる調査である。このほかの種々の世論調査でも、維新の会よりみんなの党の苦戦ぶりが表われているのは興味深い。

私も、みんなの党に少々失望した一人だ。橋下氏の従軍慰安婦発言に対して、渡辺氏が、歴史的な見解を述べることもせず、ただ世論に迎合する形でしか橋下発言を批判しなかったからである。さらに言えば、それにもかかわらず、一挙に「選挙協力の解消」まで持っていったことだ。

渡辺氏と江田憲司・幹事長との確執もかなりのところまで来ているようだが、世論に迎合する姿勢を見せた段階で、みんなの党のイメージは大きな打撃を受けたのではないだろうか。

みんなの党への有権者の期待は、「公務員改革」や「行財政改革」であり、さらに言えば、「健全な第三勢力の構築」だった。決して、「世論に迎合すること」ではなかったはずである。

しかし、次第に結党の時の清新さを失い、ここのところ他党への批判と、渡辺氏の党代表としての「権力」への執着が目立ちすぎているように思う。維新の会との選挙協力の解消は、その象徴的なものだった。

明日の都議選は、組織票のない維新の会とみんなの党にとって、有権者の「期待」と「失望」が、そのまま票として「現われる」ものだろう。つまり、明日は、浮動層取り込みを狙って発足した両党の「今後」を左右する選挙になることは間違いない。

橋下氏が果たして、共同代表に留まるのか、そして渡辺代表は、党内の不協和音を鎮めることができるのか。私は、選挙結果によって渡辺氏がこのまま党内で求心力を失っていく可能性もあると見ている。

両党の動向によっては、漁夫の利を得る形で、民主党がかなりの議席を確保できる、という見方も出ている。選挙、そして政治というのは、本当に恐ろしいと思う。まさに、一寸先は闇である。明日の結果を待ちたい。

カテゴリ: 政治

“誤訳”で増幅される「政治家発言」を憂う

2013.05.22

参院選でのみんなの党と維新の会の選挙協力が解消された。両党にとって大きなマイナスだろうと思う。政策が近く、味方であるはずの両党が、橋下徹・大阪市長の従軍慰安婦発言をきっかけに一気に「破綻」に至ったのである。

維新の会との連携に力を尽くしてきた江田憲司・同党幹事長と、渡辺喜美・同党代表との確執も理由に挙げられているが、それにしても来たるべき参院選で両党がお互いを口汚く罵る場面は有権者の一人としてあまり見たくないものだ。

私は、この従軍慰安婦発言に対して、一昨日のブログでも書かせてもらったように橋下氏に同情している。あの貧困が支配した時代に、家族を助けるために金銭の見返りに“身売り”し、色街で働く薄幸な女性は数多くいた。

望んで行くわけではないが、家族を助けるために彼女たちは自らの身を売り、幸せ薄い人生を送ったのである。その中で、のちに「従軍慰安婦」と呼ばれ、「P屋」と称された慰安所で働く女性たちもいた。

それは、日本国内だけでなく、朝鮮半島やさまざまな地域の出身女性がそういう職に就いた不幸な時代だった。しかし、それは、日本が国家として「嫌がる婦女子を強制連行」して売春をおこなわせたということではない。

「嫌がる婦女子を強制連行」して「慰安所に閉じ込め」て「性交渉をさせた」というのがもし真実なら、日本は「拉致・監禁・強姦国家」ということになる。いま国際的に「日本は“レイプ国家”だ」というレッテルが貼られつつあるが、橋下氏がこれに「違うことは違うと言わなければならない」と発言したことは、私には当然と思えるのである。

橋下氏のこういう発言、つまり、歴史の微妙な事柄が発生した時によく登場するのが「誤訳」問題である。今回の場合、どうだったか少し考えてみたいと思う。

外国では、今回の橋下氏の発言は、「日本の大阪市長が、“日本軍には性奴隷が必要だった”と語った」と捉えられている。最初にAP電をはじめ外紙が橋下氏の発言を「sex slaves(性奴隷)」という言葉を用いて報じたことがきっかけだ。

Osaka mayor says wartime sex slaves were needed to ‘maintain discipline’ in Japanese military.(大阪市長は、戦争時、日本軍が「規律を維持するため」には性奴隷が必要だった、と語った)

さすがに、軍の規律を維持するために「性奴隷が必要だった」と発言する政治家が日本では大阪市長をしているのかと、報道に接した外国の人々は仰天したに違いない。非難が巻き起こったのも当然である。

だが、私は、従軍慰安婦を「性奴隷」とした表現には、明らかに悪意が潜んでいると思う。従軍慰安婦とは「性奴隷」のことであり、奴隷とは「強制的に」連行されるものであり、すなわち日本国は「レイプ国家」である、という明確な決めつけと刷り込みのために用いられたのではないのか、ということである。

「性奴隷」という一言には、あとの議論は不要になるぐらいの強烈なインパクトがある。そこには、女性の人権を無視したレイプ国家・日本には、「人権」を語る資格などない、という明確な「メッセージ」、言いかえれば「悪意」が潜んでいるように思う。

私は、日本を貶めるこういう報道が、これから世界に羽ばたこうとする日本の若者たちに大きな障害となっている現状を憂える。それと同時に私は、こういう報道や外交交渉の中での「誤訳」問題をどうしても考えてしまう。

思い出されるのは、1972年に日本と中国との間であった「誤訳事件」である。有名な「添了麻煩(ティアンラ・マーファン)事件」だ。

日中国交正常化のために訪中した当時の田中角栄総理が晩餐会の席上、「わが国が中国人民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と挨拶した。しかし、この「ご迷惑をかけた」という部分が直前に配られた中国語の翻訳では「添了麻煩」と訳されていたのである。

「添了麻煩」というのは、ちょっとしたミスに対して「ご迷惑をお掛けしました」という時に使うもので、田中が言った「多大なご迷惑をかけ」、「深い反省の念を表明する」というものとは天と地ほど違う訳だった。日本側(外務省)が、なぜこれを「添了麻煩」と訳したのか、それは今も謎のままだ。

だが、この瞬間、晩餐会の会場はざわめき、日中の友好ムードは一変した。そして、日中共同声明には、過去の歴史認識についてどういう言葉を入れるかという交渉が中国側のペースで進み、「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」という“損害”と“責任”という文言が書き入れられることになった。

これは、中国研究者の間では有名な「事件」だが、誤訳によって行き違いが生じるのは、珍しいことではない。また誤訳問題ではないが、「通訳の有無」自体が問題化する場合もある。

1990年に自民党の金丸信が訪朝した際、突然、金日成主席との会談が入り、日本側の通訳が入っていなかったことから、その後たびたび北朝鮮側が「これは金日成主席と金丸先生が会談の中で約束されたことです」と、真偽不明の“合意”が持ち出されるもとになった。

今回の飯島勲・内閣官房参与の訪朝でも、真っ先に「日本側の通訳の有無」が話題になったのと同じだ。

私は、利害や面子(めんつ)、そして策謀が渦巻く国と国との交渉の最前線、あるいはそれを伝える報道の中で、日本国内の日本人ジャーナリストたちを含めて「日本を貶める人々」がいかに多いか、愕然とすることがある。

今回のように「性奴隷(sex slaves)」という言葉によって、より大きな反発を生じさせ、その上で起きた外国の反応を、さらに大きく報じて問題化していく日本のジャーナリズムの手法に、私はかねて疑問を抱いている。何度も繰り返されるこのジャーナリズムの手法を見るたびに、溜息が出てくるのである。

私は、歴史認識にかかわるこの手の微妙な問題に右往左往せずに、冷静に対応していく識見と落ち着きを持ちたいものだと、いつも願っている。

カテゴリ: マスコミ, 政治

アメリカの「本音」と日米同盟の未来

2013.05.10

昨日、「アメリカはいつまでも“日本の味方”ではない」とブログで書かせてもらったら、タイミングが良かったのか、悪かったのか、ちょうどアメリカ議会調査局から提出されたという『最近の日米関係』と題した報告書のことがニュースになっていた。

それによると、報告書には、「安倍首相は日米同盟の強い支持者だが、米国の国益を損なう可能性がある歴史認識問題をうまく取り扱えるかが問われている」、また韓国などとの関係で「今後、米軍と自衛隊による安全保障協力などに支障が出る可能性がある」と書かれているという。

例によって、中国や韓国と歴史認識を共有したい日本国内のメディアが、このことを殊更大きく報じていた。ちょうどいい機会なので、この際、安倍政権に対する“アメリカの本音”について、私も少し考えてみたい。

日米同盟を基軸とする安倍外交の方針は、今後もまったく揺るぎのないものだろうと思う。それは、60年安保の時に学生たちの激しい抵抗に遭いながらも日米安保条約を自動延長させた祖父・岸信介の政治姿勢を受け継ぐものでもある。

しかし、その安倍首相のメッセージを受ける側のアメリカの本音は、微妙だ。私は、アメリカは安倍政権に対して「頼もしさ」を感じる一方、「少し困った」という思いを抱き始めているのではないか、と思う。

それは、日本の「自立」と大いに関係している。安倍政権が、この4月28日に主権回復記念日として天皇皇后両陛下ご臨席のもとにお祝いをしたことを思い出して欲しい。主権回復とは、1952(昭和27)年にサンフランシスコ講和条約が発効し、7年の長期に及んだGHQの支配に「ピリオドが打たれた」ことを意味している。

屈辱のGHQ占領時代が終わり、日本がふたたび独立を取り戻した日であり、これは戦後日本にとって実に大きな意味を持つ日だった。

だが、日本は主権を回復したものの、実際は戦力の不保持と交戦権の否定を謳った平和憲法のもとで、アメリカに“従属”して生きていく実態に変わりはなかった。

その後、アジア共産化の防波堤として日本はアメリカにとって大きな役割を果たしつづけた。そして、アメリカの核の傘の下で平和を享受し、経済的な繁栄を手に入れた。かつて“不沈空母”と語られたように、日本はアメリカにとって、欠かせない存在だったのである。

そして、主権回復後61年を経たこの夏、安倍首相は、「改憲」を掲げて参院選を闘おうとしている。アメリカが“盟友”安倍政権を一方で「頼もしく」思い、一方で「少々、困った」という思いを持っている理由は、この安倍首相の姿勢にある。

日本の再軍備を視野に入れた憲法改正問題は、予算面から在日米軍の規模を縮小せざるを得ないアメリカにとって、ありがたい側面もある。だが、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権は、先日の主権回復の記念日を祝ったように「真の独立国家」たらんことを目指している。

戦後体制から「抜け出す」とは、アメリカ従属から抜け出し、真の意味で自主独立の道を歩もうということである。かつての日本は、東京大空襲をはじめとする「焦土化作戦」で多くの日本の非戦闘員を殺戮したアメリカのカーチス・ルメイ空軍大将に「勲一等旭日章」を与えるほど、アメリカに媚(こび)を売りつづけた国だった。

だが、日本がその従属的地位から抜け出た瞬間、アメリカにとって日本は“初(う)い奴”ではなくなるという事実を忘れてはならない。つまり、アメリカにとって日本は、自国の若き兵士たちの血を流しても「守ってくれる」という存在ではなくなるのである。

国防軍創設の先には、必ず核武装の議論も出てくるだろう。私は、第一次安倍内閣の2006年10月、自民党政調会長だった故中川昭一氏が日本の核保有について、「議論があっていい」と発言した時、アメリカからライス国務長官がすっ飛んできたことを思い出す。

日本の有力な政治家が「核保有すべきだ」と発言をしたわけではなく、「その議論をしてもいい」と言っただけで、アメリカの国務長官が大慌ててやって来たのである。

私は、日本がアメリカにとって“初い奴”“可愛い子”で居つづけることをやめた時、アメリカは一体どう出るのだろうかと考えてしまう。ずばり、日本が万一、核武装に向かって動き始めた場合はどうなるのだろうか、ということである。

日本には、H2ロケットがある。これは、宇宙開発事業団と三菱重工が開発に成功した人口衛星打ち上げ用ロケットである。主要技術はすべて国内開発されたもので、いうまでもなく、このロケットには世界のどの地域にも飛んでいく能力がある。

もし、日本が核開発に突き進めば、H2ロケットの性能を考えたら大陸間弾道ミサイルは、すぐに現実のものとなるだろう。そのことをアメリカはよく知っている。仮に日本が自立し、核武装までおこなったとしたら、アメリカが日本に対してどれほどの「脅威」を感じるか、想像もつかない。

広島・長崎の一般市民の頭の上に原爆を「二度」も落としたアメリカは、いつ、どこにでも核ミサイルを撃ち込める技術(つまり、H2ロケット)を持つ日本が怖くて仕方がなくなるだろう。真の意味で独立国家となった日本が、50年後、100年後にもアメリカと同盟関係にあるとは限らないからである。

頼もしいパートナーだった日本がアメリカから“自立”し、アメリカにとって“初い奴”ではなくなった時、日本はどのような扱いをアメリカから受けるだろうか、と考える理由がそこにある。

つまり、日本が“自立”した瞬間、アメリカにとって日本は「脅威の対象」となるのである。その意味で、この夏の参院選で焦点となる憲法改正問題は、安倍政権にとって両刃の剣となるものなのだ。

今回のアメリカ議会調査局によって提出された報告書には、アメリカの安倍政権に対するそうした懸念と本音がはからずも表われていたのではないだろうか。

国家にとって、自主・独立への道というのは険しい。安倍政権は来たるべき参院選で、敢えて“タブー”に挑戦しようとしている。それは、日本の行く末を決定づける道でもある。私たちはあくまで理性的に、かつ冷静にこの問題を捉え、判断していきたいものである。

カテゴリ: 国際, 政治

株価「1万4000円」回復と安倍政権

2013.05.07

連休明けの今日、真っ先に飛び込んできたのは、日経平均が1万4000円を回復したというニュースだった。衆院選直前の昨年11月に9000円だった株価が、わずか5か月で上げ幅「50%」を超えるという驚異的な上昇率だ。

アベノミクス効果やニューヨーク株式市場の上昇など、さまざまな解説がなされるが、やはり最も大きいのは、悪夢のような民主党時代が「終わったから」だろう、と思う。その測り知れない心理的効果が株価を上昇させる国民の前向きの意識をさらに“アト押し”しているのである。

どうしようもない閉塞感から解き放たれた人間の意識とパワーというのは、やはり大きい。それにしても、多くの国民が「民主党政権とは何だったのだろう」と感じているに違いない。

耳に心地いいことを連発してはみたものの、経済を低迷させ、日米関係を戦後最悪の状態にし、中国や韓国に譲歩を繰り返して誤ったメッセージを与え、東日本大震災では、最大の使命である人命救出もできずに右往左往し、復興に関してもイニシアティブを発揮できないまま、政府の存在自体が復興への大きな妨げとなった。

私は今でも、大震災の際、原発事故などの緊急事態に気象条件や地形情報などから放射性物質の拡散ぶりを数値的に予測するシステム「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測結果をもみ消した当時の政権中枢にいた政治家たちの「罪」が問われないのはおかしいと思っている。

パニックを恐れて、肝心かなめの「人命」をも無視してしまう当時の政権のレベルの低さには、今も言うべき言葉がない。国民の生命を守るために116億円もの予算を費やしてでき上がったシステムによって割り出された数値が、われを失った当時の官邸にいた政治家たちによって「もみ消された」のである。このことを日本人は忘れてはならないと思う。

しかし、私はいつもブログには書かせてもらっているが、そもそも民主党政権が誕生した「理由」というのも同時に忘れてはならないと思う。4年前の政権交代劇は、私は大きな意味を持つものだったと考えている。

長い間に腐敗し、国民の思いや期待を吸い上げられなくなっていた自民党に愛想を尽かし、ついに国民は自民党に「お灸をすえる道」を選んだのが前回の政権交代劇だった。前述のように民主党政権を選択したツケは国民にとって大きかった。だが、今その教訓が生きていることは間違いない。

2006年に発足した第1次安倍政権では最初の外遊先に「中国」を選んで周囲を驚かせた安倍首相が、今回の第2次安倍政権初の外遊先にはベトナム、タイ、インドネシアという東南アジアを選び(1月)、今回の4月末から5月にかけての外遊でもロシア、アラブ首長国連邦、トルコといった国を選んで財界人をも同行させ、トップセールスを敢行した。

その意図は、“中国包囲網”の構築にほかならない。中国に対して安倍首相は、「もうあなた方への譲歩はしませんよ」「あなた以外の国と連携を深めていきます」という強烈なメッセージを発している。

「自由と繁栄の弧」による外交を展開する強い意志を感じさせるこの安倍首相の戦略には、まったく志が果たせなかった前回の政権時への深い反省と後悔があるに違いない。しかし、逆に見れば、これもまた民主党政権の悪夢の3年3か月がもたらした“効果”とも言えるのではないか。

参院選では、「民主党の壊滅」と「改憲勢力の結集」が焦点になるだろう。その意味で、おそらく日本の政治は今年、うねりのような大変動を経験するだろうと思う。

中国が、この3月に発足させた中国海警局は、尖閣諸島での衝突を前提にしたものである。それまでの中国の沿岸警備を担当していた公安辺防海警部隊を改編・格上げして、公安部の指導のもとに沿岸警備や海洋・漁業資源の管理を一手に担う大組織としたのである。

これで、中国は日本の自衛隊との軍事紛争ではなく、海警局による局地衝突を前提に「対日戦略」を組んでくるのだろう。海警局による衝突なら、日米安保条約第5条の発動にはならず、日本の海上保安庁との衝突に過ぎず、しかも、それなら中国は「勝てる」と思っているからである。

民主党政権のように日本と中国のどっちの利益を代弁しているかわからないような政治家や閣僚は、安倍政権にはいない。その意味で、国民の生命と財産、そして領土を守ってくれる政権が東シナ海で覇権を確立しようとしている中国と対峙していること、そして、その最前線で命を張る海上保安庁の人々がいること、この二つへの感謝をわれわれ国民は忘れてはならないと思う。

日経平均が1万4000円台を回復したという連休明け一番のニュースを聞いて、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 中国, 政治

「血」と「理」と「日本国憲法」

2013.05.03

今日は、66回目の憲法記念日だった。朝から護憲派、改憲派のアピールが新聞・テレビを通じてそれぞれおこなわれ、都内でも双方があちこちで集会を開くという慌ただしい一日となった。

私自身は、ゴールデンウィークというのに、今日も徹夜だった。締切が近づいている単行本原稿のためだ。おかげで、どちらの集会にも取材に行くことができなかった。

今年の憲法記念日は、「護憲」と「改憲」、さらには「加憲」なるものまで登場し、最後には「“卒”原発」まで現われた昨年の衆院選を彷彿させるかのようだ。いずれにしても、「改憲問題」は来たる参院選の最大の争点になる。その意味で、今年の憲法記念日は実に興味深いものだった。

私は、改憲問題とは、「血(ち)」と「理(り)」の闘いだと思っている。戦後生まれの日本人は、いま全人口の約75%を占めている。すなわち現行憲法しか知らない人が「4人のうち3人」なのだ。

改憲で最大の争点になるのは、いま話題の「国防軍」の創設であり、言うまでもなく“平和憲法”と謳われる「前文」と「第九条」ということになる。

〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〉

このくだりに代表される平和憲法の趣旨は、理想から言えば、万人に受け入れられるべきものである。戦後、アメリカの核の傘の下で60余年もの平和を享受した日本は、この理想の「憲法前文」に疑いを差し挟まなくてもよかった。

そして経済の復興と発展のみに邁進し、世界から“20世紀の奇跡”とまで賞讃された高度経済成長を成し遂げたのである。

だが、「今」はどうだろうか。歴史的にも、国際法上も、日本固有の領土であることが明白な尖閣諸島を、中国は虎視眈々と「核心的利益」と表現して自国の領土にしようとしている。

また北朝鮮は、東京・大阪など日本の5都市を名指しで弾道ミサイルのターゲットとした。とても「憲法前文」が言うような〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼〉できるものでは「なくなっている」のである。

それでも、今日のニュース番組では、「このままでは“戦争ができる国”になってしまう」「子や孫を戦場に送りたくない」「改憲は絶対に反対だ」と、中国や北朝鮮が大喜びするような護憲派の声が映像を圧倒していたように思う。

私は、「血」だなあ、と思う。戦後世代の私たち日本人は、子どもの頃から〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼〉して、平和憲法こそ日本の誇りと信じ、これに反対する勢力は、右翼、あるいは国粋主義者、軍国主義者などと、思い込んでいた。すなわち平和憲法は、長い年月と教育によって、私たちの「血」であり、「肉」となっていたのである。

しかし、前述のように現実の東アジア情勢から見れば、この「憲法前文」と、交戦権どころか戦力の保持すら認めない「第九条」は、いかに浮世離れした“理想論”に過ぎないかがわかる。すなわち「理」で考えるなら、満66歳を迎えたわが日本国憲法は年をとり過ぎ、現実からあまりにも「かけ離れてしまった」のである。

この夏、参院選は、戦後世代同士の「血」と「理」の闘いになるだろう。頭でわかっていても、すなわち「理屈」でわかっていても、いざ決断となった時、人はやはり「血」によって動かされるのではないか、と思う。

私は、ふと先日(4月24日)ジュネーブで開催されたNPT(核拡散防止条約)再検討会議の準備委員会で、「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類共存のためになる」とした共同声明に、唯一の被爆国である日本が賛同しなかった件を思い出した。

被爆国日本が、「いかなる状況下」でも「核の不使用」を謳う共同声明に賛同しなかったことに理解を示す国民は少ないだろう。菅義偉官房長官が、「“いかなる状況下でも”という部分が日本の安全保障の状況を考えた時に相応(ふさわ)しい表現かどうか、慎重に検討した結果です」と、奥歯に物が挟まったような説明をしたが、それでは国民は納得しないだろう。

それは、もはや日本国民にとって「核使用」というのは絶対にやってはならない「血」となっているからだ。だが、もし、「東京に核ミサイルをぶち込まれ、次に大阪が狙われるとしたら、どうするのか」と問われたら、国民はどう応えるだろうか。

「いかなる状況下」とは、こんな場合も想定されるのである。核攻撃によって、国民にさらに多くの犠牲者が出る場合、つまり、どうしてもそれを阻止するために米軍による「核報復の必要性」が出た場合、どうするのか。それをもストップして、大阪が次なる核攻撃で消滅してもいいのか、という話だ。

「理」で考えた場合、そういう恐ろしい事態も「想定」しなければならないのである。私は、改憲が争点となる夏の参院選とは、「血」と「理」の闘い、言いかえれば「理想」と「現実」の闘い、すなわち私たちが心の底に持っている“戦後的なもの”そのものが問われるのだと思っている。

私自身、その時、どんな選択をするのか。果たして「血」で判断するのか、それとも「理」が克服するのか。今から興味が尽きない。

カテゴリ: 政治

「4・28屈辱の日」を噛みしめることの大切さ 

2013.04.28

今日は、61年前にサンフランシスコ講和条約が発効した記念日である。太平洋戦争の敗北によって日本が連合国軍の占領下に置かれた「屈辱の7年間」が終了した日だ。

主権を失うことの惨めさと辛さは、国家と国民にとって筆舌に尽くしがたいものである。この7年間に日本の「戦後」の基本的な制度や価値観が決定づけられ、それは、今もあらゆる分野で幅を利かしている。

私は、1952(昭和27)年4月28日という日は、“忘れてはならない日”だと思う。世界中が軍国主義に覆われ、非戦闘員も含めて5000万人を遥かに超える犠牲者を出した第二次世界大戦は、人類の歴史がつづくかぎり忘れることができない悲劇だった。

敗戦国となった日本も主権を失い、苦難の道を歩んだ。東西の冷戦が始まり、西側陣営への参加を強いられた日本は、紆余曲折を経ながらも、豊かさと繁栄の時代を迎えた。

その意味で、この占領下の7年間は、日本にとって忘れてはならない「屈辱」と「雌伏」の時代だったと思う。

今日、政府は天皇、皇后両陛下のほか、首相、衆参両院議長、最高裁長官ら各界代表が出席して、初めて永田町の憲政記念館において「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」をおこなった。

安倍総理は、「わが国が辿った足跡に思いを致しながら、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います」、そしてこの7年間について、「わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり試練でした」とスピーチした。

条約発効によって沖縄や奄美諸島、小笠原諸島が日本から切り離され、沖縄の本土復帰が一番遅れたことに対しては、「沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだと思います」と語った。

その沖縄では、この日が「屈辱の日」と呼ばれており、仲井真弘多・沖縄県知事が憲政記念館での式典への出席を見送り、政府主催の式典が開かれたことに対する抗議集会がおこなわれた。

「屈辱の日」とは、沖縄の人々にとってだけではない。それは、日本人全体が「屈辱を噛みしめる日」なのである。私はそのことの重要性を思う。

式典自体に反対する人々には、こういう「屈辱の日」こそ忘れてはならず、歴史の重みを振り返るべきことの大切さを知って欲しいと思う。

他国に占領され、主権を失うことの「意味」と「怖さ」を私たちは思い起こすべきだろう。どれだけ平和ボケしようが、そのことだけは忘れてはならない。

領土拡大の野望を胸に、隣国と領海紛争を繰り返してアジアで顰蹙(ひんしゅく)を買い、それでも虎視眈々と「覇権確立」を目指す国をすぐ近くに持つ私たち日本人は、あらためて「屈辱の日」と「国の主権とは何か」を振り返るべきだと思う。

カテゴリ: 政治, 歴史

安倍政権と就職戦線“春の陣”

2013.04.27

今日からゴールデンウィークがスタートした。東京は見事に晴れ上がり、行楽日和そのものだった。鳥インフルなどのニュースが流れているものの、例年通りの平和そのものの黄金週間の初日である。

私のようなフリーの稼業は、もちろん休日とは縁がない。いつも取材と締切に追われている。今日も夏までに出すノンフィクションの最終的な取材に追われた。

次作は、警視庁公安部を舞台にしたものだ。私の作品はいうまでもなくノンフィクションなので、登場人物はすべて「実名」である。少なからず反響があると思う。どうかご期待をいただければ、と思う。

さて、今日は大学生の就活問題について少し書いてみたい。ゴールデンウィーク突入で、大手企業の2013年度就職戦線「春の陣」がひと段落したからだ。

もちろん中小企業の「春の陣」はこれからが本番で、それが終わると、次に夏から秋にかけて大企業が再び乗り出す“秋採用”と呼ばれる就職戦線「秋の陣」が始まる。

私は、当ブログで日本の国力をこれ以上衰退させないためにも、就職戦線のスタート時期をかつてのように「大学4年秋」に戻せ、と主張してきた。

それは、大学3年から始まる就職活動によって、大学生活自体が圧迫され、せっかく「学問」と「人間形成」という両面で大きな意味を持っているキャンパスライフそのものが“変貌”させられているからだ。

最近の大学生を見ていると、伸び伸びと人間そのものを磨くことがやりにくくなっているのではないか、と私は同情する。このままの制度では、将来的な日本の「人材枯渇」は目に見えており、それを克服することは、国家の大問題だと私は思っている。

私が就職した頃は、就職活動の解禁日は、大学4年時の「10月1日」であり、そのために、留学や長期の外国旅行など、多くの大学生が日本を飛び出して見聞を広げることが可能だった。

「就活解禁時期の問題は日本の国力そのものにかかわることで、早く“大学4年秋”に戻すべきだ」。私は講演等でも、折々にそう言わせてもらっている。

そんな中で、先週の金曜日(4月19日)、安倍総理が「成長戦略」のひとつとして大学生の「就職活動の解禁時期」を遅らせるよう、経済界に直接要請したというニュースが流れた。

経済3団体のトップを官邸に呼び、2016年3月に卒業する予定の現在の大学2年生から、就職活動の解禁時期を3年生の12月から3年生の3月に、選考活動を現在の4年生の4月から8月に、それぞれ遅らせるよう要請したのである。

要請を受けて、経団連の米倉会長が「総理からの要請を重く受け止め、会員(企業)には周知徹底していきたい」と述べた。

私は、アベノミクスの「3本の矢」のひとつである成長戦略の中に「就職活動の解禁時期を遅らせる」という方針が入っていたことに驚いた。

できれば、わずか「数か月」遅らせるだけでなく、就職活動の「解禁時期を4年生の8月、選考活動開始を4年の10月」にしてもらいたかった。だが、それでも現行より遥かにいいことは間違いない。

少なくとも今の政権にこのことに対する問題意識があることがわかって、私は少しほっとした。国家の成長戦略とは、まさに「国力を復活させる」ためにあらゆる方策をおこなうべきものであり、その第一が「人材の養成」であることは言うまでもないからである。

その意味で、安倍政権には、若い階層に向けての「成長戦略」をこれからも打ち出していって欲しいと思う。そして、ルール破りをする企業があった場合は、その名称を公表するなど、強い姿勢で臨んで欲しいと思う。

いま靖国参拝問題や尖閣問題、あるいは北朝鮮のミサイル問題など、緊迫する東アジアにおいて日本には、難問が押し寄せている。いろいろな言論が飛び交う中、安倍政権には、「毅然とした日本」「成長していく日本」を念頭に、さまざまな戦略を期待したい。

カテゴリ: 政治, 教育

“世代間戦争”突入の2013年、安倍総理への注文

2013.01.05

新政権への期待が株価を押し上げ、円高にも歯止めがかかって、安倍総理の滑り出しは好調だ。だが、額賀特使の韓国派遣は、韓国が日韓犯罪人引き渡し条約に違反して靖国神社放火の中国人容疑者(38)を中国に送還したことで完全に面子(めんつ)を潰された形となった。

スタートしたばかりの安倍政権には、たとえ日本が「友好」を押し立てて韓国に擦り寄っても「恥」をかくだけだと教えられたと思えば、安い授業料だっただろう。日韓関係が性善説に基づいても「益がない」ことを安倍総理は肝に銘じて欲しいと思う。

今日は、日本の国力アップのために、まったく別の分野で安倍政権に注文をしてみたい。それは、若者の雇用、すなわち就職問題についてである。

日本は、いま団塊の世代の大量退職の真っ只中にある。今年4月からは、65歳まで働きたい希望者全員の継続雇用制度の導入を企業に義務づける「改正高年齢者雇用安定法」が施行される。段階的とはいえ、これで、実質、日本の定年は「65歳」となったわけである。

私は、この制度に半分賛成で、半分反対だ。昨今の60歳は、まだまだ“働き盛り”であり、かつての60歳とは異なる。これを活用しない手はない。私が“半分賛成”と思う所以(ゆえん)だ。

だが、これにはマイナス面もある。それは、企業の新規採用への圧迫という点である。文部科学省の学校基本調査によれば、2012年春の大学卒業者の中で、就職できた人の割合は、63・9%だったそうだ。

すなわち、大卒55万9030人のうち、就職したのは35万7285人で、派遣社員やアルバイトなど、安定的な就職を果たしていない数は、およそ12万8千人にのぼっているという。

大卒10人のうち4人が就職できない時代に、国は企業に対して「定年を65歳まで延長して希望者への雇用継続を義務づける」方針を打ち出したのである。

企業に新規採用を「絞らせる」結果をもたらす、つまり、「壮年重視」「青年軽視」の方針を国が推進するわけだ。私は、このことが日本にとって、果たしていいことなのか、疑問に思っている。

60歳定年ならば、起業や再就職など、それから先に「何かをやろうとする人」もいるだろう。それは、社会全体に新たな活力を生む効果をもたらすに違いない。

しかし、長年勤務してきた会社に「継続して65歳まで安定して雇ってもらえる」なら、そんな冒険に出る人は少なくなる。しかも、その人たちが企業に留まっているために、新規採用枠は小さくなり、その分、新卒者の活躍の場は失われることになる。

私は、改正高年齢者雇用安定法が施行される今年4月以降、日本は事実上、“世代間戦争”に突入すると思っている。優遇される団塊の世代と、バブル崩壊以降の“失われた20年”の中で生まれ育ち、そのまま就職難の時代を生きる若者とのサバイバル戦争だ。

目下、優位に立っているのは、定年を迎えた団塊の世代だ。彼らは、太平洋戦争を最前線で戦った大正生まれの親を持ち、昭和30年代終わりから40年代という学生運動華やかなりし時代に青春を謳歌した人たちだ。

団塊の世代は、反権力の意識と同時に、人権などの「権利意識」が非常に強い人が多い。スケールメリットを享受し、大量退職の今、国が新たな救いの手を差し伸べてくれている。

一方、就職期を迎えた今の新卒者は、リーマンショック以後の不況や改正高年齢者雇用安定法による採用枠の減少という逆風の中にいる。その上、就職戦線が「大学3年」から始まるため、自分を磨く時間的な余裕もない大学生活を送っている。

私は、団塊の世代が大量に定年退職を迎える「2007年問題」がクローズアップされた10年近く前から、すでに今の状況を予想していた。早く若者の力を伸ばす方針を国がとらなければ、日本は“衰退の道”を辿る、と。

残念ながら、現状はその予想通りのものになっている。以前のブログにも書いたが、就職戦線スタートは大学4年秋に戻し、研究や留学をはじめ、人生唯一のモラトリアムを若者に大いに活用してもらう環境をつくってあげなければならないと思う。

人材だけでもってきた明治維新以降の日本。少子化が進む今こそ、若者の力を伸ばし、活力ある国にするために、さまざまな施策をとって欲しいと思う。他のアジア各国の後塵を拝することにならないよう安倍総理には、まず第一にこのことを注文したい。

カテゴリ: 政治, 教育

木枯らしの東京・永田町にて

2012.12.27

いよいよ明日の御用納めから「9連休」という“大型連休”に突入する。東京は年末の独特の慌ただしさに包まれている。そんな中、私は今日も来年出版するノンフィクション作品の取材に追われた。

本来は今年中に上梓する予定の作品だったが、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)の出版が先行したため、完成が遅れに遅れているものだ。

より深い内容にするために、この年末年始も断続的に取材をおこなうことになっている。今日も永田町を歩いたが、安倍晋三政権の船出があり、民主党も海江田万里体制となり、未来の党は早くも分裂……等々、栄枯盛衰は世の習いとはいえ、今の永田町ほど厳しい木枯らしが吹きつけている地はほかにない。

昨日の国会召集までに落選議員たちの引っ越しは終わっていたが、いよいよ新しい政治が始まったことを実感する。安倍体制がスタートしても、株価の上昇と円安が止まらない。安倍政権への市場の期待がいかに大きいかを物語っている。

それと共に出て来るのは、「あの民主党政権は何だったのか」という思いである。すでに衆院で57議席しか保有していない政党に過ぎないが、民主党の代表になったのが、小選挙区で落選した海江田万里・元経産大臣だったことにこの党の絶望的な状況が表われている。

海江田氏は、昨年7月の衆院経済産業委員会で突然、涙を見せたことがある。菅首相との対立が取沙汰される中での涙は波紋を呼んだ。私はあの時、ああ、海江田氏に原発事故で過剰介入を繰り返す菅首相を止めることはとても無理だったなあ、と思ったものだ。

翌日、涙の理由を記者に問われた海江田氏は、「尋常でない状況が続いていますので……」と釈明した。そのことを菅首相の夫人、伸子さんに「泣くような人に大臣には任せられない」と批判されたことを思い出す。

私は、今でも原発事故の際の官邸の罪は重いと思う。「パニックを回避するために」事故の実態を隠し、過少な発表しかおこなわず、さらには約100億円もの費用が投入されてできたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)をまったく生かそうともせず、国民の信頼を失いつづけたのだ。

内閣の一員として、また原発の事業者を監督する立場にある経産大臣として、海江田氏は、本気で被災地の人々の命を「救おうとしていたのか」という疑問を抱くのである。

現場介入を繰り返す菅首相を身体を張って止めることができなかったことを噛みしめながら、海江田氏には、民主党の再生を命をかけてお願いしたい。それこそがあの時の償いになるのではないだろうか。

そして、安倍政権には、本来の役割を見失ったその民主党政権の轍(てつ)は絶対に踏まないで欲しい。内外に山積する課題をこなしつつ、国民の生命と領土を毅然と守って欲しいと願う。

カテゴリ: 政治

日本への「警戒感」が日本を救う

2012.12.24

激動の2012年もあと1週間で終わる。今日の東京は晴れわたり、爽やかな冬の冷気の中でクリスマス・イブを迎えた。

今日のニュースの中で興味深かったのは、北朝鮮の朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」が、安倍政権について、「日本を軍国主義の道へ追い込んでいる勢力」と断じ、「彼らが日本国民の多くの支持を集めたのは懸念される」と報じたというものだった。

核実験と大陸間弾道ミサイルの開発に余念のない北朝鮮が、すでに安倍政権への警戒感を報じた中国、韓国のメディアと同じ懸念を“表明”したことになる。これまで民主党政権下の日本を舐めに舐めていた彼らが、一斉に似たような報道をおこなったことは感慨深い。

今日のNHKの報道では、労働新聞は、「アジアの人民は、強い警戒心を持って日本の政治動向を注視している」と強調したそうだ。私は、このニュースを聞きながら、アジアの大国のひとつである日本が、やっと「対等」に周辺諸国との緊張関係を持つことができるようになるかもしれない、と思った。

竹島や国後島に韓国やロシアの大統領の踏み込みを許しながら、それでも独立国家としての怒りさえ示すことができなかった民主党時代が終焉を迎え、新しい安倍政権がこれまでとは違う「警戒すべき相手」であることを周辺諸国が「吐露している」のである。

私は国際社会の冷徹な現実を感じると共に、対応を誤れば、安倍政権が短命に終わる可能性も否定できないように思う。わずか8カ月で国政選挙(参院選)を迎える安倍新首相は、組閣自体が「勝負」である。

前回、「お友達内閣」と非難された安倍氏が同じ轍を踏むとは思えないが、毎回、サプライズを忘れなかったあの小泉政権のような国民を惹(ひ)きつけるセンスも必要だろう。それと共に、コトに当たる時の対応の柔軟さも新政権には要求される。

おそらく来年の参院選が終わるまで、安倍首相は靖国参拝など、中国、韓国との対決姿勢は“封印”するに違いない。だが、それも中国が、尖閣への領海・領空侵犯の常態化から「次」に何かに踏み込めば、すべてが一変する。

安倍政権が“弱腰”と見られたら、今回の総選挙で得た有権者の支持は急速に失われるし、一方、すでに「国防軍」という文言がひとり歩きしているだけに、単なる強硬策でも支持が失われる。

3年3か月に及ぶ失望の民主党政権の後、安倍政権は周辺国との緊張関係を築くことにすでに成功している。彼らが表明する「警戒」こそ、日本の存在意義を表わしている。東南アジアの各国が、民主主義を重んじる秩序の国・日本にアジアの盟主たる役割を果たして欲しいと願っているからだ。

戦後日本を支配してきた「空想的平和主義」。そのぬるま湯を国際社会の現実が突き破ってきた今、安倍政権への懸念を周辺国が表明していることは、むしろ喜ばしいと言えるだろう。

日本を取り巻く環境が緊張感を増して来れば来るほど安倍政権の意義と手腕が問われる。これまで当ブログで何度も書いてきたように、真の友好とは、一方的な譲歩からは生まれない。中国や韓国とお互いを尊重するような関係になるには、日本国民が「空想的平和主義」に訣別できるかどうかにも、かかっているように思う。

来たるべき2013年は、「空想」と「現実」の激しい鬩(せめ)ぎ合いの年になるだろう。周辺国の安倍新政権への警戒表明の報道を見ながら、私はクリスマスの夜、そんなことを考えていた。

カテゴリ: 政治

安倍政権はどこで「失望」に転じるのか

2012.12.17

凄まじい大惨敗だった。民主党は前回の総選挙で獲得した308議席から今回、57議席へと激減し、史上例を見ないおよそ「5分の4」の議席を失うという敗北を喫した。

当ブログでも指摘してきた“リセット有権者”の厳しい審判は、予想以上のものだったことになる。現職閣僚8人が落選したこの選挙を、民主党の候補者たちは、「おまえたちの話など聞きたくない、さっさと消えろ、という“壁”を有権者との間に感じた」と表現する。

それほどの激しい反発を受けたのだから、3年3か月前に国民から受けた「期待」の大きさと、同時にそれを裏切った「失望」の大きさが窺える。

リセット有権者の傾向から見れば、「次」は、逆風を自民党が受ける番である。意地悪な見方かもしれないが、安倍政権への国民の期待がどこで「失望」に転じるのかと、私はどうしても考えてしまう。

私は、そのポイントは「2つ」あると思う。一つは、外交だ。中国・韓国のマスコミが本日、一斉に「タカ派安倍政権の復活」「日本右傾化の危機」と報じた。

だが、私は、これは日本にとって悪いことではない、と思う。中国や韓国の新聞が警戒感を強めているというのは、久しぶりに日本の“怖さ”を彼らが感じているということでもあるからだ。

民主党政権下の3年3か月、日米同盟にヒビを入れ、さらに領土を守るという気概さえ内外に示せなかった日本は、外国から舐められ、韓国とロシアの大統領による日本固有の領土への踏み込みを許し、さらには尖閣の海域への中国船による侵犯の常態化を招いた。

その上、反日デモによって日本企業は襲撃され、略奪まで受けるという重大な事態に見舞われたのである。国際社会では一度弱みを見せたら、際限なくつけ込まれていくのは常識だ。舐められるだけ舐められた民主党政権下の日本は、中国・韓国にとっては、実に“なぶりやすい国”だったのである。

だが、自民圧勝の選挙結果は、その中国と韓国に大きな衝撃をもたらした。私が驚いたのは、中国が、2006年に当時の安倍首相と胡錦濤主席が確認し合った「戦略的互恵関係」を再び持ち出してきたというニュースだ。

自分より「下」にしか見ていなかった日本が、安倍自民党が圧勝、新政権が発足するとわかった途端、いきなり危機感と警戒感を強めてきたのである。さらには、かつて合意した「戦略的互恵関係」まで持ち出し、これからは仲よくやっていこうぜ、と思えるサインまで送ってきたのである。

安倍首相が、堂々と日本の主張を両国に伝えていけるかどうか。それは「期待」であると同時に、仮にできなければ「失望」をもたらす。どれほどひどいことをされても、ひたすら「友好」しか言えなかった民主党政権の轍(てつ)をもし踏むなら、安倍政権はたちまち国民の非難と失望の対象となるだろう。

安倍政権は、堂々と日本の立場と主張を国際社会に訴え、中国や韓国に直接突きつけられる政権でなければならない。民主党の退場によって、もう“譲歩の時代”は終わったのである。そのことを期待されて誕生したことを安倍氏は忘れてはならないと思う。

もう「1つ」は、「公務員改革」と「行政改革」である。私は、安倍氏とみんなの党の渡辺喜美氏の関係に注目している。安倍内閣で規制改革の内閣府特命担当大臣となった渡辺氏は、行政改革と公務員改革に真っ正面から取り組んだ過去がある。

霞が関をすべて敵にまわしても、当時の安倍首相と渡辺大臣はひたすら改革に突き進んだ。だが、巨大な存在である霞が関官僚の抵抗を受け、ついに参院選の敗北を受けた安倍内閣の退陣によって二人の改革は、“志なかば”で潰(つい)えたのである。

その時、渡辺喜美氏の頬を無念の涙がひと筋流れたことを私は覚えている。その無念は、やがて「みんなの党」をつくる原動力となり、それから6年を経た現在、同党は衆院選で「18議席」を有する立派な政党となった。

安倍氏と渡辺氏は、その意味で、二人だけにしかわからない「言語」を持っている関係と言える。それは、絶対に公務員改革と行政改革を成し遂げるという“悲願”に基づく言語にほかならない。

いまだに「官僚統制国家」を突き崩せないでいる日本を立て直す二人の政治家といえば、安倍氏と渡辺氏である。その二人に、6年ぶりに悲願達成のチャンスが再び現れたのである。私はその点で二人に大いに期待している。

では、この2つの重要ポイントで、安倍政権が、ことなかれ主義を貫き、何もできなかった場合はどうだろうか。その時、安倍政権に対する国民の信頼は音を立てて崩れ去るに違いない。今回の民主党の惨敗は、明日は“わが身”である。

衆院で3分の2という議席を獲得して颯爽と再登場する安倍新首相。国民は、もう綺麗ごとの政治は望んではいない。安倍氏には、民主党の3年3か月への国民の怒りを掬い上げ、本音と覚悟で日本を毅然とした国家として生まれ変わらせて欲しいと心から思う。

カテゴリ: 政治

師走選挙「29年前」の記憶

2012.12.15

いよいよ投開票が明日に迫った。突然の野田首相の解散宣言から1か月。ついに国民の審判が下されるのである。師走の日本列島を騒がせた衆院選は、泣いても笑っても、今日一日で終わる。

各紙の報道で、師走の総選挙が「29年ぶり」であることを知った。1983(昭和58)年12月18日の中曽根政権下の“ロッキード禊(みそぎ)選挙”以来である。

大学を卒業してまだ間もない駆け出し記者だった私は、あの時、ロッキードの灰色高官と呼ばれた佐藤孝行・元総務庁長官の選挙の取材に函館に行っていた。

ロッキード事件が勃発した時に落選した佐藤氏は、その後、復活当選し、さらに次の選挙にも当選して、無類の地盤の強さを発揮していた。しかし、自身に収賄で懲役2年執行猶予3年の有罪判決が下り、その上、10月12日には田中角栄元首相にも有罪判決が下り、再び、落選の危機を迎えていた。

結果は、佐藤氏はトップ当選。注目のこの禊選挙で、同じくトップ当選した田中角栄氏と共に盤石の強さを見せつけたのである。当選後、記者団に囲まれた佐藤氏に、「これで禊は終わったと思いますか?」と質問をぶつけた時の彼の表情が忘れられない。

ぐっとこっちを睨みつけたまま、佐藤氏はひと言も発しなかった。それまでのにこやかな表情が一瞬でかき消え、「この野郎。マスコミに俺の気持ちがわかるか」という目で睨みつけてきたのである。

ひと言でも発したら、それを活字にされてしまう。言葉を発してたまるか、という強い意思が表われた顔と迫力は、29年経った今も私の脳裡に焼きついている。灰色高官と言われながら、地元で多くの支援者を持つ理由が一瞬でわかった気がした。

政治家の持つ執念と迫力を教えられたあの時から29年後、当時からは想像もできないさま変わりした選挙がおこなわれている。争点のひとつである原発問題をとってみても、「脱」か「卒」か「維持」か、キャッチフレーズのような言葉だけが飛び交い、現実的な議論が尽くされないまま、投票日を迎えようとしている。

私は、政治家の持つパワー、執念、思い入れ、そして有権者の熱気や期待……多くのものが当時とさま変わりしたことを感じている。今回の選挙は、3年余にわたる民主党政権の失政に対する国民の怒りが“爆発”したものとなるだろう。

ロッキード判決という大劣勢の中で当選した田中角栄や佐藤孝行という政治家は、中選挙区という制度と、利益誘導型の政治がすべてだった時代の申し子だったとも言える。

それゆえにトップ当選を果たせたが、では、国民の激しい怒りの中で劣勢が伝えられている民主党の議員たちはどうか。この国民の怒りをかいくぐって再び赤絨毯(じゅうたん)を踏むのは、容易なことではない。

もともとブームだけで当選した民主党の議員たちは、ことごとく消え去るだろう。地域に根ざし、政治家としての執念と迫力がある議員だけが残るに違いない。

私は、29年前と同じく期日前投票(当時は不在者投票)をすでに終わらせた。あの時に故・佐藤孝行が見せた迫力を思い出しながら、明日の投開票をじっくりウォッチさせてもらうつもりでいる。

カテゴリ: 政治

“レッテル選挙”の最終勝利者は誰か

2012.12.04

本日、いよいよ衆院選が公示され、小選挙区(300)、比例(180)あわせて480議席を1504人の候補者が競うことになった。

私は、小選挙区制度下の衆院選を秘かに「レッテル選挙」と呼んでいる。どの党、どの勢力が、争点を「レッテル化」できるかに“勝敗”がかかっている面が強いからだ。

前々回の2005年小泉郵政選挙では、「郵政民営化」への是非が問われ、前回2009年には、「政権交代」への是非が問われたことを国民は覚えているだろう。

争点はほかにもあったが、「郵政民営化」、あるいは「政権交代」というレッテルを貼ることに成功した側が選挙に勝利したのである。

これは、争点を「類型化」、あるいは「簡潔化」して、より単純な思考に有権者を追い込んだ側が「勝つ」という意味である。私は、このやり方に首を傾げている一人だが、それは有権者の側の問題なので仕方がない面もある。

たとえば今回、大きな争点となっているのが原発問題だ。脱原発、卒原発、原発容認……など、各政党がそれぞれの立場を鮮明にしているが、では、演説の中に原発ゼロによる“プラス面”と“マイナス面”をきちんと説明している党首はどれだけいるだろうか。

私は、あの事故のノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)を上梓したばかりなので、今日の各党首の第一声に「原発問題」が大きく取り上げられることに注目していた。

しかし、発言を分析してみると、有権者に原発のプラス、マイナス両面をきちんと提示できていた党首はいなかった。それどころか、そもそも原発事故の真相がどんなものだったのか、そのことを彼らは知っているのだろうか、と思った。

原発問題とは、単なる感情問題ではない。国民の生命にかかわる問題であり、環境問題でもあり、さらには電力値上げによる産業空洞化への懸念、あるいは安全保障上の問題など、さまざまなことを「包括」している国家の大問題だ。

だが、原発ゼロ、官僚政治打破を訴え、福島県の飯館村で遊説をスタートさせた日本未来の党の嘉田由紀子代表を筆頭に、それぞれがどれほど問題の本質を訴えかけることができていただろうか。

原発をゼロにしたら自分たちの生活や経済にどんな影響が出るのか、しかし、それでも今、ゼロにしなければ将来にどんな大きな禍根を残すのか。それを比較しながら、有権者に具体的に訴えかけがなければならないはずである。

しかし、それを説明するのではなく、ただ「脱」だの「卒」だの「容認」だの、これをスローガンにして「類型化」、あるいは「簡潔化」して国民にただ訴えているとしたら、これほど国民をバカにした話はない。

原発に賛成か反対か、そこだけに今回の選挙を“レッテル化”できれば、おそらく「脱」なり「卒」なりを主張している側が勝利するだろう。

つまり、のちに今回の選挙が「脱原発選挙だった」と言われるようなものにできるならば、小沢一郎氏も「潜んでいる」日本未来の党などが勝利するということである。

“小泉チルドレン”の次は “小沢ガールズ”を大量に国会へ送り込んだ日本の有権者は、今回、果たしてどんな議員たちを誕生させるのだろうか。それは、レッテル化に弱い日本の有権者のレベルを問うものでもある。これからの12日間の選挙戦に注目したい。

カテゴリ: 政治

“リセット有権者”が問われるもの

2012.11.27

いよいよ仁義なき戦いである。本日、滋賀県の嘉田由紀子知事(62)が新党「日本未来の党」を結成し、原発を段階的に削減する「卒原発」など「六つ」の主要政策をぶち上げ、新たな「第三極」を結集することになった。

「脱原発」の次は「卒原発」で、いずれにしても、原発反対の勢力を糾合しようとする各政党の思惑と意図が交錯した一日だった。そこに合わせたかのように本日、九州電力が原発の稼働停止で火力発電用燃料費が増大したため「業績が悪化」したとして、値上げ申請をおこなった。

実に10%近い値上げである。生産コストを直撃される中小の製造業は大打撃だ。これに東北電力や四国電力がつづき、今週、相次いで電力料金の値上げが発表されるのだそうだ。いよいよ「原発ゼロ」の負担増を国民に見せつけてくるわけである。

「原発」が選挙の大きな争点に浮上している中、各政党と電力事業者の凄まじい闘いが始まったことになる。電力値上げによって、日本の産業の空洞化が加速することへの懸念を印象づけようとする電力側と、とにかく脱原発で票を集めようとする政党の熾烈な戦いにほかならない。

私は、福島原発事故の真実を追ったノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)を上梓したばかりなので、この鍔(つば)迫(ぜ)り合いを興味深く見ている。

ニュースを見ながら、私は、この選挙で問われているのは「何か」ということを考えた。前々回の2005年の総選挙では、自民党に296もの議席を与えて“小泉チルドレン”を大量に生み出し、前回の2009年の総選挙では、民主党に308という空前の議席を与えて“小沢ガールズ”が大量に誕生した。

いずれも、われわれ国民の選択によるものである。そして、今回の総選挙では、早くも民主党が「100議席を割り込む」惨敗を喫すると予想されている。

いわゆる小選挙区制の“振り子現象”だが、これらは、有権者が単に前政権への“負の評価”をくり返していることを意味している。私は、今回の選挙で問われているのは、日本国民の「見識」ではないか、と思う。

そこには、「アメ=与えられるもの」が足らないから切って捨てる、あるいは、「期待したものが来ない」、さらには「飽きた」から、引きずりおろすという実に身勝手な投票行動しか見えてこないのである。

それは、ゲームで言う「リセット」である。世界の指導者たちから「日本の首相はころころ変わるから、名前を覚えても仕方がない」と言われるほど、国家の領袖の首を短期間で変えてしまうのが今の日本人だ。

その底流にあるのは、「自分が何かをおこなう」のではなく、国や自治体に「何かをやってもらう」という他人任せの“甘えの構造”ではないだろうか。

平成が始まるまで、日本を牽引(けんいん)したのは、戦争世代と言われる「大正生まれ」の人々だった。同世代の7人に1人が戦死した彼ら大正世代は、戦後の復興どころか、世界から“20世紀の奇跡”とまで称賛された「高度経済成長」を成し遂げた。

エコノミック・アニマルと揶揄(やゆ)されようと、ひたすら前進をつづけ、休むことなく「他人のために生きた」のが、彼ら大正世代である。

彼らは、働けばその先に幸せがあると信じ、黙々と「家族」と「郷土」、そして「国」のために働きつづけた。彼らの選択肢に、今のような「何を与えてくれるか」というものは少なかったように思う。それは、彼らが明治生まれの両親から「恥を知りなさい」という教えを受けていたからかもしれない。

しかし、そのために自民党独裁政治の硬直化を生んだことも事実である。だが、少なくともゲームをリセットするかのような常軌を逸した極端な“振り子現象”とは無縁だった。すなわち「リセット有権者」の数は極めて少なかったのである。

