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「恬(てん)として恥じず」朝日新聞は“再び”死んだ

2016.02.20

昨日の朝日新聞、そして今日の産経新聞の記事を見て、目が点になった人は多かったに違いない。仰天、唖然、衝撃……どんな言葉を用いても、そのことを表現することは難しいだろう。

私は前回のブログで、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の「対日審査」での日本の主張について書かせてもらった。

外務省の杉山晋輔・外務審議官が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がなかったことを説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造」であったこと、さらには、朝日新聞の報道が国際社会に「大きな影響」を与えたことを指摘したのである。

私は、日本政府が国連の場で、こうした事実関係を「初めて」説明したことと、外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている、という趣旨のことを書かせてもらった。

しかし、昨日の朝日新聞朝刊には、その外務省に対して、朝日が「抗議をおこなった」ことが書かれていたのだ。私は職業柄、主な新聞には、すべて目を通すようにしているが、その朝日の記事には本当に驚いた。

第4面の「総合面」に〈国連委発言で慰安婦報道言及 本社、外務省に申し入れ〉と題して、朝日が国連での杉山審議官の発言に対して、〈18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」などとして遺憾であると文書で申し入れた〉と報じたのである。

「えっ? ウソだろ……」と呟きながら、この記事を読んだ人は少なくなかっただろう。朝日の記事の主要部分をそのまま引用する。

〈申入書(※筆者注=朝日が外務省に申し入れた文書)では、国際的な影響について、朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会でも見解が分かれ、報告書では「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「吉田氏に関する『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」などの意見が併記されたと説明。国際社会に大きな影響があったとする杉山氏の発言には根拠が示されなかったと指摘した。

 また、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じた点について、朝日新聞社はおわびし、訂正しているが、20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」と指摘した。慰安婦の人数については諸説あることを報じていることも伝えた。川村泰久外務報道官は文書を受け取った上で、「お申し入れの内容が詳細なので、精査させて頂きます」とコメントした〉

いかがだろうか。私は、品のない表現で大変申し訳ないが、“居直り強盗”という言葉を思い浮かべた。そして、こんな“子供の屁理屈”にも劣る言辞が通用すると「本気で思っているのだろうか」と考えた。少なくとも、自分たちが、根拠もなく慰安婦の強制連行を世界に広めたことに対して、反省のかけらもないことがわかる。

あらためて言うまでもないが、朝日新聞の報道の一例を示すと、1992年1月11日付朝刊1面トップで、朝日は、日本軍が慰安所の設置などに関与したことを示す資料が見つかった、と大々的に報じている。当時の宮沢喜一首相の訪韓わずか「5日前」にブチ上げられた記事である。

その中で朝日は「従軍慰安婦」の用語解説をおこない、〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と書いた。

しっかりと、〈挺身隊の名で強制連行〉と書き、〈その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と記述している。また、翌12日付の社説でも〈「挺身隊」の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられた〉と書いている。

これはほんの一例だが、朝日新聞は、長年の外部からの指摘に耐えかねて、ついに一昨年(2014年)8月5日、「検証記事」を掲げた。そのなかで、〈読者のみなさまへ〉と断って、わざわざ〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と、「混同」「誤用」を認めているのである。

杉山審議官の国連での発言は、もちろん、それらを踏まえたものだ。しかし、当の朝日新聞は、こともあろうに、これに対して「抗議」をおこなったのである。子供の屁理屈にもならない、というのは、〈20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」〉と噛みついている点だ。

では、その〈20万人〉がどこから出てきたものなのか、〈女子挺身隊との混同〉でなければ「いったい何でこんな途方もない数字が出てきたのか」、それを自ら指摘・告白するのが、礼儀であり、大人というものである。〈慰安婦の人数については諸説ある〉という申し入れの文言は、明らかに「開き直り」というほかない。

私は、自分自身の経験を思い起こした。2014年5月20日付で朝日新聞が、「吉田調書を入手」したとして、福島第一原発の現場の人間の「9割」が所長命令に違反して撤退した、と1面トップで報じた件だ。

吉田昌郎所長をはじめ、現場の多くのプラントエンジニアたちにも取材した私は、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』というノンフィクションを2012年に出しているが、その取材結果をもとに、朝日の記事を「誤報である」と指摘した。

それに対して、朝日新聞は「報道機関としての名誉と信用を著しく毀損する」として、私に「謝罪と訂正」を要求する文書を送りつけてきた。そして、その文書の中には、要求に応じない場合は、「法的措置を検討する」という“脅しの文言”がしっかり入っていた。

私は、朝日新聞という報道機関が「自由な言論を封殺」しようとしたことに、一種の感慨が湧き起こった。自分たちに都合の悪いことに対しては、言論や表現の「自由な空間」を守るどころか、「圧殺する」という恐ろしい体質を同紙が持っていることがあらためてわかったからだ。

私は、これで逆に大いなる闘争心が湧き起こり、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……等々で、自分にできる最大の論陣を張らせてもらった。その意味で、私に対する朝日の“脅し戦略”は、まったくの逆効果をもたらしたことになる。

幸いに3か月後の9月11日、朝日新聞は自らの「誤報」を認め、木村伊量社長が記者会見を開き、訂正・謝罪の発表と、社長退陣と編集幹部の更迭がおこなわれた。

私はその後、朝日新聞からの正式な謝罪を受けたが、今回の外務省への抗議は、「真実」を指摘された時の「開き直り」という点で、まったく「共通」のものであることがわかる。

今回の朝日の外務省への申入書には、自らつくった慰安婦報道に対する「第三者委員会」の委員の中には、朝日の報道が「国際的な影響を与えた」ということに「そうではない」と言っている人がいます、と書いている。なんと稚拙な論理だろうか。

岡本行夫、北岡伸一両委員は、はっきりと朝日の報道が韓国による批判に弾みをつけ、過激化させたことに言及しているが、波多野澄雄、林香里両委員は、「国際的な影響はない」との見解だった、というのである。

イタズラを怒られた駄々っ子が、「でも、ボクは悪くないって言ってる人もいるもん!」と、お母さんに必死で訴えているような図である。

私は、昨年末に出た朝日新聞の元スター記者、長谷川熙さんの『崩壊 朝日新聞』の一節を思い出した。長谷川さんは半世紀以上務めた「朝日新聞」にいる記者たちのことを“パブロフの犬”だと書いて、その典型例の実名まで挙げている。

〈旧陸海軍について、いかなる虚偽の悪行が伝えられても、旧軍のことであれば、記者であるのにその真否を究明することなく、なんでも実話と思い込んでしまうその現象を私は、ロシアのパブロフが犬の実験で見つけた有名な生理反射(ベルの音と同時に犬に餌をやっていると、ベルの音を聞いただけで犬は、餌がなくても唾液を出すことをパブロフは発見した)になぞらえてみた。(略)そうした条件反射のまさに典型例が、吉田証言関係の虚報でとりわけ大きな影響を内外に及ぼしたと私が見る北畠清泰であり、そして一連の虚報を背景に、OBになってからではあるが、慰安所糾弾の模擬法廷の開催へと突き進んだ松井やよりである〉

事実をそっちのけに、“条件反射”のように「日本」を貶める朝日の記者たち。彼らは、朝日に言及した国連での杉山発言の中身を今回も「抗議の段階」でしか報じていない。都合の悪いことは、ねぐり続ける朝日新聞らしい姿勢というほかない。

本日の産経新聞には、その朝日新聞広報部のコメントとして、「記事と申入書に書いてある以上は、お答えできない」というものが紹介されていた。ただ、「溜息が出る」だけである。私は思う。朝日新聞が、再び「死んだ」ことは間違いない、と。

カテゴリ: マスコミ

「信頼される新聞」と朝日新聞の社説

2015.01.24

昨日(1月23日)は、朝日新聞の「誤報」問題をテーマにして「信頼される新聞とは」と題されたシンポジウム(於:毎日ホール)にパネラーとして参加した。パネラーは、ジャーナリストの池上彰さん、朝日新聞で慰安婦検証作業に携わった武田肇・朝日新聞大阪社会部記者、そして私の3人である。

シンポジウムは1977年に毎日新聞社が編集綱領を制定したのを記念し、毎日労組が87年から毎年開いているものだ。池上さんとも、武田記者とも、初めてお会いする私にとっては、どういうシンポジウムになるのか、パネラーでありながら、同時に興味津々でもあった。

私にこのシンポジウムの声がかかったのは、「吉田調書」報道をめぐって朝日新聞の誤報を指摘した当事者だったからだろうが、それと共に新聞メディアに対して“批判的”な立場として招かれたのではないかと想像する。

しかし、私は、日本にとって新聞は「なくてはならない存在」だと思っており、朝日新聞に対しても、それだからこそ、常日頃、厳しい論評をさせてもらっている。

シンポジウムは、2時間だったので、話し尽くすことはもちろんできなかった。しかし、プロ中のプロである池上彰さんが真ん中に座ってリードしてくれたので、聴衆はそれなりに面白かったのではないか、と思う。

私は、朝日新聞に対して日頃、「日本を貶めることを目的としているのか」と問いかけ、論評している。武田記者は言うまでもなく、私のその論評に批判的だった。

池上さんも「新聞社に日本を貶める目的で入ってくる人はいない」と発言していた。その通りだと思う。いや、今でも「自分は日本を貶めるためにやっている」などと思っている朝日新聞記者も、ほとんどいないだろう。

しかし逆に、私は、だからこそ「罪が深い」と思う。私には、朝日新聞の内部に友人が多い。彼らの特徴は、自分たちは「権力の監視」をおこなっている、という自負を持っていることにある。話の端々にそれを感じるが、「権力の監視」はジャーナリズムの大きな役割なので、当然だろう、と思う。

しかし、あの細川政権の時、あるいは、民主党政権の時に、果たして朝日新聞は本当に「権力の監視」をしていたのだろうか。私には、政権とべったりになった朝日新聞の露骨な姿しか思い浮かばないが、この際、そのことは措(お)いておこう。

やはり、武田記者もシンポジウムで「権力の監視」や、「歴史の負の部分を見つめること」の大切さについて、発言していた。私は「それを真の意味でおこなうなら」まったく異論がない。だが、「事実を曲げてまで」という言葉をその頭につけるとどうだろうか。

もし、それが「事実を曲げてもいいから“権力の監視”をおこなう」、あるいは、「事実を曲げてまで“歴史の負の部分を見つめる”」というものだったとしたら、私は日本人の一人として、それは絶対にやめて欲しいと思う。

慰安婦問題をここまで大きな国際問題にしたのは、言うまでもなく朝日新聞だ。世界中が貧困だったあの時代、さまざまな事情で、身を売らなければならなかった女性や、親に売られていった女性など、春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるをえなかった薄幸な女性たちは数多くいた。

しかし、朝日新聞は、慰安婦となった彼女たちのことを「日本軍や日本の官憲によって強制連行されてきた“被害者”」として報道し、まったく異なる大問題としてきたのである。

不幸にも身を売らなければならなかった女性たちがいたことと、いやがる婦女子を無理やり国家が戦場に強制連行することは、まったく違う。後者こそが、朝日新聞によってつくり上げられた「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」であり、いま国際的に日本が浴びている、いわれなき非難の根源でもある。

昨年6月に、韓国政府を訴えた洋公主(ヤンコンジュ)と呼ばれた米兵相手の朝鮮人女性たちも、その貧困の時代の薄幸な女性たちだ。朝鮮戦争時にアメリカ軍の兵士たちに身を売る商売についた彼女たちは、当時の韓国軍に「第五種補給品」と呼ばれ、なかにはドラム缶に詰め込まれて前線に運ばれた人もいた。

歴史家の秦郁彦氏による『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)には、各国の慰安婦の有様が詳細に記述されている。女性の人権問題として、また「戦場の性」の問題として大いに議論していけばいいと思う。

しかし、朝日新聞が報じ、これほどの国際問題にしてきたのは、前述のように「日本軍と日本の官憲が、朝鮮の女性たちを戦場に連行して、兵士たちとの性交渉を強いた」という「虚偽」なのだ。ここを絶対に忘れてはならない。

朝日新聞が言うように「歴史の負の部分を見つめること」は重要だ。しかし、それが「事実でないことをデッチ上げ」、「先人を貶めること」であることは許されない。そして、朝日新聞は、昨年12月22日に、第三者委員会がこの問題を検証し、報告書まで提出したのである。

その報告書には、「論理のすりかえ」や「レッテル張り」、あるいは「他者の言説への歪曲」など、朝日新聞がこれまで使ってきた手法に対して、厳しい指弾が成されていた。

しかし、一昨日(1月22日付)の朝日新聞の社説には驚かされた。いったい、あの第三者委員会の報告書は何だったんだろう、と思わざるを得ないものだった。

それは、〈「慰安婦」記述 事実をなぜ削るのか〉と題して、教科書会社の数研出版が、高校の公民科の教科書3点から「従軍慰安婦」の言葉を削除することを取り上げたものだ。

