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お粗末な「原発訴訟」の事実認定

2017.03.18

「この論理が通るなら、当時の首相も、各県の知事や市長、町長、村長に至るまで、多くのトップの手が“うしろにまわる”なあ」――判決のニュースが流れた時、私の頭に真っ先に浮かんだのは、そんな感想だった。

東日本大震災における福島第一原発事故で、福島県から群馬県に避難した住民が、国と東電に、およそ15億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が3月17日、前橋地裁であった。原道子裁判長(59)は、「津波を予見し、事故を防ぐことができた」との判断を示し、国と東電に総額約3855万円の支払いを命じたのだ。

私は、「国や東電は津波を予見し、本来なら事故を回避できたはずだ」という主張に対して、裁判でどんな判断が示されるのか、興味津々でこれを見ていた。しかし、正直、がっかりした。あまりに事実認定がお粗末だったからである。

もし、今回の裁判での事実認定が正しく、国も、東電も、あの大津波を「予見」し、「結果回避義務」を怠ったというのなら、当時の総理大臣(菅直人首相)も、各自治体のトップも、1万5000人を超える津波犠牲者を出したことに対する「罪」を負わなければならない。

原裁判長は、本当にこの問題における「予見可能性」と「結果回避義務」違反の意味がわかっているのだろうか。その感想は、取材に当たったジャーナリストでなくても、多くの人々が持つのではないだろうか。

私は、生前の吉田昌郎・福島第一原発所長に、長時間のインタビューをして『死の淵を見た男』(角川文庫)を著わしているので、過去、このあたりの事情を月刊誌でも記している(Voice 2013年9月号)(WiLL 2013年9月号)。

それを引用しながら、今回の判決への率直な感想を書いてみたい。多くのご遺族にとって、本当にあの悪夢のような大津波が「予見されていた」のなら、失われた愛する家族の命に対する「責任」を国や自治体に取ってもらわなければならないからである。

判決を見れば、原裁判長が、2002年7月に政府の「地震調査研究推進本部(略称・推本)」が、「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という見解を打ち出したことを重視していることがわかる。原裁判長は、これを「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり、考慮しなければならない合理的なものだった」と述べているのである。

しかし、実際には、国は、この推本の意見を採用していない。なぜなら、その5か月前の2002年2月に、公益社団法人「土木学会」の津波評価部会がこれとは全く異なる「決定論」という見解を打ち出していたからだ。

これは、基本的には、日本で過去に起こった津波には、それぞれ「波源」が存在しており、それをどう特定していくか、という理論に基づいている。その結果、具体的に「8つの波源」の存在が挙げられ、推本が打ち出した「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という曖昧な見解とはまったく異なる性質の論が打ち出されていたのだ。そして、その「8つの波源」は、福島沖にも、また房総沖にも、「なかった」のである。

では、国はこの二つの論のどちらを選択しただろうか。答えは、「土木学会」津波評価部会のものである。2006年1月、総理大臣をトップとする国の「中央防災会議」は、土木学会津波評価部会の「決定論」の方を採用し、これに基づいて、福島沖と茨城沖を津波防災の「検討対象から除外する」という方針を出したのだ。

私は、前橋地裁が、「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という曖昧な見解の方を支持し、「これで津波対策を福島でもしなければならなかった」というなら、国が土木学会津波評価部会の「決定論」を採用したことに対して「瑕疵(かし)がある」と、その理由を説明しなければならないと思う。だが、そのことについて納得できる前橋地裁の見解はなかった。

推本に拠って立てば、当然、「福島沖」も「房総沖」も含まれるわけで、要は、そこに20メートルの巨大防潮堤を建設していけば、国は、責任を果たした、ということになるのだろうか。しかし、「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という曖昧な論に、そんなことができたと思うだろうか。

私は、今回の判決で最もお粗末だと思ったのは、東電が最大波高「15・7メートル」の津波を試算し、「実際に津波が来ることを予見していた」と認定したことである。

「えっ、本当か」と私は驚いてしまった。故・吉田昌郎・福島第一原発所長に生前、私は長時間のインタビューをしている。その中で、この最大波高「15・7メートル」の津波を試算した時のことも直接、聞いている。

吉田氏は2007年4月、東電の本店に新設された原子力設備管理部の初代部長に就任したが、その3か月後の7月16日、新潟中越沖地震に遭遇した。東電の刈羽・柏崎原発のエリアはマグニチュード6・8の地震に見舞われ、その驚愕の揺れと吉田氏は向き合うことになる。

2010年4月に福島第一原発所長に就いた吉田氏は、中央防災会議が採用した土木学会津波評価部会の「決定論」が正しいのかどうか、検証を試みている。具体的には、土木学会への現場からの「再度の検討依頼」である。

国が採用したのは、津波を起こす「波源」の存在を示した土木学会の説である。しかし、その「波源」の存在と位置を見誤れば、大変なことになってしまう。吉田氏は、そこで、明治三陸沖地震(1896年発生)で津波を起こした波源が「仮に福島沖にあったとしたら、どういう数字が出て来るのか」という“架空の試算”を命じたのである。

それは、実に大胆なやり方だった。つまり、明治三陸沖地震の津波を起こした波源を「三陸沖」から「福島沖」に下ろしてきて、「もし、この波源が仮に福島沖にあったなら、どんな波高になるだろうか」という試算をさせたのである。

吉田氏は、私に「もし、土木学会津波評価部会が打ち出した波源の位置や存在そのものに間違いがあったら困るので、仮に、明治三陸沖地震の津波を起こした波源が福島沖にある、として試算したのです。波源を見落とされていたら、困りますからね。その結果、最大波高15・7メートルという数字が出てきたのです。その試算結果を持って、土木学会の津波評価部会に福島沖は大丈夫でしょうか、という再検討を依頼しました」と語った。

つまり、15・7メートルの最大波高というのは、「仮に明治三陸沖地震の津波を起こした波源が、福島沖にあったならば」という「架空」の試算であり、実際のものに対するものではなかった。

私は、吉田氏が逝去した際、主に新聞メディアによって、この「15・7メートルの最大波高」に対する誤った認識が流布されたので、今から4年前に前掲の月刊誌2誌にそのことを詳しく書かせてもらった。

しかし、今回の前橋地裁の判断では、この肝心の東電の試算が、あたかも「東電が巨大津波が襲ってくることを認識していた」という「根拠」にされているのである。私は、デビュー作のノンフィクション『裁判官が日本を滅ぼす』以来、日本の官僚裁判官の事実認定のお粗末さを指摘してきたが、今回もご多聞に漏れず、あやふや、かつ、お粗末な認定という感想を抱いた。

原裁判長は、国に対して推本の見解から5年が過ぎた2007年8月頃には、「自発的な対応が期待できなかった東電」に対し、「対策を取るよう権限を行使すべきだった」と述べている。そして、国による権限の不行使に対して、「著しく合理性を欠く」とした。

私は、日本の裁判で「いつものように」おこなわれている“アト講釈”の結論に対して官僚裁判官の限界を見る。1万5000人を超える犠牲者を出したあの悲劇の大津波に対して、「予見できた」というのなら、その理由を「もっと明確に示して欲しい」と、国民の一人としてしみじみ思う。そして、それで間違いないなら、当時の国のリーダーにも、自治体の首長にも、もちろん東電の首脳にも、大いに責任を取ってもらいたい。

カテゴリ: 司法

「1票の格差」という欺瞞

2016.04.29

昨日、共同通信の配信で、この夏の第24回参議院議員選挙に「293人」が立候補の名乗りを上げていることが明らかになった。各地方紙がこれを一斉に大きく報じたことで、参院選への空気が一挙に高まった感がある。

野党は勝敗の鍵を握る32の改選1人区のうち、すでに「21選挙区」で統一候補擁立に事実上、合意しているのだそうだ。勝敗の行方は、まさに「与野党一騎打ち」の選挙区での成績次第なのである。

今回の参院選は、公職選挙法の改正によって、史上初めて「18歳以上」が有権者となる。また、「一票の格差」を是正するため、「鳥取と島根」、そして「徳島と高知」が「合区」となった。つまり、2県で「1議席」しか選ばれないのである。

熊本地震の影響もあり、衆参同日選挙の可能性がほぼ消えた今、この2点が参院選の注目点となる。私は、後者の「1票の格差」問題に大いなる疑問を持つ一人だ。

私自身が、代表的な過疎県である「高知県」の出身であることも関係しているだろう。高知県は、簡単に言えば、四国の南側(太平洋側)を占め、7100平方キロメートルもの面積がある。しかし、過疎で人口は減り続け、今は「72万8000人」しか県民がいない。川崎市の人口のおよそ半分だ。

「1票の格差」を唱える弁護士たちや、これに憲法違反のお墨付きを与えた最高裁をはじめ、司法の人間は、果たして真の意味で「1票の価値」を考えているのだろうか、と思う。

拙著『裁判官が日本を滅ぼす』でも指摘させてもらったが、司法の人間(特に裁判官)は、事案を判決文に組み込む「要件事実」だけで判断する。そのための訓練を徹底的に受けているのだ。そこで排されるのは、「事情」である。

「1票の格差」の司法判断を例にすれば、機械的に人口と議席の配分で選挙区ごとの「1票の格差」を割り出し、これを「違法」「違憲」と訴える“原告”がいれば、「要件事実」は整っている。そのまま機械的に「違法」「違憲」と判断すればいいだけである。

そこには、本来の政治が持っている役割や、切り捨てられる地方の問題、さらには都市部出身の議員たちだけで決められていく政治が何をもたらすか、それが本当に民主主義と言えるのか、というような「事情」は一切、考慮されない。

私は民主主義国家で、ある程度の「1票の格差」があるのは当然だと思っている。東京に住む人間と、地方に住む人間が数字的な「1票の価値」にこだわるなら、それは「地方を切り捨てる」しかないからだ。

有無を言わせぬ「少子化」によって、今後、日本の人口はますます都市部に集中していく。過疎県は、人口がさらに減少し、不便な地方に住む人はどんどん少なくなっていく。そこから選出される国会議員もいなくなっていくのである。

すでに過疎県は「合区」にされ、今後、過疎化が進めば、2県だけでなく3県、4県で「1議席」という事態も遠からず来るだろう。都会出身ばかりの国会議員によって国政が論じられ、ますます人口の都市部集中と過疎化が進んでいくというわけだ。

高校野球だって、そのうち、東京や大阪、神奈川など人口の多いところから何校も出場して、地方は「2県に1校」、「3県に1校」などという時代が到来するかもしれない。「地方の時代」などと、うわべでは言いながら、実際には、完全に地方が「切り捨てられる」のである。

ちなみにアメリカの上院では、「各州2名ずつの選出」と定められており、人口が3700万人もいる「カリフォルニア州」と、わずか「56万人」のワイオミング州では、1票の格差は、実に「66倍」もある。

だが、アメリカでは、「これほどの1票の格差は許されない」として、ワイオミング州と隣の州を「合区にして是正せよ」などという声は起こらない。

日本では、わずか「2・13倍」で、‟違憲状態”なのだそうだ。弁護士たちが意気揚々と「1票の格差」を訴える原告団として裁判所に入っていくニュースをよく目にするが、私は、「この人たちは、民主主義の基本というものを本当にわかっているのだろうか」と疑問に思う。

取材や講演で、全国に出張する私は、地方で「1票の格差」についての司法判断に対して、反発の声をよく聞く。先月も北海道で、「私たちがこんなに過酷で広大な北海道に住んでいるから、北海道は日本の領土なんだ。もし、いなかったら、とっくに外国の領土になってるよ」と怒る人がいた。

地方のことを「理解」も、「想像」もできない司法の人間たちの判断によって、どんどん「地方が切り捨てられていく」のは、本当に情けないかぎりである。

「1票の格差」訴訟と、その最高裁判断への「ノー」を国民が突きつける時は、すでに到来しているように思う。政治家こそ、声を上げるべきだろう。地方出身の国会議員たちは一体、何をしているのだろうか。

果てしなくつづく都会への住民移動と、それを追いかけて「1票の格差」を是正していこうとする司法判断に敢然と反対を唱え、‟地方切り捨て”にストップをかけようとする政党が出てくれば、是非、そんな党を支持したいものだ。

カテゴリ: 司法, 政治

加藤ソウル前支局長「無罪判決」から何を学ぶか

2015.12.17

「(無罪判決は)予想できなかった」。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長(49)が、記者会見で漏らしたこの言葉が、四面楚歌の中での裁判の厳しさを表わしていた。

本日、ソウル中央地裁において、加藤氏は韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を傷つけたとして名誉毀損に問われていた刑事裁判で、「無罪判決」を勝ち取った。

私は、昨年8月から「1年4か月」にわたる、これまでの加藤氏と産経新聞の「闘い」に注目してきた一人だ。本日は、その当の産経新聞から無罪判決へのコメントを求められ、思いつくまま、感想を述べさせてもらった。

「いったい、この裁判は何だったんだろう」と私は率直に思っている。なぜなら、そもそも加藤氏のコラムは、どこにも問題を見出しようもない、つまり、最初から裁判で争われるようなものでは「全くなかった」からだ。

ことは、韓国の有力紙『朝鮮日報』が、咋年7月18日、「大統領をめぐるウワサ」と題して興味深いコラムを掲載したのが発端だ。そこには、セウォル号事件の当日、パク大統領が「7時間も所在不明」だったこと、さらに「世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」ということが書かれていたのだ。

“秘線”とは、密会する異性のことを指すのだろうが、加藤氏はこの『朝鮮日報』のコラムを引用しながら、「噂の真偽は不明だが」ときちんと断わった上で、こんな噂が流されるほどパク大統領は追い詰められており、「権力基盤が揺らいでいる」ことを指摘したのである。

加藤氏のコラムは、さまざまな点に配慮した上で書かれており、一読すれば、大統領を誹謗中傷するようなものでないことは、すぐにわかる。公人中の公人である大統領の動静をもとに、日本の読者に「韓国の政治情勢」をわかりやすく伝えたものだった。

だが、周知のように韓国は、「言論の自由」も、「報道の自由」も、およそ存在しない国である。権力者の前では、民主主義国家で共有されている、これらさまざまな基本原則が“有名無実化”されており、要は、権力者の怒りを買えば、どんなものが「名誉毀損」とされ、どんなことで「刑事責任」を追及されることになるのか、まったくわからないのである。恐ろしい国だと思う。

それも、発端になった韓国の有力紙『朝鮮日報』のコラムは不問に伏した上で、産経新聞だけを起訴したのだから、もう目茶苦茶である。

ちょうど起訴の2日前に、加藤氏は、雑誌『正論』に「性搾取大国韓国の不都合なる真実」と題して、名乗り出て訴訟沙汰になっている米軍相手の慰安婦「ヤンコンジュ(洋公主)」たちのことを記事にし、慰安婦問題で日本を批判する韓国政府を舌鋒鋭く批判していた。そのことも、パク大統領には許せなかったのかもしれない。

「これは当然の判決であって、特別に感慨を抱くということはありません。公人中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図。このあり方は、近代的な民主主義国家の姿としてどうなんでしょうか。いま一度、考えてもらいたいと思います」

本日、判決後にそんな怒りの記者会見をおこなった加藤氏の気持ちはよくわかる。一方、加藤氏を起訴し、「懲役1年6か月」という求刑までおこなっていた韓国の検察当局は、最後に政権からも梯子(はしご)を外され、世界に「恥を晒した」と言える。

この事件で失墜した韓国の「国家的信用」が回復されるのは極めて難しいだろう。民主主義国家の根幹を成す「言論・表現の自由」がこの国に存在しないことは、先月、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)・世宗(セジョン)大学教授を在宅起訴して、世界を唖然とさせたことでもわかる。

起訴の理由は、驚くべきことに、「秩序の維持などのためには、言論の自由や学問の自由は制限される」というものだった。「気に入らない言論は叩きつぶす」「都合の悪い研究はやめさせる」というのが、韓国の際立った特徴であり、基本姿勢なのだ。まさに“独裁国家”である。

一連の出来事は、韓国が先進国と「価値観の共有」ができるような成熟した国家になるまでには、まだまだ長い歳月が必要であることを教えてくれる。

それにしても、今回の裁判は最後まで驚かされた。これまた近代国家、民主主義国家の原則である「三権分立」も韓国には「ない」ことがわかったからだ。

韓国外務省が判決を前にして、裁判所に対し、「日韓関係などを考慮し、(判決に対して)善処するよう要請した」というのである。つまり、韓国では、「司法の独立」もなく、政府が判決の中身に干渉したり、要望を出したりすることができるのである。

もともと加藤氏の起訴が、大統領の“意向”であったことは間違いなく、事件は最初から司法への政治介入から始まり、最後も政治介入で「決着させる」という極めて特異な経過を辿ったことになる。「三権分立」さえない国には、「民主主義国家とは何ぞや」と聞くことさえ憚られる思いだ。

本日、李東根(イ・ドングン)裁判長は、3時間もの判決文朗読でこう言及した。
「韓国は民主主義制度を尊重しなけければならない。憲法でも“言論の自由”が保障されている」
「外国記者に対する表現の自由を差別的には制限できない。本件も、言論の自由の保護内に含まれることは明らかだ」
「大統領の公的地位を考慮すれば、名誉毀損は認められない。私人、朴槿恵に対する誹謗目的もあったとは認めれない」

そして、「判決は、次の通りである」と前置きして、「無罪」を宣言したのである。3時間もの間、着席も許されず、立って朗読を聞き続けた加藤氏は、ついに「無罪」という言葉に辿り着いたのだ。

それは、「三権分立」もなく、最初から「有罪」という結論が決まっていた中での、まさに「予想外」の判決だった。

私は、この無罪判決は、ひとつの大きな「道」を示したと思っている。それは、加藤氏も、産経新聞も、そして官邸も、一度も韓国に譲歩せず、毅然とした姿勢を貫き通したことにある。

そして、日本政府は、あらゆるチャンネルを通じて、「この裁判がどういう意味を持っているか」を韓国に伝えてきている。一種の“脅し”である。

それは、「やれるものなら、やってみろ」という気迫が伴うものでもあっただろう。私は、一貫したこうした毅然とした姿勢が、今回の「無罪判決を生んだ」と思っている。

韓国のような国家に対して「譲歩」では何も生まれないことを日本人は知るべきだろう。それを「教えてくれた」という意味では、この裁判もそれなりの意義があったと言える。

今後、今回の国家的信用失墜に対して、韓国は長く苦しむことは間違いない。民主主義国家としての価値観が共有できない「弾圧国家」としてのレッテルが貼られた韓国は、その払拭(ふっしょく)のためには長い歳月が必要だろう。

この無罪判決で、「両国の関係は改善される」などという楽観的な観測が早くも出ている。しかし、日本側からすり寄る必要は全くない。

韓国は、民主主義国家ではないことが証明されたのだ。今後は、その“根本”に目を向けさせるために、日本は、毅然として「距離」を置き、同じ価値観を共有できるまで、じっと「待てばいい」のである。そのことを日本人は肝に銘じるべきだと、私は思う。

カテゴリ: 司法, 国際

なにが「袴田巌」を死刑から救ったのか

2014.03.28

日本列島を駆け抜けたビッグニュースだった。「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」「証拠が捏造(ねつぞう)された疑いがある」。村山浩昭裁判長の痛烈な文言と共に、48年という気の遠くなる年月を獄中で過ごした袴田巌死刑囚(78)の再審請求が認められ、史上初めて「直ちに釈放」された。

3月27日午後5時20分、東京拘置所から釈放された袴田死刑囚の姿は、自分に起こっている“現実”をきちんと理解できているのかどうか、判断しかねているように私には見えた。

拘禁症による心神耗弱と糖尿病の悪化という病状は、その姿が如実に物語っている。 1966(昭和41)年に静岡県で一家4人が殺害、放火されたいわゆる「袴田事件」は、再審の厚い壁が「ついに破られた」のである。