今、日本人は岐路に立っている。それは、本来の「恥を知る日本人」に戻ることができるかどうかの岐路ではないかと、私は思う。決して「他人任せ」ではなく、進むべき道を自ら切り開いた大正世代のような「かつての日本人」に戻れるかどうかの岐路である。

私は、公示前に合従連衡をくり返す政党の姿と、「何を与えてくれるか」という“アメ”の発想しかない国民の姿を見ながら、今回の選挙が「本来の日本人」を取り戻す“第一歩”になって欲しいと祈らずにはいられなかった。

カテゴリ: 政治

もう“化けの皮”が剥がれた「第三極」

2012.11.17

私は、衆院が解散され、慌ただしく動く昨日の政界のニュースを「なんでこんなことをしたんだろう?」と首を傾げながら見ていた。例の「第三極」について、である。

私も多くの有権者と同じく、既存の政党には、どこに対しても不満を持っており、それなりに「第三極」には期待を抱いていた。

しかし、昨日から今日のニュースを見ていると、石原慎太郎氏は、結党したばかりの「太陽の党」を解党して、「日本維新の会」に合流することを「決めた」というのである。

「ウソだろ」「なぜ?」と思い、私は正直、失望した。これまで「日本維新の会」に尻っ尾を振りつづける政治家たちと、「石原氏も同じだったのか」と。

それぞれがそれぞれの理念・政策を掲げて選挙を戦い、国民の審判が下ったあと、政策に従って連合を組むなど、大同団結を果たせばよかったはずである。政策も理念も違うもの同士が、ただ選挙に「勝つ」ために一緒になるのは「野合」にほかならない。

しかも、すでに“化けの皮”が剥がれかかっている日本維新の会に、必死で擦(す)り寄るのは、失望と落胆以外のなにものでもない。今回の石原氏らの慌てぶりを見ると、自分の意志を直前まで隠し、電撃的な解散に打って出た野田首相の戦略が「功を奏した」と言えるのかもしれない。

消費税増税、TPPへの参加・不参加、脱原発、憲法改正、対中国政策……等々、国民の投票を決定づける「選択肢」は、多岐にわたる。太陽の党は、そもそも「原発推進」の立場で、維新は「脱原発」だ。TPPに関しても、太陽は「反対」で、維新は「参加」の立場だ。真逆である。

しかも、石原氏は、前日に河村たかし名古屋市長が率いる「減税日本」との合流を会見で発表したばかりである。そのことを「忘れた」かのように、翌日、日本維新の会の橋下氏のもとに走ったことで、国民の期待は「失望」へと変わっていったのではないだろうか。

政治家とは、一瞬、一瞬の判断が「勝負」を分ける世界である。その意味で、政治の世界は、アスリートたちが極限まで鍛え上げた肉体で勝負をつけるスポーツの世界とも似ている。石原氏は、その第一段階で、致命的な失敗を犯したと思う。

彼らがやるべきことは、それぞれの選挙区での「協力」であったはずだ。「この選挙区では遠慮する」「ここでは応援してくれ」「この選挙区では、協力してこの人物を推そう」と、個別の協力をおこなうことは、何もおかしくない。

だが、政党として「すべてが一緒になる」などというのは、まさに「野合」以外のなにものでもない。そもそも立候補を目指して地道に選挙運動をつづけてきた候補者たちはどうなるのか。それぞれの選挙区で活動をしてきた多くの候補者が、“梯子(はしご)”を外されることになるだろう。

政策や理念も異なり、それと同時に、極めて“我(が)”の強い石原慎太郎氏と橋下徹氏の二人が、同じ政党の中で、どのくらい辛抱しながら相手を尊重していくことができるのだろうか。

太陽の党、日本維新の会などが、それぞれの強い地域で議席を獲得して、選挙後、政策ごとに協力していく民主主義の基本とも言えるダイナミックな政治を夢見ていた私は、昨日から今日にかけて、大いに落胆してしまった。

「第三極」とは、そういう国民連合ともいうべきものだと私は勝手に思っていた。これで、今回の選挙の争点のひとつに「“野合”に対するスタンス」というものが浮上した。選挙期間中、そのことへの「批判」をことあるごとに、私たちは聞くことになるだろう。

それは、「ああ、石原さん、あなたもか」ということである。混沌とした政界の情勢は、期待、落胆、失望……の間を揺れ動きながら、これから「1か月」に及ぶ壮絶な闘いに突入した。

カテゴリ: 政治

“ドジョウ”にもなれなかった野田“カマキリ”政権の末路

2012.11.14

ついに地獄への「扉」が開いた。よく「進むも地獄、残るも地獄」と言うが、民主党の場合は、それもない。すべてが地獄である。

「16日に解散しましょう! やりましょう!」。本日、安倍晋三・自民党総裁との党首討論で唐突にそう宣言した野田首相の表情を見て、私は、哀れさを感じた。消費税増税法案を“財務省のドン”勝栄二郎(かつ・えいじろう)事務次官の意向に沿って成立させるべく、すべてを擲(なげう)った野田首相の惨めな最期である。

私は、その表情を見ながら、「この人が本当にやりたかったのは何だったのだろうか」と改めて考えてみた。総理の座を手に入れるために、勝次官以下の財務省ネットワークをフル稼働させた野田氏は結局、財務省の悲願である消費税増税法案を通すためだけに存在し、勝次官が勇退したあとは、ただジリ貧の哀れな姿を国民に晒しただけだった、と思う。

野田さんご当人は、自分を「ドジョウ」と表現したが、私は、彼は「カマキリ」だったと思う。カマキリの雄(オス)は、交尾を終え、自分の役割が終わると、メスに捕食されると言われる。

財務省のドンの掌(てのひら)で踊りつづけ、結局、「最後の大物次官」「影の総理」と呼ばれた勝氏ほか、財務官僚の「初(う)い奴」でありつづけた野田さんは、その「役割」が終わった以上、あとは、「消え去るしかなかった」のである。

そして、私にはどうしてもこの人が「やりたかったこと」がわからない。政権を奪(と)るというのなら、政権を握ったあと「やりたいこと」があるはずである。ただ首相になりたいだけ、というのなら、これほど国民をバカにした話はない。

だが、今回の内閣に田中真紀子文科相や田中慶秋法相などを起用したことでもわかるように、野田さんは、いったいこんな閣僚たちで何をしたかったのだろうか、と思う。

「私は安全保障の素人」と言ってのける人や国会答弁すらまともにできない人を防衛大臣に起用したり、リンチ殺人事件の被害者の母親に対して「殺人者にも犯罪を犯す事情があったんだ」と発言して猛反発を食らった人物をわざわざ法務大臣に据えたり、おかしなことを数え出したらキリがない。

消費増税法案が8月上旬に成立し、頼りにする勝次官など財務官僚が離れたあとの野田政権の末路は、無残なものだった。支持率は下がり続けて20パーセントを切り、不支持率はついに60パーセントを超えた。


本日、最後の最後で声を張り上げて「16日解散」を宣言した野田首相。しかし、連立与党からも「子どもじみている」と呆れられた唐突な解散宣言は、おそらく野田首相ご本人や、鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相らさえ「当落選上」に置くだろう。

彼ら大幹部たちはもちろん、歴史に残る惨敗を喫することが確実な民主党は、選挙後、政権の表舞台から消え、代わってあらたな政治勢力が誕生・台頭する。それは、すなわち「憲法改正」をも視野に入れた政治勢力である。

われわれ国民は、今回の選挙で民主党のような子どもじみた政治家、政党ではなく、日本の行く末を見据えた賢明な「選択」をしなければならない、と思う。それぞれの一票一票がこれほど大切な選挙は、めったにあるものではない。

カテゴリ: 政治

田中真紀子氏の“暴走”をどう見るか

2012.11.08

私は、いま話題になっている田中真紀子文科相の新設大学認可問題を、ほかの人とはまったく違う見方で捉えている。

これは、いつもの真紀子氏の“暴走”であり、これまで彼女がやって来たことを考えれば、不思議でもなんでもない。検討を重ねてきた「認可」を土壇場でひっくり返せば、どういうハレーションが起こるか、それすら真紀子氏にはわかっていなかったのである。

日本は、競争社会であり、いくら大学が増えようと、採算がとれなければ消え去る運命が待っている。少子化時代を迎える中、校舎も建設し、教員も集め、一定の要件を整えた上で「認可」を求めてきたのなら、それは「やってみなさい」と言えばいい。

地方でも、注目を集めている秋田県の国際教養大学のように、ユニークな教育と方針で、成果を挙げている大学も現に存在する。そうではない大学は“少子化時代”を迎えて、淘汰されていくことは、誰にでもわかることだ。

その厳しい環境に漕ぎ出していくなら、「お手並み拝見」ということだろう。それを真紀子氏は、十分な調査もしないまま、いつものパフォーマンス程度の認識で、認可にストップをかけたのである。

今回の出来事で、唯一、確かなことは、われわれ国民が、その程度のことすらわからないレベルの文科大臣を抱えているということである。

しかし、この手のことで私は、もう驚きはしない。民主党政権で大臣になる人たちのレベル、いや民主党の人材そのものが「この程度のもの」であることが、この3年間、私たちには、いやというほど突きつけられてきたからだ。

そして、そんな政党に300を超える圧倒的多数の議席を与えて、こういう事態を迎えた責任は、われわれ国民の側にあるということである。

これまで何度も当ブログで書いてきたように、この党は、“お子ちゃま”の集まりである。なかには一定の哲学もあり、勉強もし、識見を持った人もいるかもしれないが、大半は、“お子ちゃま”である。

昨年の大震災の時も、発表しなければならない原発の危機的状況を「パニックが起こるかもしれない」という理由で、それをストップした官房長官や、勝手に「現場からの全員撤退」と早とちりした大臣など、そもそも国家を運営したり、国民を率いていけるようなレベルの政治家たちの集団ではないのである。

私がいま思うことは、近づきつつある尖閣問題を端緒にする「日中紛争」ほか、多くの難題に、どうか、この“お子ちゃま集団”が関わることのないようにして欲しいということである。

彼らが、国の存亡をかけた「判断」を任せられる人たちでないことは、今回の真紀子大臣の暴走を見てもよくわかる。野田首相の任命責任が問われるような、現職閣僚による低レベルの騒動に国民はうんざりしている。

しかし、それは野田首相の危機管理のなさではなく、この政党には人材がいない、つまり単に“お子ちゃま”たちが集まった烏合の衆であるということが証明されているだけである。

まともな人材がいないから、真紀子氏のような人がまた大臣となり、そして、それが、呆れるような問題を引き起こしているだけのことなのである。

次の選挙で、歴史的惨敗を喫して政界の中心から去っていく人たちのレベルを表わす騒動として、今回の「真紀子文科相暴走事件」を冷静に見ればいいと私は思う。アメリカ大統領選挙も終わった。待たれるのは、日本の将来を決める「総選挙」である。

カテゴリ: 政治, 教育

「我慢」「辛抱」とは無縁な民主党の人々

2012.10.31

今日は、早朝から新潟の柏崎に向かい、取材を終えて夜、帰ってきた。冷んやりした柏崎から長岡へ、そしてここで新幹線に乗り換えて東京に帰ってきたら、巨人対日本ハムの日本シリーズ第4戦の熱戦がまだ続いていた。

0対0で迎えた9回から私は試合を観たが、昨日につづき夜10時を過ぎても両チーム相譲らず、手に汗を握る展開となった。

そもそも9回の表裏の攻防で、両チームとも満塁のチャンスを逃したのだから、これは試合が「長引く」パターンに完全に入り込んでしまった。

延長戦に入って、投高打低の日本の野球界を象徴するような投手戦がつづく中、私は「誰がこの試合のヒーローになるのか」ということばかり考えていた。

なぜなら、こういう試合では、意外なヒーローが生まれるのが「通り相場」だからだ。普段は目立たない選手が、こういう檜舞台で「ヒーローになる」のが、日本の野球の歴史とも言える。

そんなことを考えていたら、案の定、延長12回、日本ハムでサヨナラヒットを打ったのは、33歳のベテランでこれまで“守備の人”として知られた飯山裕志遊撃手だった。

飯山は、巨人の抑えの切り札・西村投手から左中間にライナーのサヨナラヒットを飛ばして、4時間15分に及んだ試合に決着をつけた。だが、それも前夜の試合で、日ハムのショートのベテラン金子誠選手が膝を痛めて退き、いわばその「穴を埋める」形で出てきた選手である。

さっそくその飯山が、今度はサヨナラ勝ちのヒーローになったのだから、野球はやっぱり面白いと思う。臥薪嘗胆で、一か所にとどまって長く歯を食いしばって頑張ってきたからこそ、飯山のような選手が最後にはヒーローになれたのである。

それに比べて、日本の政界はなんとも情けない。いよいよ動乱の時代に突入した日本の政界で、いま最も流行(はや)っているのは、「離党」と「裏切り」である。「我慢をする」などというのと対極にあるものが、今の民主党には蔓延している。

民主党の熊田篤嗣(大阪1区)と水野智彦(比例南関東)二人の衆院議員などは、臨時国会の初日、輿石東幹事長から300万円の選挙資金を渡された直後に離党を宣言するという“離れ業”を演じたのである。

「泥船からは逃げの一手」というのが彼らの政治哲学なのだろうが、この党には、そうした義理も人情もまるでない輩がいくらでもいるのである。

彼らの行動を見ていると、自分の“分”を守って、愚直に生きる人たちがどれほど立派かと、私は考えてしまう。TPP参加反対の急先鋒だった松野頼久・元官房副長官が、選挙で当選の可能性があるとみるや、自分とは正反対のTPP参加賛成の政党「日本維新の会」になりふり構わず入ったことなども、その典型だろう。

生き残るためには、政策の一致などまったく無関係な節操のない議員たちが、今後どうなっていくのか、私はフォローしていこうと思う。

昨日のブログで、我慢と辛抱の「日本力」を書いた私だが、少なくとも民主党の国会議員たちがそんなこととは「無縁」な存在であることだけはわかった。

今国会でも民主党の離党者は増える一方で、すでに過半数割れは「時間の問題」となっている。過半数割れすれば、そのまま内閣不信任案の可決を意味する。

動乱の時代に突入した日本の政界を左右するのが、その民主党の“離党者たち”というのだから、実に情けない話である。ここは是非、日ハム・飯山遊撃手の爪の垢(あか)でも煎じて飲んでもらいたい、と私は思う。

カテゴリ: 政治, 野球

動乱日本の「旗手」は誰になるのか

2012.10.25

本日、石原慎太郎・東京都知事が「辞職」、そして新党を結成し党首として次期衆院選の比例代表に「出馬」を表明したことで、私は日本が「乱世」に突入したことを再認識した。

自民党は安倍晋三、維新の会を率いる橋下徹、そして、今回の石原慎太郎……風雲急を告げる尖閣問題、あるいは、竹島問題など、日本国民の怒りをすくい上げようとする側の人間が続々、政界の中心に躍り出て来たのである。

背景にあるのは、日本国民の“怒り”であろうと、私は思う。そして同時に、私はどうしても、この3年間の民主党政権が「もたらしたもの」を考えてしまう。

日米同盟をここまで悪化させ、日中関係も、さらに言えば、日韓関係も相手の言いなりで、何ひとつ反論もできないような政権。日本というのは、ここまで情けない国だったのだろうか――と、多くの国民は思っているに違いない。

この動乱日本のありさまは、その国民の怒りと失望が、どうしようもないレベルにまで来たことを物語っているのではないか、と思う。

昨日のブログでも書いたように、私は、今度の総選挙ほど日本国民の見識が問われるものはないと思っている。前々回の郵政選挙では自民党に、そして前回の総選挙では民主党に、それぞれ絶対安定多数の300を超える議席を与えた国民は、今回こそ「見識」を見せることができるのだろうか。

石原氏の出馬は、80歳という年齢を考えた場合、文字通り、自身の命をかけた挑戦であることは間違いない。尖閣を都が買収する計画を野田首相に阻止され、このまま尖閣に船だまりさえつくれないなら、中国の触手がさらに露骨になり、遠からず大きな激突は避けられなくなるだろう。

そんなことを、手を拱(こまね)いて見ていられるか、というのが石原氏の本音だろう。決定的な日中激突を避けるには、尖閣問題をはじめ、「譲歩」という言葉しか知らないこれまでの政権とは全く異なる手法で、対中・対韓政策をおこなう必要がある。

国民のそんな本音を感じ取ったがゆえの行動ではないかと想像される。「安倍―石原―橋下」という思想の軸が共通する政治家たちが、来るべき総選挙をどう戦い、どれほどの勢力を獲得し、そしてどう次期政権をつくり上げていくのか。

乱世は、ひとつ間違えば、「成功」ではなく、逆に致命的な「失敗」をもたらす。壊滅必至の民主党と、その失われる議席を「安倍―石原―橋下」がどう獲得し、新秩序を創り出していくのか。動乱の時代の旗手は、果たして誰なのか。

今日の電撃的な石原都知事の「辞職」「出馬表明」は、国際社会から日本が取り残されないための最後の選択を国民に課すものかもしれない。

確かなのは、そこで問われるのは、私たち国民の「見識」であるということだ。私は毅然と歩む「日本」を来たるべきリーダーに託したいと思う。

カテゴリ: 政治

“断末魔”野田内閣の迷走で問われているのは何か

2012.10.24

野田首相が田中慶秋法相を事実上、更迭したことには、もはや国民も溜息しか出てこないだろう。政権末期の惨めさと言えばその通りだが、これは野田佳彦という人物自身が首相としての資質に「決定的に」欠けているからこそ生まれている現象である。

さらに言えば、そもそもこの民主党という政党が国政を担うべきレベルにあったのか、という根本的な問題にどうしても立ち戻ってしまう。鳩山、菅という両内閣ももちろんだが、野田内閣も、昨年スタートした時から、首相自身が「眼力」という点で資質欠如の人間であることを露呈している。

防衛大臣に「私は安全保障の素人」と言ってのける一川保夫氏を起用し、法務大臣には、かつてリンチ殺人事件の被害者の母親に対して「(殺人者にも)犯罪を犯す事情があったんですよ」と発言して猛反発を食らった平岡秀夫氏を敢えて起用した。

また、経済産業大臣には、東日本大震災の現地視察のあと、着ていた服の袖を取材記者にこすりつける格好をしながら、「ほら、放射能」とはしゃいで在任わずか「9日」で辞任することになる鉢呂吉雄氏を充てた。

また、その後も、新たな防衛大臣に国会答弁すらまともにできない田中直紀氏を起用して国会審議を混乱させ、今回の田中慶秋法相の辞任劇も、これまで横田早紀江さんら「家族会」に最も信頼が厚かった松原仁氏の「拉致問題担当」をわざわざ外した上での起用だった。

松原氏を外したのは、野田首相が成立に熱心な「人権擁護法案」に対して、松原氏が最大の障壁になっていたからである。しかし、よりによって「田中慶秋氏」を代わりに起用した段階で、ジャーナリズムの世界では、「野田さんも度胸があるもんだ」「こりゃ一発(で終わり)だな」という声が飛んでいた。

田中慶秋氏起用が、それほど脇の甘いことだったと、首相自身が気づいていないところが恐ろしい。一国の総理でありながら、いかにその手の「情報網を持っていないか」ということを物語っているからだ。

いや、そもそも人事における呆れるほどの首相の危機管理のなさは、“政権の要”ともいえる民主党幹事長に輿石東氏を起用していることからも、よくわかる。

小沢一郎氏の盟友であり、民主党分裂の主犯の一人でもある輿石氏は、過激で鳴る山教組(山梨県教職員組合)の元闘士である。長らく日本の教育現場を混乱させてきた日教組の闘士に国政を牛耳られるほど、日本という国は人材に枯渇していることになる。

国会が開会されれば、朝鮮学校への高校無償化適用について前向きな田中真紀子・文部科学大臣もたちまち“火だるま”になるだろう。日本国民の税金で反日教育をおこなう教育機関への援助をおこなうことの意味が、国会で問われていくことになるのは必至だからだ。

来たるべき総選挙で、民主党の惨敗がどの程度になるのか、私には想像もつかない。おそらくこれまで日本の政界で経験したことがないほどの”雪崩をうった”現職議員の落選劇となるだろう。

民主党は“解党的出直し”どころか、おそらく“解党”しか道はないと思う。しかし、そんな政党にわずか3年前に「308議席」という圧倒的な議席を与えたのは、われわれ有権者の側である。比例において、「民主党」と書いた有権者は、日本の選挙史上最多の「2984万人」にのぼったという事実を忘れてはならない。

領土問題をはじめ、日本を取り巻く環境がかつてないほど危機的な状況の中で、否応なくやって来る「有事」を託すことのできる政権を私たち日本人がつくることができるのかどうか。私は、それを心配している。同じ轍を踏んではならないのは、われわれ国民の側であることを肝に銘じたい。

カテゴリ: 政治

興味深かった自民党総裁選

2012.09.26

自民党総裁選は、安倍晋三氏(58)が決選投票の末、逆転で石破茂氏(55)を108票対89票で破り、5年ぶりに総裁に返り咲いた。私は、今回の総裁選を非常に興味深く見ていた。

序盤から失言を繰り返し、危機管理能力どころか政治家としての資質すら疑わせる石原信晃氏(55)が党員の「失望」を積もらせ、さらに安倍氏にとっては、自分が所属する派閥のトップである町村信孝氏(67)が体調を崩して事実上、総裁選から離脱した。

そんな中で、次第に「存在感を増していった」のが安倍氏だった。私は、つい8月初めまで安倍氏が総裁になるということを予想もしていなかった。小泉政権のあとを受けて、国民期待の中で船出した6年前の安倍政権があまりに国民に「失望」を残して去ったからだ。

あちこちに配慮して、自分の色を出すこともできず、最後は病気を理由に政権を下りた安倍氏がわずか「5年」で総裁に返り咲くことができるのだろうか。私はそう思っていた。

だが、その逆転のウルトラCが、「維新の会」だった。8月上旬に突如、橋下徹大阪市長率いる維新の会が安倍氏にラブコールを送ったことから、俄かに安倍氏がクローズアップされたのだ。

維新の会の市議団長が「戦後レジーム(体制)からの脱却を大阪から進める」と表明するなど、安倍氏のかつてのフレーズがそのまま出てきたのである。維新の会の主要スタッフは、そもそも安倍氏に近い人物が目白押しで、思想的に極めて近い。

自民党総裁をめぐる闘いが本格化する8月に、急に「安倍晋三」を持ち上げ始めた「維新の会」が、今日の安倍総裁誕生を支援するためにそれらをおこなったとしたら、相当な知恵者が「維新の会」にいたことになる。

石破茂氏が決選投票で敗れた理由の中に、私はやはり「人権擁護法案」に対する立場があったのではないか、と思う。

石破茂氏は「人権擁護法案」を支持する政治家として知られるが、最近、この立場を変更させ、「人権擁護の名を借りた不当な圧力を容認することは許されません」とした。

しかし、条件つき賛成には変わりなく、この稀代の悪法を容認していることが、どうしてもネックになった。野田内閣がこの法案を閣議決定したことにより、明確な反対論者でなければ、「危険だ」という声が少なからず私の耳にも届いてきた。

その意味で、結局、安倍氏に「次」を託した自民党党員や議員たちの選択は、奥が深かったかもしれない。

日本には、中国、韓国、北朝鮮から荒波が押し寄せている。今度ばかりは、毅然とした姿勢を安倍氏には貫いて欲しい、と心から願う。

カテゴリ: 政治

“政権末期”は恐ろしい

2012.09.23

政権末期ほど怖いものはない。民主党代表に再選された野田佳彦首相は、野党から迫られている“解散・総選挙”を実行すれば、日本の選挙史上、例を見ないほどの「歴史的惨敗」を喫して政権を下りることは確実だ。

1993年におこなわれたカナダの下院選挙で、与党・進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失い、わずか2議席しか獲得できなかったことが思い出される。

さすがに民主党も「政権党」から一挙に「ミニ政党」へと転落することはないだろうが、カナダではこの時、現職のキム・キャンベル首相まで落選しているから、野田首相だってうかうかはしておられない。

野田首相が選出されている千葉四区も野党が結束して戦えば、「現職総理の落選」の可能性も皆無とは言えないのである。

野田首相の身になってみれば、そんな選挙を一時でも延ばそうとするのは当たり前のことであり、敵である谷垣禎一氏が自民党総裁選への立候補を断念した段階で、解散・総選挙が“来年”へと遠のいたことは間違いない。

しかし、いずれにしても来年の今頃には任期満了が来るのだから、この1年以内に激動の総選挙が待っていることに違いはない。

その意味で、いま野田政権は完全に「末期」である。そして、誰もが感じているように致命的な末期症状を呈している。野田首相があれだけ足を引っ張られつづけた輿石東・幹事長を「続投」させようとしているのも、そのひとつだ。

輿石幹事長への続投要請には、ふたつの理由がある。ひとつは民主党の「分裂回避」であり、もうひとつは、「解散先送り」だ。

もともと輿石氏は小沢一郎氏の盟友であって野田首相にとって党内の敵対勢力だ。しかし、同時に解散先送り論者であり、野党の揺さぶりに対して“どこ吹く風”でこれを無視できるパワーを持つ。

すなわち、このふたつを最優先事項と考えた場合は、野田首相には輿石氏の力を借りるしか「方法はなかった」のである。

しかし、その政権末期に、どさくさにまぎれて「人権救済機関設置法案(人権救済法)」が閣議決定されたのには、私もさすがに驚いた。

しかも、内閣の中で、この法案に強硬に反対していた松原仁・国家公安委員長の外遊中に決定したというのだから、さらに仰天させられる。

「人権救済機関設置法案は、ほんの2週間前の9月7日に「人権擁護という美名のもとに真の人権が侵され、言論の自由も封じ込まれることになる」との反対が湧き起こり、閣議決定が見送られたいわくつきのものだ。

人権侵害の定義が曖昧で、人権擁護委員になるための国籍条項もなく、人権委員会は強大な権限を持ち、当事者から訴えがあれば、礼状もないまま家宅捜索や差し押さえができ、しかも、政治目的で利用されても、それをチェックできるシステムが「ない」のである。

人権救済機関設置法案は、その名称とは正反対の「人権圧迫法」、いいかえれば「現代の治安維持法」という指摘さえ法律学者の間では存在する。

疑獄取材の途中で当事者によって「人権侵害だ」と人権委員会に訴えられて取材が制限されるぐらいは序の口だろう。令状もないまま家宅捜索や資料押収が可能などという絶大な権力を持つ人権委員会が日本中で跋扈(ばっこ)しはじめたら、日本の「言論の自由」は風前の灯である。

“鬼のいぬ間”にこれを閣議決定させた野田首相――本当に政権末期というのは恐ろしい、とつくづく思う。信念なき政治家、知識と哲学の欠如した政治家が国を率いる危うさを、最近とみに感じることが多い。

いずれにせよ、日本は民主党末期政権のなりふり構わぬ暴走で、「言論統制国家への道」を歩み始めた。国会で人権救済機関設置法案が成立することだけは、なんとしても阻止しなければならない。

カテゴリ: 政治

満洲国建国80周年「9月18日」に何が起きるか

2012.09.15

9月18日が近づいている。今年の9月18日は、のちの歴史から見ても“特別の日”になるかもしれない。

そもそも中国にとって、9月18日は特別な日だ。彼(か)の国では、“九一八”と言えば、屈辱の日、反日の日である。満洲事変が勃発した1931(昭和6)年9月18日を心に銘記するために、毎年のように日本を糾弾するイベントやデモがおこなわれ、屈辱を忘れない「日」としてきた。。

満洲国は、中国では「偽国」もしくは「偽満洲国」と呼ばれる。満洲国は、この九一八事変の翌年、1932(昭和7)年に成立し、日本の敗戦と共に消滅した。地球上に13年間だけ存在した国家だ。

その屈辱を忘れず、中国は、この日を一大イベントとして扱ってきた。江沢民以後の徹底した反日教育によって、それは加速された。反日教育で育った世代は、今や30代になり、それ以降の若き中国人は、ほぼ「日本が憎い」ということが共通の価値観になってしまった。

だが、そんな中でも今年の9月18日は特別の日になりそうだ。今、尖閣諸島を日本政府が買い取ったことをめぐって中国で日本人への“襲撃”が相次いでいる。日本人というだけで殴られたり、あるいはラーメンをぶっかけられたり、さまざまな出来事が中国各地で起こっている。

いよいよ大船団を組んで尖閣に中国の漁船が監視船の「護衛付き」でやって来る日が刻々と迫っているのである。その候補日のひとつが、9月18日だ。

考えてみれば、今ほどの機会はめったにあるものではない。中国はこの10月に、第18回共産党大会を控えている。共産党の指導者9人のうち、胡錦濤総書記をはじめ7人が引退し、習近平副主席が共産党総書記の座に就くという実に10年ぶりのダイナミックな政権交代の時期だ。

胡錦濤総書記が最後に「何か」をやろうと思えば、まさに絶好の機会なのである。李明博・韓国大統領が急に竹島に上陸をしたり、天皇に対して非礼な言動をおこなったり、あるいは、日本政府からの親書を受け取りもせず、突き返すような外交上考えられない行動をとることができたのも、すべて政権を降りる直前だからだ。

さらに、「尖閣は日米安保の適用範囲内」と明言したアメリカが、今、日本のことにかまっておられるような状態ではない。中東で勃発した大使館・領事館への暴徒の襲撃・テロ事件の対応に追われ、オバマ大統領もアメリカ国民も、目は中東にしか向いていない。

一方で日本は、民主党が代表選、自民党は総裁選という“政治空白期”だ。そんな時が時だけに、自衛隊の緊迫度は、最大に高まっている。海上保安庁の巡視船だけで中国の監視船つきの大船団を阻止できるはずもなく、自衛隊に「海上警備行動」の要請がなされる可能性がある。

しかし、自衛隊が出ていけば、当然、中国も黙っていない。中国海軍が「前面に出てくる」ことになる。その時、お互いの国家の威信をかけた最前線は、いったいどうなるのだろうか。

石原信晃・自民党幹事長が「尖閣には誰も住んでいないから、中国が攻めてくることはないですよ」などとテレビで公言したのは、わずか4日前だが、事態はそんな甘いものではない。

いま日本人は「覚悟」を問われている。平和ボケした戦後の歴史そのものが問われていると言ってもいいだろう。いうまでもなく、中国への旅行やイベントを予定していた人はすべて取りやめ、また中国に進出している企業は厳戒が必要だ。

中東で起こっている相次ぐ襲撃事件こそ、わが身に起こることを覚悟して9月18日を迎えなければならない。彼の国が、野田首相が言うように「大局的観点」に立って、共に良好な関係を育てていこうとするつもりが毛頭ないことはすでに明らかになっている。

求められているのは、私たち日本国民の覚悟であり、それに対する準備であり、毅然たる姿勢にほかならない。それが示されてこそ、その先に両国がお互いを認め合う謙虚な姿勢が生まれていくことを私は信じている。

カテゴリ: 中国, 政治

溜息ばかりが出てくる“リーダー候補”たちの資質

2012.09.13

橋下徹・大阪市長が率いる「日本維新の会」が発足したり、民主党代表選、自民党総裁選もスタートするなど、次期日本のリーダーの座ををめぐって、しばらく落ち着かない日々がつづきそうだ。

橋下徹氏への過剰な期待と、そのもとに集まる議員の姿を見ると、出てくるのは溜息だけである。政治家を目指す人は「恥を知らない人」が多いのは常識だが、みんなの党の「比例」で当選したはずの参議院議員が馳せ参じたり、ついこの間まで反TPPだった議員が、TPP推進の維新の会に駆けつける姿を見ると、政治家としての「矜持(きょうじ)」とは何なのか、と問いたくなるのではないだろうか。

やんちゃ坊主で万能感に満ちた橋下徹氏の“独裁”にどこまで耐えられるのか知らないが、日本維新の会が、政党としてまともな運営がつづくと思っている政界関係者は少ない。これもまた分裂、分裂を繰り返しながら、国民の失望を積み重ねていく政党になるだろう。

ある意味では、民主党よりさらに“お子ちゃま”であるこの政党が今後の日本の将来の鍵を握ることに心配だけが募ってくる。しかし、今日は、自民党の長老たちに推されて“その気”になった自民党の石原信晃幹事長のことを書いてみたい。

私はこんな人が本当に国のリーダーになるのだろうか、本気でこんな人を推す人がいるのだろうか、と思って石原氏の擁立劇を見てきた。森喜朗、古賀誠、青木幹雄といった自民党の長老たちが「こぞって推している」そうだが、その理由はわかりやすい。

長老にとって、これほど「どうにでもなる」人物は、さすがに少ないからだ。石原氏はもともとテレビの記者で、これまで自らの信念や哲学というものを感じさせたことがない。

以前のブログにも書いたが、世間のあと押しを受けながら、国交相時代に藤井治芳・日本道路公団総裁に開き直られた時の狼狽した姿は忘れられない。

失言の多さで群を抜くのも石原氏の特徴だ。自民党史上“最も軽い幹事長”とマスコミが名づけたほど、この人には中身がない。今日も、原発事故による汚染土の処理について、「もう運ぶところは、福島原発の“第1サティアン”のところしかないと思う」と失言し、物議を醸している。

終末医療で直接胃にチューブをつないで栄養を入れる「胃ろう」のことを「(まるで)寄生したエイリアンが人間を食べて生きているみたい」と表現したそうだが、この人の発言は、頭が悪いのに、ヘンにユーモアを狙って「聞く人を不快にさせる」というパターンが多い。

私は、この人は、単に気のいい、ふつうのおじさんなのだと思う。つまり、失言かどうかの意味もわからない程度の人なのである。そんな政治家に今後の日本の命運を託さなければならないほど、自民党はリーダーというものに欠如しているのだろうか、と思う。

一昨日の報道ステーションに出演した石原氏が、古舘キャスターに「(尖閣に中国が)攻め込んでくるのでは?」と問われ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と発言したことには、さすがに目を剥いた人が多かったに違いない。

南沙・西沙諸島で、ベトナムやフィリピンが中国にどんな目に遭っているのかを石原氏はご存じないのである。少なくとも尖閣に中国の艦船がいつ来てもおかしくないという「危機感」がこの方にはないらしい。

これから多くの国難が予想されるこの時代に、国民の生命・財産、そして領土を守るということに対して、まるで勉強もせず、そして哲学や信念も持たないこの政治家を自民党が次期リーダーに選ぶのだろうか。

それにしても、石原氏を通すために長老たちによって総裁の座から引きずり降ろされ、立候補すらできなかった谷垣禎一氏は哀れだった。もし、石原氏が自民党のリーダーになったら、その時こそ、自民党は国民から完璧に愛想を尽かされるだろう、と思う。

そんなことを考えながら永田町をウォッチしていると、橋下氏に国民の期待が集まるのも「無理はない」と余計、溜息ばかりが出てくるのである。

カテゴリ: 政治

一刻も早く“下駄の雪”総理大臣の退陣を

2012.09.09

この首相には、一刻も早く“国のリーダー”の地位から去って欲しいと心から思う。昨日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が始まる直前、韓国の李明博大統領と「笑顔で握手をした」野田首相である。

先月、竹島に上陸し、天皇に対して外交上、考えられない非礼な言葉を口にし、さらには、日本政府からの抗議の文書を突き返した人物が、李明博大統領その人だ。その当人と、野田首相は笑顔で握手を交わしたのである。

驚いた。あそこまで日本を馬鹿にし、非礼な態度をとった人物と、笑顔で握手ができる人物というのは、どういう人なのだろうか。

私は、一国の総理である野田氏が日本という国家と日本国民を代表して、「日本は、あなたを許しませんよ」というメッセージを伝えるために、毅然とした態度で接するものと思っていた。だが、実際は、笑顔で自分から李明博大統領に握手を求めたのである。

政治家は、一瞬の態度や言葉で評価が決まる。特に、外交上の態度や言葉は、その一瞬一瞬が勝負であり、気迫や哲学、知識……さまざまなものが求められ、それが凝縮されて「その場」に出て来るものである。

しかし、おそらく、この人物に期待していた国民の方が愚かだったのだろう。ただ「政治家」、あるいは「首相」になることが目的の政治集団・松下政経塾で学んだ野田氏に、もともと毅然とした国家観などあるはずがなかったのだ。

そして、今日、野田氏は、昨日につづいて大恥を晒した。昨日、中国外務省の報道官に「この時点で(胡錦濤国家主席との)首脳会談が実現していないのは、日本側に責任がある」と記者会見で批判されていたにもかかわらず、今日、自分から胡氏に歩み寄って“立ち話”をおこなったのだ。

わざわざ歩み寄ったのだから、毅然とした日本の姿勢を胡氏に伝えるのかと思ったら、さにあらず。野田首相が伝えたのは、「中国の発展は、日本や、この地域にとってもチャンスだ。今年は日中国交正常化から40年にあたることもあり、戦略的互恵関係を深化させたい。現在の情勢には、大局的な観点から対応したい」というものだったそうだ。

新華社の報道によれば、これに対して胡氏は「日本側がいかなる方法で島(注=尖閣のこと)を購入しようが、それは違法であり、無効だ。中国は強く反対する」と語ったという。

えっ? それって逆だろう、と日本国民が思って当然だ。胡氏に歩み寄った野田首相は、逆に胡氏に“断乎とした姿勢”を示されたのである。

なぜ、日本のリーダーは、ここまで情けないのだろうか。何に遠慮して、ここまで舐められなければならないのだろうか。日本の主張、日本国民の思いを率直に伝えることが、それほど“怖いこと”なのだろうか。怖いとしたら、いったい何を恐れているのだろうか。

私は、ニュース映像に流れる野田氏の情けない姿を見て、一刻も早くこの人が「リーダーの地位を去って欲しい」と願った。

毅然とした姿勢を日本が示せなければ、日韓、日中の関係は、今後も悪化の一途を辿るだろう。日本が堂々と自国の主張をし、援助も含めてすべての関係を改めて再検証し、相手の出方によっては、さらに強く対抗策を打ち出していく「時代」はとっくに来ている。

たとえそれで一時的に両国関係が冷え込んだとしても、長い目で見れば、国と国の関係はその方が良好なものになるだろう。譲歩からは何も生まれないのが国際関係の常識であり、お互いが相手を尊重できる対等の立場こそ、両国の関係を発展させる基本だからだ。

どれだけバカにされ、どれだけ踏みつけられても、ついていくという姿勢は、戦略的にももう「やってはならない」のである。

「踏まれても ついてゆきます 下駄の雪」。野田総理が、李明博大統領と胡錦濤国家主席に示した態度は、この夏、露わになった日本の国難に対して、この人物がなんの解決の手段も哲学も持ち得ていないことを満天下に示したといえる。心から思う。早く来たれ、総選挙――と。

カテゴリ: 国際, 政治

羅針盤なき「政界」の暗澹たる未来

2012.09.08

どうしてここまで人材がいないのか。国民の多くがそう思っているに違いない。竹島・尖閣問題を筆頭に内外に難問が山積する中、次の「日本のリーダー」が出てこないのである。

民主党の細野豪志氏が昨日、土壇場で民主党代表選出馬を断念した。女性タレントとの路上キスを写真誌に掲載されたあの“危機管理”とは全く無縁な政治家が、ただ見栄えのよさから民主党若手議員から出馬を要請され、迷走をつづけた末の撤退劇だった。

一方の自民党も呆れる。幹事長の石原伸晃氏が、有力な「総裁候補」というのである。谷垣禎一総裁と激しい攻防を演じているそうだが、この人もまた優柔不断を絵に描いたような人物だ。

日本テレビの記者時代も頼りなさと軽さは有名だったが、親の威光もあってか、若くして政治家となり、さらには、国交相にも就任した。

しかし、その国交相時代に、道路公団問題が起こって、実に情けない姿を露呈した。世間のアト押しを受けて、藤井治芳・道路公団総裁(当時)に辞表を出させようとしたが、逆に開き直られて、立ち往生。その時、「これが大臣か」と思うような泣きそうな顔でオロオロしていた姿を思い出す。

話題と期待を集めている大阪維新の会の橋下徹・大阪市長も同様だ。今日、流れているニュースでは、維新の会は、公明党と「選挙協力」で合意したのだそうだ。

宗教政党・公明党と歩を一にするということは、4兆円の巨大税収が見込まれる宗教法人への課税をはじめ、望まれるべき多くの政策が「ストップされる」ということを意味している。

公明党を味方につけ、大阪府議会や大阪市議会を円滑に運営する方が、この人の頭の中ではより重要なのだろう。どの政党も、どの人物も、実に頼りない政治家ばかりで、これで本当に日本のリーダーになるつもりなのだろうか、と思う。

そんな中で、国会会期末に現代の治安維持法と呼ばれる「人権侵害救済法案」が動き出す危機が忍び寄っていた。野田内閣は、この法案の骨子である“「人権委員会」の設置”を閣議決定するところだったのである。

幸いに、これは最終段階で見送りになったものの、危うく「人権救済」という名の「言論弾圧法案」が動き出すところだった。いったい民主党政権下で日本の根幹はどこまで危うくされるのだろうか、と思う。

日本は危機に立っている。国民の誰もがそれを認識している。しかし、政界の人材不足は覆いようもない。毅然と立つ次代のリーダーがどこにも見当たらないのは、現代日本の最大の不幸というほかない。

カテゴリ: 政治

毅然と進む政治家を支持したい

2012.09.05

いよいよ近づく「総選挙の季節」を前に、永田町はテンヤワンヤだ。前哨戦の民主党の代表選、自民党の総裁選を目前にして、早くも完全な“混乱状態”となっている。

9月1日、2日に実施したフジテレビと産経新聞の世論調査で、次期衆院選の比例代表の投票先に橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」を選んだ人が23・8%に上り、自民党の21・7%、民主党の17・4%を上まわったことが、永田町を余計、浮き足立たせている。

しかし、「大阪維新の会」への国民の期待度の高さはどういうことだろうか。それだけ既成政党に魅力を感じない層が多いということだろうが、いささか常軌を逸している。いや、私は、正直、呆れている。

「維新の会」の目玉は、東国原英夫・前宮崎県知事や中田宏・前横浜市長なのだそうだ。これを聞いただけでも、私は今から「大丈夫なのだろうか」と心配してしまう。

郵政改革選挙と称された前々回の衆院選では小泉自民党を圧勝させ、前回の衆院選では民主党を圧勝させ、今度は、新しい「維新の会」に過剰というほかない期待が集まっているのだ。

「何か」に流されていく日本人の悪しき風潮が今回も明確に示されているような気がする。そもそも「維新の会」は、党首が橋下徹・大阪市長だそうだ。あれほど職員に「政治活動」を禁じている橋下氏が「大阪市長」でありながら、政党のトップとして極めつけの「政治活動をおこなう」ことに大阪の有権者は怒らないのだろうかと思う。

それと共に、「維新の会」に尻っ尾を振る政党や政治家があまりに多いので、これにも呆れ果てる国民は少なくないだろう。

なんといっても驚くのは、「みんなの党」だ。あれだけ地道に支持を広げてきたみんなの党が、今年1月に渡辺喜美代表が大阪維新の会に対して、「われわれとアジェンダ(政策課題)が同じだ。一緒に行動するのは当たり前だ」と述べ、次期衆院選に向けて連携を図る考えを強調した。

しかし、この党の“迷走”はそこから始まった。政界では、党の代表が特定の党と「一緒に行動するのは当たり前だ」などと言ったら、その政党は終わりだ。その時、正直私は「ああ、みんなの党も終わったな」と思った。

せっかくこつこつと国民の支持を得てきた政党だったので、みんなの党の動向には、私も注目していた。しかし、たかだか「維新の会」の一時のブームに巻き込まれて合流を示唆し、逆に“吸収”されてしまうのか、と思ったものである。

さすがに、その“愚”に気づいて、修正をはかった時は、すでに遅し。みんなの党の参院議員3人が9月上旬にも離党し、維新の会の新党に参加するのだそうだ。

結党わずか3年で、政界の“第三極”の中心として台風の目でありつづけたみんなの党が、「分裂」する状態に追い込まれたわけである。

しかし、ここが渡辺喜美代表の政治的限界だったのかもしれない。「新しい政治勢力は大歓迎。切磋琢磨して、よりよい日本をつくるために頑張っていこう」と言えばいいものを、それより一歩踏み込んで「合流」「連携」を示唆したがために、せっかく苦労の末に獲得した支持者を「失ってしまった」のである。

昨日のテレビ番組で、渡辺氏は維新の会との合流について「お互い譲れないものがある。良きライバルであり、良き友であれたらいい」と否定したものの、もはや何をかいわんや、である。すでに維新の会の勢いにみんなの党は、「呑み込まれて」しまったのである。

政治家は、咄嗟の判断で「生」と「死」が決まる。いま維新の会に靡(なび)くものは、政治家としての節操が問われる。私は、毅然と進む政治家を来たるべき総選挙では支持したいと思う。

カテゴリ: 政治

思わず吹き出した「小沢新党」の名称

2012.07.14

今週も出張つづきだった。和歌山や福島など、講演や取材でほとんど東京を留守にしていた。昨日は、やっと東京に戻り、昼に上野で講演、夜は新橋で勉強会の講師をさせてもらった。

私が東京から離れている間に、小沢一郎氏の新党が発足した。「国民の生活が第一」という名前だそうだ。それを聞いて、私は思わず吹き出してしまった。これ以上に、この政党に集まった人たちのレベルを表わす名称はないからだ。

国家には、国民の生命や財産、そして領土を守る、という最大の使命がある。防衛、外交、教育、福祉、徴税……等々、国家には多くの役割がある中で、彼らは、「生活」が唯一絶対のものであることを高らかに宣言したのである。

私は、今の日本の低迷は、日本人の国民性の変化によって起こったものだと思っている。かつて世界から“20世紀の奇跡”と驚嘆された高度経済成長を成し遂げた中心は、黙々と働きつづけた大正生まれの“戦争世代”だった。

しかし、その戦争世代が社会の第一線を退いてから、日本は“自分のためだけに生きる世代”が中心となった。「権利」や「癒(いや)し」ばかりを求める人たちだ。そして、そこから日本の長き凋落が始まったのである。

今の日本人は、なんでも自分が中心だ。安全保障をはじめ、国家の存続にかかわる問題など興味もない。あるのは、自分たちの「生活」だけである。

当然、低負担で、“高福祉”が受けられれば、それに越したことはない。たとえ高福祉であろうと、“高負担”などは、もっての外なのだ。

日本人が「辛抱」というものを忘れ、“自分のためだけに生きる世代”が中心になっていることを、小沢氏はとうにお見通しだ。その世代の「票」を狙ってのネーミングがあまりにみえみえなので、私は思わず吹き出してしまったのだ。

選良たる国会議員には、国家と国民を守るという使命がある。だが、小沢チルドレン、小沢ガールズにそんなことを期待する方が愚かだろう。

この次元の低い、自らの使命さえ知らぬ政治家たちが見事に蝟集した政党が次の選挙で「消え去ること」を祈りたい。実際、世論調査を見ても小沢新党に期待を抱く向きは少なく、行く末は極めて厳しいようだ。

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小沢離党劇の唯一の“救い”

2012.07.03

これほど国民の期待感が低いことにご本人は驚いているに違いない。増税反対、原発反対という“金看板”を掲げて離党届を提出した小沢一郎氏を見る有権者の目は、想像以上に冷ややかだった。

無理もない。政党を壊してはつくるという点において、間違いなく日本の政界に名を残すこの人物は、4回目の新党結成に突き進む道を選んだ。

いや「選んだ」というより「選ばざるを得なかった」という表現の方が正しいだろう。離党届を白紙委任していたはずの議員が、提出後に撤回を要請して小沢事務所に駆け込むなど、ドタバタの末の離党騒動は、そのことを物語っている。

いくら金看板を掲げても、この衆院38人の議員たちは、次の選挙で壊滅するだろう。民主党に残っても、ほぼ壊滅は確実だっただけに、まさに「進むも地獄、残るも地獄」という中での決断だった。

18年前、時の大蔵省の大物事務次官・斎藤次郎氏と共に、国民福祉税という名の「増税」に突き進んだ小沢氏が、今度は、財務省の大物次官、勝栄二郎氏と共に「増税」に突き進む野田総理にストップをかけようとする皮肉に、私は溜息をついた。

小沢氏を見ていていつも思うことは、この政治家には、その時々の政局で「我(が)を通す」ことはあっても、政治家として「何を成し遂げたいのか」いうことが、何も感じられないということだ。

20年以上にわたって日本の政界を混乱させつづけたこの政治家の最期が近づいていることだけが、国民にとって唯一の“救い”のような気がする。

カテゴリ: 政治

憎悪むき出しの”仁義なき戦い”へ

2012.06.26

壊す時は、さすが、である。小沢一郎氏は、26日の衆院本会議で結局、57人の議員を「反対」にまわらせた。

54人以上離党すると民主党は半数を割り、今後、内閣不信任案が可決される可能性が高くなるだけに、この「微妙な数字」まで持ってきた小沢氏の“壊し屋”としての手腕はさすが、ということだ。

これで、政界は憎悪むき出しの戦いに突入した。反対票を投じたノー天気な鳩山由紀夫元首相も大変な目に遭うだろう。今後は、除名をはじめ、さまざまな動きが出てくるに違いない。

これで造反議員たちの選挙区はいきなり大混乱となった。それぞれの民主党議員は300支部の支部長を兼ねているから、“造反”支部長は解任されて新しい支部長が登場することになる。来たるべき選挙に向けて各支部はテンヤワンヤだ。

当然、民主党は出ていく造反議員の選挙区にそれぞれ対抗馬を立ててくるから、昨日までの仲間がいきなり明日からは「敵」ということになる。まさに全国各地で仁義なき戦いの嵐となる。各選挙区で悲喜こもごものドラマが展開していくのである。

早ければ9月、遅くても10月から11月には、総選挙になる可能性が高い。ここでポイントになるのが、9月に予定されている自民党の総裁選だ。果たして、自民党の総選挙の“顔”は谷垣禎一氏のままいくのだろうか。あるいは引きずりおろされて、新しい総裁が誕生して選挙に向かうのか。まったく予断を許さない。

さらには内閣不信任案が提出された場合、どうなるかも興味深い。そして、橋下徹・大阪市長や石原慎太郎・東京都知事の動きも急になるだろう。政界は片時も目が離せない緊迫した「夏」に突入したのである。

カテゴリ: 政治

起死回生の道「宗教法人への課税」

2012.06.22

やっと小沢グループの離党が濃厚になったらしい。まことに喜ばしいと思う。先週、週刊文春誌上で暴露された小沢夫人の「支援者への手紙」の中身が致命的なものだっただけに、もはや、なりふりなど構っていられないのかもしれない。

放射能が怖くて地元岩手に8か月も帰らなかったことや、東京からでさえ逃げ出そうとした事実を暴露された小沢氏にとっては、政治家どころか、「人間」として、「男」としてのありようが問われる中での離党劇である。

もともと気に入らないことがあれば、物事をぶち壊すのが得意の“壊し屋”政治家だけに、久しぶりの本領発揮とも言える。しかし、この人の場合、その時々の都合だけでこれをおこなうのが特徴だ。

私がどうしても思い出してしまうのが、今から18年前の平成6年、突如、未明におこなわれた増税記者会見だ。当時の細川護煕首相に新税をブチ上げさせ、それまでの税率3%を「7%にする」ということを発表した「国民福祉税構想」である。

寝耳に水だった連立与党は、たちまち崩壊、社会党の連立離脱を招いて、政権自体が吹っ飛んでしまった。あたかも国士気取りで、「増税こそ日本の生き残る道」とばかりに、発表する細川首相を見つめていた小沢氏の得意気な表情が忘れられない。

あの時、小沢氏は、「昔陸軍、今斎藤」とまで呼ばれた剛腕の大蔵官僚、斎藤次郎事務次官に見事に乗せられ、増税に向かって突き進んだ。

しかし、今回はまるで逆だ。増税反対をブチ上げて、今度は党を割る方を選ぶというのである。次の選挙で、小沢グループは、いずれにしても壊滅の道しかない。出るも地獄、残るも地獄だけに、この際、民主党を出て行った方がいい、という判断なのだろう。

私は、18年前のあの未明の記者会見以来、小沢氏というのは、政治的なセンスもなければ、信念もない政治家だと思っている。要するに、政界のドン・故田中角栄に可愛がられて権力を持った“わがまま政治家”というだけなのである。

そのわがままぶりは時を経ても変わらず、平成24年の現在が来ても、まだ世間が振りまわされているところがおかしい。

私が不思議に思うのは、今の報道で50人弱が小沢氏と行動を共にする見込みだということだ。私自身は、多くてもせいぜい30人程度と思っていただけに、「本当にそんなにいるのか?」という思いが強い。おそらくこれから、相当切り崩されてくるだろう。

小沢グループは、期待を寄せていた橋下徹・大阪市長が率いる大阪維新の会にも冷たくあしらわれ、明日なき戦いに入る。前回のブログでも書いた通り、小沢グループの壊滅は必至だけに、国民もマスコミの大騒ぎにつき合うことなく、冷静に事態の推移を見ていくべきだと思う。

それと共に、小沢グループが“生き残る道”があるとすれば、ひとつだけ存在することをここで書いておきたい。いや、ほかの政党も、これを推進できれば広範な国民の支持を得られる、というものだ。

それは「宗教法人への課税」を打ち出すことである。日本には、全国に18万を超える膨大な数の宗教法人が存在する。これら宗教法人は、多くの税の優遇措置を受けている。

宗教活動による収入はまったくの非課税で、それ以外の収益活動にも、優遇措置を受けている。これらの優遇を一切廃止した場合、税収は「4兆円」を超えるという試算がある。

宗教施設として巨大な建造物を有し、各地で不動産を買いあさり、さらにはメディアに多くの広告を打ってマスコミも黙らせる力を持つのが、日本の宗教法人だ。ここに課税して、増税には反対する、というなら、良識ある国民も耳も傾けるはずだ。

「国のため」にそれぐらいの主張をしてみせるなら、小沢グループに対して拍手を送る国民も少なくないだろう。そもそも、小沢さんに「国のため」という意識があれば、の話だが……。