私は、どんな論理展開をするのか興味があったので読んでみた。朝日が「従軍慰安婦」が教科書から削られることに大いに不満であることはタイトルからもわかった。しかし、読みすすめる内に、これは第三者委員会で指摘された「論理のすりかえ」そのものの社説であることがわかった。以下は一部抜粋である。

〈朝日新聞は、慰安婦にするため女性を暴力的に無理やり連れ出したとする故吉田清治氏の証言記事を取り消した。同会(※門田注:「新しい歴史教科書をつくる会」のこと)はそれを挙げ「『慰安婦問題』は問題として消滅した」と主張する。だがそういった極端な主張は、日本が人権を軽視しているという国際社会の見方を生む。
 慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が二度と起きないようにしなければならない。論争のあるテーマだが、避けて通るべきではない。議論の背景や論点など多様な視点を示す必要がある。教科書はそのためのものであってほしい〉

ここで記述されているように、「新しい歴史教科書をつくる会」が本当に「『慰安婦問題』は問題として消滅した」というのなら、それは朝日が長年、主張してきた「強制連行問題に決着がついた」ということだろう。

朝日新聞がつくり上げた「慰安婦の強制連行」、すなわちこの問題の本質が「消えた」以上、そう表現するのはおかしくない。しかし、この社説は、それを、慰安婦問題そのものを「消そう」としている「悪い奴がいる」と読者に思わせている。そして、慰安婦問題という「日本にとって負の歴史」から目をそらしてはいけない、と自分たちを正義の立場に置き、さらにその上で、教科書からこれを削るな、と主張しているのである。

第三者員会が指摘した「自らの主張のために、他社の言説を歪曲ないし貶める傾向」や「論理のすりかえ」の手法が巧みに用いられていることにお気づきになるだろうか。

私は、「ああ、朝日は何も変わらないなあ」と思う。少なくとも年明け以降の社説を読むかぎり、昨年暮れの第三者委員会の指摘は、朝日の論調や手法に何の変化ももたらしていない。

昨日のシンポジウムでは、パネラーの武田記者の真面目で前向きな姿勢に、私は、朝日新聞の将来に若干の希望を持たせてもらった。だが、実際の社説とその論調を読むかぎり、朝日が「信頼される新聞」になる道のりは、極めて険しいと思わざるを得ないのである。

カテゴリ: マスコミ

2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する

2014.12.31

いよいよ激動の2014年が終わる。私にとっては、新聞とは何か、新聞記者とは何か、を考えさせてくれる「1年」でもあった。来たる2015年はどんな年になるのか、今年の出来事から考えてみたい。

ふり返ると、2014年は、私は年明けから徹夜の連続だった。過酷な現実や歴史の真実と向き合い、必死でそれを切り取ろうと取材する新聞記者の姿を描くノンフィクション作品のためだ。それは、角川書店から3月に発売した『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞』である。

私は、この作品で、福島県の地方紙・福島民友新聞を取り上げさせてもらった。同紙は、津波で一人の若手記者を失い、さらに停電とそれに伴うトラブルで新聞発行の危機にも陥った。凄まじい葛藤と闘いの真実は、「新聞」と「新聞記者」というものが何であるか、を私に教えてくれるものだった。

その命を落とした若い記者は、2011年3月11日、福島県南相馬市で津波の最前線で取材していた時、自分の命と引きかえに地元の人間の命を救った。大津波に呑まれて死んだその記者の行動と姿は、同僚に大きな衝撃を与えた。

それは、ほかの記者たちも津波を撮るべく海に向かい、そして、同じように命の危機に陥っていたからだ。なかには目の前で津波に呑まれる人を救うことができなかった記者もいた。

なぜ自分が生き残って、あいつが死んだんだ――。一人の記者の「死」は、生き残った同僚たちに大きな哀しみと傷痕を残した。それは、「命」というものを深く考えさせ、その意味を問い直す重い課題をそれぞれに突きつけた。私は、そのことを当事者たちに長時間かけて話してもらった。

その中で、新聞記者の役割と使命の重さを感じ、それをノンフィクションとして描かせてもらったのである。同時に「紙齢(しれい)」を途切らせてはならないという新聞人たちの強烈な思いも知った。

「紙齢」とは、創刊以来つづくその新聞の通算発行部数のことだ。これが、「途切れる」、すなわち、「紙齢を欠く」ことは新聞にとって「死」を意味する。

創刊100年を超える歴史を持つ福島民友新聞は、この時、記者を喪っただけでなく、激震とその後の電気系統のトラブルで、新聞が発行できない崖っ淵に立たされた。ぎりぎりの状況で、凄まじい新聞人たちの闘いが展開されたことに私は圧倒された。

福島民友新聞で繰り広げられた出来事によって、新聞と新聞記者の存在意義を描かせてもらった私は、5月以降、今度は、別の新聞とまったく異なる闘いを余儀なくされることになる。

朝日新聞である。同紙は、故吉田昌郎・福島第一原発元所長が政府事故調の聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」を独占入手したとして、今年5月20日、「2011年3月15日朝、所員の9割が吉田所長の命令に違反して福島第二(2F)に撤退した」という大報道をおこなった。

総務・人事・広報など女性所員を含む700名あまりが詰めていた免震重要棟から、所長命令に「従って」2Fへ退避した所員たちが、「命令違反」と真逆に書かれていることに私は仰天した。

なぜなら、私は、吉田氏本人や90名ほどの現場の人間たちに取材し、実名であの土壇場での闘いを『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)に描いている。朝日が書いた場面は、拙著のメインとなる、まさにそのヤマ場である。

詳細な実名証言による拙著の記述を、朝日新聞は全面否定してきたことになる。私は、まずブログで朝日新聞の記事は「誤報である」と指摘し、以後、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……と、あらゆる媒体で「なぜ誤報なのか」という指摘をさせてもらった。

論評をおこなう私に対して、朝日新聞は、「謝罪と訂正記事の掲載」を要求し、それをしない場合は、「法的措置を検討する」という脅しの抗議書を送ってきた。

しかし、8月に入って、産経新聞、読売新聞、共同通信が相次いで「吉田調書」を入手し、朝日新聞の報道を全面否定した。そして、9月11日に前代未聞の記事の撤回・謝罪、編集幹部の更迭、社長の辞任が発表された。

朝日新聞社内に置かれている「報道と人権委員会(PRC)」は11月に見解を出した。それは、全編、驚きの連続だった。特に、「吉田調書」そのものを担当の記者以外、上司は誰も読んでおらず、編集幹部がこれを読んだのが、政府が吉田調書の公開を決定した「8月21日」だったことに絶句した。

朝日新聞は、肝心の吉田調書すら読まずに、言論弾圧の抗議書を私に送りつけていたのである。それだけではない。朝日新聞は、取材対象者が700人以上もいたにもかかわらず、「たった一人」の現場の人間も取材もしていなかった。

私は、同じジャーナリズムの世界にいる人間として、唖然とした。福島民友新聞の記者たちが命をかけて「真実」を切り取ろうとしたことを描いたノンフィクション作品を上梓した私にとって、それは驚き以外のなにものでもなかった。あまりにお粗末なその実態と経緯は、ブログや拙著『吉田調書を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP)で書かせてもらったので、詳細はそちらでお読みいただきたい。

私は、暮れが近くなって(12月22日)発表された朝日新聞の第三者委員会の「従軍慰安婦問題」に関する報告書の中で、ある部分に目が吸い寄せられた。

それは、外交評論家でもある岡本行夫・第三者委員会委員の見解が記された箇所である。そこには、こんなことが書かれていた。

〈新しい方向へレールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々ならぬものがある。

 当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。

 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。
 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。

 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。朝日新聞社への入社は難関だ。エリートである社員は独善的とならないか。「物事の価値と意味は自分が決める」という思いが強すぎないか。

 ここでは控えるが、ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない〉(一部略)。

岡本氏の見解に私は同意する。新聞社は運動体ではない――当たり前のことであり、読者も同じ思いだろう。日本は思想、信条も、すべてが許され、そして表現の自由も保証された社会である。反原発活動でも、反日運動でも、好きなだけやればいい。

大いに自分の信じる活動に邁進すればいいのである。ただし、それは新聞記者を「やめてから」の話であろうと思う。

新聞記者が客観情報をねじ曲げてまで「自分の主義や主張を押し通すこと」は許されない。それは、驕り以外のなにものでもない。

私は今回の朝日誤報事件が、“新聞離れ”を進めるのではないか、と危惧している。たしかに「運動体」と化し、「角度をつける」ような新聞に国民が愛想を尽かすのは無理もないだろう。

しかし、本来の新聞は、そんなものでもないし、日本にあるのは朝日新聞のような新聞社だけではない。私は、新聞の役割は、「気づき」にあると思っている。毎朝毎朝、さまざまな客観情報を提供し、各界の知識人が、独自の論評を掲載し、“へぇー”と心底、唸らせてくれる新聞もある。

「こういう見方もあるのか」「そういう事実があったのか」と、それまで気づかなかったことを教えてくれる貴重な存在が「新聞」なのだ。

決して、新聞は「同じ」ではない。それぞれに“生きている記事”を掲載しているところは多い。新聞を取るのを「やめる」のではなく、「代えて」みて欲しい。そして“気づき”の役割を果たしている本当の新聞に、もう一度、チャンスを与えてあげて欲しいと思う。

2015年。それは、将来、生き残る新聞と消えていく新聞が“二極化”していく年になるのではないだろうか。2014年の最後の日に、私はそんなことを考えさせてもらった。

カテゴリ: マスコミ

やはり「本質」に踏み込まなかった朝日新聞「第三者委員会」

2014.11.13

朝日新聞の「吉田調書」誤報事件に対する第三者委員会の「検証結果」が明らかにされた。題して〈「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解〉。全21ページにわたる報告書である。

私は、さまざまな感慨を持ちながら読ませてもらった。第三者委員会の3人の委員には申し訳ないが、それは「まったく“本質”に踏み込めていない」ものだった。しかし、致し方ない、と私は思う。

報告書を書くにあたり、委員たちは「26人」から聴取をおこない、「37人」から報告書の提出を受けたそうだ。計63人に対する調査結果である。冒頭にそう書いてあるので、私は少しだけ期待しながら読んだ。

しかし、読みすすめる内に、すべて予想通りの「提言」であり、まるで「予定調和」そのものであることがわかった。なぜなら、第三者委員会はこの事件の「本質」には絶対に「触れて」はならず、もし、そのことを指摘でもしたら、「朝日新聞は解体しなさい」という提言にしかならなかっただろうからだ。

これまでも書いてきた通り、第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業が、世間の非難をかわすために設置されるものだ。いわば批判を少しでもやわらげ、国民の“ガス抜き”をするための委員会である。

そのためには、ある程度きびしい意見を出してもらう必要がある。それに“真摯に”反省する態度を示して、「2度とこんなことは繰り返しません」と宣言し、「再出発」をするための“道具”が第三者委員会なのだ。

すなわち、設置された時点で、シナリオと着地点は決まっている。私は、言論機関である新聞社が「第三者委員会」を立ち上げた時点で、「着地点」が想像できたが、今回の報告書を読んで、これで「果たして幕引きができるのか」と思った。

本日、私は、『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所)を出版した。その発売に合わせるかのように、第三者委員会の結論が出たことに、私は驚いた。

拙著で指摘したのは、「朝日新聞は自らの主張やイデオロギーに沿って事実をねじ曲げる」ということだ。報告書の中には、マスコミの常識では考えられない内部の出来事が書かれている。たとえば、あの「命令違反による撤退」報道がおこなわれた時、編集幹部は、「秘匿性が高い」ことを理由に担当記者にこの吉田調書を読ませてもらえなかったそうだ。

また、当該記事の締切の時に、記事自体への疑問点が大阪編集局をはじめ、さまざまなところから寄せられたが、それらはすべて無視されたという。

上司にすら肝心の吉田調書を見せず、他の記者にも一切、見せないまま、あの記事は書かれ、私からの「これは誤報である」との指摘があっても、それでも上司が吉田調書そのものを「見なかった」というのである。

この編集局の恐るべき実態には、開いた口が塞がらない。何度も書いてきたので繰り返さないが、当該の記事は「命令違反による撤退」という構成要件が成り立っていないお粗末なものだ。つまり、吉田調書を見なくても、「誤報であること」がわかるものだった。

それでも、吉田調書を持って来させて「確認」すらせず、「誤報である」との指摘をしてきたジャーナリストに対して「法的措置を検討する」という抗議書を送りつけてきた「体質」を、国民はどう考えるべきなのか。

そこには、驕りと独善によって目が眩んだ朝日新聞の真実の姿がある。自分たちで吉田調書を検証もしないまま、私の論評に対して「黙れ。お白洲に引っ張り出すぞ」という抗議書を送りつけて来たのは、もはや、朝日新聞は「言論機関には値しない」ことを示している。

