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襟を正せ「全柔連」「相撲協会」

2013.03.28

柔道と相撲――日本を代表する2つの武道を率いる巨大組織の存在意義が問われている。26日に開かれた全日本柔道連盟(全柔連)の臨時理事会と評議員会で、上村春樹会長(62)は“予想通り”辞任しなかった。

いや、それどころか、外部有識者による第三者委員会を設置することを決定し、上村氏本人が、その第三者委の提言を具体化するための「改革・改善実行プロジェクト」のプロジェクト長に就任したそうだ。

「はあ?」と、わが耳を疑った人は少なくないだろう。日本スポーツ振興センター(JSC)からの助成金を理事が不正に受給していた問題や女子柔道の暴力・暴言問題等々、すべての責任がある上村氏が、よりによって、その「改革・改善実行プロジェクト」を実施する責任者として今後も「君臨する」というのである。

最大の責任者である上村氏が地位に恋々として「開き直る」ことができるのが、柔道の世界のようだ。私は、今後、日本の柔道がいかに「道理」を説いても、もはや世界から笑いものにされるだけだろう、と思う。

いつから日本の柔道というのはこんな世界になってしまったのだろうか。そして、上村という人物は、なぜここまで出処進退をわきまえない人物となってしまったのだろうか。

昨年のロンドン五輪の男子柔道の大敗(金メダルゼロ)を受けても、当初、篠原監督を続投させたが、世間の非難が集まるや一転、辞任させたのも上村氏だ。

その後の女子柔道の暴力・暴言問題の告発も「隠蔽」に見事に失敗した。実績や指導力の欠如した明治大学柔道部の後輩・園田隆二監督を当初、庇(かば)ったが、ことが表面化して庇いきれないとみるや、これまた一転、切って捨てたのも上村氏だ。

ついには、JSCの助成金の不正受給問題まで発覚しても、それでも全柔連会長の地位にしがみつき、地方組織だけでなく、自らの足元からも非難の狼煙(のろし)が上がった。

「地位に恋々とする」というのは、「往生際が悪い」という言葉と同義語である。これほどの不祥事に「自らを律することができない人物」が伝統の日本柔道を率いていることを国民はどう見ているだろうか。

私は、「道」を踏み外した日本の柔道は、もとの「柔術」に戻ればいいと思う。「道」を目指し、講道館柔道を創設した“柔道の父”嘉納治五郎が説いたのは「自他共栄」だった。

柔術ではなく柔道でなければならないと唱えた嘉納治五郎は、“自分”だけでなく“他人”と共に栄えることを常に心に置け、と弟子たちに語り続けたのだ。それは、我欲を捨てろ、という意味である。

だが、嘉納治五郎から数えて5代目の講道館館長の上村氏は、それと真逆のことをおこなっている。私は、モントリオール五輪の無差別級で優勝候補・ソ連のチョチョシビリと激闘を展開した時の若き日の上村春樹選手の姿を思い出す。

重量級としては小柄だった上村選手があの時、見せた気迫と執念。感動の名勝負の末に難敵を倒した上村選手は、日本人として初めて無差別級を制し、悲願の金メダルを日本にもたらした。

あの頃の上村選手の姿を知る私は、今の上村氏がどうしても信じられない。日本柔道の栄光の時代を選手として体現した人物がなぜこうも変貌したのか。“人を変えてしまう”組織の怖さを私は感じている。

そして、もうひとつは日本相撲協会である。今週の月曜日、2年間にわたって法廷闘争を展開していた元幕内・蒼国来(29)に「幕内力士としての地位」を認める判決が東京地裁で出た。

必死に八百長への潔白を訴え続ける蒼国来という若者に対して、日本相撲協会が「2年以上」も復帰を拒否する“頑なな姿勢”を崩していないことに憤りを感じる。

というのも、2011年6月8日、東京地裁でおこなわれた蒼国来の地位保全の仮処分申請の第3回審尋で、すでに問題は「決着していた」はずなのである。

すでにその時点で、八百長に絡んで「なんの証拠もないこと」が露呈され、日本相撲協会が蒼国来に対して「毎月、幕内力士としての給料全額130万9,000円を支払う」という裁判所の暫定的な和解案を受け入れ、蒼国来に給料を全額支払うことになっていた。