カテゴリ: 政治

追いつめられた小沢グループ

2012.06.20

「なに言ってるんだ」「ふざけるな!」「了承してないぞっ」。近づく台風によって風雨が強まる中、昨夜、民主党の政策調査会合同会議が開かれ、3時間半の議論の末に前原誠司・民主党政調会長が小沢グループの反発の中、一応の「一任」を取りつけた。

これで社会保障・税一体改革法案が可決される見通しとなり、小沢グループが民主党を離脱する可能性が強まった。早くも「永田町は9月9日投開票に向けて動き始めた」と解説する向きも出始めている。

早期の解散・総選挙を条件に3党合意に応じたとされる自民・公明の圧力もあり、野田首相としては実際、政界再編必至の解散・総選挙に突き進む可能性が出てきた。

私は、小沢グループの民主党離脱は大いに結構だと思っている。国民に愛想を尽かされている民主党が、次の総選挙で壊滅状態に陥るのは確実だ。特に、小沢グループがほとんど「生き残れない」のは、多くの専門家が予測するところだ。

私は、小沢グループが壊滅するのは、日本の政界のために必要なことであり、やらなければならないことだと思う。政党をつくっては壊してきたデストロイアーの小沢一郎氏は、最初は軒(のき)を借りる形で民主党に入ってきたが、完全に母屋を乗っ取った。

それは、小沢氏が最も熱心にアプローチし、それを入手して以降は、絶対に「手渡さなかったもの」に起因する。候補者の事実上の「公認権」である。

候補者を選定し、どの選挙区から誰を出すか、という“権力”に対して民主党の中で小沢氏ほど執着した人物はいない。

親分だった故田中角栄の手法を間近で学んできた小沢氏は、自分の思い通りになる議員の数こそ“権力の源泉”であることを誰よりも知り抜いていた。

議員にしてもらった人たちは、ひよこが母鳥のあとをついて歩くように自分を議員にしてくれた人に忠誠を尽くす。それが小沢チルドレンであり、小沢ガールズである。

小沢氏は彼らを「数」でしか見ていない。当然のごとく彼らの「能力」は関係ない。票を取れる人、そして自分に無条件で忠誠を誓う人が小沢氏にとって最重要なのである。

必然的に「若ければいい」「学歴があればいい」「見栄えがよければいい」という三原則が前面に出てくる。政界ではそれを“小沢グループ三原則”と呼んでいる。

民主党の議員は、国益や国民の生命・財産、あるいは領土を守る、という国会議員にとって最も必要な認識が希薄な人が多い。党全体が“小沢三原則”によって、根幹を見失った党になっているのである。

その意味で、民主党にかぎらず、政界自体が生まれ変わるために、小沢グループが党を出ていくことは歓迎すべきことだろう。「50名は出ていく」「いや30名がせいぜい」――いま小沢グループがどこまで議員をまとめられるかに政界の関心が移っている。

もし、まとめられる数が少なければ、そもそも党を飛び出すこと自体がなくなるから、永田町は息をひそめてその動向を見つめているのだ。「できれば出ていって欲しい」。与党も野党も本音はそこにある。

政界浄化のためには、まず小沢グループの消滅こそ必要かもしれない。河村たかし名古屋市長などの“シンパ”が小沢氏に余計な手を差し伸べないよう祈るばかりだ。

カテゴリ: 政治

小沢一郎氏に「政界引退」の勧め

2012.04.26

考えてみれば、これは「見事な判決」と言えるかもしれない。予想通り、無罪判決が下りた小沢一郎氏に対するものだ。資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐって、政治資金規正法違反の「虚偽記載」で強制起訴された注目の判決は、実に絶妙なものだった。

それは、無罪判決を私が「支持する」という意味ではなく、「致し方がない」ものだったという意味である。元秘書の捜査段階での供述調書の証拠採用が却下された段階で、大善文男裁判長には、小沢氏に「有罪判決」を下す根拠は失われていた。

つまり「予想された無罪判決」の中でどんな判決理由を言うのか、私は注目していた。そして、それは多くの法律家を唸らせるものだったと言える。

つまり、「虚偽記載」について、小沢氏が秘書からの「報告」を受け、「了承」していたことを認定した上での無罪判決だったことだ。

小沢氏の共謀を明確に示す証拠が法廷で出なかったことは、裁判の過程でわかっていた。しかし、それでも、判決理由は、小沢氏の政治家としての責任をはっきりと指し示すものだったのである。

共謀を認定するハードルというのは、低くない。特定の犯罪を行おうと具体的・現実的に合意したことを証拠によって「証明」するのは難しいからだ。特に小沢氏のような小沢事務所内の絶対権力者の場合はなおさらだ。

私には、この判決によって、ますます土地購入の原資となった「4億円」の“真実”に関心が深まった。その究明は絶対に必要だろう。

今回の判決で、認定されたものは大きい。早くも輿石東・民主党幹事長が「党員資格停止」の解除に動くそうだが、とんでもない。

繰り返すが、この判決は、共謀までは認定できないが、虚偽記載という犯罪行為が小沢氏に「報告」され、それを「了承」したということを認定しているものなのである。

痛み分けとも言えるこの判決で、むしろ私には小沢氏が政界を引退すべき「根拠」が明確になったと思うが、いかがだろうか。

カテゴリ: 司法, 政治

政治家は何を残すべきなのか

2012.03.18

昨日は、小渕恵三総理の13回忌の記念講演を依頼され、群馬に行ってきた。演題は、「小渕恵三は日本に何を残したのか―司法改革と光市母子殺害事件―」というものだった。

現在の裁判員制度が、小渕氏の遺産だったことを知る人は少ない。1999年 7月27日、時の総理、小渕恵三氏は内閣に司法制度改革審議会を設置した。そこで司法が抱えるさまざまな問題を論議させたのである。

その設置直後に始まったのが、「光市母子殺害事件」の裁判である。設置2週間後の8月11日に山口地裁で第一回公判がおこなわれたこの裁判は、一審、二審を経て最高裁で差し戻され、そして差し戻し控訴審、さらには第二次上告審となり、周知のように、つい先月(2月20日)、最終判決(死刑)が確定した。

この裁判と司法改革に故小渕氏が果たした役割は小さくない。山口地裁の一審判決直後に無期懲役判決に対する不服を訴え、「犯人をこの手で殺す」とまで言った本村さんに対して、「無辜の被害者の救済がこのままであっていいのか。政治家として本村さんの気持ちに応えなければならない」と小渕総理は涙を浮かべて語った。

その言葉通り、小渕氏は犯罪被害者の救済に邁進し、小渕氏が亡くなる2日前の2000年5月12日には「犯罪被害者保護法」が成立。その後の司法改革の道筋をつけて小渕氏は息を引き取った。

2001年7月には、小渕氏が設置した司法制度改革審議会が最終意見書を提出し、その中に「裁判の過程に国民が参加し、国民の健全な社会常識を裁判の内容に生かす」という文言が書き込まれた。

これが現在の裁判員制度のもとになり、さらには官僚裁判官の相場主義・前例主義により形骸化していた「刑事裁判」を改革する“根本”となったのである。講演では、小渕氏が司法改革に果たした役割と、さらには亡くなる3か月前に本村さんに激励の手紙を出していた秘話を披露させてもらった。

私は、本村さんからその時の小渕氏の手紙を預かり、講演で朗読した。時の総理である小渕氏のこの励ましが孤立無援の闘いを展開していた若き日の本村さんにとって、どれほど心の糧になったかしれない。

そんなことを話して、小渕氏13回忌の私の言葉とさせてもらった。政治家とは何を目指し、何を後世に残すべきなのか。パフォーマンスばかりで、哲学や信念が一向に感じられない現在の政権を担う人々にこそ聴いて欲しかった、と思う。

カテゴリ: 司法, 政治

不毛な国会論戦を見ながら……

2012.02.09

いま三重県の熊野にいる。『太平洋戦争 最後の証言』完結編の取材で、各地で90歳前後の戦艦大和の生還者を訪ねている。昨日は、三重県内で2人の生還者とお会いした。

昨日お会いした方は、「人は、私のことを大和の“生き残り”と言ってくれるが、実際は、私は大和の“死に損ない”なんです」と語った。昭和20年4月6日、沖縄への水上特攻で、多くの有能な人間が死んでいったので、「自分が生き残ったことが申し訳なく、自分は死に損ないなんだ、とつくづく思う」と言うのである。

詳細な証言で私の取材に応えてくれたその生還者は、歴史を正しく後世に伝えるために大変な役割を果たしてくれている。しかし、それでも、そういう思いに何かあるたびに捉われるのだそうだ。

その方の話を聞いて、一昨年取材させてもらった大和の高角砲の指揮官だった大尉が、「生き残ったこと自体が申し訳ない。部下たちが死んだのに、自分が生きていることが許されるのか、とずっと思ってきた」と語ってくれたことを思い出した。

重油にまみれて、地獄の東シナ海から九死に一生を得て生還したのは、3332名の乗組員のうち1割に満たない276人だけである。彼らは「仲間に申し訳ない」という思いで、長い長い「戦後」を暮らしてきたのだ。その方たちも、今では全国でわずか20名足らずとなってしまった。

いま国権の最高機関である国会では、“素人”防衛大臣の答弁などでレベルの低い紛糾を繰り返している。そのニュースを見ていると、事実上、更迭された防衛大臣のあとにこの程度の人物を据え、最大の案件である普天間基地問題を乗り切れると思う野田総理の政治音痴ぶりをどうしても考えてしまう。

決定的に危機管理が欠如した、この程度の国家の領袖を戴いて私たちはこの国で生きている。多くの若者が命を捧げて守ろうとした国とは「この程度のものなのだろうか」と思う。

政治に携わろうとする人間は、最低限、持っていなければならない信念や哲学というものがあるはずだ。しかし、野田総理にそんなものがないことは、繰り返される閣僚の不祥事が証明している。

こういう不毛な論戦に国会の貴重な時間が“浪費”されていることを国民はどう見ているのだろうか。それは、任命責任などというお手軽な言葉で批判すれば足りるものではない。

ニュース映像を見ながら、私は、国家の領袖になる資質も資格も「ない」人間には早く総理をお引き取りいただくのが国民のためではないか、と感じた。地獄の戦場から生還しても「自分を責めつづける」かつての日本人の本当の姿に最近出会うことが多いから、余計そう思うのかもしれないが……。

カテゴリ: 政治, 歴史

意味深な笑みを浮かべた与野党党首

2012.01.06

今日は、夕方、時事通信の内外情勢調査会の「新年互礼会」に出席した。私は、内外情勢調査会の講師として全国各地で講演をさせてもらっているので、新年のこの会は、久しぶりにお会いする方も多く、楽しみにしていた。

帝国ホテルの「富士の間」に1000人以上の出席者を集めて開かれたこのパーティーには、野田佳彦首相、そして野党の谷垣禎一・自民党総裁も登場して、スピーチをした。

野田首相は、壇上から谷垣氏に「社会保障と税の一体改革に関する与野党協議への参加をお願いしたい」と、呼びかけた。「来週、国会で正式にお願いするつもりだが、今日はその予行演習でお願いしました」と語りかけ、場内の笑いをとったのだ。

だが、続いてスピーチに立った谷垣氏は、「“素案”の段階で呼びかけるということは、“連立の組み替えをやろうぜ”といっているようなもの。もし、本気でそれをやろうというなら、もう一回、国民との契約をし直すことが必要なのではないか」と応じた。谷垣氏は野田氏に対して、“協力”どころか早期の「衆院解散・総選挙」を逆に求めたのである。

与野党の党首クラスが勢揃いするこのパーティーは、例年、首相や有力政治家がスピーチして、それがニュースになっている。今日は、ちょうど遠く離れた北海道・札幌で「新党大地・真民主」なる新政党が旗揚げしただけに、特に首相のスピーチは注目された。

「新党大地・真民主」は、鈴木宗男・元衆院議員が来たるべき政界再編を見据えて、小沢一郎氏の側近・松木謙公氏と共に石川知裕、浅野貴博両衆院議員、平山誠、横峯良郎両参院議員の参加によって、国会議員5人で発足したものだ。

代表が鈴木氏、代表代行兼幹事長には民主党を除籍になった松木謙公氏が就任したので、広範な国民の支持を得るのはとても無理だろう。だが、新党は、消費増税やTPP(環太平洋連携協定)交渉参加には反対する考えを明確に示した。

鈴木宗男氏は新党発足の記者会見で、「国会議員の特権や公務員の優遇など、無駄をなくすことがまず先決だ」と発言したそうだ。これは、政権奪取した時の民主党の主張をそのまま語ったものである。その意味で、その本来の主張から遠ざかるばかりの野田首相に対して今後、続々と叛乱の旗が揚がるのは必至だろう。

気の早いマスコミの中には、小沢新党が70人規模で発足し、野田内閣の不信任案が可決されて「衆院が解散になる」と書く夕刊紙まで出てきている。政界激震の年である「2012年」は、野田首相がユーモアまじりの気の抜けたスピーチをやっている段階ではないほど、緊迫しているのだ。

消費増税関連法案への賛否は、一挙に“新党乱立”という状態を生むかもしれない。少なくとも政界再編が動きだす可能性は高い。そんな予測や思惑をよそに、民主・自民という与野党の代表同士は、帝国ホテルの会場で、なにやらお互いが意味深な笑みを浮かべていた。

カテゴリ: 政治

“世界恐慌”の元凶になりつつある日本

2011.12.28

いよいよ年の瀬だ。東京も慌ただしさを増している。私もそんな中、連日、忘年会が続いている。日頃から徹夜が日常化しているので、忘年会といっても“その日”に終わることはほとんどない。いつも午前様になってしまう。身体に悪いと思いながら、長い間、ずっとそんな「師走」が繰り返されている。

この年末、今年1年を振り返る報道番組が毎日のように放映されている。東日本大震災に襲われた今年、そのことが番組の中心となるのは当然だろう。菅内閣のヒドさは、このブログでも書いてきたので、改めて書くまでのことはないが、それを見ながら、私は「日本は一体どこまで彼らに壊されるのだろうか」と溜息が出た。

民主党が批判政党としての能力しかないことは、以前から承知していたが、国民もこれらの番組を見ながら「ここまでひどいのか」という思いに捉われているに違いない。

先日、閣議決定された2012年度予算案の一般会計「90兆3339億円」についても、ただ溜息が出るだけである。 新規国債(いわゆる赤字国債)発行額は44兆2440億円。しかし、税収は42兆円しかなく、3年連続で「国の借金」が税収を上回る異常事態なのだそうだ。

私たちの家計で「42万円」の収入しかないのに支出が「90万円」、そして不足分を「44万円」もの借金をして生活していくとしたら、その家庭はどうなるだろうか。

5年前まで、当時の小泉首相が「30兆円以上の新たな借金(新規の国債発行)は許さない」と吼(ほ)え、この額を攻防線として激しい戦いをおこなっていたことが遠い昔のようにさえ感じる。

今では、その時の「1・5倍」もの赤字国債を発行しても恬(てん)として恥じない政権に国民は自分たちの生活を委ねているのである。

今年1年を振り返る報道番組は、さまざまなことを私たちに問いかけてくれている。イタリアの国債が暴落して大変な世界的経済不安が生じたのは、実はまったく他人事でないことを自覚しなければならない。

子どもや孫の代にツケをまわし続ける日本がついに“世界恐慌”の元凶になりつつあることをテレビに大映しの野田首相の顔を見ながら、私は考えざるを得なかった。

カテゴリ: 政治, 経済

まず“破壊者”としての手腕を

2011.12.01

今日から師走。2011年もあと「ひと月」だ。『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」の三校ゲラ、そして念校ゲラの作業に追われ、ブログを更新することもできなかった。

作家・百田尚樹さんとの対談を終え、大阪から帰ってきたのが、月曜日(28日)。それから紆余曲折を経て本日、やっとすべての作業を終えて「責了」した。

つまり、徹夜の作業もやっとこれで終わったわけである。それにしても、1冊の単行本には、いろいろなものがいっぱい詰まっているという意味で、本というのはすごいものだと思う。

編集担当者や装幀、校閲の人たち、そしてなにより取材協力者の思いが、すべて1冊の単行本には凝縮されている。特に、今回の『太平洋戦争 最後の証言』というのは、登場人物が80歳代後半から90歳代というご高齢の方々ばかりである。

しかも、玉砕の戦場から奇跡の生還を遂げ、その方々が後世に残そうとする貴重な証言をもとにしたノンフィクションなのである。亡くなっていった戦友たちの思いを代弁してくれる彼ら老兵たちの真意が少しでも読者に伝われば、と思って必死で書かせてもらった。それだけに、すべての作業を終えた今、なにか全身から力が抜けたような気がする。

さて、このところブログを更新できなかったので、大阪の知事選・市長選の感想も詳しく書くことはできなかった。清武英利・元巨人軍代表の記者会見とそれに対する渡辺恒雄氏の出方というのも興味深かったが、書く機を逸してしまった。

今日は、橋下徹氏の「大阪維新の会」の圧勝について、少しだけ感想を書かせてもらおうと思う。ちょうど投開票と、その翌日に大阪に滞在していたこともあって、選挙結果について、知人にいろいろ聞いてみた。私が聞いた人たちは、ほとんど「大阪維新の会」に投票していた。

聞いてみると、投票した理由は単純明快だった。それは、「橋下氏なら何かをやってくれそうだ」というものに尽きていた。一例を挙げてくれたのが、バス運転手の給料だ。ほとんど同じ路線で、同じ業務をしているバスの運転手が、「市営バスの運転手は、民間バスの運転手より倍も給料をもらっている」というのである。

「年収は、片や“1000万”、片や“500万”ですよ。税金で給料もろうとる公務員のバス運転手の方が、民間のバスの運転手より倍も給料もろうとるというのは異常。そんなことをいつまでもつづけてもろうたら、こっちは困るんです」。

怒りを押さえながら、その人は橋下氏に投票した理由をそう説明してくれた。別の知人は、「教育改革が一番。なんじゃかんじゃで学校の先生が権利、権利を言うのはいい加減にして欲しい。権利を言う前に、子どもたちに、まともな教育をしてくれ」というのである。

「大阪維新の会」の宣伝が効いているのか、同じようなことを言う人がほかにもいた。いずれにしても、これでわかるのは、今回の選挙の勝敗を分けたものが、「住民の“怒り”だった」ということである。

これまで通り、公務員が既得権益を貪りつづけるのか、今回の選挙を境にそれがなくなるのか。その答えを大阪市民は今回、出したのかもしれない。

“大阪都構想”なるものが選挙の争点になっているとばかり思っていたら、大阪の人に聞いてみると、実は、そういう身近な不公平感こそが“最大の争点”だったようだ。

つまり、橋下氏に対して市民は“独裁者か、改革者か”という分け方ではなく、ひたすら“破壊者”としての役割を期待しているのである。橋下氏が今後、大阪にとどまらず、全国に飛躍するには、まず“破壊者”として大きな実績を挙げられるかどうかだろう。

閉塞感の中であえぐ大阪で、甘い汁を吸いつづけた巨大な既得権益集団をぶっつぶした時、橋下氏の前には、新たな政治の可能性が出てくるに違いない。

カテゴリ: 政治, 随感

小沢裁判で国民は何を思うか

2011.10.11

連日、徹夜が続いている。12月発売の『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」の執筆のためである。600枚の原稿と、目下、格闘をつづけている。

先週も、小沢一郎氏の初公判に関して、ブログで書きたいことがいろいろあったが、徹夜続きでそれも叶わなかった。検察が不起訴にしたこの件を検察審査会が2度も「起訴が妥当」と議決したために始まったこの公判で、小沢氏は“検察批判”を繰り広げるとはお門違いもいいところだった。

まるでトンチンカンな検察批判をおこなった小沢氏は、10月6日深夜に体調不良を訴え、日本医大病院に緊急搬送されたが、その病名は「左尿管結石」だったそうだ。猜疑心が強くて気の小さい小沢氏の“弱さ”を表わす姿だった。

「自殺未遂か?」と色めき立ったマスコミは肩透かしを食ったが、その虚勢ぶりは、初公判直後の記者会見でも表われていた。

「(検察のやり方は)小沢個人を政治的社会的に抹殺するのが目的」「明白な国家権力の乱用であり、生命を奪う殺人以上の残酷な暴力」「裁判は一刻も早くやめるべきである」――小沢氏の口から次々と出てくる異常な文言に、詰めかけた記者たちも息を呑んだ。

それらは、「強制起訴」の不当性を主張するのではなく、「裁判」そのものを否定するものばかりだった。三権分立もへったくれもない。権力者が自分の思うようにいかないことへの苛立ちを駄々っ子のようにぶつけているだけのように感じたのは私だけだろうか。

記者会見では、さらに焦点となっている「4億円の出所」を聞かれて、小沢氏は、「私のお金です。詳しく聞きたければ検察に聞いてください」と言ってのけた。そして、国会の証人喚問に応じるかと質問した記者には、「君はどう考えているの?」と、逆質問し、「三権分立をどう考えているの。もっと勉強してください」と、批判した。

焦りと動揺、それに不安が内面で渦巻いていることが、見る人だれにもわかるシーンだった。健康状態を考慮して危ぶまれた14日の第2回公判は、幸いに予定通り開かれることになったようだ。

しかし、展開次第では今後、「病気」をタテに公判延期を主張してくる可能性もあるだろう。この四半世紀、駄々っ子のようなこの政治家とつき合ってきた国民も、さすがにため息だけが漏れているのではないだろうか。

カテゴリ: 司法, 政治

大きな転機を迎えた永田町

2011.09.27

今日の朝刊は、昨日の小沢一郎・民主党元代表の政治資金を巡る事件で元秘書3人に有罪判決が出た記事で埋め尽くされている。ある意味、この判決は私にとっても意外なものだった。

それは、供述調書の証拠採用をしないままの「有罪」だったことだ。裁判が始まった当初、「陸山会」の土地購入に対して政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた石川知裕衆院議員(38)ら元秘書3人の有罪判決は予想されていた。

しかし、供述調書が「検察の威圧的な取り調べや利益誘導があった」として証拠採用されなかった段階で雲行きが変わった。ひょっとしたら無罪判決が出るかもしれない、という観測が流れたのである。

刑事裁判では、供述調書の威力は絶大だ。だが、一連の検察不祥事の影響を考えて、裁判所はその供述調書を採用しないという判断をおこなった。この時点で、小沢側の弁護団は、「しめた」と思ったに違いない。

しかし、裁判所は、昨日の判決で供述調書に頼ることなく、3人の有罪を決定した。判決の中で衝撃的だったのは、「合理的説明なく4億円の存在を隠そうとした」というくだりだ。

争点となってきた水谷建設からの「1億円の裏献金」について検察側の「多額の資金の流れを隠す悪質な犯行」との主張を認め、裁判所は小沢事務所の行為を断罪したわけである。

今回の「予想を超えた」判決で、政界には衝撃が走っている。野党は、小沢氏の証人喚問を強硬に要求していくだろうが、小沢弁護団が裁判をタテにそれを認めるはずがない。実現は到底不可能だ。

だが、小沢氏の発言力が落ちていくのは確実で、野田首相にとっては一時期窮地に陥っても、長期的にはプラスに作用する。野田首相の「安定政権づくり」には、実は好都合と言える。

かつて小沢氏の師匠・田中角栄がロッキード裁判で有罪判決を受け、田中派の膨張にその後の精力をつぎ込んだ姿を思い出す。だが、小沢氏には、田中角栄のようなパワーもカリスマ性もない。昨日の判決で、政界は大きな転機を迎えた。

カテゴリ: 政治

「素人内閣」で国民の生活を守れるか

2011.09.13

最高気温21度の旭川から32度の東京へ帰ってきた。さすがに東京は残暑が厳しい。朝方は霧さえ立ち込めていた旭川とは、えらい違いである。昨日、私は、涼しい旭川で、ガダルカナル島で玉砕した一木支隊の92歳の生還者と時間を忘れて話し込んだ。それが、随分、前のような気がする。

私は、旭川と少なからず縁がある。2年前、旭川で育った伝説の名投手、ヴィクトル・スタルヒンを取り上げたNHKの「こだわり人物伝」という番組でナビゲーター役を務め、旭川市内のスタルヒンゆかりの地をいろいろ訪ねて、レポートさせてもらった。

また、昨年上梓した「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」では、この旭川の第七師団の歩兵第27聯隊の聯隊長だった根本博中将の足跡を追って、何度も旭川に来ている。吹雪の時に来た時もあれば、暑い時期に来た時もある。いつ来ても、旭川の人たちは素朴で優しい。スタルヒンや根本中将が終生、旭川を愛したのもわかるような気がする。

旭川の取材を終えて帰ってきた東京では、本日、野田佳彦首相の所信表明演説があった。怒号が飛び交う騒然とした雰囲気の中で、演説のうまい松下政経塾出身者らしく、怯(ひる)むことなく迫力と説得力を意識した熱弁だった。だが、その意欲とは裏腹に、野田政権は迷走しつづけている。

これまでのブログでも書いたように、「私は安全保障の素人」と言ってのけた一川保夫防衛相や、リンチ殺人事件の被害者の母親を前に、「(殺人者にも)犯罪を犯す事情があったんですよ」と発言した平岡秀夫法相、現地視察のあと、着ていた服の袖を取材記者にこすりつける格好をしながら、「ほら、放射能」とはしゃいで辞任した鉢路吉雄・経済産業相、そして、後任の経済産業相に就いた途端、経団連の米倉弘昌会長に「もっと経済のことを勉強して欲しい」と言われてしまった枝野幸男氏……。

発足してわずか2週間足らずなのに、野田内閣への国民の失望は深まるばかりだ。強烈な世界同時株安の恐怖が日本経済には迫っているのに、果たして、この素人内閣は「国民の生活」を守ることができるのだろうか。

いくら得意の演説を美辞麗句で飾ろうと国民の信頼を勝ち取るまでには、道険しの感が強い。気温30度を超える東京に戻ってきて、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 政治, 歴史

野田首相の“致命的な”勘違い

2011.09.10

“素人内閣”の綻(ほころ)びが次々と出ている。鉢呂吉雄・経済産業相が今夜、「私の一連の発言で国民の皆様、とりわけ福島県民の皆様に多大な不信の念を抱かせ、心からお詫びしたい」と謝罪し、辞任した。

福島視察から帰京した9月8日夜、現地を“死の町”と表現し、着ていた服の袖を取材記者にこすりつける仕草(しぐさ)をしながら、「ほら、放射能」とはしゃいだ僅か2日後の辞任劇だった。

私は、この手の失言や行動で閣僚が辞任することには、基本的に賛成ではない。揚げ足とりしか能がないマスコミが、ひたすら閣僚たちの失態ばかりを探す姿勢は不快この上ない。

しかし、私は今回の件は、野田内閣を象徴的に表す出来事として、違う意味で興味深く見ていた。なぜなら、今回の事態は、野田首相の致命的な勘違いがもたらしたものだからだ。

これまでのブログでも書いてきたように、“党内融和”を唯一絶対の目的にして内閣を発足させた野田首相は、それさえ実現すれば、「なんとかなる」と微塵も疑っていなかったフシがある。そのために、かつての自民党の5大派閥時代の悪弊そのままに民主党内の各派閥(グループ)が推薦する議員をそのまま閣僚に嵌(は)めこんでいった。

だが、その結果、自らを「素人」と称した防衛大臣や、人権の何たるかも知らず法務大臣の地位に着いた人物、さらには4日間で臨時国会を閉じる理由について「内閣が不完全な状態では十分な答弁はできない。完全なものにしてきちんと対応したい」と言ってのけて大反発を食らった国対委員長など、国を担う資質が決底的に欠如した議員たちによる失態が次々と明らかになっていった。

今回の鉢呂事件もそうだ。しかし、これこそが野田新首相の致命的な勘違いから生じていることを、野田氏自身も、あるいは国民もどのくらい気づいているだろうか。野田氏は今、「すべては、自分が本格政権をつくった時を見てくれ」と心の中で叫んでいるのだろう。

野田氏は、まず第一次野田内閣で“党内融和”をはかり、地盤が固まってきて初めて自分の思い通りの政策を実現できる内閣をつくっていこうと思っているに違いない。だが、前述のようにこれこそが野田首相の「勘違いによるもの」なのである。

いま日本は、2年3年先を「待っていられる」ような状態にはない。復興についても、経済についても、さらには中国やロシアの出方も含めて、安全保障問題についても、「今」こそが国家として最重要な時期であることは言うまでもない。

それにもかかわらず、政権をとることだけが「目的」の人物が集まった松下政経塾の一期生である野田氏は、「日本をこう持っていく」という信念もないまま、“素人”だけの内閣をつくり上げ、今、そのことへの強烈なしっぺ返しを受けている。

それは、国民と国家を舐めていた野田氏本人へのしっぺ返しにほかならない。野田氏は、自分自身の勘違いを今こそ振り返る時だろう。なぜなら、国家の領袖とは、野田氏が考えているほど軽いものではないからである。

すでに野田氏は組閣において致命的な失敗を犯した。それは国民への背信行為といってもいい。しかし、遅くはない。反省すべきは反省し、自らの姿勢を振り返っていくべきである。古来、伝えられるように“過ちは改めるに如くはなし”だからだ。

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野田“失望内閣”のスタート

2011.09.05

野田内閣が本格始動した。私にとって“失望内閣”のスタートである。どじょうが金魚になる必要はないが、国民をどじょうが棲むドロドロの泥沼に引き込むことだけは勘弁して欲しい、と野田新総理には言いたい。

今日、私はある雑誌からコメントを求められた。平岡秀夫法相をどう思うか、というものである。平岡氏は、かつて大津市の障害者リンチ殺人事件の被害者の母親とテレビで同席した時、「(殺人者にも)犯罪を犯す事情があったんですよ」「(犯人を死刑にして)死の恐怖を味あわせたいんですか?」と言ってのけた人物である。

私は、大津の障害者リンチ殺人事件を取材し、拙著『裁判官が日本を滅ぼす』の第12章で事件を詳述させてもらった。それは、平岡氏が言うように「(殺人者にも)犯罪を犯す事情があった」などというようなものではない。

事実は、障害者である少年が必死に勉強して全日制高校に合格し、そのことを妬(ねた)んだ暴走族たちが、彼を呼び出し、殴る蹴るの暴行を働いて“なぶり殺し”にしたものだ。人の成功を妬み、わざわざ呼び出してまでリンチ殺人をおこなった無惨な事件だった。

しかし、家庭裁判所では「少年には内省力があり、感受性も豊かで可塑(かそ)性や教育可能性が認められる」という処分理由によって、犯人の少年たちは中等少年院に送られ、わずか2年ほどで娑婆に舞い戻り、地元を闊歩するようになる。

その理不尽さを訴えた被害者の母親に対して、平岡氏は冒頭の発言をテレビでおこなったわけである。平岡氏は、おそらく「人権」というものの本当の意味が理解できないレベルの政治家なのだと思う。殺人者の人権とは、被害者の人権を無惨に断ちきって初めて生じる「権利」である。この権利を、断ち切られた側の被害者の権利と同等に、あるいはそれ以上に捉えているのが平岡氏だ。

「(犯人を死刑にして)死の恐怖を味あわせたいんですか?」という平岡氏には、被害者やその家族の無念や、犯罪予防の視点も、まるでない。人権の意味を取り違え、犯罪者の「利益」を過剰に擁護することこそ「人権を守ることである」と勘違いし、自分は人権を守る人間だ、と陶酔しているレベルではないだろうか。

求められたコメントでは、そのことを言わせてもらった。野田内閣の問題閣僚は、ほかにもいる。記者に対して「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と言ってのけた一川保夫防衛相もその一人だろう。国家の安全保障を担当する防衛大臣に「素人」を起用する野田氏の感覚とは、どんなものだろうか。

財務大臣という重要ポストに、実績もなく、菅政権の国対委員長として各党の国対委員長を呆れさせてきた安住淳氏を起用し、さらには厚生労働大臣に夫婦別姓を主張し、過激なジェンダーフリー論者として知られる小宮山洋子氏を起用するという有り様である。

野田新総理が、この国をどこに持っていこうとしているのかが透けて見えてくるような組閣だった。読売新聞による調査では、内閣支持率は65%で、内閣発足直後の調査(1978年の大平内閣以降)としては5番目に高かったそうだ。

この「失望内閣」のバケの皮が剥がれて来るのは、一体いつなのだろうか。国民の一人として頭が痛い。

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早くも失望が始まった「野田新総理」

2011.08.31

野田佳彦・新総理が民主党の要である「幹事長ポスト」に起用したのは、結局、輿石東・参院議員会長だった。昨日、ちょうど野田新総理の地元・千葉県船橋市で講演があった私は、「もし野田氏が幹事長ポストに輿石東氏を起用するなら、早くも国民の“失望”が始まる」と発言したばかりだった。

講演テーマは全く別のものだったが、敢えてそう言わせてもらったのには、理由がある。輿石氏は、盟友である小沢一郎氏と同様に、多くの疑惑を持つ人物だ。それも政権の中枢を担うには、致命的なものである。

輿石氏は、全国でも過激なことで知られる山梨県教職員組合(いわゆる“山教組”)の闘士である。7年前の自身の参院選で、支持母体である山教組の教員たちが選挙資金集めや選挙の電話勧誘など組織的な活動をしていたことが判明し、教員の政治活動を禁じた教育公務員特例法に違反していることを指摘された。

圧倒的な組織力を誇る山教祖が激震したこの事件は、山教祖の教員の中から、罰金や停職などの処分を受ける者が相次ぐ事態に発展していく。だが、輿石氏は3年前の山教組定期大会の席上、開き直ったように「教育の政治的中立はありえない」と発言し、教育現場に政治を持ち込むこと「よし」とすることを公に宣言した。

かつて日教組の教研集会全国大会には、北朝鮮の金日成主席から「君たちは“赤い戦士”となれ」というメッセージが届き、会場が割れんばかりの拍手に包まれたことがある。日教組とは、それほど政治活動に熱心な組合である。

教育の世界に政治が持ち込まれることに対して異を唱えない親たちは少ないだろう。かつての日教組のその基本姿勢をいまだに崩さない人物を、要のポストに座らせたことで、野田新総理の「見識」と、国民をどこに連れていこうとしているのかという「意思」に対して、疑問符がついたことは間違いない。

昨日のブログでも書いたように、国民にとっては民主党の“党内融和”など何も関係がない。自分たちで勝手にやっていればいいだけのものである。しかし、その党内融和を最優先する野田新総理は、小沢氏の盟友に幹事長ポストを与えることでこれを実現しようとした。

野田氏の政治信条にとても合致しているとは思えない輿石氏にへり下ることでしか党内融和が図れないとしたら、これはもう野田政権は最初から行き詰っているとしか思えない。党内融和を図るなら、輿石氏でなくてもほかにいくらでも候補者がいたはずだからだ。

幹事長として、テレビに出演して見解を表明することも拒絶する75歳の日教組の老闘士・輿石氏。その人物を政権の要に起用したことは、野田氏にとって、これで手に入れた“脆弱な党内融和”より遥かに大きな損失に違いない。

言うまでもなく幹事長ポストは、選挙の公認権に強い影響力を持っている。再び“小沢チルドレン”たちが大量発生するような悪夢だけは見たくないものである。

カテゴリ: 政治

国民には関係ない「党内融和」

2011.08.29

怨念の凄まじさを見る民主党代表選だった。親小沢か、反小沢か。相変わらず国民とは何の関係もない低次元の代表選を見せられた。

本日の民主党代表選で、第1回目の投票では、小鳩連合の支援で143票を集めた海江田万里氏がトップ。しかし、野田佳彦氏との決選投票ではわずか「34票」、率にして「23%」しか票を上積みすることができず、獲得票は177票にとどまった。

一方の野田氏は1回目が102票で、2回目は一挙に「113票」、率にすれば「110%」の票を上積みして獲得票を215票まで押し上げた。1回目投票の倍以上である。

雪崩を打つというのは、まさにこのことだろう。各陣営の票が、一挙に野田氏に流れ込んだ。「ここまで小沢一郎氏への反発は強いのか」と、国民も民主党内の怨念の深さを改めて見せつけられた格好になった。

かつて海江田氏は『僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由』という本を書いている。しかし、その後、鳩山グループに入った海江田氏は、親分の鳩山由紀夫氏を介して小沢氏のご機嫌を伺うようになる。それにつれて、党内で誰もが羨ましがる枢要ポストを歴任するようになった。

小鳩連合の支持によって今回、海江田氏は総理有力候補となったが、党内の反発は予想以上だったのである。海江田氏は、衆院の通商産業委員会で執拗な出処進退に対する質問に対して感極まって涙を流すなど、情緒面からも一国のリーダーにふさわしい人物とはとても思えなかった。

それに対して野田氏は、風貌通りの愚直系のキャラクターを前面に押し出した。今日、1回目の投票にあたって、あえて「初めて選挙に出た時の苦労話」を演説したのは、国家のリーダーを決める代表選では違和感があった。「いったい何を言っているんだ」と一般の人は思ったに違いない。

しかし、これは海江田氏との違いを徹底的に強調する野田氏のしたたかな戦術にほかならなかった。つまり、力のある者には迎合する海江田氏と、愚直を売り物にする自分との差を強調するための戦略である。地盤も看板もない中から這い上がってきた自分を印象づける作戦である。

“海江田総理”の誕生によって、この20年間、永田町を混迷させてきた小沢氏の専制政治の悪夢をさらに見つづけるのか、それとも、地味で愚直な“野田総理”を戴き、活路を見出すのか。選挙基盤の脆弱な民主党の各議員は、小沢氏の意のままになる人物よりも、地味で愚直な政治家の方を選んだのでことになる。

小沢氏と小沢チルドレンたちも、小沢氏に対する怨念と反発の強さをそろそろ悟るべきだろう。私自身は、野田新総理に期待する点はほとんどない。だが、少なくとも海江田氏よりは、国民にとってベターな選択だったと思う。少なくとも5人の候補者の中ではもっとも行財政改革に熱心であり、露骨な介入をしてくる小沢政治に対抗できる図太さを持っているからだ。

野田氏に逆転されて「2位」にすらなれなかった前原誠司氏には、原因がどこにあったのか、よく考えて欲しい。陣営の幹部に「仙谷由人」という人物を抱え、その影響を受けることと、偽メール事件で代表の座を追われ、さらには外国人献金問題で外相の地位も追われた前原氏の姿勢そのものに、多くの民主党議員が「?」を抱いているのは間違いない。前原氏は、愚直な政治活動によって、その議員たちの疑問符を徐々に取り除いていくしかないだろう。

あたりまえのことだが、国民には、民主党の“党内融和”など関係がない。大震災からの復興が待たれる日本に、そんなものにつきあっている余裕も時間もない。野田氏には、そのことをしっかり考えて欲しい、と思う。

カテゴリ: 政治

新総理は一刻も早い「解散総選挙」を

2011.08.27

太平洋戦争の生き残りにお会いするために関西にいる。今日は大阪、明日は奈良の吉野である。サイパンやレイテ島からの奇跡の生還者に取材をしている。仲間の死を数多く見てきた老兵たちのひと言ひと言が胸に迫る。

100人の戦士には100人分の思いと100人分の地獄の体験がある。今日、大阪でお会いした現在88歳の元戦士は、4時間以上にわたって玉砕の島・サイパンの極限の戦場のことを語り続けた。大正生まれの男たちが後世に託す言葉をひとつひとつ受け止めていきたいと思う。

さて、管直人首相が昨日、退陣会見をおこない、29日投開票の5人の候補者が揃った。これまでのブログでも書き続けているように、「国民の生命・財産を守る」という国家の領袖としての使命すら知らない市民運動家の政権がやっと「終わった」のである。

だが、5人の総理候補者を見て、誰が総理になっても果して国民は新政権を支持するのだろうか、と思う。小沢一郎元代表の支持が欲しくて仕方ない彼らは、小沢氏にすり寄り、小沢氏本人の面接によって「意のままに動くかどうか」ということを試された人物もいる。

有力候補である前原誠司・前外相もその一人だ。だが、「自分を蔑ろにしている」と小沢氏に判断され、残念ながら支持を得ることができなかった。前原グループ幹部には“唯我独尊”の仙谷由人・元官房長官がおり、たとえ前原政権が誕生しても、国民の支持という点では、前原氏も苦戦することになるだろう。

小沢頼りで立候補した海江田万里・経済産業相に至っては、かりに海江田政権が誕生すれば、「実質総理は小沢氏」という悪夢を国民は見続けることになる。民主党の「党員資格がない」人物が、陰の総理になるなど、誰が納得するだろうか。

民主党は、小泉純一郎氏の郵政選挙(2005年)で圧倒的な衆院勢力を誇った自民党が、小泉氏以後、総理を猫の目のように変えた時、「一刻も早く総選挙を」と訴え、国会でもそのことを主張し続けた。

今こそ、その時の“正論”を思い出すべきだろう。新総理の役割は、解散総選挙を一刻も早く打つことだ。そして国民の真意を知らなければならない。

民主党という政党が持つ能力や政策がここまで国民の支持を失った以上、総理の首をただすげ換えても、それは何の解決にもならない。そのことが却って日本の現在の閉塞状況を深める可能性もある。新総理の英断に期待したい。

カテゴリ: 政治, 歴史

「政権末期」というのは怖い

2011.07.29

政権末期というのは怖い。自らの政権の延命のためには、国家としての利益や将来を見据えての価値判断もなく、ただやみくもに“話題”になるものに飛びつく傾向がある。

電撃訪問によって、北朝鮮拉致問題を動かした当時の小泉首相の行動にならおうと、盛んに訪朝への道筋をつけようと動いてみるなど、とにかく今の菅政権は危なすぎる。

そんな中で、今日の産経新聞の正論欄にタイミングよく日大の百地章教授が注目すべき論文を発表していた。題して「震災のかげで“悪法”を通すのか」。

かつて自民党の野中広務氏や古賀誠氏らのほか、部落解放同盟などの要請によって、「人権侵害救済法」という、名前だけは実に耳に心地よい法案が姿を現した。

しかし、それは、「差別的言動」をなくすという美名のもとに、時の権力者にとって目の上のたんこぶともいうべき「言論」を取り締まろうとする意図を持つ法律だった。

人権救済機関は強い権限を持つ「三条委員会」とし、内閣府ではなく法務省の外局とするなど、いま熱心に成立を目指す民主党案の骨子はこれまで何度も葬られてきた人権侵害救済法とほとんど変わらない。百地教授の指摘は明快だ。

「人権侵害を“不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為”としているだけで、一体、何が人権侵害に当たるのかは定かでない。その定義が極めて曖昧な上、一度、人権委員会によって差別発言に当たると認定されてしまえば、裁判所の令状なしに自由に家宅捜索や文書等の押収が行われ、出頭命令にも従わなければならなくなる。明らかに表現の自由や令状主義を保障した憲法に違反する」と。

権力者にとって都合のいい「監視社会」を到来させる懸念を百地教授は訴えている。実は、拙著『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮文庫)の中でも、この法律が持つ問題点は、詳しく記述させてもらった。

だが現在、この法律を政権末期の土壇場に駆け込み成立させるという悪い噂が永田町には流れている。百地論文によれば、民主党案では、「中央人権委員会」に加えて全国各都道府県に「地方人権委員会」が設置され、国民の言動をくまなく監視することが可能となるそうである。

日本の言論の自由は、民主党政権によってそこまで危機に晒されている。政権末期というのは、まことに怖い、と思う。政権延命のためには、恥も外聞もなく、さらに言えば、もともと哲学も、確固たる信念も持ちえない国家の領袖の場合、国民は最後に「どこへ」連れて行かれるかわからないのである。

溜息をついている場合ではない。日本が迎えているこの大きな危機に対して、国民一人一人が監視していくしかないだろう。

いよいよ8月も間近だ。こうした駆け込み法案の成立だけは阻止しなければ、大変なことになる。そのためには、一刻も早い菅首相の退陣が望まれる。だが、民主党政権が続く限り、その懸念が払拭されないのが、なんとも苛立たしい。

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炎熱の「7月」を前に

2011.06.30

明日から7月である。6月最後の日となった東京は今日も暑かった。昨夕、宇部空港から帰京した私は、事務所のたまった仕事に忙殺された。

今回の出張では、和歌山、山口、宇部の3か所で講演をさせてもらったが、今の政治のあり様を嘆く人が多いのに驚いた。この怒りは、来たるべき総選挙で巨大なマグマとなって噴き出すに違いない。

菅さんは、やはり“脱原発選挙”をお考えのようだが、どんな手を講じようと、今の与党が大惨敗を喫することは確実だ。制度が違うので一概に比較できないが、完全小選挙区制の1993年のカナダ下院選挙では与党の進歩保守党がたったの「2議席」しか獲得できず、169議席を誇った改選前の勢力が一挙に“壊滅”した。

首相のキム・キャンベルすら落選するという敗北は、菅さんが総選挙を強行した場合の自身の姿を想像させる。日本でも国民の怒りがそこまで大きいことを菅さんは知るべきだろう。その声は地方へ行けばすぐ聞くことができるのだ。

もうひとつ今日、注目していたのは、消費電力の数字だ。私の事務所でも来客があったので、さすがに冷房をつけさせてもらったが、午前中の段階で、東京は電力消費量が90%を突破していた。 明日も90%を超えるのは確実だろう。

いよいよ7月入りで、当初の懸念通り、計画停電が現実味を帯びているのである。東京の都市熱の不快さは、世界でも有数だ。湿気の多さと、コンクリートの照り返しによる異常気温は、もはや人間の生きていける空間でないレベルにまで達してきている。

7月は甲子園の予選の月だ。3年近い努力の成果を高校球児がグランドに思いっきりぶつける季節である。どうせ流れる汗なら、この際、屋内ではなく、炎天下で声を枯らしながら球児を応援する汗を流すようおすすめする。

カテゴリ: 政治

次のポイントは「解散総選挙」

2011.06.27

昨日、単行本原稿を入稿し、和歌山にやってきた。こちらで講演を頼まれていたからである。明日は山口で講演があり、そちらに向かう。

夜、ホテルでテレビのスイッチを入れたら、菅直人首相の記者会見が映っていた。自民党に手を突っ込み、浜田和幸参院議員に離党届を提出させ、「総務政務官に就かせる」という仰天の手を使った末の会見である。

5年前に女性キャスターとの不倫が写真週刊誌に報じられて役職を辞任した細野豪志・首相補佐官が新設の「原発事故収束・再発防止担当相」に就任するなど、菅首相は、世間の退陣要求に敢然と立ち向かうつもりのようだ。

会見では、退陣の時期について「第2次補正予算の成立」「再生可能エネルギー法案の成立」「特例公債法案の成立」がメドになると言ってのけたが、いやはや、さすがにここまで開き直ると、野党どころか当の民主党執行部さえ言葉を失っている。

すでに報道でも出始めているが、菅首相は延長国会の会期末に「解散総選挙」を狙っているフシがある。原発廃止を争点に「最後の勝負をかける」というわけである。

国民は唖然とばかりはしていられない。このヒトの地位への執着の度合いはもはや尋常なレベルではないからだ。ことここに至っても、誰もその首に鈴をつけられないのである。これで、参院で野党が首相の問責決議案を出してくるのは確実だし、それが議決されて以降は、国会が空転状態に入っていくだろう。

空転が続けば、その段階で菅首相は「解散総選挙」に踏み切る可能性がある。要は、復興への道筋がつかないまま、さらに言えば、誰からもソッポを向かれているのに、首相のワガママに国民は延々とつき合わされるのである。

人間はなぜそこまで地位に執着できるのか。恥というものを知らない人間が、最後はどうなるのか。国民は、「人間研究」の上で極めて興味深い材料を得ている。いや、そうでも思わなければ、とてもテレビに映るこのヒトの顔を見てはいられないのではないだろうか。

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新聞まで指摘する「宰相不幸社会」

2011.06.24

ここまで来ると見事なものである。早期の退陣は必至と見られていた菅首相が衆院本会議で70日間の会期延長を実現し、8月一杯までの「続投」を自らつくり上げた。

さすがに読売新聞も「“最小不幸社会”を目指したはずなのに、“宰相”による不幸社会に陥ってしまっている」と呆れ、「求心力を失った首相が居座る限り、官僚機構は動こうとせず、与党でさえまとまらない」と公然と政権批判を社説に掲げている。

他人を見て嗤うのはたやすいが、「人間の出処進退」とは、それほど難しいものである。私自身も四半世紀にわたってサラリーマン生活をした経験があるため、地位に執着する“菅直人型”人間を数多く見て来た。実力がない人間に限ってその傾向が強いのは間違いない。

しかし、ことは一民間企業の中の話ではなく、国家の領袖をめぐるものである。震災に対してなんの手立てもなく、ただ会議だけを立ち上げてきた菅首相は、次の総理が自分のやったことを反故にするのを「異常に恐れている」のである。

震災復興会議などは、菅首相がその地位を下りた途端に、誰も見向きもしなくなるだろう。さらに言えば、震災の地を復興させることさえ他人まかせにしてしまう御仁が、会期を70日延長して、何かができるとは国民の誰も思ってはいない。ただ停滞の期間がつづくことに被災者たちも怒りを通り越してあきらめ顔なのである。

さて、当方も締切に追われ、ブログさえ更新できない状態がつづいているが、どうやら脱稿の目処が立った。8月刊行の単行本600枚である。菅首相の粘り強さを「参考に」、私もなんとか粘り腰を発揮した。

そんな中で、真珠湾攻撃やミッドウエー海戦などに参加した元兵士に会うために、一昨日は急遽、新幹線に飛び乗って長野まで行ってきた。昨日も、今日も、そしておそらく明日も、徹夜になるだろう。憑かれたように、ひたすら私はパソコンに向かっている。

見えて来た「仕上げ」のために、あとはラストスパートをかけるのみである。菅首相も8月一杯まで続投するつもりなら、見事なラストスパートかけてみたらいかがか。誰も期待はしていないが。

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不快な民主党幹部たちの言動

2011.06.18

ひたすら徹夜で原稿を書き続けている。8月刊行予定の太平洋戦争関連の本である。大正100年にあたる今年、戦争で200万人以上が命を落とした大正生まれの若者の無念と潔さ、そして使命感を後世に伝えるための作品だ。

なんとしてもいい作品に仕上げたいと思う。昨今のさまざまなニュースについて、ブログで書きたいと思うが、さすがに徹夜つづきでそれも叶わない。しかし、今の民主党首脳部の動きには、国民も呆れてモノが言えないのではないか、と思う。

本日、民主党の岡田克也幹事長ら執行部は、菅直人首相に早期退陣を迫り、その辞任時期を明らかにするよう求めることに決めたそうだ。さらに、首相が拒んだ場合、岡田氏は「刺し違えて」、自らの辞任と引き換えに首相を説得するのだそうだ。

はあ? と溜息が漏らす国民は少なくあるまい。あの内閣不信任案否決の後、早期退陣を否定し、永田町に不信と失望を湧きたたせた当事者である岡田氏が、今度は「刺し違えてでも首相を辞任させる」というのだから、これはもう呆れない方がおかしい。

それだけではない。民主党の玄葉光一郎政調会長が自民党の石破茂政調会長に「3党合意を成立させて、それでも首相が辞めないと言ったら私が辞表を出す」と言ったのだそうだ。菅首相退陣の流れが不可避であることを嗅ぎとった政治家たちが「勝ち馬」に乗ろうと、自分たちのボスを「見限った」のである。

岡田氏に至っては、「これから暇になるから、よろしくお願いします」と自民党幹部に軽口さえ叩いているという。いつもながら、彼ら底の浅い政治家たちの行動や言論は本当に不快というほかない。

大震災でも発揮された使命と責任感に忠実な日本人と、この民主党の幹部たちの行動はあまりに次元が違い過ぎる。現在の日本を築き上げる礎となって死んでいった若者の姿を書きとめる作業に没頭しているだけに、私は今、それを余計、感じてしまうのかもしれない。

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寂しさと虚しさがこみ上げてくる「政争」

2011.06.05

世紀の居座り劇を企んだ菅首相も、さすがに与党内部から澎湃(ほうはい)と湧き起こった「退陣論」に抗しきれず、夏までの退陣を決意したらしい。

優柔不断な御仁だけに、実際に退陣するまでどうなるかわからないが、震災復興の最大の障壁だった「菅首相の存在」が遠からず消えることは間違いなさそうだ。これで株式市場の復興への懸念も取り払われるので、国際社会の日本への投資が再開することを待ちたい。

しかし、民主党という政党、いや政治家という存在そのもが持つ特徴とも言えるだろうが、本日、菅首相続投の急先鋒・岡田克也幹事長が、NHKの討論番組で「多くの人の思いとかけ離れれば、お辞めくださいと言うつもりだ」と述べたのには驚いた。

ここへ来て岡田氏は、菅首相が退陣引き延ばしを図った場合は、「退陣を進言する」考えを明らかにしたのである。自ら退陣引き延ばしを図った張本人でありながら、情勢を見て一転、態度を豹変させるあたりは、さすがのクセモノである。

それにしても、きょろきょろと情勢ばかりを見て、“勝ち馬”に乗ろうとするばかりの政治家の姿は浅ましい。

私は、4月末に『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)を出版した。アメリカで生まれ育ち、日本国籍を選択する必要もなかったのに、「日本は戦争に負ける。でも、俺は日本の後輩のために死ぬんだ」と言い残して、敢えて日本国籍を選び、戦場に向かった若者の物語である。

彼は、物量で明らかに劣る日本の負けを確信しながら、それでも日本国籍を選んで出征していった。そして零戦に乗って祖国アメリカの艦船に特攻したのである。勝ち馬に乗ろうと目先の利益ばかり考える昨今の日本人とは全く異なる選択をしたのが、松藤少尉だ。

そこには、信念と潔さがあった。それこそが日本人の特徴であり、美徳だったはずである。運命に抗うことなく、日本の後輩のために淡々と死んでいった松藤少尉の生涯を追ったノンフィクションを上梓した直後だけに、永田町の呆れ果てた政治家の姿を見ていると、寂しさと虚しさがこみ上げてくる。

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菅と瓦礫は取り除けない「日本」の不幸

2011.06.03

「これで震災復興はダメになった」。そんな声があちこちから聞こえてくる。間もなく震災発生3か月を迎えるというのに、強力なリーダーシップを何ひとつ示すことなく、ただ権力の妄執に捉われた男――国民の前に明らかになった菅直人の正体は、間違いなく歴史に汚名を残すものだった。