私は、「ああ、“裁判員制度”が袴田死刑囚を解き放ってくれた」と、その袴田死刑囚の姿を見ながら思った。すなわち「司法制度の改革」が、長い拘禁生活下にあった袴田死刑囚をついに解き放った、と思ったのである。

これには、少々の説明を要する。袴田死刑囚と「裁判員制度」とは表面上、何の関係もないからだ。今回の決定の最大の要因は、袴田死刑囚の姉・秀子さん(81)が申し立てた第二次請求審で、新たに実施した「DNA型鑑定」の評価によるものだ。

しかし、私はそれと同等、いやそれ以上に、「裁判員制度」こそが、袴田死刑囚釈放の“主役”だったと思う。

現場近くのみそ工場タンクから発見され、確定判決が「犯行着衣である」と認定した5点の衣類のDNA型鑑定結果を、弁護側は「これは、再審を開始すべき明白な新証拠に当たるものだ」と主張した。

半袖シャツに付着していた「犯人のもの」とされる血痕について、2人の鑑定人が袴田死刑囚のDNA型と「完全に一致するものではなかった」とした。しかし、検察側の鑑定人は「検出したDNAは血痕に由来するか不明」と信用性を否定したため、検察側は「鑑定試料は経年劣化している。鑑定結果は到底信用できない」と訴えた。

ここで起こったのが、600点の証拠の「初開示」という出来事だった。これは、袴田事件にとって「画期的なこと」だった。この第二次請求審で、静岡地裁の勧告を受けた検察側が、袴田死刑囚が供述した録音テープ、関係者の供述調書……等々、600点に及ぶ新たな証拠を弁護団の前に「開示」したのである。

これによって、当時の「捜査報告書」の内容が新たに判明した。そこには、袴田死刑囚と同じ社員寮にいた同僚が「(事件時の放火による)火事をサイレンで知って表に出る時、袴田がうしろから来ていた」と話していた記述があった。袴田のアリバイを補強する話である。

また、犯行着衣とされたズボンをつくった製造会社の役員の供述も開示された。これによって、ズボンについていた布きれにあった記号「B」が示していたのは、確定判決が認定していた「サイズ」ではなく、「色」だったことがわかったのである。

「このズボンは、袴田死刑囚には到底、履くことはできない。これは彼が履いていたものではない」。弁護団のその主張が、信憑性を帯びることになったのである。

なぜ、こんな証拠が次々と明らかになったのだろうか。この背景にあるのが、2009年5月にスタートした「裁判員制度」である。国民が裁判の過程に参加し、裁判の内容に国民の健全な常識を生かすために始まった裁判員制度。この国民の裁判への参加には、大きな条件があった。

審理が長期に渡れば、裁判員の負担は、はかり知れない。そこで、審理の迅速化と、そのための徹底した要点の整理が迫られた。公判が始まる前に争点を「絞り込む」システムが裁判員制度を睨んで、でき上がった。

それが、「公判前整理手続」である。裁判員制度に先立つ2005年11月に刑事訴訟法の改正によって、この制度は始まった。公判が始まる前に、裁判官、検察官、弁護人の間で徹底した要点整理をおこなうのである。これにより弁護側が要求する証拠物件は、検察側はすべて開示しなければならなくなった。

すなわち弁護側が要求すれば、捜査官が捜査の過程でメモした警察手帳の中身から、留置場で朝、昼、晩、容疑者が「何を食べていたか」という記録に至るまで、この公判前整理手続の場に出さなければならなくなったのである。

今回の再審決定の重要なポイントは、2010年5月、裁判官、検察側、弁護側の3者協議の席上、当時の原田保孝裁判長が「検察はそこまで“捏造でない”と言うのなら、反論の証拠を開示したらどうですか」と、検察側に初めて証拠開示を迫った「瞬間」と言われている。

それが、前年(2009年)にスタートした裁判員制度と、さらにそれに先立つ公判前整理手続によるものであったことは、明らかだろう。そして、その姿勢は今回、再審開始の決定をおこなった後任の村山浩昭裁判長にも引き継がれ、厚い「再審の扉」はこじ開けられたのである。

今回の袴田事件だけではない。公判前整理手続というシステムは、刑事裁判に画期的な変化をもたらしている。これまで、なぜ日本の刑事裁判における有罪率が「99%」を超えるという“異常な”数字を誇っていたか、ご存じだろうか。

それは、井上薫・元裁判官と私との対談集『激突! 裁判員制度―裁判員制度は司法を滅ぼすvs官僚裁判官が日本を滅ぼす』(WAC)にも詳述されているが、これまでの日本の刑事司法は、極めて冤罪を起こしやすい体質を持っていた。

それは、検察が法廷に出す証拠は、有罪を「勝ち取るだけのもの」であり、それに不都合なものは「隠されて」いたのである。たとえば、A、B、C、D、Eという5種類の関係者の供述調書があり、そのうち、有罪に有利なものがAとCとDだった場合、有罪を勝ち取るために不利なBとEの供述調書は、法廷に出さなくてもよかった。

たとえ弁護人から「BとEの供述調書を出してください」という要求があっても、同じ“官”同士である裁判官から「その必要はありません」と却下されれば、それで終わりだったのだ。そもそも弁護側は、「BとEの供述調書」が存在することを知らないまま、判決が下されることが多かったのである。

しかし、日本の99%の有罪率を支えたその悪しきシステムは、裁判員制度を睨んでスタートした公判前整理手続によって崩壊した。そして、定着してきたこの公判前整理手続の習慣は、袴田事件の再審をめぐる攻防にも決定的な影響を与えたのである。

私は、ここまで検察を追い込んでいった“手弁当”の弁護士たちと支援者たちの「執念」と「努力」に心から敬意を表したい。そして、日本の司法を根本から変えつつある「裁判員制度」というものに、あらためて厚い評価をしたいと思う。

カテゴリ: 事件, 司法

辻井喬さんの「死」に思う

2013.11.29

福島での取材がつづいている。毎日、好天の福島だが、それでも朝夕の冷え込みは厳しい。福島市の市街地から見れば、西にある吾妻連峰の山々も、冷気を伝えるように頂上は雪景色だ。

そんな福島取材の中で、作家の辻井喬=本名・堤清二=さん(86)が亡くなられたというニュースが流れた。ご存じ、西武百貨店社長を務めるなど、セゾングループの創業者でもあった方である。

西武グループの基をつくり上げた父・堤康次郎氏との確執は有名だが、独自に“生活総合産業”を掲げてセゾングループを築き、不動産事業も組み合わせた多角化戦略は、経済界で大きな注目を集めた人物だった。

私は、そういう実業家としての堤清二さんではなく、作家としての辻井喬さんしか知らない。共通の知人がいて、二年前に辻井さんとは本郷の小さな飲み屋でご一緒させてもらったことがある。

その時、歳も、キャリアも、まったく比較にならない私のような“若造”の言うことに辻井さんは、耳を傾けてくれた。それは、驚くほどの腰の低さで、話をさせてもらう私の方が恐縮してしまうような態度だった。

私は、辻井さんの死を大変残念に思っている。それは、辻井さんが数多くの名作を生んでこられた作家というだけでなく、日本文藝家協会の「言論表現問題委員会」の委員長を務めておられたからである。

私も日本文藝家協会の会員の一人で、すでにノンフィクションの書き手として、文庫も含めると24冊の著作がある。まだまだ辻井さんの足元には及ばないが、しかし、これからも自分なりのノンフィクション作品を書きつづけていくつもりだ。

そんな中で、日本の言論と表現が実に「危うい状況にある」ことを私は辻井さんに理解してもらい、これを守る活動を日本文藝家協会の言論表現問題委員会の委員長である辻井さんを中心に是非、大きな流れにして欲しいと思っていた。

そのことで、辻井さんに改めてお話したい旨の連絡を差し上げたら、辻井さんは体調を崩されているということだった。

あれは今年の初夏だっただろうか。体調が回復したらお会いしたい旨の丁寧なお便りを頂戴した。辻井さんの体調が回復されたら、私はまたいろいろなことを話せていただくつもりだった。

「秋頃には」という内容だったが、東北の山々が紅葉から雪景色に変わるようになっても連絡は来なかった。その代わりに飛び込んできたのが、昨日の辻井さんの死を告げるニュースだったのである。

私は、福島で取材をつづけている中で接したそのニュースにショックを受けた。その時、すぐ思い出したのが、今年6月に90歳で亡くなられた憲法学者の清水英夫さん(青山学院大学名誉教授)のことだった。

清水さんほど、「言論・表現の自由」を重視した憲法学者はいない。清水さんの口癖は、「言論・表現の自由とその他の権利が対立した場合は、まず言論・表現の自由を優先して考えるのが憲法の保障だ」というものだった。

それは、民主主義が「言論・表現の自由」によってこそ担保されることを知悉(ちしつ)している清水さんならではの考え方と信念によるものだった。そのことは、私のデビュー作でもある『裁判官が日本を滅ぼす』の中でも、詳しく書かせてもらった。

政界が司法への介入を露骨に始めた1990年代後半から、司法は、政治家をはじめとする公人たちの「人格権」を驚くほど重く見るようになった。それは、メディアに対する高額賠償化現象につながり、やがては、一般人の「人格権」の声高な主張につながっていく。

耳触りのいい「人格権」というものが何より重視され、司法による「言論・表現への介入」が急速に進んでいく状況を、私は本郷の小さな飲み屋でも、辻井さんに話をさせてもらった。前述のように、辻井さんは、若輩の私の話にこちらが恐縮するような腰の低さで耳を傾けてくれた。

辻井さんには、日本文藝家協会の言論表現問題委員会の委員長として、この日本の「言論・表現」を守る最前線で闘ってくれると、私は期待していた。それだけに、辻井さんの突然の死が残念でならない。

ここのところ、私のブログでも大正から昭和初期に生まれた方々の訃報への感慨が多くなっている。今週は、中国が尖閣を含む東シナ海上空に「防空識別圏」を設定したこと等、大きなニュースが相次ぎ、これらに対する私の見解も書きたかったが、残念ながら、連日、夜中まで取材に追われており、なかなかブログを書く時間がとれない。

せめて辻井喬さんの死に対しては少し書きたいと思ってパソコンに向かった。貴重な文化人の死を惜しむと同時に、言論・表現の自由を守る闘いは、辻井さんや清水さんが亡くなった今となっては、「私たちの世代の責任だ」という思いを強くしている。

カテゴリ: 司法, 随感

「常識」の通じない裁判はなぜ続くのか

2013.06.07

「常識」とはなんだろう、と思うことがある。大学生の頃は、「大人って、なんて頭が固いんだ」と、大人たちの常識について首を傾げることが多かった。しかし、自分が社会人となってだんだん経験を積んでくると、次第に大人の常識がわかってくるようになる。

そして、時とともに、その常識も形を変えてくる。しかし、そんな社会人としての常識と無縁な中で暮らし、年月が経過するにつれ、さらにその「常識」と乖離(かいり)していく人たちがいる。日本の法廷を牛耳っている官僚裁判官たちだ。

私は、1980年代の前半から記者として取材しているので、もう30年以上もジャーナリズムの世界にいることになる。当時、法廷では司法記者クラブに所属した記者でなければ、メモをとることができなかった。傍聴席でどうメモをしようが自由な「今」しか知らない人は、驚くに違いない。

メモをする権利は、いうまでもなく言論・表現の自由の「もと」になるものである。メモをする自由がなければ、記述が不正確になり、言論・表現の自由が大きな制約を受ける。当時、雑誌記者だった私は、仕方がないので、わざわざ事前に日本雑誌協会を通じて法廷取材の申請をし、司法記者としての「席」を確保してからメモをとった。

憲法にも保障されている国民の知る権利、そして言論・表現の自由のもとになる「筆記の自由」さえ日本の法廷にはなかったのである。

私は、若い頃、そのことを不思議に思った。法を守るべき裁判官が、国の最高法規である憲法の基本理念を蔑(ないがし)ろにしていることに対して、である。

しかし、気の遠くなるような年月、日本の法廷を支配してきたこの悪弊は、当時、同じように法廷取材をしていたローレンス・レぺタという一人のアメリカ青年によって突き崩された。

レぺタ氏は法廷内のメモを禁止されたことに対して損害賠償を求め、最高裁まで闘った。裁判自体は敗訴するものの、この訴訟によって、ついに日本の法廷で傍聴人によるメモが許されるようになったのである。

あれは平成になった頃だったと思うが、昨日まで許されなかった法廷でのメモが、急に大丈夫になった時のことが忘れられない。傍聴人がメモをとっているのを発見したら、廷吏がたちまち近寄ってきて「退廷」を命じられた時代がいきなり「終わった」のである。

私も、いちいち日本雑誌協会を通じて記者席を確保する必要がなくなり、レぺタ氏の闘いの恩恵を受けた一人だった。私はその時、法というものの本質、ここで言えば、憲法が保障する国民の知る権利に応える「筆記の自由」への考察すらない日本の官僚裁判官の「正体」に対する目を見開かされた気がした。

私は、日本の官僚裁判官には、「法」以前に「常識」というものが備わっていないことに気がついた。それは、その後、長い記者生活の中で、理解しがたい“非常識判決”という形で私の目の前に「これでもか」と、現われた。

私のデビュー作は、今から10年前に上梓した『裁判官が日本を滅ぼす』である。長く持ちつづけた疑問をもとに、日本の法廷で罷(まか)り通っている非常識判決の「実例」と、それを下した官僚裁判官の「実名」を挙げてルポしたノンフィクションだ。

今日、書店に行ったら、この10年前に出した拙著を復刻し、さまざまなことを書き加えた『新版 裁判官が日本を滅ぼす』(WAC)が店頭に並んでいた。店員に聞くと、今日から並び始めたそうだ。

私の30年におよぶ記者生活で、いろんな分野が変貌を遂げていったが、司法の世界では、今も「えっ?」と思う出来事が多い。特に日本の官僚裁判官が下す判決には、一般の常識が「通じないもの」が少なくないのである。

青春を擲(なげう)って六法全書と格闘し、難関の司法試験を突破して司法の世界で生きる人間には、ほかの業界には見られない独特のプライドがある。「自分たちは、ほかの人とは違う」という一種の驕りから来るものだろう。

私は、これを臨床心理士、カウンセラーとして著名な和田迪子さん(『万能感とは何か』の著者)が指摘する精神医学上の「万能感(全能感 feeling of omnipotence)」によるものだと思っている。自分は偉い、自分はほかの人間とは違う、と思い込むエリートたちの「万能感」とは、実に厄介なものである。

彼らに「常識が通じない」という意味は、謙虚に世の中の出来事を見て、そこから何かを学ぼうとする姿勢がないところから来ているのだと思う。だから、法律の条文という「殻の中」から彼らは一歩も出てこられないのではないか、と思う。

案件をただ法律の条文に当てはめるだけなら、裁判官は「人間」がやらなくても「コンピューター」に任せればいい。これを人間がやらなければならない理由は、コンピューターでははかれない「人としての判断」が求められるからである。

だが、残念ながら、司法の世界でもエリートが集まる官僚裁判官たちが陥った“常識の欠如”は、今も国民に大きなマイナスをもたらしている。日本の官僚裁判官から「万能感」を取り去り、社会常識を身につけさせるのは容易なことではないだろう。

裁判員制度の導入によって、一部の刑事裁判には、司法制度改革審議会が提言した「裁判の内容に国民の健全な社会常識を反映させる」という方針が浸透しつつある。だが、民事をはじめ大多数の裁判には、それは無縁だ。これをなんとかしていかなければならないと思う。

私は、かつて司法のことで講演を頼まれることがよくあったが、最近は別のテーマが圧倒的に多い。今も大きな問題を抱えているこの司法の世界について、これからもさまざまな問題提起をしていきたいと思っている。

カテゴリ: 司法

「日本の司法」は大丈夫なのか

2013.03.14

日本の「司法」、いや「裁判官」というのは大丈夫なのだろうか。そんな話を今日はしてみたい。本日、日本のノンフィクション界にとって、極めて興味深い判決があったからだ。

これは、私自身にかかわるものだが、非常に「大きな意味」を持っているので、かいつまんで説明させていただきたい。

知的財産権(知的所有権)という概念が広がって久しい。これは、知的創造活動によって生み出されたものを、創作した人の「財産として保護する権利」である。

たとえば、私が本を書いたとしたら、その作品は「私」の財産として保護され、勝手に流用されたり、他人のものとして盗まれたりすることがあってはならない。いわゆる知的財産権の中の「著作権」として守られる。

すでに20冊を超えるノンフィクション作品を上梓している私にとっては、作品を守ってくれる「著作権」とは、実にありがたいものである。

しかし、その著作権保護が「ありがたい」どころか、いわば行き過ぎた「保護過剰主義」によって、現場にいる私のようなジャーナリストやノンフィクション界にとって、「大きな障害」になり、ひいては「言論・表現の自由」を守るべき司法が、その「最大の敵」となっているという話である。

ありがたい権利であるはずのものが、ジャーナリズムの世界に、逆に「襲ってくる」という、極めて不思議な話の経緯はこうだ。

私は日航機墜落事故から25年が経った2010年夏、『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』(集英社)というノンフィクションを上梓した。これは、1985年8月に起こった日航機墜落事故の6遺族の「その後の四半世紀」を追った作品だ。

この本は、それぞれのご家族を取り上げた全6章から成っている。これまでにはなかった「父と息子」にスポットをあてたもので、あの悲劇を乗り越えた家族の感動の物語としてノンフィクションで描かせてもらったものである。

私はノンフィクション作家であり、いうまでもなく作品はすべてノンフィクションである。つまり、私の作品には、フィクション(虚構)がない。記述は「事実」に基づいており、そのため、取材が「すべて」である。

私は、本書に登場する6家族の方々に、直接、私自身が取材に伺い、絶望から這い上がってきた四半世紀に及ぶ「勇気」と「感動」の物語をお聞きし、すべてを実名で描かせてもらった。

ご本人たちの了解を得て、取材させてもらい、日記や手記があるならそれを提供してもらい、「事実」と異ならないように気をつけて原稿を書かせていただいたのである。

一家の大黒柱を失うという絶望から這い上がった6家族の物語は感動的で、発売と同時に大きな反響を呼び、これをもとにドラマ化された作品(WOWOW特別ドラマ「尾根のかなたに」)は、2012年度の「芸術祭」優秀賞を受賞している。

しかし、私は、この作品の第3章に登場するご遺族、池田知加恵(いけだ・ちかえ)さんという80歳になる女性から「著作権侵害」で訴えられた。「門田は自分の作品である『雪解けの尾根』(ほおずき書籍)の著作権を侵害した」というのである。

池田知加恵さんは、日航機墜落事故で亡くなったご主人を持つ未亡人である。私は、「父と息子」をテーマにしていたため、あらかじめこの知加恵さんのご子息に10時間近い取材をさせてもらっている。そして、その上で、母親である知加恵さんご本人にも別の日に4時間半にわたって、さらに取材をさせていただいた。

その取材の折、知加恵さんは17年前に出したという事故の時の自身の体験をまとめた当該の『雪解けの尾根』という手記本をわざわざ「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサインして私に提供してくれた。

この時、事故から25年も経過しており、ご高齢だったこともあり、ご本人が「私にとっては、この本を書いた時が“記憶の期限”でした」と仰られたので、私の取材は、提供されたこの本に添って「事実確認」をする形でおこなわれた。

ご高齢の方への取材というのは、こういう方法は珍しいものではない。私は戦争関連をはじめ、多くのノンフィクション作品を上梓しているが、たとえば太平洋戦争の最前線で戦った元兵士に取材する際は、自分が若い時に戦友会誌などに書いた回想録を提供され、それをもとに「記憶を喚起」してもらいながら取材させていただくことが多い。

より正確に事実を書いて欲しい、というのは誰にも共通のものであり、私は池田知加恵さんにも長時間にわたって、この本に基づいて記憶を喚起してもらいながら、取材をさせていただいたのである。