すでにその時点から「2年近く」が経過している。蒼国来が八百長相撲をおこなったという「証拠」も「カネ」もいっさい存在せず、そのことをすでに2年前に裁判所が和解勧告という形で相撲協会に示し、それを協会が受け入れていながら、それでも、蒼国来の復帰は実行されなかったのである。

しかし、今週月曜日、東京地裁は、蒼国来に対して「あなたの地位は幕内力士である」と明確に判決として示した。なんの証拠もないまま、杜撰な調査で相撲協会が蒼国来を八百長力士に仕立て上げていたことを東京地裁は認定したのである。

2年前、相撲協会は、春場所(3月場所)を中止とし、5月場所を「技量審査場所」として無料公開し、名古屋場所(7月場所)の開催とNHKの中継再開に必死でこぎつけようとしていた。

その中で、八百長にかかわる杜撰な調査が明らかになることを恐れ、蒼国来を復帰させることなく、そのまま“棚ざらし”にしていたのである。一方、弟子が八百長問題に関与していたことで協会の理事からも降格されていた北の湖親方は、昨年、相撲協会理事長に復帰した。

北の湖理事長は、大相撲の八百長疑惑を10週連続で報じた講談社の「週刊現代」を相手取って、協会と力士32人と共に、名誉毀損による損害賠償計約8億円を求める訴えを起こし、2008年には証人出廷して、「八百長は存在しない」という証言をおこない、講談社から約755万円の賠償金を受け取った人物だ。

講談社側が八百長問題発覚後、北の湖理事長ら5人を詐欺罪で警視庁捜査2課に刑事告訴する騒動にまで発展したことは記憶に新しい。そんな人物が理事長に復帰し、一方、無実の蒼国来は2年以上にわたって、そのままの状態に置かれているのである。

私は、以前のブログで、相撲協会はさまざまな特典を享受している現在の「財団法人」という地位を返上し、私企業として出直すのがまず改革の「第一歩」ではないだろうか、と書いた。

その気持ちは今も変わらない。少なくとも、一刻も早い蒼国来の現役復帰を許し、自ら襟(えり)を正して欲しいと思う。日本の武道を代表するふたつの組織の情けない姿に、両方の分野でノンフィクションを数多く手掛けている私は、なんとも寂しくてならない。

カテゴリ: 柔道, 相撲

金メダルには「何」が必要か

2012.07.31

今回のオリンピックでも、いつもと「変わらなかったこと」がある。大会前のマスコミの過剰な盛り上げ方だ。国民は、“いつも通り”、マスコミに異常なまでに「期待」を抱かされて、大会に突入した。

事前の報道を見るかぎり、日本が金メダルを20近く、少なくとも二桁は獲得するだろうと誰もが信じていたに違いない。しかし、まだ序盤とはいえ、現実はまったく異なっていた。

期待された選手は次々と敗退し、金メダルは夢と消えている。マスコミ、特にテレビが煽(あお)り、つくり上げられた雰囲気は、やはり“バブル”に過ぎなかったことを視聴者はいやでも気づかされている。

期待に応えられなかったという意味では、絶対的な力を持っていた体操の内村航平ですら例外ではなかった。3連覇を狙った北島康介も、ピークが今年の「春」に来てしまい、身体のキレが春とはまるで違う下降気味の最悪の状態で本大会を迎え、100メートル平泳ぎで惨敗してしまった。

いかにオリンピックで力を発揮することが難しいか、彼ら日本の名選手の失敗が物語ってくれている。世界中から注目される最高の檜舞台で、彼らですら緊張やプレッシャーなど、言葉では形容しがたいものに押しつぶされていくのである。

これをいかに克服するかは、アスリートたちの永遠のテーマでもある。拙著『あの一瞬―アスリートはなぜ奇跡を起こすのか』(新潮社)で、私は、アジア最多の金メダル8個を持つ体操の加藤沢男選手の“失敗する練習”のことを書かせてもらったことがある。

これまで当ブログでも何度も書かせてもらっているので詳細は省かせていただくが、要は、加藤選手は、日頃の練習で、どれほど緊張し、筋肉が硬直し、心理的にガチガチになっている時でも、「それでもおこなうことができる演技」を探るために、ひたすら“失敗する練習”を繰り返したのである。

その究極の状態でもできる演技を、加藤さんは「命綱」と表現した。その「命綱」を獲得するために、逆に「どうやったら失敗するか」ということを身体が覚える“失敗する練習”をつづけたのである。