3か月かかって何もできなかった御仁に「期待できるもの」が今後あるはずもなく、日本の復興を願って資本市場への投資を再開しようとしていた外国投資家をはじめ、株式市場からの経済復興を願っていた日本国内の投資家の面々も失望一色に染まっている。

景気の「気」は、人々の気持ちを表している。失望の中からは、決して景気は浮上しない。復興への最大の障壁だった菅首相がリーダーの地位に居座った以上、日本国民はひたすらこれからも忍従の日々を強いられるのである。

一夜が過ぎて、延命に最大の役割を果たした鳩山由紀夫前首相は、菅氏が早期退陣を否定していることについて、「約束したことは守るのはあたり前だ。それができなかったらペテン師。直前には辞めると言い、(不信任案が)否決されたら辞めない、と言う。こんなペテン師まがいのことを首相がやってはいけない」と語った。

さらには、「(こんなことなら)不信任案に賛成すべきだった」とまで語っているという。子供の使いではあるまいし、辞任の時期も明確な意思表示も曖昧なまま菅政権を助けた鳩山氏に同情する向きはいまい。首相在任中、さまざまな失態を犯し、アメリカで“ルーピー”(知能が低い、気が狂っている、という意味)とまで称された政治家の面目躍如と言える。

この鳩山氏の土壇場の行動で、不信任案が否決され、日本が国家としての再出発のチャンスを失ったことは間違いない。被災地からも「そこまで権力にしがみつきたければ、これからも会議だけやってろ!」と怒りの声が上がるのも無理はない。

国民の生命財産を守るという国家の領袖の使命と責任を知らない愚かな首相と、それを信任した素人政治家集団に、日本はどこまで潰されていくのだろうか。

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内閣不信任案否決劇でわかったこと

2011.06.02

永田町で繰り広げられた今日1日の政治劇を、国民はどう見ただろうか。朝の段階では、「内閣不信任案は可決される」という見方が有力になっていた。しかし、最後まで「勝ち馬に乗ろう」と、ころころと立場が変わる民主党の代議士たちは、昼の民主党代議士会で態度を豹変させた。

菅首相が東日本大震災への対応に一定のメドがついた段階で「若い人に引き継ぐ」意向を示唆した途端、50名~70名という造反予定議員たちは「一挙に崩れた」のである。

陰では、小沢一郎氏からの“撤退命令”が出ていたそうで、結局、残ったのは、すでに離党表明をしている横粂勝仁氏を除けば、菅政権批判の急先鋒・松木謙公氏だけだった。

人に言われるがままの小沢チルドレンたちには当然の行動と言えたが、それにしても、その後の茶番劇には、さすがに国民も呆れ果てたに違いない。直前に党分裂を回避した菅―鳩山会談。復興へ一定のメドがついた段階で「辞任する」はずが、夜の会見で菅首相は「原子炉の冷温停止まで」と、辞任の時期を来年1月に大幅に先延ばししたのである。

一度辞任を表明した総理が「求心力を失う」のは政治の世界の常識だ。今後、野党は参院で菅首相の問責決議案を通すなど、さまざまな方策で国民の信任を得ていない政権への揺さぶりを強めていくだろう。

震災発生72時間以内に瓦礫の中から国民を救い出せず、震災後2か月が経っても、まだ仮設住宅すら提供できない政権が、復興構想会議をはじめ役に立たない会議ばかりを今もおこなっている。それでも、菅首相はこれからも政権に「しがみつく」のだそうだ。

しかし、国民が今回の内閣不信任案提出を冷やかな目で見ていた理由は、その主役となった自民党と公明党の“底の浅さ”を知っているからである。あの辟易した自公政権に戻って欲しくない、という気持ちが国民の頭の中にはある。そこに今回の不信任案が大きなうねりとなり得なかった最大の理由がある。

私が情けないと思うのは、みんなの党の渡辺喜美代表だ。与党・民主党と野党の自民党&公明党に、どちらも「勘弁して欲しい」と思う多くの国民は、新たな“第三極”の出現を今や遅しと待ちかねている。

それを糾合できる可能性があるのが、官僚や財界とのしがらみを持たないみんなの党である。今回、民主党の議員たちは、“第三極”の受け皿さえできれば、雪崩をうってそこに走った可能性がある。多くの民主党議員が「民主党では次の選挙は絶対に勝てない」と認識しているからだ。

だが、みんなの党の渡辺喜美代表は、その“第三極”を構築する役割を、まったくと言っていいほど果たせなかった。政治センスの欠如と日頃の人脈構築の不足が、この大事な場面で露呈したのである。

震災直後から識者たちが叫んでいた「菅と瓦礫を早く取り除け」という望みはついに実現しなかった。その責任の一端を“第三極”の核となるべき渡辺喜美代表には感じて欲しいものである。

カテゴリ: 政治

内閣不信任案は“現実”となるのか

2011.04.21

いよいよ大震災から6週間が経過する。菅政権の「何も進まない」震災対策は、今日の日経新聞でもすっぱ抜かれていた。それによれば、「復興基本法案」は月内提出を断念し、GW明けに先送りする方針を政府・民主党が決めたというのである。

政府・民主党と言っても、国民が呆れている通り、素人集団の政党であり、「何もできない」ことは、あらかじめ予想されていた。だが、そのお粗末さは、多くの国民の予想を遥かに超えたものだったと言える。

瓦礫の下から国民の命を救い出せなかったばかりか、津波で沖に流された人も救えず、さらには、震災1か月を経て、初めて仮設住宅の建設に向かって「国が動き出した」ことからも、それはわかる。

不自由な避難所生活を余儀なくされた被災者たちの惨状を思えば、震災から1か月も経てば、普通は仮設住宅がほとんど出来上がっていなければおかしい。実質、今も世界第2位の経済大国である日本が、仮設住宅を1か月経って「計画を始める」というのは、滑稽譚以外のなにものでもない。

自治体からは、「国がまったく機能していない。誰にどんな要求を持っていけばいいのかさえ不明だ。今の政府は単なる烏合の衆」という嘆きが聞こえて来る。

地方の怒りは、やっと菅首相が福島第一原発周辺の住民らの避難所を訪れたこの日、住民の間から湧き起こった声に集約されている。福島県田村市内の体育館を訪れた菅首相に対して、避難民たちは「早くうちへ帰らせてくれ!」「(首相はここから)もう帰るんですか!」という怒号を浴びせたのである。

それは、「今頃来てなんだ」という被災者たちの怒りの深さを象徴するシーンだった。「全力を尽くします」としか言えないこの国家の領袖は、前述のように「復興基本法案」すらいまだに国会に提出できないのである。

いま内閣不信任案の衆院提出が政局の鍵を握っていることは周知の通りだ。不信任案が可決されるには、過半数(239議席)が必要だが、民主党会派(306議席)からは、80人ほどの“造反”が必要になる。

80議席という数字は、「とても無理」と思う向きは少なくないだろう。しかし、何が起こるのか「一寸先は闇」というのが政界の常識だ。不信任案可決で“解散総選挙”となった場合、造反した議員たちも再び赤絨毯を踏むことができないことも彼らはわかっている。

その彼らの受け皿をどうするのか、そこが提示された時に、内閣不信任案は一挙に現実のものとして動き出すのである。内閣不信任案提出は、そのまま政界再編を意味する。どこがイニシアティブを握るのか、予断は許さない。

政府の体たらくを横目に、永田町は思惑と打算が入り乱れた政界再編策が今日もあちこちの会合で話し合われている。

カテゴリ: 政治

“復興需要”ではなく“負のスパイラル”へ

2011.04.16

日本が果てしない“負のスパイラル”へ向かっていることが、ほぼ確実になってきた。大震災からの復興に対する莫大な費用を、逆に企業の活性化や雇用の増進へとつなぐことが、危機をチャンスに変える日本経済の大きな鍵だった。

もともと日本は、国の借金が累計で1000兆円を超え、国民一人あたりの借金が700万円近くに達する国である。税収の4分の1がその借金の利息で消える国だ。これを経済復興、すなわちマイナスではなくプラスの方にどう向かわせるかが重要なポイントだったのである。

しかし、国民の生命を瓦礫の下から救いだせなかった菅政権に、そもそもそんな高尚なことを期待しても、無理だったのだろう。今や復興経済への夢は閉ざされたという観が強い。

その原因として、菅政権のみならず、さまざまな政治家や政党から、経済縮小への道が指し示されていることが挙げられる。一例を挙げれば、いま話題となっている自動販売機の撤去論議である。石原都知事や民主党都連などから、消費電力を少しでも減らすために、「自動販売機などやめちまえ」の声が上がっているのだ。

石原都知事の言を借りれば、「こんなに自動販売機がある都市は世界にどこにもない」ということになる。たしかに、それはそうだろうと思う。東京以上に夜、女性が安全、かつ自由に歩ける街は、世界中どこを探してもない。

たとえ夜中であろうと通りには自動販売機の灯りがあり、飲み物がある。無駄な電気消費と言われようが、これは東京(日本の各都市という意味でもいい)でしか「できないもの」なのである。

言うまでもなく、この自動販売機で生計を成り立てている人は少なくない。自販機業界や飲料業界、あるいは場所を貸すことによって収入を得ている一般国民らがそうだ。彼らの生計は、世界一安全な都市「東京」という特性の上に成り立っているのである。

その意味で「こんなに自動販売機がある都市は世界にどこにもない」という石原発言はまったく“正しい”し、それは言い換えれば「東京ほど自動販売機が安心して置ける街は、世界中にほかにない」ということでもあるだろう。

自販機が成り立つ大きな理由のひとつに日本人のモラルと秩序を重んじる国民性も考えられる。たとえば自販機でも置こうものならすぐにバールでこじ開けられ、カネを盗られてしまう都市は多く、そもそも外国では自販機そのものが「成り立たない」のである。

私が1982年に初めて中国へ行った時、北京の街角に置かれている公衆電話がすべて壊されているのを見て驚いたことがある。向こうではカネの入ったものは、こじ開けられて中のカネを盗まれる方が“常識”なのだ。

モラルを重んじる日本人の中でしか通用しない業界、それが自販機業界だろうと思う。しかし、その自販機までこの大震災の電力不足のあおりで“撤去”される崖っ淵に立たされたのである。自販機がターゲットになれば、次は、街の広告塔や看板が電気を灯すこともいけなくなり、それは果てしなく“負のスパイラル”に進んでいくことになる。そんなことで日本経済は復興できるのだろうか、と正直、思う。

ほかにも最近、おかしいと感じるものがある。「買いだめはやめよう」という広告やわけ知り顔の評論家たちのご意見である。私はこれにも首を傾げている一人だ。

「買いだめはやめよう」というのは簡単だが、今回の大震災を目の当たりにして、よくそんな綺麗事が言えるものだと、正直思ってしまうのである。

今回、これまでのブログでも書き続けた通り、国は国民の命を救えなかった。72時間以内に瓦礫の下から国民の命を救い出せなかったばかりか、津波で沖に流されていった人々の命も救うことができなかった。それどころか、やっとの思いで避難所に身を寄せた被災者たちに、何週間も、水も医薬品も食糧も供給することができなかった。

つまり国は、「国民のために何もできなかった」のである。最初の3日間(72時間)を自分たちの力で生き抜けばなんとかなる、というサバイバルの鉄則は見事に裏切られ、国はそれを過ぎても決して「国民を救えない」ことが証明されたのである。

国がそんなお粗末な実態を満天下に晒しておきながら、「買いだめはやめよう」などと言っていること自体を滑稽に思うのは私だけだろうか。「買いだめはやめよう」というのは、「買いだめをしなくても大丈夫。国民の命は国が守ります」という前提があってこそ、初めて成り立つものだからである。

本末転倒のスローガンが罷り通り、“なんでも自粛”の負のスパイラルはだんだんと勢いを増している。復興需要へ向かうどころか、底なしの泥沼に日本は陥ってきたのである。この負のスパイラルで真っ先に影響を受けるのは、雇用だ。そして新卒者の就職率も目に見えて下落していくことになるだろう。

日本は復興需要をチャンスにするどころか、縮小経済に向かって凄まじい勢いで落ち込んでいるのである。世界に冠たる経済大国が、福島原発の事故を5週間が経過しても「抑え込むこともできない」というお粗末な事実と共に、ただただ唖然とする事態が目の前で進行している。

カテゴリ: 政治, 経済

「菅では選挙は戦えない」という悲鳴

2011.04.10

震災から1か月。本日おこなわれた第17回統一地方選前半戦の投票結果が次々と明らかになっている。民主党の惨敗――予想されたこととはいえ、菅政権の前に、その厳しい現実が立ちはだかってきた。

この1か月、国家の領袖としての役割をなにひとつ果たせず、天災に端を発した“人災”の元凶となりつづけた菅首相への非難は、そのまま今日の投票結果につながった。

ここ数日、この1か月間の官邸の動きを新聞各紙が分析していた。なかでも本日付の産経新聞はもっとも詳細な検証記事を掲げていた。官邸の中で、ただ、うろたえ、怒鳴り散らし、やがて誰も首相執務室に訪ねて来なくなるサマが細かく描写されていた。

当ブログでも指摘しつづけた通り、大震災の時にやらなければならないことは決まっている。国民の生命を守るために「72時間以内」にやらなければならないこと、それらを菅内閣はなにひとつできなかった。

非常事態宣言もないまま、食糧・水・医薬品の確保、寸断されたライフラインの一刻も早い回復、空輸を軸にする被災者への物資供給……等々、なにも実現しないまま「時間だけ」が費やされていったのだ。

今日の選挙で、民・自対決の3知事選で民主党はすべて敗れた。微かに残っていた菅首相の求心力は完全に消え失せた。明日以降、菅降ろしに、拍車がかかっていくだろう。あとは、「誰が首相の首に鈴をつけるか」だが、それさえ、民主党には“人材”がいない。

「菅では選挙は戦えない」という悲鳴が全国の民主党組織から湧き起こっている。統一地方選の「後半戦」でも、すでに民主党の惨敗は見えている。さまざまな菅降ろしの画策は永田町でおこなわれているが、どんな形でそれが実現するか、予断を許さない。

カテゴリ: 政治

隠しても隠しても“本音”は出る

2011.03.10

末期の政権とは、まことに哀れなものだ。国民の支持を失って以降の民主党政権に「これでもか」というほど不祥事が続出している。

しかし、その不祥事を、いちいちあげつらっても、もはや虚しいだけだ。極めつきは、菅首相の側近・土肥隆一氏が竹島の領有権主張をやめるよう日本政府に求める「日韓キリスト教議員連盟」の共同宣言に署名したことである。

ご本人は今日の記者会見で、衆院の政倫審会長と党の常任幹事会議長の辞任を表明したが、呆れたのは会見で本人が言ってのけた「国家を背負う意識はあまりなかった。(領有権への言及に)おやっと思ったが“待ってくれ”と言うのはやめた。不注意だった」という釈明である。

竹島を不法占拠した上に、島に建物まで建てて領有を既成事実化してきた韓国の共同宣言に署名した土肥氏が、会見では一転、「竹島は日本固有の領土に(韓国が)黙って入ってきた。不法占拠だ」と言い出したのである。

もはや政治家というより“大人”のレベルではない、単なるお子ちゃまと言った方がいいかもしれない。もともと菅首相自体が市民運動家であり、仙谷由人氏ら韓国贔屓の“反日日本人”たちが集まってつくった政権である。

隠しても隠しても“本音”が出て来るのは当然で、政権末期ともなれば本来の主張が堰を切ったように溢れ出てくるのである。日本がこれ以上崩壊し尽くさない内に早くまともな政権に交代しないものか、と多くの国民が願うのも当然だろう。

それでも自公政権復活への国民の嫌悪感は根強く、いつまで経っても谷垣禎一自民党総裁への期待度は上がらない。むしろ、みんなの党の渡辺喜美代表への期待度が高まって来ているのも頷ける。

今日は、そのほかにも長良川連続リンチ殺人事件の3少年に対する最高裁の判決があった。人間としての憐憫の情がまるでない無惨で残酷なあの事件から17年もの日々が過ぎたのかと思うと私も感慨深い。

この事件は、私自身も取材にあたった経験があるが、死刑以外の選択肢はなかなか見つからないほど冷酷な犯罪だった。

たとえ少年であっても、その罪の重さを軽減させることはできない。人権という名のもとに“加害者の利益”だけが優遇された長い長い偽善社会が終わったことを象徴する判決だったとも言えるのではないか。

多くの犠牲を払ってきたが、次の被害者を出さないために社会が一致して少年犯罪に立ち向かう姿勢を示した判決だったなら、私は今日の最高裁の判断を大いに評価したい。

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刻々と迫る決断の「時」

2011.03.07

春どころか、今日の東京は「雪」である。寒風吹きすさぶ新宿の街をコートの襟を立てたサラリーマンたちが足早に通り過ぎて行く。どうやら昨年に引き続いて今年も“異常気象”が予想される風情である。

今日の未明に原稿を入稿して、昼近くに目を覚ましたら、外は銀世界だった。午後の冷たい雨で、うっすら積もっていた雪はなんとか消えたが、寒さは午後が来てもまったく変わらなかった。

それにしても、この寒さが誰よりも身に沁みているのは、菅直人首相に違いない。今日の新聞の一面には、「前原外相、辞任」という大見出しと、内閣支持率が政権発足後、最低になったことが同時に報じられていた。

誰が見ても、民心を失ったこの政権が立ちいかないことは明らかだ。それでも、菅首相はまだその座に固執し、醜態を晒そうとしている。

前原外相が、在日の支援者から年5万、計20万円政治献金されていたことがわかったから「辞任」というのも何ともヘンな話だ。

支援者に対して「あなたは日本人か?」といちいち聞くのも失礼だし、少なくとも、例えばココム違反の可能性がある在日外国企業から「それと知りながら政治献金を受け取ったもの」とはわけが違う。

だが、この素早い辞任判断は、前原氏が「次」を見越しておこなったことは確かだろう。一刻も早く責任をとり、禊を受ける形にして、泥船からいち早く“脱出”したわけである。

前原氏が民主党代表を辞任することになった5年前のニセ・メール事件の時の対処の仕方に比べれば、決断は「格段に早かった」と言える。

もはや閣僚も逃げはじめた菅政権に「明日がない」ことは言うまでもない。では、果たしていったい誰がこの暗愚の首相の首に鈴をつけるのだろうか。

予算関連法案がいっさい国会を通らないという異常事態が間近に迫っている今、国民の信頼を失った政権はすぐにでも退陣すべきだろう。

私は以前から菅首相に引導を渡すのは、伸子夫人しかいないと思っている。どうやら、「その時」が刻々と迫っていることは間違いなさそうだ。

カテゴリ: 政治

都知事の資格なし「松沢成文」

2011.03.05

松沢成文神奈川県知事が「神奈川県」を放り出して都知事選に出るというニュースを聞いて、多くの都民は、いや神奈川県民も、呆れ果てているに違いない。

自ら公約して神奈川の発展のために力を尽くすと言ってのけた人間が、今度は3期目の挑戦をやめて、「東京都知事になりたい」のだそうだ。

よほど2期の知事在任中に「神奈川県」は満足できる発展を遂げたのだろう。しかし、私はそれほどの発展を神奈川県が遂げたという話を寡聞にして知らない。

松沢知事といえば、県下全域の学校・病院・商店・官公庁施設などで「全面禁煙にした」ことぐらいしか、私は“功績(?)”を知らない。パフォーマンスには熱心だが、中身を伴わない知事という認識しかない人がほとんどだろう。

今日の報道によれば、松沢知事サイドは自らの後継に、柔道の山下泰裕氏(東海大学体育学部長)に出馬を打診したという。もし事実とすれば、ますます呆れ果てるというほかない。

山下氏が史上最強の柔道家であり、人格的にも極めて優れた人物であることに異論を持つ向きは少ないだろう。私も取材で山下氏に大変お世話になったことがある。ざっくばらんで、感性に富んだ中身の濃い話をしてもらって、随分、感心した覚えがある。

だが、山下氏はあくまで柔道の道を極めた人間であり、知事という行政に関わることなどとは無縁の人物だ。

その山下氏に後継知事としての立候補を打診したことが報道通りならば、松沢という人物は「知事」という職を「その程度にしか見ていない」人物ということだろう。

世の中と有権者を舐めるのも大概にして欲しい、と思う人は多いだろう。私も、こんな人間に東京都知事になってもらうのは、ご免こうむりたい。こういう輩を「政治屋」というのだと、つくづく思う。

カテゴリ: 政治

暗澹たる「菅」「与謝野」発言

2011.01.28

今日の朝刊各紙は、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が日本国債格下げに踏み切ったことに対して、菅直人首相が「いま初めて聞いた。本会議から出てきたばかりで、ちょっとそういうことに疎いので、改めてにさせてほしい」と語ったことを一斉に論評している。

財務大臣までやった政治家が「この問題は疎いので……」と言ってのけたことは確かに驚きだが、民主党の政治家のレベルの低さを知らされるのは今に始まったことではない。

昨年5月、当時の鳩山由紀夫首相は普天間基地問題の渦中、記者団に「海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは(これまで)思っていなかった。学べば学ぶほど海兵隊が抑止力を維持していることが分かった」と述べて国民を唖然とさせた。

国民の生命・財産、そして領土を守るべき国家の最高責任者が、沖縄での在日米軍の抑止力について「知らなかった」ことを吐露したのだから、国民が目を剝いたのも当然である。おそらく鳩山さんも、菅さんも、国家の領袖とは「何のために存在しているのか」という根本問題を意識しないまま、その地位に就いているレベルなのだろう。

しかし、「この問題は疎い」と語った菅首相より、私が驚いたのは、その夜のBSフジの番組に出演した与謝野馨経済財政担当大臣が、「格下げは増税を早くやりなさいという催促だ」と言ってのけたことである。

これまた唖然、茫然である。S&P社が国債の格付けを下げた理由は、発表されている通り、「民主党政権には債務問題に対する一貫した戦略が欠けており、大規模な財政再建策がとられない限り、日本の財政赤字は今後も悪化していく」ことにある。つまり、民主党政権に財政再建策が存在しないことへの痛烈な非難でもあるのだ。

民主党の大きな支持基盤のひとつに「連合」がある。労働組合だ。彼らは言うまでもなく雇用確保と賃下げに反対する巨大圧力であり、そのために民主党政権には“小さな政府”をつくることは不可能で、行財政改革への道を突き進めない「致命的欠陥」が存在する。

S&P社が「日本の財政赤字は今後も悪化していく」と指摘する理由は、まさにその根本姿勢を見てのことだ。98年当時の橋本龍太郎首相が「火だるまとなって行財政改革をおこなう」といい、さらには小泉純一郎首相が「赤字国債の新規発行額は絶対に30兆円を超えさせない」と宣言した時代は、少なくとも、日本政府が財政再建への意欲と基本姿勢を持っていることを国際社会は認識していたことになる。

だが、民主党政権にはその姿勢は見えず、歳出が抑えられる気配もなく史上最高額の予算を組み、さらに消費税増税への道を突き進もうとしているのである。格付け会社はそこをきちんと“判定”しただけのことである。

与謝野大臣の詭弁である「増税への催促」発言は、まことにデタラメなものというほかない。今後、別の格付け会社であるムーディーズ社などへも格下げの動きは広がっていくだろう。ますます日本の信用は地に墜ちていく。

いよいよ沈没のスピードを日本は速めているのである。一刻も早い解散・総選挙が待たれる。日本が完全に「沈没」してからでは、もう遅いのである。

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日本の根幹はどこまで揺らぐのか

2011.01.22

昨日のブログで、江田五月法相の死刑発言について言及した。日本の法務行政のトップである法務大臣として、いかに“驚愕の発言”であったかは、おわかりいただけると思う。

民主党政権が発足して以降、法務大臣としては江田氏が4人目だ。千葉景子、柳田稔、仙谷由人、江田五月というお歴々である。いずれも、とても「法相適任」とは言い難い人物ばかりだ。

ここで思い出されるのが、辛光洙(シンガンス)元死刑囚の署名嘆願問題である。北朝鮮による日本人拉致事件の被害者・原敕晁さん(行方不明時43歳)を拉致した元工作員、辛光洙らを、当時の社民党の土井たか子党首と民主党の菅直人前幹事長らが韓国政府に釈放要求した事実は、のちに国会でも大問題となったのでご記憶の向きも多いと思う。

実は、江田法相は、その釈放要求嘆願書に署名した人物である。千葉景子氏もそうだった。要するに菅直人首相と彼らは、辛光洙釈放嘆願書の“署名仲間”であり、死刑の問題でも考え方を一にする人々なのだ。それだけに菅首相にとっては、江田法相は「期待の人物」なのだろう。

しかし、日本人を拉致した元死刑囚の釈放を要求したり、現実に存在する日本の死刑制度を「もともと人間は、いつかは命を失う存在だ。そう(執行を)急ぐことはないじゃないか」、あるいは、「(いったん執行すると)取り返しがつかない。制度としてあることが世界中の状況からみていいのかどうかも考える時期に来ている気がする」と言ってのける感覚は、少なくとも法務行政のトップにふさわしい人物とは思えない。

週明けから始まる国会論戦。さまざまな火種を抱えて、菅政権は通常国会に突入する。野党は、消費税アップと政治家としての出処進退に絡めて与謝野氏をターゲットに、あるいは問題発言の江田氏らを取り上げ、追及の矢面に立たせるだろう。

日本の根幹は、この政権によってどこまで揺らいでいくのだろう。そんな漠たる不安を抱く人が多くなっている。まだ2011年は始まったばかりなのに、暗澹たる思いの中で、多くの有権者が「早期の解散総選挙を」と、願い始めている。

カテゴリ: 政治

“蝋人形”となった菅首相

2011.01.17

わずか7か月間で「3度」の組閣をやってのけた菅首相。しかし、反小沢の姿勢を鮮明に打ち出したことにより、50%前後の支持率を叩き出した前2回の組閣に比べ、今回の各メディアの支持率は、いきなり「危険水域からのスタート」となった。

危険水域とは、政界で20%台の支持率を指す。週末におこなわれた世論調査で、毎日新聞29%、産経新聞&フジテレビ28・3%、日本テレビ30・5%……等々、発足直後の支持率が、最初からほとんど“危険水域”であったことに官邸は衝撃を受けたに違いない。

これから国会論議が始まって、野党の追及が急になっていくと、支持率は下降の一途を辿っていくだろう。こうなると閣僚のスキャンダルひとつで政権は立ちいかなくなる。これまで多くの政権が辿った道を菅内閣も歩もうとしているのだ。

国民の信任を失った政権はみじめだ。野党側の次の“伝家の宝刀”は、参院での菅首相自身の問責決議である。ひとつの失態で、これを国会に提出する大義名分が野党側には出て来る。その時、問責決議が可決されたらどうなるだろうか。

参院で野党が審議拒否に入り、空転した国会で与野党の“我慢比べ”が始まるのである。国民世論の動向をどう見極めるか難しいが、統一地方選の行方もあって、一気に政変が生じる可能性がある。

政権を追い詰め、解散総選挙に持ち込めるかどうかは、野党の側にどれだけの手練(てだれ)がいるかにかかっている。

「もはや何をやっても無駄」。それが、多くの国民の菅政権に対する正直な気持ちではないだろうか。「解散総選挙」を国民自身が望んでいるのは明らかで、菅政権の“明日なき戦い”がこれから繰り広げられるのである。

記者会見での菅首相の表情を見ながら私は思った。まるで蝋人形だ、と。意欲や覇気といった人間としての感情がオモテに出て来ない「蝋人形」のように私には見えた。

かつて会合で話した時の菅氏には、少なくとも人間としての生気が感じられた。今はまるでない。単に市民運動家に過ぎなかった若者が、国家の領袖として一国を率いていくことにそもそも無理があったのだと思う。

解散総選挙こそ、「人」としての「菅直人」を救う唯一の道だと思うのだが……。

カテゴリ: 政治

菅改造内閣への失望

2011.01.14

溜息だけである。たったいま発足した菅改造内閣の顔ぶれを見て、「この人(菅首相)は一体、何がやりたくて総理になったのだろうか」と思った国民は少なくないだろう。

目新しい(?)のは、昨春、月刊誌で自民党の執行部批判をブチ上げて党を離党(のち除名)し、「たちあがれ日本」の共同代表となった与謝野馨氏が、今度はポストに釣られてその「たちあがれ日本」を離党して「経済財政・社会保障・税一体改革担当相」として入閣したことである。

氏の猟官活動の絶妙さはかねて定評がある。だが、エリートして生まれ育ち、常に日の当たるところだけを歩いて、地動な下積み生活ができないという致命的な欠陥を持つこの政治家を「わざわざ入閣させる」ところが菅首相の特異な“政治センス”と言える。

なぜ、こんな“火種”を敢えて抱えるのか。国民は素朴にそう首を傾げている。民主党批判を繰り広げて先の参院選を戦い、思想もイデオロギーも民主党とはまるで異なる与謝野氏が、来たるべき通常国会では、この支離滅裂な行動に対する質問の集中砲火を浴びることは確実だ。

そのニュース映像を見るたびに、国民は、菅改造内閣への不快感や嫌悪感を増幅させていくだろう。また、自民党や「たちあがれ日本」のかつての仲間に怨念しか残していない与謝野氏の存在は、今後の国会運営でも障害になっていくに違いない。

彼を入閣させていいことなど「どこを探してもない」はずなのに、もはや菅首相には、そういう判断も見通しもないようだ。

同じ選挙区である東京1区で激しい戦いを演じて来た海江田万里氏(経済産業相)と与謝野氏が同一内閣の経済閣僚として名を連ねるなど、一体誰が予想できただろうか。

私自身が東京1区の有権者の一人である。この茶番劇に「おいおい、どうなってるんだ?」と、零(こぼ)したくもなる。

発言するたびに国民の失望をもたらして来た仙谷官房長官をやっと官邸から外すことができたものの、「党代表代行」での処遇によって、仙谷氏の菅首相への影響力行使は今後も続くことがわかった。

どこを向いても真っ暗闇。政治センスが全く欠如した菅第2次改造内閣の顔ぶれを見ながら、ただただ溜息だけが漏れるのである。

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ただ憎しみを晒し合った議員たち

2011.01.13

昨日の両院議員総会、今日の党大会での民主党議員たちの醜態は、さすがに見るのが辛くなるほどだった。多くの国民も同じ思いだっただろう。

そこでぶつけられたのは「政策」や「理念」などではない。同じ政党の人間同士が、ただ「憎しみ」を晒し合ったのだ。

当ブログでこれまで書いてきたように、もともと民主党とは書生のような人間が集まった政党である。理論も現実も二の次だ。そんな青臭い人間が集まって、自公政権への批判票を糾合して絶対安定多数の議席を獲得し、政権を「掌握」した。

しかし、その後の1年数か月、国民は「まさかここまで……」というほど低レベルの政治を見せられ続けた。昨日・今日の民主党議員同士の罵声は、そのまま国民の憤激の大きさを物語っている。

議員たちの怒りの根源は、もはや“(菅首相の)発信不足だった”とか、“マニフェスト違反”だとか、そんなレベルのものではない。「目の前でパンフレットを破られた」「唾を吐きかけられた」という悲鳴にも似た若手議員の叫びはすべて菅執行部によって無視されたが、声を上げた民主党議員にとっては、ただ敗北確実の自分の選挙が「待っているだけ」なのである。

このまま総選挙に突入すれば、1993年に行われれたカナダの下院選で、与党進歩保守党が169議席中、実に167議席を失い、わずか2議席しか獲得できなかった恐ろしい事態さえ想起される。

それでも明日、菅首相は内閣改造をおこなって“求心力の回復”を目指すという。何をやっても嫌悪感しか持たれない菅内閣の下での統一地方選は、雪崩を打って「民主党惨敗劇」が展開されるに違いないのに……。

民主党政権にとって決定的だったのは、自らの主権を放棄してまで中国に阿(おもね)った、あの中国人船長の無定見な釈放劇にほかならない。

毅然とした姿勢も、誇りある国家の領袖としての姿も何も示せなかった菅首相が、あとは何を言っても無駄だ。日本の国内法を犯した中国人船長を釈放し、一方、領土・領海の最前線でどんな事態が進行しているのか国民の前に明らかにした海保職員が逆に「逮捕」されそうになったのである。

主権者である国民の“知る権利”を闇に葬ろうとした菅・仙谷由人らを国民は絶対に許しはしないだろう、と思う。明日の内閣改造以降、菅首相を取り巻く環境はいよいよ厳しいものになるに違いない。

たとえ“問題児”を官房長官から外しても、国民の怒りは収まるはずがないのである。

カテゴリ: 政治

見識ある「国家の領袖」の登場を

2010.12.30

今年も残り2日となった。一昨日、九州出張から帰り、ほぼ年内の取材は終了。あとは、年末年始の休みを利用して次作の執筆に邁進するつもりだ。

今年1年、信念や軸のない民主党政権の迷走で国民は「失望」の連続だった。当初から予想されていた通り、世の中の現実や道理というものを知らない“お子ちゃま政党”民主党が、右往左往し続けて、ついには内閣支持率を20%台まで落として、新しい年を迎えるのである。

だからといって、国民は、再び自民・公明連立政権という悪夢のような政権に戻って来て欲しいとは思っていないだけに、悩みは深い。

今朝の産経新聞の報道によれば、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に関して、参院が来年1月召集の通常国会で那覇地検幹部を招致する公算が大きくなったそうだ。

もし、実現すれば、小沢一郎氏の政倫審出席とも合わせ、通常国会は冒頭から大荒れになる。中国人船長釈放の際、官邸サイドから同地検に圧力がなかったかどうか、国民の前で「議論がなされる」のだから当然だ。

興味深いのは、民主党出身の参院議長でありながら、西岡武夫氏が現政権への批判の姿勢を強めていることだ。

西岡議長は中国人船長釈放問題について「地方の検事が判断するということはあり得ない」、あるいは、問責決議を受けても辞任しない仙谷氏を「問責決議を何と心得ているのか」と批判するなど、政治家として「スジを通そうとする姿勢」を全面的に押し出して来ている。

通常国会では、与野党の勢力が逆転している参院が、衆院を押しのけて“国会の主役”になることは確実で、菅政権は次々とボロが出て、窮地に陥っていくだろう。

八方塞がりになった菅総理は、春の統一地方選どころか、破れかぶれ解散に追い込まれていく可能性も残っている。

国民の信頼を失った政権とは惨(みじ)めなものである。来年は民主党政権の断末魔を国民は見届けなければならない年になる。

波乱の年が終わり、さらなる波乱の年が始まるのである。沈没する日本を浮揚させるような見識ある「国家の領袖」の登場は、国民すべての望みなのだが……。

カテゴリ: 政治

政界再編へ動き出した永田町

2010.11.20

いよいよ菅政権崩壊のカウントダウンが始まった。“国会軽視”発言の柳田稔法相が、野党による参院での問責決議案提出前に「更迭」されることが決まったと報道されている。

国民は、あまりの政権のダッチロール状態に呆れ、怒り、溜息を漏らしている。内閣支持率が10パーセント台に落ちるのは、時間の問題だ。

しかし、多くの国民は更迭されるべきは「菅総理」自身と「仙谷官房長官」と思っている。すべてを仙谷氏に“丸投げ”し、しらじらしい発言だけを繰り返す情けない国家の領袖の姿に、「菅さんって、こんな人だったの?」というのが多くの国民の偽らざる本音なのである。

ひたすら中国のご機嫌を窺う卑屈な姿勢を続ける菅総理の姿を見て、「いつから日本はこんな国になってしまったのか」と、多くの心ある国民が憂いている。

中国では、国内の人権弾圧は苛烈を極め、投獄されている民主活動家・劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞しても、そのニュースを報じる放送は一切「封殺」された。そして親族も含め、関係者は出国が許されず、そのためノーベル平和賞の授与もできず、後日、本人に渡されるのだという。

そんな独裁国家に民主国家である日本がなぜここまで卑屈な態度を取り続けなければならないのか、その理由は何なのか、誰もが疑問に思うだろう。

菅政権は、鳩山前政権の崩壊を受け、“反小沢”という姿勢のみを国民に支持され、発足した政権だ。つまり、党内の最大派閥、小沢グループに距離を置くことのみが「国民に支持され」て、政権発足時(6月)も、そして民主党代表選を経た第2次菅内閣の発足当初(9月)も、内閣支持率は、上々だった。

だが、小沢氏の姿が消え、その“反小沢”という姿勢が見えにくくなると、この軸のない政権は、国民の失望を急速に膨らませていった。

次々と失態を繰り返し、法治国家であることを自ら放棄する中国人船長の“超法規”的釈放や、その真実を記録したビデオを国民の前から隠蔽した。

中国では、「いずれ日本は中国の一部となる。名前は“東海省”だ」と、日本が将来、中国の24番目の省となることが平然と語られている。

弁護士仲間だった自民党の丸山和也議員が国会質問で暴露したように、仙谷氏が「日本はとっくに(中国の)“属国化”している」と発言したというのも、すでに日本の中国への従属が既成事実化しつつあることを示している。

ここまで国民の失望感が深まると、菅政権が「求心力を持つ」ことは至難の業だ。政権にすり寄って来ていた公明党が、内閣支持率の急速な悪化を見て、また“反菅政権”の姿勢に転じたことも大きい。

予算や法案が参院で成立しないことで、政権は立ち行かなくなる。党内からいつ「菅総理は退任を」という声が噴き上がるか。

その時、党内の権力抗争は再燃する。小沢グループを中心に不平不満の“マグマ”が一気に噴出してくるのである。言うまでもなく、それは党内だけの抗争では終わらない。

すでに永田町では、来たるべき政界再編に向けて政治家たちが党派を越えて極秘の会合を持っている。あっちもこっちも、そんな会合で真っ盛りだ。長年、永田町を歩いている私は“政変”、あるいはそれを超える“大激変”が起こる直前の独特の「空気」を感じる。永田町全体がソワソワしてきたのだ。

しかし、菅総理が「座して死を待つ」とは限らない。どうせ政権から引きずり降ろされるなら、その前に「解散・総選挙」に打って出て国民の信を問う可能性があるのだ。いま永田町に急速に流れている“やぶれかぶれ解散”説の根拠がそこにある。

解散・総選挙となれば、民主党の惨敗は避けられない。小選挙区制は恐ろしい。1993年のカナダの下院選で政府与党の保守党は169議席からわずか2議席となり、時のキム・キャンベル首相も落選するという歴史的惨敗を喫した。

菅総理を攻める側の小沢チルドレンの中で、選挙を経て“生き残れる”議員はほとんど皆無と言っていいだろう。そこに「菅総理をどこまで追い込めばいいのか」という小沢グループのジレンマが存在する。

議員たちの思惑と打算で、永田町に息が詰まるような空気が渦巻いている。いずれにしても、政権崩壊のカウントダウンは「政界再編」の狼煙(のろし)であることは間違いない。

いよいよ永田町から目が離せなくなってきた。

カテゴリ: 政治

海保職員の“心の葛藤”と政治家の“不当行為”

2010.11.12

任意の捜査が始まって丸二日が経つというのに、映像を流出させたと名乗り出た海保職員(43)が逮捕されない。判断は週明けになるのだそうだ。

それは「任意」という言葉が持つ常識の聴取時間を超えた長さになっている。だが、海保職員は「捜査に協力する」という信念のもと、捜査当局の聴取に応じている。

私は、本来、「犯罪者」にされてはいけない人物が毅然として同じ国家公務員の仕事(聴取)に協力する姿にある種の感慨を覚える。

この海保職員が大きな心の葛藤を乗り越えて覚悟の投稿をおこなったことは、本人を取材したテレビ局の記者に残された自筆メモや、聴取で本人が語ったこととして報道されている内容からも窺える。

そこには、事件情報とは「公共情報」であり、特に国民の生命・財産や領土・領海などの、主権者国民に直接かかわる高度な「公共情報」は、正当な理由がない限り、「隠蔽は許されない」という根本の理念がある。

国家公務員が「時の権力者」に対してではなく、本来の「国民」に対しての奉仕者であろうとすればするほど、多くの海保職員たちは菅政権の隠蔽方針に対して悩みに悩んだことだろう。

しかし、守秘義務規定に違反する恐れがある行為に踏み出す勇気は、なかなか出ない。家族が路頭に迷うかもしれないとなれば、なおさらだ。海保職員が今回の行為を実行するまでに相当な覚悟を要したことは想像にかたくない。

一方、正当な理由なく「知る権利」を有する国民から今回のビデオのような公共情報を隠蔽することは、権力者の「不当行為」に当たることを忘れてはならない。

これは、菅政権によって映像隠蔽がおこなわれて以降、「何が起こったのか」を考えればわかりやすい。

釈放された中国人船長は中国で「英雄」となり、中国全土で反日デモが巻き起こり、逆に日本人の中国ツアーは続々と中止に追い込まれ、日本人が中国国内の町を歩くことさえ「危険性を伴う」ようになった。

事実、開幕したアジア大会でも、中国vs日本のサッカー対決は、異常な厳戒態勢の中でおこなわれ、日本人サポーターが身辺の危険を感じる様相を呈した。

つまり、政府の「本来は公開されるべき公共情報の隠蔽」により、日本国民の生命と安全が危機に瀕することになったのである。

日本の領土領海の最前線で命を張ってきた海保職員たちが、「早く国民に真実を知ってもらわなければ……」と焦りを覚えたとしても不思議ではない。

要するに、当該の海保職員は、菅政権の「ビデオ隠蔽」という不正・不当性を内部告発した“公益通報者”にほかならないのである。

これまでも当ブログで書いて来た通り、4年前に施行された「公益通報者保護法」は、自分が所属する組織の犯罪、あるいは不当行為、もしくは不正を告発する者を保護する法律である。

専門家が、「今回の海保職員は組織や上司の“犯罪”を公益通報して告発したわけではないから同法の適用を受けられない」と解説する向きが少なくない。

しかし、公益通報の対象を「犯罪」だけに限定することは法の趣旨に反し、「不正」「不当行為」に対して公益情報を通報することを同法は包括しており、なにより、今回のことは、憲法に謳われた国民の知る権利に応えた“極めて高度な”公共情報の「通報」だったことを忘れてはならない。

法にはその優先度に応じて順位がある。憲法と法律が矛盾する場合は、言うまでもなく憲法が優先される。

国家公務員法の守秘義務規定を“絶対視”するマスコミ報道が繰り返される中、国の最高法規がないがしろにされ、民主主義の根幹である「国民の知る権利」を軽んじる風潮が醸成されている現状に、私は危機感を覚えずにはいられない。

逆に、海保職員ならば大多数が見ることのできた映像を菅政権は「国家機密」と称し、国会で議員相手に公開したあとでも「機密である」と言いつづけている。

中国人船長が起訴され、仮に刑事裁判となっていた場合は、「訴訟証拠として使う」という隠蔽「理由」も存在したかもしれない。しかし、肝心の船長の釈放によりそれも雲散霧消し、あるいは中国との“外交カード”にするつもりだったという隠蔽「理由」も、国会での議員相手の公開や、「ビデオはまだ見ていない」という菅総理自身の国会答弁によって崩れ去った。

もし「外交カードにする意思」があれば、菅総理が「ビデオを見ていない」などということはあり得ず、その国会答弁は外交カードになど、菅総理はハナからするつもりのなかったことを物語っている。彼らがやっていることは、日本の外交カードどころか、隠蔽によって中国への“利敵行為”をおこなっていると非難されても仕方がないことなのである。

仮に当該の海保職員が逮捕に至るなら、それは日本の国内法を犯した中国人が無罪放免された一方、「本来、犯罪者となるはずのなかった日本国民」が刑事責任を追及されることになる。ここで重要なのは、菅政権の主権者国民に対する“不正・不当行為”によって「犯罪者が生み出された」ことにある。

国民の知る権利を軽んじ、民主主義の根幹を揺るがせるような判断は、厳に避けなくてはならない。

カテゴリ: 事件, 政治

事件情報とは「公共情報」という大原則

2010.11.09

8日深夜、取材から帰って来た私は、流れているニュースを見て絶句した。尖閣映像の流出問題で、仙谷由人官房長官がなんと「機密漏洩の厳罰化」を検討しているというのである。

これを聞いて唖然とする国民がほとんではないだろうか。何日か前の当ブログでも書いたように、重要なのは「そのビデオに映し出された中身」であって、「流出の経緯」などではないはずである。

今回の問題で「機密漏洩の厳罰化を検討」することがいかにおかしいか、そのことを考察してみよう。

公務員に「守秘義務がある」のはもちろんだが、その規制は「無制限」かつ「絶対的」なものではない。なぜなら公務員は守秘義務もあるかわりに、もっと大きな義務を負っているからだ。

それは、公務員とは国民の奉仕者、すなわち公僕であり、「国民のために存在している」という大原則である。つまり、公務員とは、なにも“時の権力者”に仕えているのではなく、主権者たる“国民”に仕えているという大原則を忘れてはならない。

私は、デビュー作となった『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)の第9章で「内部告発者保護法」のことについて詳しく記述している。ここで言う「内部告発者を保護する」という意味は何だろうか。

それは企業、あるいは国民にとって不利益が生じることが目の前で起こっている時、それを知った内部の人間がその事実を外部に“通報”することをどう捉えるか、ということに尽きる。

たとえば公務員の場合、もし、目の前に不正がある時、「公務員の守秘義務」によってそれに目をつぶるのがいいのか、それともその事実を「内部告発」して明るみに出す方がいいのか、という問題にぶつかる。

たとえそれを隠すことによって「国民に不利益が生じる」場合でも、公務員は「守秘義務」を絶対的なものとして「黙っていなければならない」のだろうか。

言うまでもないが、国民にとっては権力者に都合よく「事実が隠される」よりも、逆にそれが「明らかになる」方が望ましい。いや、主権者たる国民には“知る権利”があり、むしろそれを“知らなければならない”と言った方がいいだろう。

しかし、中国に滑稽なほど畏怖し、その出方を汲々として見つめている仙谷氏をはじめ現政権の幹部たちは、今回のことで、逆に機密漏洩を「厳罰化」させる意向なのだそうだ。

私は、法律家でもあるこの官房長官のレベルの低さに絶句する。そもそも、あなたは、「事件情報とは公共情報である」という民主主義国家の根本をご存知か、と聞きたいのである。

今回の中国漁船による海保巡視船への衝突事件は、国民にとって最高レベルと言っていい“公共情報”である。なぜなら、そのビデオが伝える情報とは「領土・領海に関するもの」であるからだ。

とっくに国民に対して公開していなければならないそのビデオが、中国への遠慮から「いつまでも隠されている」ことに業を煮やした“誰か”がついに国民に対して、その「公共情報を公開した」に過ぎない。

日本には「内部告発者保護法」というものが存在する(正式には、「公益通報者保護法」)。これは、公益にかかわる問題で不正その他の行為を見逃さず、情報提供することを認め、その“内部告発”をする人を「守る」法律である。

この法律は多くの先進国には存在していながら、日本では4年前まで存在していなかった。多くの専門家の努力と熱意によって、日本でもやっとこの画期的な法律が6年前に成立し、4年前に施行された経緯がある。

しかし、仙谷氏は、法律家でありながら、内部告発(公益通報)の本来的意義を認めず、逆に機密漏洩に対する「厳罰化」を求めようというのである。

心ある国民は溜息を漏らしているに違いない。国民の生命と財産、そして領土を守るために存在している政府の首脳が、外国(ここでは中国)に対してひれ伏し、一方、正義の告発者に対しては“厳罰化”で臨むというのである。

本末転倒もここまで来れば、「あなたは一体どこの国の政治家なのですか」と問いたくなる。仙谷氏たちに政権を任せたままでは、日本国民はやがて事件情報という「公共情報」すら手に入れられなくなるのである。

公務員とは、守秘義務を持っている同時に、この公益通報者保護制度の「対象者でもある」ことを仙谷氏は知らないのか、と私は問いたい。

つまり、公務員は時の権力者に逆らってでも、国民の利益のために「公益情報を通報」し、その行為に対して「保護される」権利を有しているのだ。

それは民主主義国家の前提とも言うべき権利である。独裁国家においては、権力者にとって都合の悪いことが表に出るのは許されないが、少なくとも日本では、今回のようなビデオが国民の目に触れる行為をした人間は、大いにその権利を「保護されなければならない」のである。

「事件情報とは公共情報である」という大前提さえ知らない現政権の幹部たち。このまま日本は、彼らの手によって“民主主義国家の根幹”をなくしてしまうのだろうか。

カテゴリ: 政治

突きつけられた「法治国家ニッポン」の死

2010.11.05

尖閣ビデオの流出問題が波紋を広げている。政府はもっぱら“流出”経緯の方に神経を尖らせているが、そんなことは些末なことだ。

Wikileaks(ウィキリークス)やYou Tube(ユーチューブ)といったインターネット上の“投稿&告発”媒体が存在する以上、国民の前にこの映像が明らかになるのは必然だったと言えるだろう。

問題は言うまでもなく、映し出された「中身」である。民主党議員の一部には相変わらず「(自分の見たものと)似ている」などと、気の抜けたコメントを発する低レベルの者もいた。

私はテレビで繰り返される映像を見て、溜息しか出なかった。あらかじめ言われていた通りの画像である。どこから見ても、いかに「中国に日本が舐められているか」を示すものである。

日本の領土内で、日本の法律を犯して不法行為をおこなった者を“超法規”的措置によって釈放したという事実が改めて国民の前に明らかになったのである。

中国は、法治国家ではなく「人治国家」だ。だが、自由と民主主義を重んじる陣営に与(くみ)する日本は、これまでは疑うことなく「法治国家」であった。営々と築き上げたこの民主主義国家の基本は、なによりも重いものだった。

あの金大中拉致事件の折に、金大中の「原状回復を!」と何年間も国会が揉めつづけたことを思い出す。

しかし、相手が中国となると、これほどの無法行為を「粛々と法に従って処理する」ことさえできないのである。これは、言うまでもなく「日本が法治国家であることを放棄した」ことを意味している。

“赤い官房長官”と呼ばれる元全共闘の仙石由人氏、そして市民運動家として「ひたすら権力と闘いつづけた」菅直人総理によって、日本が「法治国家でなくなった」ことを今日は改めて痛感させられる日となった。

法治国家ニッポンの“死”。仙石氏自身の言葉通り、たしかに「日本の中国に対する属国化は今に始まったことではない」のかもしれない。

だが、あの年齢が来ても、まだ国を守ることの気概を持たぬ人間に一国の舵取りが任されていることをここまで明確に突きつけられると、さすがに私は溜息しか出ない。

文藝春秋の短期集中連載「九十歳の兵士たち」の取材で、子孫を残すこともできないまま日本のために死んでいった多くの若者の無念を聞きつづけた1年だっただけに、そのことが余計強く感じられるのである。

カテゴリ: 政治

国会で暴露された驚愕発言

2010.10.18

今日(18日)の参院決算委員会で弁護士仲間だった丸山和也参院議員(自民)に暴露された仙谷由人官房長官の“言葉”は実に興味深い。

中国人船長が処分保留で釈放された直後、丸山氏が仙谷氏と電話で意見交換した際、「船長は訴追され判決を受けてから送還なりをすべきだった」と丸山氏が意見したのに対し、仙谷氏は「そんなことをしたらAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が吹っ飛んでしまう」と述べたという。

APECは11月に横浜市で開かれるが、ここに中国首脳の出席がなければ、会議自体が吹っ飛ぶという懸念のために「船長を釈放した」ともとれる発言を仙谷氏がしたというのである。

さらに丸山氏が「釈放は国家の大きな損失。日本は中国の属国になっていくのではないか」と言うと、仙谷氏は「属国化は今に始まったことではない」と答えたという。

驚愕の証言である。国民が注視する国会審議の中で暴露された話だけに、唖然とした国民は少なくあるまい。仙谷氏ご本人は「健忘症なのか、そのような発言をした記憶がない」と必死に防戦に務めたが、この仙谷氏の奇妙な逃げ方が、丸山氏の発言の信憑性の方を高めている。

特に、私が注目するのは、「(中国への)日本の属国化は今に始まったことではない」という仙谷氏の発言である。

これまでひたすら中国や韓国への「謝罪」に突き進んできた仙谷氏は、「日本が(中国の)属国化している」ことをとうに認識し、いや「それを前提にしていた」ことになる。

この発言を考えれば、彼のこれまでの行動はすべて合点がいく。菅・仙谷という現政権の中枢自体が、元市民運動家や元全共闘活動家という、いわば“反日日本人”によって占められていることはこれまでも当ブログでも指摘してきた。

もともと日本が嫌いで嫌いで堪らない人たちなのだから、日本の国家としての「主権」を主張したりすること自体に、拭いがたい嫌悪感をお持ちなのだろう。

民主党は外国人参政権問題にも積極姿勢を見せている政党だ。彼らにいつまでも政権を担わせ、これが実現でもしようものなら、中国人の意見に左右される地方議会が遠からず現れることになる。

日本の中国への属国化は仙谷氏が“望む”通り、今も着々と進んでいるのである。

カテゴリ: 中国, 政治

小沢「証人喚問」の勧め

2010.10.16

小沢一郎氏を「起訴すべし」とした検察審査会の議決について小沢氏側が昨日、「議決は無効だ」と取り消しを求める行政訴訟を起こした。さすがに、これには素人はもちろん、司法の専門家の間からも疑問の声が上がっている。

「起訴すべし」という検察審査会の判断は、あくまで刑事裁判に関わるものである。これに「議決無効」で対抗するということは、今後、起訴された容疑者(刑事被告人)は、そのこと自体に「異を唱えることができる」ことになる。驚天動地の発想である。

小沢氏が自分の事務所の隅々まで目を光らせ、独断で秘書たちが政治資金規正法の“虚偽記載”ができるような状況にないことは、これまでのさまざまな小沢陣営の内部告発で多くの国民が知っている。

言うまでもなく、“虚偽記載”という行為を小沢氏本人が「承知していた」という証言や供述も存在する。しかし、刑事裁判で堂々と自らの主張を展開するのかと思ったら、小沢氏は「違う」のである。

検察審査会の結論に「無効」を訴えて行政訴訟を起こすとは、通常の社会常識を持った人間には、もはや呆れてモノも言えない類いの話と言える。まして小沢氏は国民の負託を受けた政治家である。