従軍慰安婦の「強制連行」報道と同じく、朝日の体質とは、自らの主張やイデオロギーに都合のよい事実を引っ張って来て、それをつなぎ合わせて「真実とはかけ離れた報道」をすることにある。

私は長くつづいてきたこのやり方を「朝日的手法」と呼んできた。つまり、自らの主張やイデオロギーに沿った記事なら、朝日には「真実などどうでもいい」のである。つまり、その手の記事には「チェックなど必要ない」のだ。

私は、朝日新聞とは、「言論機関」ではなく、ある政治的目的を実現させるための「プロパガンダ機関」なのだと思う。従軍慰安婦のありもしない「強制連行」を「日本人を貶めるため」には、チェックもしないまま記事として掲げて、世界中に流布させたことでもわかる。そして、今回は、「反原発」「再稼働反対」という方針に基づく記事なら、「吉田調書」の真実など、簡単に捻じ曲げてしまったのである。

報告書は、「報道内容に重大な誤りがあり、公正で正確な報道姿勢に欠ける点があった。記事の取り消しは妥当だった」と書いている。しかし、外部の委員なら、この長くつづいてきた「朝日の体質」こそ指摘するべきであって、報告書に書いてあるような部下を「過度に信頼したこと」が誤報の原因などと、するべきではないはずである。あまりに事前の想像通りの「予定調和」のような報告書を読み、私は、ただただ溜息を吐(つ)いている。

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朝日誤報事件「故郷土佐」で訴えたこと

2014.10.27

一昨日、昨日(土・日)に、2日続けての講演で故郷・高知に帰ってきた。25日は、昭和19年10月25日に戦局挽回のために特攻が始まって70年目の記念日だった。その日に合わせて、「特攻、その真実」というテーマで、故郷で講演をさせてもらった。

ちょうど今月、戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』(角川書店)を出したばかりでもあり、故郷での講演ということで、ふたつ返事で引き受けさせてもらった。

特攻第1号といえば、関行男大尉が率いた「敷島隊」が広く知られている。しかし、この定説には異論が存在する。というのも、敷島隊は10月21日の初出撃で敵艦隊を発見できず、23日、24日の出撃を合わせて、計3度も引き返している。

やっと10月25日の「4度目」の出撃によって敵艦隊と遭遇することに成功。250㌔爆弾を抱いて体当たりを敢行し、空母一隻撃沈、さらに一隻が火災停止、軽巡洋艦一隻も轟沈という大戦果を挙げたと伝えられる。だが、その時、実は時間的には、敷島隊ではなく「菊水隊」の方が先に敵に特攻を敢行していたのではないか、という説が存在する。

海軍兵学校出の関大尉を“第一号”にしたかった海軍上層部の意向があり、菊水隊は記録上、特攻“第一号”とはなっていない。しかし、どこが第一号なのかというこの“時間論争”は専門家の間では、いまだに議論がなされている。

菊水隊には、高知県幡多(はた)郡出身の宮川正・一等飛行兵曹がいた。私は、この宮川一等飛行兵曹の逸話をはじめ、特攻にまつわるさまざまなエピソードを紹介しながら、当時、最前線で戦った男たちの「信念」と「無念」を語り継ぐことの重要性を講演で話させてもらった。

そして、昨日の26日には、「ネット新時代のジャーナリズムを考える~朝日新聞は何に敗れたのか~」というホットなテーマで、講演をさせてもらった。こちらは、話題がホットなだけに、聴いてくれている人たちの熱気がより伝わってきて自然と力が入った。

高知は、土佐出身の自由民権運動家・植木枝盛が立志社の機関誌『海南新誌』創刊号巻頭に「自由は土佐の山間より出ず」と書いた言葉でわかるように、日本の「自由と民主主義」の原点となった地である。私はその土佐で、いま日本が「時代の転換点に立っている」ことを話させてもらったことに少なからず意義を感じている。

真実を追及するのではなく、自らの「イデオロギー」や「主張」に従って、自分の都合のいい事実をピックアップして「真実」とはほど遠いものを掲げて大衆を誘導していく――私が長く“朝日的手法”と呼んできた日本のジャーナリズムの悪弊をじっくり2時間にわたって話をさせてもらった。「朝日新聞の敗北」の意味を私なりの解釈で講演させてもらったのである。

一連の従軍慰安婦報道と「吉田調書」報道――朝日新聞を襲ったこの二つの事柄は決して難しく考えることはないと思う。このことで明らかになったのは、これまで当ブログでも書きつづけているように、「朝日新聞は日本を貶めるためなら真実を捻じ曲げる」という、ただそれだけのことである。

なぜ朝日は事実を曲げてでも、日本を貶めたいのか。これは、1970年代に新左翼がもてはやした「反日亡国論」を理解しないとわかりにくいかもしれない。

日本の戦後は、「戦争を反省すること」から始まったことに異論はないだろう。戦争とは“絶対悪”なので、戦争を反省することに誰も反対はない。しかし、戦争をするというのは、一方が悪いのではなく、両方に必ず非があるはずなのに、日本では「日本だけがすべて悪かった」という短絡的な戦争反省論が構築され、それに支配されてきたことに不幸の第一があった。

それは、GHQによって生み出された非常に歪(いびつ)な戦争反省論だった。それも無理はなかっただろう。もし、「戦争犯罪」を指弾するなら、“焦土化作戦”によって、日本中の都市を焼き払い、広島・長崎に住む非戦闘員の頭上に原爆を投下したアメリカは、国際法に違反しただけでなく、人道上の罪という観点からも、本来、「許されるものではない」からである。

しかし、そのことから逃れ、日本だけを糾弾するためには、日本の指導者を徹底的に非難し、「日本だけが悪かった」という理論を構築する必要があった。昨日までの日本の指導者たちが断罪されることに多くの日本人は戦争に敗れたことの悲哀を感じ、瞑目(めいもく)した。

だが、そのGHQにもろ手を挙げて同調し、日本を弾劾する方向に突っ走っていった新聞があった。それが、戦前・戦中を通じて最も軍国主義を煽った朝日新聞である。GHQの顔色を窺いながら、ひたすらGHQにとって“愛(う)いやつ”になったメディアの代表が朝日新聞である。

朝日は、ひたすら「日本だけが悪かった」という論陣を張りつづけ、それに反する意見や文化人を全面否定する路線をひた走った。自分の意見に反対する者に“右翼”のレッテルを貼り、「日本だけが悪かった」論を拡散させつづけるのである。

それが全盛時代を迎えたのが、1970年代である。ベトナム反戦の風潮に乗って今度は「反米」を掲げた朝日は、全共闘世代、いわゆる団塊の世代に全面的に受け入れられた。それでも朝日新聞は「日本だけが悪かった」という主張を引っ込めることはなかった。

「日本だけが悪かった」という理論は、やがて新左翼の間に「反日亡国論」を生んだ。アジアの人民に災厄だけをもたらした日本人には“生存する権利”などなく、文字通り滅びればいい、という極端な理論である。強固な「反日」の思想は、当時の若者に幅広く受け入れられ、特にジャーナリズムの世界に「根を張る」ことになる。

そして、朝日新聞をはじめ、日本のメディアは大衆を誘導するためには、「事実」を自分の主張に合うべく都合よく“加工”し、それで大衆を誘導していくことの手法を多用していくようになる。“真実”より“イデオロギー”という時代の到来である。朝日新聞はいつの間にかそのことに慣れ、次第にそれが“当たり前”のようになっていった。

私は、2014年9月11日、朝日新聞が「吉田調書」報道で自らの誤報を認め、謝罪の上に自らの記事を撤回した時、「ああ、時代の転換点が遂にやって来た」と思った。それは、事実を捻じ曲げてまで自分の国を貶めるジャーナリズムの正体がやっと国民の前に「明らかになった」という意味である。

朝日新聞とは、平和を愛し、先人を敬い、家族や郷土、そして国を愛するという大多数の日本人の「実は敵だった」ことがやっと「明らかになった」のである。

日本人は「決して誇りを持ってはいけない」「国を愛するのは右翼だ」「日の丸は許されない」という彼(か)の国の代弁者ともいうべき存在でありつづけた朝日新聞の正体、ひいては“進歩的”ジャーナリズムの問題点が私たちの前に明らかになった意義は大きいと思う。

朝日新聞の木村伊量社長が、社内の動揺を鎮めるために8月28日に社内メールで出した内容は興味深い。週刊文春によってスッパ抜かれたその中身には、こういうくだりがあった。

「私の決意はみじんもゆらぎません。絶対ぶれません。偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意をあおる彼らと、歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする私たちと、どちらが国益にかなうアプローチなのか。改めて問うまでもないことです」

平和を愛し、先人を敬い、家族や郷土、そして国を愛するという大多数の日本人の心が、木村社長には「偏狭なナショナリズム」としか捉えられないのだろうと思う。そして、「歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする」のが朝日新聞なのだそうだ。

私は、申し訳ないが、こう言わせていただきたい。「歴史の真実をねじ曲げて誤った情報を世界に広げ、アジアの近隣諸国との信頼関係を決定的に破壊してきた」のが朝日新聞なのだ、と。

日本人は今、朝日新聞の長年の報道によって、朝鮮人女性の「強制連行」というありもしない事実をつくり上げられ、「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」を弄んだ日本人として世界中から非難されている。

そこまで歴史の真実をねじ曲げて、朝日新聞が「日本と日本人を貶めるのはなぜですか?」と、私は本当に朝日新聞に聞いてみたい。多くの日本人は、「偏狭なナショナリズム」など持っていない。あなたが勝手にそんな“敵”をつくり上げて、自分の立ち位置を「正しいもの」と強弁しているだけではないですか、と問うてみたいのである。

私は、そんな話を故郷・土佐でさせてもらった。「自由は土佐の山間より出ず」という自由発祥の地で、戦後ジャーナリズムのくびきから脱することの「意義」について、最初に話をさせてもらったことに、私は深い感慨を覚えた。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

朝日新聞「3度の転機」と生き残りへの「道」

2014.09.26

日本人にとって非常に不思議な存在である「朝日新聞」への非難が収まらない。中国と韓国の主張と一体化し、ひたすら日本人を貶めて来た同紙に、国民の怒りが一気に噴出しているように思える。

現在、世界から「性奴隷(sex slaves)を弄んだ民族」として日本が糾弾されているのが、朝日新聞の報道によるものであることは、これまで再三再四、書いてきた通りだ。

それが朝日新聞による「強制連行」報道に端を発しており、しかも、その「強制連行」が歴史上の「真実ではない」のだから、事情を知る日本人には、悔しく、情けなく、本当にやるせない思いだろう。今日は、少し違った視点でこの問題を書いてみたい。

9月11日におこなわれた朝日新聞の木村伊量社長の記者会見は、世のビジネスマンたちにとって「非常に興味深いものだった」という。それは、企業体としての朝日新聞社が「いかに危機管理能力が決定的に欠如していたか」を明確に表わすものだったからだそうだ。

メーカーに勤めているビジネスマンたちによって、特に関心が注がれたようだ。それは、その会社の「商品」に対する企業トップの認識という点である。

メーカーに勤務するビジネスマンたちは、まず第一に自社が売る商品を徹底的に自分なりに「分析」し、頭の中にすべてを「叩き込むこと」から始める。商品を売り込む場合でも、またクレームが来た場合でも、どんな時でも「商品」それ自体のありようが最も重要なものだからだ。

では、新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのだろうか。言うまでもないが、新聞社が消費者(購読者)に売っているのは新聞という名の「紙」である。だが、何も書いていない白い紙を売ろうとしても、誰も買ってはくれない。

新聞社は、その白い紙に「情報」と「論評」という付加価値を付けた活字を印刷することによって、その紙を読者に販売している。つまり新聞社の商品とは、紙面に掲載されている記事の中にある「情報」と「論評」にある。これこそが、新聞社が売る商品の「根幹」を成すものである。

今回の「吉田調書」問題を例にとってみよう。朝日新聞は政府事故調による吉田調書(聴取結果書)を「独占入手した」として、デジタル版まで動員した大キャンペーンを5月20日に始めた。その大々的な記事に対して、「これは誤報である」と私が最初にブログに書いたのは、5月31日のことだ。

朝日新聞にとっては、私は一介のライターに過ぎないかもしれない。しかし、私は、故・吉田昌郎所長をはじめ数多くの現場の人間を取材して『死の淵を見た男』というノンフィクションを書いた人間である。その人間が記事を「誤報だ」と申し立ててきたわけである。

つまり、新聞社にとって、消費者に売る「商品の根幹」であるスクープ記事に「クレームが飛んで来た」のである。これは、普通の企業にとっては、大変な事態だと思う。例えば、自動車メーカーに、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、専門家から突きつけられたとしたらどうだろうか。