私は、加藤さんの話を伺いながら、加藤さんが今も破られないアジア最多の金メダル8個を持つ理由が少しわかった気がした。

日本選手団初の金メダルを獲得した柔道女子57キロ級の松本薫(24)の昨夜の戦いを見て、私は、彼女には「どうしても金メダルを獲って欲しい」と心から願った。

彼女は“けもの”だった。24歳の女性に“けもの”という表現は失礼だが、試合に臨む前の彼女の敵を喰い殺すような闘志と気迫は、人間というより、やはり“けもの”と表現した方がいいと思う。

それほど彼女の気迫は凄まじかった。試合前、自分自身に何かを言い聞かせるようにひとり言を呟き、それに一回一回、「はい」と返事している彼女の姿を映像は捉えていた。そして、虚空を睨み、まさに“けもの”のように何かに喰いつくように彼女は何度も口をあけた。

まわりの喧噪も、プレッシャーも、なにも感じないほどの「自分だけの世界」に自身を追い込む鬼気迫る表情に、私はテレビ画面に吸い寄せられた。私は、彼女が本当に敵を喰い殺すのではないか、と錯覚した。それほどの怖さを彼女は身体中から“発散”させていた。

私は、「この選手はオリンピックが持つ独特の空気と重圧を克服する方法を持っている」と思った。そして、その通り、これまで誰もなし得なかった「女子柔道57キロ級」の金メダル獲得という偉業を彼女は成し遂げた。

闘志がまるで伝わってこない不甲斐ない男子の柔道選手の姿を見つづけていただけに、私は、この金メダルがより価値の高いものだと思った。

重圧の中で金メダルを獲得するには「何」が必要なのか。松本選手は、そのことの答えのひとつを示してくれている。それだけに、表彰の場で見せた24歳の女性の破顔一笑が、より爽やかに見えた。

カテゴリ: オリンピック, 柔道

「昭和の日」と日本柔道

2012.04.29

今日は、「昭和の日」である。初夏に向かう爽やかな気候も相俟って、ゴールデンウィーク真っ只中の祝日として、毎年、行楽地に一斉に多くの人が繰り出す日である。

この昭和の日に、中日新聞と東京新聞が、「この人」欄で、私を取り上げてくれた。写真付きで「太平洋戦争3部作を完結 門田隆将さん」と、私が『太平洋戦争 最後の証言』の第3部「大和沈没編」を出版し、ついにシリーズが完結したことを報じてくれたのだ。

昭和といえば、やはり太平洋戦争である。さらには、「戦艦大和」でもあろう。「昭和の日」にタイミングよく同紙が取り上げてくれたのは、ありがたい。中日新聞、もしくは東京新聞をお取りの方は、記事を見ていただければ、と思う。

さて、毎年、この日に熱戦が繰り広げられるのが、全日本柔道選手権である。今日も伝統の大会が千代田区の日本武道館で開かれた。しかし、その中身は、残念ながら“惨憺たるもの”だった。

優勝したのは、重量級の選手でもない千葉県警の加藤博剛選手で、決勝で巨漢の石井竜太(日本中央競馬会)に一本勝ちし、初優勝した。しかし、それは、日本柔道界の低迷ぶりを表わす姿でもあった。

ロンドン五輪を間近に控えたこの時期、加藤選手のような90キロ級の選手が優勝し、重量級の五輪代表を争う前回王者の鈴木桂治(国士舘大教)、上川大樹(京葉ガス)、高橋和彦(新日鉄)らが続々敗退し、柔道ファンをがっかりさせたのである。

重量級の選手以外の全日本優勝は1972年以来、40年ぶりのことだそうである。オリンピック・イヤーのこの低調さは、たしかに「40年前」を思い出させるものだった。40年前のこの大会、関根忍(中大→警視庁)が中量級にもかかわらず、日本一の栄冠を獲得した時もそうだった。

肩を入れ、背中越しに道着をつかむ“変則柔道”の関根に重量級の選手たちが苦戦し、関根が接戦を制したあの日のことは私も記憶している。その関根も肝心のミュンヘン五輪では「金メダル確実」という下馬評でガチガチになり、途中敗退。しかし、当時の敗者復活ルールに救われ、これで勝ちあがって、辛うじて金メダルを獲得した。