昨年の検察審査会法の改正による「強制起訴」の制度は、2001年6月に司法制度審査会の最終意見書に端を発する。

「裁判の内容に国民の健全なる社会常識を生かす」という画期的な文言が入れられ、のちの裁判員制度や、この検察審査会法の改正につながっていった。だが、検察は、有罪率99・8%という数字にこだわり、起訴して無罪になれば「出世の道が断たれる」とまで言われる世界だ。

しかし、国民は、検事の出世などなんの関心もない。あるのは、真相の解明である。刑事訴訟法の総則第一条に「事案の真相解明」が真っ先に謳われているように、刑事事件においては何より真相解明が優先されなければならない。

「これは裁判で負ける可能性がある」と思って起訴を取りやめ、99・8%の有罪率にこだわりつづけるなら、それは検察が起訴独占主義に甘え、国民の「期待」に背を向けていることを意味する。

だからこそ「国民の健全なる社会常識」に照らして、小沢氏は強制起訴となった。小沢氏は、刑事裁判の法廷で事案の真相解明を果たせば、いいのである。それは、同時に小沢氏も政治家としての役割を果たすことを意味するのである。

しかし、小沢氏は、そうした広い意味の政治家としての使命や役割がまるでわかっていない。こんな政治家が権力を握る政党が日本を支配しているのかと思うと、言葉もない。

私が注目するのは、小沢事務所にかつて勤めていた元秘書の存在だ。マスコミの取材に答えて、小沢事務所の実情を伝えてきたこの元秘書の告発内容は極めて価値が高い。

国会にこの元秘書を招致することから私は「第一歩が始まる」と考えている。民主党もくだらない反対など続けていないで、この元秘書と小沢氏の証人喚問を実現させればいいのである。

どちらが虚偽を述べているか、国民の前にすぐに明らかになるに違いない。司法制度改革の意義も、国民の健全なる社会常識を生かすための検察審査会法改正の意味も、小沢氏はもっと真摯に勉強するべきだろう。

少なくとも国会招致ぐらいは、自ら「俺はどこへでも出て行く」と言うくらいの見識があってしかるべきなのである。

カテゴリ: 司法, 政治

中国共産党「謀略工作」の歴史

2010.09.26

衝撃の中国船船長の釈放から3日。さすがに中国のその後の反応を見て民主党の面々も「しまった」と思っている向きが多いらしい。理想論だけでコトが進むと思っている“お子ちゃま政党”には珍しいことだ。

問題の幕引きどころか、謝罪と賠償を要求するという出方に政府首脳はショックを受けているのだそうだ。しかし、中国が、船長釈放という“外交的勝利”を国の内外にアピール&利用しないはずはなく、熾烈な外交の世界を“性善説”で捉えている民主党のお子ちゃま議員たちに「せめて国際政治の基本を知っておきなさい」と言いたくもなる。

それにしても思い出すのは、昨年12月、国家元首でも首相でもない、中国の習近平を宮内庁内部の取り決めである「1か月ルール」まで破って天皇に会見させた小沢一郎氏のことである。

その直前に、小沢氏は、「長城計画」と称して民主党の国会議員団およそ143人を含む600人を引き連れて訪中し、一人一人の民主党議員が胡錦禱国家主席に握手をしてもらい、記念写真を撮らせてもらったのである。

中国共産党の謀略工作については、これまでも当ブログで何度も取り上げてきた。社会党や共産党といった野党にしかパイプを持たなかった中国は今から50年以上前、「このままではまずい」と自民党幹部への接触・工作をスタートさせた。

分析の結果、自民党の当時の有力者・松村謙三を“落とす”ことに狙いを定めた中国共産党は、松村を徹底的に調べ上げ、松村が「蘭の花」に目がないことに注目し、わざわざ中国に蘭の協会を立ち上げて訪日団を組織、松村への接触をはかったのである。

以後、蘭のプレゼントや人的交流によって松村を親中派に仕立て上げていった中国共産党は、これを突破口に自民党の中枢に工作の手を伸ばしていった。

旧田中派(竹下派)は完全に中国の工作対象となり、若き日の小沢一郎氏も親分の田中角栄の下で、しっかりと中国にパイプを築き、「資格のない中国の要人」でも、ごり押しで天皇にまで会見させるぐらい中国のために「ひた走る」政治家となったのである。

日本の領土の「主権を放棄」した民主党政権は歴史に汚点を残したが、さて、これから尖閣が自分たちの領土であることを既成事実化させるために、中国はさまざまな方策をとってくるだろう。

謝罪・賠償要求もその一つだが、中国漁船が尖閣周辺に跋扈し、やがては韓国が竹島(独島)を勝手に事実上の“領有”をしているように、中国も「強硬手段に出てくる」ことはほぼ間違いない。

可哀相なのは、尖閣周辺で中国にいつ拿捕されるかわからなくなった沖縄の漁民たちである。自国の領土・領海内であるにもかかわらず、命がけで漁をおこなわなければならなくなったのだ。

一度譲歩したら外交は「つけこまれる」だけである。それは国際社会の「常識」でもある。そんなことも知らない政党に「政権を任せている」日本国民は自らの愚かさを反省するしかない。しかし、だからといってこれに代わるべき政権もなく、日本人の不幸はまさにそこにある、と言える。

あっちこっちの国と“領土問題”を抱え、常に既成事実化によって“領土拡大”をはかる中国の戦略にまんまとしてやられた菅政権。支持率の急落は必至で、いよいよ国会の論戦でも立ち往生させられることが確実だ。

いかに今の政権を担っている政府要人たちのレベルが低いか、論戦の答弁を通じて国民は、肝に銘じるべきだろう。

カテゴリ: 中国, 政治

毅然と生きよ、日本人

2010.09.24

2日続けての徹夜で、文藝春秋の短期集中連載「九十歳の兵士たち」第2回を今朝、書き上げた。午後遅く目を覚ましたら、「中国船船長、処分保留で釈放」のニュースが流れてきた。

驚愕のニュースだ。いくら“市民運動家政権”であっても、日本の固有の領土である尖閣諸島の海域を侵犯し、海上保安庁の巡視船に衝突してきて公務執行妨害を働いた中国船の船長を「無罪放免」したというのだから、これに目を剥かない国民は少ないだろう。

国家の領袖は、国民の生命と財産、そして領土を守るのが使命だ。民主党政権は、その最大使命を“放棄”したことになる。

徹夜疲れも吹っ飛んでしまった。昨年、民主党が政権を握った時、私は「日本という国家の根幹をどこまで揺るがすか」について、ブログで何度も書かせてもらった。

今回の出来事はその懸念通り、日本という国が国家のテイを成していないことを全世界に示した。今後、尖閣周辺海域は、中国漁船が大手を振って闊歩することになる。「圧力をかければ日本はすぐに引く」という前例をつくってしまったからだ。

もともと菅政権は、仙石由人官房長官など“反日日本人”が政権の中枢を抑えている。中国・韓国といった隣国の方が「自国より好きな人々」である。

しかし、主権が侵害されても毅然とした姿勢が貫けない国は、もはや国家とは言えない。長く指摘されてきた日本の“中国の属国化”が、ついに現実の姿として浮かび上がってきたのである。

それにしても、中国人船長を釈放した那覇地検の緊急記者会見には、呆れてしまった。「今後の日中関係を考慮し、捜査を続けることは相当でないと判断した」と、鈴木亨・次席検事が言ってのけたのだ。

おいおい、検察庁というのは、いつから“外交を配慮する役所”になったのだ? お前たちは法を厳正に執行するために権力を賦与された捜査機関ではなかったのか? この驚天動地のコメントは、検察にとって現在注目を浴びている村木厚子冤罪事件の「フロッピー改竄問題」より、よほど罪が重い。

何から何まで狂ってしまった日本。おそらく今回も仙石官房長官の“暴走”の可能性が強いが、それは、おいおい明らかになっていくだろう。

折しも“飢餓の戦場”で命を散らしていった太平洋戦争下の若者の無念について「記事」を書き上げたばかりの日に飛び込んできた驚愕ニュース。このまま「日本が日本でなくなる日」を待つのはあまりにつらい。

毅然と生きよ、日本人。

カテゴリ: 中国, 政治

人材なき「代表選」の不毛な決着

2010.09.14

日本の国家の領袖を決める民主党代表選が終わった。「菅vs小沢」という不毛な戦いは、結局、菅氏の勝利で終わった。結局、国会議員票でも菅が小沢を上回り、検察の捜査が身辺に迫る「小沢一郎の逆襲」はならなかった。

市民運動家の総理が、政界の壊し屋を「破った」のである。これによってわずか3か月でまたも総理を変えるという「世界に恥を晒す事態」だけは免れた。

しかし、老いた市民運動家に国民が期待できるものは、ほとんどない。早くも為替市場で円高がさらに進み、市場はこの老いた市民運動家にNOを突きつけている。

国民は今後、失望とあきらめの時期を過ごすことになるだろう。私は民主党政権が生まれた時から、「どこまで日本の根幹が揺らぐか」に注目してきたが、菅政権によってこれからさらにその傾向が強まる。

内閣支持率は、ほぼ右下がりで低下していくだろう。今回、怨念を残した民主党の亀裂が何をきっかけに爆発し、分裂につながるか。いよいよ注目される。

内閣支持率の低下が「引き金」になることは間違いない。みんなの党を巻き込んで、まず政界再編に動こうとする勢力がどこか。代表選が終わって、永田町は新ラウンドに突入した。

カテゴリ: 政治

いよいよ明日「菅vs小沢」の最終決着

2010.09.13

夜、知り合いの民主党の国会議員から電話があり、まだ「小沢か」「菅か」で悩んでいるとのことだった。

正直、仰天した。この20年以上にわたって、ワガママと独善と、有無を言わせぬ強権体質で国民を呆れさせてきた小沢氏に対して、まだその議員が「期待を抱いている」こと自体に驚いたのだ。

たしかに菅直人氏に総理の資質があるとは、とても思えない。しかし、ここまで不透明な個人資産構築をおこない、子どもじみた国連至上主義に固執し、さらには中国への土下座外交をおこなう小沢氏に、まだ“幻想”を抱いている政治家がいること自体に呆れかえってしまった。

民主党が政権をとっている以上、こうしたレベルの低い代表選になるのは当然だったかもしれない。私は、民主党を単なる“書生の集まり”としか見ていないが、それにしても、土壇場でまだ小沢支持がこれほど存在することには、もはや言葉がない。

小沢氏の個人資産構築の“闇”に斬り込むことができなかった検察の不甲斐なさを国民は嘆くしかないのである。ころころ変わる日本の総理大臣が、よりによって最後に“だだっこ政治家”の小沢一郎になったら、日本人の民度を世界は一体どう見るのだろうか。

結果的に細川内閣を瓦解させた夜中の国民福祉税構想。あの時の悪夢が蘇ってくるのは私だけではあるまい。

常に仲間を切り捨て、自身も多くの仲間の離反のために頂点に上り詰めることができなかった小沢一郎氏。さすがに“書生たち”を騙すことぐらいは、朝飯前らしい。

“だだっこ政治家”小沢一郎の乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負の結果は、いよいよ明日明らかになる。

カテゴリ: 政治

お笑い民主党代表選

2010.09.06

各種の報道を見ていると、「菅vs小沢」の民主党代表選は、どちらが勝つか予断を許さず、拮抗しているそうだ。元秘書が3人も刑事責任を問われ、検察審査会に「起訴相当」とされ、さらに政治資金をもとにしたと思われる「個人名義」の資産がごろごろ出て来たカネまみれの政治家に、「日本の将来を託そう」という人が、少なくとも民主党支持者の半分はいるそうな。

お笑いである。ジャーナリストの櫻井よしこさんは、この二人の対決を「資質のない人(菅)」と「資格のない人(小沢)」の戦いと喝破したが、言い得て妙である。民主党という、「現実」がまるでわかっていない書生のような政党に政権を任せている以上、今回のような事態が惹起(じゃっき)されることは、ある程度予想はついていた。

しかし、本来なら刑事責任を問われるべき人を、すき好んで一国の総理に押し上げようと人がこれほどいることに、多くの見識ある日本人は唖然としている違いない。

昨日もテレビに映っていた代表選の街頭演説に苦笑いした人は少なくないだろう。「小沢!小沢!」の大コールで、菅の演説には拍手も起こらない。サクラを大動員するにしても、ここまでやれば逆効果である。

しかし、小沢政治というのは、ここにこそ本質がある。「加減というものを知らない」のである。「中国にヒレ伏す」と言えば、中国に大訪問団を組織して乗り込み、あたかも臣下であるかのごとく拝謁外交を展開し、胡錦涛国家主席に1人10秒で記念写真を撮ってもらうまで「へり下る」のが小沢一郎という政治家である。

そこまで徹底してやれる政治家はたしかに日本にも少ない。「加減を知らない」とは、すなわち「恥を知らない」ということである。異常なスピードの小沢氏の「個人資産の構築」にも、そのことは十二分に現われている。

そんな御仁が日本国の総理に就く事態が、現に「あり得る」というのである。私は、代表選のニュース映像を見ながら、この際、小沢総理誕生でもいいではないか、と思い始めた。

陶酔感に満ちた書生の集まりに過ぎない民主党という政党の実態を広く国民に知らしめるために、「小沢政権を誕生」させ、そして民主党が崩壊する方が、長い目で見た場合、日本国民にとっていいのではないか、とも思うのである。

この際、皮肉を込めてエールを送ろう。小沢、ガンバレ、と。

カテゴリ: 政治, 随感

小沢一郎の失敗

2010.09.01

いよいよ民主党代表選だ。「小沢一郎は致命的な大失敗をした」と思いながら、私は両陣営の旗揚げのニュースを見た。

政治資金規正法の虚偽記載で三人の元秘書が逮捕され、検察審査会から「起訴相当」の刃を突きつけられている小沢氏。国民が、その小沢氏がついに自分自身が出馬するところまで追い込まれたことを「どう見ているか」は、マスコミ各社の世論調査の数字が物語っている。

これでは、単なる“ピエロ”である。小沢氏のかつての政治の師・田中角栄がそうであったように、“闇将軍”として政界の実権を握るのならわかる。しかし、これほどカネにまみれ、塀の内側にさえ落ちかねない人間が、自らステージの上にノコノコ上がってくるとは、いくらなんでも滑稽過ぎる。

誰かを擁立して“闇将軍”になるしか小沢氏には「道はなかった」のに、迫る司直の手を恐れ、自ら「権力者」になるしかなかったのである。しかし、田中真紀子など、誰もついてこないような人間しか小沢氏はコマを持ち得なかったのだ。

今日の小沢氏の旗揚げ式を見ていると、海江田万里氏や赤松前農相などの姿があった。万難を排して、そこに持っていくことができれば、ある意味、面白かったかもしれない。あるいは、地方票もある部分「取り込める」かもしれなかったからである。

しかし、国民の“常識”から外れたピエロの出馬で、勝利を勝ち取ることは到底無理になった。その意味で、“おだてられて”“木に登ってしまった”小沢氏は哀れというほかないだろう。

そんな永田町の喧噪をよそに、私は今日、浜松町で、マスコミ志望の大学生たちを相手に延々と講演をやっていた。朝10時から夕方6時過ぎまで丸1日、セミナーの講師を務めたのだ。文化放送キャリアパートナーズの主催である。

セミナーの内容は、マスコミが求める人材像の話から始まって、合格作文術、合格面接術……等々、多岐にわたった。さすがに1日中、立ちっ放しだと疲労も蓄積したが、マスコミに入ろうとする意欲ある大学生たちの熱心さにアト押しされて、楽しくやらせてもらった。

昔も今もマスコミに入るのは至難の業だ。文章講座も含めて、プロの指導を学生たちは待ち望んでいる。そのことを今日、ひしひしと感じた。聞けば、どこの大学でもジャーナリスト養成講座、面接・作文講座等々はあまり充実していないようだ。

長年にわたって培ってきたものを学生たちに伝えることができるのは、私の喜びのひとつでもある。

カテゴリ: マスコミ, 政治

大学野球と民主党代表選

2010.08.31

今日は時間をつくって、昼から神宮球場へ出かけてきた。中央大学創立125周年記念硬式野球交流戦の「中央大学vs早稲田大学」の試合を観戦するためである。

両チームには、学生最速を誇るエース澤村拓一(中央)や、斎藤佑樹、大石達也、福井優也(いずれも早稲田)という「ドラフト1位候補」が何人もいる。いわば学生野球のトップに立つ両チームの激突だった。

7月に左わき腹を痛め、この日が復活戦の澤村、早稲田も福井、大石などが登板し、それぞれがプロ注目の球を披露した。試合は、1対0で迎えた最終回に早稲田が中央の渡邊洋平投手の制球の乱れにつけこんで3点を挙げ、4対0でそのまま中大を下した。

しかし、ドラフト候補の澤村、福井、大石は共に相手に得点を許さず、貫禄を見せつけた。試合後、それぞれにインタビューをしたが、なかでも目立ったのは、澤村の強気ぶりである。

この日もマウンドに上がるや、いきなり154㌔の球を連発したが、記者から「150㌔のボールを連発したが……」という質問が飛ぶと「150というのは、(僕にとって)特別な数字じゃないです」と平然と答え、左わき腹のケガについて質問が出ると、「(もう)投げられるので、ケガのことはこれ以上、聞かないでください」と、言い放った。澤村は、そんな負けず嫌いな勝負師としての表情を記者たちに垣間見せた。

その後、私は旧知の高橋善正・中大監督に澤村のことを聞いた。高橋監督は、「(澤村は)どこまでも貧欲な奴だ。ここまで自己管理ができるのは、プロでもなかなかいない。スピードにこだわり、ついにはセレクションの時には141㌔に過ぎなかった男がここまで来た」と、満足気に語った。

高橋監督は、斎藤佑樹との比較でも「伸びしろが全く違う」と、愛弟子の澤村が数段上であることを示唆した。大学の4年間で何を得て、何を失うか。それぞれの投手が選んだチームによって、「伸びるか否か」が決まる。澤村の伸びは、この高橋監督の存在なくしては語れないだろう。東映時代に完全試合を達成し、巨人に移籍後も、V9に貢献したこの投手出身の監督に出会えたことは、澤村にとってはかり知れない財産になったに違いない。

春夏の甲子園の覇者・興南の島袋投手も「中大を志望している」という報道が出ているが、澤村の大学入学後の底知れない“伸び”を考えると、それも頷ける気がする。

いよいよ大学野球は、秋季リーグ戦がスタートする。どのリーグからも目が離せない。

神宮から帰ってくると、政界では、「菅vs小沢」の対決が回避できず、いよいよガチンコ勝負になることが報道されていた。2日前のブログでも指摘した通り、挙党一致体制の構築と組織対策費の流用問題を不問に伏すという2つの条件を菅総理に呑ませて、「土壇場で小沢が下りる」という可能性はこれで消え去ったのだ。

いよいよ代表選は、仁義なき怨念戦争に突入した。党分裂は、もはや必至の情勢だ。代表選後、小沢一派が、ひたすら権力に近づきたい公明党に、どうアプローチしていくのか、要注目である。

カテゴリ: 政治, 野球

“怨念政争”のあとに何が残るか

2010.08.29

民主党代表選(9月1日告示、14日投開票)の土壇場の攻防がおもしろい。

“素人”同然のチルドレンたちを締めつけて国会議員の数だけは優位に立つ小沢一郎前幹事長だが、毎日新聞の世論調査によれば、「どちらが首相にふさわしいか」は、菅氏が78%で、小沢氏が17%だったそうだ。

一般の目から見ればこの小沢氏に対する国民の厳しい数字は不思議でもなんでもないが、ゴリ押しを続ける小沢グループにとっては「衝撃」というほかないだろう。

そのため、30日にも予定されている菅・小沢会談で「挙党一致」を条件に急遽、小沢氏が出馬取りやめを決定する可能性もまだ残されている。

しかし、ここまで怨念が拡大されれば、両派とも引っ込みがつかなくなっているのも事実だ。小沢氏が恐れるのは、自分が民主党の代表を務めていた時期に、組織対策費として側近の山岡賢次議員らに16億円もの巨額の資金を出していたことなど、党資金の使い方に疑惑があり、それが暴かれることである。

これらは、すでに共産党の機関紙「赤旗」が熱心に報道してきたことだが、小沢氏には党のカネを自分を支持する特定の議員に渡したり、あるいは政党を解党した時に、党のカネがどこかに消えているという疑惑が、いつもついてまわっている。

これらを徹底追及されれば、また新たな政治とカネ問題が噴き出す可能性もある。「挙党体制」だけでなく、これらを「不問に伏す」ことを条件に、小沢氏の代表選出馬取りやめが土壇場で決定される可能性が残っているのはそういう意味である。

世論を無視してごり押しする小沢グループを、それでも鳩山由紀夫前首相は推すのだそうだが、自分が小沢幹事長を辞めさせたのは、つい3か月前のことであることを思い出した方がいいだろう。

両派が歩み寄りに失敗すれば、民主党は確実に分裂する。そして政界再編の大激震につながる。しかし、小沢氏と一緒に「党を出て行く」議員の数は、予想以上に少ないだろう。政界の壊し屋の異名をとる小沢氏も、引き際を見誤ったら「崩壊する」のは自分たちのグループだけという剣が峰に立っているのである。

経済も無策、行財政改革についても無策、という無能総理であるにもかかわらず、“反小沢”という1点のみにおいて国民の支持を集めている菅総理。なんとも情けない“コップの中の争い”である。

カテゴリ: 政治, 随感

なぜそこまで小沢氏は焦るのか

2010.08.26

民主党の代表選は、菅VS小沢の一騎打ちになるそうだ。参院選に惨敗した総理と、惨敗のもとになった「政治とカネ」問題の張本人の対決である。この酷暑の時期に、なんとも背中がうすら寒くなるような最高権力者の座をめぐる闘いである。

しかし、人望も見識もない小沢一郎氏がどうしてここまで党内で“支持”を得られるのか、不思議に思っている人も少なくないだろう。

なんのことはない。自民党の最大派閥・田中派で雑巾がけを若い頃、ひたすらやらされた小沢氏は、政界が「数の論理」のみで動くことを身に染みて知っている。

それは、閥務を経て身につけた唯一の財産と言っていいだろう。小沢氏が民主党の代表と幹事長を歴任する中で、候補者の公認権だけは手放さなかった理由がそこにある。常に「誰を公認するか」を自分の判断で決め、候補者に恩を売り、何でも自分の言うことをきくイエスマン(ウーマン)の新人議員を増やしていったのである。

普通の政党なら今の小沢一派がやっているような締めつけはやらないものだが、小沢一郎という政治家が持つ排他性と独裁性が一年生議員たちを震え上がらせ、反菅勢力の結集にイヤイヤながら「つながっている」のである。

私は今回、あくまで小沢氏はキングメーカーに徹し、たとえば田中真紀子をはじめ、自分が動かせるコマの中から代表選候補を絞ってくると思っていた。

しかし、自ら代表選に名乗りを上げなければならないほど焦っているのは、彼にとってそこまで忍び寄る司直の手が怖いからである。なりふり構わぬ形で最高権力者の座を奪取しようというのは、このままでは自ら「塀の中に落ちる」可能性をかなり「高い」と見ているからだろう。

言うまでもなく、今回の代表選は怨念選挙である。当然、政界再編へとつながる分裂含みの選挙となる。一年生議員も、小沢氏の強権手法にいつまでもついていくと、自分が上がってきた梯子(はしご)はいつの間にか外されていたことに気づくだろう。

確実に言えることは国民世論が「呆れ果てている」ということだ。しかし、その国民の怒りを肌で知った時は、もう「遅い」というほかない。

カテゴリ: 政治, 随感

日本人にとって「恥」とは何か

2010.08.25

戦前のアメリカの女性文化人類学者ルース・ベネディクトは、西洋の文化を「罪の文化」と称し、日本の文化を「恥の文化」と称した。そのユニークな分類の仕方の是非はともかく、日本文化を「恥」を基軸にして分析した手法は興味深い。

しかし、その「恥の文化」も現在では雲散霧消しているのかもしれない。年金欲しさに亡くなった親の遺体をそのまま葬りもせず、隠したまま年金を詐取する子供たち。無責任と恥のなさ。それが現代の日本人の特徴となってしまったのだろうか。

本日の小沢一郎氏の政治塾での講演を聞いて、その「恥」という言葉を思い浮かべたのは私だけだろうか。

元秘書3人が政治資金規正法の虚偽記載で逮捕され、検察審査会は小沢氏を「起訴相当」と判断した。政治資金が小沢名義の資産構築に費やされた疑惑や、政党助成金、すなわち国民の税金すらその資産構築にまわったという疑惑も小沢氏には存在する。

鳩山首相と小沢幹事長の政治とカネの問題は国民を呆れさせ、「参院選惨敗」の大きな要因となったのは周知の通りだ。

幹事長を辞任して、一線から去ったはずのこの夏、小沢氏は山岡賢次や松木謙公という側近を使って「出馬要請」させ、民主党の代表選に名乗りを上げるのだそうである。

国民から総スカンを食らうことが確実のこの総理候補の姿を見て、私は日本人に「恥」という概念はなくなってしまったのか、と怒りを通り越して寂しくなってしまった。ここまで日本人は劣化してしまったのか、と。

「恥を知ること」から、政治家は始めなければならない。そんなあたりまえのことすら知らない与党民主党の議員たちには、さっさと退場願いたいものだ。

恥を知れ、小沢一郎よ。

カテゴリ: 政治, 随感

最初は「冗談」かと……

2010.08.23

民主党代表選への小沢一郎氏の出馬を聞いて、最初は多くの国民が「冗談」と思ったに違いない。わずか3か月前に幹事長を辞任したばかりの、あの疑惑だらけの小沢氏が、まさか代表選に出て来ることなど想像もできなかったに違いない。

参院選での敗北の一因は、まさにこの人にあった、と言っても過言ではない。現職の国会議員を含む元秘書3人が逮捕され、その呆れ果てた資産構築の実態に、国民の間から強い非難の声が上がっていた。

その御仁を検察が「不起訴にした」ことへの不満はいまだに燻り、強制起訴がなされるかどうかの瀬戸際を迎えている。

そんな疑惑の人を「次の総理」にしようと大真面目に動いている人がいるのだから、「あんた、冗談はやめてよ」と言いたくなるのも無理はない。小沢氏の腰巾着として有名な山岡賢次・民主党副代表の一連の動きは、そこまで国民を唖然とさせている。

この期に及んでも「まだ小沢」という一連のニュースに、民主党が政党のテイを成していない、単なる烏合の衆に過ぎないことが露呈されたと言える。

人材の払底と強権政治への温床。これが、この政党の持つ宿命である。国民の期待を担えるようなレベルに、この政党はない。

小沢氏の退場だけではない。一刻も早い「民主党の退場」を願いたい。国民不在の一連の小沢出馬騒動にそう感じるのは、私だけだろうか。

カテゴリ: 政治, 随感

菅内閣、ジリ貧への道

2010.07.20

参議院の議長ポストをめぐって駆け引きが続いている。これを菅政権は独自に決める力さえないそうだ。

衆院と参院で与野党の勢力が逆転する「ねじれ国会」となり、参院では自民党などが議長ポストを要求、調整が難航しているのだ。

世論調査でどのメディアも菅内閣の支持率が40%前後となり、不支持率はそれを上まわって45%前後となり、初めて「不支持」が「支持」を上回ったことを報じている。

国民の支持率が唯一の政権の原動力だった菅内閣は、完全にジリ貧への道を進んでいる。選挙直後に内閣改造もおこなわず、国民が選挙で示した“民意”への対応はゼロ。菅政権は短命に終わることを自ら選択した愚かな政権と化してしまった。

このまま世論調査ごとに支持率が低下していくのは必至で、そのたびに“反主流”の小沢グループと連携しようとするグループが党内に出て来るだろう。そしてやがては反主流の数が主流派を上まわり、政権は立ちいかなくなるのである。

座して死を待つ方策を選んだ菅首相とそのブレーンたちの政治センスを疑いたくなる向きは少なくあるまい。あとは小沢氏と検察との闘いの結果次第という、他人まかせの状態というのが情けない。

韓国から金賢姫元死刑囚が来日し、トップシークレットを持って来たが、もともと親北朝鮮の菅首相には、その情報を生かすこともできないだろう。サプライズのない“老いたる元市民運動家”は、この暑い夏をどう乗り切るつもりなんだろうか。

サミットでは、「中国をサミットに参加させよう」と提案し、先進国首脳に鼻で笑われた菅首相。人権と民主主義を共有する先進国でつくられたのがサミットであることすら菅首相は知らないのである。

日本をどこへ引っ張っていくかわからないような人は、確かに早々と退いてもらう方が国民のためかもしれない。

カテゴリ: 政治, 随感

幻想は消えた

2010.07.11

民主党の敗北が決まった。昨年8月の衆院大勝利から10か月余。この国民の審判は何だったのか、と思う。昨年の自公政権への痛烈な国民の“ノー”と、今回の民主党への“ノー”が何だったのだろうか、ということである。

私は、今回の国民の意思表示は、奥の深いものだと思っている。あれだけの期待をもって誕生した昨年の民主党政権を、私は冷めた目で見ていた。あの時のブログを見返してみても、ここまで言うか、というぐらい民主党政権に辛辣な言葉を用いている。

その理由は、民主党に完全に政権を委ねて日本は果たして立ちゆくのか、という根本的な疑問があったからである。民主党政権の政策をひと言でいうなら「日本を日本でなくす」ということである。

「日本列島は日本人だけのものじゃない」と言ってのけた鳩山さんの発言を見るまでもなく、民主党政権はひたすら“日本”というものを無色化しようとしてきた。

そのことに「たちあがれ日本」をはじめ、いくつかのミニ政党が異を唱え、“日本”を前面に押し出して、愛国心に訴えようとした。

しかし、「たちあがれ日本」は票を集めることができず、その中で「みんなの党」がそれを吸収した形となった。

「とりあえずチャンスを与えるからやってごらん」。国民は昨年、あまりにひどい自公政権に愛想を尽かし、民主党にチャンスを与えた。しかし、繰り返される失態に、「日本はこのままで大丈夫か」ということを多くの国民が本気で考え始めたのである。

外国人参政権や人権擁護法という問題法案が今回の参院選にかかっていた。民主党が勝てば、多くの法案が国会を通過し、「日本が日本でなくなる」ペースは一挙に加速しただろう。

それをぎりぎりで阻止した今回の選挙結果に、国民のバランス感覚の絶妙さを私は感じている。昨日も書いたように、少なくとも借金をしてでもバラ撒きをしようという無責任政策は国民の痛烈な“ノー”を突きつけられたのである。

民主党に対する“期待”という名の幻想は完全に消え去ったのだ。

カテゴリ: 政治, 随感

前門の虎、後門の狼

2010.07.10

今日は、福岡県の京都郡みやこ町勝山で、93歳の零戦の元パイロットを取材させてもらった。そのまま汽車と新幹線を乗り継ぎ、広島にやってきた。明日は「戦艦大和」の生き残り乗組員にお会いする。

今週の水曜日に東京を出て早くも4日経った。出発前に「期日前投票」を済ませてきたが、いよいよ明日は参院選の投票日だ。民主党政権ができて以来、初めての本格的な国政選挙である。

菅首相が自らの首をしめた形になった消費税引き上げ問題。おそらく菅首相は、政権を担う責任ある立場として、消費税引き上げが避けられないことを国民に理解してもらうために敢えてこれに「言及した」のだろう。

だが、国民が怒っているのは、単に「引き上げが嫌だから」だけではないことを菅さんも知った方がいい。片や子ども手当に何兆円も使ってバラ撒きを平気でやっておきながら、一方では、税収不足だから消費税を引き上げてこれを補おうとしているのである。

その発想に「いい加減にしろ」と、国民は怒っているのである。子孫にツケを残すバラ撒き策と、消費税引き上げという2つが「セット」になったために、「ああこの政権はダメだ」と、批判が噴き上がったことを見誤ってはならない。

しかし、だからといって「自公政権に戻したい」という声が上がってこないところも興味深い。自公政権下で昨年実施された定額給付金でもわかるように、バラ撒きの発想は自公政権も変わらないのだ。

あの定額給付金でも実に2兆円の国民の税金が消えた。公明党がくっついている限り、自民党もこの手のバラ撒き政策からは逃れられないわけで、その意味でせっかく民主党批判が高まっても、自民支持への大きなうねりとは成り得ないのである。

このマグマのような国民の怒りと不満を吸収できる政党がないところが寂しいかぎりだ。みんなの党が比較的、健闘しているようだが、獲得議席をどこまで伸ばせるか注目だ。

仮に獲得議席が二桁に乗るようなことがあれば、一気にこの党の発言力と存在感が増す。今後の混乱政局のイニシアティブをとるようになるだろう。

菅政権が選挙に敗北すれば、民主党内で小沢一派が息を吹き返すことも注目だ。そうなれば、9月の民主党代表選は修羅場と化すだろう。

菅首相にとってはまさに“前門の虎、後門の狼”。泣いても笑っても明日の結果がすべてを決める。

カテゴリ: 政治, 随感

予断を許さない参院選

2010.07.07

ここのところブログの更新もできず、ひたすら原稿を書き続けた。そして今朝、原稿500枚を無事、入稿した。発売は8月5日だ。出版社も特別体制で突貫の編集作業をおこなってくれるそうだ。

なんともありがたい。しかし、編集者との打ち合わせもできず、徹夜明けのまま別件の取材で九州・佐賀に飛んできた。そして夜は長崎にいる。

90歳になる元海軍の軍医中尉にお会いするためである。明日は長崎でこれまた海軍の元軍人に取材させてもらう予定だ。若いつもりでも、さすがに徹夜が身体にこたえる。

巷では、いよいよ参院選の最終盤だ。野党から包囲された形の民主党・菅政権は、じりじりと支持率を落としている。

「このままで日本はいいのか」という各党の十字砲火で後退を余儀なくされているのだ。勝敗はまったく予断を許さない。マスコミの世論調査は、与党民主党の過半数確保は無理、というのが一般的だが……。

NHKの大相撲中継中止の決定は、当然だった。傲慢な態度でマスコミを会見で怒鳴りつけた武蔵川理事長も、世間の怒りの凄まじさを思い知っただろう。

今後の注目は、国税局の出方だ。常識外れの賭け金を野球賭博につぎこめる力士たちの“ごっつあん体質”に国民の怒りは高まっている。

税の捕捉率がいまだに不公平著しい日本で、財団法人という税の優遇措置を受ける協会の人間たちが、納税の義務もろくに果たさないまま何千万もの金額が動く賭博にウツツを抜かしていたのだ。一生懸命応援してきたファンこそ、いいツラの皮である。

これをきっかけに公益法人への課税問題を政治課題にして欲しい、と思う。特に宗教法人への課税措置だ。消費税の引き上げなど議論にならないほどの財源がそこには眠っている。そこへ切り込む政党が出てくれば、国民の拍手喝さいを浴びることは間違いない。

書きたいことは沢山あるが疲労困憊なのでこのあたりで。長崎のホテルにて。

カテゴリ: 政治, 相撲

参院選も佳境に入った

2010.06.28

世の中はワールドカップ一色のようだが、参院選も実はヒートアップしている。毎回、参院選の前が来ると雨後のタケノコのごとく、新しい政党が生まれたり、タレント擁立が話題になったりする。今回も例外ではない。

しかし、以前のブログにも書いたが、今回の参院選の意味は大きい。衆院で圧倒的な勢力を誇る民主党が今回の参院選で勝利すれば、国会運営は何の問題もなくなる。好きなだけ「法案を成立」させることができるようになるのである。

しかし、過半数を制することができなければ、逆に衆参のねじれ現象が生じる。菅政権は、妥協の中でしか法案を成立させることができなくなるわけである。

先日、私の事務所からほど近い新宿西口で「たちあがれ日本」と「民主党」が“激突”していた。先週の木曜日(24日)のことである。

あらかじめ許可をとって演説をおこなっていた石原慎太郎、与謝野馨、中畑清の各氏らを尻目に、民主党の比例代表候補の白真勲氏の選挙カーが現われ、大音量で演説をスタートさせ、その上、“白真勲コール”まで始まったのだ。

小田急百貨店前と京王百貨店前での演説合戦である。与謝野氏が白氏の宣伝カーのところに行き、「公党間の約束で決めた場所に入って来るな」と抗議すると、「公道で演説をやってどこが悪い!」と拒絶し、対立はますますエスカレート。怒った石原氏が演説の途中で、「日本人ならルールを守れ!」と白氏の選挙カーに向かって叫ぶ騒動となった。

いま新宿は、いつ行っても選挙カーの大音響の只中にある。混沌とした政治情勢は、ここを歩くだけで、ひと目でわかる。以前は敵陣営の選挙カーを見ると、「ご健闘を祈っております」とひと声かけて走り去り、少なくともそこに割り込んで演説をおこなうことなどなかった。

しかし、今は違う。国会の中であろうと外であろうと、ルールなど二の次だ。あれだけ強行採決を批判してきた民主党が、今では強行採決はお手のものだ。

こういう意識の議員ばかりの中で、単独独裁政権の怖さをつくづく感じる。鳩山前首相は「日本列島は日本人だけのものではない」と言ってのけて、人々を唖然とさせたものが、イラ菅と言われる菅首相が、もし、衆参ともに単独で圧倒的勢力を得た場合、国会はどんな事態になるのだろうか。

菅首相は先日の衆院本会議で、過去に北朝鮮による拉致事件の実行犯、辛光朱(シンガンス)元死刑囚の嘆願書に署名したことについて謝罪した。「彼の名が入っていたことを確かめずに署名したことに反省している」と述べたのだ。

これはあまり大きくは報道されなかったが、菅首相の基本姿勢を見る点で参考にはなる。中国や北朝鮮への基本的な立ち位置を見ていると、大いに心配になるのは私だけだろうか。

それを意識してかどうか、サミットの席上、菅首相は、中国の胡錦濤国家主席に北朝鮮への強硬姿勢を迫った。もしこれが本気なら「その意気やよし」だが、実際には心もとない。

民主党が単独政権を樹立した場合、外国人参政権問題をはじめ、懸案事項が一気に動き出すのは確実だ。悪名高い人権擁護法案という名の言論圧殺法案も再び動き出しかねない。取り調べの“全面可視化”も一気に実現に向かうだろう。

国民は民主党の単独過半数を望むのか望まないのか。自分たちの一票が、実は今後の日本にとって、とてつもなく大きいことを認識しなければならない、と思う。

連日連夜、目にクマをつくってワールドカップだけに一喜一憂している場合ではないのである。

カテゴリ: 政治, 随感

今回の参院選はおもしろい

2010.06.24

本日、参院選が公示され、17日間の選挙戦がスタートした。私の事務所がある新宿では、朝からヘリコプターの音が絶え間なく聞こえていた。

新宿の東口・西口には選挙戦スタートと共に党首クラスが姿を現すのが常だ。今日もそれを上空から映すためにマスコミのヘリが殺到したのだろう。

私は今回の参院選はおもしろいと思う。国政選挙が公示、あるいは告示される時には、通常はその選挙戦の予想は「大体ついている」ものである。

しかし、今回の参院選は普段と違って予測が難しい。鳩山前政権が国民の失望を極限まで浴びて退陣した後、菅政権は、見事にバトンタッチに成功した。

国民が支持する「反小沢」という絶対的なカードを前面に押し出し、支持率をV字回復させたのである。

しかし、そこまではよかったが、有権者もいざ現実に戻ると、民主党政権がこの9か月でやってきた数々の失態が改めて想起されたに違いない。そもそも政治とカネの問題は、なにひとつ解決していない。そんな中で、「このまま菅政権を支持していいのか」という思いが多くの有権者に頭をもたげてくるのは不思議でも何でもない。

内閣支持率がわずか1週間で10%近く下落しているのがおもしろい。国家の根幹を揺るがす施策を次々と打ち出した民主党政権が、菅内閣でその傾向を強めることは確実だ。しかも、就任直後の支持率の“ご祝儀相場”は終わったばかり。あとはどっちに振れるか、である。

これからの17日間次第で、勝敗はどうにでも転がる。特に小沢前幹事長によって立てられた民主党の“二人区”は、共倒れが続出するだろう。私は、与党の過半数確保は、至難の業と見る。

予測が難しい国政選挙ほどエキサイティングなものはない。国民が右に動くか左に動くか。今回の選挙には、私の知り合いも多数出馬している。しばらくは、選挙戦の動向から目を離せない。

カテゴリ: 政治, 随感

「奇兵隊vs壊し屋」の行方

2010.06.08

丹波&城崎の取材を終えて本日、帰京した。城崎では、取材先でお話を長時間伺わせていただいた上に、夜、地元料理もご馳走になり、美味しいお酒も堪能させてもらった。

文豪・志賀直哉が愛した城崎温泉の湯にもつかり、すっかり旅の疲れと汚れを落とさせてもらった。お礼の言葉もない。

取材の成果は、夏に出版するノンフィクションの中で詳しく書かせていただく予定だ。

さて、夕方帰京すると、菅内閣発足のニュースで東京は持ちきりだった。見事、支持率をV字回復させた菅氏の手腕は、市民運動家からスタートしたとはいえ、数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験に裏打ちされた“何か”を感じさせる。

哲学、思想、知識、いずれも極めて乏しかった前首相に比べ、国民はある種の頼もしさを感じているのだろう。60%になんなんとする支持率は、それへの期待感と言える。

しかし、1年以内で総理が変わるという“失点合戦”の様相を呈している日本の政界で、菅体制が1年以上続く保証はどこにもない。

懸念材料の最大のものは、「次」を狙うリーダーがいつ小沢グループと手を結ぶか、にある。幸いに岡田克也、前原誠司両氏など、「次」のリーダーたちは今のところ、悉く閣内に取り込まれている。

菅氏による「小沢グループの孤立化」という戦略が徹底されているだけに、この不安がかなりの部分小さくなっているのは事実だ。

しかし、“壊し屋”の異名をとり、怨念をいつまでも忘れない特異な人間である小沢氏は、党を“割る”ことも視野に入れているだろう。すなわち中間勢力や、自民党の一部と連携することなど、これからは小沢氏も倒閣戦略を「なんでもあり」で立ててくるに違いない。

その時、自民党の中のどのぐらいの勢力を連れてくることができるのか、彼の手腕が問われる。その前に検察の動き次第で彼は窮地に陥る可能性もあり、予断は許さない。その点では菅内閣が総力を挙げて検察に小沢捜査を「貫徹させる」かもしれない。興味は尽きないのである。

いずれにせよ、すべては国民の支持率次第。そのことをよく知っている菅首相が果たして次々とどんな支持率アップ策を打ち出してくるのも注目される。

菅首相は、自らの内閣を高杉晋作の「奇兵隊」になぞらえていたが、哀れな末路を辿った奇兵隊と、早世した高杉の二の舞にならないよう祈るばかりだ。

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丹波の山あいの町にて

2010.06.06

丹波の山南町(さんなんちょう)という山あいの町にやって来た。イノシシと松茸が名物の兵庫の山の中である。明日は、日本海側の城崎温泉まで足を延ばす。

今年は、日航機墜落事故から四半世紀(25年)という節目の年である。その関係で今、さまざまなご遺族とお会いしている。

今日もあの時、凄まじい経験をしたご遺族にお会いした。明日の城崎温泉でも、一人お会いする予定だ。

これまで活字になったことがない痛烈な家族愛と使命感の物語に、私自身がここのところ感動を新たにしている。ノンフィクション作品として近くお目にかけることができるようになれば幸いだ。

さて、政界では、週明けから菅新体制が話題を独占する。菅体制のサプライズは、“反小沢”の民主党7奉行が、揃って重要な役職を占めることにあった。

菅氏は、民主党の人気凋落の元凶でありつづけた「小沢一郎」という人物をターゲットにすることによって、逆にV字型の人気回復を策したのだ。

菅氏の戦略は見事に功を奏した。マスコミの世論調査は、60%という支持率になって現われつつある。

直前の鳩山内閣の支持率が20%を切っていたことを思えば、そこまで民主党の足枷(あしかせ)になっていた「小沢一郎」という存在に改めて溜息が出る。

小沢氏は、これから自らの生き残りをかけて「対菅直人」、そして「対検察」という戦争に臨むことになる。

“怨念”をエネルギー源にしてこの20年間、政界に陰に陽に影響力を及ぼしてきた小沢氏。これからの「お手並み拝見」と言いたいところだが、なにかここへ来て哀れささえ漂い始めている。

息を吹き返した検察の対小沢戦争の行方が注目される。

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新政権のキーワード

2010.06.05

次第に全貌が見えてきた菅直人新首相の体制が興味深い。キーワードが“反小沢”であることが明白になっているが、これが半端なものではないのだ。

旧鳩山体制の車の両輪が、小沢一郎氏(小沢グループ約120人~150名)と輿石東氏(旧社会党系の横路グループ約30人)だとすると、菅体制は、「反小沢グループ」の集合体である。

官房長官に仙石由人氏、党幹事長に枝野幸男ら、出て来る名のキーワードは、すべて“反小沢”。これを政権の求心力にしようというわけである。

永田町では、プロ筋から「さすが、菅だ」という声が上がっている。約420名の民主党国会議員の内、これまで反流派はわずか100名に過ぎなかったが、今度は、逆に小沢グループそのものが非主流に追いやられたのだ。

菅首相の考えは明快だ。150人近い小沢グループが“単独で”非主流派となる限り、「怖くない」というのが、基本的な考え方なのだ。車の両輪どころか、車輪も車体もすべて「反小沢」でつくりあげれば、最大派閥の小沢グループといえども、菅は「怖くない」のである。

ここに2つのポイントがある。1つは、「反小沢」を強烈に打ち出すことによって、世論調査で小沢の辞任を求めた80%の人々を支持者として取り込み、かつ、仮に今度の検察審査会でまたも「起訴相当」の結論が出ようと、政権への打撃を最小限に食い止めることができることである。

もう1つは、膨れ上がった小沢グループに「小沢に代わるリーダー」、つまり「次」がいないため、小沢自身の政治生命が危うくなった段階で、このグループは草刈り場となり、一気に叩きつぶせるというプロらしい“読み”である。

これまで、候補者に対する公認権を手離さないことで大量の“小沢チルデレン”をつくってきた小沢氏だが、周知のように彼らの実態はほとんどが政治のイロハも知らないような素人集団だ。

これからは、人事から干され、政党交付金を自由に使えなくなった小沢氏からの資金提供もやがて途絶えがちになるだろう。そうなれば、彼ら小沢チルデレンの結束は揺らいでいく。菅首相はそこを見越しているのだ。

小沢グループを人事で優遇するから「小沢氏の影響」を排除できないわけで、これを完全にやめれば、小沢グループの影響が弱まるだけでなく、このグループに所属するメリットそのものがなくなり、揺さぶりがいくらでもかけられるのだ。

つまり菅首相は国民に必ず支持されるであろう“反小沢”で正面突破と政権の浮揚をはかり、求心力を自ら作り上げたのである。

小沢氏が今後やることは目に見えている。他のグループのリーダーを担ぐことで、そのグループとの連携をはかり、民主党国会議員の過半数を制しようとするだろう。

だが、人事で干されれば、それも容易ではなくなる。結局、9月の代表選ではせいぜい田中真紀子を代表候補として擁立するぐらいで終わるだろう。それも、小沢氏が数々の疑惑によって身柄を捜査当局に「抑えられていない」ことが前提だが……。

菅vs小沢。並び立つことのできない両雄の激突は、この新政権最大の“呼び物”になるに違いない。それにしてもかつての田中派がそうであったように、膨れ上がり過ぎた派閥は「自壊」するしかなく、その意味でまさに“歴史は繰り返す”のである。

カテゴリ: 政治, 随感

いよいよ参院選へ

2010.06.04

たった今、民主党の新代表が決まった。菅直人氏が樽床伸二氏を「291票対129票」で破って当選を果たした。

勝敗については予想通りの結果だが、樽床氏が3ケタの票数を獲得したことは、菅氏への無言の圧力になったと言えるだろう。

小沢グループが土壇場で存在感を誇示するために「樽床支持」にまわった、という情報が流れた。結果は、樽床氏が129票を獲得した。小沢グループの票が相当数、樽床氏に流れたことを表わしている。

当選直後の演説で菅氏は、「樽床さんに入れた方も、私に入れてくれた方も、これからは一致団結して戦っていきたい。ここで、ノーサイドの宣言をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか」と問いかけた。会場には「おう」という声が上がった。

これは、小沢グループへの菅氏の痛烈な問いかけでもある。党内最大派閥で120人とも150人とも言われる小沢グループを“敵”にまわしては「政権を安定させることはできない」という菅氏の悲鳴に近い願望でもある。

新政権誕生によって、いよいよ待ったなしの参院選突入である。そんな中、旧知の弁護士、後藤啓二氏から携帯に電話が入った。「私、選挙に出ることになりまして……」。不意なひと言にびっくりした。

慌てて彼のホームページ( http://www.law-goto.com/ )を見てみたら、確かに出ている。後藤弁護士は、元警察官僚で、退官後、弁護士に転じ、犯罪被害者の権利拡大のために邁進してきた人物である。私とは、犯罪被害者のシンポジウムで共にパネラーを務めたこともある。

私は、これまで「裁判官が日本を滅ぼす」「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」「激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将」など、司法と犯罪被害者に関わる著作を発表しているため、後藤弁護士とは接点が少なくない。

後藤氏自身も「なぜ被害者より加害者を助けるのか」「日本の治安」など、私と同じジャンルの著作を持つ。昨年の後藤氏の出版パーティーにも出席させてもらったが、会場には、奥さんと、まだ赤ちゃんのお嬢ちゃんの姿もあった。

私は「平穏に暮らす人々をいかに守るか」ということが、国家にとって最も大切なことだと思っている。この時の後藤ファミリーのようすを見て、彼が犯罪被害者の支援を懸命におこなっている理由が何となくわかったような気がした。

「どこ(の政党)からですか?」と私が問うと、「みんなの党です」とのこと。比例からの出馬だそうだが、菅新首相の誕生で参院選の様相は一変している。

支持率を伸ばしている「みんなの党」といえども、赤絨毯(じゅうたん)への道は平坦ではないだろう。世間の片隅で泣いている犯罪被害者のために後藤氏がいかなる闘いを展開するのか見守りたい。

カテゴリ: 政治, 随感

新政権と検事総長人事

2010.06.02

鳩山総理の辞任は、車の両輪であった「小沢」「輿石」両者の“続投ノー”の意思表示があった以上、当然のことだった。

車は「車輪なし」では動けないのだから、これが外れた段階で、辞任せざるを得なかったわけである。しかし、昨日のブログでも書いたように、最後に「国民に信を問う」という鳩山氏自身が野党時代に広言してきたことも「実行できなかった」のはみじめこの上なかった。

小沢氏を“道連れ”にしたことだけが功績と言えるだろうが、この人の言うことはどこまでが本当か判断できないところがつらい。辞任は「決めていた」が、小沢さんに一緒に辞めてもらうために辞任が「1日遅れた」という説明は、果たしてどこまで信用できるのだろうか。

これまでさんざん嘘ばかりついてきた鳩山さんは、総理辞任後のぶら下がり会見でも、どこまで本当を語っているのか、記者たちも掴みかねている。つまり、鳩山さんは、最後まで“宇宙人”を貫いたわけである。私は、鳩山さんが民主党代表に就いた昨年5月16日付のブログでこう書いた。

「政治家はもともと“二枚舌”が武器かも知れないが、この人の場合は、その奥に、深みも思想も哲学も、何も感じさせないところに特徴がある。自分たちの当落を左右する代表選に、鳩山と岡田克也という“元代表”しか担ぎ出せない硬直した体質にこそ民主党の宿命と悲劇がある。鳩山代表の再登場に、自民党幹部たちの高笑いが聞こえてくる」と。

鳩山氏は、自分を担いでくれた小沢氏のあやつり人形となって総理の座は勝ち取った。しかし、能力も識見もない鳩山氏には、この9ヶ月間は針の筵(むしろ)だったに違いないと思う。

民主党内の情報を聞くかぎり、いよいよ菅直人時代が幕開けするようだ。良し悪しは別にして、菅氏は鳩山さんより「政策」や「信念」について、それなりのものを持った政治家であることは間違いない。

“イラカン”と称されるほど、短気でイライラするという欠点はあるものの、厚相時代に薬害エイズ問題で厚生官僚たちを唖然とさせた剛腕の持ち主である。鳩山氏のように「どうにでも操れる」政治家でないことは確かだ。

自民党幹部たちは菅氏を評して“過去の人”と揶揄しているが、これまでの高笑いは完全に消え去った。参院選が鳩山政権下でおこなわれれば「大勝」は見えていたのに、その空気は新政権発足でかき消されるからだ。

仮に菅政権が誕生するならば、さっそく彼は世間をあっと言わせる内閣を発足させるべく動くだろう。その目玉、すなわちサプライズが何になるのか予想もつかない。しかし、逆に斬新な内閣をスタートさせられなければ、新政権も短命で終わる。なぜなら参院選という国民の意思表示がすぐにあるからだ。

世間が期待するのは、新政権が「ツケを子孫に残す」ばら撒きをどこまでストップできるかである。さらに言えば、小沢氏の処遇だ。今回、権力の座を去ることに最後まで小沢氏が抵抗したのは、検察との闘いが存在するからにほかならない。

検事総長への民間人登用――すなわち自分の思い通りになる弁護士を検事総長に就かせ、対検察との戦争に最終決着をつけようとした小沢氏が、大林宏・現東京高検検事長の検事総長就任を「阻止できない」となると、検察は対小沢戦争で「息を吹き返す」ことになる。

今月63歳の定年の誕生日を控えていた大林氏は、「退任か」「検事総長就任か」の瀬戸際にいた。それだけに、今回の小沢幹事長の辞任劇はより一層意味を持つのである。

小沢氏の新たな疑惑摘発に特捜部が動けるか否か、という視点において、鳩山さんが小沢氏を道連れにしたのは極めて大きな意味をもつものだったと言える。

そして気になるのは朝鮮半島情勢だ。隣国の一触即発の事態に、日本も政治的空白は許されない。要は、新政権は難問山積なのだ。日本には、今こそ“剛腕総理”が求められている。


カテゴリ: 司法, 政治

じり貧で“退場”するぐらいなら

2010.06.01

鳩山総理の“抵抗”が続いている。すでに退陣への道筋はついているが、本人だけはどうしても諦めきれないのだ。最高権力者の座から降りることを自分に納得させることとは、それほど難しいのである。