その取材時間は、ご自宅にお邪魔していた4時間半のうち実に3時間半に及んだ。途中、知加恵さんは、「このことは本に書いてなかったかしら?」「そうそう、それ書いているでしょ」と何度も仰り、そのたびに本の中の当該の箇所を探すことが度々あった。

前述の通り、虚構が許されないノンフィクション作品とは、作家が想像によって「創作」することは許されない。小説との決定的な違いがそこにある。つまり、ノンフィクションはその性格上、「本人証言」と「日記・手記の発掘」というものが極めて重要な意味を持つ。

拙著のテーマは、「父と息子」であったため、知加恵さんはサイド(脇)の登場人物である。だが、私は提供された手記本をもとに、丹念にご本人に事実関係の確認をさせてもらい、この著書が「事実を記したもので間違いない」ものであることを確認し、長時間にわたった取材を終わらせてもらった。

取材の際、知加恵さんは著書だけでなく、事故に関連してご自身が登場したニュースやワイドショーのDVDを提供してくれたり、取材後も自分の発言の訂正部分を手紙で書いて寄越してくれたり、積極的に取材にご協力をいただいた。

私は、ご自宅をお暇(いとま)する時も、「大変ありがとうございました。今日の取材と、このご本に添って、事実を間違えないようにきちんと書かせてもらいます」と約束し、その言葉通り、事実関係に間違いのないように原稿を書かせてもらった。そして、巻末には、「参考文献」として『雪解けの尾根』を明記させてもらったのである。

つまり、私は「本人に直接会って」、「手記本を提供され」、記憶が曖昧になっていた本人に「記憶を喚起してもらいながら、その手記本をもとに事実確認取材をおこない」、巻末に「参考文献と明記」して、当該の第3章を書かせてもらったことになる。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発刊後、知加恵さんは「著作権侵害だ」と訴えてきたのである。私は、およそ30年にわたって記事や本を書く仕事をしているが、このようなことは無論、初めてであり、驚きを禁じ得なかった。

長くジャーナリズムの世界に身を置いている私は、著作権とは、「事実」ではなく「表現」を侵した場合は許されないことを知っている。そのため、細心の注意を払って「事実」だけを描写し、同一の文章はひとつとしてない。

しかし、この訴訟が不思議だったのは、訴訟が起こる4か月も前に、まだ当事者以外の誰も知らない段階で、朝日新聞によって大報道されたことだ。同紙は社会面で五段も使って、「日航機事故遺族、作家提訴の構え」という見出しを掲げ、「(両者の)記述が類似している」と大々的に報じたのである。

つまり、訴訟は朝日新聞が「先行する形」で起こされた。同紙は、今回のように本人から直接、手記本を提供され、それをもとに本人に事実確認の取材をおこない、巻末に参考文献と明記しても、それでも「著作権侵害だ」と言いたいようだ。

当事者に取材し、記憶が薄れているその方が書かれた手記本をもとに「記憶を喚起」してもらいながら事実確認取材をしたのだから、「事実がひとつ」である以上、記述が似ていなければ、それは「事実ではない」ということになる。

私は、これが著作権侵害にあたるなら、日本のノンフィクションは、もはや「事実そのものを描けなくなる」と思っている。つまり日本でノンフィクションは「成り立たなくなる」のである。

ノンフィクションは、前述のように作家の想像による創作は許されず、さらに言えば、もし書いてある中身に「事実誤認」があれば、名誉毀損で訴えられるという宿命がある。つまり、あたりまえのことだが、ノンフィクションは「事実」にどこまでも「忠実」でなければならないのである。

そのためにジャーナリストは、足を運んで当事者に会って話を伺い、日記や手記があればそれを提供してもらい、関係者にも取材し、できるだけ「真実」に近づこうとする。

事実が「ひとつ」である以上、ノンフィクション作品は取材が深まれば深まるほど、その「たったひとつしかない真実」に近づくことができる。そこにノンフィクションの価値があると私は思っている。

私はこのことをわかってもらうために取材時のICレコーダーの録音やご本人から提供された品々をすべて証拠として法廷に提出した。

しかし、今日の判決は、池田知加恵さんの「著作権侵害」の訴えを認め、私に著作権侵害額として「2万8560円」、慰謝料を「50万円」、弁護士費用「5万2856円」という計「58万1416円」の支払いと書籍の「廃棄」を命じたのである。

つまり、日本の知財裁判所では、当事者に会い、ご本人から本を提供され、それをもとに事実確認をする形で取材が進んだものでも、本人があとになって「利用を許諾していない」と言い出せば、それが「認められる」のである。

わずか「2万8560円」の著作権侵害額しか認めなかった裁判所が、それでも、「50万円」の慰謝料を持ってきて、さらに書籍の「廃棄」を命じるあたり、裁判所の私に対する姿勢が窺えて実に興味深い。

この判決が正しいなら、私は取材の時に「利用してはいけないもの」をご本人から提供され、それをもとに必死でご本人から「事実確認の取材をおこなった」ことになる。

逆に言えば、池田知加恵さんは私に「利用してはいけないもの」を「サイン入りで提供」し、そこに書かれている事実は「書いてはいけないもの」であり、私が事実を忠実に描写すると、「これは私の本に書かれていることですから、著作権侵害です」と、私を訴えることができ、そして、知財の裁判官は、「その主張が正しい」というお墨付きを与えたのである。

少々不謹慎ではあるが、私は、この「不思議な判決」の第一報を受けて、驚きを通り越して、笑いがこみ上げてきてしまった。

それは、今から10年も前に私は新潮社から『裁判官が日本を滅ぼす』というノンフィクションを出しているからでもある。私は、当時から日本の官僚裁判官の“常識の欠如”について、厳しい指摘をおこなってきたジャーナリストなのだ。

判決を下した東京地裁民事47部の高野輝久裁判長は、長野高校から東大法学部に進んで裁判官となった司法エリートである。しかし、この人は、おそらく官僚裁判官として“優秀”ではあるが、ジャーナリズムの役割やノンフィクションとは何か、ということを考察する能力が「欠如」した方なのではないか、と思う。

私は、今回の高野判決を受けて「国民の健全な社会常識」という言葉を思い出した。ほかならぬ「裁判員制度導入」を決定づけた司法制度改革審議会の最終意見書の中にある文言である。

2001年6月、同審議会の最終意見書は多くの提言をおこなったが、その中で現在の裁判員制度のもとになる「一般の国民が、裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識を反映する」という一文があった。

「裁判の内容」に「国民の健全な社会常識」を「反映」するということは、逆に言えば、日本の裁判には、それまでいかに「健全な社会常識」がなかったかを示している。

幸いに、これによって重大な刑事裁判には、国民に多大な負担をかけながらも「裁判員制度」が導入されて、それまでの常識が欠如した判決が次第に是正されつつある。

しかし、裁判員制度が導入されたのは、その一部の刑事裁判だけだ。膨大な数の民事裁判には、裁判員として国民は参加できないのである。つまり、民事裁判において、裁判官の常識は「問われないまま」現在に至っている。

私は、以前から民事裁判にも裁判員制度を導入すべきだと思っていた。だが、膨大な数の民事裁判にいちいち国民を参加させるわけにはいかない。現実的には不可能だ。

しかし、今回の高野判決を見たら、私は「それでも民事裁判に裁判員制度導入を」と思ってしまう。少なくとも「知財裁判所」には、なんとしても「国民の健全な常識」を生かす裁判員制度を導入して欲しいと思う。

戦後、日本人がやっと獲得した言論・表現の自由には、長い苦難の歴史がある。多大な犠牲の上に獲得した「言論・表現の自由」という民主主義の根幹が官僚裁判官たちによる締めつけで、“風前の灯”となっている。

「知的財産権ブーム」の中で、ジャーナリズムの役割や意義を忖度(そんたく)しないまま、言論・表現の範囲がどんどん狭められているのである。少なくとも今日の高野判決は、事実上、ノンフィクションが「日本では成立しなくなる」という意味で「歴史に残るもの」であると思う。

今後、どうやってジャーナリズムは「事実」というものを描写すればいいのだろうか。『裁判官が日本を滅ぼす』の著者でもある私が、予想通り、「ノンフィクションを滅ぼす判決」を出してくれた高野裁判長に「この判決を通じて」出会えたのは、むしろ喜ばしいことかもしれない。

“暴走”する知財裁判官と今後、徹底的に闘っていくことが、私の新たなライフワークとなったのである。

カテゴリ: 司法, 池田家との訴訟

亀岡暴走事故判決はなぜ「求刑」を下回ったのか

2013.02.20

ああ、またしてもこんな判決が下ったか――。亀岡暴走事故判決のニュースを見ながら、私はそう思った。日本の裁判官には、大きな問題があり、それは拙著『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮文庫)の中で多くの具体的事例を紹介させてもらっている。

今回は昨日判決が下ったこの亀岡暴走事故裁判を考えてみたい。私は、無免許運転の少年が昨年4月、京都府亀岡市で集団登校中の児童や妊婦らを車ではね、「死者3人重軽傷者7人」を出したこの事故と裁判に注目していた。

事故の悲惨さ、命を絶たれた人たちの無念、ご遺族の哀しみの大きさ……子を持つ親の一人としてその経緯に関心を持たざるを得なかった。

ご遺族たちが中心になって、危険運転致死傷罪の適用を求める運動が盛り上がり、短期間に25万人もの署名が集められたことに、私は複雑な思いを抱いた。

危険運転致死傷罪の条文には「欠陥」があり、いくら署名を集めてもこれが認められない可能性が大きいと思っていたからだ。同罪で定められている量刑は、致傷が「15年以下」の懲役であり、致死は「1年以上」、すなわち最高刑は「20年」ということになる。

検察は、おそらく苦渋の判断だったと思うが、予想通り、「危険運転致死傷罪」による起訴ではなく、「自動車運転過失致死傷罪」での起訴を選択した。

この時点で、すでに遺族の失望は大きかった。しかし、その条文を見れば、これは致し方ないとも言える。刑法で危険運転致死傷罪が規定されているのは、「第208条の2」である。そこには、こう書かれている。

「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする」

この法律に「欠陥がある」と言われるのは、後段の「その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする」という部分だ。

わざわざ前段に「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態」と規定して、「飲酒運転」を明確にターゲットにしているにもかかわらず、“交通三悪”のひとつ、「無免許運転」には、「進行を制御する技能を有しない」という曖昧な表現でしか「対象にしていない」のである。

すなわち、今回の亀岡暴走事故の少年のように、以前から無免許運転を繰り返し、「“運転技能”を有する」ようになった悪質なドライバーをわざわざ「除外」しているのである。

「無免許運転」というのは、明らかに「故意」による犯罪である。無免許のまま公道上を走るということは、その時点で悪質な故意犯罪となる。その上、今回の事例のように、睡眠不足による居眠り運転が加われば、悪質さは、より大きくなる。

だが、その上の事故でも、「進行を制御する技能を有しない」という記述によって、この少年のように「(運転)技能を有する」状態になった人間への適用をわざわざ難しくしてしまっているのである。私は、この条文は、すでに不備が明らかになっている以上、法律の早急な改正が必要だと思う。

検察は、危険運転致死傷罪の適用を断念する代わりに、できるかぎりの最高の刑を求める方針で裁判に臨んだ。そもそも少年法では、少年に「3年以上」の有期刑を宣告する場合には「何年以上何年以下」という形の不定期刑とし、最長は「10年まで」という規定がある。

すなわち、危険運転致死傷罪の法定刑の上限は「懲役20年」だが、少年法によって不定期刑の上限は「10年」なのだから、最高刑が「10年」を超えることはない。

検察が目をつけたのは、少年が当該の事件の前にも無免許運転をしていることだった。検察側は自動車運転過失致死傷罪での「併合罪」を適用し、「懲役5年以上10年以下」の最高刑を求めることに決めたのである。

検察の思いは、この「最高刑を求めた」ことに凝縮されていたと言える。裁判では、遺族側は被害者参加制度を使って意見陳述し、「法定刑最大の刑罰」を求めた。これに対して弁護側は、「矯正教育こそ更生につながる」として少年院送致の保護処分を求めるなど、真っ向からぶつかった。

そして、昨日、京都地裁の市川太志裁判長は「懲役5年以上8年以下」の不定期刑を言い渡したのである。私は、判決のニュースを聞き、しばらく考え込んでしまった。

条文の不備や、さまざまなことを勘案しながら、犯した罪にはとても相当しないものの、それでもできる限りの刑罰を科そうとした「求刑」の末の判決だったからだ。

長く日本の官僚裁判官を支配してきた“鉄則”がある。判決は「求刑の8掛け」にするというものだ。今回の判決がそれを踏襲したものだと解釈すれば、裁判官にとっては、「懲役5年以上8年以下」の不定期刑というのは、むしろ「当然だった」かもしれない。

だが、これは、裁判官の常識と国民の常識が乖離(かいり)している証左ではないか、と私は思う。「友人らと夜通し遊ぶなど目先の楽しみを優先し、交通ルールを無視した」「無免許についても罪悪感など微塵(みじん)もなく、経緯や動機に酌量の余地は全くない」などと厳しく少年を断罪し、さらに、被害者遺族の峻烈な処罰感情を認めながら、それでも市川裁判長は求刑の「8掛け」の判決を下したのである。

4年前から、裁判員制度の実施によって日本の司法は大きな変革を遂げつつある。これまで官僚裁判官が独占してきた裁判に、一般の国民が参加してきたのである。

これは、2001年に「一般の国民が裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識を反映する」という司法制度改革審議会が提出した最終意見書に基づくものだ。すなわち「国民の健全な社会常識」を裁判に生かすとは、言いかえれば、官僚裁判官には「健全な社会常識」が欠けていることを国が認め、裁判員制度とは、それを克服するための「手段」であったとも言える。

しかし、今回の判決でもわかったように、いまも裁判員制度の適用外の裁判では、官僚裁判官の特殊な思考とこれまでの経験則が“絶対的な威力”を発揮しつづけているのが現実だ。

裁判員制度は、国民に多大な負担を強いている。しかし、一方で官僚裁判官によって、このような「8掛け」判決が大手を振っている現状を見ていると、官僚裁判官制度が果たしてこのままでいいのか、という思いもこみ上げてくる。

危険運転致死傷罪の条文の不備や、官僚裁判官の問題点など、多くの問題が議論されるべきだろうと思う。今回の亀山暴走事故判決は、国民にさまざまなことを問いかけているのである。

カテゴリ: 司法

母校・中央大学での講演で「思ったこと」

2012.11.03

今日は、母校・中央大学の学園祭(白門祭)に呼ばれて講演をさせてもらった。テーマは、光市母子殺害事件である。「法の限界を乗り越える」と題されたもので、「中央大学学術連盟法学会」による企画だった。

この講演をネタに、「久しぶりに母校に行って一杯飲もう」と、大学時代の仲間が集まってくれたので、お堅い講演だけでなく、楽しい一日となった。

実は近々、出版するノンフィクション作品の校了が迫っているため、それほど羽は伸ばせないが、講演のあと昔の仲間とアルコールが入れば、やはり時間が過ぎるのを忘れてしまった。

中央大学の法科大学院(ロースクール)は、今年、久々に東京大学の法科大学院を抑えて、今年度の司法試験合格者でトップに返り咲いたそうだ。合格者が202人と、全国のロースクールで唯一、200人以上の合格者を出したという。

私は来年、司法制度改革について総括する本を出版する予定になっているので、法科大学院の動向にも関心がある。

1999年7月に、時の小渕恵三首相によってスタートした司法制度改革論議からすでに13年。さまざまな変革をもたらしたこの制度改革には、私もいろいろな意見を持っているので、その本の中で詳しく述べたいと思う。

それにしても、中央大学の法科大学院を指揮していた福原紀彦教授が中央大学の学長・総長に就任して1年も経たない内に、さっそく司法試験トップの座を奪い返したというニュースを聞いて、驚くとともに頼もしく思った。

久しぶりに母校に帰って、その母校の奮闘ぶりを聞くというのは、やはり嬉しいものである。今日の学園祭の講演でも、「法の限界を乗り越える」というテーマを出してくるあたりが、なかなか「学術連盟法学会」も、しぶい気がする。

講演では、被害者遺族が抱える苦悩の深さや、日本の司法がいかに社会の常識から遊離していったか、私の経験を交えてその「背景」と「実態」を詳しく説明させてもらった。

この時期は、各大学が学園祭をおこない、それぞれにさまざまなシンポジウムをおこなっている。私は、昨年は、一橋大学に呼ばれて講演をさせてもらった。昨年のテーマは、「太平洋戦争」だった。

歴史や司法に現役の大学生が関心を持ってくれるのは、大変ありがたい。私は、その関連の書籍を沢山書いているので、若い人たちに是非、読んでもらいたいと思う。

若い人と心おきなく闊達な議論をさせてもらうと、次の著作へのヒントにもなる。学園祭のシーズンは、そういう意味で、私にとっては貴重な“充電”の時期でもある。さて、来年はどんなテーマで、どこの大学から講演依頼があるか、今から楽しみだ。

カテゴリ: 司法, 随感

被害者の苦悩から何を学ぶか

2012.09.21

昨日は、故郷・高知の県民文化ホールで講演会があった。NPO法人こうち被害者支援センターが、高知県公安委員会から犯罪被害者等早期援助団体の指定を受けたことを記念したものだ。

演題は、「誰もが被害者になり得るということ―被害者の苦悩から学ぶ社会のあり方について―」というものだった。拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮文庫)を書かせてもらったように、私はこれまで多くの事件について、記事や本を執筆してきた。

その経験を踏まえて、ほんのついこの前まで犯罪被害者が、「司法」からも、「社会」からも、無視されつづけてきた実態を講演させてもらった。

多くの犯罪被害者とその家族、たとえば山形マット死事件の児玉昭平さん、神戸・酒鬼薔薇事件の土師守(はせ・まもる)さん、そして光市母子殺害事件の本村洋さん……等、亡くなった家族の「無念」と、犯罪被害者への世の中の「理解」を訴える闘いをやってこられた方々の話をさせてもらったのである。

それにしても、2004年に犯罪被害者等基本法が成立してやっと世の中の流れが変わるまで、「人権」と言えば、加害者だけの「人権」であったマスコミ・ジャーナリズム、あるいは、犯罪被害者の家族を単なる“証拠物”としてしか扱ってこなかった司法の世界を思うと、講演しながら、あらためて真の正義というものを見失い、うわべだけの偽善社会に陥っていた戦後日本の姿に思いを致さざるを得なかった。

講演では、マスコミが陥っている“自己陶酔型シャッター症候群”についても説明をさせてもらったが、果たして理解してもらえただろうか。一人でも多くの方にマスコミや司法の人間に惑わされない毅然とした見方を持って欲しい、と心から願った故郷の一日だった。

カテゴリ: 事件, 司法

検察「ベスト・エビデンス主義」の崩壊

2012.06.08

東電OL事件の再審決定、釈放、そして国外退去へ、という流れに衝撃を受けた人は少なくないだろう。昨日まで刑務所にいたゴビンダ・マイナリ受刑者(45)は、一転、冤罪ヒーローとなった。

東京高裁の再審請求審が結論づけた「現場で何者かが被害者と性交した後、殴打して出血させ、その血液を被害者のコートに付着させたと見るのが自然」という判断は、なにより検察にとって大変な衝撃だった。

当時、事件の取材にあたっていた私には「現場に第三者がいた可能性を示すDNA型鑑定結果」というもの自体が驚きだった。科学の発達、あるいは鑑定技術の進歩といえばその通りだが、それと同時に、検察がベスト・エビデンスだけを裁判に出すことが「当たり前だった」時代が文字通り、終わったことを強く感じた。

検察は、これまで被告人を犯人と指し示すために必要な証拠しか法廷には出してこなかった。検察の「ベスト・エビデンス主義」である。自分たちに有利なこの仕組みに甘え、やがて証拠に対する執着や執念が失われてきたのが、今の検察である。