あの時の関根の顔面蒼白の表情は、今も脳裡に焼きついている。のちに警視庁で柔道指導者として多くの弟子を育てたそうだが、私にはあの顔面蒼白の関根の顔だけが今も思い浮かぶのである。

結局、ミュンヘン五輪の柔道では、“赤鬼”と評されたオランダの怪物・ルスカが重量級と無差別級を両方制して、金メダルを2つ獲得した。日本期待の篠原政利は、ルスカと戦う前に予選で姿を消し、日本柔道は惨敗した。

今日の大会を見るかぎり、私には、ミュンヘンの時の方がまだ日本柔道は充実していたように思う。今日の鈴木(桂)にしろ、上川、高橋らも、世界の檜舞台でナンバー・ワンを争える実力とは、とても思えなかった。

伸び悩む期待の穴井隆将を含め、ロンドン五輪では、「日本柔道、惨敗!」の見出しが新聞に踊るのではないかと、試合を見ながら思った。報道陣に取り囲まれた全日本柔道の篠原監督の憂鬱な表情だけが印象的だった。

カテゴリ: 柔道

柔道界に“新星登場”は本当か

2010.04.29

全日本柔道選手権は、2年ぶり2度目の出場の25歳の高橋和彦(新日鉄)が、初優勝を飾った。

準々決勝で3度の優勝経験を持つ鈴木桂治、準決勝では前年優勝の穴井隆将を破っての堂々たる初制覇だ。

日本代表の篠原信一監督は優勝にもかかわらず、「国際ルールの対外国人の試合では、投げ捨てと見られて反則に取られることもある」と、高橋の試合ぶりに注文をつけた。

昨年につづく“新星登場”というのは、言いかえれば、それだけ柔道界に「絶対的な存在がいない」ことを意味する。

昨年、私は『新潮45』の連載で、「山下泰裕vs遠藤純男」の因縁のライバル関係をルポさせてもらったことがある。

山下と遠藤が鎬を削ったあの時代、間違いなく世界の柔道界は日本の選手が引っ張っていた。ライバルを倒すために、徹底的に身体をいじめ抜き、相手の弱点を研究し尽くし、それぞれが技を磨いた。

その結果、重量級で世界ナンバー・ワンも、ツーも、そしてスリーもすべて日本選手だった。層の厚さこそが日本柔道界の強みだったのだ。

しかし、今日の全日本柔道選手権は、日本柔道界のレベルの低下を見る者に印象づけた。あらゆる面で“二流”になりつつある日本を、お家芸・柔道だけは打破して欲しいと思っていたが、それは叶わぬ夢に終わった。

カテゴリ: 柔道

深秋の神宮外苑

2009.11.29

今日は、「新潮45」のスポーツドキュメント「あの一瞬」の取材で、柔道の山下泰裕さんとお会いした。実は、3日前にも取材をさせてもらっているが、その時の時間が短かったため、山下さんがもう一度、わざわざ時間を取ってくれたものである。

今日午後2時から秩父宮ラグビー場で、ラグビーの関東大学リーグ戦の優勝を決める東海大学と法政大学の一戦があり、東海大学の体育学部長となっている山下さんが、それを観戦する前に、私と近くでお会いしましょう、ということになった。

昼食を取りながらの話だったが、3日前にも感じたように、山下さんの柔道に対する明晰な考え方と研究熱心さに改めて驚かされた。現役時代、「誰よりも、自分が一番(ビデオ等を見て)相手を研究したと思う」と、山下さんは語った。

山下さんが語る宿敵・遠藤純男さんとの戦いや、そこに至るまでの駆け引きは、さすがに緊迫感と臨場感があった。ほんの一端ではあるが、柔道の奥深さと幅広さに触れさせてもらった気がした。

遠藤さんへの5時間に及ぶロングインタビューと、山下さんへの2度にわたるインタビューをもとにしたスポーツ・ノンフィクションは、来たる12月18日発売の「新潮45」(1月号)に掲載予定ですので、是非ご覧いただければ、と思います。

さて、インタビューのあと、山下さんと共に秩父宮ラグビー場に赴いた私は、そのまま東海大学と法政大学の試合を観戦した。結果は、22対17で東海大学が法政大学を突き放し、リーグ戦の優勝を決めた。