自分を支えてきた小沢一郎幹事長と輿石東参議院幹事長の2人が見限っても、鳩山総理は首をタテに振らなかった。車の両輪を失っても、まだ走り続けようというわけだ。

権力の座にしがみつこうとするこの姿は、痛ましさを越えて滑稽だ。だが、悲鳴を上げる参院の候補者たちは、こんなボンボン政治家に付き合っていられるか、というのが本音だ。

あとは「(退陣は)時間の問題」と、街頭演説に必死に走りまわっている。“裸の王様”と化した鳩山総理は、惨めな最後に向けて突き進むだけなのである。

参院本会議での問責決議案は、提出されたらおそらく「成立」するだろう。誰も支えてくれない中で、鳩山総理は最高権力者の座がいかに脆くて孤独なものであるかを思い知るに違いない。

さて、参院選を乗り切れる民主党の新たな“顔”は誰だろうか。衆院での圧倒的な議席を誇る民主党は、7月の参院選を乗り切りさえすれば、盤石の政権を築くことができる。

その意味で「次の政権」こそ、民主党の真の本格政権と言えるかもしれない。次の政権の誕生を阻止したい鳩山総理が、唯一できることは“衆院解散&ダブル選挙”である。そういう姿勢を鳩山総理が見せた時、本当の意味で民主党内に激震が走るだろう。

昨年8月30日に怒濤の如く当選して来た民主党の新人たちは、ダブル選挙となれば軒並み議席を失うことになる。これこそ政界激震である。

鳩山さん、じり貧で“退場”するぐらいなら、最後にそれだけの開き直りを見せて欲しい。解散・ダブル選挙で、最後くらい世間をアッと言わせてくれ。

カテゴリ: 政治, 随感

政界激震で最後に笑うのは

2010.05.31

いよいよ鳩山総理の「退陣」が強まった。権力者が国民の支持を失った時ぐらい惨めなものはない。選挙を控えているとなれば、余計そうだ。

社民党の又市征治副党首が本日、BSの番組で、「首相退陣はあす(1日)か、あさって(2日)だと思う」と語り、政界の注目が一気に“ポスト鳩山”に移った。

動き出した流れは変えられない。参院選が鳩山政権で戦えない以上、退陣はむしろ遅きに失した感がある。かつて「日本列島は日本国民だけのものではない」と言ってのけたフシギな政治家が、ついに総理の地位を追われることになる。

国家の安全保障の根幹もわからないまま迷走の末の退陣である。誰からも同情の声は起こらないだろう。だが、ここからがおもしろい。退陣が不可欠となった時、鳩山首相、小沢一郎、輿石東の3者が集まり、急遽対策を練ったのは、言うまでもなく「今後」の対応を話し合うためだ。

まず鳩山続投の可能性を探り、それが不可能と見るや一転、“次”を狙ってくるだろう。民主党内の最大派閥小沢グループは衆参合わせて約120人、鳩山グループは50人弱、輿石ら旧総評系労組グループは約30人いる。この主要3派に旧民社系や羽田グループを加えて、民主党の主流派は圧倒的な勢力を誇っている。

非主流の菅グループや前原・野田グループは合わせて、やっと100名に過ぎない。小沢氏など主要3派が“主流派”を構成していこうという意思が揺るがない限り、どんなに小沢氏が世間の非難を浴びようが、与党内でイニシアティブを握ることは可能だ。

だが、果たして今の状態で3派が「結束を維持」できるかどうか、極めて疑わしい。なぜなら、今回も小沢氏が数にものを言わせて「次の総理」を決めることになれば、国民の失望がさらに広がり、参院選の敗北がより確実になるからである。

主流3派が「臥薪嘗胆」の策をとり、ここは一時期、他の勢力が推す有力者を担ぐのか、それともあくまで正面突破を目指すのか、そこが興味深いのである。

菅直人、岡田克也、前原誠司の非主流の有力者が、いかに主流3派とわたり合うのか。この時、ポイントになるのは、すでに参院選に向けて新党を結成している面々との連携であり、自民党内部へのパイプである。

独裁者・小沢氏に立ち向かうという意味では、彼ら非主流派も野党も差はない。一挙に政界再編成の可能性も秘めて、永田町が激動を始めた。

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どこか似ている「鳩山さん」と「岡田さん」

2010.05.29

鳩山由紀夫首相とサッカーの岡田武史監督がどこか似ている。

約束も守れないようなことを平気で言ってしまうことを、若者は今、「ハトる」と表現するそうだ。それなら、日韓サッカーの後、犬飼基昭会長に“進退伺”を申し入れたサッカーの岡田監督を指して、「オカる」という言葉も結構はやるに違いない。

言うまでもなく、他人に責任を転嫁し、途中で物事をほっぽり出そうとする意味である。日韓サッカーで0―2で惨敗した後、岡田さんは犬飼会長に責任をかぶせ、自らの進退伺を出したかと思うと、翌日は一転、「あれは冗談でした」と言ってサッカーファンを唖然とさせた。

しかし、ここで本人の申し出通り、岡田氏を辞任させなかった日本サッカー協会の責任は重い。岡田監督の下では、チームの気持ちはバラバラで、モチベーションが勝利への最高の鍵を握る「サッカー」という競技において、日本の惨敗は見えているからだ。

「(普天間基地は)最低でも県外」と言ってのけた鳩山さんと、W杯で、「目標はベスト4」と語った岡田監督。手腕も、哲学もない、二人のリーダーが“時”を同じうして、国民の総スカンを食らっているのも何かの因縁ではないだろうか。

さらには、鳩山さんを総理の座をつかせたのが小沢一郎氏なら、岡田さんを日本代表チームの監督にしたのは、かの川淵三郎・元チェアマンだ。その世界での最高権力者が「イエスマン」であることを理由に、二人を代表ポストにつかせたのである。しかし、結果は惨めなものだった。

もともと手腕も何もないのに日本代表監督となった岡田さんは、12年前のフランスでのワールドカップで、(全盛時代に近い)カズを外し、「城のワントップで戦う」という作戦を立てた人物だ。以来、サッカーファンは岡田氏のことを認めていない。城のワントップで戦ったW杯の失敗を認めず、それを今に至るまで総括もしていないからである。

けじめなき国・ニッポン。「ハトる」の鳩山さん、「オカる」の岡田さん。いずれにしてもこれほど情けない姿を晒すリーダーに「日本を託す」私たちは、みじめこの上ない。

カテゴリ: サッカー, 政治

変貌を遂げた道頓堀

2010.05.22

昨日から大阪に取材に来ている。日航機墜落事故のご遺族から貴重な証言をいただいている。人間の使命感と家族愛がいかに素晴らしく、同時にいかに凄まじいものであるかを改めて教えてもらった。

夜、久しぶりに道頓堀を歩いてみた。大阪一の名所・戎橋(えびすばし)の変貌に驚く。護岸工事がなされ、遊歩道が道頓堀沿いにでき、かつての汚い河のイメージが一掃されている。橋自体も新しくなり、土曜日ということもあって若者でごった返していた。

今年、某テレビ局に入社した早稲田野球部のOBが大阪に赴任していたので、久しぶりに会った。底抜けに明るいこのフレッシュマンは、仕事での苦労をまったく意に介していない。逞しいかぎりだ。これから着実に雄々しいマスコミ人へと成長していくだろう。

さて、明日は京都で取材、あさっては茨木で取材と、息つく暇がない。朝鮮半島の緊張や、週明けのニューヨーク株式市場の動きなど、気になることは目白押しだが、こちらは目の前の取材を着実にこなしていくだけである。

普天間基地問題は結局、当初の辺野古案に事実上、戻って日米が大筋合意した。一国の領袖とはとても思えない幼稚な考えしか持たない鳩山さんの支持率は、一体どこまで落ちるのだろうか。

だが、政界は通常国会が残り1か月を切り、いよいよ参院選モードだ。民主党は、鳩山さんを担いで本当に選挙を戦うつもりなのだろうか。

普天間関連の「公約不履行」で鳩山さんに「退陣して欲しい」と願っているのは、実は民主党の人たちであり、野党である自公両党は「このまま鳩山さんが選挙を!」と願っている。

鳩山首相が民主党の“選挙の顔”である限り、野党の勝利が見えているからだ。1年ごとに国家の領袖の顔をすげ変えることが当たり前になった日本。世界中が笑っていると思うと、なんだか情けない。

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政権末期と参院選

2010.05.09

政権末期である。発足後わずか8カ月で、鳩山政権には、終焉へのカウントダウンが鳴り響いている。本日の読売新聞の世論調査は、そのことをはっきりと表している。

読売新聞社が7日(金)から本日9日(日)まで3日間にわたって実施した全国世論調査で、鳩山内閣の支持率が「24%」となり、 前回調査から9ポイントもの下落を示したのだ。

一方、不支持率は「67%」。言うまでもなく沖縄の普天間基地移設問題での公約違反と不手際が、 国民の失望感を増幅させたのである。小沢幹事長を「辞任すべきだ」も「79%」を占めている。

権力の座というものは恐ろしい。支持率が一定の水準にあれば出て来ないはずの批判が、“政権末期”ともなると、次々、「これでもか」と噴出してくる。政治家たちは「次」を狙っているから、ひとたび人心が離れたと判断したら、思いっきり牙を剥いてくるのである。

本日、枝野幸男行政刷新担当相が、さいたま市の会合でブチ上げた「子ども手当批判」などは、その典型だ。母国に子どもを残したり、海外に養子がいる在日外国人に「子ども手当が支給される」という点に関して「率直に言って対応を間違った。大変申し訳ない」と、閣僚としては異例の陳謝をおこなったのである。

先月、兵庫県内で韓国人男性が、妻の母国のタイで養子縁組したという554人分の子ども手当を申請して「受けつけられなかった」ことが明らかになったが、これなどは国会論議の中で野党から早々と指摘されていた。しかし、民主党が押し切った形で、「法案が成立した」経緯がある。

日本と直接かかわりなく、日本国籍でもなく、さらに外国に住んでいる人間への支給に対して、本日、枝野氏は「これでは国民の理解が得られない」と、ここへ来て全面非難を展開したわけだ。

永田町では、支持率が“危険水域”に入れば、もはや「何でもあり」なのである。おもしろいことに、民主党内では、7月の参院選を「鳩山総理のもとで戦う」ことなど誰も思っていない。頭をすげ変えて、新たな民主党となって参院選を戦うという意識にすでに変わっている。

党内の駆け引きと、閣僚たちの思惑――政権末期の混沌が、国際社会でのさらなる日本の信用失墜に結びつかないことを祈るのみである。

カテゴリ: 政治

国家の領袖には何が必要か

2010.05.05

鳩山首相の沖縄訪問が終わった。鳩山首相は、仲井真知事との会談で「すべてを県外にということは難しい」と県内移設の考えを表明した。

しかし、驚くべきは、記者会見で鳩山さんが記者団に語った次のひと言である。「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」。

聞いていた記者も、いや国民全員が唖然としたに違いない。そんなことも知らずに、オバマ大統領に「プリーズ・トラスト・ミー(私を信用して下さい)」と語り、「最低でも県外移設」と言っていたのか、という感想を持った人が大半だろう。

昨日、私はTBSの夕方の報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演していたので、スタジオで鳩山さんの沖縄訪問の映像を見ていた。しかし、その時は、この記者会見の言葉はまだ飛び出してはいなかった。

それでも、私は「国家の領袖としての資格」が鳩山さんにあるのかどうかを短いコメントの中で表現させてもらった。

国家の領袖には、絶対的な使命がある。国民の「生命」と「財産」を守り、「領土」を守ることだ。それ以上に重い国家の領袖の任務は、ほかにない。

しかし、鳩山さんは、同盟国であるアメリカが自国内(沖縄)に置いている「海兵隊の抑止力」について、今回、学ぶまで「知らなかった」というのである。

そんな国家の領袖を担ぐ日本国民の不幸は、改めて言うまでもない。しかし、国民が自分たちで選んだ領袖であることを忘れてはならない。

能力が決定的に不足したこの人物を、国家のリーダーに押し上げた国民の責任は免れないだろう。

情けない自公政権の失点ぶりに国民が愛想を尽かしたということもあるが、それでも70%の内閣支持率がわずか8か月で3分の1に急落するような政権が出来ることを「許した」責任は考えなければならないと思う。

それにつけても痛感するのは「小沢一郎」という人物の罪である。昨年5月の民主党代表選で、この能力が欠如した人物を代表の座につけたのは、小沢一郎その人である。

124票対95票。鳩山さんは、岡田克也・現外相に「29票の差」をつけて代表選に勝利した。この29票は、小沢氏の力によって生じた“決定的な差”だった。

小沢氏がなぜ鳩山さんを支持して代表の座に押し上げたのか。それは、自分の言いなりになる“扱いやすい”人物だったからにほかならない。

アメリカが自国内(沖縄)に置いている「海兵隊の抑止力」さえ知らない人物なら、たしかに小沢氏にとっては扱いやすいに違いない。

検察審査会の「起訴相当」という結論が出た今も「幹事長」の職に居座るこの人物に、日本という国は、どこまで愚弄され続けるのだろうか。

沖縄訪問の鳩山首相の姿を見て、そんなことを感じた国民は少なくないだろう。

カテゴリ: 政治, 随感

小沢氏vs検察、最後に笑うのはどっちか

2010.04.27

民主党の小沢一郎幹事長による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件は、本日、検察審査会によって「起訴相当」という判断が出た。

元会計事務担当で衆院議員の石川知裕被告らとの共謀を認め、「関与」が認定されたわけである。

検察審査会は、昨日、鳩山首相の母親からの隠れ献金&脱税事件を「不起訴相当」としていただけに、2日続けて「不起訴相当」が出れば、検察審査会の存在意義そのものが問われるところだった。その意味では、“予想通り”の結果と言っていいかもしれない。

そして、これまた“予想通り”小沢氏は、世間の反応など「どこ吹く風」で幹事長職に居座った。小沢氏がここまで幹事長職に固執するには理由がある。

ひと言でいえば、「検察との闘い」だ。小沢vs検察の闘いは、目下、佳境を迎えている。今回の「起訴相当」の判断を俟(ま)つまでもなく、小沢氏は政治資金規正法違反だけでなく、政党交付金の私物化疑惑をはじめ、自らの意産構築のためにおこなったさまざまな疑惑が存在する。

検察は、威信にかけてこれを摘発したい。だが、小沢氏は、ここに検事総長への「民間人登用」というウルトラCを用いることで、検察の方針そのものを変えようと目論んでいる。

その闘いの期限は、6月16日だ。なぜなら6月17日が来ると、次期検事総長の大林宏東京高検検事長が63歳の定年を迎え、検事総長になることなく「退官」を余儀なくされるからである。

その時点で、検事総長の「民間人登用」が正式決定するわけだ。小沢氏の意向を受けて、検事総長になりたい御仁は目白押し。自薦他薦で、小沢氏のもとには数々の“検事総長候補者”の情報が集まっていると聞く。

小沢氏が枕を高くして眠るには、自分の息のかかった検事総長を誕生させるしかない。そのために彼は必死なのだ。

しかし、今日の検察審査会の結果は、小沢氏の動きを牽制する効能がある。小沢氏の露骨過ぎる工作は今後、大反発を食らうことになるからだ。

小沢vs検察は、第二幕に突入した。このまま検察が“音なし”の構えを続ければ、今度は検察が国民の支持を失うだろう。すなわち両者とも「剣が峰に立たされた」わけである。

小沢氏と検察、最後に笑うのはどっちか。興味は尽きないが、いま時点で言えることは、民主党政権がそれでも「小沢氏の首に鈴をつけられない」ことで、国民の失望感は極限まで達する、ということである。

鳩山内閣の支持率は、遠からず10%を切ることになるだろう。参院選は、管総理で闘うのか、それとも岡田総理か。こっちも目が離せない。

カテゴリ: 司法, 政治

「亡国の小沢一郎」の迫力

2010.04.15

今日発売の週刊新潮に、「亡国の小沢一郎」の短期集中連載第1回が掲載されていた。証言者は「元筆頭秘書」である

第1回は「小沢一郎が倒れた朝」。1991年6月、小沢氏が心筋梗塞で倒れた時のことが克明に綴られている。

そのほかにも、小沢氏の傲慢ぶりや、泥酔のさま、麻雀のために国会を欠席する様子などが、元側近ならではのビビッドな表現で活写されている。

久々に読みごたえのある政治記事である。今後、核心の胆沢ダムの「天の声」問題や政治資金を利用しての私産構築の問題に話は及んでいくだろう。国民の税金である政党交付金がどこに消え、どう小沢氏の私有財産へと変貌していったのか。そこが是非、読みたいところだ。

綻びがあっちこっちから出始めた小沢氏。この人が幹事長職にとどまっている限り、民主党は有権者からソッポを向かれ続けるだろう。

小沢氏の居座りを最も喜んでいるのは、自民党だ。失点合戦の行き着いた先には、7月の参院選がある。早くも民主党の過半数割れが取り沙汰され始めた。

その前に、鳩山首相の米軍普天間基地移設問題での政権放り投げもありうる状況だ。支持率が危険水域に入って来た以上、何かのスキャンダルで一気に政権が瓦解する可能性もある。

国会議員の先生方も、今年のゴールデンウィークは外遊にうつつを抜かす「時」ではなさそうだ。

カテゴリ: マスコミ, 政治

ついに“危険水域”の混沌政権

2010.04.12

世論調査の結果が興味深い。最新のANNの世論調査で、鳩山内閣の支持率がついに28・5%となり、3割を切った。完全に危険水域である。

調査は10日(土)と11日(日)の2日間おこなわれたもので、鳩山内閣の支持率が今回も下げ止まらなかったことを示し、さらには、「夏の参議院選挙でどちらに勝ってほしいか」という質問に対しては、初めて「自民党中心の野党」とする人が「民主党中心の与党」とする人を上回ったという。

いよいよ来たか、という感じである。鳩山首相が自ら期限とした5月末までに米軍の普天間基地移転問題が決着するとも思えないだけに、政権投げ出しの危機さえ取り沙汰されている。

小沢問題やバラ撒き予算への批判なども抱え、民主党の右往左往ぶりはますます深まっている。しかし、民主党離れの層を自民党が吸収できているわけでもなく、ここへ来て「みんなの党」が支持率を5・6%に伸ばし、公明党の3・0%、共産党1・9%、社民党1・6%、国民新党0・4%をはるかに上まわっているというから、おもしろい。

ブームを狙った「たちあがれ日本」は1・6%にとどまり、スタートダッシュに完全に失敗した。 「総理大臣として最もふさわしい人」については、自民党の舛添前厚生労働大臣が鳩山首相を抜いて初めて1位になったというのも注目される。

まさに混沌である。これだけのチャンスをもらいながら、支持率上昇につなげられない谷垣禎一自民党総裁の不人気は深刻だ。育ちの良さと地味さが、“乱世”には向かないのだろう。宗教政党の公明党と共同歩調をとっていることも有権者の広範な支持を得られない理由とも思われる。

このままのペースでいけば、鳩山政権の支持率が20%を切るのもそう遠いことではない。以前のブログでも書いたように、参院選に向けて、これから各政党が次々と独自色を打ち出してくる。与党内でも、普天間基地移転問題で一気に憤懣が爆発するだろう。

さしずめゴールデンウィークは、嵐の前の静けさである。永田町から、ますます目が離せない。

カテゴリ: 政治, 随感

“失点合戦”の行き着く先

2010.04.04

東京は桜満開。自宅近くの新宿では、公園や川沿いに植えられた桜が、どの樹も咲き誇っている。

あっちこっちで花見の席が設けられ、昼間からほろ酔いの人たちが千鳥足で歩いていた。神田川沿いは特に人が出ている。いかにも日本らしい、一年で最もウキウキする季節である。

しかし、今朝の「フジテレビ新報道2001」を見て、ウキウキ気分など吹っ飛んだ政治家が少なくなかったのではないか。

同番組が実施した世論調査で、今年7月の参院選で「どの党の候補に投票したいですか」という質問に民主党と自民党が全く並んだ(18・6%)ことが報じられていた。

また、鳩山内閣を「支持しない」は61・4%で、「支持する」の31・4%のおよそ2倍になっていた。

政権発足「半年」で、鳩山政権は国民の失望を増幅させ続け、ついに自民党に並ばれてしまい、70%近かった内閣支持率も半減してしまったのだ。

しかし、周知の通り、一方の自民党も失点つづきで、民主党を一向に追い込めていない。ただ民主党が“自壊”しているのが実情なのである。

今の政界は相手の失点だけで支持率が増減するという情けない状態がつづいている。この傾向は何も今に始まったことではないが、私は賛否両論があった「子ども手当て」は民主党の致命傷となる可能性を秘めている、と見ている。

「実際に子ども手当て支給が始まれば、絶対に喜ばれる」と踏んだ民主党の考えは甘い。在留外国人の母国にいる子どもにまで「手当てを出す」というバカげたばら撒き政策が、国民の怒りを買わないはずがない、と思う。

税収が「37兆」しかないのに、国債費という名の借金返済が「44兆」になってしまった日本。そんな破綻状態の中、外国人に向かって税金をバラ撒く政府に、有権者の支持がどのくらい繋ぎとめられるだろうか。

失策つづきで何をやっても嘲笑される状態の民主党と、国民の願望をまったく受け入れられず、低迷に喘ぐ自民党――失点合戦のいきつく「先」を思うと、頭が痛い。

カテゴリ: 政治

高校野球と永田町

2010.04.03

ついに興南の島袋投手が全国の頂点に立った。昨年春と夏に共にサヨナラ負けを喫して「1勝が遠い」と涙した島袋君が、今度は決勝のマウンドで歓喜を全身で表わした。

終わってみれば、延長12回で10対5の5点差。しかし、紫紺の優勝旗は日大三に渡っていてもおかしくなかった。いや、私は途中から日大三の方が「優勝するだろう」と思っていた。

理由は、6回裏の日大三の同点の場面にある。逆転されていた日大三は、8番大塚が島袋の外角高めのストレートを右中間スタンドに放り込み、1点差に。そのあと9番の鈴木がライト前にポテンヒットを放ち、それがライト線に転がる間に一挙に三塁まで進んだ。

浮足だった興南ナインの虚を突いて、日大三の小倉監督は1番小林に初球スクイズを命じた。ピッチャーとサードの間に転がったボールを島袋は一塁に投げることもできず、同点となった。

エラーが続出し、大味なゲームになりかけた中で、優勝への執念を見せた智将・小倉監督らしい同点劇だった。

直後の7回表、興南は無死二塁のチャンスに、三番の安打製造機・我如古が、一、二塁側に転がすこともできず、レフトフライ。ランナーを進められなかったために結局、興南は無得点に終わる。

当たっている我如古でも、興南は敢えて三塁へ進ませるための送りバントか、最低でも一、二塁間に転がす指示をしなければならなかった。しかし、我如古は身体が開いたレフト方向へのスイングを繰り返して、レフトフライに終わってしまうのだ。

この攻防と両ベンチの采配を見る限り、「1点」にこだわる意識は、興南の我喜屋監督より日大三の小倉監督の方が明らかに勝(まさ)っていた。

この時までにすでに5失策を記録していた興南に「勝利は薄い」という気が私はした。興南のサード我如古は、いわゆるイップス状態を呈し、一塁への送球に支障を来たしていた。それも日大三の優勝と思った理由の一つだった。

しかし、勝負とはおもしろいものである。いや“恐ろしい”と表現をした方がいいかもしれない。延長12回表、その日大三に2つの失策が飛び出して一挙5点が興南に入り、勝負は決まった。

結局、味方の反撃を我慢に我慢を重ねてひたすら待ちつづけた島袋の粘りと執念に、勝利の女神が最後に微笑んだのである。苦しかった昨年の春・夏のマウンドを思うと、島袋には万感の思いがこみ上げたに違いない。

今年の選抜甲子園は、終盤、強豪同士の激突が繰り返され、久しぶりに手に汗を握った大会だった。夏の甲子園が、今から楽しみだ。

一方、甲子園から遠く離れた「永田町」では今日も激震がつづいている。

報道が先んじていた形だった与謝野馨・元財務相が本日、自民党に離党届を出し、「与謝野・平沼新党」発足に向かって正式に走り始めた。

混迷する政界にあって、「自民でも民主でもない」有権者を取り込むために“第三極”の存在が待たれていたが、果たしてこの新党はそれを吸収できるだろうか。

私見を言わせてもらえば、その可能性は極めて小さいだろう、と思う。与党民主党が失点を繰り返す中、与謝野氏が分裂の引き金を引く大義名分がないのだ。ただ「総理になりたくて」離党を強行したようにしか国民には見えないのではないだろうか。

おそらく与謝野離党に促されて、ほかの“第三極”予備軍も一挙に動き出すに違いない。“第三極”が乱立すればするだけ与党民主党にはありがたい。それらが参院選用の“泡沫政党”という存在にとどまる可能性が高くなるからだ。

そうなるのか、ならないのか。小泉郵政選挙の折、自民党で“信念”を貫いた平沼赳夫が新党には参加する。策士でもある平沼氏の戦略が、大いに注目される。

カテゴリ: 政治, 野球

剣が峰に立つ鳩山首相

2010.03.24

今日の東京は、気温5度と真冬並みの寒さだった。道ゆく人も、冷たい雨に打たれて、吐く息が白くなっていた。

甲子園も雨で順延。昨日、泥んこの中での試合で、やっとPL学園の中村監督が持つ「監督通算勝利記録」を更新した智弁和歌山・高嶋監督のコメントがスポーツ紙には踊っていた。高野連も、あの悪コンディションの中で試合を続行させて非難を浴びたため、さすがに2日つづけて泥の中で試合はさせられなかったらしい。

政界もここへ来ていよいよ混迷の度を加えている。5日前のブログで「民主党の致命傷になる可能性」を示唆した生方幸夫副幹事長の解任劇がマスコミ各社の世論調査に反映され、内閣支持率が急落したのだ。

いよいよ支持率が危険水域の30%を割り、政権発足半年で、ちょうど“半減”したことになる。

普天間基地移設の右往左往ぶりも国民を呆れさせている原因だろうが、あまりの急落に慌てた小沢執行部が、急遽、生方副幹事長の“解任を撤回”したのは滑稽だった。

加えて、明日発売の週刊新潮には、中井洽国家公安委員長の女性スキャンダルまで報じられるそうだ。女性に議員宿舎のカードキーを渡していたという告発記事だが、当の中井議員は「独身の私が女性にキーを渡してどこが悪い」と怒りのコメントを発した。

たしかに独身者が女性にキーを渡して悪いという法はない。どんな騒動に発展するのか、それとも何事もなくスキャンダルが無視されるのか、要注目だ。

やることなすこと、すべて国民の失望の対象となり、発足半年ですでに末期症状を呈している鳩山内閣。冷たい雨をより一層冷たく感じているのは、ほかならぬ鳩山総理に違いない。

当事者能力のない、うつろな目を見ていると、総理の神経は、いつまでもつのか心配になってくる。政権投げだしだけは、国民としてもご勘弁いただきたい。

カテゴリ: 政治, 随感

参院選と“第三極”

2010.03.19

“隣の国”では、経済政策の失敗を口実に責任者が処刑され、日本では、政権与党内で執行部批判をした党の副幹事長が解任された。

民主主義国家の「言論の府」において、執行部批判を口にした途端、解任されるという前代未聞の事態は、すでに執行部が「まともな判断ができる状態にない」ことを物語っている。

小沢一郎氏の独裁体質は、「批判を許さない」という一点において、“隣の国”の領袖と瓜二つだ。しかし、そのレベルは、彼(か)の国のそれより、はるかに低い。

なぜなら、隣の国では、歴史上、一度も“民主主義”というものを経験したことがなく、独裁者の圧政こそが「日常」であったからだ。

しかし、日本は違う。民主主義、特に言論の自由という憲法に保障された世界で生きてきた60年余という歴史がある。だが、政権を握った民主党がこの半年、繰り返してきたことは、その歴史を否定し、国民を失望させることばかりだ。

執行部批判を口にした民主党の生方幸夫副幹事長の解任劇は、「民主党にとって致命傷になる」可能性を孕んでいる。「モノ言えば唇寒し民主党」の実態を以前のブログでも書かせてもらったが、今回のことは、まさにそれを地でいった。これで、ますます内閣支持率が下がることは間違いない。

長崎県知事選の衝撃的敗北を教訓にすることなく、独裁政治を国民の前面に押し出してしまった小沢執行部。検察との闘いのためには、どうしても幹事長職を降りたくない小沢氏は党内の批判封じ込めというやってはいけないことに手をつけてしまったのだ。

小沢体制は、もはや最末期である。これ以上の居座りは、参院選の大敗北を意味する。第三極結成に向かって自民党内部も、そして民主党の一部勢力も今、猛然と動いている。参院選までの政界の離合集散から目が離せない。

これからの永田町では、何が起こっても驚かないことだ。

カテゴリ: 政治, 随感

文藝春秋(4月号)がおもしろい

2010.03.10

今日発売の文藝春秋(4月号)がおもしろい。読み応えのある記事がずらりと並んでいる。自民党の与謝野馨氏の新党結成宣言ともとれる一文は、一般のニュースでも報じられたが、私はむしろそのほかの記事に注目した。

天皇の執刀医・北村唯一東大名誉教授の直言として掲載された「小沢一郎よ、あなたは陛下のご体調を考えたことがあるのか」は強烈だった。

北村教授は、天皇の病状も知らないまま「陛下の意を勝手に忖度した」小沢氏の記者会見とその態度を、痛烈に批判している。

小沢氏は記者会見で「陛下のお体がすぐれないならば、それよりも優位性の低い行事をお休みになればいいことじゃないですか」とも発言した。

これに対して、北村教授は「小沢氏は自分の命じたことは優位性が高いのだからこれに従え、と言っているがごとくである」「陛下のご体調一つ想像できない政治家が、国家の計、国民の生活について考えをめぐらせることができるのだろうか。悲しく、残念なことである」と、天皇の手術をおこなった執刀医ならではの危機感から、厳しい小沢批判が展開されている。

またジャーナリスト松田賢弥氏の「小沢一郎“57億円略奪”の黒い霧」という告発レポートも興味深い。当ブログでも何度も指摘してきた通り、小沢氏の脱税疑惑の核心は、自由党解党の際の政党交付金の行方にある。

しかし、松田氏は、さらに以前の経世会分裂の際に消えた資金から問題を掘り起こしている。当時、経世会の金庫から「6億円」が消えた事実を、かつての盟友・野中広務氏の発言によって明らかにし、小沢氏の巨額の不動産購入資金の「原資」に対する疑惑を検証している。

ひたすら小沢擁護に終始するテレビのコメンテーターたちは、これらの核心レポートをどう読むだろうか。

月刊誌が次々と廃刊に追い込まれる中、老舗・文藝春秋は一人、気を吐いている。その役割はますます大きくなっているといえる。

雑誌ジャーナリズムの“灯”を絶やさない奮闘を次号でも期待したい。

カテゴリ: 政治, 随感

検事総長「人事」の攻防

2010.02.09

単行本原稿が終わったので、さっそく新たな取材に入った。今日は、某雑誌から「小沢問題」へのコメントを求められたので、いろいろと意見を述べさせてもらった。

検察と小沢氏との戦いは、ひとまず小沢氏の方に軍配が上がっている。しかし、攻防は今も続いている。いや、水面下の戦いは、むしろ激しくなったと言っていいだろう。

小沢氏にとって、金丸事件の教訓をどう生かすか、それがポイントであることは以前のブログにも書いた。政治資金規正法違反でスッタモンダした半年後に師匠の金丸が脱税で挙げられたあの事件は、小沢氏にとって最大の“忌まわしい記憶”といえる。

今回、政治資金規正法違反では「公判維持ができない」との判断で、検察は苦渋の決断で小沢氏を不起訴にしたが、肝心の不動産購入の4億円の「原資」については、いまだに決着がついていない。

捜査の本丸ともいうべきこの問題を当ブログでは、これまで再三指摘してきた。自由党解党の際の政党交付金の行方と、胆沢ダム受注の見返りとしてのゼネコンからの資金。このカネの塊をめぐって “脱税”問題に「発展させることができるか否か」が焦点なのだ。

そのためには、樋渡利秋検事総長が、6月に定年を迎える大林宏東京高検検事長にその地位を譲ることができるかどうか。小沢氏は民間からの検事総長登用を実現し、なんとか検察をひざまずかせようとしている。それが成った瞬間、検察の敗北が決定するからだ。

人事を巡る鬩(せめ)ぎ合いはまさに佳境である。検事総長の「民間登用」で検察全体が総崩れとなるか、それとも検察がトップの地位を守れるか。瀬戸際の戦いが展開されている。

カテゴリ: 事件, 政治

研ぎすました鋭敏な感覚

2010.01.26

徹夜続きで原稿執筆に追われている。そんな中、旧知の台湾・文化大学史学研究所教授の陳鵬仁氏が事務所を訪ねてきた。台湾から来日中とのことで、「久しぶりに会おうよ」ということで私の西新宿の事務所に来てくれたのだ。

いつもは、私が台北の陳氏の事務所を突然訪れるのに、今日は逆である。政治学者、歴史学者として台湾で名高い陳氏は、かつて閣僚級ポストである国民党党史委員会主任委員だったこともある。

私の研究や取材に、国民党の要人という地位を離れてこれまでもいろいろな協力をしてくれた。今年12月には満80歳になるというのに、陳氏はまだ70前と言ってもおかしくないほど若々しい。

歴史、政治について、昼食を挟んで3時間以上も話し合った。陳氏は日本の政治状況に殊に関心が深いようで、私にさまざまな質問をして帰っていった。

小沢問題や今後の政界の再編問題など、たしかに今の日本は「予想がつかない」ことばかりだ。現在執筆中の私の原稿に対しても、陳氏から鋭い意見を頂戴した。さっそく拙稿に生かすつもりだ。

鋭敏な感覚を研ぎすましている学者は本当に「歳をとらない」ものである。大いに刺激と発奮材料をもらい、原稿へのパワーをもらうことができた。

さて、あとはひたすら「書く」しかない。

カテゴリ: 政治, 随感

日本の「正義」が死んだ日

2010.01.24

小沢一郎氏と検察との戦いは、小沢氏に軍配が上がった。4億円の不動産購入資金は「個人の資産から出した」そうな。そういう言い逃れで来ることはわかっていたにもかかわらず、それを突き崩す材料も説得力も「特捜部にはなかった」のである。

あれほど大騒ぎして、現職の衆議院議員を含む3人を逮捕しておきながら、政権与党から大反撃を食らうと忽ち士気阻喪してしまった検察。「長い(強い)ものには巻かれろ」と、外交上も中国などに睨まれたら何もモノ言えないのが日本だから、“現代の風潮”をそのまま表わしているのかもしれない。

心の中を寒風が吹き抜ける思いがする。テレビで小沢擁護、検察批判を繰り広げるコメンテーターたちにお付き合いするつもりはないが、今回の“事件”の本質を当ブログでもう一度だけ指摘しておきたい。

何度も書いてきたように、これは脱税問題である。そこを立証できるか否かにポイントがあった。「小沢一郎」名義で4億円もの土地購入がなされたことに対して、その原資解明が特捜部には託されていたわけである。

では、なぜその解明が大切なのか。それは、その陰に胆沢ダム工事受注の見返りのカネがあり、政党解党の際の巨額の政党交付金があったのではないか、という疑惑が存在していたからだ。

特捜部の“見立て”がそこにあった。工事受注の見返りにカネが渡ったことも特捜部は提供側から言質をとっていた。さらには、政党交付金という名の国民の税金が小沢氏の政治団体に流れ込んでいたことも特捜部は掴んでいた。

胆沢ダムの工事で職務権限があるはずのない小沢氏を「収賄で追及できない」ことはとうにわかっていた。だからこそ、「脱税か否か」に焦点が絞られていたわけだ。

しかし、特捜部には、小沢を「落とす」力量はなかった。わずか3年前の記者会見で、小沢氏は自ら土地購入の原資を「政治献金でまかなった」と説明していた。しかし、今度は「貯金など自分の個人資産を貸し付けた」と180度言うことを変えたのだ。それでも今の特捜部は「落とせない」のである。

重大な部分で、言うことがこれほどコロコロ変わる政治家も珍しい。今の政界では、やはり鳩山首相と小沢氏が双璧だろう。しかし、特捜部はその言い逃れさえも突き崩せないのだ。

では、自由党を解党した際の政党交付金はどこにいったのか、それを小沢氏はどう使ったのか、政治団体への15億円もの簿外の入金は何だったのか。小沢氏に是非、問うてみたい。

言うまでもないが、政治団体に「法人格」はない。国民のために政治活動をおこなう非営利組織である政治団体は、そのために法人税など納税義務も免除されている。そこに集まったカネで、個人名義の不動産購入がなされることなど無論、許されない。

特捜部よ、あなた方は、本当に小沢氏の「(不動産購入は)個人資産でまかなった」という説明に納得したのですか?そして、それを崩す材料もないまま今回の捜査を展開していたのですか?

私は、90年代初めにあった東京佐川急便事件を思い出す。あの時、小沢氏の親分の金丸信は、東京地検からの事情聴取の出頭要請を拒否し、「政治資金規正法」違反を認める上申書を提出した。

東京地検はそれだけで引き下がり、金丸に事情聴取しないまま略式起訴で終わらせ、国民から凄まじい非難を浴びた。検察庁の看板に黄色のペンキがぶっかけられたのもこの時のことだ。

しかし、半年後に東京地検は、別件の「脱税」で金丸を逮捕して威信を取り戻した。だがこの時、金丸は議員を辞職し、竹下派会長も辞任していた。つまり、金丸は政界官界への影響力が低下した“ふつうのお爺さん”に近い存在となっていた。だからこそ、踏み切れた逮捕劇だった。

それを間近で見ていたのが、ほかならぬ小沢氏である。彼が幹事長職にここまで固執し、権力を手放さなかった理由はそこにある。

忠実なしもべである鳩山首相に何度も“指揮権発動”と思われる発言をさせ、検察に繰り返し圧力をかけつづけた小沢氏は、これで枕を高くして寝るために、「検事総長」の民間登用に本気で乗り出してくるだろう。つまり、彼らにとっての“検察浄化の人事”に着手するに違いない。

そして、これまた当ブログで何度も指摘している「取り調べの完全可視化」に乗り出してくる。かくして、日本は権力者が何をやっても許される社会となるのである。

日本の正義が死んだ日。東京地検特捜部の実力低下、威信喪失で、今回の出来事は、後世、そう言われるようになるだろう。

カテゴリ: 政治, 随感

やがてこの世から「疑獄が消える」

2010.01.20

今朝、ある弁護士から携帯に電話をもらって飛び起きた。名前を聞いたら誰でも知っている著名な弁護士である。

開口一番、彼は「日本は大丈夫なのか」と問いかけてきた。言うまでもなく小沢問題に対する政界やマスコミの動きについての感想である。

「千葉法相がまさか“指揮権”を発動するとは思えないが……。そういう圧力があった場合は、即座に辞任してそのことを世間に問うて欲しい」と、この老弁護士は言った。

彼が懸念するのは、政権与党である民主党のレベルだ。「彼らは、検事総長を民間から登用すると言っているが、これは本気。小沢というのは何でもやる男だから、実際にそこへ向かって突き進むだろう」と言う。

検事総長は、検察のナンバー・ツーである東京高検の検事長が就くのが慣例だ。しかし、今の高検検事長の定年は6月で、ここで現・樋渡利秋検事総長より先に退任させたら、樋渡検事総長のあとに「民主党は民間人を登用してくる腹積もり」と老弁護士は推測する。

「戦後、思想検事への反省から民間より検事総長に登用された人が3人いる。しかし、今回の民間人登用問題はまったく違う。これは、取り調べの完全可視化の問題とも絡んでいる」と、老弁護士は言う。

逮捕された石川議員も全く真実を話していない。「取り調べの可視化」が進めば、今後、疑獄事件が完全にこの世から「葬られる」。なぜなら疑獄とは「権力者がターゲット」だから、可視化した取り調べの中で「真実を供述させること」など到底不可能なのである。

なぜ民主党が「可視化」と「民間人の検事総長登用」に熱心なのか。今回の出来事がその意味を教えている。

「検察の監視」という表現を平気でしてしまう人たち。民主主義の本来の意味がまったくわかっていない上に、「言論・表現の自由」「国民の知る権利」まで否定する政権党の人たちに、背筋が寒くなるのは私だけだろうか。

カテゴリ: 事件, 政治, 随感

モノ言えば唇寒し「民主党」

2010.01.18

いよいよ通常国会が開幕したが、民主党は、対検察対策として、「捜査情報漏えい問題対策チーム」を設置したそうな。なんでも東京地検が報道機関に捜査情報をリークした疑いがあるとして、報道のあり方を検証するらしい。

「あ~あ、ここまで来たか」と呆れる人は少なくあるまい。自公政権でも、怒りにまかせて報道規制に乗り出そうとした御仁は沢山いたが、実際にここまで具体的な動きになったことはない。

憲法、憲法とやたら「護憲」を打ち出す人が多い現政権で、「言論・表現の自由」や「国民の知る権利」などの意味や歴史を知る人はほとんどいないと見える。いや、いたとしても“モノ言えば唇寒し”の民主党では言いたくても「何も言えない」のだろう。

小沢幹事長への党内の“忠誠合戦”は行き着くところまでいきそうだ。小沢批判がいっさい党内でできない様子を国民は今、目の当たりにしているわけだ。

この独裁者から早く権力を取り上げないと、さまざまな面で日本がどうなるのか暗澹たる思いがこみ上げてくる。そうかと言って自公連立政権再登場だけは勘弁して欲しいという人は多い。

さて、政界の救世主は誰か。いよいよ第三極の登場が待たれる。

カテゴリ: 政治

マスコミは大丈夫か

2010.01.17

咆哮か、断末魔か。小沢一郎氏の幹事長続投宣言と検察への宣戦布告で、民主党はいよいよ小沢氏と運命共同体の「道」を選んでしまった。

それにしても本日、民主党贔屓のマスコミが、盛んに小沢擁護論をブチ上げるのには驚いた。まるで小沢氏が冤罪ヒーローとでもいいたげな識者がなんと多いことか。

視聴者はこの際、いま小沢氏擁護論を叫ぶ人たちの「今後の発言」について、よく注意し、記憶していったらいいと思う。

今回の捜査を識者が言うように「国策捜査」と位置づけるのなら、鈴木宗男氏が8年前に「やまりん事件」で逮捕された時の方がよほど「国策捜査」だったと言える。

なにしろその「3年前」に検察が動いて「立件を断念したもの」を、3年後に改めて引っ張り出して鈴木氏に「勝負をかけた」のである。

あの時は国民の間に「ムネオ憎し」の空気が満ちていて、マスコミでは誰もこれを「国策捜査」と批判した人はいなかった。

だが、今回はどうだ。マスコミが必死で支援している民主党の幹事長をなんとしても生き延びさせるために、識者たちは「小沢擁護」に必死だ。しかも、今回の元秘書ら3人の逮捕劇の意味をほとんどの識者がわかっていないのではないか、とも思う。

当ブログでは、今回の事件のキーワードは「資産構築」「政治献金」「政党解党の折の党資金の行方」「脱税」というものであることを繰り返し書いてきた。

もっと詳しく言わせてもらえば、見逃すことが許されないほどの小沢氏個人の資産構築の「悪辣さ」である。

すでに報道され始めているが、今回の事件と同時期に、小沢氏の関連政治団体「改革フォーラム21」に15億円もの入金が簿外でなされ、その原資が旧自由党の政党交付金ではなかったかという疑惑が浮上している。

言うまでもなく「政党交付金」とは国民の税金である。入金されたのはどこからのカネで、それがどんな意味を持つのか、私たちは冷静に考えなければならない。

たとえ検察の捜査の“入り”が政治資金規正法であろうと、狙いは別にあることを忘れてはならない。それを深く考えないまま小沢氏を冤罪ヒーローのごとく扱うマスコミや識者はいかがなものだろうか。

党大会での検察への宣戦布告が果たして小沢氏の「咆哮」なのか、それとも「断末魔」なのか。その結果はほかでもない、「東京地検特捜部」によって明らかにされるだろう。

カテゴリ: 事件, 政治

笑いモノは「検察」か「小沢」か

2010.01.16

本日、注目の小沢一郎氏が民主党大会で「幹事長続投」を表明した時、有権者はもちろん民主党の面々も仰天しただろう。

民主党では、誰もが心の中で、「地位に留まれば組織がはかり知れない打撃を受ける。ここは潔く民主党のために敢えて“身を引いてくれる”だろう」と、思っていたからだ。

しかし、挨拶に立ったご本人は、「党大会の日に合わせたかのように、逮捕が行われている。私はこのようなやり方を容認できない。私は毅然として自らの信念を通し、戦っていく決意でございます」と、検察との全面対決を宣言したのだ。

小沢氏は、組織を存亡の危機に陥れても“わが身だけはかわいい”のである。だが、本当に国民が驚愕したのはそれからではないか。その直前、小沢氏と首相公邸で会談した鳩山首相は、本人に向かって、「どうぞ検察と闘って下さい」と述べていたことが明らかになったのだ。

さらには、党大会で挨拶に立った首相は、「私は小沢さんを信じています」と言いきった。行政の長が、自分の配下の組織に対してプレッシャーをかけ、“指揮権発動”と取られても仕方ない発言までやってのけたのである。鳩山さん、あなたは国家の領袖としての意識がおありなのか、と聞きたくもなるだろう。

極めつけは、民主党内部で、「これは検察をトップとする官僚機構と、国民の代表である民主党政権との全面的な戦争だ」(民主党 森裕子参院議員)との発言まで飛び出したことだ。

政治資金規正法違反で次々と元秘書が逮捕されることを「官僚機構との全面戦争」と捉えるレベルは恐ろしい。小沢氏が政党を“解党”した際の23億円にものぼる政党交付金の行方や、マネーロンダリングのために預金の現金を担保に同額の融資(しかも4億円という高額)を組んだ不可解さ。それでも、これらの行為を民主党は「正当なもの」と強弁するのである。

そこまで民主党は、政党として最も必要な「平衡感覚」がないのだ。これから民主党は自らの首を絞めつづけ、自分の愚かさに気がついた時には、おそらく“取り返しのつかない事態”に陥っているに違いない。

昨日のブログでも指摘した通り、いま永田町で盛んに蠢動している政治家たちの水面下の合従連衡工作が果たしていつ浮上するか。永田町から、ますます目が離せなくなってきた。

カテゴリ: 政治, 随感

「政界再編」で待ち望まれるのは何か

2010.01.15

小沢一郎氏の元秘書で衆議院議員・石川知裕の逮捕は、政界に衝撃をもたらしている。なにより「政治資金規正法で国会議員が逮捕されたこと」に議員たちが仰天したのだ。

面子を重んじる東京地検特捜部は、国会議員を逮捕する時は、「収賄」「脱税」「詐欺」……など、それに見合う「罪」」と相場が決まっている。

しかし、今回、特捜部は逆に“面子をかけて”政治資金規正法での石川逮捕に踏み切った。週明け18日に始まる通常国会で小沢一郎氏に「不逮捕特権」を行使させないため、たとえ最初の手段が政治資金規正法であろうと、「勝負をかけてきた」のである。

本丸(小沢氏)攻略のためには「何でもやる」というわけだ。この土・日は、その意味でここ20年にわたって政界のキーマンとなりつづけた男の狼狽と断末魔を、国民がその目で見、耳で聞くことになるか、まさに「土壇場」なのである。

当ブログでは、小沢問題を延々書いてきているので、ここでは違う視点で触れてみたいと思う。それは「政界再編」という問題である。

小沢事件の衝撃は、民主党にとって想像以上の大きさがある。小沢氏が民主党のすべてを牛耳ってきた男であることは、国民が知っている。

その小沢氏に言いようにあしらわれ、かつ母親からの巨額の「資金譲渡」を申告もせず、“脱税”していたのが鳩山首相だ。

以前のブログでも書いたように、鳩山首相にとって今国会はまさに“火だるま国会”である。政治理念も哲学も欠如した政治家に、到底乗り切れるようなものではない。

ならば、政界は一体どうなるのだろうか。鳩山政権が瓦解した時、後継として菅直人が出てくるのか、それとも岡田克也が立つのか、それとも前原誠一が名乗りを上げるのか。

いや、そもそもそんな「顔のすげかえ」だけで、国民が納得するのだろうか。

その時、クローズアップされるのが「政界再編」という古くて新しい問題なのだ。鳩山首相がたとえ退陣しても、再び「自公政権」に戻って欲しいと願っている国民は少数だと思われる。政党支持率の推移を見るかぎり、そうだ。たしかに、一宗教団体の“教祖様”にコントロールされている宗教政党がくっついた政権を望む日本人が「どのくらいいるのか」甚だ疑問である。

つまり、国民は「自公連立政権」の再登場など、ほとんどが望んではいないのではないだろうか。ならば、民主党の中から、あるいは自民党やほかの政党から、どのようなドラスティックな動きが生じるかが焦点になる。

舛添要一や前原誠一、平沼赳夫、城内実らが、政党や派閥を越えてどんな動きを始めるか。動き方次第では一挙に政権奪取さえ可能になるほど「政界は流動化」するだろう。

小沢事件のインパクトは、それほど大きい。選挙も国会運営も、すべて小沢氏に一手に任せてきた“小沢依存体質”のツケが一挙に噴出するのである。今年は参院選の年。政治も経済も「なんでもあり」の激動と波乱の年なのだ。

国民は、冷静に「日本のために」なにが肝心か、じっくり考えたい。そして、国民がなにより望んでいるのが、信頼に足る健全な“第三極”の登場である。石川逮捕のニュースを見ながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 事件, 政治

「日本の根幹」と検察捜査

2010.01.14

今日の朝刊は、小沢一郎民主党幹事長の家宅捜索のニュースで埋められた。押収資料の分析が今後どのように進むか、興味深い。

天皇と習近平・中国国家副主席との会見をゴリ押しし、羽毛田信吾宮内庁長官を罵った傲慢さが小沢氏から消えた。急に殊勝になったのは、ことの重大さを何より小沢氏本人が最も肌で感じているからにほかならない。

千葉景子法相もさすがに指揮権発動して捜査をストップさせるわけにはいかないだろう。特捜部には、水谷建設からの資金提供や政党解党の際の政党交付金がどう小沢氏の“個人のもの”となったのかを是非解明していただきたい。その時、ひたすら利権獲得にひた走ったこの政治家の真実の姿を国民は知ることになるだろう。

いま発売中の文藝春秋2月号に興味深い記事が出ている。「中国共産党“小沢抱き込み工作”」という内幕レポートである。筆者は、時事通信外信部の城山英巳記者。小沢氏が引き連れていった142人の民主党議員と胡錦濤・中国国家主席との「握手と記念撮影」というバカげたイベントのために、天皇と習近平との会見が土壇場で“バーター”されたという驚くべき事実が冷静な筆致で描写されている。

折しも、外国人参政権問題が今国会の大きな焦点として浮上している。日本国内に14万人もいる永住権取得済みの中国人たち。年に1万人以上の割合で永住権を取得する中国人は増え続けている。法案が成立すれば、今後、彼らの発言力は増大し、やがては無視できないほど強大なものになっていくことは自明だろう。

日本は「やがて中国の24番目の省になる」というのは、1990年代初めから囁かれていた。そこに登場してきたのが、「日本列島は日本人だけのものではない」という言葉を発する政治家・鳩山由紀夫氏である。

こういう持論の政治家を“国家の領袖”として仰ぐ私たち日本国民は、「日本列島は日本人だけのものではない」という鳩山氏の言葉の意味を知らなければならない。

脱税が明らかになった政治家が「首相」の地位に居座れるという不思議の国・ニッポン。その政権によって「日本の根幹」はどこまで突き崩されていくのだろうか。憂いは深まるばかりだ。

だからこそ東京地検特捜部の捜査には、より国民の期待がかかっている。

カテゴリ: 事件, 政治

時事通信スクープの行方

2010.01.11

各地で成人式も終わり、いよいよ新年気分も一掃されつつある。東京は気温が前日から4度も低下し、凍えるような寒さだ。明日から連休明けでサラリーマンもコートの襟を立てながら休暇による仕事の停滞をより一層、挽回しなければならない。

そんな中、政界に時事通信のスクープ記事が激震をもたらしている。時事は、暮れの31日に小沢一郎・民主党幹事長の元秘書が「(小沢氏の)自宅に現金4億円を運び込んだと証言している」、さらには「東京地検がその原資解明に動き出した」という特ダネを放ったばかりだ。

今度は、小沢氏が過去に党首などを務めた「新生党」と「自由党」が解党した際、両党に残っていた政治資金計約23億円を、同氏の二つの政治団体へ「移動させていたことが判明した」という内容である。

これまで当ブログでも指摘して来た通り、検察と小沢氏との戦いのキーワードは、「資産構築」であり、「政治献金」であり、「政党解党の折の党資金の行方」であり、「脱税」である。

政治改革を叫び、政党が「国民の税金」から「政党交付金」を受け取る現制度をつくりあげた最大の立役者は、小沢氏本人である。その小沢氏が仮に「法の抜け道を利用」して、それを自らの政治団体にブチ込み、それを原資に「高額の不動産を購入」していたとしたら、どうだろうか。

闇将軍として天皇さえ政治利用するまで権力を恣にする小沢氏。彼は、果たして検察との戦いの勝算をいかに弾き出しているのか。

小沢氏が「師」と仰ぐ田中角栄と金丸信を二人とも逮捕した実績を持つ東京地検特捜部。日本最強の捜査機関が、この最大権力者とどう対峙するのか、いよいよ面白くなってきた。

カテゴリ: 事件, 政治

「鳩山訪朝」だけはご勘弁

2010.01.04

鳩山首相は本日、訪れた三重の伊勢神宮で記者団に「拉致問題」について聞かれ、「機が熟せば、訪朝も考えたい」と述べたそうだ。そして、「だが、まだ、残念ながらそのタイミングではない。与党、政府でも十分な接触が行われているとは思っていない。むしろ、これからやらなきゃならない」とつけ加えたという。