まともな自動車メーカーなら、大急ぎで対応にあたり、必死で検証し、事態の収拾をはかろうとするだろう。しかし、朝日新聞は違った。私が、ブログのあと、週刊ポストに「朝日新聞“吉田調書”スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」と書くと、これに「言論」で反論するのではなく、「法的措置を検討する」という信じがたい抗議書を送りつけてきた。

その企業が売っている商品の根幹にかかわる指摘を、「黙れ、黙らんとお白洲に引っ張り出すぞ」という“脅し”で応じたことになる。私は、言論機関として「自由な言論」を封じるこのやり方に呆れる前に、朝日新聞に企業体としての「危機管理」がまったくなっていないことを知った。

世のビジネスマンも、そのことに注目したという。自社の商品の“根幹”にクレームが来たら、これは大変な事態であり、これをどう収拾するかは、頭を悩ませる重大案件である。しかし、朝日は、これを弾圧によって抑え込もうとしたのである。

普通の企業なら怖くてできないような対応をとった朝日新聞は、そればかりか、当該の週刊ポストが発売になった翌日、第二社会面に私と週刊ポストに対して「事実無根」の抗議書を送ったことを発表したのである。

その後のことは、これまでも書いてきた通りなので繰り返さない。ただ、この対応によって、大きな世間の関心事となった「吉田調書」問題は、私を駆り立てた。以降、私は各メディアをレクチャーして廻り、必要なら取材先を紹介するなどの行動に出た。

そして、8月末までに、朝日を除く全新聞が「これは誤報である」という朝日包囲網を敷くことになる。9月11日の記者会見は、朝日が「やってはいけないこと」を繰り返してきた結果だと、私は思う。

さて、今回の問題での朝日の粛清人事は凄まじいものだった。木村社長が「道筋がついた後の辞任」を示唆し、編集担当の杉浦信之・取締役編集担当、市川速水・ゼネラルマネジャー兼東京本社報道局長、渡辺勉・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長、市川誠一・東京本社特別報道部長を解任するというのである。

これほどの更迭をおこなった限りは、朝日新聞が「生まれ変わることができるのかどうか」がポイントになる。しかし、私は、それは望み薄だと思う。ただ、今回の出来事は、朝日新聞が創刊以来、「3度目の危機」であることは間違いないだろう。

朝日新聞の最初の危機は、1918(大正8)年に起こった「白虹(はっこう)事件」である。当時、朝日新聞は、大正デモクラシーの風に乗って、デモクラシー礼讃の記事を盛んに書いていた。しかし、米騒動による寺内正毅内閣への批判が巻き起こった時に、朝日新聞は「白虹日を貫けり」と書いた。

「白い虹」というのは、秦の時代、刺客・荊軻(けいか)が始皇帝への暗殺を企てた時に現われた自然現象とされる。「帝」に危害を加え、「内乱」のきっかけになるような不吉な兆候のことだ。

朝日新聞は、これで帝の暗殺と、内乱を煽っていると右翼に糾弾され、大規模な不買運動につながっていく。さらに、当時の村山龍平社長の人力車が右翼に襲撃され、村山社長が全裸にされて電柱に縛りつけられるという事件に発展する。村山社長の首には「国賊村山龍平」と書いた札がぶらさげられていたという。

この事件をきっかけに、村山社長と編集幹部の総退陣がおこなわれた。そして、編集方針も一変する。それまで大正デモクラシーを讃えていた記事から、それとは距離を置いたものとなり、紙面が右傾化していくのである。

そして、朝日はその後、どの社よりも極端な軍国主義礼賛の新聞社として変貌を遂げていく。戦時中はもちろんだが、すでに敗戦の情報をキャッチしていたはずの昭和20年8月14日の社説でさえ、中身は凄まじい。

「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」。

これほどの煽動的な記事を書いていた朝日新聞が、それまでの路線を一気に転換するのは、同年10月24日のことだ。「戦争責任明確化 民主主義体制実現」と1面で宣言し、村山長挙社長以下、取締役が総退陣し、社説で「自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と言ってのけたのである。

「白虹事件」で右翼新聞になり、今度は占領軍(GHQ)路線に乗って、過去の日本を徹底的に弾劾する路線を基本とするべく「宣言」をおこなったのだ。そして、それが、現在の「日本」そのものを貶める路線の原型となり、そして朝日新聞の明確な特徴となっていく。

これが全盛を迎えたのは、一九七〇年代である。全共闘世代、すなわち団塊の世代に朝日の主張は広範な支持を獲得し、それが「自分たちの主張は素晴らしい」「自分たちのイデオロギーこそ戦後日本の象徴である」との錯覚を生んでいった。

やがて、自分たちの主張やイデオロギーに沿って、情報を都合よく“加工”して、どんどん大衆に下げ渡していくという手法が確立する。これを私は「朝日的手法」と呼んでいる。朝日の記者はそれに慣れ、麻痺し、慰安婦の強制連行報道や、今回の吉田調書の誤報事件へと発展していったと、私は思う。

前回のブログでも書いたように、朝日がもし、“ニューメディア時代”の本当の意味を理解していたら、ここまでの「失敗」はしなかったと思う。インターネットの普及によるニューメディア時代は、これまでの「情報」のあり方を決定的に変えていたからだ。

インターネットを通じて、誰もがさまざまな情報を取得することができ、さらに個人個人が情報を発信するブログやSNSなど、さまざまなツールを持つに至った。私は、これを“情報ビックバン”と名づけているが、かつては新聞に都合よく“加工”されて下げ渡されていた「情報」を検証する術(すべ)を持たなかった大衆が、それを個人個人ができるようになったのである。

朝日新聞は、そういう“時代の変化”を読むこともできず、全盛を誇った70年代の手法をそのまま踏襲し、今回、墓穴を掘ってしまったのである。

私は、創刊以来「3度目」の危機に朝日新聞がどう対処するかに注目している。このまま、「中国と韓国」の主張との“一体化”をつづけ、徐々に部数を減らしていくのか。それとも、新たな路線に転換するのか。

私は、いずれも茨(いばら)の道であろうと思う。生き残れるかどうかは、年内で「部数」激減に歯止めがかかるかどうか、である。すべては、朝日新聞を長年購読してきた読者の動向にかかっている。彼らの朝日離れが続くなら、朝日新聞は「3度目の危機」によって、ついに消え去ることになる。

カテゴリ: マスコミ

“情報ビッグバン”に敗れた朝日新聞

2014.09.13

朝日新聞は、“情報ビッグバン”に敗れた。私は、そう思っている。朝日新聞の木村伊量社長の記者会見、そして「吉田調書」誤報の検証記事を見ながら、私には、いくつもの感慨が湧き起こった。

朝日新聞の「9・11」は、日本のジャーナリズムにとって「歴史的な日」であり、「時代の転換点」として長く記憶されることになるだろう。

おそらく従軍慰安婦報道の一部撤回につづく今回の吉田調書の誤報事件は、朝日の致命傷になると私は思う。それは、朝日新聞はジャーナリズムとしても、そして企業体としても「生き残れない」という意味である。

それは、朝日新聞が今、糾弾されているのは、単に吉田調書に対する誤報ではなく、意図的に事実を捻じ曲げて報道するという“朝日的手法”にほかならないからだ。それが報道機関にとってあってはならないことであり、その正体が白日の下に晒された以上、すなわち、国民がそのことに気づいた以上、それは朝日新聞にとって「致命傷」である、ということだ。

自らのイデオロギーや主張に基づいて、それに都合のいい事実をピックアップし、真実とはかけ離れたものをあたかも真実であるかのように報道する――朝日新聞がこれまでつづけてきた、その「手法」と「姿勢」そのものが糾弾されているのである。

私は、すでに“朝日的手法”が通用しない時代が来ていることを、なぜ朝日新聞は気がつかなかったのか、と思う。情報を独占し、自らの主張、イデオロギーによってそれを加工し、大衆に下げ渡していくという手法が、もはや通じなくなっていることに、である。

今回、5月20日に朝日新聞が「命令違反による撤退」という吉田調書報道をおこなった後、私が5月末にまずブログで誤報を指摘し、次に『週刊ポスト』誌上でレポートとしてまとめ、写真誌『フラッシュ』のインタビューに応じるなど、問題提起をしていった。

私自身が驚くほど、それらはインターネットによって拡散され、大きな影響を及ぼしていった。そして以降、産経新聞、読売新聞、共同通信といったマスメディアが吉田調書を入手して検証するに至り、朝日の誤報の具体的な問題点が次々、浮き彫りにされていった。

これは、いったい何を意味しているのか。それは大新聞が情報を独占し、加工して下げ渡していく時代がとっくに終焉しているということである。インターネットの登場によるニューメディア時代は、マスコミが情報を独占する時代を、あっという間に「終わらせていた」のである。

私は、これを“情報ビッグバン”と呼んでいる。情報を発信するのは、マスコミに限らず、それぞれの個人個人、誰にでもでき、ブログやSNSといったニューメディアは、その大きな手段となっている。今回、私が最初に情報発信したのが、「ブログであった」ことでもわかる。

これらニューメディアが台頭する以前、大衆は情報を確かめる術(すべ)を持たなかった。しかし、今は違う。マスメディアが大衆を導く時代は終わり、逆に大衆によって監視され、検証される時代に入っているのだ。

しかし、朝日新聞は、驕りと偏見によって、そのことに気づこうともしなかった。だが、その代償はあまりに大きかった。私はこれから朝日新聞を待っている試練は、はかりしれないほど大きいと思う。それは、いよいよ“本丸”での闘いが、これからスタートするからだ。

本丸とは、いうまでもなく朝日新聞によって、引き起こされた従軍慰安婦の「強制連行」問題だ。中国や韓国の側に立って、日本と日本人をどうしても貶めたい朝日新聞は、1991年8月、1人の朝鮮人慰安婦の取材をすることに成功する。

それは15歳の時にキーセンに売られ、またその後も売られていく金学順さんという薄幸な女性だ。初めて証言する従軍慰安婦として、朝日新聞は彼女を大きく取り上げつづけた。

彼女は、朝日新聞によって、「女子挺身隊の名で戦場に連行された朝鮮人慰安婦」に仕立て上げられた。強制連行の被害者、すなわち、のちに「性奴隷(sex slaves)」と称される従軍慰安婦の典型例として、朝日は彼女を「利用していく」のである。

しかし、実際の彼女は、不幸にも身内によって、身を売られた女性だった。しかし、それでは「日本」を糾弾することができない朝日新聞は、彼女を強制連行された存在としてデッチ上げていくのである。

だが彼女は、自分が「売られていった過去」を隠していない。朝日の報道後、名乗り出た彼女は、記者会見でも、自分が40円で売られたことを堂々と語っている。そしてその後、日本政府に損害賠償請求をした訴状の中にも、はっきりとそのことを記述している。

しかし、朝日新聞は、それでも彼女を「強制連行の被害者」としたのである。1992年1月11日付朝刊で、朝日は従軍慰安婦のことを「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と書いている。“強制連行”という謂われなき濡れ衣を日本人にかぶせつづけたのである。

その結果、日本はどうなったのか。そして日韓関係はどうなったのか。国連の人権委員会によって、慰安婦への謝罪と賠償を勧告され、世界のあちこちに従軍慰安婦像が建ち、日本人が「性奴隷を弄んだ民族」として非難を浴び、そして決定的に日韓関係は破壊されてしまったのである。

朝日新聞が、さる8月5日、6日に検証記事によって撤回したのは、「済州島で慰安婦狩りをした」という自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏に関わる記事だけだった。

しかし、朝日新聞の罪は、吉田清治証言を報道したことよりも、前述の通り、日本軍、もしくは日本の官憲による「強制連行」をつくり上げ、拡大し、そして世界に広めていったことにある。

朝日の報道によって、日本人が被った「不利益」と、失われた「名誉と信用」は、到底、損害額としてはじき出せるようなレベルではない。すなわち、それは、戦後、ひたすら日本と日本人を貶めることに血道を上げてきた朝日新聞の“不断の努力”が実をむすんだ結果なのである。

果たして、朝日新聞の本当の姿が、今後、どれだけ国民の前に明らかになるだろうか。私はそこに注目している。そして、その解明が成された時、私は朝日新聞が「終焉を迎える」と思っている。

中国や韓国の報道機関ならいざ知らず、繰り返されてきた朝日新聞による「日本人を貶める」報道。それが今後、一生懸命、働き、真面目にこつこつ努力してきた大多数の日本人に、受け入れられるはずがない。

私は、「吉田調書」報道の謝罪会見を開いた「2014年9月11日」は、日本のジャーナリズムのターニング・ポイントであり、同時に朝日新聞にとっては、生き残りさえ難しい「致命傷」を負った日だったと思う。

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「日本を貶める朝日新聞」は生き残れない

2014.08.31

いよいよ読売新聞も共同通信も“参戦”してきた。私は昨日の読売新聞、そして共同通信の配信記事を掲載した本日の地方紙の各紙を見て、いったい朝日新聞はどんな対応をとるのだろうか、と思った。