しかし、残念ながら、得点が拮抗しているわりには、試合はそれほどの緊迫感がなかった。ラフ・プレーが目立ち、細かなミスが多い試合だった。ここ20年、大東文化大学に始まり、法政大学、関東学院大学など、関東大学リーグ戦のレベルが向上し、早稲田や明治、慶応などの対抗戦グループに匹敵する実力を備えるようになってきたのは事実である。

だが、ここ1、2年、リーグ戦グループのレベルは明らかに落ちている。関東学院大学ラグビー部の不祥事で一気にレベルが低下したとは思いたくないが、今日の両校のスクラム戦、バックスの展開力……等々は、ほんの数年前、大学日本一の座に君臨した関東学院大学のレベルとは比べるべくもなかった。

大学ラグビーが“停滞”すれば、それはラグビー界全体の「後退と停滞」を生む。2019年に日本でラグビーワールドカップが開催されるので、今こそ底上げを図らなければならないはずである。関係者の奮起を大いに期待したい。

秩父宮ラグビー場は、もはや秋を通り越して冬の寒さを感じさせた。すぐ隣の神宮外苑では、「外苑いちょう祭り」に多数の親子連れが集まっていた。外苑前広場から青山通りに向かう道の両側は、いちょうが鮮やかに色づいていた。見事な黄金色である。

深秋の神宮外苑を歩きながら、いよいよ師走がそこまで迫っていることを感じた。政権交代も含めいろいろあった2009年。歴史に残る激動の1年も、残りは、あとわずかひと月となった。

カテゴリ: ラグビー, 柔道

柔道家の執念と信念とは

2009.11.21

今日は、「新潮45」の連載「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の取材で柔道家の遠藤純男さんとお会いした。5時間を超えるロングインタビューだった。

秋田経法大学(現ノースアジア大学)の教授であり、柔道部監督を務める遠藤さんは、現役時代、豪快な背負い投げと内股で、世界の強豪を恐れさせた元世界チャンピオンである。あの山下泰裕にカニ挟みの奇襲をかけ、脾骨をへし折ったことでも知られる。

私は、いつか遠藤さんの話を聞きたいと思っていた。モントリオール五輪の重量級で優勝候補の筆頭だった遠藤さんは、ソ連の強豪ノビコフに微妙な判定で敗れ、悲願の金メダル奪取に失敗する。それ以降、遠藤さんには常に“不運”がついてまわった。

悲運の柔道家といえば、私は遠藤純男を躊躇なく挙げる。雪辱を期し、モスクワ五輪で日の丸をメインポールに挙げることを目指してひたすら猛練習に励んだ遠藤さんを待っていたのは、「モスクワ五輪ボイコット」という報だった。

その末にライバル山下に挑んだ遠藤さんの柔道人生。カニ挟みだけでなく、腕返しという奇策や、左からの背負い投げなど、遠藤さんは最強の敵・山下を倒すためにありとあらゆる技を繰り出していく。

同世代のライバルが次々と引退していく中、最後まで現役にこだわったこの柔道家が最後に見た光景とは何だったのか。アスリートの栄光と挫折、そして極限の勝利に賭ける執念と信念を、この人ほど感じさせてくれる柔道家は、ほかに知らない。

一つの道を極めるために一心不乱に闘いつづけたアスリートへの5時間のロングインタビューは、私にとって実に爽やかなものだった。

カテゴリ: 柔道

現われた柔道界のスター

2009.04.29

開始27秒、その技は決まった。穴井隆将(天理大職員)が3度の全日本優勝のキャリアを誇る王者・鈴木桂治を左からの背負い投げで屠ったのだ。その瞬間、穴井は「うおー」と雄叫びを上げ、拳を畳に向かって突き出した。

今日、九段の日本武道館でおこなわれた全日本柔道選手権の準々決勝で、穴井の剝き出しの闘志が「もう一度世界を」とカムバックしてきた王者鈴木の執念を上回ったのである。

「世代交代」。それは新たなスターが柔道界に誕生したことを物語っている。漲(みなぎ)る気迫で、次の準決勝で優勝候補の一角・生田(しょうだ)秀和を見事な内股透かしで破った穴井は、決勝でクセ者のベテラン棟田康幸と激突した。