しかし、裁判員制度の導入を踏まえて2005年、刑事訴訟法が改正され、「公判前整理手続」が始まった。それは、そもそも刑事裁判の充実・迅速化を図るためのものだった。

だが、この仕組みは検察にとって厳しい事態を招くことになった。公判前整理手続では、裁判官、検事、弁護人が事前に協議し、あらゆる証拠をもとに焦点や争点を徹底的に絞り込むことになったのである。

これによって、それまでの検察の「ベスト・エビデンス主義」は通じなくなった。提出することを要求された証拠は、すべて公判前整理手続の過程で出さなくてはならず、容疑者を「有罪にするため」の証拠だけを法廷に出しておけばよかった頃とは天と地ほども違う時代を迎えたのだ。

都合の悪い証拠も出さなくてはいけなくなった検察は、やがて「村木厚子事件」で明らかになったように、検事が証拠の捏造にまで手を染めるようになってしまった。

ゴビンダ受刑者が本当に真犯人でないなら、この「獄中の15年」をどう取り戻すことができるのだろうか、と思う。どれほどお詫びしてもお詫びし切れるものではない。

それとともに、検察とは、果たして「真犯人を見つけるところなのか」、それとも犯人だと“思われる人”を見つけ、それをただ「有罪に持っていくところなのか」、という根本的な問題が突きつけられているように思う。

相次ぐ検察の敗北は、マスコミがつくりあげてきた検察神話がいかに実態の伴わないものであったかを物語っている。私は個人的に使命感と正義感に溢れた検事を何人も知っているだけに、真の意味で秋霜烈日バッジにふさわしい本来の検察が蘇(よみがえ)ることを心から望む。

カテゴリ: 事件, 司法

尊い犠牲に報いるために

2012.05.24

あの日から「15年」が過ぎた。土師淳君(当時11歳)が酒鬼薔薇聖斗に殺害されてからである。1997年5月24日、淳君の切断された頭部が神戸市須磨区の友が丘中学の校門で発見された。

およそ1か月後、酒鬼薔薇聖斗を名乗った14歳の少年が逮捕され、関東医療少年院に入院し、“刑事罰”ではなく、“治療”を施された。

以来、15年。酒鬼薔薇は社会に解き放たれ、少年法は不完全とはいえ一部改正され、また、当時はまったく顧りみられることがなかった被害者の人権が大切にされるようになった。さらに、一般国民が刑事裁判の審理に参加するという裁判員制度もでき上がった。

まさに「隔世の感あり」だが、これも淳君の尊い犠牲があったからである。事件の2年後、光市母子殺害事件が起こり、本村弥生さん(当時23歳)と生後11か月の夕夏ちゃんも18歳少年により犠牲になった。

2人の犠牲も司法制度改革と少年法改正へとつながっていった。この15年の流れをみると、少年犯罪に対する世間の目や、司法の世界が変わっていくためには、いかに“尊い犠牲”が必要だったのか、と思ってしまう。

うわべだけの正義を振りかざしてきたメディアも、やがて目を覚まさなければならないところまで追い込まれたのである。

ひと言で15年といっても、それは筆舌に尽くしがたい血と涙の日々だったと思う。私は、今日、淳君のお父さんである土師守さんと久しぶりに電話で話した。

土師さんは、あれほどの哀しみを経験したとは思えないほど、いつもの明るい声で接してくれた。土師さんとのおつき合いも、もうそんな長い年月になったのかと、つくづく思う。

“偽善”との戦いでもあった15年。あの悪夢のような事件が起こった日が、日本が生まれ変わる契機となった「日」となれば、淳君たちの尊い犠牲も少しは報われるような気がする。

カテゴリ: 事件, 司法

小沢一郎氏に「政界引退」の勧め

2012.04.26

考えてみれば、これは「見事な判決」と言えるかもしれない。予想通り、無罪判決が下りた小沢一郎氏に対するものだ。資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐって、政治資金規正法違反の「虚偽記載」で強制起訴された注目の判決は、実に絶妙なものだった。

それは、無罪判決を私が「支持する」という意味ではなく、「致し方がない」ものだったという意味である。元秘書の捜査段階での供述調書の証拠採用が却下された段階で、大善文男裁判長には、小沢氏に「有罪判決」を下す根拠は失われていた。

つまり「予想された無罪判決」の中でどんな判決理由を言うのか、私は注目していた。そして、それは多くの法律家を唸らせるものだったと言える。

つまり、「虚偽記載」について、小沢氏が秘書からの「報告」を受け、「了承」していたことを認定した上での無罪判決だったことだ。

小沢氏の共謀を明確に示す証拠が法廷で出なかったことは、裁判の過程でわかっていた。しかし、それでも、判決理由は、小沢氏の政治家としての責任をはっきりと指し示すものだったのである。

共謀を認定するハードルというのは、低くない。特定の犯罪を行おうと具体的・現実的に合意したことを証拠によって「証明」するのは難しいからだ。特に小沢氏のような小沢事務所内の絶対権力者の場合はなおさらだ。

私には、この判決によって、ますます土地購入の原資となった「4億円」の“真実”に関心が深まった。その究明は絶対に必要だろう。

今回の判決で、認定されたものは大きい。早くも輿石東・民主党幹事長が「党員資格停止」の解除に動くそうだが、とんでもない。

繰り返すが、この判決は、共謀までは認定できないが、虚偽記載という犯罪行為が小沢氏に「報告」され、それを「了承」したということを認定しているものなのである。

痛み分けとも言えるこの判決で、むしろ私には小沢氏が政界を引退すべき「根拠」が明確になったと思うが、いかがだろうか。

カテゴリ: 司法, 政治

政治家は何を残すべきなのか

2012.03.18

昨日は、小渕恵三総理の13回忌の記念講演を依頼され、群馬に行ってきた。演題は、「小渕恵三は日本に何を残したのか―司法改革と光市母子殺害事件―」というものだった。

現在の裁判員制度が、小渕氏の遺産だったことを知る人は少ない。1999年 7月27日、時の総理、小渕恵三氏は内閣に司法制度改革審議会を設置した。そこで司法が抱えるさまざまな問題を論議させたのである。

その設置直後に始まったのが、「光市母子殺害事件」の裁判である。設置2週間後の8月11日に山口地裁で第一回公判がおこなわれたこの裁判は、一審、二審を経て最高裁で差し戻され、そして差し戻し控訴審、さらには第二次上告審となり、周知のように、つい先月(2月20日)、最終判決(死刑)が確定した。

この裁判と司法改革に故小渕氏が果たした役割は小さくない。山口地裁の一審判決直後に無期懲役判決に対する不服を訴え、「犯人をこの手で殺す」とまで言った本村さんに対して、「無辜の被害者の救済がこのままであっていいのか。政治家として本村さんの気持ちに応えなければならない」と小渕総理は涙を浮かべて語った。

その言葉通り、小渕氏は犯罪被害者の救済に邁進し、小渕氏が亡くなる2日前の2000年5月12日には「犯罪被害者保護法」が成立。その後の司法改革の道筋をつけて小渕氏は息を引き取った。

2001年7月には、小渕氏が設置した司法制度改革審議会が最終意見書を提出し、その中に「裁判の過程に国民が参加し、国民の健全な社会常識を裁判の内容に生かす」という文言が書き込まれた。

これが現在の裁判員制度のもとになり、さらには官僚裁判官の相場主義・前例主義により形骸化していた「刑事裁判」を改革する“根本”となったのである。講演では、小渕氏が司法改革に果たした役割と、さらには亡くなる3か月前に本村さんに激励の手紙を出していた秘話を披露させてもらった。

私は、本村さんからその時の小渕氏の手紙を預かり、講演で朗読した。時の総理である小渕氏のこの励ましが孤立無援の闘いを展開していた若き日の本村さんにとって、どれほど心の糧になったかしれない。

そんなことを話して、小渕氏13回忌の私の言葉とさせてもらった。政治家とは何を目指し、何を後世に残すべきなのか。パフォーマンスばかりで、哲学や信念が一向に感じられない現在の政権を担う人々にこそ聴いて欲しかった、と思う。

カテゴリ: 司法, 政治

本村洋さんは何と闘ったのか

2012.02.26

連日、徹夜がつづいている。締切間近の『太平洋戦争 最後の証言』第三部の「大和沈没編」だ。ここ1週間は、光市母子殺害事件の最高裁判決があり、少し執筆から遠去かっていたため、原稿の仕上がりが遅れている。

取材に応じていただいた方々のためにも、貴重な証言をきちんと後世に残したいと思う。戦艦大和の生き残りには、結局、全国で17人お会いすることができた。そのうち昭和20年4月の沖縄への水上特攻で大和が沈没した時、東シナ海の重油の海から生還した方は「14人」にのぼる。

それぞれにさまざまな人生があり、おひとりおひとりが1冊づつの本になるほど、多くの示唆に富んだお話をいただいた。九死に一生を得て生き残った元兵士たちが90歳前後になって私に伝えてくれた事実の数々には息を呑む迫力があり、同時に元兵士たちの深い思いが籠もっていた。

いま取材ノートを整理しながら執筆していると、それぞれの表情が目の前に浮かび、声が聞こえてくるような気がする。貴重な老兵たちの歴史の証言をきちんとまとめて『太平洋戦争 最後の証言』を無事、完結させたいと思う。

さて、この1週間は、マスコミの話題を光市母子殺害事件の最高裁判決が独占した感があった。私が広島拘置所にいる犯人の元少年(30)との面会のことを書かせてもらった月刊誌『WiLL』も、本日、発売になった。

元少年が真摯に罪と向き合っているさまを私は記事の中で描写させてもらった。元少年と面会をつづけていると同時に、私は、この13年間、遺族の本村洋さんにもずっと取材をさせてもらってきた経緯がある。

『WiLL』の原稿を書きながら私が思ったのは、この13年間、「本村さんは何と闘ったのか」ということである。私は、最高裁の判決後、あるテレビ局にコメントを求められて「永山基準」に代わる「光市裁判基準」が示された、と答えた。

しかし、これは、「加害者の年齢」や「被害者の数」を念頭に置いたものではない。永山基準では、あたかも加害者の年齢や被害者の数を絶対的なものとして示したようにマスコミの報道では印象づけられている。

だが、それは事実とは違う。1983年に最高裁で「永山基準」が示されて以後、あたかも「被害者4人」でなければ、少年には死刑が言い渡せないような雰囲気が醸し出されたのは、事実だ。

だが、それは永山則夫が「4人」を殺害したのであって、この最高裁判断を参考にした日本の官僚裁判官たちが勝手に「永山基準」を「被害者4人を示したもの」と解釈してしまっただけのことである。

そこに“相場主義”が生まれ、刑事裁判の形骸化が進む原因があった。今回、もし「光市裁判基準」なるものが示されたのだとしたら、それは「18歳の少年」に「被害者2人」で「死刑判決」を下す、ということではなく、これまでの相場主義を廃し、「個別の事案を真剣に審理する」という“基準”が示されたと解釈すべきだろうと、私は思う。

すなわち「光市裁判基準」とは、少年でも残虐な犯行を起こせば厳罰で臨むというものであり、個別の事案にきちんと対応していくことを示したものと言える。その根本にあるのは、平穏に暮らす人々を犯罪から「全力で守っていく」というものである。

あの判決を考える時に、このことだけは見誤ってはいけないだろう、と思う。なぜなら、本村さんは、そのために「13年」もの間、戦いつづけたからだ。

カテゴリ: 事件, 司法

光市母子殺害事件「最高裁判決」まであと1週間

2012.02.13

光市母子殺害事件の最高裁判決が1週間後に迫っている。そのせいで、ここのところマスコミの取材と問い合わせが相次いでいる。拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮社)を出版して、もう3年半が過ぎ去ったことに感慨は深い。

その間、私は広島拘置所で何度も元少年(30)と面会している。さまざまなことを元少年と話してきたので、そのことについてマスコミからの問い合わせが少なくないのだ。

本村弥生さん(23)=当時=と夕夏ちゃん(11か月)=同=が殺害されたこの事件が発生した時、夫の本村洋さんは23歳、犯人の元少年は18歳だった。やがて事件から「13年」という歳月が過ぎようという今、2人は、それぞれ35歳と30歳になった。

司法制度のあり方に一石を投じた本村さんの長い闘いも終焉を迎える。山口地裁で最初の判決が出たのは、2000年3月のことだった。一審、二審、そして上告審での差し戻し判決、さらには差し戻し控訴審、そして今度の第二次上告審と、今回の判決はこの事件「5回目の判決」となる。

異例の経緯を辿ったこの裁判は、間違いなく日本の司法史に残るものとなった。後世の人たちは、この裁判に対して、一体どういう“審判”を下すのだろうか。注目の判決は、1週間後の2月20日に言い渡される。

カテゴリ: 司法

ついに結審した「光市母子殺害事件」裁判

2012.01.23

夜が来て、東京に雪が降り積もってきた。35日間の乾燥注意報が途切れた先週、ちらほらと雪は舞っていたが、さすがに積もるまではいかなかった。

しかし、今日は夜が更けるにつれて摂氏4度、3度、2度と気温が下がり、ついには雨が雪となり、さらに積もってきた。多摩では相当の積雪と、テレビが伝えている。

さて、今日は昼間、千代田区隼町の最高裁判所に行ってきた。昨日のブログでも書いたように、光市母子殺害事件の第二次上告審が最高裁第一小法廷で開かれたからだ。

昼12時半、最高裁裏門の傍聴券抽選場所に行くと、すでに報道陣が2、30人集まっていた。顔見知りの記者と一緒に並んで傍聴券をもらった。傍聴希望者が31人並んだが、幸いに抽選までには至らず、全員が入廷を許された。

光市から遺族の本村洋さん、九州から本村さんのご両親、そして亡くなった弥生さんのご両親も岡山から駆けつけていた。皆さんとは久しぶりだったので、私も法廷で短くご挨拶した。

元少年の弁護団は、法廷内の弁護人席の第一列に5人、第二列に6人、さらには、傍聴席の第一列にも10人ほどがずらりと並んだ。たった1人だけの検察側とは対象的だ。

午後1時半から始まった弁論では、元少年の弁護団がそれぞれ立ち上がって実に1時間20分にわたって熱弁をふるった。3年間を費やして新たに元少年を精神鑑定した内容を軸に、弁護団は元少年の死刑判決を破棄するよう求めたのだ。

父親の暴力、自殺した母への思いから生じた歪み、未熟な精神発達……等々、多くの事実を指摘しながら原判決の不当性を訴える弁護団と、それにじっと聞き入る本村さん。いつもながら、息を呑むような緊張感が伝わってきた。

安田好弘・主任弁護人は16日(月)に元少年と接見した際のようすや、20日(金)に届いた元少年の陳述書の中身を紹介しながら、1審で元少年が殺意などを全面的に認めた理由について述べた。

「自分は強姦より屍姦が遥かに悪いことだと思っていた。だから、強姦を認めてしまった」「少年事件なので死刑はないと思っていた。でも、検察に死刑を求刑されて恐ろしくなった。死刑を免れるために(検察の)主張を認めて謝ろうと思った」と、元少年が述べたことを明らかにしたのだ。

1、2審での供述より現在の供述こそ「真実である」ことを弁護団は主張し、陳述書として最高裁に提出した。弁護団が言う“新供述”の信憑性を滔々と訴えたのである。

午後3時半、検察側の弁論も終わり、第二次上告審は結審した。閉廷後、本村さんやご両親たちと東京駅の喫茶店に入り、いろいろな話をした。ご遺族は忙しい中、日帰りで東京まで傍聴に来られていたのである。

拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』の取材では、言葉に表わせぬほどお世話になった方々である。事件からやがて13年。長い長い裁判にもうすぐ決着がつく。どんな判決が出ても、これだけの紆余曲折の末に辿り着いた結論には、誰にも否定できない重さがあることを私は信じている。

カテゴリ: 事件, 司法

いよいよ明日「光市母子殺害事件」第二次上告審

2012.01.22

明日1月23日は、光市母子殺害事件の第二次上告審、すなわちこの事件の二度目となる最高裁での弁論がおこなわれる。1999年8月11日に山口地裁で始まった裁判は13年目を迎え、ようやく最終審理へと辿り着いた。

2008年4月22日の広島高裁での差し戻し控訴審で、それまでの無期懲役判決が破棄され、死刑判決を受けた元少年(30)の最後の弁論がついにおこなわれるのである。あの広島での注目の差し戻し控訴審判決からも、すでに3年9カ月が経過したことに私も感慨が深い。

元少年への鑑定に予想以上の時間がかかったことが3年9カ月もの年月がかかった理由だが、私はその間に何度も広島拘置所で元少年に面会をし、さまざまな話をしてきた。30代を迎え、元少年も大人として、いろいろなことを私に語ってくれる。

裁判で見ていた元少年よりも、目の優しい普通の青年が、いつもそこにいる。詳細はここでは触れないが、さまざまな話を元少年とするうちに、多くの新たな“発見”があったのも事実である。いつか、その過程でどんなことを私が感じたかを書かせてもらう機会もあるかもしれない、と思う。

異例の経過を辿ったこの裁判の詳細は、拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)をお読みいただきたいが、私が最初にご遺族である本村洋さん(35)とお会いしてからも、13年近い長い年月が流れた。

愛する妻子を奪われ、負けても負けても闘いつづけ、ついには差し戻し控訴審で死刑判決を勝ち取った本村さんは、最後まで裁判を見届けることに執念を燃やす。一方、最高裁なので、被告の出廷はない。元少年は遠く広島でこの最高裁審理のようすを聞くことになるだろう。

ウォッチしつづけた光市母子殺害事件の審理が終焉に近づいていることを思いながら、被害者とその遺族を蔑ろにしてきた「日本の司法」の根本を変えた本村さんの闘いを見届けるために、私は明日、最高裁に傍聴に行く。

カテゴリ: 事件, 司法

死力を尽くした采配を

2011.11.16

昨夜、出張先の山口県から帰京した。山口県の周南市(徳山)では、光市母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さんと久しぶりに会って、夜おそくまで飲んだ。事件が起こった1999年以来、おつき合いをさせてもらっているので、本村さんとはもう「12年」になる。

事件当時、23歳だった本村さんも35歳。日本の「司法」を変えた本村さんの闘いについては、拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』で詳述させてもらっているので、是非、こちらを読んでいただければ、と思う。

来年2012年は、光市母子殺害事件の最高裁での審理や、裁判員制度の見直しがある年だ。裁判員制度開始から3年目にあたる2012年5月21日から裁判員制度の見直し作業が開始されるのだ。

多くの被害者やご遺族の無念の思いが積み重なって、日本の刑事裁判における官僚裁判官制度が「裁判員制度」に移行した経緯がある。言うまでもなく、本村さんも私も、せっかくできた裁判員制度を守っていかなければならないと思っている。夜おそくまで、そんな話をしながら、徳山の美味しい酒と肴に舌鼓を打った。

私は、山口県(岩国と周南)に出張に行く前にテレビ局の取材を受けていた。例の読売巨人軍の清武英利代表の告発に関するインタビューである。14日(月)朝の「モーニングバード」と15日(火)夕方の「スーパーJチャンネル」という番組だった。いずれもテレビ朝日である。

東京に帰ってきてから、録画していたその番組を見たが、いずれも清武氏に好意的な番組構成になっていた。その流れの上で私のインタビューが使われていたので、ほっとした。覚悟の告発をした清武氏の勇気と野球を愛する気持ちを考えると、私は彼を古くから知っているだけに、少しでも応援をしてあげたいと思う。

野球の番外編はともかく、今日の日本シリーズ第4戦もなかなか見応えがあった。今日もソフトバンクが2対1で勝ち、2勝2敗のタイに持ち込んだ。しかし、ソフトバンクが勝ったからといって、秋山監督の采配には、私は合点がいかない部分があった。