読売新聞も共同通信も、産経新聞につづいて「吉田調書(聴取結果書)」を入手し、「吉田調書の全容が明らかになった」として、大展開したのである。特に、読売新聞の報道量は凄まじいものだった。各面で、朝日新聞の「吉田調書報道」が誤報であることを繰り返して伝える紙面となっていたからだ。

1面トップでは、〈福島第一 吉田調書 「全面撤退」強く否定 「第二原発へ退避正しい」〉、2面で〈朝日報道 吉田調書と食い違い〉、3面では〈退避 命令違反なし〉、社会面トップの39面では、〈「命賭けて作業した」 吉田調書「逃亡報道悔しい」第一原発所員語る〉という記事を掲げたのだ。

つまり、産経新聞と同じく読売新聞も、吉田調書の“現物”を読んだ上で、朝日新聞の「吉田調書報道」を全面否定し、糾弾したのである。産経新聞につづき、これほどライバル社が同業他社の記事を“全否定”する事例は珍しい。朝日の手法に対して、同業者として、そして同じジャーナリストとして、“怒り”が抑えられなかったのだろう、と思う。

そして、共同通信の中身も痛烈だ。こちらも、吉田調書を入手し、〈吉田氏は聴取に、命令違反があったとの認識は示していない〉〈2Fまで退避させようとバスを手配した〉と、朝日の報道内容を全面否定した。

しかも、共同通信には、当時、免震棟内の緊急時対策本部で総務班長を務めた男性社員(46)が、退避前夜の3月14日、2号機の危機的状況を目の当たりにした吉田氏の命令で自分が避難先を探したと明らかにした上で、「第2原発に退避することは前夜のうちに決まっていた。吉田所長も理解していた。“命令違反”と書かれているが、それはいったい何だという感じです」と証言している。

この共同通信の記事は、今朝の地方紙を中心に一斉に掲載されている。私はこれらの報道をある種の感慨をもって見つめている。朝日新聞が5月20日から始めた「所長命令に違反して現場の9割の所員が撤退した」というキャンペーン記事に対して、私がブログで異を唱えたのは、5月末のことだった。

吉田所長以下、福島第一原発(1F)の事故現場で闘った多くの人々を取材していた私は、朝日新聞の報道が「虚偽」であることがすぐにわかったからだ。日本が有史以来、最大の危機に陥った2011年3月15日朝、福島第一原発の免震重要棟にいた女性社員を含む約700人の内、9割の所員が所長命令に「従って」、福島第二原発(2F)に「退避した」ことを私は知っていた。それが、たった一つの「厳然たる事実」である。

拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日―』の中でも、そのことは詳細に記述している。退避に先立つ3時間以上前(3月15日午前3時過ぎ)には、東電本店から「退避の手順」として、「健常者は2Fの体育館へ」「けが人は2Fのビジターへ」と具体的な退避先の建物も決められ、1Fに伝えられていた。退避する時は、「2Fへ」というのは、吉田所長以下、全員の共通認識だったのだ。

大きな爆発音が轟き、2号機の圧力抑制室(サプチャン)の圧力がゼロになった午前6時過ぎ、吉田所長は「各班は最少人数を除いて退避!」と叫んでいる。免震重要棟にいた女性社員を含むおよそ650人が、この吉田所長の命令に従ってバス5台と自家用車に分乗して、あらかじめ決められていた通り、「2Fに向かった」のである。

しかし、これが午前5時36分に東電本店に乗り込んだ菅首相の「逃げて見たって逃げ切れないぞ」「東電は100パーセント潰れる!」という大演説の直後だっただけに、吉田所長は、全体に流れるテレビ会議の発言では、菅首相がテレビ会議の映像を見ていることを前提に慎重な発言を繰り返している。

朝日新聞は、吉田調書の一部を取りだして「所長命令に違反して所員の9割が撤退した」と報じ、吉田所長の本当の命令は「1F構内か、その近辺にとどまることだった」と書いたのだ。

しかし、現場を少しでも取材したことがあるジャーナリストなら、これがいかに非常識であるかは、即座にわかる。なぜなら、1Fの中で最も安全な場所は、彼らがいる「免震重要棟」である。そこから出て、その約650名は、いったい構内のどこに行けばいいというのだろうか。放射性物質大量放出の危機に、防護マスクも圧倒的に不足している中で、どこかの“木陰”にでも「隠れていろ」という命令を吉田所長が出したとでもいうのだろうか。

朝日新聞は、一連のキャンペーン記事の中で、世界から称賛されたあの“フクシマ・フィフティー”も、福島原発に留まったのは、所員9割が所長命令に違反して2Fに撤退してしまった「結果に過ぎない」とまで書いたのである。

朝日の思惑通り、外国のメディアは朝日の報道を受けて、「パニックに陥った原発所員の9割が命令に背いて逃げ去った」「これは、“日本版セウォル号事件”だ」と大々的に報じたのは周知の通りだ。

しかし、各メディアが入手した「吉田調書」には、朝日が書いた「命令違反で所員の9割が撤退した」との吉田証言は存在しなかった。

吉田所長をはじめ、現場の人間に大勢取材している私は、現場の真実を知っている。だからこそ、朝日の第一報があった時、「ああ、いつものやり方だ」と、即座に理解できた。

それは、政治家や官僚などのちょっとした発言の「言葉尻」を捉えて中国や韓国の要人に“ご注進”し、それを打ち返して「大問題」にしていく、いわゆる“ご注進ジャーナリズム”を得意としてきたメディアならではの「手法」だと思ったのである。

朝日新聞が「吉田調書」の中の一部分の言葉尻を捉えて、事実とは真逆のことを報じてきた――そのことは、私にかぎらず、あの事故現場を取材してきたジャーナリストたちには、すぐにわかったのである。

私は、朝日の記事を全面否定する今回の報道が福島第一の現場に食い込んでいるメディアによるものであることに注目している。彼らには、当初から朝日の報道が虚偽であることはわかっていたが、吉田調書の現物を入手できていないために、これまでそれを「否定する報道」ができなかっただけなのである。

だが、政府が吉田調書の公開を決めたことにより、ついにこれを各メディアが入手し始めた。それは、そのまま朝日の誤報を白日の下に晒す結果につながったのである。

私が5月末にブログで意見を発表後、週刊誌、写真誌、月刊誌、インターネットテレビ、新聞が次々と私の論評を取り上げてくれた。そして、ついに先日の産経新聞につづいて読売新聞、そして共同通信も吉田調書を手に入れ、朝日新聞のその報道を全面否定したのである。それは、私が声を上げて、わずか「3か月後」のことだった。

私は、何十年か後になってこの「吉田調書」が公開された時、初めて朝日新聞の“誤報事件”が明らかになるだろう、と思っていた。しかし、何十年か経ってからでは、言うまでもなく意味はない。だから、正直言えば、ある種の“虚しさ”を覚えつつ、私は一連の論評を発表していた。

つまり、「吉田調書」の事実を捻じ曲げて、現場の職員、つまり「日本人を貶めた」朝日新聞の手法が、白日の下に晒されることなど「まずないのではないか」と思っていたのだ。

しかし、従軍慰安婦の検証記事を朝日新聞が発表(8月5、6日)以降、事態は急変した。慰安婦狩りの証言記事を撤回するまでに32年かかったとはいえ、正式に朝日は慰安婦狩りの証言記事を撤回した。

そこから、この「吉田調書問題」も、急展開してきたのだ。まず産経新聞、そして読売新聞、そして配信を始めた共同通信を含めたメディアは、実際に吉田調書の“現物”を手に入れて、堂々と朝日の「誤報」を取り上げ始めたのだ。

朝日新聞がいかに「誤報」をおこなったか、意図的な編集はどうおこなわれたか。ここに国民の関心が集まることは、実に貴重なことだと思う。私は、これは朝日新聞の“終わりの始まり”だと思っている。

それは、近く政府から公表される「吉田調書」によって、国民自ら、朝日新聞の「日本を貶める手法」を確認することができるからだ。「なぜこの調書で、あんな“真逆の記事”ができるのか」。それを国民は自ら、その目で判断できるのである。

私は、朝日新聞から抗議書を送付され、「法的措置」を講じることを検討する、という脅しの文句を伝えられている身だ。それは、言論機関とは到底思えない“圧力団体”の手法でもある。その当の朝日新聞が、どんな“意図的な編集”をおこなっているか、国民が自分の目で確かめればいいのではないか、と思う。

自らは現場で命をかけて奮闘した人々の「名誉と信用」を傷つけたことを恬(てん)として恥じず、それに批判の論評を掲げたジャーナリストに対しては、法的措置をちらつかせる抗議書を送りつける――私は、朝日新聞に対して、もはや言うべき言葉はない。

私の論評に対して、「朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損しており、到底看過できません」という抗議書を送りつけた朝日新聞は、それよりも明確な“完全否定”をおこなった読売新聞と共同通信に対して、どんな抗議書を送るのか、私はまずそこに注目したい。

しかし、「真実はひとつ」しかない以上、朝日新聞がどんなに抗(あらが)っても、いくら弁明しても、吉田調書報道の正当性を主張するのは、もはや無理だと私は思う。

私はコメントを求められたために、吉田調書の全文を読ませてもらったが、先日の産経新聞、今日の読売新聞と共同通信は、「吉田調書」の真実を客観的に報じている。それが私の率直な感想である。

「朝日新聞以外のメディア」は、読者に吉田調書の内容を「正確に伝えている」ので、朝日の“現場の人間”を貶める意図的な「編集とその手法」は、これから徹底的に分析されていくに違いない。

しかし、一度失われた名誉を回復するのは、難しい。世界中に流布された「現場の人間は逃げた」という内容は、なかなか払拭(ふっしょく)されないだろう。それは、従軍慰安婦報道と同じだ。日韓関係を徹底的に破壊し、世界のあちこちに従軍慰安婦像が建つような事態をもたらした朝日新聞の従軍慰安婦報道と同じく、失われた日本人の信用は、容易に回復されないだろう、と思う。

今週、朝日に広告掲載を拒否された『週刊文春』の記事の中に国際ジャーナリストの古森義久氏が、こうコメントしていた。「彼ら(筆者注=朝日新聞のこと)は日本という国家が嫌いなんですよ。日本は弱ければ弱いほどいい、という中国共産党と同じ発想。自らが信じる政治的なイデオロギーに合ったものしか選ばないから、結果的に間違えてしまう。それが朝日の体質なんでしょう」

また、『週刊現代』には、元朝日新聞記者の本郷美則氏の「朝日、特に社会部系は左傾した偏向報道を続けてきたが、それももう限界だろう。ニューメディアの普及により情報伝播は民主化され、旧メディアが民衆を操作する時代は終わったのだ」という意見も紹介されていた。

私も両氏と同意見である。私は反原発でも、原発推進の立場でも、どちらでもない。なぜなら、両方の意見に「一理がある」からだ。しかし、反原発という強固な主張を持つ朝日新聞が、その“イデオロギー”に基づいて、事実を捻じ曲げてまで「吉田調書」を偏向報道したことは、朝日にとって致命的だと私は思う。

それは、慰安婦報道と同じく、意図的に「日本を貶める」ことを前提としていることが国民の前に明らかになるからだ。私は、もはや朝日新聞が日本で「生き残る」ことは無理だと思う。それが、私が「朝日新聞の終わりの始まり」と思う所以である。

カテゴリ: マスコミ, 原発

日本人にとって「朝日新聞」とは

2014.08.20

もうここまで来ると「日本人にとって朝日新聞とは?」ということを真剣に考えなければならないのではないだろうか、と思う。一昨日から産経新聞が報じている「吉田調書」(聴取結果書)の真実は、多くの国民に衝撃を与えたのではないだろうか。

私は、産経新聞にコメントを求められ、吉田調書の全文を読んだ。そして、「朝日はなぜ事実を曲げてまで日本人を貶めたいのか」という文章を産経新聞に寄稿した。すると、朝日新聞から「名誉と信用を傷つけられた」として、抗議を受けている。

私は正直、そのことにも、呆れている。朝日新聞は5月20日付紙面で、「吉田調書入手」と銘打ち、「福島第一原発から職員の9割が所長命令に違反して撤退した」と、大キャンペーンを始めた。

その記事によって、世界のメディアが「日本人も原発の現場から所長命令に背いて逃げていた」「これは“第二のセウォル号事件”だ」と報じ、現場で命をかけて事故と闘った人々の名誉と信用は傷つけられた。

朝日新聞が報道機関として本当に「名誉と信用を傷つけられた」というのなら、紙面で堂々と反論すればいい。そして、命をかけた現場の人々の名誉と信用を自分たちが「傷つけていないこと」を、きちんと論評すればいいのである。