複数の民主党関係者が北朝鮮側と極秘接触していたことがマスコミで報じられており、これに関して質問が飛んだことに答えたわけである。しかし、この鳩山首相の答えに「大丈夫か」と、心配になった向きは少なくないだろう。

この頼りない政治家が功を焦って、訪朝でもしたら、百戦錬磨の金正日総書記にどんな言質を与えるか気が気ではない。

北朝鮮は、先の抗日戦争でゲリラ戦しかおこなっていないのに、日朝交渉では国際法による「交戦国家」としての地位を前提に巨額の賠償を要求してきた歴史がある。

実はこれも、第十八富士山丸事件で拿捕された紅粉勇船長らを救出するために訪朝した自民党の金丸信が、金日成主席に言質を与えたことから北朝鮮側に「誤解を与えた」と言われる。

外貨の不足、経済破綻、食糧危機など、多くの火種を抱える北朝鮮にとって、頼りにするのは昔も今も“ジャパンマネー”なのである。

核問題に代表されるように、自らトラブルを創出してまで北朝鮮が要求しているのは、何兆円もの巨額の援助(特に日本から)にほかならない。崩壊寸前の金王朝を維持するためには、日本から現ナマをせしめることが必須なのである。

歴史観や国家観に乏しい鳩山首相に訪朝されたら、どんな損失を被るかわからない、というのが国民の本音ではないだろうか。功を焦ったら「足元を見られる」のは交渉の常識だ。残念ながら鳩山首相にその力量があるとはとても思えない。

1月18日から始まる通常国会で火だるまになることが確実の鳩山首相。人気挽回の起死回生策として「拉致問題を利用する」のだけはご勘弁いただきたい。

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政界から目を離せない1年

2010.01.01

明けましておめでとうございます。千里を駆ける「寅年」が始まりました。いろいろなことが起きそうな年です。今年も何かが起こるたびに、気が向くままにその時の感想や情報を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

さて、元旦各紙の一面が出そろいました。昔は恒例だった元旦スクープが、年々、各紙とも心細くなる一方でしたが、今年はどうだったでしょうか。

ずばり、大晦日の夜、時事通信が各紙の元旦スクープに先がけて<小沢氏の事情聴取検討 元秘書「自宅に現金4億円」東京地検「貸付金」原資解明へ>という記事を配信したことにより、元旦の各紙記事は激震しました。

小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる問題で、同会事務担当だった小沢氏の元私設秘書が東京地検特捜部の事情聴取に、「2007年春ごろ、4億円の現金を小沢氏の自宅に運んだ」と供述していることを報じたものです。

不透明な小沢氏の資金管理団体のカネの流れに東京地検特捜部が注目し、その解明に向けて捜査が進んでいることがいよいよ明らかになったわけです。4億円と言えば、“レンガ”と呼ばれる1千万円の塊が実に40個。普通のカバンなら2つや3つでは足りません。

昨年3月、すでに小沢氏の資金管理団体である陸山会の会計責任者兼公設第一秘書が西松建設の政治資金規正法違反事件で逮捕されています。それ以降も特捜部の捜査は続いているのです。

この捜査のキーワードは、ずばり小沢氏の「資産構築」であり、「政治献金」であり、「政党解党の折の党資金の行方」であり、「脱税」です。

果して、政界最大の実力政治家を特捜部が追い詰めることができるかどうか。小沢氏は権力の座から転げ落ちることは「逮捕を意味する」とばかり、ますます権力への異常なまでの執着を見せています。つまり、両者の駆け引きは、すでに佳境に入っているのです。

2010年の政界は、捜査当局の腹のくくり方次第で、大激震が予想されます。今年の日本は「千里を駆ける」のか、それとも「沈没する」のか、一時も目を離せない年になりそうです。

カテゴリ: 事件, 政治

「法の下の平等」はどうなったのか

2009.12.29

年末になって、テレビでは「この1年」という番組が各局で放映されている。今年は「政権交代」という歴史的な出来事があっただけに、そこに焦点があてられる番組構成が実に多い。

鳴り物入りで誕生した鳩山政権に対して、国民は今、複雑な思いを抱いている。年末の日本列島を走った衝撃ニュース「鳩山首相の脱税額」を聞いて、溜息を洩らさない方がおかしいからだ。

鳩山由紀夫首相が6年間で母親から受けた贈与の総額が11億7千万円で、納税額は約5億7500万円にのぼった。さらに今年度分の贈与9千万円については「後刻、申告・納付する」するそうだ。

11億7千万円もの贈与を申告もしなかったというのだから、これは恐ろしい。それでも鳩山さんは「やったのは秘書であって、私は一切知らない」と繰り返している。

そもそも6億円近い脱税をしてもこのヒトの場合、「逮捕もされない」というのはどういうことだろうか。上申書一本で逮捕もされないなら、それは法の下の平等に反するではないか。誰もが「なぜこの脱税額で逮捕されないの?」という疑問を口にするのではないか。

脱税は所得税法違反である。不正な手段で課税を免れることにほかならない。同じ脱税でも悪質なケースとそうでないケースによって「逮捕されるかどうか」が決まるが、鳩山首相がやったことは「節税」ではなく、「脱税」だったことをもう一度認識すべきなのである。

鳩山首相は脱税、すなわち「違法な方法」で納付すべき「税金を少なくした」のである。国民が納めた税金によって国を動かす行政の長が、こともあろうにこれだけの「巨額の脱税」をしていたというのだから、これはもう滑稽譚である。

これから脱税の摘発を受けて刑事訴追を受けるものは、正々堂々と主張すればいい。「では、なぜ鳩山さんは逮捕されないのか」と。

ここへ来て、小沢氏にも鳩山氏と同じ脱税の噂が流れている。これまでの政党解党の際、党の資金を自分個人の政治団体に振り込ませた疑惑が浮上しているのだ。

鳩山、小沢両氏とも、自民党の最大派閥・田中派の出身である。田中派は、田中角栄も金丸信も、検察の手によって逮捕された過去がある。

二人に対して、検察はどこまで腹をくくって対処できるだろうか。静かに見守りたい。

カテゴリ: 政治

鳩山さんの「火だるま国会」

2009.12.25

支持率の急落やら、失態つづきの政局運営、そして秘書の在宅起訴……等々というニュースを見ていると、鳩山さんが「政権を投げ出す」のが近づいてきたことを実感する。

日頃の言動を見ていてもわかるように、この人は、別に国民のために何かやりたくて総理の座に就いた人ではない。総理には二つのタイプがあり、「国民のために総理の地位に就いて、……をやりたい」という人と、「総理になること自体が目的であって、国民は二の次」という人である。

ここのところの福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫という名門の出の総理たちは、後者であることが共通している。こういう人たちは、総理になること自体が目的だから、「嫌になればすぐ投げ出す」のが特徴だ。「国民のために」がないのだから当たり前だ。執念も信念もない。ただその時を「凌げればいい」人たちである。

先の習近平・中国国家副主席と天皇とのゴリ押し会見の例を見るまでもなく、鳩山首相は小沢一郎氏の傀儡と化している。失礼ながらこれまでのブログでも書いて来たように、小沢氏程度の恫喝政治家に抗せないのが鳩山氏のレベルである。

「もし、鳩山由紀夫の秘書が同じことをやっていたとするなら、私はすぐに国民の皆様に謝罪を申し上げて、離党ではありません。国会議員のバッジを外します」――この言葉は、平成14年に自民党の加藤紘一元幹事長の秘書が脱税で逮捕された時の鳩山氏の言葉である。

偽装献金事件で秘書が起訴された昨日、鳩山氏は「議員バッジを外す」どころか、記者会見で「続投を表明」した。日本の政治家の言葉というものはここまで「軽い」のである。

だが、この人は、果して、来たる通常国会を乗り切るだけの能力と神経を持っているだろうか。すでに「脱税総理」という名を歴史に残した鳩山さんが、どこまで政権の座にいられるか、ひとえに彼の神経の“太さ”によるだろう。

そして、小沢氏に愛想を尽かされた途端に「政権が瓦解する」という脆弱な体制になった以上、ますます小沢氏への権力集中が顕著になる。

1月召集の通常国会で、鳩山総理は連日“火だるま”となる。あらゆる方法で野党は、この信念なき政治家を攻め抜くだろう。

短期間で政権を投げ出す総理がつづくのは日本の恥だ。しかし、このレベルの政治家にしか政権を任せられないわれわれ国民こそ、反省すべきなのではないか。国民がそのことを認識しなければ、いつまでもこうした愚が繰り返されることになる。

国会で火だるまとなる鳩山総理の姿を、私たち国民は“我がこと”として見つめならない。

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カラスの鳴かない日はあっても……

2009.12.18

ずばりと本質を突かれた時に、狼狽し、居丈高になり、我を失うタイプの人間がいる。世の中にはそんな人はごろごろいるが、これが国政にかかわる人物の場合は、いささか始末が悪くなる。

民主党の小沢一郎幹事長が、中国に対して忠誠心を示すためにやった習近平・国家副主席の天皇とのルール破りの会見。この異例の会見の裏舞台が報道されて以来、民主党には抗議の電話が殺到し、鳩山首相が「小沢氏に怒鳴りつけられていた」ことまで週刊誌で暴露されている。

どうにも小沢さんの形勢はよろしくない。しかし、小沢さんはまだ懲りずに、国会内で羽毛田信吾宮内庁長官を改めて激しく批判し、「あいつこそどうかしている。天皇の権威をカサにきている」とブチまけたことを新聞が報じている。

宮内庁長官を「あいつ」呼ばわりしたことなど、小沢氏が、まず第一にその「品格において」国政に携わることが適当でないことがよくわかる。先日、NHKが「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」というドキュメンタリー番組を放映していたが、その中でも、小沢氏の物言いは“突出”していた。

このNHKの番組を観た人は、あたかも小沢氏が「改革の旗手」であるかのように感じただろう。ご本人のコメントを変えるわけにはいかないので、それは仕方がないと思うが、当然、出さなければならないシーンがカットされている場合は、番組の価値を左右する問題ではないか、と思う。

番組でカットされていたのは、一昨年11月、小沢氏が時の首相・福田康夫氏と会談し、大連立に突き進んだ時の記者会見のシーンだ。大連立の方針は「いつものように」彼だけの“独断”であり、民主党内の猛反発を浴び、忽ちこの構想自体が挫折した。

小沢氏は激怒して代表辞任を表明。しかし、党内の慰留を受け、今度はわずか2日後に「代表続投を表明」するという醜態を晒してしまった。気に入らない報道に怒ったり、涙を浮かべて前言を翻したり……記者会見で見せたあまりの毀誉褒貶ぶりに、国民は唖然としたものだ。

政治家があそこまで愚かな姿を見せれば、普通は政治生命は「終わり」である。しかし、この国は違う。そういう人間が逆に権力を握り、自分が「特定の国」にいい顔をするためには、「天皇を利用する」ところまで増長させてしまうのである。

彼の特徴は“逆ギレ”である。今回の羽毛田批判もそれで、彼をよく知る関係者は、「いつものことでしょ」と不思議がるようすもない。そんな御仁に振りまわされ、秩序(ルール)が破壊されているのが日本なのである。

この20年ほど、永田町では「カラスの鳴かない日はあっても、改革が叫ばれない日はなかった」と思う。私は、誰もが逆らえないこういう絶対的な事柄(つまり「改革」など)を、殊更、声高に叫ぶ人たちを信用しないようにしている。

小沢氏を「改革の旗手」として持ち上げ続けたマスコミにも当然、責任の一端がある。マスコミはこれまでの姿勢を真摯に反省し、「恫喝政治家小沢一郎」ときちんと対峙して、真実の姿を国民の前で描き出して欲しいと願う。

カテゴリ: 政治

小沢一郎に日本はどこまで潰されるか

2009.12.12

異例づくめである。国民も「なぜ?」という思いで一杯ではないだろうか。あさって来日する中国の習近平・中国国家副主席が、小沢一郎氏のゴリ押しで急遽、天皇との会見が実現することになったのだ。

民主党議員143名を引き連れ、総勢600人で“北京詣で”をやった小沢氏が「裏で何をやっているのか」――はからずも国民の前に現れてしまったのである。

天皇の政治利用は許されないと、野党やマスコミが騒いでいる。たしかにそうだが、それとは全く違う視点でこの問題を考察してみたい。

今月、二人の政治家が中国を訪問した。その二人のあまりの違いに私は日本人の一人として溜息をついてしまう。一人は、いうまでもなく小沢一郎氏だ。一昨年に次いで、大訪問団を組織して、胡錦濤国家主席に“謁見”した。まるで皇帝に拝謁を賜る臣下のごとき卑屈な笑いが印象的だった。国内における普段の傲慢な素顔は、どこからも窺えなかった。

民主党の政治家たちは「一人2秒」にも満たない速さで皇帝と握手し、記念撮影して、これを選挙戦に使うのだそうだ。彼らにとって中国の国家主席とは、最高の権威の象徴らしい。このサマを見れば、彼らが外国人参政権の実現に血道をあげる理由もよくわかる。

だが、私は日本の首相に会うために大訪問団を組織して、握手を求めてきた国があったことは聞いたことがない。ODAを世界中に出して、さまざまな国の発展を助けてきた日本であっても、そこに大訪問団がやってきて、感謝されたこともなければ、一緒に記念撮影をお願いされたこともないだろう。

なぜなら外交とは国益の衝突の場であり、その国の政治家が卑屈にすり寄ることは国益を損なう第一であることは、世界の常識だからだ。まして、中国と日本は、尖閣問題や東シナ海の天然ガス問題、北朝鮮の核問題……等々、数え上げたらキリがないぐらい多くの懸案事項を抱えている。

相手に舐められては、日本の国益は、損なわれることはあっても実りを得ることはない。中国と対峙する時には、常に「毅然」とした姿勢を失わないことが何より大切なのである。

中国は、一党独裁の共産党政権であり、国内の人権政策に大きな問題を抱えている。チベット、新彊ウィグル、法輪功、思想統制、ネット制限……多くの人権抑圧によって10億を超える人民を強権支配しているのが北京政府である。

しかし、日本の政治家は、中国人民が必ずしも“支持していない”その独裁政権にひれ伏しているのである。小沢氏が膝を屈している相手は、中国人民ではなく、独裁政権に対してであることを忘れてはならない。

小沢氏と全く対照的だったのが、今月2日に訪中したカナダのハーパー首相である。ハーパー首相は、中国の人権問題や少数民族政策に批判的な立場を貫いている政治家だ。

これまでも、中国の人権抑圧政策と衝突し、これに抗議するために一昨年、中国との人権対話を中断しただけでなく、かのダライ・ラマのカナダ公式訪問も受け入れ、会談した。さらには昨年の北京オリンピックの招待に対しても、「人権問題が解決されていない」との理由で出席を拒否した気骨の政治家である。

小沢訪中団の1週間前、ハーパー首相は中国入りしている。しかし、胡錦濤国家主席との会談が実現しなかったばかりか、地方指導者との会談まで直前にキャンセルされた。国家の領袖に対して、中国は“みせしめ”とも言うべき非礼な態度をとったのだ。

片や600人の訪中団を組織して、皇帝に拝謁し、記念写真を撮り続けて世界の失笑を買う政治家。片や、言うべきことを言って、異例の冷遇を受けながら毅然と帰国して行った政治家。そのどちらを中国の人民が心の中で拍手を送っているか、答えは明らかだろう。

中国の人たちは、「5つめの近代化」と言われる真の民主化を待ち望んでいる。しかし、その独裁政権を褒めそやし、支える政治家が一方で存在する。こうして中国の人権問題がいつまで経っても改善されない事態が続いているのだ。いや、日本の卑屈な中国への外交姿勢が、明らかに彼ら独裁政権を支えていると言える。

自分が中国にいい顔ができれば、天皇さえ政治的に利用する小沢氏。羽毛田信吾・宮内庁長官は「天皇の役割は外交とは違う。2度とあってはならないことだ。残念」と、今回のルール破りの会談について嘆いた。

やりたい放題の小沢政治の中で、巷では確実に深刻な経済の停滞が進行している。いわば“鳩ぽっぽ不況”である。国債増発によるバラ撒き財政が株式市場に嫌気され、これから日本経済はどん底に向かっていくという見方は少なくない。

以前のブログにも書いたが、鳩山政権で「日本の根幹はどこまで揺らぐか」と、憂慮する。それでも、国民は、ひどかった自公連立政権に舞い戻る怖さを感じているのも事実だろう。その意味で、民主党は国民の“消極的支持”に支えられていると言える。

第三極を待ち望む国民の声はこれから高まっていくだろう。その時こそ「政界再編の最終決戦」が始まる。

カテゴリ: 国際, 政治

1年後だったら「退陣」

2009.12.01

今日は、来春出版する歴史ノンフィクションの取材で、福島県の須賀川まで行って来た。昭和41年に亡くなったノンフィクションの「主人公」のお墓参りのためである。実家にもお邪魔し、さまざまなエピソードを伺ってきた。有意義な取材だった。

さて、国会の焦点が鳩山首相の “お母さん献金”に移りつつある。母親からの9億円献金を「私は知らなかった」で済まないことは国民の誰もがわかっている。母から子への生前贈与で「4億5000万円もの贈与税が発生する」という自民党の攻撃はなかなか激しい。

これが「1年後」なら、かなりの確率で鳩山首相は、「退陣」に追い込まれただろう。彼ら名門2世議員たちは、地位に対する執着がないからだ。彼らは国民のために「何をやるか」ではなく、首相になること自体が目的化している人たちである。

だから、“目的”を達成した以上、その地位に対してそれほど執着心がないのが彼らの特徴だ。細川護熙しかり、安倍晋三しかり、福田康夫しかり、鳩山由紀夫しかり……、もし国家の領袖となって国民のために「これをやる」という信念のある政治家なら、どんなに泥をかぶっても執念で地位にしがみつくだろう。

しかし、失礼ながら鳩山さんにその“気概”があるようには、私には思えない。今回の母親献金から発展した「脱税問題」は、本来は間違いなく政権を揺るがす大スキャンダルである。だが今、メディアは発足したばかりの鳩山政権を必死に支えている。国民も自民党政権の時のように眉をつり上げたりはしていない。しかし、これが「1年後」だったら、どうだっただろうか。

国会の議場では、「こりゃ(母から子への)違法子ども手当だ!」「お母さんにもらったお金はどうしたんだ!」といった皮肉をこめたヤジが乱れ飛んでいる。おそらく「1年後なら」メディアが愛想を尽かし、ご本人も「これ以上は耐えられない」と、政権を投げ出した確率は高いように思う。「(スキャンダルが)出るのが早すぎた」――これが、今回の騒動に対する専門家たちの共通見解ではないだろうか。

だが、鳩山さん。悪運も“運”の内だ。

これを天運と言わずして何と言おう。ここは、大いなる闘志と気概をもって、敢然と政権の“離陸”を果たして欲しいと思う。そうでなければ、日本はまたしても“世界の笑いもの”になる。

カテゴリ: 政治, 歴史

バラまきの「ツケ」どこまで

2009.11.28

鳴り物入りの行政刷新会議の事業仕分け作業が9日間で終わった。「天下りを廃す」「税金の無駄使いを許さない」という民主党政権の基本姿勢には大いに拍手を送りたい。

だが、その「理想と現実」とのあまりの乖離に首を傾げる国民は少なくないだろう。民主党政権が、中身の伴わないパフォーマンス政権であることは次第に明らかになりつつある。今回の事業仕分けも、マスコミの報じ方だけを意識し、「大ナタを振るっている」というイメージを国民に植えつけるための「パフォーマンス」の側面が極めて大きかった。

しかし、野党・自民党の側が「パフォーマンスにはパフォーマンスで」と、真っ向から噛みついたのはおもしろかった。ノーベル化学賞受賞者の野依良治博士を引っ張り出し、科学技術の予算大幅削減に対して、「科学技術は生命線。コストと将来への投資をごっちゃにするのは見識に欠ける」「(民主党政権は)歴史の法廷に立つ覚悟があって言っているのか」と言わせて全面対決に入ったのだ。

族議員が跋扈し、各省庁の高級官僚の言いなりになってきた自民党には確かに私も勘弁して欲しい、と思う。だが、それでもこの「大ナタ」が、一方のバラまき予算の反動から来ていることに「我慢ならない」向きも決して少なくないだろう。

わずか70億円ほどで済んだ自衛隊のインド洋での給油支援活動をやめるかわりに、アフガニスタンへの4500億円の民政支援をおこなうという鳩山政権。また、これまでも書いてきたように、所得制限なしの子供手当や、働く母子家庭よりも収入が多くなる母子加算、44兆円もの新規国債発行……等々のバラまき予算を聞いていると、「パフォーマンスもたいがいにしろ」と言いたくもなる。

産経新聞にジャーナリストの黒岩祐治さんが寄稿しているが、事業仕分けでは、「漢方薬まで健康保険の適用から外された」そうだ。こうなると、もうメチャクチャである。

臨床医の8割近くが漢方薬を処方しており、漢方薬がもはや「普通の薬」となっていることは疑いない。黒岩氏によれば、「漢方をもっと普及させていこうというのが医学界の流れ」であり、実際にその効能は末期がん患者をはじめ多くの方々の臨床結果によって証明されている。

それが健康保険からバッサリ切り捨てられれば、これは「本末転倒」も甚だしい。インド洋の給油(70億円)をやめてアフガニスタンへの民政支援(4500億円)に転じたがために、内臓疾患に悩み漢方治療に頼る多くの国民が「犠牲になる」としたら、それを国民の誰が許すというのだろうか。

「故人献金」や「母親からの9億円献金」に対して、知らぬ存ぜぬを通す鳩山首相に、そろそろ国民の目も冷めかけている。一体、民主党得意のパフォーマンス政治はどこまで国民に「通じる」のだろうか。

カテゴリ: 政治, 随感

日本の「根幹」はどこまで揺らぐか

2009.11.13

今日、オバマ大統領が来日する。中国に3日間も滞在するのに、日本には1泊のみである。さまざまな点で、この来日は“前代未聞”だ。

13日夕方に羽田空港に着くオバマ大統領は、そのまま日米首脳会談に臨み、共同記者会見、そして首相主催夕食会という段取りである。

驚くべきは、鳩山首相は首脳会談を行った後、大統領を日本に残し、深夜にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のためシンガポールへ出発することだ。

つまり明日14日は、オバマ大統領はホスト役の鳩山首相不在の中、天皇陛下との会見やアジア外交に関する演説などの日程をこなす。そのあとで鳩山首相を追ってシンガポールに向かうという。日本の首相が、来日中の最大同盟国の首脳を残して先に出かけていくという驚くべきスケジュールである。もちろん、そんな非礼は史上初めてのことだ。

中国の覇権主義がますます台頭してくる中、日米関係はさまざまな意味で重要度を増している。北朝鮮の核問題は、日本国民の生存権にもかかわることだけに、拉致問題も含めて国民は徹底して日米首脳に話し合って欲しい、と思っている。

日米首脳が腹を割って話し合える関係を築くことは、それだけ日本国民に極めて重大な意味を持つのである。しかし、鳩山首相にその気持ちも能力もない。少なくとも私はそう思う。明らかに「脱アメリカ」で「親中国」を志向しているのが鳩山政権である。

このしっぺ返しは、さまざまな面で噴出してくるだろう、と思う。「アメリカをコケにした男」鳩山首相の行動によって、今後、オバマの中国重視政策はますます強まるだろう。オバマ政権は、もともと中国ロビーを内部に組み込んだ政権だけに、これから日本軽視に拍車がかかるに違いない。

すでにアメリカのメディアには、鳩山政権への露骨な不信感が出ている。日本への批判記事が政治ジャーナリズムの主流になりつつあるのだ。

沖縄米軍基地移転問題での指導力のなさや、自衛隊のインド洋での給油活動をやめさせた鳩山政権に「親近感を抱け」というのがそもそも無理かもしれない。鳩山首相は、インド洋での給油活動のかわりにアフガニスタンへの4500億円の民政支援をおこなうそうだ。

わずか70億円ほどで済んだ自衛隊の支援活動が、4500億円の税負担となって国民の上に覆いかぶさってきたのである。暗澹たる思いになる納税者は、私だけだろうか。

日米関係が、戦後、最も「冷え切った関係」に突入していく中、国内では、すでに小沢一郎氏が幹事長室で「陳情を一元的に取りまとめて閣僚らに取り次ぐ」新ルールがスタートしている。小沢氏は、事実上の“陰の総理”となったのだ。

所得制限なしの子供手当や、働く母子家庭よりも収入が多くなる母子加算、外国人参政権問題、新規国債発行額「44兆円」というバラ撒き予算……鳩山政権によって、トンでもない事態が進行している。

日本の根幹は大丈夫か、と最近つくづく思う。

カテゴリ: 国際, 政治

労組政党のお手並み拝見

2009.11.03

今週は、2日ごとの締切を3本も抱え、四苦八苦している。台湾・金門島への取材、そのあとの四国行き。東京をずっと留守にしていたために、容赦のない「締切」に追われる羽目になってしまった。

四国では昨日、伝説の名投手・澤村栄治のお嬢さん(といっても65歳)にお会いし、さまざまな秘話を聞くことができた。近くその取材結果をレポートさせていただくつもりだ。

多くの若者の命が奪われた太平洋戦争という未曾有の悲劇。その中で、残された家族が戦後歩んだ“茨の道”もまた別のドラマがある。戦火の中に消えて行った名選手たちの無念を、私はできるだけ取材し、浮かび上がらせてみたいと思っている。ご期待ください。

ところで、国会の論戦がいよいよ始まった。労組依存というアキレス腱を抱える鳩山政権に対する国民の見方は現在、失望半分、期待も半分というところではないだろうか。さまざまな問題点が見え隠れしている中、今のところマスコミの報じ方は、概ね“好意的”だ。

しかし、マスコミの得意技は、言わずと知れた“掌(てのひら)返し”である。麻生政権などは、「これでもか」とばかりのバッシングを受け続けたが、果たして鳩山政権がいつからマスコミの攻撃に晒されるようになるのか、注目していきたい。

鳩山政権が抱える火種は、「カネ」「小沢」「労組」「北朝鮮」だ。これらをきっかけにいつ閣内不統一が表面化するか、興味深い。まずはJAL再建の“税金投入”にあたって、企業年金の大減額も含め、どのくらいJAL社員たちの厚遇をブチ壊せるか、「労組政党」のお手並み拝見といきたい。

カテゴリ: 政治, 歴史

土光敏夫よ、再び

2009.10.21

昨日の西川善文・日本郵政社長の辞任会見を見て、「あーあ」と溜息を洩らした人は少なくないだろう。

「これが国民の貴重な財産の上に成り立った企業のトップか……」。私も会見の映像を見ながら、そう思った。

「カメラは出てけ!」「音がうるさくて話せない」「カチャカチャすると、やってられない」。イライラした西川氏は、そう言って報道陣に何度も嚙みついた。そこには、国民の共通財産の上に初めて成り立った“民間企業”のトップという意識はかけらもない。報道陣の先にいる国民に対する謙虚な姿勢も皆無だ。浅薄な氏の人間性が、全国民の前に晒された瞬間である。

私はその映像を見ながら、「この人を守るために麻生政権はつぶれたのか……」という複雑な思いが込み上げた。

西川氏は「私がこれからやろうとすることに大きな隔たりがあるので、もはやこの職にとどまることは適切ではないと考えた」と述べたが、これまでも当ブログで指摘してきた通り、西川氏が信念をもって厳正かつ公平無私な態度を貫いた人物とはとても思えない。

出身母体の三井住友銀行から「チーム西川」と呼ばれる子飼いを引き連れて日本郵政に乗り込み、言葉は悪いが「好き勝手放題やってきた」人物ではなかったか。

西川氏は、それまでわずか0・2%のシェアしかなかった三井住友カードを郵貯銀行のカードの委託先にまず選んだ。その選定の中心人物は、「チーム西川」の元三井住友カード副社長である。ほかにも「チーム西川」のメンバーが、三井住友銀行の社宅に「住んだまま」、日本郵政に“出向”していたことも国会で追及された。

大きな非難が巻き起こった「かんぽの宿」売却問題は典型的だ。総額で約2400億円もの巨額の建設費をかけた施設を、20分の1にも満たない約109億円で売り飛ばそうとした。

「かんぽの宿 鳥取岩井」の売却では、「レッドスロープ」なる東京の不動産会社に「1万円」で売却され、直後に福祉法人に「6000万円」で転売された。しかも、その不動産会社は幽霊会社で、さらに、設立間もない会社だったことが明らかになった。

国民が怒ったのはほかでもない。国民の“最後の財産”を、一部の利権屋が貪り食った図式が、はからずもマスコミや国会議員の力によって国民の前に露わになったからである。

問題が明るみになって苛立った西川氏は、記者に逆上して、「失礼なことをいうな!」と、怒声を浴びせかけたこともある。

鳴り物入りの郵政民営化に対して、この程度の人物しか選べなかったところが国民の不幸だったのである。公平に物事を進めるためには、自分の利益を優先したり、自分の主観で判断することは絶対に避けなければならない。かつての第二次臨調の土光敏夫会長のような人間がいないことが、なんとも惜しいと思う。

しかし、日本郵政の後任社長に鳩山政権が持ってきた人間が「斎藤次郎・元大蔵次官」というのもこれまた滑稽譚である。“陰の総理”小沢一郎氏の盟友で、かの細川政権が瓦解するきっかけになった深夜の国民福祉税構想発表をやってのけた剛腕事務次官である。

私が雑誌のデスク時代、「むかし陸軍、いま総評」「むかし東条、いま斎藤」という言葉を霞が関で聞いたのは90年代の前半ではなかっただろうか。それだけの異名が奉られるほど斎藤氏は“ミスター官僚”“官僚の中の官僚”だったのである。

官僚、そして天下りと全面対決するはずの鳩山政権が、よりによって細川政権を崩壊せしめた官僚の中の官僚であり、“小沢の盟友”を引っ張り出したのである。

「あーあ」。国民の溜息は2日つづいてしまった。

土光さんが唱えた「増税なき財政再建」「中央・地方一体になっての行革推進」がなつかしい。90兆円を超える一般会計と、50兆円近い国債発行という“バラまき政権”が誕生した今、土光さんが生きていたらどんな感想を漏らすだろうか、是非聞いてみたいと思う。そして、果たして鳩山政権がどこまで子孫にツケをまわすか、じっくり監視していきたいと思う。

さて、明日から私は台湾と金門島に再び取材に出る。現地レポートをご期待ください。

カテゴリ: 政治, 随感

いよいよ始まる鳩山首相の修羅

2009.10.13

北朝鮮が昨日、日本海に短距離ミサイルを発射した。発射されたのは短距離ミサイル5発で、舞水端里から元山にかけての海岸から、午前中に2発、午後に3発が発射された。

早くも鳩山民主党政権の本質が国民の前に明らかになりつつある。つい数日前(10月9日)、政府は先の通常国会で廃案となっていた北朝鮮関連船舶を対象とした「貨物検査特別措置法案」の臨時国会提出を見送る方針を決めたばかりだ。

見送りの理由は、「6カ国協議に復帰する動きを見せている北朝鮮の動向を見極める必要がある」ということだそうだ。だが、その答えが、日本海へのミサイル発射という北朝鮮による大デモンストレーションだったわけだ。

鳩山政権は“親北政権”である。友愛外交を掲げる鳩山氏の対象は、かねて指摘されてきた通り、主に「中国」と「北朝鮮」に向けられている。

鳩山政権の重要閣僚である菅直人国家戦略担当相と千葉景子法相が、かつて北朝鮮拉致事件の実行犯で、韓国で収監されていた辛光洙・元死刑囚らの釈放嘆願書に署名していたことが思い出される。

これは、平成元年、当時の盧泰愚韓国大統領にあてて出されたもので、「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」というものだ。当時の国会議員128人が署名した。

こともあろうに国家戦略を担当する現在の副総理と法治国家日本の“法の番人”である法務大臣が、自国民を拉致した実行犯を釈放するよう嘆願していたというのだから驚きを通り越して、これはもう笑い話である。

通常国会で、自民党はこのことを追及する構えを見せているので、鳩山首相自身の“故人献金”問題に加えて、大きな焦点となるだろう。

民主党の「親北」ぶりは、これまでにも話題になったことがある。今年4月末から5月にかけて、拉致被害者の「家族会」「救う会」「拉致議連」の合同訪米団がワシントンに滞在して、政府や議会などに陳情をおこなった時のことだ。家族会はアメリカ側に「拉致問題が埋もれないよう北朝鮮への圧力を緩めないでほしい」と訴え、「救う会」は北朝鮮の「テロ支援国家」への再指定と金融制裁の発動を求めた。

しかし、アメリカ側から出てきた話は、民主党の前原誠司(現国交相)と岡田克也(現外相)両氏が直前に訪米しており、共にアメリカ側に「いまの日本は拉致解決に固執しすぎて北朝鮮の核放棄への障害となっている」という趣旨を述べていった、というものだった。

啞然とした訪米団は、帰国の際の記者会見で、前原、岡田両氏の名前を挙げて批判した。前原氏と岡田氏の発言は、日本側の拉致解決への姿勢に対してアメリカ側に疑念を抱かせるものだったのだ。

今朝、鳩山首相は私邸前で記者団の質問に答え、「(ミサイル発射の)報道は聞いている。これが事実としたら、大変遺憾なことだと思うが、今、それ以上のコメントをする状況にない」と語った。「事実なら遺憾」――日本は今、そういう表現しかできない「国家の領袖」を抱えている現実がそこにはある。北朝鮮への警告も、日本の毅然とした姿勢のメッセージも、彼にはできないのである。

国民の生命と財産、そして領土を守るという最大使命を持つ国家の領袖が、友愛などという綺麗事を唱えて務まればこれほど楽なことはない。しかし、これから国内・国際社会の現実が、かつて“宇宙人”と揶揄されたこのお坊ちゃん政治家に次々と襲ってくるだろう。

鳩山政権の看板である友愛が、実は、自国民に対する“友愛”でなく、人権圧殺の無法国家に対する“友愛”であることに国民はいつ気づくだろうか。

カテゴリ: 国際, 政治

前途危ぶまれる鳩山政権

2009.09.22

鳩山政権の雲行きが次第に怪しくなってきている。世の中はシルバーウィーク中だが、毎日報道されている政治記事を読んで、「大丈夫か?」「心配していた通りだ」と憂慮する国民は少なくあるまい。

同床異夢の「3党連立政権」がうまくいくはずもなく、すでに瓦解への火種はいくつも燻ぶっている。それらが、おいおいマスコミを賑わすことになるだろう。

この連休中に最もおもしろかった政治記事は、産経新聞が報じた辻元清美議員(社民党)の「やだ、やだ、やだ事件」ではなかったか。

いつも何かと話題を提供してくれる辻元氏が、国土交通副大臣起用をめぐって9月18日午後、国会内の社民党控室で就任を駄々っ子のように拒み続けたという暴露記事だ。産経新聞によれば、そこで以下のようなやりとりがあったそうだ。
 
辻元氏「やだ、やだ、やだ、やだ!」
阿部知子政審会長「そんなのダメ。やりなさい!」
辻元氏「(福島瑞穂)党首が閣議で署名しちゃってるんですよ。もうどうしてくれるんですか、幹事長!」
 
前夜、前原誠司・国交相から電話で副大臣就任の要請を受けた辻元氏は、社民党の国対委員長であることを理由に断り、対応を重野安正幹事長に一任。これを受け、重野氏は福島党首と協議しようとしたが電話がつながらず、福島氏は18日午前の閣議で、辻元氏の名前が掲載された副大臣名簿に署名してしまったという。

辻元氏の抵抗で社民党幹部は18日夜の副大臣認証式までに閣議の決定を撤回させようと動いたが、官邸サイドに拒否され、万事休す。副大臣就任と相成った。

周知のように辻元氏は平成15年に秘書給与流用事件で詐欺容疑で逮捕され、有罪判決を受けている。副大臣とはいえ辻元氏が“入閣”したことで、野党の自民党は、格好の攻撃材料を得たことになる。

かつて辻元氏は、衆議院予算委員会で証人喚問された鈴木宗男氏に対して、「あなたは疑惑の総合商社や」「ど忘れ禁止法を適用したい」と厳しく追及したことがある。

しかし、直後に自身の秘書給与流用が明るみに出ると、涙の会見をおこない、議員辞職に追い込まれた。のちに復活当選すると、「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の“国壊議員”や」と発言している。

毀誉褒貶ぶりが常に世間の耳目を集めてきた曰くつきの議員が辻元氏。鳩山内閣は、外国人参政権問題をはじめ、すでに閣内不統一のタネが次々と明るみに出ている。果たして辻元氏のような脛に傷持つ議員を“入閣”させて野党の鋭い追及を逃れることができるのだろうか。

鳩山政権の前途が危ぶまれる。

カテゴリ: 政治

湿気を帯びた東京の夜の風景

2009.09.18

昨夜遅く台湾から帰国した。およそ3週間ぶりだ。成田から新宿に向かうリムジンバスに乗っていると、つい数時間前まで台北の喧騒の中にいたことが不思議でならなかった。

粉塵と排気ガスにまみれた台北の街角と、バスから眺めるしっとりと湿気を帯びた東京の夜の風景があまりに違いすぎるのだ。人々の活気もまるで異なる。大声でけたたましく喋る台北の人々と、静かにゆっくり話す東京人。両者は何もかもが鮮やかにコントラストを描いていて、妙な感覚に捉われた。

台湾でぎりぎりまで続けた取材。外省人たちの厳しい取材拒否に遭いながら、一定の成果は挙げた滞在だった。だが、まだまだ満足できるノンフィクション作品にはならない。来月もまた「決着をつけに」台湾に行こうと思う。

昨夜遅かったので、今日の朝が明けてからたまりにたまったメールを処理したり、取材報告の電話をおこなった。その上、夜は2つの飲み会に参加した。

ブログに台湾滞在記を載せていたので、飲み会では、私の動向を詳しく知っている人もいた。かつて中国から「44日間で47万発」もの砲弾を撃ち込まれた金門島で書いたブログも読んでくれていた人もいた。ありがたい限りだ。

ニュースと言えば、鳩山新内閣の発足で、“脱官僚”を目指す大臣たちの少々過剰なパフォーマンスが目についた。今後、一人一人の閣僚を取り上げながら、鳩山政権の目指すものを論評していきたいと思う。

カテゴリ: 国際, 政治

台湾最後の夜と「鳩山政権」の発足

2009.09.16

鳩山由紀夫を首班とする新内閣が本日夜、発足した。16年ぶりの政権交代である。由紀夫氏は鳩山一郎元総理の孫で元田中派の議員でもあり、むしろ最も“自民党らしい”議員とも言える。

政権交代は細川連立政権が発足した1993年以来だが、衆院選で野党第1党が単独過半数を制したことにより政権が代わるのは、戦後初めてのことだそうだ。

元自民党亀井派の領袖・亀井静香から社民党の福島瑞穂まで、政治信条も支持基盤もまるで異なる政治家たちがひとつの政権を構築したのだから、民主党がこれまで政権を批判する時に用いてきた“野合政権”そのものという見方もできる。

「脱官僚依存の政治を今こそ問うて、実践していかなければならない」という鳩山氏の言やよし。さっそく鳩山首相は09年度補正予算を全面的に見直し、一部執行停止に踏み切る方針を述べたが、これがまず官僚との戦争“第一弾”となる。ただし、国家戦略を誤ることなく、また大衆に迎合することもなく、毅然として政策を断行して欲しい。まずはお手並み拝見だ。

政権の中に“政教一致の政党”が存在しないだけでも国民の期待は大きい。この政権がどこまで選挙で主張したマニフェストを実現していけるか要注目だ。

さて、当方は、およそ3週間にわたった台湾取材も明日をもって打ち止めになる。明日午前中にも元国民軍の老兵を取材し、夕方の便で日本に帰国する。選挙当日の8月30日に台北入りしたので、すっかり秋の気配が漂い始めた東京に帰ることになる。

本日も忠烈詞から消された日本人のことを調べたり、台湾近代史研究の第一人者である歴史学者にご意見を拝聴したり、目のまわるような1日だった。

夜、この3週間お世話になった通訳やメディア関係者を呼んで、基隆路のイタリアンで飲み会を挙行した。外省人、内省人、日本人という立場を超えて、台湾の将来、日台関係、台中関係……等々、さまざまな意見が飛び交った。

経済の停滞に悩む台湾の人々が、それでも中国との「統一」でも「独立」でもなく、「現状維持」を願っている様子がよくわかった。

ワインを傾けながら、発足した鳩山政権が「中国詣で一辺倒」ではなく、日本を好きで好きで堪らない人たちが数多く住んでいるこの台湾のことにできるだけ気を配って欲しいと願わずにはいられなかった。

カテゴリ: 国際, 政治

「影の総理」の怖さ

2009.09.06

昨日は慌ただしかった。午前中、金門島に住む82歳の国民党軍の老兵に2時間にわたって取材し、夕方の便で台北に戻り、夜は根本中将ゆかりの人物に取材をさせてもらった。

老人は、国共内戦の最終盤である1949年、21歳の時に国民党に連行され、強制的に国民軍兵士となった人物だ。苛烈な内戦は、国民党・共産党双方が互いに「兵士」をかき集めた“人狩り”の様相さえ呈していた。

その後の筆舌に尽くしがたいこの老兵のドラマは単行本に書かせていただくが、生涯、妻を娶ることもなく、ひっそり金門島の片隅で生涯を終えることになる彼ら国民軍兵士たちの運命は「歴史の残酷さ」を今に伝えるものである。

夜は、台湾の新聞に報じられた私にわざわざ連絡をとって来てくれた関係者と台北で会った。その人は、私が探していた重要人物の息子さんだった。

台湾料理をご馳走になりながら、興味深い話が次々と飛び出した。新聞報道が繋いでくれた縁である。マスコミの有難さを感じる。夜の帳が下りるまで話は延々とつづいた。

さて、台湾に来て丸1週間が過ぎた。日本の政界は、いよいよ“小沢直轄政治”が始まるようだ。といっても細川内閣の時にいやというほど経験した小沢一郎氏のワガママ政治が再びスタートすると表現した方がいいかもしれない。小沢氏の唯我独尊ぶりがこの上なく発揮されたあの国民福祉税構想の時の「夜中の記者会見」が思い出される。

自分は泥をかぶらず、思うように人事を動かし、政界を実質的に牛耳る手法は、若かりし頃の小沢氏が目で見、実際に経験したものだ。ロッキード事件で刑事被告人となった田中角栄は憎悪と怨念によって政界を支配する時、数を背景に幹事長ポストを握り、そこを通じて時の政権をコントロールしていった。小沢氏は自分の政界の師であるその田中角栄の手法を間近で見てきた人物だ。

それにしても選挙であれほど汗をかいた岡田幹事長を外相に“飛ばし”、自分は幹事長に就くというやり方がいかにも小沢氏らしい。外相ポストは、言うまでもなく外交と国家の安全保障交渉の最前線ポストであり、民主党の最も苦手とする分野だ。

まして岡田氏は今年5月、アメリカに核兵器の先制使用を行わないよう働きかけた政治家である。日本がアメリカの「核の傘」から外れることを容認する考えを示し、北朝鮮や中国が涙を流して喜ぶようなことを発言した人物だ。もちろん野党となった自民党は、この岡田外相の過去の発言と姿勢を徹底的に追及していくだろう。果たして、国会での岡田答弁がどうなるか、また今後の日米の信頼関係がどうなるのか注目される。

小沢氏はこの外相ポストに“ポスト鳩山”の最有力候補・岡田氏を放り込んで、自分は影の総理になる道を掴んだわけである。

小沢氏が民主党代表の座を投げ出す辞任会見までやりながら、数日後には涙の記者会見で「復帰」するという恥を国民の前に晒したのは、つい2年前のことである。

恥を知らないこの政治家が政権を裏でコントロールすることは恐ろしい。人の言うことに耳を貸さない独善ぶりは今も変わらない小沢氏。新首相は“自分の主張”を持たない鳩山由紀夫氏だけに、余計不安が募る。

政治記者たちは、これから「小沢氏の真意」を探ることが取材の重要なポイントになる。ぶっきらぼうな小沢氏の態度に右往左往する政治ジャーナリズムの姿を、これから国民は何年間も目撃しつづけることになるだろう。

カテゴリ: 政治, 歴史

「時間の壁」とノンフィクション

2009.09.01

台北入りして3日目。今日も取材漬けの1日になりそうだ。

日本では、衆院選での歴史的敗北によって自民党の各派閥が事実上の崩壊状態となっている。与党から野党へと転落し、求心力もなくなった派閥が今後どう運営されていくのか興味深い。

自民党の派閥とは、日本に存在する「利益集団」の最たるものである。将来の“首相候補”を担いで、資金面・人事面で自分が援助を受けるために集まった議員集団だ。

言うまでもなくその前提は「権力」である。しかし、肝心の政権からすべり落ちてしまっては、彼らがせっかくの“甘い汁”を吸おうにも、吸うべきものがないのである。これから4年間、自民党は派閥の離合集散も含めて、絶え間なく変革に晒されることだろう。

最大派閥の森派(町村派)が公示前の約3分の1(62議席から23議席)まで減らしたのは象徴的だ。小渕総理が現職のまま倒れてから森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫と、史上初の同派閥4代連続政権という離れ技を演じ、わが世の春を謳歌した派閥が、まさに壊滅的な打撃を受けたのである。

特に安倍、福田という2世総理が、2代つづけて政権をわずか1年で投げ出した気概のなさ(精神面の弱さ)は日本国民だけでなく、世界中を呆れさせたものだ。

このブログでも指摘している通り、世界は重大な岐路に立っている。覇権主義にヒタ走る中国と、核弾頭の小型化と起爆装置の開発に血道を挙げる北朝鮮。お坊ちゃま政治家に果たしてこのまま日本の舵取りを委ねていていいのか、不安が湧き起こってくるのは確かだ。

昨日会った台湾人は「(台湾の)馬政権は台湾を中国に売り渡そうとしている。日本は台湾の生命線。助けて欲しい」と悲痛な声を挙げていた。

生命線という意味では、台湾と台湾海峡こそ日本の生命線である。その生命線を60年前に守った一人の日本人の姿を描くために、いま私は台湾にいる。取材を成功させて、なんとか歴史に埋もれた人物を現代に蘇らせたい、と思う。

しかし、台湾にやって来てわかったことは、やはり関係者のほとんどが故人となっていることだ。どうしようもできない“時間の壁”。しかし、それはノンフィクションの宿命でもある。ぶ厚い壁にハネ返されながら、今日も必死で取材に走ろうと思う。

カテゴリ: 政治, 歴史

台北の夜と自公政権の退場

2009.08.31

予想通り、自公政権の退場が決まった。民主党は308議席という絶対安定多数を獲得し、自民党は半減以下の119議席、公明党は選挙区で1議席も獲得できず、21議席と惨敗した。

取材のために台北にやって来た私は、打ち合わせの宴会が終わって以降、ホテルの衛星放送にかじりついた。

次々に落選する自公の大物議員。小選挙区制の怖さをまざまざと見せつける。外国メディアも「人々の積もり積もった不満が津波のごとく押し寄せた」「野党の圧倒的勝利。日本にとって歴史的瞬間」と、この衝撃的な選挙結果を伝えた。

しかし、地滑り的な民主党の勝利を見ながら、多くの有権者はわずか4年前には逆の光景があったことを思い出しただろう。300という絶対安定多数の議席が、1回の選挙で簡単に“攻守交代”してしまう怖さ。敗北した自公両党だけではなく、呆然自失に陥った政界関係者は少なくない。

民主党政権の前途は「多難」だ。「やらせるだけやらせればいい。4年後に改めて判断すればいいのだから」と、有権者の冷ややかな声が衛星放送で紹介されていたが、国民の気持ちはまさにこれだろう。政権担当能力が民主党にあるのかどうか、国民はまだ疑問符をつけている。

政治資金疑惑を抱えたままの鳩山代表や小沢一郎氏、日教組教育復活を期す輿石東氏など、圧勝を喜ぶ民主党幹部たちの面々を見て、不安な気持ちを抱いたのは私だけだろうか。

「政権誕生は失望の始まり」である。友愛政治という国際政治の現実とは程遠い感覚をお持ちの鳩山さんが、野党となった自民党の攻撃にこれから何度も立ち往生する光景が見られるだろう。

鳩山新首相は、国会で「理想と現実の違い」を野党から教えてもらう日々がスタートする。今後の4年間、それは国民にとって失望の連続になるに違いない。

しかし、それでも「官僚の言いなり」だった自公政権に比べればまだましかもしれない。国民の一人として、今回の国民の判断が正しかったのかどうか、静かに見守りたい。

「小泉チルドレン」から「小沢ガールズ」へ。日本の政治は、新時代に入った。

カテゴリ: 政治

東京が「人類史上3番目の被爆都市」にならないために

2009.08.29

民主党の“地滑り的大勝”となる「8・30投票」を翌日に控えて、麻生さんと鳩山さんの最後の訴えは、共に池袋の西口と東口となった。

新宿の私の事務所からも、池袋の上空を飛び交うマスコミのヘリコプターがよく見えた。夜のニュースでは、両党党首の演説と聴衆のようすが上空から捉えられていた。

私は明日、成田から台北に飛ぶため、歴史的な政権交代のシーンを東京で見ることはできない。台北のホテルで、衛星放送でそのシーンを見るのも、それはそれでいいのかも知れない。

しかし、新宿から池袋の上空を眺めながら、「東京が人類史上3番目の被爆都市」にならないことを祈らずにはいられなかった。

「友愛政治」を掲げる鳩山民主党が、平和ボケした外交を展開することを誰より望んでいるのは、北朝鮮と中国である。政権発足前から中国に膝を屈している鳩山さんが、両国に毅然とした態度を示すことができるなどと考える向きは極めて少ないだろう。

拉致問題に冷ややかな民主党は、北朝鮮に対して“対話路線”を選択する可能性が高い。昨夏、生命の危機に瀕した金正日総書記が年明け以降、性急に「核開発」に驀進しているのは周知の通りだ。それは残り少なくなった自分の生命との、いわばデットヒートである。

テポドンが東京に照準を合わせ、猛然たる勢いで核弾頭の小型化と起爆装置の開発に向かって突き進んでいる今、われわれは「人類史上3番目の被爆都市」にならないために、何をなすべきかじっくりと考えなければならない。

国民として、財源なきバラまき政策を喜んでいる場合ではない。飛び交うヘリコプターを遠くに眺めながら、国家の安全保障問題こそ「次の国会」で最大テーマになって欲しいと心から願った。

カテゴリ: 国際, 政治

永田町の“戦後”が終わった

2009.08.28

結局、麻生さんって何だったのだろうか。

今週は、目前に迫った総選挙の予想獲得議席数がマスコミの間を飛び交った。「民主300、自民80」――それは衝撃的な数字で、“地殻変動”“民主党の地滑り的大勝利”“自民党保守政治の崩壊”……等々、どんな言葉をもってしても表現できないほどの「日本にとって」大変革を表わすものだった。

世論調査の結果を受けて、民主党は高揚感と緊張感に包まれている。もはや政権交代どころではない。民主党独裁政権の誕生である。

小選挙区制の怖さをこれほど物語るものはない。1993年にカナダ下院選挙で起こった出来事が思い起こされる。政権与党だったカナダの保守党は、この時、完全小選挙区制によって151議席から149議席減らして、わずか「2議席」となった。

現職のジム・キャンベル首相まで落選し、事実上、保守党は“消滅”。しかし、この時、保守党の得票率は16%もあり、最低でも40~50議席獲得してもおかしくない数字だった。完全小選挙区制のために、政敵・自由党の地滑り的勝利の波に吞み込まれたのである。

日本では、4年前の小泉郵政選挙で300議席を超えた自民党が激減し、逆に民主党が300議席を獲得するというのだ。2009年8月30日という日は、「死に票」の多さと、独裁政権をつくり上げるという意味で、この選挙制度の怖さをまざまざと歴史に刻みつける日になるだろう。

鳩山由紀夫、小沢一郎、菅直人、岡田克也、輿石東など民主党幹部は、「世論調査結果に惑わされることなく、現実の勝利を掴め」と題する檄文を全候補に配布している。政権交代どころか独裁政権樹立に対する高揚感が民主党本部のある三宅坂周辺に漂っているのだ。

特に、首相直属機関として新設する民主党の目玉「国家戦略局」発足の準備に大わらわだそうだ。鳩山、小沢両氏の「政治とカネ」の問題が未決着のまま、すでに「新政権」は事実上、動き出しているわけである。

一方、この1年間、麻生首相の「やってきたこと」を改めて想起せざるを得ない。当ブログでも指摘しつづけたように「西川守って、政権滅ぶ」(6月16日付ブログ)という愚かな選択の結果を、麻生首相は国民からやっと突きつけられるわけである。

昨日、私は期日前投票に行ってきた。投票日に海外取材(台湾&金門島)に出かけるためである。日本にとって歴史的な日を、私は海外の衛星放送で見届けることになる。

保守政治家として「麻生首相が靖国神社に参拝して、民主党との違いを際立たせる」という戦略が永田町周辺には7月から飛び交っていたが、麻生首相は、それさえ実行に移せなかった。この“お坊ちゃん政治家”と、良し悪しは別にして土壇場で自らの意思に基づき、賛否両論巻き込むような行動を敢然ととった小泉さんとの違いは、どこから来るものだったのだろうか。

いずれにしても、麻生さんが、戦後の保守政治を支えてきた本来の自民党支持者たちの「雪崩をうつ」ような自民党離れを惹起し、そして自民党を崩壊に導いたのである。後世の歴史家は、この愚かな政治家のことをどう評価するのだろうか。

私は、期日前投票で「民主党」とも、もちろん「自民党」とも書けなかった。民主党の地滑り的な圧勝で「日本がどうなるか」という不安と、保守支持層に胡坐をかき、いつまで経っても変革を成し遂げることができなかった自民党への憤懣。投票用紙を前に立ち尽くした私のような有権者が、あさって投票日には全国で続出することだろう。