ソフトバンクが2対1で迎えた8回表の1死1塁の場面である。左の三瀬投手からしぶとく1番・川崎がワンアウトからレフト前ヒットを放ってチャンスをつくった時、私は左対左となる2番本多に送りバンドをさせて3番内川のタイムリーを期待するものとばかり思っていた。

しかし、本多はバンドのそぶりもなく、そのままセンターフライに倒れ、川崎を2塁に進塁させることもできなかった。次の内川は代わった浅尾投手から期待通り、レフト前ヒットを放ったが、2塁にランナーを進めていなかったために、ソフトバンクが得点を挙げることはできなかった。

「2対1」と「3対1」とは、相手に与えるプレッシャーは天と地ほども違う。しかし、秋山采配では、その「1点」に対する執着が感じられないのである。その点で、中日の落合監督の采配の方が緻密であり、さまざまな場面で相手に嫌がる作戦を取り得ている。

野球とは、いかに「相手が嫌がる作戦」を取り得るかが勝敗を分けるスポーツだ。秋山采配には、残念ながら日本シリーズのこの4試合でそのことを感じることができなかった。過去、短期決戦で負けつづけたソフトバンクの理由がそこにあるように思う。

明日の試合で勝った方が、日本シリーズ優勝に王手をかける。残りの試合では、「1点」を大切にする両監督の死力を尽くした采配を是非、見てみたいものだ。

カテゴリ: 司法, 野球

小沢裁判で国民は何を思うか

2011.10.11

連日、徹夜が続いている。12月発売の『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」の執筆のためである。600枚の原稿と、目下、格闘をつづけている。

先週も、小沢一郎氏の初公判に関して、ブログで書きたいことがいろいろあったが、徹夜続きでそれも叶わなかった。検察が不起訴にしたこの件を検察審査会が2度も「起訴が妥当」と議決したために始まったこの公判で、小沢氏は“検察批判”を繰り広げるとはお門違いもいいところだった。

まるでトンチンカンな検察批判をおこなった小沢氏は、10月6日深夜に体調不良を訴え、日本医大病院に緊急搬送されたが、その病名は「左尿管結石」だったそうだ。猜疑心が強くて気の小さい小沢氏の“弱さ”を表わす姿だった。

「自殺未遂か?」と色めき立ったマスコミは肩透かしを食ったが、その虚勢ぶりは、初公判直後の記者会見でも表われていた。

「(検察のやり方は)小沢個人を政治的社会的に抹殺するのが目的」「明白な国家権力の乱用であり、生命を奪う殺人以上の残酷な暴力」「裁判は一刻も早くやめるべきである」――小沢氏の口から次々と出てくる異常な文言に、詰めかけた記者たちも息を呑んだ。

それらは、「強制起訴」の不当性を主張するのではなく、「裁判」そのものを否定するものばかりだった。三権分立もへったくれもない。権力者が自分の思うようにいかないことへの苛立ちを駄々っ子のようにぶつけているだけのように感じたのは私だけだろうか。

記者会見では、さらに焦点となっている「4億円の出所」を聞かれて、小沢氏は、「私のお金です。詳しく聞きたければ検察に聞いてください」と言ってのけた。そして、国会の証人喚問に応じるかと質問した記者には、「君はどう考えているの?」と、逆質問し、「三権分立をどう考えているの。もっと勉強してください」と、批判した。

焦りと動揺、それに不安が内面で渦巻いていることが、見る人だれにもわかるシーンだった。健康状態を考慮して危ぶまれた14日の第2回公判は、幸いに予定通り開かれることになったようだ。

しかし、展開次第では今後、「病気」をタテに公判延期を主張してくる可能性もあるだろう。この四半世紀、駄々っ子のようなこの政治家とつき合ってきた国民も、さすがにため息だけが漏れているのではないだろうか。

カテゴリ: 司法, 政治

裁判員裁判が果たす役割とは

2011.07.04

イギリス人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人、強姦致死、死体遺棄の罪に問われた市橋達也(32)の裁判員裁判が本日、千葉地裁で始まった。

リンゼイさんの両親もはるばるイギリスから駆けつけ、緊張のなか市橋の交際女性の供述調書が女性検事によって読み上げられるなど、公判は冒頭から興味深い展開を見せた。

法廷のモニターには証拠品が次々と映し出され、わかりやすく説得力のある主張が双方からおこなわれた。裁判員制度がスタートして丸2年が経ち、日本の刑事裁判が“生きた法廷”となってきたことを実感する。

先週の木曜日(6月30日)にあった千葉大女子学生殺害事件の裁判員裁判では、強盗殺人など7つの罪に問われた被告に「死刑」が言い渡されている。犯行が「冷酷非情」で、短期間に重大事件を繰り返し「更生の可能性に乏しい」というのがその理由だ。

これまで“相場主義”に陥っていた日本の刑事裁判では、被害者が1人の事件で死刑判決が下されることはほとんど皆無だった。だが、裁判員裁判では、そんな司法の悪弊は通じない。たとえ被害者が1人であろうと、相場主義に陥ることなく、個別の事情を徹底的に吟味し、その事案に相応しい判決が下されるのである。

他の事件の刑期を終えてわずか3か月の間に、千葉大の女子学生を殺害し、現金を奪い、さらには放火するなど、犯行の残忍性は目を覆うばかりだった。弁護側は、死刑選択の際の判断基準とされる「永山基準」を引き合いに出し、「被害者1人」を理由に死刑回避を主張したが、裁判員たちには通じなかったのである。

個別の事情に踏み込むことなく、相場によって判決を下してきた官僚裁判官時代の悪弊は、裁判員たちによって“打破”されつつあることは間違いない。2001年6月に司法制度改革審議会の最終意見書で示された「裁判の内容に国民の健全なる社会常識を生かす」という文言が、今まさに実現していることを感じる。

千葉大女子学生殺害事件の判決に関して、ある裁判員は、永山基準に対して、「項目の一つ一つに事件内容をあてはめて判断する必要はないのではないか」と会見で述べている。

国民の常識や量刑感覚を裁判に反映させることなどを目的に導入された裁判員裁判が、さて、市橋被告にはどんな判決を下すのか。予想もつかないだけに、国民の注目はますます集まるだろう。

国民は、裁判員たちの大きな負担によって、「生きた刑事法廷」というものを確実に手に入れつつある。それは、正義というものを国民が官僚裁判官から取り戻したことを物語っている。

カテゴリ: 司法

隠しても隠しても“本音”は出る

2011.03.10

末期の政権とは、まことに哀れなものだ。国民の支持を失って以降の民主党政権に「これでもか」というほど不祥事が続出している。

しかし、その不祥事を、いちいちあげつらっても、もはや虚しいだけだ。極めつきは、菅首相の側近・土肥隆一氏が竹島の領有権主張をやめるよう日本政府に求める「日韓キリスト教議員連盟」の共同宣言に署名したことである。

ご本人は今日の記者会見で、衆院の政倫審会長と党の常任幹事会議長の辞任を表明したが、呆れたのは会見で本人が言ってのけた「国家を背負う意識はあまりなかった。(領有権への言及に)おやっと思ったが“待ってくれ”と言うのはやめた。不注意だった」という釈明である。

竹島を不法占拠した上に、島に建物まで建てて領有を既成事実化してきた韓国の共同宣言に署名した土肥氏が、会見では一転、「竹島は日本固有の領土に(韓国が)黙って入ってきた。不法占拠だ」と言い出したのである。

もはや政治家というより“大人”のレベルではない、単なるお子ちゃまと言った方がいいかもしれない。もともと菅首相自体が市民運動家であり、仙谷由人氏ら韓国贔屓の“反日日本人”たちが集まってつくった政権である。

隠しても隠しても“本音”が出て来るのは当然で、政権末期ともなれば本来の主張が堰を切ったように溢れ出てくるのである。日本がこれ以上崩壊し尽くさない内に早くまともな政権に交代しないものか、と多くの国民が願うのも当然だろう。

それでも自公政権復活への国民の嫌悪感は根強く、いつまで経っても谷垣禎一自民党総裁への期待度は上がらない。むしろ、みんなの党の渡辺喜美代表への期待度が高まって来ているのも頷ける。

今日は、そのほかにも長良川連続リンチ殺人事件の3少年に対する最高裁の判決があった。人間としての憐憫の情がまるでない無惨で残酷なあの事件から17年もの日々が過ぎたのかと思うと私も感慨深い。

この事件は、私自身も取材にあたった経験があるが、死刑以外の選択肢はなかなか見つからないほど冷酷な犯罪だった。

たとえ少年であっても、その罪の重さを軽減させることはできない。人権という名のもとに“加害者の利益”だけが優遇された長い長い偽善社会が終わったことを象徴する判決だったとも言えるのではないか。

多くの犠牲を払ってきたが、次の被害者を出さないために社会が一致して少年犯罪に立ち向かう姿勢を示した判決だったなら、私は今日の最高裁の判断を大いに評価したい。

カテゴリ: 司法, 政治

徹夜の執筆つづく

2011.02.08

4月出版予定の単行本執筆が佳境に入っている。連日徹夜が続いているが、まだまだ仕上げまでは遠い。おそらく今晩も徹夜になるだろう。

そんな中で、昨日は某雑誌が企画した座談会に出席。座談会のメンバーは、作家の大下英治さん、麻生幾さん、そして私の3人だ。内容は雑誌が発売になるまで伏せさせていただくが、大下さんも、麻生さんも大変闊達、かつ雄弁にお話をされていた。

二人は週刊文春出身で、私は週刊新潮の出身である。その三人が集まったら、大体どういう座談会になったかは想像がつくかもしれない。

今日は、執筆の合間に松戸で講演会があり、そちらにも出かけてきた。テーマは「裁判員制度はなぜ必要なのか」というもので、いかに官僚裁判官によって日本の法廷が“セレモニー化”され、とんでもないものになってきたかを述べさせてもらった。

いつの世でも「正義を貫く」ことは簡単ではない。しかし、正義も、それを守る気概も、すべてを失った日本の官僚裁判官たちが、裁判員制度の導入がなければ「目が覚めなかった」ことは確かだろう。

これまでの著作で、私はそのことを書き続けているので、関心がある方は、是非、私の司法関係の著作をお読みいただきたいと思う。

わかりやすい例も最近あった。週刊現代の大相撲八百長告発記事は昨年10月、大相撲協会に対する名誉棄損が認定され、最高裁が「損害賠償3960万円」という史上最高額の賠償を確定させたばかりだ。

つまり、司法はつい3か月前に「大相撲に八百長はない」ことを高らかに宣言し、メディアを断罪し、真実を完全に「見誤った」のである。4000万円近い賠償をメディアに科し、言論の自由という民主主義の根幹を揺るがせつづける日本の官僚裁判官たちの姿がそこにはある。その判決にかかわった官僚裁判官たちに、今回発覚した大相撲の八百長問題をどう思うのか、是非聞いてみたいものだ。

通常国会での質疑のことなど、ブログに書きたいことは沢山あるが、とにかくしばらくは徹夜での原稿執筆が続くので、機会を改めさせていただきたく思う。

カテゴリ: 司法, 随感

法務大臣の仰天発言

2011.01.21

江田五月法相が本日の閣議後の記者会見で、日本の死刑制度について「(いったん執行すると)取り返しがつかない。制度としてあることが世界中の状況からみていいのかどうかも考える時期に来ている気がする」と発言したそうだ。

そのニュースを見ながら、わが目と耳を疑った。法の番人であり、執行者でもある日本の法務大臣が、「(いったん執行すると)取り返しがつかない」という発言をして、死刑制度への疑問を投げかけたのである。

江田法相は、菅改造内閣が発足した夜(14日)にも、「死刑というのはいろんな欠陥を抱えた刑罰だ。国民世論や世界の流れも考え、政治家として判断すべきものだ」という発言をしている。

この人は、どのくらい死刑制度というものを知り、当事者や被害者の実態を知った上でこんな発言をしているのか、ふと知りたくなった。少なくとも、法を執行する責任者が軽々に語れる言葉ではない。

私がそう思ったのは、同じ内閣発足後の会見で、こんな発言も江田法相がしていたからだ。「もともと人間はいつかは命を失う存在だ。そう(執行を)急ぐことはないじゃないかという気はする」――。

この発言の“軽さ”は、なんなのだろうか。「そう(執行を)急ぐことはないじゃないか」という発言には、何の罪もない家族を惨殺され、日々、絶望と地獄の中を彷徨(さまよ)っている犯罪被害者遺族たちへの人間的な思いがいささかも感じられない。

私は、どうしてもこれまで会って来た多くの犯罪被害者遺族の顔を思い出してしまう。おそらく江田法相には「被害者の苦しみや無念の声が届いたこともないだろうし、それを知ろうとする感性もないのではないか」と思う。

死刑という制度がなぜ存在しているのか。人間の命の尊さをとことん追及した上で、この制度の中で苦悩し、それを勝ち取った人たちの物語を、私は「なぜ君は絶望と闘えたのか-本村洋の3300日」(新潮社)で著した。

拙著を原作とするWOWOWのドラマWスペシャル「なぜ君は絶望と闘えたのか」(主演・江口洋介)は、昨年12月、2010年度文化庁芸術祭のテレビドラマ部門の大賞を受賞した。

折しも、明日(22日)、芸術祭大賞の受賞を記念して、同作(前・後編)が再放送される。愛する家族を奪われた人間がいかに苦悩し、絶望の中にいるのか、その実態も知った上で、法の執行者としてさまざまなことを考えて欲しい。

是非、江田法相もご覧になって「何か」を感じていただきたく思う。

カテゴリ: 司法

大林宏検事総長「辞任」に思う

2010.12.17

今日の朝刊各紙には、大林宏検事総長(63)が年内に辞任することを決めた、という記事が一斉に掲載されていた。 

大阪地検特捜部の証拠改竄隠蔽事件の責任を取るという。後任は、笠間治雄・東京高検検事長(62)が有力なのだそうだ。

「この検事総長は何だったのか」「情けない」――感想を言わせてもらえば、申し訳ないが私にはそんなものしか出て来ない。

今の検察の迷走をそのまま現わした「当時者能力がまるで欠如した検事総長」だったということだけである。在任わずか半年。検事総長という“地位”だけに満足した「それだけの人物」に過ぎなかったということではなかっただろうか。

私がそんな感想を抱くのも、「この人物を検事総長に据えるために多くの人間がどのくらい苦労したか」ということをどうしても思い出してしまうからだ。

検察官の定年は63歳である。ただし、検察のトップに君臨する検事総長の定年だけは「65歳」だ。

つまり、次期検事総長とされる人物(たいていの場合は東京高検検事長)が63歳の定年を迎える前に、検事総長はその人物に自分の地位(検事総長)を譲らなければならない。

大林氏に検事総長を譲った当時の検事総長・樋渡利秋氏が定年を迎えるのは2010年8月だった。一方、大林氏が63歳の定年が来るのは2010年6月だった。つまり8月に自身の定年を迎える樋渡検事総長が、その2か月前の6月に「大林氏に譲ることができるか」というところにポイントがあった。

私はこれに大いに注目していた。なぜなら小沢問題を抱えて、この時、検察は民主党の小沢グループの激しい揺さぶりを受けていたからだ。

小沢グループを中心に湧き起こっていたのは、「検事総長の民間登用」という主張である。脛に傷を持つ小沢サイドは、検察を牛耳るために検事総長を「自分の思い通り動かせる人物」にすげ変えることを目論み、ざまざまな工作を展開していた。

「民間登用」といっても、実質上、弁護士が就くという意味である。実際にあるヤメ検弁護士の名前が取り沙汰され、その人物は「小沢一派に自分を売り込んでいる」という噂が司法界で盛んに流れていた。

だが、鳩山由紀夫首相(当時)が普天間問題その他で国民の支持を失い、鳩山首相自身が小沢サイドのゴリ押しを受け入れることができなくなった。つまり、検事総長の民間登用の可能性が逆に後退していったのだ。

その末に誕生したのが「大林宏検事総長」だったのである。いわば大林検事総長は、政界に対して検察が「生き残ることができた」象徴だったとも言える。

しかし、大林氏本人の能力については、かねてから疑問の声があった。政界と毅然と立ち向かう姿勢があるとは思えず、実際に小沢事務所の元秘書3人を逮捕しながら、「小沢本人を引っ張ること」に消極的で、捜査の現場から激しい反発を食らっていた。

それでも、小沢氏の息のかかった弁護士が「民間登用」され、すべての疑惑が封殺されるよりは、まだ「ましだった」のである。

しかし、大阪地検特捜部の証拠改竄隠蔽事件が発覚しても、この人は何も手腕を発揮することができなかった。

今や「取り調べの可視化」が当たり前のように話し合われている。しかし、取り調べはテレビのインタビューではない。必死で隠そうとする被疑者の魂を揺さぶって“真実”を炙りだすのが取り調べである。

そんなところにビデオを持ち込んで誰が本音を語るだろうか。どうして被疑者をビデオの前で説得することができるだろうか。

権力者をターゲットにする疑獄をはじめ、取り調べが可視化されることは、イコール「捜査の形骸化」をもたらすことになるのは当然である。

そんな事態で不利益を被るのは主権者たる国民自身なのである。そのことに何の抵抗もできないまま去っていく大林検事総長。私が、「この検事総長は何だったのか」「情けない」という感想しか持てない所以は、そこにある。

カテゴリ: 司法

生きた「刑事法廷」の時代へ

2010.12.11

注目の鹿児島での老夫婦強殺事件の裁判員裁判で検察の「死刑」の求刑に対して、昨日、「無罪判決」が出された。検察側が犯行の決め手の証拠と主張した現場の指紋や掌紋、DNA鑑定について、いずれも「犯人であることを断定するには至らない」とされたのだ。

それは、99・8%を誇った日本の刑事裁判の有罪率が崩れた瞬間でもあった。官僚裁判官と検察とのなれ合いとも言うべき「世界に類例を見ない高い有罪率」は、裁判員たちには「通じなかった」のである。

この判決を聞いて、私には「生きた刑事法廷」という言葉が浮かんだ。今回の裁判で、私が注目したのは「この証拠で果たして死刑判決が下せるのか」という点だった。検察側の自信とは裏腹に、被告の犯行とするには「合理的な疑い」が次々と浮かぶ不十分な立証について、である。

老人を執拗に殴打しつづけた“憎悪の犯行”に対して、検察は被告の恨みを何ひとつ証明できず、金銭目的とされながら、金目のものは現場に残され、しかも、被告が強盗殺人をしなければならないほど切迫した経済的困窮状態にはなかったことが法廷で明らかにされていった。

それでも、これまでの官僚裁判官制度のままなら、判決は「死刑」となった可能性が高いだろう。99・8%の日本の過去の驚異的な有罪率はそれを示している。

“官”同士である裁判官と検察官には、お互いがお互いを「尊重する」という奇妙な連帯心理が存在する。

裁判員制度に付随した「公判前整理手続」がスタートする以前は、検察は証拠を恣意的に法廷に出したり、出さなかったりすることが可能だった。

つまり、検察は犯行の立証に不利な証拠は法廷に提出しなくてもよかったのである。それを支えたのが官僚裁判官による“有罪を前提にした”訴訟指揮だ。

官僚裁判官が99・8%の驚異的な有罪率を維持するためには、検察サイドが提出した「検察にとって都合のいい証拠」に寄りかかればそれでよかった。それ以外の証拠の申請を弁護側がやってきても、法廷の全権を握る官僚裁判官である自分が“却下”すればそれで済んだのだ。

しかし、公判前整理手続のスタートによってそんな恣意的な法廷運営は許されなくなった。捜査当局は、要請されれば「類型証拠」と呼ばれるすべての証拠を公判前整理手続の場に悉く提出しなければならなくなったのである。

これは、捜査にあたった警察官の警察手帳からメモ類に至るまで、すべての提出を「求められる」もので、弁護側にとっては「冤罪を防ぐ」ためには実に大きな意味を持つものである。