これまで何度も書いているので詳細は省くが、朝日が報じる2011年3月15日の朝、福島第一原発(1F)の免震重要棟には、総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”も含む700名ほどの職員がいた。その中には、女性職員も少なくなかった。事態が悪化する中で、彼ら彼女らをどう1Fから退避させるか――吉田昌郎所長はそのことに頭を悩ませた。

700名もの人間がとる食事の量や、水も流れない中での排泄物の処理……等々、1Fで最も安全な免震重要棟はその時、とても多数の人間が居つづけられる状態ではなくなっていた。1Fのトップである吉田所長は、2F(福島第二原発)への退避について、2Fの増田尚宏所長と協議をおこない、その結果、2Fは、「体育館で受け入れること」を決めている。

そんな交渉を前日からおこない、その末に3月15日朝6時過ぎに、大きな衝撃音が響き、2号機の圧力抑制室(サプチャン)の圧力が「ゼロになった」のである。それは放射性物質大量放出の危機にほかならなかった。もはや、彼ら彼女らを免震重要棟に留まらせていることはできなかった。

「各班は、最少人数を残して退避!」と吉田所長は叫び、のちに“フクシマ・フィフティ”と呼ばれる人々(実際には69名)を除いて、吉田所長の“命令通り”職員は2Fに退避したのである。

こうして女性職員を含む多くの職員が、バスと自家用車を連ねて2Fへと一斉に移動した。しかし、これを朝日新聞は“所長命令に違反して撤退した”と書いたのである。

この場面は、私が吉田所長以下、90名近い現場の人たちに取材して書いた拙著『死の淵を見た男』のヤマ場でもある。私は、この事態になる直前、「一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた」と、1Fに残ってもらう人間を“選別”する吉田所長の思いと姿を、当の吉田さん自身から詳細に聞いている。

私は、吉田さんの証言を聞きながら、「今の世にこれほど“生と死”をかけた壮絶な場面があるのか」と思い、そのシーンを忠実に描写させてもらった。

しかし、朝日新聞は、あの壮絶な場面を世界中のメディアが「所長命令に違反して現場から逃げ出した」と報じるようなシーンにしてしまったのである。

吉田調書には、吉田さんが「関係ない人間(門田注=その時、1Fに残っていた現場以外の多くの職員たち)は退避させますからということを言っただけです」「2Fまで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました。2Fの方に」とくり返し述べている場面が出てくる。

そして、「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危機的な状況で現場に向かっていく職員たちを吉田氏が何度も褒めたたえる場面が出てくる。そこには、「自分の命令に違反して、部下たちは2Fに撤退した」などという証言は出てこない。

吉田調書とは、いかに事態を収束させようと、現場で働く浜通りの人々、すなわち故郷、ひいては日本を救おうと頑張った人たちのようすが「よくわかる内容」だったのである。それは、私が予想した通りのものだった。

私は、「日本人にとって“朝日新聞”とは何だろう?」と、しみじみ考えている。従軍慰安婦の強制連行問題でも、朝日新聞は「私は済州島で慰安婦狩りをした」と言う自称・山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏の話を流布しつづけた。


32年間もその報道を訂正しなかった朝日新聞が、さる8月5日、この一連の記事を突然、撤回したのは周知の通りだ。しかし、世界中で「性奴隷(sex slaves)を弄んだ日本人」と喧伝され、日韓関係も完全に「破壊」された今となっては、その撤回も虚しい。

朝日新聞とは、日本人にとって何なのだろうか。今、そのことを多くの国民が「わがこと」として考える必要があると、日本人の一人として心から思う。

カテゴリ: マスコミ

従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞

2014.08.05

本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。

「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。

従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。

彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。

だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の官憲によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。

「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。

現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。

言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 杉浦信之〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。

〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉

私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。

〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。
 被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。
 戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉

「えっ? それはないだろう」。この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。

彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。

しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。

その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。

これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。

さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉

この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。

そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。

私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。

ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。

〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉

すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。

ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、スマランという場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。

まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。

また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。

驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。

さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた植村隆記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。

記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。

〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉

ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。

さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生(キーセン)に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。

私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要(かなめ)の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。

つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。

すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。

私は、不思議に思うことがある。それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。

なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。

従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

共同通信が決着させた朝日新聞「吉田調書」誤報事件

2014.07.25

どうやら朝日新聞の「吉田調書」の“誤報事件”も決着がついたようだ。共同通信の連載記事『全電源喪失の記憶~証言福島第一原発~』が、ようやく問題の「2011年3月15日朝」の場面に辿りつき、その時のようすが克明に描写されたのである。

地方紙を中心に連載されているこの記事は、今年3月に始まり、現在、70回以上に達している。異例の長期連載と言っていいだろう。連載は、これまで第1章「3・11」、第2章「1号機爆発」、第3章「制御不能」、第4章「東電の敗北」とつづき、そして今の第5章は「命」と銘打たれている。7月に入って、この第5章がやっと始まり、地方紙およそ30社がこれを掲載している。。

そこでは、3月15日早朝、東電本店に乗り込んだ菅首相が「撤退したら東電は100パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」と演説する場面がまず描写されている。拙著『死の淵を見た男~吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日~』のヤマ場でもあり、朝日新聞が「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」と、報じた“あの日”のことである。

私は、この2011年3月15日は、日本が有史以来、最大の存続の危機に陥った日だったと思っている。共同通信は、長期にわたった取材によって、この日の福島第一原発の内部を克明に記している。多くの場面が、拙著とも重なっているので、私は興味深く読ませてもらった。

激烈な菅首相の演説のあとの衝撃音、2号機のサプチャン(圧力抑制室)の圧力がゼロになる場面、そして吉田所長が職員の「退避」を決断し、福島第二原発へと退避させる場面……等々、息を呑む場面が連続して描写されている。

拙著と同じく、記事はすべて実名証言に基づいている。私は、生前の吉田氏から、この時のことを直接、聞いているので、共同通信が「3・15」をどう書くのか、連載の途中から注目していた。そして、それは予想以上の克明さだった。

〈全員が凍り付いた。圧力容器からの蒸気を冷やす圧力抑制室の気密性がなくなり、高濃度の放射性物質を含んだ蒸気が環境に大量放出される。もう第1原発構内どころか、周辺地域にすら安全な場所はなくなる。最も恐れていた事態だった。
 稲垣が吉田に進言した。
「サプチャンに大穴が開いたと思います。とんでもない量の放射性物質が出てきますよ」
「退避させるぞ」
 吉田は即決した。テレビ会議のマイクのスイッチを入れ、本店に退避を申し出た。必要のない大勢の社員たちをいつ退避させるか吉田はずっとタイミングを計ってきたのだ。今がその時だった。
 ところが約220キロ離れた東京の本店の反応は鈍かった。制御室にある圧力計が故障したのではないかと言う。吉田がキレた。
「そんなこと言ったって、線量が上がってきて、こんな状態で全員いたら、おかしいだろっ!」〉

共同通信のこの詳細な描写に、私は『死の淵を見た男』を取材した当時のことを思い出した。時に涙し、時には震えながら、あの自らの「生」と「死」をかけた闘いの場面を述懐するプラントエンジニアたちの姿を思い出したのだ。

記事は、南に約12キロの位置にある退避先の福島第二原発(2F)の安全を確かめるため、風向きをまず見させてから職員を退避させる吉田所長の姿が描かれている。そして、総務班長はこう指示する。

〈「皆さん、速やかに退避してください。最終目的地は2Fです。免震重要棟近くの路上にバスがあります。とにかく乗れるだけ乗ってください。まず正門の先で線量を測ります。とどまれなければ2Fに行きます」。総務班長はこの後、第2原発に「そちらに行くことになります」と電話を入れた〉

「2Fへの退避ですよ」と仮眠中に叩き起こされ、2Fへ向かった者や、逆に2Fへの退避を命じられても「残ります」と言い張って、命令をきかなかった者、あるいは、2Fへの退避を決めたエンジニアが、「最後に子どもの顔が浮かんだんです。子どものためにも今は死ねないな、と思いました。正直、うしろめたさはありましたが……」と、自らの葛藤を吐露する場面など、長期にわたる取材の深さを感じさせてくれる描写だった。

私は、この記事の中で、「俺は、残る。君は出なさい」「絶対、外で会いましょうね」「分かった」「約束ですよ」……当直長からの退避命令に、そんなやりとりの末に2Fへ去っていく若手プラントエンジニアの証言が印象に残った。

また、退避しながら免震棟を振り返り、「あの中にはまだ人がいる」と涙が止まらなかった人、あるいは2Fの体育館に全員が無事到着したことが報告されると、「おぉ、そうか」と吉田所長が安堵した声で答える場面などが、興味深かった。

これが、朝日新聞が「9割が所長命令に違反して逃げた」と報じる、まさにその場面である。私は、あまりの違いに言葉も出ない。

『死の淵を見た男』の取材で100名近い関係者の実名証言を得ている私は、NHKの「NHKスペシャル班」も相当、現場への取材を展開し、深く食い込んでいることを知っている。

そして、共同通信の現場への食い込み方は、やはり活字媒体ならでは、の思いが強い。しかし、朝日新聞だけは、現場取材の痕跡がない。「ひょっとして朝日は現場に取材もしないまま、あの記事を書いたのではないか」と、どうしても疑ってしまうのである。

現場を取材する他紙の記者たちの中にも、今は、あの時の“現場の真実”を知っている記者たちが多くなってきた。彼らは、今回の朝日の「吉田調書」キャンペーンには、実に冷ややかだった。そこには、裏取りが不完全なまま「9割の人間が逃げた」と書いてしまう同業者に対する諦めと怒りがあるように私には思えた。

だが、朝日の報道の結果として残ったのは、「日本人も現場から“逃げて”いた」「日本版“セウォル号”事件」と外国メディアに大報道され、現場で闘った人々の名誉が汚され、日本人そのものが「貶められた」という厳然たる事実だけである。

従軍慰安婦報道をはじめ、日本と日本人を貶める報道をつづける朝日新聞にとっては、それはそれで「目的は達せられた」のかもしれない。しかし、自らのイデオロギーに固執し、そのためには世論を誘導することも、また真実とは真逆の記事を書いても良しとする姿勢には、同じジャーナリズムにいる人間にとって、どうしても納得ができない。

私は、朝日新聞には一刻も早く「吉田調書」の全文を公表して欲しい、と思う。そして、吉田所長と彼ら現場の人間を貶めるために、作為的な編集作業をおこなったのか否か――ジャーナリズムの検証を是非、受けて欲しい。私はそのことをまず、朝日新聞にお願いしたいのである。

カテゴリ: マスコミ, 原発

日本のメディア“偽善”と“すり替え”の罪

2014.07.10

昨日7月9日は、福島第一原発(1F)の元所長、吉田昌郎氏が亡くなって丸1年、すなわち「一周忌」だった。ちょうどこの日、『週刊朝日』の元編集長で、朝日新聞元編集委員でもある川村二郎さんと私との対談記事が『Voice』に掲載され、発売になった。

対談の中身は、例の「吉田調書」である。政府事故調によって28時間にわたって聴取され、記録されたという「吉田調書」なるものを朝日新聞が報道して、1か月半が経った。

それによって朝日新聞は「福島第一原発の所員の9割が所長命令に“背いて”福島第二に撤退した」という、事実とは真逆のことを書いた。私がこれに異を唱えて朝日との間で問題になっているのは当ブログでも書いてきた通りである。

この問題について、『Voice』誌に依頼され、私にとっては雑誌業界の大先輩である川村さんとの対談をさせてもらったのだ。題して、「吉田調書を公開せよ」。つまり、それは、「朝日新聞は責任をもって『吉田調書』の全文を公開せよ」という内容の対談となった。

私は、吉田さんや汚染された原子炉建屋に突入を繰り返した1Fのプラントエンジニアたち、あるいは当時の菅直人総理や班目春樹・原子力安全委員会委員長ら、100名近くの当事者を取材し、その実名証言をもとに『死の淵を見た男』を上梓した。2012年11月のことである。

私が描かせてもらった1Fのプラントエンジニアたちは、多くが地元・福島の浜通りの出身だった。つまり、地元の高校、工業高校、そして高専などの出身者である。

地震から5日目の3月15日、2号機の圧力が上昇して最大の危機を迎えた時、総務、人事、広報など、女性社員を含む多くの事務系職員たちを中心に、600名以上が吉田所長の命令によって福島第二原発(2F)に一時退避する。

この時、1Fには、彼らのような多くの“非戦闘員”たちが残っていたのである。フクシマ・フィフティ(実際には「69人」)を残したこの600人以上の退避を、朝日新聞は、所長命令に「背いて」、「9割」の人間が「撤退した」というのである。朝日の報道を受けて、外国メディアが、「日本人もあの現場から逃げ去っていた」と大々的に報じたのは、周知の通りだ。