選挙結果を受けて、自民党が離合集散を始めることは確実だ。その意味で、やっと「永田町の“戦後”は終わった」のである。

カテゴリ: 政治

天下分け目の「総選挙」公示

2009.08.18

総選挙が公示になった。天下分け目の8・30総選挙である。

よほどのチョンボがない限り、大方の予想通り、民主党の圧勝に終わりそうだ。民主が「絶対安定多数」を確保し、参院と併せ「民主独裁政権」の樹立である。

そこでこの民主独裁政権の誕生によって、一体だれが笑うのか考えてみた。

日教組を代表とする労働組合や市民運動家、母子家庭、犯罪者、日弁連、朝日新聞……等々、喜ぶ面々はさまざま考えられるが、なんといっても最も喜ぶのは「中国と韓国」だろう。

靖国参拝で目くじらを立てることもなくなるだろうし、中国や韓国が「正しい」とする歴史認識こそ至上の真理とばかり、全面的に“迎合”してくるに違いない。要するに、日本が「国家」としての主張をしてくることが激減するわけである。

鳩山新総理にとっては「友愛」こそ最も崇高な理想なのだから、世界で最も「うるさい」国である中国や韓国の言うことに逆らうことなどあり得ない。

「日本列島は日本人だけのものじゃない」。これは、今年、鳩山氏が言い放った仰天発言の一つだ。

民主独裁政権の誕生によって、コアな日本人にとって“失われた4年間”が始まる。

カテゴリ: 政治

「官僚政治の打破」1本なら民主は圧勝

2009.07.27

いよいよ本格的な戦さのスタートである。

本日午後、民主党の鳩山由紀夫代表が注目の衆院選マニフェスト(政権公約)を発表した。

1人当たり年額31万2000円の「子ども手当」創設や公立高校無償化、ガソリン税をはじめとした暫定税率廃止など生活支援策を前面に掲げたものである。

これで自民党による財源追及の“たたき台”ができたわけで、自民vs民主は、主に「財源論争」に形を変えることになる。

民主党は徹底した無駄の排除や特別会計の「埋蔵金」活用で捻出するというが、この“バラまき”と財源のあやふやさを自民党はとことん追及してくるだろう。

しかし、その財源論争の前に、民主党が掲げた「官僚政治の打破」という言葉に多くの国民が共感を覚えるのも確かだ。

「政治主導」確立のため、民主党が国家ビジョンや予算の骨格を策定する首相直属の「国家戦略局」の設置を打ち出し、公約が実現できない場合は鳩山代表が「政治家として責任を取る」のだそうだ。

戦後、官僚と共に歩んできた自民党政治に“ノー”を突きつけることで、国民の支持を得ようというわけである。

多くの国民が「官僚政治打破」に異論はないだろう。現在ヒット中の織田裕二主演の映画「アマルフィ」でも、日本の外交官(外務官僚)のひどさとお粗末さがこれでもか、と描かれている。拙著「裁判官が日本を滅ぼす」(新潮文庫)は、官僚としての裁判官の恐るべき実態を暴露したものだ。

財務省、農水省、厚生省、国交省、警察庁……自分たちが国民のための奉仕者であることを忘れた官僚たちの弊害は改めて述べるまでもあるまい。

そこ1点に民主党が賭けてきたなら、国民の支持をかなり広範に得られるだろう。民主党の弱点とする国家観や安全保障の問題点が、この「官僚政治打破」という言葉でかき消されるに違いない。

さあどうする、麻生さん。中国や韓国の反発をものともせず、靖国参拝を強行して本来の支持層である保守層を取り込みたい麻生さんだが、民主党が確実に先手を打ってきている。後手後手の中から、活路を見出す“名手”はあるのか。

カテゴリ: 政治

遅いよ、麻生さん

2009.07.21

「日本の未来に取り組めるのは自民党だけです」「日本の国旗を当然として掲げている政党がありますか?」。衆院が解散になり、麻生さんは、民主党との全面対決に、紅潮した表情でそう語った。

暑い夏の日本列島を舞台にして、絶叫の選挙戦が繰り広げられる前に、民主党との最大にして決定的な「違い」を強調したのだ。

麻生さんは8月15日に靖国参拝をおこなって、その「違い」をさらに際立たせる戦略も持っているという。

破れかぶれ解散になった以上は、中国や韓国の反発など気にしておられるか、ということだろう。窮鼠猫をかむの譬え通り、もはや麻生さんのなりふり構わぬ戦いが展開される。安倍・福田・麻生と、“お坊っちゃん政権”がつづいたが、前の二人に比べて、政権を投げ出さなかっただけでも、麻生さんの方が精神的には強かったようだ。

何度も解散の時期を模索しながら、結局、麻生さんにとって最悪の状態での選挙戦突入となった。絶大な信頼を置いていた与謝野馨財務・金融担当相から先週、自民党の両院議員総会の開催を求められた時、側近に「俺は、与謝野を一番大事にしてきた。経済政策を二人三脚でやってきたつもりだ。それなのに……」と、“裏切り”に対して衝撃を受けたさまを吐露したそうだが、この人の政治センスのなさは、このひと言にも表れている。

小沢一郎氏の秘書が逮捕され、後継に鳩山由紀夫氏が座り、自浄能力と政党としての活力のなさを民主党が露呈しているまさにその時、日本郵政の西川社長を守って鳩山総務大臣を切る、という驚くべき選択をおこなって支持率急落、挽回不能の致命的打撃を自ら招いてしまった。「両院議員総会の開催」はガス抜きのためにも、一致団結を国民にアピールするためにも不可欠だったはずだ。それを“与謝野の裏切り”と思うあたりに、麻生さんの限界がある。

そもそも、この最悪のタイミングの解散ではなく、「勝つタイミング」はいくらでもあったことが麻生さんにはわからない。君側の奸とも呼ばれ、安倍・麻生両政権で“チョンボ”を連発した菅義偉・党選対副委員長の進言に重きを置きすぎた結果とも言える。

ここは、7月13日のブログでも書いたように将棋の大山康晴名人の「終盤は二度ある」「相手は必ず間違える」という格言を信じて戦うしかない。

私も8月は甲子園取材、8月末からは海外取材の予定が入っているので、めちゃくちゃなスケジュールになりそうだ。

総選挙は政権選択の選挙だけに、日本中が“お祭り”状態になる。しっかり日本の行く末を見届けたい。

カテゴリ: 政治

大山康晴名人の「格言」

2009.07.13

今日は、東京ドームに日米大学野球の第2戦を観に行ってきた。全日本の先発は早稲田の斎藤佑樹。だが、今日の斎藤は球の伸びと変化球のキレ、いずれも今ひとつだった。

一方、アメリカは大型左腕・ポメランツを先発させた。重い豪速球に全日本のバッターはいずれも振り遅れて、ボールが前に飛ばない。初回に斎藤が連続タイムリーで2点を奪われ、早々に暗雲が垂れこめたが、3回に全日本の巧みなセーフティバントや、審判の微妙なジャッジなどが重なり、ポメランツが制球を乱した。

まだ全日本の各打者が対応できていなかったので、交代は時期尚早と思われたが、米軍ベンチの早めの動きが全日本に有利に働いた。この回、投手交代の間隙を突いて打者一巡の猛攻で一挙6点。全日本にとっては、たぶんに“幸運”に助けられた試合展開だった。

終盤、追い上げられた時にストッパーとして登場した東海大の菅野智之(2年)は圧巻だった。150㌔を超すストレートとキレのあるスライダーで全米打線を封じ込んだ。巨人の原監督の甥っ子として知られる逸材だが、今日の投球で一挙に再来年の“巨人のドライチ候補”にのし上がった。

打撃陣は、やはり“投高打低”の予想通り、低調だった。その中では、亜細亜大学の中原恵司外野手、東洋大学の佐藤貴穂捕手、九州国際大の加藤政義内野手の球に逆らわないシュアなバッティングが光った。

しかし、4番に座った亜細亜大学の主砲・中田亮二一塁手は、苦手の外角低めに全く対応できず、5打席ノーヒット2三振という散々な結果に終わった。ネット裏には各球団のスカウト陣が勢ぞろいしていただけに、今日の結果はドラフトに大きな影響を与えるだろう。

永田町では、いよいよ7月21日の週に解散して「8月30日投票」が固まった。麻生政権にとって惨敗必至の“やぶれかぶれ解散”である。だが、今回の決断に私は将棋の大山康晴名人が残した格言を思い出した。「終盤は二度ある」と「相手は必ず間違える」という言葉だ。

大山名人は、「負けることに慣れることから始めよ」と説いた棋士だが、この稀代の棋士は、その“負け”にしても、どうせ負けるなら「一手でも多く逃げろ」と弟子たちに常々語っていた。逃げて逃げて逃げまくれば、相手も人間。悪手をうって、いつ形勢が逆転するかわからないというわけだ。

麻生首相は、公明党の強い要望に応じて「8月30日投票」を吞まざるを得なかった。が、実は、これは、「終盤は二度ある」と「相手は必ず間違える」という大山名人のまさに格言通りの一手だったかもしれない。

風雲急を告げる北朝鮮情勢、中国の正体がまたしても世界に露呈されたウィグル暴動鎮圧、民主党のばらまき政策の財源問題、鳩山代表の政治資金規正法違反問題……等々、8月末までには、予測不能のさまざまな出来事が日本を襲ってくるだろう。

その時、民主党は今の人気を維持できているのだろうか。「終盤は二度ある」「相手は必ず間違える」――大山名人の格言は果たして麻生に微笑むのか否か。「8月30日投票」に向かっていよいよ勝負の夏が始まった。

カテゴリ: 政治, 野球

民主党「独裁政権」誕生の足音

2009.07.12

もはや悲鳴である。都議選の惨敗を受けて、「このまま総選挙に突入したら、俺たちはどうなる?」と、自民党の代議士たちは顔色なし、だ。

無理もない。今回の得票率を4年前の衆院の“郵政選挙”と比較して考えたらおもしろい。あの時、自民党は21%の得票率しかなかったにもかかわらず、480議席中、実に296議席を獲得している。つまり、21%の得票で61%の議席を確保したのだ。

これまで多くの学者が指摘してきたように、小選挙区制度の怖さは、一方の「地滑り的大勝」をもたらすことである。今回の都議選の民主党の得票率は実に40・7%。4年前に小泉自民党は、わずか21%の得票で6割を超える議席を占めたのだから、その倍近い得票率なら、当然、「ほとんどの議席を民主党が占める」ことになる。“8割政党”の誕生だ。

簡単に言えば、民主党「独裁政権」が誕生するということである。そうなれば、外国人参政権が認められ、拉致問題は軽視され、掲げられていた日の丸は引きずりおろされ、ひたすら中国のご機嫌ばかり窺って「日本列島は日本人だけのものではない」などと真顔で鳩山さんが言い始めるだろう。

恐ろしいことに日本はそんな国に変貌してしまうのである。来るべき総選挙は、その意味で「国の形」そのものを変えてしまう可能性があり、有権者は、そのことをよくよく考えた上で一票を行使しなければならない。

麻生内閣への不信任案が提出され、いよいよ大混乱が始まる。“一寸先は闇”の永田町で、熾烈な各党のサバイバル合戦が見ものだ。

カテゴリ: 政治

野球談議と「永田町」

2009.07.07

昨日は、92年夏の甲子園に出場した明徳義塾の投打の柱だった河野和洋さんと岡村憲二さんと飲んだ。有名な「松井の5敬遠」で話題をさらった時の明徳義塾のメンバーである。

場所は、浅草橋の「四国のげんさん」という居酒屋。四国出身の津川さんというご主人が豪快な魚料理を出してくれる楽しい店だ。津川さんは、現在、パ・リーグの審判をしている元ヤクルトスワローズの津川力さんのお父さんだ。父子鷹で、長く野球をやってきただけあって、野球のウラオモテに精通している。

現在、河野さんは森田健作・千葉県知事が率いるクラブチーム「千葉熱血MAKING」の監督兼3番バッター、岡村さんは明治安田生命野球部のヘッドコーチを務めている。

野球の最前線でばりばり活躍している二人だけに、小生と津川さんが加わって、有意義な野球談議となった。今度、明徳義塾の「松井5敬遠」に関してドキュメントを書かせてもらうので、その面でも大いに参考になった。

日付がまわった頃、場所を新宿に移して、河野さんと「2次会」、「3次会」をやってしまった。朝まで開いているゴールデン街の飲み屋をハシゴして、すっかり朝になるまで飲み続けてしまった。スポーツをやり抜いた猛者との飲み会はやはり楽しいものである。

そんな中、永田町のテンヤワンヤはもはや収拾不能状態に。自民党による東国原大分県知事への出馬要請は完全に裏目に出ているし、自民党内は、「都議選に惨敗したら、総裁選前倒しは必至」と、総裁候補が誰になるか、ソワソワして“心ここにあらず”だ。

昔も今も、政治家の習性とは、「勝ち馬に乗って、いいポストにつく」ことだ。どう“ポスト麻生”の総裁候補を見極めるか、政治家としての“出世”と“生き残り”がかかっている。

選挙まであとわずか。都議選の結果を含め、「波乱」がもうそこまで来ている。

カテゴリ: 政治, 随感

もはや「何があっても」おかしくない

2009.07.05

来週12日の東京都議選の前に衝撃が走った。

本日、投開票があった静岡知事選で与党の自民・公明が推薦した坂本由紀子候補が、民主ら野党推薦の川勝平太候補に終盤で逆転され、わずか1万5000票差とはいえ、落選してしまったのだ。

これで来週の都議選に敗れれば、麻生官邸は解散など到底打てない状況に追い込まれる。与党は4月以降、名古屋、さいたま、千葉の政令市長選挙に続く主要地方選「4連敗」を喫したのである。

すでにマスコミの事前調査で、東京都議選も与党敗北の可能性を示す数字が各社出てきている。このまま“都議選後”の解散を断行すれば、自民党の歴史的惨敗、そして民主党の単独過半数という仰天の結果が生まれそうだ。一方に振れると「際限がない」小選挙区制度の致命的欠陥が露呈するわけだ。

政治センスなし、信念なし、哲学なし、の“ないないづくし”の麻生首相が、いよいよ最後の最後、崖っぷちに追い込まれたわけだ。

しかし、麻生さんの失点によってここまでの「差」が生じたものの、言うまでもなく民主党も脛(すね)には沢山の“傷”を持っている。鳩山代表の“故人”献金疑惑も本来なら代表辞任もおかしくない問題だ。政権を奪っても予算委員会等での追及は必至で、永田町雀の間では、早くも「たとえ民主党が政権を奪取しても、1年もたないだろう」という冷ややかな予測が流れ始めている。

外交・安保・消費税・東アジア情勢・年金……等々、民主党の基盤を揺るがす危機的問題は目白押しだ。今回、下野しても自民党は国会でこれらの問題をひとつひとつ取り上げ、民主党を締め上げていくだろう。

民主党政権は来年7月の参院選前に、衆院解散に追い込まれ、「ダブル選挙になる」という見方もある。となれば、またしても「歌手1年 総理も1年 使い捨て」となるわけで、日本の政治は、今後もしばらく世界の笑いモノになりそうだ。

カテゴリ: 政治

「選挙の夏」が始まった

2009.07.04

昨日の都議選(定数127)の告示に伴い、本日は都内のあっちこっちで都議選候補者たちの街頭演説が見られた。

都議選に力を入れる公明・創価学会は、候補者の演説にしっかり“動員”をかけているようで、ひと目で創価学会婦人部とわかる熱狂的支持者たちが、熱心に拍手や声援をおくっていた。

投票率が上がらない都議選、区議選レベルでは、彼ら公明・創価学会が圧倒的な力を発揮する。衆院選とのダブル選挙を必死の思いで回避した公明・創価学会だけに、いよいよこの夏、日本最大の集票マシーンをフル稼働させるつもりだ。投票率さえ上がれば、いうまでもなく彼らの占める率は低下する。それだけに、できるだけ投票率が上がって欲しいものだ。

しかし、肝心の自民党と民主党の“敵失合戦”は、コトここに至ってもまだ予断を許さない。というのも、鳩山由紀夫民主党代表の“故人”献金疑惑は、時間が経過するに従って次々とボロが出てくる有様。ここを徹底的に突けば、民主党のクリーンイメージは崩せる、と自民党は踏んでいる。あとは、「時間」との戦いだ。

北朝鮮が日本海にミサイルをブチ込んでデモンストレーションを行うなど、風雲急を告げている国際情勢の中で、日本だけが“敵失合戦”とはなんとも情けないが、とにかく膿は出し切った上で、スキャンダルではなく「国家戦略」を語り合う政権選択選挙になって欲しい。

衆院「解散前夜」の都議選。民主党が「政権交代」をアピールできるのか、それとも自民党が「逆風を止める」のか。

ここで自民党が惨敗すれば、言うまでもなく麻生政権は“液状化”する。総理の専権事項である解散権さえ吹っ飛び、党内が「新しい顔」を求めて、一気に走り始めるだろう。

興味は尽きない。


カテゴリ: 政治

「歌手1年 総理も1年 使い捨て」

2009.07.01

ボタンのかけ違いはどこから始まったのだろうか。

あれほど人気があった麻生太郎という政治家が、ここまで「落ちぶれてしまったこと」がフシギでならない。本日、一部閣僚の兼務を解き、内閣の“小幅人事”がおこなわれたが、もはや何をやっても逆効果ばかりだ。

森喜朗、野中広務ら“新・元老”の意向によって一気に流れをつくられ、福田康夫政権が誕生したのは一昨年(2007年)の9月だった。もともと国民的な人気もなく、権力の基盤、拠りどころがない福田首相が政権を維持できるはずもなく、1年後に総裁選を経て麻生氏が政権を奪取すると、今度こそ「本格政権」誕生か、と思われた。

しかし、政治家としての“旬(しゅん)”とは恐ろしいものである。麻生さんが悲願の政権の座をものにした時、彼の人気はすでに下り坂を転がり始めていた。

「歌手1年、総理2年の使い捨て」と語ったのは、かの竹下登・元総理だったが、このまま麻生さんが政権を降りると、小泉以後の安倍・福田・麻生、すべてが「1年の命」ということになる。

国家の領袖が「2年」ももたない国。国家戦略を持たない日本ならではの現象と言える。すでに次期総理最有力の鳩山由紀夫民主党代表も、政治資金収支報告書の虚偽記載問題で暗雲が垂れ込めている。

世界ナンバー2の経済大国が、「歌手1年 総理も1年 使い捨て」だという。戦略なきこの迷走国家に果たして“明日”はあるのだろうか。

カテゴリ: 政治

右往左往する国会議員

2009.06.30

金沢&能登の出張から帰ってきた。「新潮45」連載の「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の次号入稿予定の記事の中で欠かすことのできない人物に取材させてもらった。

ほっと一息で東京へ帰ってきたら、永田町の緊迫度はいよいよ凄いことになっていた。あの日本郵政・西川社長続投問題で蠢いた小泉一派が、今度は、麻生降ろしに一斉に走っていたのだ。

「なんだこいつら、もともとオレをつぶすつもりだったんだ」と、麻生さんが今頃気づいてももう遅い。そんなことはとうにわかっていなければおかしい。その感覚がないまま、彼らの主張通り「鳩山更迭」を選択したのだとしたら、麻生さんは、自分のお人好しぶりに呆れるほかないだろう。

よりによって、自分を「倒そう」とする連中の進言を受け入れて「西川温存、鳩山斬り」とは、これは確かに笑い話である。こうやれば必ず支持率は急落する、というまさにその策を選択したのだから、首相としてどころか、完全に国会議員失格である。

しかし、彼らにとってみても、ここで「総裁選前倒し」を実現しなければ、ただ内閣支持率を急落させ、自分たちが選挙で生き残るための可能性まで小さくしてしまっただけに終わってしまう。彼らが今、「総裁選前倒し」をめぐって激しい多数派工作を展開しているのは当然のことなのだ。

いま自民党の全国会議員は、当事者能力を失い、右往左往している。猫の目のように状況も変わっている。変わっていないのは、審判を下すのは「われわれ国民自身である」という現実だけだ。

さて、「都議選後の解散」ということに本当になるのかどうか。永田町から片時も目が離せななくなってきた。

カテゴリ: 政治

浮き足だつ「永田町」

2009.06.27

昨夜は、弁護士の伊達俊二氏と月刊誌の女性編集者と3人で、秋葉原の四川料理屋で食事した。

伊達弁護士は、裁判員裁判の第1号として8月初めに開かれる足立区隣人殺人事件の担当弁護士だ。久しぶりに会った伊達弁護士は、準備に忙殺されてか、いささか疲労気味だったが、それでも途中からいつもの意気軒高ぶりを発揮し、大いに飲んだ。

裁判員制度の意義と問題点をめぐって、さまざまな話が出たが、こういうプロに裁判員裁判の「第1号」がまわってきたことは喜ぶべきことだろう。ガチガチの反対派ではなく、かといって推進派でもなかった伊達弁護士だけに、「第1号裁判」を終えて、どんな感想を持つのか、今から楽しみだ。

さて、永田町では、いよいよ麻生降ろしが本格化している。対抗する麻生官邸も自民党三役の交代人事で求心力復活を目論むなど、あの手この手だ。だが、もはや何をやっても麻生氏が政権を維持することは無理だ。

7月5日の静岡知事選、12日の東京都議選。この結果次第で麻生首相は、一気に求心力を消失する。そうなれば、解散を打つどころか、自民党総裁選を前倒しする意見に押され、麻生首相は惨めな末路を迎えることになる。

つまり、その前に解散を打つしかないところまで追い込まれているのだ。本日、テレビ出演した民主党の岡田克也幹事長は、「7月2日解散、8月2日投票の可能性が高まってきた」と発言している。このまま麻生首相が解散権まで縛られて、「座して死を待つ道」を選ぶかどうかを考えた場合、おそらく静岡知事選のまえに解散に踏み切らざるを得ないだろう、という予測だ。

政敵にまで求心力消失を心配されているわけである。麻生氏にとっては、いわば“破れかぶれ解散”だ。

政権が崩壊する時というのは、こんなものだ。「あの時、こうしておれば……」と、後年ふりかえったら、麻生氏は自らの失態の連続に歯嚙みするに違いない。最大のものは、このブログでも指摘してきた“木の葉が沈み、石が浮く”ほどの愚かな選択だった西川日本郵政社長の続投劇だ。

いずれにせよ、“敵失合戦”の末の不毛な政権選択をこの夏、国民は行わなければならない。鳩山由紀夫民主党代表にも、哲学、識見、政権担当能力、いずれも疑問符がつくだけに、有権者は頭が痛い。

カテゴリ: 司法, 政治

どこまで続く“敵失合戦”

2009.06.25

いよいよ“敵失合戦”も大詰めだ。

日本郵政の西川善文社長を「続投」させたことで、致命的な支持率急落を招いた麻生首相。今度は、民主党の鳩山由紀夫代表の政治資金収支報告書に疑惑がゾロゾロ……。“故人”が献金していたり、名前を使われた人が「献金をした覚えはない」と明言したり、攻守ところを変えている。

与党サイドが「鳩山代表は、献金虚偽記載について国民に説明すべきだ」と追及すれば、民主党側は、7月1日に予定されていた党首討論を拒否する、というピリピリぶりである。

当の鳩山代表が、「大変ご迷惑を掛けてしまい、おわびを申し上げる」と陳謝したまではよかったが、「実務担当の秘書の行為とは分かったが、正確を期さなければならず、調査している」と述べ、例によって「秘書が、秘書が」で責任逃れする構図だ。

麻生、小沢、鳩山……政界の主役たちはいずれも自民党の人間たちだけに、いくら清潔を装っても叩けばホコリはいくらでも出てくるだろう。

しかし、敵失だけで選挙の勝敗が左右されるのは勘弁して欲しい。内外にこれだけ多くの問題が山積されているというのに、ただの失策で「支持率が乱高下」するなら、国民のレベルもその程度、ということになる。

果たして今回の総選挙は、正々堂々、政策で勝負が決まる選挙となるのだろうか。郵政の問題もさることながら、外交、すなわち国家戦略についての姿勢こそ、国民に信を問うて欲しい。

「日本列島は日本人だけの所有物ではない」――鳩山氏のあの仰天発言には、一体どういう真意があったのだろうか。まさか鳩山代表が大好きな中国人こそ「日本列島の所有者だ」などと言いたかったのではあるまいか。

相手の批判に汲々とするより、政治家としての信念と国家観を明らかにして欲しい。そして拉致問題を含む北朝鮮問題等、これからどう対処していくつもりなのか、それを国民の前で語っていただきたい。

解散の時期が近づいていることを本日の記者会見で語った麻生首相。いよいよ総選挙は近い。

今年は例年以上に熱い夏になりそうだ。

カテゴリ: 政治

苦悩深まる国民

2009.06.22

政府は本日、日本郵政の西川善文社長の続投を決めた。「かんぽの宿」譲渡問題の責任をめぐる混迷で「西川続投に固執」した麻生首相の最終的な決定だった。

西川社長ご本人も責任を認識しているらしく、自らに「報酬を3カ月間30%返上」の処分を課したそうだ。

しかし、もはや国民にとっては「あっ、そう?」というぐらいの反応ではないか。すでに麻生政権は「終わっているから」だ。問題勃発以来、何度もこのブログで指摘してきたように、麻生首相は、「“西川”守って“政権”滅ぶ」という愚かな選択をしてしまった。国民は、あとは何をやろうと「勝手にやってくれ」という気持ちでなのではないか。

麻生内閣の支持率は鳩山総務相更迭以来、朝日新聞が8ポイント急落の19%(不支持は65%)、読売が6ポイント下落の22%、毎日新聞は5ポイント減の19%(不支持は60%)、共同通信は8・7ポイント急落の17・5%(不支持は70・6%)……といった具合に、軒並み大変な落ち込みを示している。

西松事件で小沢一郎氏の秘書が逮捕され、一気に回復していた麻生内閣の支持率は、再び「選挙での敗北必至」ラインまで落ちてしまったのだ。

自分たちのクビがいよいよ危うくなった自民党議員たちの間に、「総裁選前倒し論」が急浮上したのも無理はない。このままでは、彼らは座して死を待つしかない。国会議員の座からすべり落ちれば“タダの人”になる彼らは、急落した各社の内閣支持率を見て蒼ざめ、うろたえているのである。

それにしても、国民財産を売っ払って“利権に群がる企業グループ”と共に甘い汁を吸おうとした西川社長を助け、よりによってそれにストップをかけようとした鳩山大臣の方を更迭するとは誰も予想しなかったに違いない。

国民の意識や気持ちが読めない“お坊ちゃん育ち”と言われればそれまでだが、とにかくその政治センスのなさ、浅慮、先の読めなさは、筆舌に尽くしがたい。政治家失格といってもいいだろう。

あの更迭劇は、それほど「あり得ない選択」だった。しかし、ここまで民主党の勝利が確実視されてくると、心配になるのは鳩山由紀夫民主党代表が首班指名された「あと」のことである。

友愛政治などとノー天気なことを言っている鳩山氏に北朝鮮軍部の暴発による国家的危機が生じた時、果たして国民の生命・財産を守るという使命が果たせるのだろうか。その能力があるのかどうか、そして国家の領袖としての使命を理解しているのかどうか……等々、はなはだ心もとない。

中国に靡(なび)く媚中派議員の代表格でもある鳩山代表。得意の「日本列島は日本人だけのものではない」という友愛の理論に基づき、日本列島は「中国人のもの」などと言われた日には目も当てられない。

いや、尖閣問題や竹島問題がニッチもサッチもいかなくなった時、あの目の焦点の定まらないニコニコ顔で、中国や韓国の要人と交渉して欲しくないと思う。かつて“宇宙人”と称された御仁に日本の舵取りを任せなくてはならないとは、国民も辛い。

選挙の季節を迎え、レベルの低い争いを目の当たりにする国民の側に、むしろ苦悩が深まっている。

カテゴリ: 政治

浮上した総選挙「もう一つの焦点」

2009.06.17

麻生首相と民主党の鳩山代表による2回目の党首討論が本日、行われた。

日本郵政の西川善文社長の続投問題で、鳩山氏が「間違った方の首を切ったのではないか」と追及すると、麻生首相は、「(日本郵政は)業務改善命令に従って対応されると思うので、改善状況を見て判断したい」と答えた。鳩山氏は「(私たちが)政権を獲得した場合は、西川社長には辞めてもらう」と応じ、この問題を来たるべき総選挙の争点の一つとすることを明らかにした。

熱烈な保守支持層は、今回の麻生氏の失態に「あーあ」という声を上げている。昨日のブログにも書いたように「“西川”守って“政権”滅ぶ」という愚かな選択を麻生氏がやってしまったのが残念でならないのだろう。

最近、次のノンフィクション作品の関係で、軍事の専門家や関係者にお会いすることが多い。彼らは今回の出来事が残念でならない。日本の原子力発電所の攻撃さえ仄めかしている北朝鮮。“偉大なる指導者同志”の暴走によって、文字通り日本に国家的危機が近づいている折も折である。彼らは、「国家の安全保障」という概念が欠落した鳩山氏を首班とする政権が誕生したら背筋が寒くなる、と事態を憂えている。

たしかにこれは恐ろしい。しかし、同時に、麻生首相ほど政治センスのない人間をトップに戴いて、「選挙に勝てる」と思う方もおかしい。

なぜ国民はここまで呆れたのか。

麻生さんはおわかりでないので、少し、説明をさせていただきたい。当ブログでは最もわかりやすい例として、「1万円」で売却された直後に「6000万円」で転売された「かんぽの宿 鳥取岩井」のことを指摘したが、実は、これまで西川社長は、「かんぽの宿」問題以外にも、国会で「なぜあなたは日本郵政社長にふさわしくないか」という点について繰り返し追及されてきた経緯がある。

You tube(ユーチューブ)には、国会で追及される西川氏の姿がアップされており、今でも見えるようになっている。そこには、なぜ西川氏が国民の財産の上に立脚した“民間企業”のトップにふさわしくないか、明らかにされている。

西川氏は、出身母体の三井住友銀行から「チーム西川」と呼ばれる子飼いを引き連れて日本郵政社長となった。そこで何が起こったか。

「わずか0・2%のシェアしかなかった」三井住友カードが、郵貯銀行のカードの委託先に選ばれたのだ。そして、その選定の中心人物が「チーム西川」の重要メンバーである元三井住友カードの副社長だったのである。そして、その「チーム西川」のメンバーは、三井住友銀行の社宅に「住んだまま」、これをおこなっていた。

このことは、国会で厳しく追及されている。要するに、西川氏をトップとする三井住友銀行の面々が、「さあ、日本郵政で思いっきり儲けましょう!」と乗り込んできて、その通り、やりたい放題やってきたわけである。

郵政資産叩き売りの過程で、オリックスや旧リクルートコスモスをはじめ、「チーム西川」に贔屓(ひいき)にしてもらった企業グループが存在するが、その細かなことを指摘することが当ブログの目的ではない。

要するに、「国民の生命・財産」を守るべき一国の総理が、「国民の財産にハイエナのごとく蝟集(いしゅう)した」面々を許容したばかりか、今後もその体制を続けさせ、不正に蓋をしようとしているのである。

つまり、麻生首相は一国のリーダーとしての使命を「放棄した」ことになる。

本日、鳩山氏が政権獲得の暁には「西川氏の続投を認めない」ことを明言したのは、興味深い。もし政権が変わって「チーム西川」が追放されれば、一連の問題で特別背任に問われる可能性さえ出てきたのだ。強制捜査に発展する可能性を誰も否定できないだろう。

国民財産に舌なめずりしながら近づき、これを思いっきり貪り食った連中に「司直の手が伸びる」こともあり得るというわけである。

総選挙での「有権者の判断」にもう一つの焦点が浮上したことは間違いない。

カテゴリ: 政治

「西川」守って「政権」滅ぶ

2009.06.16

今日は、東京は小雨が降ったり止んだりの梅雨空だった。今にも泣き出しそうな空を窓から眺めながら、午後、調布市内のファミリーレストランで87歳になる旧軍の元陸軍大尉に取材をさせてもらった。

話は、戦争中のユダヤ問題から2・26事件、陸軍中野学校の諜報戦、終戦時の北海道防衛戦、さらには、軍事顧問団「白団」による台湾支援の歴史に至るまで、多岐にわたった。実年齢より10歳は若く見える元陸軍大尉の知的欲求心の旺盛さと記憶の確かさに、驚きの連続だった。

11月発刊予定の歴史ノンフィクション取材の一つだったが、目的の人物を探し出すことの難しさを改めて痛感した。戦後すでに64年もの年月が経っている。なにより厳しいのは「時間の壁」である。

会いたい人がすでに鬼籍に入っている場合が多く、「最後の課題」を突破できないことがいかに多いことか。これは、ノンフィクション作品の宿命でもある。しかし、そんなことでへこたれるわけにはいかない。ひたすら“前進”あるのみである。

ところで、ここのところブログで指摘しつづけている日本郵政の西川善文社長の続投問題だが、今日はおもしろい出来事があったそうだ。本日、佐藤勉総務相と会談した西川社長が帰りに記者団に囲まれたのだが、この時、記者を怒鳴りつけたという。取り囲まれて記者から辞任の可能性について質問された時、逆上したというのである。

これを詳細に報じた産経新聞ネットによると、記者が「続投の意向に変わりはないか」と質問すると、西川氏は無言で、さらに質問をつづける記者に「けじめはつけます」と答えた。「もう一度聞くが、辞任ということも含めてか。けじめとは?」と食い下がる記者。西川氏が少しうつむいたので、記者が「うなずかれたということでいいか」と確認すると、突然、質問したその記者をにらみつけ、「失礼なことをいうな! 何がうなずいたんだ!」と、怒声を浴びせたのである。

激怒したままエレベーターに消える西川氏と唖然とする報道陣。いかに彼が精神的に追いつめられているかを象徴するシーンだった。

これほど国民の「ノー」が突きつけられ、もはや西川氏が社長の地位にとどまることなど、考えられないのに、ご苦労さまなことである。しかし、小泉・竹中連合の引き留め工作で、辞任以外の「減俸などの自己処分」で世論の動向を見極める可能性があるが、すでに国民的には完全に決着がついていると言えるだろう。

残ったのは、麻生政権が「西川守って政権滅ぶ」というトンでもないことをやってしまったという「現実」だけである。

カテゴリ: 政治

“改革”とは何だろう

2009.06.15

なぜ国民は怒らないんだろう。不思議に思っていたら、そうではなかった。国民はやはり「怒っていた」のだ。これを報じる側のマスコミの方がおかしかったことが、やっと明らかになってきた。

毎日新聞が今回の鳩山更迭劇のあと6月13、14日に実施した全国世論調査で、麻生内閣の支持率が前回調査から5ポイントも急落し、19%になったことを伝えている。

日本郵政の西川善文社長の進退問題で鳩山邦夫前総務相を更迭した麻生首相の判断について、「評価しない」という回答が67%を占め、「評価する」は22%にとどまったというのである。

およそ7割の人が麻生首相の判断が間違いであると認識していたのである。その数字を見て、私は少しホッとした。なぜ国民はこの問題に怒らないんだろう、と不可思議でならなかったからだ。

いうまでもなく郵政民営化は、これを争点に総選挙までおこなわれ、国民注視の中でおこなわれたものだった。しかし、今年になって次々と明らかになった事態は国民を絶句させた。公正におこなわれるべきその「財産の処分」が不透明としかいいようがなかったのである。

典型的なのが「かんぽの宿」売却問題だ。総額で約2400億円もの巨額の建設費をかけた施設を、20分の1にも満たない約109億円で売り飛ばそうとしていたのだ。

もっともわかりやすい例が、「かんぽの宿 鳥取岩井」の売却劇である。「レッドスロープ」なる東京の不動産会社に「1万円」で売却されたこの施設は、直後に福祉法人に「6000万円」で転売され、現在、改装されて老人ホームとして立派に運営されている。

この「1万円売却」「6000万円転売」を知った関係者は「いったい背後に何があったのか」と仰天した。マスコミがその不動産会社の住所に行ってみると、そこは幽霊会社で、しかも、設立間もない会社だったからである。

そもそもそんな会社が入札に参加できること自体がおかしな話で、国民の“最後の財産”ともいうべき郵政資産にハゲタカたちがあの手この手で近寄り、貪り食っていた図が、はからずも国民の前に露わになってしまったのである。

この問題の解明は、実はストップしたままだ。社長である西川氏がそのまま居座っているからである。彼がいなくなれば、その過程でおこなわれていたことが白日の下に晒される可能性がある。彼らにとっては、「それはどうしても避けなければならない」ことだろう。

そこに、万難を排しても「西川社長が続投する」必要性があった。小泉・竹中連合も必死だ。彼らは、「郵政民営化に逆行してはいけない。改革を断行しよう」と、得意の論理のすりかえで対抗し始めた。それに「乗った」のがマスコミである。

「西川続投」と「郵政改革」はなんの関係もない。西川社長でなければ郵政改革はできないのか、という話だからだ。そんなバカなことはない。これは国民の財産が「不正に」売っ払われることを許すか許さないか、という極めて単純な問題であり、こういう不正が明らかになった上に、なお社長の地位に居座ることを許すか許さないか、という日本人の「けじめ」と「倫理」の問題なのである。

呆れ果てた麻生首相の決断に国民は「怒っていた」。おかげで「西川続投」を当然と捉えていたマスコミの論調も今日あたりから変わり始めている。

問題の核心にやっと気づき始めたのだろう。本質を見抜けないマスコミ・ジャーナリズムより、国民の方がよほど鋭敏な感覚を持っている。

「“改革”とは何だろう」と、つくづく思う。

今の日本は、「カラスが鳴かない日はあっても、政治家が“改革”を叫ばない日はない」と言われる。私は、“改革”を叫ぶ人間に対しては、まずウラに何があるのかを考えてみることにしている。利権であったり、私欲であったり、今の日本で、「改革」を声高に叫ぶ人間には、なにか別の目的がある例があまりに多いからだ。

物事の本質を見ようとする目。なにより大切なのはその姿勢だ。“混迷”としか表現しようのない価値観の乱れの波間を彷徨っている日本で、今、国民のより透徹した目が求められている。

カテゴリ: 政治, 随感

「木の葉が沈み、石が浮く」

2009.06.13

今日の読売新聞の記事はおもしろかった。麻生首相は当初、西川善文・日本郵政社長の方を交代させるつもりだったが、小泉元首相と竹中元総務相コンビの巻き返しを受けて「西川続投」に傾き、それが鳩山更迭につながったというのだ。

この記事が本当なら、いかにも麻生氏らしくて笑える。昨日のブログでも書いたように今回の出来事は多くの自民党支持者を失望させた。

この問題は難しくともなんともない。むしろ単純な構図といえる。「かんぽの宿」売却問題で露わになった経済界による「国民財産乗っ取り」の野望――そのことに異を唱えた鳩山氏とそれを推進した西川社長。この二人が対立したのは当たり前のことである。

小泉・竹中コンビが必死で西川続投にこだわったというのは、よほど西川社長に辞めてもらっては困る事情が存在したのだろう。「かんぽの宿」のオリックスへの一括譲渡問題や、二百数十兆円にも及ぶ郵便貯金の行方について……郵政民営化では、これまで財界や外国資本も入り乱れ、さまざまな思惑と利害が交錯してきた経緯がある。

その「利権調整役」兼「実行部隊長」だった西川氏に辞められては、あとからあとから「不正が露見」する可能性も否定できない。それを避けたい人たちが必死になって「西川続投」にこだわったのだろう。

しかし、私が不思議なのは、自分たちの財産が財界にいいように叩き売られようとした国民の側に、大した怒りもないことである。鳩山更迭をむしろ当然のように受け止めた国民のなんと多いことか。これが、アメリカならとっくに西川社長はクビで、6000分の1で売却された「かんぽの宿」など、さしずめ西川氏の個人資産の拠出による「買い戻し」が要求されるだろう。

そもそも、「かんぽの宿」があれほど問題になった時点で、社長の地位に居座ることなどできるはずがなかったのだ。不祥事の責任をとるのは、そもそも「上に立つ者の務め」であり、今回のように会社に多大な損害を与え、特別背任の疑いさえ生じてくる事態では尚更だ。

しかし、麻生首相は「木の葉が沈み、石が浮く」ような常識外のことをやってしまった。これは、もはや政治家としてのセンスの問題である。政権担当能力の決定的欠如というほかない。

麻生自民党vs鳩山民主党。まるで「失点合戦」ともいうべき低レベルな戦いに「審判を下す」のは、国民もつらい。

来るべき総選挙は、ひょっとして史上屈指の「低調なもの」になるかもしれない。

カテゴリ: 政治

「けじめ」なき国の奇妙な更迭劇

2009.06.12

いよいよ麻生政権の迷走がどうにもならないところまでやってきた。鳩山邦夫総務相がさきほど辞任したというニュースが伝わってきた。事実上の更迭である。

無理が通れば道理が引っ込む、というが、麻生政権には道理も見識も何もないらしい。「かんぽの宿」売却問題で、国民の財産を二束三文で売っ払おうとした西川善文・日本郵政社長が居座り、その続投にストップをかけようとした鳩山大臣が逆に更迭されてしまったのである。

ここのところ、ブログでも何度か指摘している通り、鳩山大臣がストップをかけなければ、国民の財産である「かんぽの宿」は、例えば「6000分の1の価格」で特定業者に売り払われたばかりか、さらに濡れ手で粟の「莫大な利益」が業者に転がり、国民は「財産を失う」ところだったのである。

この問題の最高責任者である西川社長はてっきり、「国民に多大な損害を与えたことは私の不徳の致すところ。責任を取らせていただく」と言うのかと思っていたら、あの問題が勃発して何か月も居座った上、あろうことか「続投する」というのである。

しかし、国民の側もおもしろい。「呆れてモノも言えない」と怒るかと思ったら、6日前のブログでも書いたように、マスコミも含めなぜか「鳩山大臣の暴走」というのが大半の受け止め方だったのだ。

5月19日のブログでも指摘したが、西川氏は、“法皇”堀田庄三や“天皇”磯田一郎が君臨した「住友銀行」の出身だ。権力者が「けじめなき長期政権」を築くのがお家芸の会社である。

ゴネてゴネてゴネまくり、地位にしがみつくのは西川氏の得意とするところだ。これで、ハゲタカのごとき特定業者たちが再び「笑いが止まらない」時代がやってくる。

報道によれば、官邸サイドは、西川氏の鳩山氏に対する謝罪で「手打ち」を図ろうとしていたそうだが、「西川氏が謝るべきは国民に対してであり、私に対してではない」と、鳩山氏はこれを一蹴したという。

鳩山氏は辞任に際し、記者団に「世の中、正しいことが通らない時があるんだな、今はそういう思い。今の政治は正しいことを言っても認められないこともある。潔さが大事」と語ったそうだが、けじめなきこの国の将来が危ぶまれる。

カテゴリ: 政治

取り調べ「可視化」への疑問

2009.06.11

「足利事件」で釈放された菅家利和さん(62)が、取り調べの全過程の録画・録音(可視化)の必要性を訴えている。

今回の件では、またしても栃木県警か、という思いを抱いた人は少なくないだろう。何度も助け出すチャンスがありながら、警察に見殺しにされ惨殺された栃木リンチ殺人事件の被害者・須藤正和さん(当時19歳)のことを思い出した人もいるに違いない。

今度は、何回か引き返すチャンスがあったにもかかわらず、ひたすら“無実の人間”である菅家さんを牢獄へと追い込んだのである。栃木県警の思い込みの激しさ、杜撰な捜査手法、あやふやな証拠さえ吟味できない官僚裁判官……など、この事件は多くの問題点を浮かび上がらせてくれた。

今回の大失態にかかわった警察、検察、裁判官――それぞれに国民は怒りを感じている。しかし、今回のことをきっかけに「取り調べの可視化」まで実現しようというのはいかがなものだろうか。

民主党の法務部門会議が本日、菅家さんを衆院議員会館に招いたそうだ。そして、取り調べの全過程を録画・録音する必要性を訴えた菅家さんの話に熱心に耳を傾けたという。

弁護士でもある民主党の細川律夫議員は「冤罪の起きない仕組みを作ることが我々の使命」と述べた。まことに立派な考えで私にも異論はない。

だが、「可視化実現」に熱心な細川議員に聞きたい。テレビのように「カメラがまわっているところ」で、果たして被疑者の口から「真実」を引っ張り出す取り調べというのはできるものでしょうか?

もっとわかりやすく言えば、被疑者というのは、マイクさえ向けたら、簡単に被疑事実を認めたり、否定したり、「真実」を語ってくれるものでしょうか? 取り調べというものは、それほど簡単なものなのでしょうか?

私は、取り調べというのは、捜査官と被疑者との「魂」と「魂」のぶつかり合いだと思っている。“泣き”もあれば、“怒り”もあるだろう。たしかなことは、捜査官がこれまで生きてきた全人生をぶつけて被疑者の魂を揺さぶり、説得しないことには、真実の告白は得られないということだ。真実を告白したら厳しい罪に問われる被疑者が「簡単に口を開くわけはない」という理屈は子どもにだってわかるだろう。

取材もある面、似ている。人を説得して、心の奥底にあるものを引っ張り出して真実を語ってもらうためには、取材者自身の「人生」が問われる。相手の魂を揺さぶらなければ、人は信頼もしてくれないし、真実も語ってくれないものだ。

「全人格」をかけて説得する大変な作業が「カメラの前でできる」と思っている民主党の人たちの感覚には首を傾げざるを得ない。可視化になれば、取り調べが形骸化していくのは確実だろう。そうなれば、「真犯人」を取り逃がし、「新たな被害者」が生まれる事態になることを民主党は考えたことがあるのだろうか。

守るべきものは何か。その根本を見失った議論になってはならない。

カテゴリ: 司法, 政治

奇妙なテレビ報道

2009.06.10

不思議な報道もあるものである。

例の西川善文・日本郵政社長の続投問題だ。ここのところのテレビ報道が実に奇妙なのである。鳩山総務相が西川社長の続投に“ノー”と言っているのは、あくまで西川氏が「かんぽの宿」売却問題の責任者として、「(続投は)いかがなものか」と指摘しているに過ぎない。

しかし、どのテレビ報道を見ても、「郵政民営化」の路線に反対し、ゴネているのが鳩山総務相であるという取り上げ方ばかりで、「かんぽの宿」問題を忘れ去っているかのようだ。

この報道の仕方は「ある一定の意図に基づくもの」というほかないだろう。4年前の郵政民営化選挙で当選してきた“小泉チルドレン”たちが「郵政民営化の意味をなくすような暴挙だ」と鳩山大臣を責めている映像が繰り返し流されていることからも、それは窺える。

有権者は、小泉チルドレンたちのこの言動をよく記憶しておくことだ。「かんぽの宿」という国民の財産を「6000分の1」というようなベラボーな価格で叩き売った会社の社長が、そのことに対する反省もなく、社長に居座ろうとしている。

それを支持する国会議員がいて、それが当たり前であるかのごとく報じるマスコミ。本質をどこかに置き忘れた報道は、あまりに罪深い。

カテゴリ: テレビ, 政治

政治の季節到来

2009.06.09

「新潮45」の連載締切と、7月に出版するノンフィクションの再校ゲラの返しが重なり、徹夜がつづいた。と、思っていたら、いよいよ全日本大学野球選手権が今日から始まった。

優勝候補の筆頭である東都5連覇の東洋大学に、東京六大学の覇者・法政大学、あるいは東海大学、近畿大学、東北福祉大学らが挑戦する興味深い大会だ。

プロ注目の乾、鹿沼という左右の二枚看板を要する東洋大学の優位は動かないだろう。しかし、久しぶりの出場となった法政大学も六大学の防御率1位・エース二神を擁して勢いに乗っている。どこまで優勝に絡んでくるか興味深い。

今日は、九州南部から東海にかけて早くも梅雨入りが発表された。鬱陶しい季節の到来だが、一方で永田町は完全に選挙態勢に入っている。千葉市長選が今週日曜(6月14日)に迫り、7月5日には静岡知事選、その翌週の7月12日には東京都議選が控えている。

地方選が終われば、待ったなしの「総選挙」だ。麻生首相は、鳩山民主党のアキレス腱とも言える安全保障問題で「攻め」の姿勢を見せ始めた。“偉大なる指導者同志”による核実験とテポドンの発射実験で、日本の安全はいまや風前の灯。さらにはソマリア沖の海賊対策問題もある。平和ボケした民主党で、「国民の生命と財産が守れるか」というわけだ。

国会での低レベルの党首討論より、やはり本音で有権者に訴える街頭演説の方がよほどおもしろい。マスコミも、党首たちのそうした本音の演説をできるだけ詳細に報じて欲しいものである。実は地方での党首演説こそ、政治の息づかいが伝わる最も貴重なものなのだ。

ジャーナリズムは、そのことを国民(有権者)に伝える使命をしっかり果たして欲しい。

カテゴリ: 政治, 野球

鳩山代表誕生に思う

2009.05.16

民主党の新代表は、鳩山由紀夫氏となった。おいおい民主党大丈夫か?と思わず叫びたい支持者も少なくあるまい。

つい先月、永住外国人への地方参政権付与問題に関連して、「日本人は彼らに参政権を与えるぐらいの度量の広さを持つべきなんです」「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから、もっと多くの方々に参加してもらえるような、喜んでもらえるような、そんな土壌にしなきゃダメですよ」と言ってのけ、大批判を受けたばかりだ。

鳩山氏は、かつて民主党代表を務めた折、“宇宙人”と称され、直江兼続ばりの「愛」を訴えたものの、自らの「愛人」騒動などで代表の座を降りた過去がある。

昨年の田母神俊雄・空幕長の更迭劇の際には、当の田母神氏とアパグループの「日本を語るワインの会」に夫人同伴で出席し、記念撮影をおこなうなど歓談しながら、「あまりにも私の思想とかけ離れた話をされていたので、途中でご無礼いたしました」と弁明し、田母神氏に「ウソもたいがいにしてもらいたい。鳩山はあの日、最後まで会合に出席して楽しんでいた。自分がつらい立場になれば、平気で人を裏切る。まったく信用ならない人物です」と喝破されたことも記憶に新しい。

政治家はもともと“二枚舌”が武器かも知れないが、この人の場合は、その奥に、深みも思想も哲学も、何も感じさせないところに特徴がある。

自分たちの当落を左右する代表選に、鳩山と岡田克也という“元代表”しか担ぎ出せない硬直した体質にこそ民主党の宿命と悲劇がある。

鳩山代表の再登場に、自民党幹部たちの高笑いが聞こえてくる。

カテゴリ: 政治

小沢辞任と後継選び

2009.05.11

講演と取材があった高知から羽田空港に帰ってきた途端、民主党・小沢一郎代表辞任の速報に接する。遅きに失したとはいえ、当然の結果だった。

政治の世界では「唐突」でなければ効果は期待できない。意外性があればあるほど、国民に強烈なインパクトを与える。その点で「えっ?」という驚きは確かにあっただろう。

最近の党内での「小沢批判噴出」で、選挙までに辞任に追い込まれることはある程度わかっていたこととはいえ、へそ曲がりの小沢氏がどこまでもその“特性”を発揮しつづけたらどうしよう、という懸念の声も民主党内にはあった。

小沢体制で選挙に突入した場合より、「これで30議席から50議席アップできる」と早くも民主党内に楽観論も生じている。

しかし、冗談ではない。「次」の代表如何で、選挙の勝敗は大きく変わる。得意の派閥抗争を剥き出しにしての“混迷”をつづければ、国民に失望感が広がるのは必至だ。代表候補の一人には、小沢問題の“戦犯”でもあり、さらに「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と言ってのけた鳩山由紀夫幹事長の名前さえ出ているという。

日頃、政党のテイを成していない、と揶揄される民主党がこの「代表選び」をどうクリアするか、おもしろくなってきた。

カテゴリ: 政治

「絶対国防圏」と北朝鮮

2009.04.04

昭和19年7月7日は、日本の太平洋戦争の敗北が事実上、決定した日である。この日、日本のサイパン島守備隊が、最後の“バンザイ突撃”を敢行し、玉砕した。サイパン陥落が意味するのは、日本の「絶対国防圏」の崩壊だ。

この小さな島が米軍の手に落ちた瞬間、日本の絶対国防圏は崩れ、日本全土が米軍機の空襲に晒されることが決まった。近代戦において、自国領土の制空権を失った国が戦争に勝てる見込みはほとんどない。

サイパン陥落の翌日、今上天皇である当時10歳の明仁殿下は、疎開していた静岡県沼津の御用邸から、さっそく栃木県の日光へと「再疎開」されている。日本が、この日から多くの犠牲を払った末に、実際に敗戦を選択するのは、それから1年余りのちのことだ。

今回の北朝鮮のミサイル騒動は、これまでの似通った過去の出来事と少々、趣きを異にしている。発射実験の発表の仕方や、日本をはじめ国際社会への嚙みつき方にどこか「余裕」が感じられないのだ。

これは昨年夏、脳梗塞で倒れ、一時は危篤に陥っていたとされる金正日の心理状態と無縁ではないだろう。一度、死にかけた将軍さまが、弾道ミサイルをはじめ、多くの懸案事項に「性急な結果」を求めてくるのは当然である。それだけに今回の騒動には、これまで以上の“必死さ”が感じられるのである。

昨日ブログに書いた北朝鮮による「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」の問題。これに北朝鮮が成功することは、すなわち現代の日本の「絶対国防圏」の崩壊を意味する。そうならない内に、日本国民にはどんな選択と意思表示が必要なのか、よく考えなければならない。初日のミサイル発射がなかったことや誤探知などに一喜一憂している場合ではないのである。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治, 随感

民主党激震! 小沢辞任へ「カウントダウン」

2009.03.29

いよいよ民主党内で小沢氏辞任への「カウントダウン」が始まったようです。

本日、千葉県知事選で森田健作氏が100万票の大台に乗せて当選。民主党が推薦した吉田平氏に40万票近い大差をつけての圧勝でした。

麻生政権発足以来、麻生総理の失点つづきで民主党への支持が高まっていましたが、有権者がはっきり小沢代表に「ノー」を突きつけていることが明らかになりました。これで動揺がなかったら、どうかしています。民主党議員たちが小沢氏の恐怖政治の影に怯えて、これまで代表辞任への道筋もつけられなかったのは滑稽というほかありません。

しかし、彼らも選挙を落ちれば“タダの人”。背に腹は代えられません。週明け以降、「小沢辞任」への動きが本格化するでしょう。

いよいよ小沢引退のカウントダウンが始まりました。

カテゴリ: 政治

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