今回の裁判での焦点は、侵入口とみられる掃き出し窓の網戸から細胞片が採取され、そのDNA型が被告のものと同一と鑑定され、現場で採取された指紋・掌紋のうち11点が被告のものと特定されたことを「どう見るか」だった。

しかし、凶器のスコップからは被告の指紋も出ず、ほかに検出された指紋・掌紋への検証もきちんとおこなわれてはいなかった。

100回を超えるスコップによる激しい殴打は、犯人の強い恨みを感じさせるが、71歳の被告の体力的な問題など、検察は弁護側が提示する疑問点に明確な答えを導き出すことができなかったのである。

この検察側の不完全な立証で、裁判員たちが最後に辿り着いたのは「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の大原則にほかならなかった。

裁判員制度が始まる前に、反対論者たちは「素人の判断で冤罪が増える」と口々に唱えていたことを思い出す。だが、今回の判決で、実際には最初から「有罪」と結論を決めて、長く99・8%という驚異的な有罪率を維持してきた官僚裁判官より、よほど一般国民である裁判員たちの方が“公正中立”であったことが明らかになったと言える。

日本の刑事裁判は、これまでの官僚裁判官時代と異なり、「生きた法廷」となったのである。結論(判決)は予想もつかず、それぞれの裁判員たちが真剣に評議を展開し、虚心坦懐に目の前の事案を判断する本来の刑事法廷の時代がついに「日本にやって来た」のである。

カテゴリ: 司法

裁判員制度の本来の意味とは何か

2010.12.06

アメリカから無事、夜遅く帰国した。サクラメント空港が濃霧で飛行機の離発着ができなくなり、急遽、ユナイテッド航空がサンフランシスコまで私たち乗客を「バス」で運び、ぎりぎり成田行きの国際便に間に合った。

霧で視界が100メートルもないハイウエイを、バスが “命がけ”の高速で突っ走るという貴重な経験だった。明日(6日)はTBSのNスタにコメンテーターとして出演することになっているので、内心ヒヤヒヤした。

それにしても有意義なアメリカ取材だった。90歳前後の日系人、中には100歳を越えて矍鑠(かくしゃく)としている老人にも取材させてもらい、彼(か)の地での日系人たちの苦難の歴史の一端に触れさせてもらった。次の作品も、感動のノンフィクションになりそうだ。

成田に着いたら、今日の産経新聞朝刊の3面に顔写真付きで私の原稿が掲載されていた。先週に寄稿したものだが、予想以上の大きな記事になっていた。

「“相場”排し 目覚めた法廷」というタイトルで、裁判員裁判の本来の意義をこれまでの官僚裁判官制度と比較して私なりに論じたものだ。

形骸化され、儀式(セレモニー)化された日本の刑事法廷が確実に変わりつつあることを私は原稿の中で詳しく書かせてもらった。

光市母子殺害事件の被害者の夫である本村洋さんら、多くの人々が流した血と涙によって、今の裁判員制度が導入されたことをわれわれ国民は忘れてはならない。

明日以降も、裁判員裁判では難しい判断が迫られる案件が目白押しだ。しかし、それぞれの法廷でどんな判決が導き出されるか、まったく予想がつかない。

官僚裁判官が長い間、培ってきた“相場主義”という司法の悪弊が「打破されつつある」ことを私は実感している。


カテゴリ: 司法

裁判員裁判「初」の少年への死刑判決

2010.11.25

筆舌に尽くしがたい残虐性と悪質性だった。本日、裁判員裁判で石巻の18歳少年に下った死刑判決には説得力があった。裁判員たちは、18歳という年齢が「死刑を回避する理由にはならない」と判断したのである。

2008年4月、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決で、それまでの「犯行時の年齢」を絶対視する傾向が変わり、“最初から結論が決まっている”という形骸化した刑事裁判の審理は過去のものになりつつある。

少年は今年2月、仲間を連れて元交際相手の18歳少女の実家に押し入り、少女の姉と知人の女子高生を刃渡り18センチの牛刀で刺し殺し、また、その場にいた少女の姉の知人男性も刺して大けがを負わせた。

犯行の残忍性や冷酷さ、容赦のなさは、「少年の犯罪性向の強さ」を物語っている。今回の裁判員たちは、少年の反省の言葉の“深みのなさ”まで徹底的に議論し、少年の更生の可能性を否定したのである。

国民が、一生に一度という裁判員としての役割を果たし、そもそもの制度の主旨である“健全な社会常識”を毅然として示した結果と見ていいのではないだろうか。私は、裁判員たちが下した判断に敬意を表したいと思う。

過去の判例だけに縛られ、判決を“相場”でしか考えられなかった日本の官僚裁判官。ここのところ裁判員裁判で死刑をめぐる難しい判断がつづいているが、私は裁判員がそれぞれの役割を立派に果たしていることに感慨を覚える。

2001年6月の司法制度改革審議会の最終意見書で提言された「裁判の内容に国民の健全な社会常識を生かす」という“目的”が着実に達成されつつあるのだ。官僚裁判官だけが法廷のすべてを牛耳っていた時代とは違う“正義”が、国民の手によって築き上げられている。

司法は確実に変貌を遂げている。本日、「判決に対するコメントが欲しい」と読売新聞から連絡が入り、私なりの感想を述べさせてもらった。

記者会見に臨んだ今日の裁判員もそうだが、日本国民の知的水準と健全なる社会常識は立派に裁判員の職務に応えられるレベルにあることを証明してくれた、と私は思っている。

カテゴリ: 司法

「苦悩」と「叡知」を示した裁判員たち

2010.11.01

注目を集めた裁判員裁判「耳かきエステ店員」殺害事件で本日、東京地裁は、無期懲役判決を下した。

私もこの判決には注目していた。裁判員制度に反対していた司法の専門家やそれに追随するジャーナリストたちの「反対」の理由は、つまるところ、「素人に何がわかるか」ということに尽きていたと言っていい。

苦労して司法試験に合格して、その上でお互いを「先生」「先生」と呼び合って、権益を享受し、「ギルドを形成してきた」法曹たちにとって、一般国民が自分たちの世界に「分け入ってくる」ことなど許すべからざることだったのだ。

「素人に何がわかるか」というのは、この裁判員制度の導入をもたらした2001年6月の司法制度改革審議会の最終意見書に盛り込まれた「裁判の内容に国民の健全な社会常識を生かす」という文言に対する司法界の反発を表わしてもいる。

だが、日本の官僚裁判官たちがつくり上げた裁判の形骸化、セレモニー化についての弊害は、拙著「裁判官が日本を滅ぼす」(新潮文庫)、「激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将」(WAC)、「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」(新潮文庫)等々で繰り返し指摘してきた通りだ。

個別の審理に目を向けず、刑事裁判の法廷をただの“セレモニーの場”に貶めてしまった日本の官僚裁判官。その悪弊を国民が打破しなければならないところまで追い込まれた末の「司法改革」だったことを忘れてはならない。

今日の判決に対して、「素人は感情に流される」、あるいは、「裁判員制度によって“厳罰化”は必至」と批判してきた人々はどういう感想を抱くのだろうか、と思う。

裁判員たちは今回、真っ正面から「死刑」、すなわち人間の“生と死”というものに向き合い、喧々囂々の議論の末に「無期懲役」という結論を導き出したのである。

遺族の叫びでもあった「死刑」をそれでも選択しなかった裁判員。判決後の記者会見でも内面の苦悩と葛藤を語る裁判員がいた。

ひとつの判決を出すまでに、ここまで真剣に向き合った裁判員たちの姿を見て、私は、国民が官僚裁判官から「ついにこの国の正義を取り戻したのだ」という思いを強くした。司法は国民の参加によって“形骸化”という悪弊を確実に打破しつつあるのである。

「素人に何がわかる」と、ひたすら裁判員制度をつぶすために動いて来た法曹より遥かに高い見地で、裁判員たる一般国民は、その“見識”を天下に指し示したのである。

カテゴリ: 司法

小沢「証人喚問」の勧め

2010.10.16

小沢一郎氏を「起訴すべし」とした検察審査会の議決について小沢氏側が昨日、「議決は無効だ」と取り消しを求める行政訴訟を起こした。さすがに、これには素人はもちろん、司法の専門家の間からも疑問の声が上がっている。

「起訴すべし」という検察審査会の判断は、あくまで刑事裁判に関わるものである。これに「議決無効」で対抗するということは、今後、起訴された容疑者(刑事被告人)は、そのこと自体に「異を唱えることができる」ことになる。驚天動地の発想である。

小沢氏が自分の事務所の隅々まで目を光らせ、独断で秘書たちが政治資金規正法の“虚偽記載”ができるような状況にないことは、これまでのさまざまな小沢陣営の内部告発で多くの国民が知っている。

言うまでもなく、“虚偽記載”という行為を小沢氏本人が「承知していた」という証言や供述も存在する。しかし、刑事裁判で堂々と自らの主張を展開するのかと思ったら、小沢氏は「違う」のである。

検察審査会の結論に「無効」を訴えて行政訴訟を起こすとは、通常の社会常識を持った人間には、もはや呆れてモノも言えない類いの話と言える。まして小沢氏は国民の負託を受けた政治家である。

昨年の検察審査会法の改正による「強制起訴」の制度は、2001年6月に司法制度審査会の最終意見書に端を発する。

「裁判の内容に国民の健全なる社会常識を生かす」という画期的な文言が入れられ、のちの裁判員制度や、この検察審査会法の改正につながっていった。だが、検察は、有罪率99・8%という数字にこだわり、起訴して無罪になれば「出世の道が断たれる」とまで言われる世界だ。

しかし、国民は、検事の出世などなんの関心もない。あるのは、真相の解明である。刑事訴訟法の総則第一条に「事案の真相解明」が真っ先に謳われているように、刑事事件においては何より真相解明が優先されなければならない。

「これは裁判で負ける可能性がある」と思って起訴を取りやめ、99・8%の有罪率にこだわりつづけるなら、それは検察が起訴独占主義に甘え、国民の「期待」に背を向けていることを意味する。

だからこそ「国民の健全なる社会常識」に照らして、小沢氏は強制起訴となった。小沢氏は、刑事裁判の法廷で事案の真相解明を果たせば、いいのである。それは、同時に小沢氏も政治家としての役割を果たすことを意味するのである。

しかし、小沢氏は、そうした広い意味の政治家としての使命や役割がまるでわかっていない。こんな政治家が権力を握る政党が日本を支配しているのかと思うと、言葉もない。

私が注目するのは、小沢事務所にかつて勤めていた元秘書の存在だ。マスコミの取材に答えて、小沢事務所の実情を伝えてきたこの元秘書の告発内容は極めて価値が高い。

国会にこの元秘書を招致することから私は「第一歩が始まる」と考えている。民主党もくだらない反対など続けていないで、この元秘書と小沢氏の証人喚問を実現させればいいのである。

どちらが虚偽を述べているか、国民の前にすぐに明らかになるに違いない。司法制度改革の意義も、国民の健全なる社会常識を生かすための検察審査会法改正の意味も、小沢氏はもっと真摯に勉強するべきだろう。

少なくとも国会招致ぐらいは、自ら「俺はどこへでも出て行く」と言うくらいの見識があってしかるべきなのである。

カテゴリ: 司法, 政治

主任検事「電撃逮捕」の意味

2010.09.21

障害者団体向け割引郵便制度をめぐってニセの証明書が発行された「郵便不正事件」で、証拠品として押収したフロッピーディスクを改竄(かいざん)していたとして、最高検は今夜、証拠隠滅容疑で、大阪地検特捜部の前田恒彦主任検事を電撃逮捕した。

「ああ、あの時と同じだ」と、私は17年前の事件を思い起こした。1993年、ゼネコン汚職で静岡地検浜松支部から東京地検特捜部にやって来た応援検事が、贈賄側の会社幹部から供述をとるために、取り調べの間中、壁に向かって長時間立たせたり、平手で数十発殴ったり、あるいは足蹴にしたりして、暴行の限りを尽くした事件である。

机の上に置いていた捜査資料に「血が飛び散る」という常軌を逸した取り調べをおこなったこの検事は、週刊新潮でその実態が暴露されるや、特別公務員暴行陵虐致傷罪によって、電光石火の「逮捕」となった。

メンツを極めて重んじる検察の体質が成せるワザだが、これにはほかにも思惑がある。断乎たる検察の姿勢を示すことで国民に「これは特異な人間による特異な犯罪である」という認識を植えつけるのである。つまり、事件が「個人の資質に帰するもの」であることを広く印象づけることにより、検察本体への打撃を小さくするのだ。

今回もむろん同様だ。世間に検察の腐敗を糾弾する声が満ちる前に、毅然として「身内を逮捕」したポーズを示し、その批判をかわそうというわけだ。

しかし、ここで個人の問題として今回の事件が「収束すること」は果たしていいことなのだろうか。

以前のブログで私は特捜部の捜査を「パーツ捜査」と評した。検察では、あらかじめ上層部が描いていた“筋読み”や“見立て”通りの供述をとってくる捜査検事が優秀とされ、出世が約束されていくという基本的な体質がある。

つまりパーツ(部分)しか与えられていないのに、参考人を脅し、恐怖を植えつけて無理にでも「供述をとってくる」人間こそ、検察は持て囃してきたのである。

その検察の姿勢こそ問題の本質なのに、そこがウヤムヤにされれば、今回の事件の教訓も、また将来に「何も残されない」ことになるだろう。

問われているのは、検察の能力の劣化と体質そのものである。公判検事の質の低下も各方面で取り沙汰されているが、検察が抜本的な出直しをするには、徹底的な教育によって捜査検事の“質の向上”をはかるしかない。

こつこつとした地動な教育と、現場で叩き上げていく経験の重要性を、検察はもう一度問い直さなければならないのである。

今日のTBSのNスタで、私は“上”ばかりを目指す検事たちの「出世」志向の体質と、捜査検事としての使命感とモラルの崩壊について、コメントさせてもらった。

検察が、驕りを排して、抜本的な出直しができるかどうか。今晩の電光石火の逮捕劇が、逆にそれを遠去けるものにならないことを祈るばかりだ。

カテゴリ: 司法

村木元局長「無罪判決」に思う

2010.09.10

村木判決の衝撃が今日は司法の世界を終日、揺るがせた。障害者団体割引制度を悪用した郵便不正事件で、偽証明書の作成を部下に指示したとして虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた村木厚子・厚生労働省元局長(54)=起訴休職中=。

本日、大阪地裁で横田信之裁判長は「村木被告が作成を指示したとは認められない」として、無罪(求刑・懲役1年6月)を言い渡した。「局長が関与した厚労省の組織的犯罪」とした検察側の構図は完全に否定されたのである。

「調書は検察のでっちあげ」――次々と公判で捜査段階の調書が否定され、異例の展開を辿った裁判は、ついに「無罪」という一審判決に辿り着いたのである。

今日、テレビを見ていると、こういう事態を二度と招かないために「取り調べの可視化」の必要性を唱える弁護士が何人も意見を披歴していた。

だが、待って欲しい。大阪地検特捜部の「杜撰な捜査」と、取り調べの「可視化」を同列に論ずる弁護士たちの意見に騙されてはいけない。

取り調べとは、テレビのインタビューではない。「あなたは人を殺しましたか?」と聞かれて、それを犯人が認めるほど取り調べとは「簡単なもの」ではない。

捜査官は自らの全人格をぶつけて犯人の心を揺さぶり、魂に訴えかけて自供を引き出していく。これまで多くの“落とし”の刑事がいたのと同じく、検事の中にも多くの人情派が存在し、数々の殺人事件や疑獄を炙り出してきた歴史がある。

今回の杜撰な検察の捜査は、徹底的な内部調査が必要だ。なぜ、誰が、これほどの無理な構図を描いたのか。

私は検察の特捜捜査をかねて“パーツ捜査”と呼んでいる。検察官にとって憧れの職場である東京と大阪の地検特捜部。多くの検事がここで「一度はやらせて欲しい」と考えている。

しかし、与えられるのは、大きな疑惑の中の“パーツ”(部分)の捜査に過ぎない。全体像を把握することなく、パーツを与えられ、そこに検察幹部が思い描く構図通りの供述を引き出した者のみが優秀とされ、捜査検事としての出世が約束されていく。

司法試験に合格し、エリート意識が極めて強い検察官は、“パーツ捜査”にもかかわらず、上層部の評価を得ようと必死で“上”が望む供述を得ようとするのである。つまり、被疑者をなだめ、すかし、さらには脅しによって“パーツ捜査”を完成させようとするのである。

今回の捜査の問題点は、まさにそれが典型的に出たことにある。徹底的な調査と再発防止が必要であることは言うまでもない。一方で、東京地検特捜部は小沢一郎の元秘書3人を政治資金規正法の虚偽記載容疑で逮捕しながら、肝心の小沢逮捕に踏み切れず、検察審査会に「起訴相当」の刃を突き付けられているのは周知の通りだ。

大権力には尻っ尾を巻き、中央省庁の局長クラスが相手なら、崩れることを承知でも「無理な構図」を描き出したのである。

この検察の大失態を理由に、またぞろ「取り調べの可視化」を主張する人たちの勢いが増すかと思うと、私は暗澹(あんたん)たる思いになる。

取り調べがビデオの監視のもとに行われ、取り調べが形骸化して真犯人が取り逃がされ、大変な損害を被るのは、平穏に暮らす我々国民であることを忘れてはならない。

村木局長の冤罪を示す判決が出たことにホッとしながらも、今後の犯罪捜査や取り調べに“可視化の流れ”が定着することに、私は大きな不安を感じている。

カテゴリ: 事件, 司法

菅首相が枕を高くして眠るには……

2010.06.13

仕事の合間を縫ってなんとか全日本大学野球選手権の決勝戦を観に行って来た。最初にこの大会を見たのは1979年だったから、すでに30年以上も観つづけていることになる。

今年の決勝戦、東洋大学(東都大学連盟)対東海大学(首都大学連盟)の激突は、例年にも増して好投手の対決となった。

昨日のブログでも書いたように東洋の本格派左腕・藤岡と東海の150㌔右腕・菅野という来秋のドラフトの目玉“3年生エース”の対決となった。

しかし、昨日の慶応大学戦で17奪三振の菅野は連投となり、一方、藤岡は中1日の休養を得ている。「その差が出る」と予想したが、案の定、菅野は日頃の剛腕が影をひそめ、一方、藤岡は快速球とスライダーを自在に操り、強打の東海大打線を翻弄した。

試合展開を追いながら、絶対にミスを見せない東都のチームの強さを改めて感じた。東海大学は首都大学リーグで無敵の10戦全勝。しかし、東洋は中央の澤村投手に2敗を喫するなど、このシーズンで「3敗」しての逆転優勝だった。

つまり、東洋は苦戦の中から這い上がってきており、一方、東海は強豪チームとの競り合いが少なかった。野球というのは、そういう凌ぎ合いの経験の有無が勝敗を分けるスポーツである。東洋の喫した「3敗」こそ、両者の“力の差”となるわけである。

終わってみたら強豪に揉まれた末に全日本選手権に出場してきた東洋に、やはり1日の長があった。結果は5対0。その差は、東都と首都という2つのリーグ戦の切磋琢磨のレベルの差であったと思う。これで23回目の最多の優勝を記録した東都。秋の明治神宮大会、そして来年の全日本に向けて、ほかのリーグの奮起を望みたい。

さて、話題は変わるが、政界では、菅内閣の“反小沢”の姿勢がますます鮮明になっている。当ブログでもずっと指摘しつづけてきた検事総長の民間登用が実現せず、大林宏・東京高検検事長の検事総長昇格が決まった。

民間登用と称して、自らの息のかかった弁護士を検事総長に就けようとした小沢氏の望みはついに叶えられなかった。検察は、これによって対小沢戦争で“息を吹き返した”のである。

菅首相が枕を高くして眠るには、小沢氏の政治権力が完全に「失われること」にある。検察はそのことをよく知っている。つまり、再び小沢vs検察の仁義なき戦いが始まるのである。興味は尽きない。