私は、朝日新聞には、本当に『吉田調書』を公開して欲しい、と思う。菅直人政権下の政府事故調によって非公開とされた『吉田調書』。しかし、これほど真実とかけ離れたかたちで調書が朝日新聞に利用され、極限の現場で奮闘した吉田氏と部下たちが貶められた以上、このままであってはならないと思う。

朝日新聞の報道によって、現場の必死の闘いは、外国から「あざ笑われるようなもの」となった。貶められた1Fの現場の人間たちも、是非、朝日には「吉田調書」を公開してもらいたいだろう。何をもって自分たちが「所長命令に背いて逃げた」と言われなければならないのか。その根拠とは何なのか。そして朝日が伝えたい“現場の真実”とは一体、どんなものなのか。そのことを確かめたいに違いない。

実際に、私のもとにはそういう現場の声が多数、寄せられている。朝日新聞には「吉田調書」の全文公開をなんとしてもお願いしたいと思う。そして、いかに事実とは真逆のことを朝日が書いたのか、多方面のジャーナリズムの検証を受けて欲しいと思う。

発売になった同じ『Voice』誌には、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が〈『朝日』と中国から日本を守れ〉という記事を書いていた。私はこの記事に目を吸い寄せられた。

それは、櫻井氏が、日本がそこから守らなければならない「相手」として、「中国」だけでなく「朝日」も俎上に上げていたからだ。〈『朝日』と中国から日本を守れ〉――それは、実に強烈なタイトルだった。

櫻井氏はこう書いている。〈『朝日新聞』の特徴は、中国の特徴と似ています。多くの事例から『朝日』は「嘘をもって旨とする」メディアといわれても仕方がないでしょう〉、さらに〈歴史の事実を目の前に突き付けられても反省する気配のない『朝日新聞』の報道姿勢を見ると、「この人たちには名誉というものの価値がわからないのではないか」と疑わざるをえません〉。

厳しい論評だが、私もまったく同感である。櫻井氏も指摘する1991年8月の朝日新聞による報道に端を発した「従軍慰安婦問題」などは、その典型だろう。櫻井氏は、中国が嘘を連ねる背景を孫子の「兵は詭道(きどう)なり」の言葉を引いて説明している。

残念なことに、日本にはこの隣国の掌(てのひら)で踊るメディアは少なくない。日本のメディアが、なぜここまで日本を貶め、真実とは程遠い隣国の主張を代弁しつづけるのか、確かにそのあたりから説き起こすべきかもしれない。

私は最近の一部のメディアを見ていて、感じることがある。それは、「公平」や「中立」、あるいは「客観報道」というものから、完全にかけ離れた存在になっている、ということだ。

それは、あたかも「“活動家”が記事を書く」、すなわち真実はそっちのけで、自分の主張に都合のいいファクトを引っ張って来て、一定の活動家勢力の機関紙かのような内容になっている点である。「こんな新聞を毎朝読んでいたら、知らず知らずに洗脳されていくだろうなあ」と思わずにはいられないのである。

宗教的な事件が起こるたびに“マインドコントロール”という言葉がよく出てくるが、まさにそんなあからさまな紙面が毎朝、「当たり前」になっているのである。新聞メディアの部数低下の大きな原因は、読者の“愛想尽かし”にあるのではないかと、私は思う。

櫻井氏が指摘するように、「慰安婦問題」の検証は重要だと思う。この問題がもたらしたものは一体、何だろうか。朝日新聞の報道をきっかけに始まったこの問題で大騒ぎした人々は、今、満足しているのだろうか、と思う。日韓両国の間に残ったのは、根深い憎悪と怨念だけである。しかも、もはやそれは、修復不能かもしれない。

あの貧困の時代にさまざまな理由で春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるを得なかった薄幸な女性たち。喜んで色街(いろまち)で働く女性は当時とてなく、あの不幸な時代に“身売り”していった女性たちの気持ちを思うと胸がしめつけられる。

しかし、これは、その薄幸な女性たちが、「日本軍、もしくは日本の官憲によって戦場に強制連行されていった」という“虚偽”によって問題化され、そして国際化されていったものである。その中心にいたのは、あくまで「日本人」だったのだ。

日本と日本人を貶めたい彼(か)の国の人々と連携し、自分たち日本人を必死で貶めようとする「日本人の存在」が、この問題を大きくし、複雑化し、そして国際化させていったことを私たちは忘れるべきではないだろう。

あの時代の薄幸な女性たちの存在を私たちは、永遠に忘れてはいけない。しかし、その存在を「事実を捻じ曲げて」、日本の「強制連行問題」に巧妙にすり替えた「人々」とその「手法」もまた、私たちは絶対に忘れてはならない、と思う。

それは、日本の一部のメディアが得意とする“偽善”と“すり替え”によるものである。以前、当ブログでも書かせてもらった「マスコミ55年症候群」がそれだ。

私たち日本人は、「日本」と「日本人」を貶めようとする記者たちの巧妙な手法に、いつまでも騙されていてはならないだろう。櫻井氏のレポートを読みながら、私は、日本を救った男の一人・吉田昌郎さんの「一周忌」に、そんなことを考えていた。

カテゴリ: マスコミ, 原発

朝日新聞の「抗議」を受けて

2014.06.10

昨日、名古屋で講演があった。テーマは、「極限の現場に立つ日本人の底力とは」というものである。サブタイトルは、「太平洋戦争と福島第一原発事故から何を学ぶか」というものだった。

私は、さまざまなジャンルでノンフィクションを書かせてもらっているが、文庫も含めて25冊の著作のうち10冊が戦争ノンフィクションであり、また福島原発の事故を扱った作品もある。共通しているテーマは、日本人の「現場力」であり、毅然とした「生きざま」である。

前回のブログで、私は朝日新聞の「吉田調書」キャンペーン記事のお粗末さについて書かせてもらった。これを読んだ週刊誌や写真誌、月刊誌等から原稿依頼や取材依頼が来た。私は、次作のノンフィクションの取材と執筆に忙殺されてはいるが、できるだけその要望にお応えしたいと思い、時間を割いた。

ちょうどそのことについて書いた記事(6ページ)を掲載した『週刊ポスト』が昨日、発売になった。講演では、そのことをまず話させていただいた。

それは、「東電本店」の命令にも逆らって、現場で事故と闘った原発職員たちの話である。彼らの凄まじい闘いについては、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日―』に書かせてもらっている。

しかし、本を読んでくれている人は少ないので、私はぎりぎりの土壇場で日本を救った無名の「現場の人々」の話をさせていただいたわけである。聴いてくれた人たちが驚いたのは、現場の人々が「東電本店とも闘って日本を救った」という点だった。

日本のマスコミは、「東電本店」と「福島第一の現場」を同一視して報道しているが、そもそも、そこが間違っている。東電本店は、優秀な大学を卒業して就職してきた「エリート集団」である。一方、福島第一原発の現場職員たちの中心は、地元の高校、工業高校、高等専門学校……等々を卒業して就職した叩き上げの「地元の人」たちだ。

私が描いたのは、「家族と故郷」を守るために放射能汚染の中で命をかけて作業をおこなったその「現場の人々」の姿と思いである。彼らは、福島第一原発に就職し、プラントエンジニアとして成長していった人など、多くが「浜通り」に生まれ育った人たちなのだ。

私は現場の人たちの証言を聞くうちに、吉田所長のもとであそこまで彼らが踏ん張れた理由がわかった気がした。あるプラントエンジニアは、いざ生と死をかけて原子炉建屋に突入する時、自分には「やり残したことがある」ことに気づき、「心が折れそうになった」と語ってくれた。外部との連絡もできず、家族が無事かどうかもわからない中でのことである。

「やり残したこと」とは、「ありがとう。今まで幸せだった」という言葉を妻に告げることだった。せめてそのことだけでも伝えてから汚染された原子炉建屋、すなわち“死の世界”に「飛び込みたかった」というのである。

家族を背負い、故郷を思い、決死の覚悟で突入を繰り返した人々の話に、私は何度も心が震えた。吉田所長の生前、私はジャーナリストとして唯一、吉田さんからも話を伺うことができた。そこでも、極限の現場に立った人間の思いを聞くことができた。

東電本店のとんでもない命令に反して、現場はどう闘ったか――今は亡き吉田さんは、部下たちの凄さを語ってくれたのである。

朝日新聞は、その福島第一の現場から「9割の人間が所長命令に違反して撤退した」と書いている。吉田さんが政府事故調の聴取に応じたいわゆる「吉田調書」にそう書いている、というのだ。

だが、根拠とされる「吉田調書」には、そんな部分はない。朝日で紹介された吉田調書の中の証言を素直に読めば、一糸乱れず福島第二に行ってくれた部下たちのことを、吉田氏は含羞(がんしゅう)をこめた彼独特の言いまわしで、むしろ「自慢」しているのである。

震災から5日も経った2011年3月15日朝、福島第一の免震重要棟には、女性社員を含む総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”、さらには協力会社を含む作業員たちが計700名近くもいた。

事態が刻々と悪化し、大気が放射能で汚染されていく中で、「外部への脱出」の機会が失われていったからだ。彼ら、彼女らをどう福島第二原発まで脱出させるか。吉田さんは、そのことに頭を悩ませている。

そして、3月15日午前6時過ぎ、ついに大きな衝撃音と共に2号機の圧力抑制室(通称・サプチャン)の圧力がゼロになった時、吉田所長は「各班は、最少人数を残して退避!」と叫んでいる。

吉田所長たちは、彼ら“非戦闘員”たちを福島第二へ撤退させることを前夜から話し合っており、「各班は、最少人数を残して退避!」というのは、イコール「福島第二への退避」を意味している。

しかし、朝日新聞はこれを「所長命令」に違反して「9割が福島第二に撤退した」、すなわち職員の「9割」が吉田さんの命令に違反して逃げたと報じ、今、世界中の新聞がそのことを報道しているのである。

彼ら現場で闘った人々を曲解によって貶める報道は、日本人の一人として私はいかがなものかと思っている。しかし、本日、朝日新聞から私の記事に対して、「当社の名誉と信用を著しく毀損している。法的措置を検討している」との抗議書が来た。

朝日の記事によって名誉を毀損された福島の「現場の人々」の嘆きが私のもとには続々寄せられている。しかし、その内容について「言論」によって指摘した私の記事に対して、言論機関である朝日新聞が「言論」で闘うのではなく、「法的措置」云々の文書を送りつけてきたことに私は、唖然としている。

私は週刊ポストの記事の最後に「記者は訓練によって事実を冷徹に受け止め、イデオロギーを排する視線を持たなければならない」というジャーナリズムの基本を問う言葉を書いた。しかし、朝日新聞には、とてもその意味を理解してもらうことはできなかったようだ。ジャーナリズムの人間として寂しい限りである。

カテゴリ: マスコミ, 原発

「維新」を失墜させた“石原発言”とは何だったのか

2013.06.24

今日も一日、次の作品の取材に明け暮れた。締切が近づいているのに、まだ取材が連日つづいている。夕方やっと事務所に戻ってきたら、驚くべきニュースが流れていた。都議選の敗北を受けて、「維新の会」の共同代表である橋下徹氏と石原慎太郎氏が電話で話し合い、「力を合わせて参院選を戦おう」と確認し合ったというニュースである。

「えっ?」と思ったのは私だけではないだろう。石原氏が共同通信のインタビューに答えて、橋下氏の従軍慰安婦発言について、「大迷惑だ」「弁護士の限界だ」「言わなくてもいいことを言って、タブーに触れたわけだから、いまさら強弁してもしょうがない」……等々と、大批判を展開したのは、つい18日のことである。

都議選の投開票のわずか5日前に、党の共同代表同士が「意思疎通ができなくなっている」ことを満天下に晒して、その党が選挙に勝てるはずはない。これを受けて、橋下氏は翌19日に「都議選敗北なら(共同代表の)辞任もあり得る」という考えを明らかにせざるを得なかったのは記憶に新しい。

選挙の結果は、案の定、厳しいものだった。維新の会は改選前の「3議席」を「2議席」に減らした。しかし、前述のように、今日、両共同代表は電話会談をおこない、「参院選は頑張ろう」ということで一致したのである。そして、橋下氏は大阪市役所で記者団を前に、「もう一度チャンスを与えてほしい。参院選で全国民からしっかりと審判を受けたい」と表明した。

驚いたのは、有権者だろう。二人の代表の間に亀裂が生じ、党がバラバラになろうというところに、わざわざ票を入れる人などいるはずがない。それは維新の会の都議選での「票数」と「獲得議席」にそのまま現われた。しかし、選挙が終わったら、二人は「ともに頑張ろう」と確認し合ったというのである。

落選した維新の会の都議選候補者たちも、きっと信じられない思いに違いない。あの石原発言は何だったのか、と。選挙終盤に、維新の会の不協和音をわざわざ「有権者に知らせること」が目的だったのか。あるいは、ほかの党に「勝ちを譲る」ために、最初から自分の党を「犠牲にする」作戦だったのか。一体、なんのための石原発言だったのか、さっぱりわからないのではないだろうか。