場内の大歓声の中、積極的に攻める穴井と、例によって切れかかった体力を温存するために試合が中断するたびケガをしたかのように“休憩”をとる棟田。しかし、一瞬の隙を突いて「有効」でリードしていた棟田に、最後は「注意」が与えられ、勝敗は判定に持ち込まれた。

穴井の勝ちを示す審判の赤旗が「三本」上がった時、穴井は座り込んで泣き始めた。試合終了の挨拶のあと、関係者のもとに走り寄った穴井は、あたりを憚らず号泣。「ありがとうございます、ありがとうございます……」そう言いながら、穴井はただ泣きつづけた。

優勝インタビューでも穴井は涙をこらえられなかった。「今日一日は喜びに浸りたいと思います。(しかし)明日からは世界選手権にモードを切りかえて、必ず金メダルをとります!」。穴井は、涙の中でそうインタビューに答えた。

NHKのテレビで解説していた篠原信一は、天理大の教え子の栄冠に泣いていた。全日本柔道選手権3連覇の実績を持つ篠原。自分の優勝では一度も泣いたことがない篠原の涙に、アナウンサーまで涙声となった。師匠までが泣いた穴井の初優勝。努力の男・穴井の人柄が伝わるシーンだった。

私と名前が同じ「隆将クン」。柔道界にこれから是非「穴井時代」を築いて欲しい。井上康生が去り、スター不在となっていた柔道界に、目鼻立ちの整った「ナイスガイ」が彗星のごとく現れたのである。

カテゴリ: 柔道

塚田真希の「8連覇」

2009.04.19

女子柔道の塚田真希が「全日本選手権8連覇」を達成した。わずか2週間前、全日本選抜体重別選手権で杉本美香に敗れたばかりの塚田が、準決勝でその杉本に見事に雪辱を果たした上での優勝だった。

彼女の喜びのインタビューを聞きながら、私は、昨年8月15日「終戦の日」の塚田選手の奮闘を思い出していた。北京オリンピック柔道最終日。女子78kg超級に出場した塚田選手は、決勝戦で中国のトウ文(Tong Wen)に残り8秒で背負い投げ一本を取られ、逆転負けを喫した。

惜しくもアテネ五輪に続く「2連覇」はならなかったものの、私はこの「銀メダル」に感動した。北京オリンピックで最大に感動したシーンだったと言ってもいいと思う。

2005年、2007年の世界女子柔道選手権で塚田がトウ文に苦杯をなめた時、180センチ130キロというトウ文の圧倒的強さに“塚田時代の終わり”を私は感じていた。そこには、まるで大人と子供ほどの実力差があったからだ。それほどトウ文は「怪物」だった。

しかし、2008年夏、トウ文の本拠地・北京に乗り込んだ塚田は、オリンピック決勝で彼女と激突すると、攻めに攻め抜き、この怪物を土俵際まで追い込んだ。塚田は、無念にも「残り8秒」で逆転負けを喫するものの、私には「金か銀か」という勝ち負けはどうでもよかった。

人間の凄まじい「精進」というものに、私は脅威と感動を覚えたのである。大人と子供ほどあった実力差を、塚田は努力と精進でここまで克服したのか、と私は思った。あと一歩まで“怪物”を追い込むまで積み重ねた猛練習。塚田のその姿と執念を私は思い浮かべたのだ。

あの塚田が杉本に苦杯を喫したまま終わるはずがない。私は、2週間前からこの全日本選手権で塚田がどう出るか注目していた。

勝ち上がった塚田は、準決勝でその杉本と激突した。事実上の決勝戦である。塚田の“チャレンジャーとして”の気迫がそこには迸(ほとばし)っていた。本来、挑戦者であるはずの杉本の気迫を、明らかに塚田のそれは上まわっていた。

杉本を破り、決勝でも前へ前へと突き進んだ塚田は「8連覇」を達成した。優勝インタビューで塚田は、「負けたらもう世界はない、と思っていた。世界の切符を掴む、必ず勝つと思ってやりました。体重別で負けたことは悔しかった。くよくよしていても仕方ないと思いました。(負けたあと)いろいろな人に支えてもらいました。感謝しています。もう一度、世界の頂点に立ちたいです」と語った。

ひたすら頂点に立つことを目指すアスリートの姿がそこにはあった。汗にまみれてはいたが、それは、さわやかな女子柔道家の笑顔だった。

カテゴリ: 柔道

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