カテゴリ: 司法, 野球

新政権と検事総長人事

2010.06.02

鳩山総理の辞任は、車の両輪であった「小沢」「輿石」両者の“続投ノー”の意思表示があった以上、当然のことだった。

車は「車輪なし」では動けないのだから、これが外れた段階で、辞任せざるを得なかったわけである。しかし、昨日のブログでも書いたように、最後に「国民に信を問う」という鳩山氏自身が野党時代に広言してきたことも「実行できなかった」のはみじめこの上なかった。

小沢氏を“道連れ”にしたことだけが功績と言えるだろうが、この人の言うことはどこまでが本当か判断できないところがつらい。辞任は「決めていた」が、小沢さんに一緒に辞めてもらうために辞任が「1日遅れた」という説明は、果たしてどこまで信用できるのだろうか。

これまでさんざん嘘ばかりついてきた鳩山さんは、総理辞任後のぶら下がり会見でも、どこまで本当を語っているのか、記者たちも掴みかねている。つまり、鳩山さんは、最後まで“宇宙人”を貫いたわけである。私は、鳩山さんが民主党代表に就いた昨年5月16日付のブログでこう書いた。

「政治家はもともと“二枚舌”が武器かも知れないが、この人の場合は、その奥に、深みも思想も哲学も、何も感じさせないところに特徴がある。自分たちの当落を左右する代表選に、鳩山と岡田克也という“元代表”しか担ぎ出せない硬直した体質にこそ民主党の宿命と悲劇がある。鳩山代表の再登場に、自民党幹部たちの高笑いが聞こえてくる」と。

鳩山氏は、自分を担いでくれた小沢氏のあやつり人形となって総理の座は勝ち取った。しかし、能力も識見もない鳩山氏には、この9ヶ月間は針の筵(むしろ)だったに違いないと思う。

民主党内の情報を聞くかぎり、いよいよ菅直人時代が幕開けするようだ。良し悪しは別にして、菅氏は鳩山さんより「政策」や「信念」について、それなりのものを持った政治家であることは間違いない。

“イラカン”と称されるほど、短気でイライラするという欠点はあるものの、厚相時代に薬害エイズ問題で厚生官僚たちを唖然とさせた剛腕の持ち主である。鳩山氏のように「どうにでも操れる」政治家でないことは確かだ。

自民党幹部たちは菅氏を評して“過去の人”と揶揄しているが、これまでの高笑いは完全に消え去った。参院選が鳩山政権下でおこなわれれば「大勝」は見えていたのに、その空気は新政権発足でかき消されるからだ。

仮に菅政権が誕生するならば、さっそく彼は世間をあっと言わせる内閣を発足させるべく動くだろう。その目玉、すなわちサプライズが何になるのか予想もつかない。しかし、逆に斬新な内閣をスタートさせられなければ、新政権も短命で終わる。なぜなら参院選という国民の意思表示がすぐにあるからだ。

世間が期待するのは、新政権が「ツケを子孫に残す」ばら撒きをどこまでストップできるかである。さらに言えば、小沢氏の処遇だ。今回、権力の座を去ることに最後まで小沢氏が抵抗したのは、検察との闘いが存在するからにほかならない。

検事総長への民間人登用――すなわち自分の思い通りになる弁護士を検事総長に就かせ、対検察との戦争に最終決着をつけようとした小沢氏が、大林宏・現東京高検検事長の検事総長就任を「阻止できない」となると、検察は対小沢戦争で「息を吹き返す」ことになる。

今月63歳の定年の誕生日を控えていた大林氏は、「退任か」「検事総長就任か」の瀬戸際にいた。それだけに、今回の小沢幹事長の辞任劇はより一層意味を持つのである。

小沢氏の新たな疑惑摘発に特捜部が動けるか否か、という視点において、鳩山さんが小沢氏を道連れにしたのは極めて大きな意味をもつものだったと言える。

そして気になるのは朝鮮半島情勢だ。隣国の一触即発の事態に、日本も政治的空白は許されない。要は、新政権は難問山積なのだ。日本には、今こそ“剛腕総理”が求められている。


カテゴリ: 司法, 政治

小沢氏vs検察、最後に笑うのはどっちか

2010.04.27

民主党の小沢一郎幹事長による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件は、本日、検察審査会によって「起訴相当」という判断が出た。

元会計事務担当で衆院議員の石川知裕被告らとの共謀を認め、「関与」が認定されたわけである。

検察審査会は、昨日、鳩山首相の母親からの隠れ献金&脱税事件を「不起訴相当」としていただけに、2日続けて「不起訴相当」が出れば、検察審査会の存在意義そのものが問われるところだった。その意味では、“予想通り”の結果と言っていいかもしれない。

そして、これまた“予想通り”小沢氏は、世間の反応など「どこ吹く風」で幹事長職に居座った。小沢氏がここまで幹事長職に固執するには理由がある。

ひと言でいえば、「検察との闘い」だ。小沢vs検察の闘いは、目下、佳境を迎えている。今回の「起訴相当」の判断を俟(ま)つまでもなく、小沢氏は政治資金規正法違反だけでなく、政党交付金の私物化疑惑をはじめ、自らの意産構築のためにおこなったさまざまな疑惑が存在する。

検察は、威信にかけてこれを摘発したい。だが、小沢氏は、ここに検事総長への「民間人登用」というウルトラCを用いることで、検察の方針そのものを変えようと目論んでいる。

その闘いの期限は、6月16日だ。なぜなら6月17日が来ると、次期検事総長の大林宏東京高検検事長が63歳の定年を迎え、検事総長になることなく「退官」を余儀なくされるからである。

その時点で、検事総長の「民間人登用」が正式決定するわけだ。小沢氏の意向を受けて、検事総長になりたい御仁は目白押し。自薦他薦で、小沢氏のもとには数々の“検事総長候補者”の情報が集まっていると聞く。

小沢氏が枕を高くして眠るには、自分の息のかかった検事総長を誕生させるしかない。そのために彼は必死なのだ。

しかし、今日の検察審査会の結果は、小沢氏の動きを牽制する効能がある。小沢氏の露骨過ぎる工作は今後、大反発を食らうことになるからだ。

小沢vs検察は、第二幕に突入した。このまま検察が“音なし”の構えを続ければ、今度は検察が国民の支持を失うだろう。すなわち両者とも「剣が峰に立たされた」わけである。

小沢氏と検察、最後に笑うのはどっちか。興味は尽きないが、いま時点で言えることは、民主党政権がそれでも「小沢氏の首に鈴をつけられない」ことで、国民の失望感は極限まで達する、ということである。

鳩山内閣の支持率は、遠からず10%を切ることになるだろう。参院選は、管総理で闘うのか、それとも岡田総理か。こっちも目が離せない。

カテゴリ: 司法, 政治

変わりつつある司法

2010.03.27

司法が変わりつつある。

昨日の足利事件の再審判決公判のニュースは感慨深かった。公判の最後に宇都宮地裁の佐藤正信裁判長は、菅家利和さん(63)に対して、謝罪した。

「事件につきまして自戒の意味を込めて菅家さんに謝罪させていただこうと思います」

「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年間の長きにわたり自由を奪ったことを再審公判を担当した裁判官として謝罪します。申し訳ありませんでした」

「二度とこのようなことを起こしてはいけないとの思いを強くしました。今後の菅家さんの人生に幸多きことをお祈りします。菅家さんの思いを胸に刻み、再審公判を終わります」

こう述べたあと、佐藤裁判長以下、3人の裁判官は起立し、菅家さんに深々と頭を下げたのだ。

それは、これまでの裁判官では、とても考えられない行動である。自分とは関係のない過去の判決に対して、再審公判を担当した裁判官が謝罪する――それは「司法が変わりつつあること」を証明する象徴的なシーンだった。

黒い法衣をまとい、人より一段高いところから判決を下し、自らを“神様”と思っているのか、というぐらいに「傲慢な存在」だった日本の裁判官。その彼らが“国民の目”というものを意識しなければならない時代が「ついに来た」のだと思う。

拙著「裁判官が日本を滅ぼす」で描写した数々の実例は、「判決がすべて」というひと言ですべての責任から逃れてきた裁判官の驕りと思い上がりを指摘するためのものだった。

今回の謝罪は、もはやそれでは国民の理解が得られないことを彼らが悟ったことを表している。「裁判の内容に国民の社会常識を反映する」という司法制度改革審議会の最終意見書をきっかけに動き出した裁判員制度が、ここまで「裁判官の意識を変えた」とも言える。

司法の世界ですら変わらざるを得なくなったのである。政治も、経済も、あらゆるものすべてが「殻を脱していく時代」が来ているということだろう。

その足利事件の再審判決公判があった昨日、夜になって、早稲田大学野球部の面々が事務所にやって来た。大学の卒業式を終え、いよいよ社会人になる面々と、今まさに就職試験の真っただ中にいる新4年生、あわせて8人だ。さっそく事務所で焼き肉パーティーを挙行した。

ひとつの道を突き進んだ彼らが、どんな社会人になるのか楽しみだ。野球から、歴史から、就職の話まで、酒を酌み交わしながら、彼らと夜遅くまで話し込んだ。何人かはそのまま泊まっていったが、若い人たちの意見はいつ聞いても新鮮だし、刺激になる。

人間というのは、知らず知らず、型にはまってしまうものだ。いつも自分を戒めて、新たなものを書いていきたいと思っている私も、それは同じだ。若い人たちの意見を刺激にしながら、新たな作品への意欲が湧いてきた1日だった。

カテゴリ: 司法, 随感

検察とマインドコントロール

2009.12.19

昨日、東京拘置所に井上嘉浩被告に面会に行って来た。12月10日の最高裁判決で死刑判決が下されたばかりである。

さまざまな話をしたが、彼から私にひとつの要望があった。死刑判決を厳粛に受け止めている、と語った井上被告は、同時に「オウム裁判は法律的な吟味として、これでいいのか、という思いがあります。門田さんは司法の著作をいろいろ書いておられるので、門田さんの眼でオウム裁判をもう一度、見直していただければ、と思います」と語った。

獄中で贖罪の日々を送る井上被告は、「二度とこういう悲劇を繰り返してはならない」と何度も語った。だが、被害者遺族の胸に井上被告の償いと自戒の言葉が響くところまでいっていないのも事実だ。なぜなら、何の罪もないのに理不尽に命を断たれた人々の無念の思いは「消える」ことはなく、遺族の悲しみも「癒える」ことはないからだ。

一方で、地下鉄サリン事件の散布役(実行犯)で、1人の死者も出なかった丸の内線の横山真人の死刑が確定し、2人の死者を出した千代田線の林郁夫に無期懲役が下されるなど、オウム裁判には矛盾が目立つ。

いや林郁夫には、そもそも検察が無期懲役しか求刑していないのである。共同正犯には、「一部行為の全部責任」の原則が適用されるはずなのに、この慶應大学医学部卒業の秀才医師に検察は「死刑を求刑していない」のだ。

あるマスコミ幹部が、私に「検察は林郁夫にマインドコントロールされたんだよ」と語ったことがある。司法エリートである検察官が、優秀な慶應医学部卒のエリート医師に「死」ではなく、「生」を与えたのである。エリートはエリートを助く、ということなのだろうか。

自らが罪を被ることを厭わず、地下鉄サリン事件におけるリムジン謀議を法廷で初めて暴露し、麻原彰晃の共謀共同正犯立証の中核となった井上嘉浩。オウム法廷の検察側の立証は、大部分が井上証言に拠ったと言っても過言ではない。しかし、林郁夫と井上嘉浩への検察の対応は、天と地ほども違ったのである。

取調官をも“マインドコントロール”する力を林郁夫は持っていたのだろうか。それは被告がエリートゆえだったのだろうか。このままオウム裁判が終結していくことに私は、大いなる疑問を抱いている。

カテゴリ: 事件, 司法

風化しない「オウム事件」

2009.11.19

朝10時頃からぽつりぽつりと降り始めた雨は、午後には次第に強さを増していた。私が千代田区隼町の最高裁判所南門に着いた時、すでに傍聴を求める希望者の列が雨を避けるテントの中に3列になってできていた。

今日午後1時半から、オウムの諜報省大臣で地下鉄サリン事件等にかかわった井上嘉浩被告の最高裁の弁論が開かれた。私は傍聴希望者の抽選がおこなわれる予定の12時50分の寸前に最高裁にすべり込んだ。

最高裁第一小法廷での弁論に傍聴券41枚に対して希望者が68人並んだが、無事、私は傍聴券を得た。第一小法廷の最前列の席を得た私の隣には、井上被告の両親が座っていた。私はかつて井上被告の獄中書簡の特集記事を週刊新潮誌上で発表したことがある。

そんなわけで井上被告のお父さんとは、以前から親しくさせていただいている。今日は、弁護側、検察側双方の弁論があり、一審の無期懲役と二審の死刑判決という「判断が分かれた」注目の井上裁判の最後の審理となった。

地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム事件から実に14年という年月が過ぎている。井上被告の両親も初めてお会いした頃に比べ、顔の皺がすっかり深くなった。加害者家族の苦悩の歳月が窺える。

今日の弁論では、特に仮谷さん拉致をめぐる監禁致死の攻防が興味深かった。果たして仮谷さんの死に対して、井上被告の監禁致死は成立するのか否か。仮谷さんが村井秀夫と中川智正に引き渡された時、村井が「塩化カリウムでも打つかな」と言って殺害を仄めかすくだりなどは、戦慄を覚えるシーンと言える。また地下鉄サリン事件の前夜から当日にかけての実行者たちとのやりとりもリアルに再現されていった。

事件から14年以上が経過しても、まだまだ風化しない重みがオウム事件にはある。その中で重要な役割を演じた“アーナンダ”こと井上嘉浩。獄中で反省の日々を送る息子に、一縷の“生”の望みを託すご両親、そして被害者席に顔を見せた遺族たちの表情には、逆に今も癒されない複雑な思いが見てとれた。

さまざまな思いが交錯する最高裁第一小法廷で、井上被告の“最後の審理”は終了した。私は、この狂気の集団でさまざまな役割を果たした井上がその後、獄中で送った壮烈な悔恨の日々をいつかは描かなければならないと思っている。

最高裁を出た私は、その足で母校中央大学に向かった。「裁判員制度が問いかけるもの」というテーマで講演が予定されていたからだ。

午後7時。予定の2時間を過ぎても、熱心な学生から私にはまだ質問が浴びせられていた。学生の探究心に「さすが」という思いがする。その後、立川に場所を移して打ち上げの飲み会。中大の後輩たちに、久しぶりに若さとパワーをもらった1日となった。

カテゴリ: 司法, 随感

熊本城の秋

2009.10.17

今週は、水曜(14日)木曜(15日)と2日つづけて八代、熊本で講演があり、久しぶりに熊本に行って来た。講演のテーマは、「裁判員裁判が問いかけるもの」。ここのところ裁判員制度に関する依頼がやはり多い。

「裁判官が日本を滅ぼす」「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」「激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将」と、司法に関わる本を3冊出しており、特に私のように官僚裁判官制度の弊害の具体例を挙げながら語る講師は少ないようだ。

熊本の人は、裁判員制度に対する関心は薄いように感じたが、ちょうど熊本での裁判員裁判第1号がおこなわれている最中で、それぞれ長時間熱心に耳を傾けてくれた。

講演の合間に熊本城を訪れた。酷暑で知られる熊本にもすっかり秋が訪れていた。ちょうど秋祭りの最中で、城はいつも以上の賑わいを見せていた。熊本城は、「銀杏(ぎんなん)城」という別名を持つ。加藤清正が自ら植えた銀杏は今はないが、明治に植えられた大銀杏が、観光客を迎え、見下ろしている。

戦国の猛将・加藤清正がつくったこの難攻不落の名城は、石垣を見れば、その凄さがわかる。この城が実際に“難攻不落”であることが証明されたのは、築城から270年もの歳月を経てからのことである。

明治10年、西南戦争において、西郷隆盛率いる1万4000人の薩軍が熊本城に押し寄せた。熊本鎮台司令長官・谷干城は、4000人の兵力で52日間にわたって熊本城を守り抜く。清正が要所要所に配した武者返しが威力を発揮し、ついに薩軍は一人も城内に侵入することができなかった。

熊本城が簡単に落ちていれば、薩軍の勢いは増し、九州全体の不平士族が西郷のもとに馳せ参じていた可能性もある。そうなれば、西郷軍は船によって一気に東京を突いたかもしれない。この戦争が単に「西南戦争」という名では終わっていなかったかもしれないのである。

歴史に「もしも……」は禁物という。しかし、実際にこの難攻不落の名城を訪れると、どうしても「if」を考えてしまう。加藤清正が死ぬのを待っていたかのように豊臣家攻略を始めた徳川家康。時移り、明治の御代(みよ)に薩軍をストップさせた熊本城。

この城は歴史のダイナミズムを感じさせる不思議な力を持っている、といつ来ても思う。

カテゴリ: 司法, 歴史

衰えない「裁判員制度」への関心

2009.09.27

昨日は母校中央大学の駿河台記念館での講演と、早稲田大学の英字新聞の取材を受けた。いずれもテーマは「裁判員制度」。裁判員裁判についての関心の高さが伺われる。

欠陥だらけのこの制度だが、着実に“効果”を挙げていることを私は感じている。すでに全国の11地裁で14の裁判員裁判がおこなわれた。当初の予想通り、官僚裁判官に比べて「量刑」はやや重くなったが、これまでの形骸化した刑事裁判では見られなかった国民の息遣いが、そこからは聞こえてくる。

刑罰権を独占しておきながら、被害者遺族を石ころ同然に扱い、検察のストーリーに沿って法廷を無難に運営し、求刑の八掛けで判決を書き、裁判を単なるセレモニーの場に眨めてしまった日本の官僚裁判官たち。その呆れた日本の刑事裁判が今、国民の力によって正されつつあることを実感しているのは私だけだろうか。

問題点はさまざまあるが、明治23年からつづく官僚裁判官制度を破壊する“巨大爆弾”としての役割を着実に果たしている裁判員制度。多くの負担を強いられるとはいえ、正義を自分たちの手に取り戻すために、国民はその役割を果たしていって欲しいと思う。

カテゴリ: 司法

気骨の判決

2009.08.17

昨夜のNHKドラマ「気骨の判決」はおもしろかった。吉田久という実在の裁判官が太平洋戦争下、大政翼賛選挙で、さまざまな圧力をはね返して“選挙無効”の判決を下すまでを描いたドラマだった。

これは新潮新書の「気骨の判決」という本を原案にしている。著者は、NHKの清永聡記者。歴史に埋もれていた裁判を掘り起こして「現代」にその意味を問うた労作だった。

しかし、この番組宣伝にもドラマのモトとなった本のことは一切紹介されず、実際の番組でもエンドロールに、わずか一行、「原案」として紹介されたに過ぎなかった。あまりにエンドロールが画面に流れるスピードが速かったため、ほとんどの視聴者が、本の題名すらわからなかったのではないか。

一つのネタが掘り起こされ、それが一冊の本となるまでには多くの壁を乗り越え、膨大な労力を費やさなければならない。しかし、ドラマ化やドキュメンタリー化する制作者側には、そのことに対する意識や敬意が感じられない場合が多い。

今回もその典型だった。自分たちスタッフの名前だけは目立つように配し、もとになった本が軽視される傾向はマスコミの「良心」としていかがなものかと思う。

ドラマが“力作”だっただけに、そのことが余計惜しまれる。

カテゴリ: マスコミ, 司法, 歴史

原爆記念日に想う

2009.08.07

今日は、早朝からニッポン放送「上柳昌彦のお早うGoodDay!」にゲスト出演した。裁判員裁判第1号の判決を受けて、4日前に続いての出演である。

昨日は、原爆記念日でもあり、また裁判員裁判第1号の判決の日でもあり、意義深い1日だった。拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)もフジテレビの「ザ・ノンフィクション」で取り上げてくれたこともあり、原爆記念日と相俟って反響が大きくなっている。本日、文藝春秋から重版の朗報も届いた。

一発の原爆が生んだ悲劇を康子さんの日記は克明に記している。粟屋家を襲った64年前の悲劇と、戦時下の青春群像を描かせたもらった私は、この日をいつもの年以上に厳粛な気持ちで迎えたのである。

64回目の原爆記念日は、日本の司法にとっても画期的な1日でもあった。国民注視の中で裁判員裁判で判決が出たのだ。検察側の懲役16年に対して判決は「懲役15年」。これまでの官僚裁判官制度ならば、「求刑の8掛け」というのが相場であり、懲役12年か13年という判決が下されていたに違いない。

しかし、新しい裁判員裁判では、日本の司法の悪弊であるこの“相場主義”が見事に打破されたといえる。正義を見失った日本の官僚裁判官に対して痛烈なアンチテーゼとも言えるこの制度。生まれたばかりのこの制度を国民が今後どう生かしていくのか、注目したい。

今日は、午後、「新潮45」の連載「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の取材で那須塩原温泉まで行ってきた。昭和38年9月場所の大鵬vs柏戸全勝対決の秘話を取材するためである。

和泉屋旅館の田代社長には、本日、随分お世話になった。この日の取材で得られた知られざるエピソードを是非「新潮45」誌上でご紹介したい。

明日からいよいよ甲子園開幕。今年はどんなドラマが生まれるのか、グランドを凝視していきたい。


カテゴリ: 司法, 随感

いよいよ「裁判員裁判」が始まる

2009.08.02

明日3日から、いよいよ日本で初めての裁判員裁判がスタートする。

明治23年以来つづいてきた日本の「官僚裁判官制度」が変わる画期的な日である。第1号の対象となるのは、足立区の「隣人殺人事件」だ。担当弁護士は、私の友人でもある伊達俊二弁護士。中大法学部卒業の先輩であり、東京第二弁護士会の刑事弁護委員会委員長も務めたベテラン弁護士だ。

裁判員候補者は、明日午前中に東京地裁に“出頭”し、裁判員としての「選任手続き」を受けなければならない。70数名が選ばれており、その中から裁判員6名、補充員3名が選ばれる。検察側も弁護側もお互い4人づつを“拒否”できるが、あとは誰が選ばれるか全くわからない。そこから先は、「抽選」だというのだ。そこまで来ても裁判員候補者たちの運次第というシステムになっている。

この場に正当な理由なくして出頭しなかった場合、10万円の過料が科せられる。しかし、裁判員制度反対の人たちから「出頭の強制は憲法違反だ」という声も出ているので、10万円の罰金を科すことなど、とてもできないだろう。つまり、出頭しない人がたとえ多くても、裁判所は事実上、何もできないわけである。

これは、国民にとっては「出頭しない」という選択肢もあることを示している。そして、同時に「出頭しない人」があまりに多かった場合、この制度が「破綻する」ことも意味している。

私が「裁判官が日本を滅ぼす」(新潮文庫)、「激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将」(ワック)等で繰り返し述べてきたように、これは「国民一人一人が、日本の正義を官僚裁判官から取り戻せるかどうか」が問われるものである。

注目の裁判員裁判。全国で600を超える模擬裁判がおこなわれてきたが、いよいよ何もかも初めての「司法の大変革」が明日、まさにスタートするのである。


カテゴリ: 司法

浮き足だつ「永田町」

2009.06.27

昨夜は、弁護士の伊達俊二氏と月刊誌の女性編集者と3人で、秋葉原の四川料理屋で食事した。

伊達弁護士は、裁判員裁判の第1号として8月初めに開かれる足立区隣人殺人事件の担当弁護士だ。久しぶりに会った伊達弁護士は、準備に忙殺されてか、いささか疲労気味だったが、それでも途中からいつもの意気軒高ぶりを発揮し、大いに飲んだ。

裁判員制度の意義と問題点をめぐって、さまざまな話が出たが、こういうプロに裁判員裁判の「第1号」がまわってきたことは喜ぶべきことだろう。ガチガチの反対派ではなく、かといって推進派でもなかった伊達弁護士だけに、「第1号裁判」を終えて、どんな感想を持つのか、今から楽しみだ。

さて、永田町では、いよいよ麻生降ろしが本格化している。対抗する麻生官邸も自民党三役の交代人事で求心力復活を目論むなど、あの手この手だ。だが、もはや何をやっても麻生氏が政権を維持することは無理だ。

7月5日の静岡知事選、12日の東京都議選。この結果次第で麻生首相は、一気に求心力を消失する。そうなれば、解散を打つどころか、自民党総裁選を前倒しする意見に押され、麻生首相は惨めな末路を迎えることになる。

つまり、その前に解散を打つしかないところまで追い込まれているのだ。本日、テレビ出演した民主党の岡田克也幹事長は、「7月2日解散、8月2日投票の可能性が高まってきた」と発言している。このまま麻生首相が解散権まで縛られて、「座して死を待つ道」を選ぶかどうかを考えた場合、おそらく静岡知事選のまえに解散に踏み切らざるを得ないだろう、という予測だ。

政敵にまで求心力消失を心配されているわけである。麻生氏にとっては、いわば“破れかぶれ解散”だ。

政権が崩壊する時というのは、こんなものだ。「あの時、こうしておれば……」と、後年ふりかえったら、麻生氏は自らの失態の連続に歯嚙みするに違いない。最大のものは、このブログでも指摘してきた“木の葉が沈み、石が浮く”ほどの愚かな選択だった西川日本郵政社長の続投劇だ。

いずれにせよ、“敵失合戦”の末の不毛な政権選択をこの夏、国民は行わなければならない。鳩山由紀夫民主党代表にも、哲学、識見、政権担当能力、いずれも疑問符がつくだけに、有権者は頭が痛い。

カテゴリ: 司法, 政治

取り調べ「可視化」への疑問

2009.06.11

「足利事件」で釈放された菅家利和さん(62)が、取り調べの全過程の録画・録音(可視化)の必要性を訴えている。

今回の件では、またしても栃木県警か、という思いを抱いた人は少なくないだろう。何度も助け出すチャンスがありながら、警察に見殺しにされ惨殺された栃木リンチ殺人事件の被害者・須藤正和さん(当時19歳)のことを思い出した人もいるに違いない。

今度は、何回か引き返すチャンスがあったにもかかわらず、ひたすら“無実の人間”である菅家さんを牢獄へと追い込んだのである。栃木県警の思い込みの激しさ、杜撰な捜査手法、あやふやな証拠さえ吟味できない官僚裁判官……など、この事件は多くの問題点を浮かび上がらせてくれた。

今回の大失態にかかわった警察、検察、裁判官――それぞれに国民は怒りを感じている。しかし、今回のことをきっかけに「取り調べの可視化」まで実現しようというのはいかがなものだろうか。

民主党の法務部門会議が本日、菅家さんを衆院議員会館に招いたそうだ。そして、取り調べの全過程を録画・録音する必要性を訴えた菅家さんの話に熱心に耳を傾けたという。

弁護士でもある民主党の細川律夫議員は「冤罪の起きない仕組みを作ることが我々の使命」と述べた。まことに立派な考えで私にも異論はない。

だが、「可視化実現」に熱心な細川議員に聞きたい。テレビのように「カメラがまわっているところ」で、果たして被疑者の口から「真実」を引っ張り出す取り調べというのはできるものでしょうか?

もっとわかりやすく言えば、被疑者というのは、マイクさえ向けたら、簡単に被疑事実を認めたり、否定したり、「真実」を語ってくれるものでしょうか? 取り調べというものは、それほど簡単なものなのでしょうか?

私は、取り調べというのは、捜査官と被疑者との「魂」と「魂」のぶつかり合いだと思っている。“泣き”もあれば、“怒り”もあるだろう。たしかなことは、捜査官がこれまで生きてきた全人生をぶつけて被疑者の魂を揺さぶり、説得しないことには、真実の告白は得られないということだ。真実を告白したら厳しい罪に問われる被疑者が「簡単に口を開くわけはない」という理屈は子どもにだってわかるだろう。

取材もある面、似ている。人を説得して、心の奥底にあるものを引っ張り出して真実を語ってもらうためには、取材者自身の「人生」が問われる。相手の魂を揺さぶらなければ、人は信頼もしてくれないし、真実も語ってくれないものだ。

「全人格」をかけて説得する大変な作業が「カメラの前でできる」と思っている民主党の人たちの感覚には首を傾げざるを得ない。可視化になれば、取り調べが形骸化していくのは確実だろう。そうなれば、「真犯人」を取り逃がし、「新たな被害者」が生まれる事態になることを民主党は考えたことがあるのだろうか。

守るべきものは何か。その根本を見失った議論になってはならない。

カテゴリ: 司法, 政治

犯罪被害者の人たちと会って……

2009.06.01

昨日は、NPO法人「ひょうご被害者支援センター」のシンポジウムに招かれた。基調講演として「被害者参加制度について考える」というテーマで1時間にわたって話をさせてもらった。親交のある神戸・酒鬼薔薇事件の被害者である淳くんのお父さん、土師(はせ)守さんから「どうしても頼む」と言われたものである。

当初、新型インフルエンザの影響で中止も懸念されていたが、兵庫県民会館11階の「パルテホール」の座席は、100人を超える人たちでほぼ満席になっていた。

私の基調講演のあと、「犯罪被害者の会(あすの会)」の顧問弁護団の一人である後藤啓二弁護士、同会幹事の林良平氏、関西テレビ記者の豊島学恵氏の4人でパネルディスカッションとなり、都合3時間、いろいろ話をさせてもらった。

国家、そして司法とは何を守るものなのか、という根本問題について、自分なりの意見を述べさせてもらった。集まってくれた人の中には実際に犯罪によって愛する肉親を失った人も少なくなく、共感していただけたことがシンポジウム後の懇親会でわかり、ほっとした。

本来の役割を放棄した司法、驕りと独善によって国民の信頼を失った官僚裁判官。私の主張していることは、一貫して変わっていないが、犯罪被害者、そしてその支援をしている人たちには、理解していただけたと思う。

深い哀しみを胸に私のジャーナリズム活動をあと押ししてくれる人たちと直接話をすることができ、また明日への勇気が湧いてきた1日だった。

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小渕総理の涙

2009.05.27

昨日、朝日ニュースターテレビの「ニュースの深層」の収録にいってきた。宮崎哲弥氏をメインキャスターとする1時間番組だ。

裁判員制度について、キャスターの宮崎哲弥氏、アシスタント役のジャーナリスト横田由美子さん、そしてゲストの私の3人で話し合う番組だった。本日の午後8時からの放映だそうだ。

宮崎氏は私を「数少ない裁判員制度容認のジャーナリストです」と紹介していたが、たしかに法曹関係者、ジャーナリズムを見渡しても裁判員制度を支持・容認している人は数少ない。

この問題に関して、失礼ながら「木を見て森を見ず」の方々がいかに多いか改めて感じさせられる。裁判員制度の欠陥をあげつらって反対している人たちがほとんどだが、ならばこれからも「官僚裁判官制度」を続けていけ、と彼らは言いたいのだろうか。

官僚裁判官の問題点や彼らがいかなる“トンデモ判決”を続けてきたかは、拙著「裁判官が日本を滅ぼす」(新潮社)、「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」(新潮社)、「激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将」(ワック)で詳しく書かせてもらっているので、こちらをご覧いただきたい。

番組の中でも詳しく述べさせてもらったが、この裁判員制度は、“小渕総理の遺産”である。2000年3月22日に時の小渕恵三総理が涙を浮かべて発言した内容こそが、官僚裁判官による「形骸化した裁判」を破壊する巨大爆弾となった。

前年7月に内閣に司法制度改革審議会を設置していた小渕総理は、この日下された光市母子殺害事件の一審判決(無期懲役・於山口地裁)に異例のコメントを発している。

被害者遺族である本村洋さんは、「司法に絶望した。控訴・上告は望まない。被告を早く社会に出して欲しい。この手で殺す」「遺族だって被害から回復しないといけないんです。人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには、死ぬほどの努力をしないといけないんです」と涙の会見をおこなった。この会見をテレビで見た小渕総理は、直後に記者団に囲まれ、「無辜の被害者への法律的な救済がこのままでいいのか。本村さんの気持ちに政治家として応えなければならない」と涙を浮かべてコメントしたのである。

一国の総理が、特定の犯罪被害者遺族の名前を挙げて、取りようによっては「行政の長が司法に介入するのか」と批判される可能性さえあったコメントを発したのだ。取り囲んでいた記者たちは、小渕総理の熱い思いに驚いた。だが、小渕総理はこの11日後に倒れ、約1か月後に死去した。

2001年6月、小渕総理が設置した司法制度改革審議会は、最終意見書を内閣に提出する。これを受け取ったのは、新たに総理となっていた小泉純一郎氏である。その中には、「一般国民が、裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全なる社会常識を反映」することが謳われていた。

それは、独善と相場主義に陥った日本の官僚裁判官に対して痛烈な一矢を放つものだった。やがてそれは、「裁判員制度」につながっていったのである。

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裁判員制度はどう育つのか

2009.05.21

いよいよ裁判員制度がスタートした。早朝にフジテレビの車に迎えに来てもらい、今日は「とくダネ!」に出演した。

新型インフルエンザ等のニュースのために、かなり時間的に押していた。そのため、私の発言時間も短かったが、昨日の同じ番組でちょっと気になったことがあったので、今日はそれも踏まえて解説させてもらった。

裁判員裁判によって「冤罪が増える」と批判する人がいるが、その意見には首を傾げる。裁判員制度の副産物ともいえる「公判前整理手続」の意義がわかっていないからだ。実は今、この手続によって、捜査サイドは大わらわなのだ。

この手続のもとでは、弁護側から要求された供述録取書などの「類型証拠」はすべて提出される。これまでの裁判では、検察側が有罪を立証するために必要な証拠だけを提出していれば許されたが、この公判前整理手続はそれが通用しない。

弁護側が要求すれば、極端な話、すべての供述録取書は言うまでもなく、警察手帳や留置場の配膳記録さえ、証拠として提出しなければならない。ただ検察のストーリーに沿って判決を下せばよかった「官僚裁判官」の時代は終わったのである。

この制度は、運用次第で国民の利益にもなり、逆のものにもなる。裁判員制度が、今後どういう道を辿っていくのか、興味は尽きない。

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裁判員制度と「国民の自覚」

2009.05.18

いよいよ今週、裁判員制度がスタートする。本日の読売新聞夕刊(7面)にも、元裁判官の井上薫氏と私との対論本『激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将』(WAC出版)が取り上げられていた。

井上氏と私の見解をわかりやすく説明した上で、相違点と共鳴する点をきちんと書いている。関連本がつぎつぎと発刊される中でこの本を取り上げてくれたことは有り難いことだ。最近、官僚裁判官制度の弊害を指摘する私の意見に同調者が増えていることをひしひしと感じる。

自分たちの権益を守ろうとする法曹関係者が「裁判員制度」を葬ろうとすることは当初から予想されていた。あのプライドの高い人たちが、自分たちが“一般国民”と同じ地位にまで降りることを認めるはずがなかったからだ。

だが、日本の正義が官僚裁判官によって貶められ、裁判自体がここまで形骸化してきた以上、司法制度改革審議会の意見書にも記述されたように「国民の健全な社会常識」を法廷に持ち込むことしか、これに抗する術がなかったのだと痛感する。

長い年月を経れば、組織や制度が腐敗してくるのは宿命でもある。明治23年からつづく日本の「官僚裁判官制度」も例外ではない。今こそ、多くの欠陥は抱えているものの、この裁判員制度の歴史的意味を国民一人一人が自覚する時が来たように思う。

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裁判員制度スタートまで「あと2週間」

2009.05.07

今朝未明、7月に出版するノンフィクション作品およそ600枚を脱稿し、紀尾井町の担当編集者Sさんにメールで送った。この連休は、おかげで徹夜つづきだった。

ほっとしたのも束の間、明日は講演で四国に行く。息をつく暇もない感じだが、忙しいのはありがたいことだ。ゴールデンウィークもあとわずか。大型の5連休が終わったので、東京も活気を取り戻しつつある。

本日、某民放テレビから裁判員制度に関して出演依頼があったが、いよいよ2週間後には、この新制度がスタートする。明治23年以来つづいてきた官僚裁判官制度に「ノー」を突きつける制度だけに、その意義を生かせるかどうかは、すべて国民の側にかかっている。

新たな時代の到来を感じる。長い間にすっかり腐ってしまった日本の官僚裁判官制度。司法が変わらなければ、「正義」は失われる。はかり知れない意義をこの新制度は持っている。

期待したい。

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「死刑」と「無期懲役」

2009.04.18

『別冊宝島――「死刑」と「無期懲役」』(宝島社)が本日、事務所に送られてきた。サブタイトルに「あなたは死刑判決を下せるか」とある。

いよいよ裁判員制度が目前に迫っていることをひしひしと感じる。およそ1か月後の5月21日には、泣いても笑っても裁判員制度がスタートするのである。明治23年以来続いてきた日本の「官僚裁判官制度」が改革される画期的な日である。

この『別冊宝島』の26ページから8ページにわたって私のインタビュー記事が掲載されている。同誌編集部から依頼を受け、宝島社で約3時間にわたって取材を受け、編集部でまとめてくれたものだ。

私のインタビュー記事には、「裁判員制度」が“トンデモ判決”を撲滅する――というタイトルの下、“「死刑志願の男」星島被告を無期懲役にした官僚裁判官の「限界」”との見出しがついている。編集部の要望に応じて、今年2月に判決が下された江東区“神隠しバラバラ殺人事件”を中心に、光市母子殺害事件などの裁判について、私なりの意見を述べさせてもらった。

死刑か、無期懲役か。たしかに、刑罰の中でこの「差」ほど大きいものはない。文字通り、「生」と「死」を分ける判決である。日本では死刑存置派と廃止派が今も激論を交わしている。マスコミの関心がそこを向くのも当然だ。

さまざまなポイントが凝縮されたこの問題に、私も一定の考えを持っている。しかし、確実に言えることは、人(被害者)の命が「相場」によって決められてはならない、ということである。

長い時間を使って「裁判」をすっかり形骸化させてしまった日本の官僚裁判官。国民が真の正義が争われるべき「法廷」を彼らから取り戻すことができるか否か。裁判員制度の意義に多くの人に気づいて欲しいものである。

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刑務所の「内」と「外」

2009.03.31

今日はかつて取材でお世話になったオウムの元信者と久しぶりに会いました。別件で逮捕された彼は、刑務所生活を2年近く送っていました。

彼の口から語られる刑務所生活は、悲惨ではあるものの、どこかユーモラスで報復絶倒でした。「先生」と呼ばなければならない看守とどう気脈を通じるか、雑居房の仲間たちと摩擦を起こすことなくいかに付き合うか、懲罰を受けないための心構えとはどんなものか……彼が語る意外な話の連続に笑い転げました。したたかな彼は、これからもこの調子で逞しく生き抜いていくでしょう。

同時に、彼と話しながら「オウム裁判」が過去のものになりつつあると感じざるを得ませんでした。「死者28人、死刑判決13人」を出した未曾有の大事件が、国民にとって記憶の彼方へと遠去かりつつあるのは確かでしょう。

現在、司法の世界は大変革の真っ只中。裁判の迅速化を大眼目とする「裁判員制度」が5月から始まります。これまで法曹三者によって、思いっきりチンタラ時間をかけておこなわれてきた日本の裁判が否応なくスピードアップされていくのです。

その秘密は裁判員制度の副産物とも言える「公判前整理手続」にあります。このあたりは、井上薫元裁判官と小生との共著『激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将』(WAC)をご参照ください。

いずれにしても、2009年は司法に限らず、あらゆる面で「大変革の年」と言えます。エキサイティングな時代に生きていることを改めて感じます。

カテゴリ: 司法

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