おそらくこれが巷間、囁かれている“暴走老人”ということなのだろう。自分の発言がどういう影響を及ぼすか、そのことすら考察できないレベルになってきていることを感じる。

おそらく、維新の会では、誰も石原氏に忠告やサジェスションができる人がいないのだろう。土壇場で代表が何を言い出すかわからない党とは、実に不幸というほかない。参院選で、維新の会がかつての勢いを取り戻すことは極めて困難になったのではないだろうか。

さて、事務所に帰って来たら、もうひとつニュースが私を待っていた。こちらは嬉しいニュースである。拙著『死の淵を見た男 吉田昌男と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)が、今年度上半期のアマゾンのノンフィクション部門で売り上げ「第1位」になったというニュースが担当編集者から届いたのだ。

日本の書籍の売り上げでかなりの部分を占めつつあるアマゾンは、今後ますますシェアを伸ばすことが予想されている。書店が少ない地方や、あるいは近くに書店があっても規模の面で、読みたい本が置いていないところは多い。

アマゾンは、そういう読者のニーズに応える貴重なインターネット上の通販サイトである。そこで、今年上半期のノンフィクション部門のランキングが「1位」になったというのは光栄だ。改めていうまでもないが、この作品は、福島第一原発事故の極限の状況の中で、吉田昌男所長のもと、家族と故郷、そして日本を「死の淵」から救った福島・浜通りの人々の姿を描いたものである。

この本を上梓した時、私は何人もの方から「勇気がありますね」と言われた。同じノンフィクションの世界にいるライターからも言われた。それは、「これほどの“東電バッシング”の中で、よく本を出せましたね」ということだった。

私は、逆に不思議に思ったものだ。放射能汚染の原子炉建屋の中に何度も何度も突入し、日本を救った福島・浜通りの男たちの姿をありのまま描くことに、どうして「勇気」がいるのか、わからなかったのである。

反原発でも、原発推進でもない私は、純粋に「事実」でしか、物事を見ない。これまでのブログでも書いてきたように、従軍慰安婦問題など、歴史的な問題でも同じだ。日本のメディアには、「イデオロギーでしか物事を捉えることのできない人」が多いが、私はそうならないように、いつも自分を戒めてきた。

そんな思いと立場で書いた作品が、アマゾンのノンフィクション・ランキングでトップになったということは、少なくとも読者は、そんなイデオロギーなどで「物事を見ていないこと」を示している。私は、少し嬉しくなった。

いま締切に追われている作品も、執筆が佳境に入っている。まだまだ仕上がりまでには時間がかかりそうだが、この作品でも毅然とした日本人の姿を描きたいと思っている。是非、ご期待いただきたい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

「慰安婦報道」にかかわる記者たちに望むこと

2013.05.25

3日前のブログで『“誤訳”で増幅される「政治家発言」を憂う』と題して、橋下徹・大阪市長の従軍慰安婦発言について取り上げさせてもらった。

外国では、橋下氏の発言の内容が「大坂市長は、軍には当時“性奴隷(sex slaves)”が必要だった、と発言している」と報じられ、より大きな反発を受けていることを指摘させてもらった。

知人からも直接、問い合わせが来るなど、非常に大きな反響となり、一般の方々の関心の高さに驚いた。その中に、「では、従軍慰安婦を英語ではなんと表わせばいいのか」という質問が少なからずあった。

私は、英語の専門家でもなんでもないので、ふさわしい表現があるなら、是非ご教示いただきたいが、強いて言うなら、「licensed prostitutes in military (軍における公娼)」と表現すべきではないか、と考えている。

英語圏では、慰安婦を直訳した「comfort woman(慰める女性)」という表現もあるそうだが、私は実質的な意味として「licensed prostitutes in military」ではないか、と思う。

3日前のブログでも書いたように、貧困に支配されていたあの時代、家族を助けるために自らの身を売り、色街で働く薄幸な女性は数多くいた。そして、その中に軍を相手に独占的に営業する「P屋」と呼ばれる慰安所で働いた女性もいた。

それは、日本国内にとどまらず、朝鮮半島やそのほかの地域の出身の女性も沢山いた。現代史家の秦郁彦氏は、戦時中のソウルの新聞に「慰安婦至急大募集 月収300円、本人来談」という業者による広告が何回も出ていたことを指摘している。

秦氏によれば、当時の日本兵の月給は10円前後だったというから、慰安婦は、「兵士の30倍の月収」を提示されていたことになる。それは、貧困の時代の哀しい「現実」である。歴史を振り返る時、自らの身を売って家族を助けようとした健気(けなげ)な女性が数多くいた不幸な時代のことを噛みしめることは大切だと思う。

しかし、そのことが日本を貶める目的のもとに、史実をねじ曲げてまで、「日本が国家として、嫌がる婦女子を強制的に連行し、性奴隷(sex slaves)とした」という“レイプ国家”としてのレッテルを貼られるとしたら、それは「違います」という声を上げることは重要だと思う。

なぜなら、その史実に反したことがもし確定したなら、私たちの子や孫、そしてひ孫の世代にどんな影響を与えるかということを考えるからである。「嘘も百回言えば真実となる」というが、こういう問題は絶対に、嘘を許してはならないと思う。

それと共に、1991年に従軍慰安婦を「強制連行」したとして突如、これを問題化させた朝日新聞の報道の罪の深さをあらためて感じる。史実をねじ曲げてまで日本と日本の若者の将来の障害になりつづけることをこの新聞が「創り上げたこと」にどうしても思いを致さざるを得ないのである。

もし、韓国に自国の歴史をねじ曲げてまで、他国から糾弾される“もと”を創り上げる新聞があれば、たちまち国民の総バッシングを受け、読者から愛想を尽かされ、経営破綻するに違いない。

しかし、日本では、今も立派に経営が成り立ち、従軍慰安婦の「強制連行」について、訂正すらしなくても許されている。私は、そのことが不思議でならない。

昨日、韓国の中央日報が、原爆投下は「神の懲罰だ」と主張したコラムを掲載し、物議を醸している。しかし、もし、何十万人もの罪もない若い女性を強制連行(拉致)し、慰安所に監禁し、強姦しつづけた過去が日本にあるなら、韓国にそんな論評が出ても不思議ではないと思う。

ひとつの誤った記述、報道が日本と韓国という二つの国の国民の距離を広げ、もはやいかんともしがたい亀裂を生じさせていることを私は残念に思う。この問題にかかわるジャーナリストたちは、そのことを振り返ってみるべきだろう。

私は、家族のために、生活のために、身を売らざるを得なかった薄幸な女性が数多くいたあの時代のつらさを思うと同時に、彼女たちの恵まれなかった人生に深く同情する。そして、同時に“レイプ国家”といういわれなきレッテルによって、これから「国際舞台」で苦しんでいく日本の若者たちにも、深く同情する。

私は、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズをはじめ、太平洋戦争の最前線で戦った老兵たちを全国に訪ね、その遺言とも言うべき証言を紹介するノンフィクション作品を何冊も上梓している。

あの不幸な時代に、家族と国のために戦い、不運にも命を落としていった若者たちの「無念」を語る生き残り兵士たちの証言を直接この耳で聞いているだけに、そういう思いを余計に抱くのかもしれない。

ジャーナリストには、「真実」に対するあくなき探究心と同時に、謙虚に事実を見ようとする姿勢がなにより必要だと思う。従軍慰安婦報道にかかわる人たちには、政治家たちの片言隻句を捉えるのではなく、どこまでも「真実」に対して忠実、かつ真摯(しんし)であって欲しいと心から願う。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

“誤訳”で増幅される「政治家発言」を憂う

2013.05.22

参院選でのみんなの党と維新の会の選挙協力が解消された。両党にとって大きなマイナスだろうと思う。政策が近く、味方であるはずの両党が、橋下徹・大阪市長の従軍慰安婦発言をきっかけに一気に「破綻」に至ったのである。

維新の会との連携に力を尽くしてきた江田憲司・同党幹事長と、渡辺喜美・同党代表との確執も理由に挙げられているが、それにしても来たるべき参院選で両党がお互いを口汚く罵る場面は有権者の一人としてあまり見たくないものだ。

私は、この従軍慰安婦発言に対して、一昨日のブログでも書かせてもらったように橋下氏に同情している。あの貧困が支配した時代に、家族を助けるために金銭の見返りに“身売り”し、色街で働く薄幸な女性は数多くいた。

望んで行くわけではないが、家族を助けるために彼女たちは自らの身を売り、幸せ薄い人生を送ったのである。その中で、のちに「従軍慰安婦」と呼ばれ、「P屋」と称された慰安所で働く女性たちもいた。

それは、日本国内だけでなく、朝鮮半島やさまざまな地域の出身女性がそういう職に就いた不幸な時代だった。しかし、それは、日本が国家として「嫌がる婦女子を強制連行」して売春をおこなわせたということではない。

「嫌がる婦女子を強制連行」して「慰安所に閉じ込め」て「性交渉をさせた」というのがもし真実なら、日本は「拉致・監禁・強姦国家」ということになる。いま国際的に「日本は“レイプ国家”だ」というレッテルが貼られつつあるが、橋下氏がこれに「違うことは違うと言わなければならない」と発言したことは、私には当然と思えるのである。

橋下氏のこういう発言、つまり、歴史の微妙な事柄が発生した時によく登場するのが「誤訳」問題である。今回の場合、どうだったか少し考えてみたいと思う。

外国では、今回の橋下氏の発言は、「日本の大阪市長が、“日本軍には性奴隷が必要だった”と語った」と捉えられている。最初にAP電をはじめ外紙が橋下氏の発言を「sex slaves(性奴隷)」という言葉を用いて報じたことがきっかけだ。

Osaka mayor says wartime sex slaves were needed to ‘maintain discipline’ in Japanese military.(大阪市長は、戦争時、日本軍が「規律を維持するため」には性奴隷が必要だった、と語った)

さすがに、軍の規律を維持するために「性奴隷が必要だった」と発言する政治家が日本では大阪市長をしているのかと、報道に接した外国の人々は仰天したに違いない。非難が巻き起こったのも当然である。

だが、私は、従軍慰安婦を「性奴隷」とした表現には、明らかに悪意が潜んでいると思う。従軍慰安婦とは「性奴隷」のことであり、奴隷とは「強制的に」連行されるものであり、すなわち日本国は「レイプ国家」である、という明確な決めつけと刷り込みのために用いられたのではないのか、ということである。

「性奴隷」という一言には、あとの議論は不要になるぐらいの強烈なインパクトがある。そこには、女性の人権を無視したレイプ国家・日本には、「人権」を語る資格などない、という明確な「メッセージ」、言いかえれば「悪意」が潜んでいるように思う。

私は、日本を貶めるこういう報道が、これから世界に羽ばたこうとする日本の若者たちに大きな障害となっている現状を憂える。それと同時に私は、こういう報道や外交交渉の中での「誤訳」問題をどうしても考えてしまう。

思い出されるのは、1972年に日本と中国との間であった「誤訳事件」である。有名な「添了麻煩(ティアンラ・マーファン)事件」だ。

日中国交正常化のために訪中した当時の田中角栄総理が晩餐会の席上、「わが国が中国人民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と挨拶した。しかし、この「ご迷惑をかけた」という部分が直前に配られた中国語の翻訳では「添了麻煩」と訳されていたのである。

「添了麻煩」というのは、ちょっとしたミスに対して「ご迷惑をお掛けしました」という時に使うもので、田中が言った「多大なご迷惑をかけ」、「深い反省の念を表明する」というものとは天と地ほど違う訳だった。日本側(外務省)が、なぜこれを「添了麻煩」と訳したのか、それは今も謎のままだ。

だが、この瞬間、晩餐会の会場はざわめき、日中の友好ムードは一変した。そして、日中共同声明には、過去の歴史認識についてどういう言葉を入れるかという交渉が中国側のペースで進み、「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」という“損害”と“責任”という文言が書き入れられることになった。

これは、中国研究者の間では有名な「事件」だが、誤訳によって行き違いが生じるのは、珍しいことではない。また誤訳問題ではないが、「通訳の有無」自体が問題化する場合もある。

1990年に自民党の金丸信が訪朝した際、突然、金日成主席との会談が入り、日本側の通訳が入っていなかったことから、その後たびたび北朝鮮側が「これは金日成主席と金丸先生が会談の中で約束されたことです」と、真偽不明の“合意”が持ち出されるもとになった。

今回の飯島勲・内閣官房参与の訪朝でも、真っ先に「日本側の通訳の有無」が話題になったのと同じだ。

私は、利害や面子(めんつ)、そして策謀が渦巻く国と国との交渉の最前線、あるいはそれを伝える報道の中で、日本国内の日本人ジャーナリストたちを含めて「日本を貶める人々」がいかに多いか、愕然とすることがある。

今回のように「性奴隷(sex slaves)」という言葉によって、より大きな反発を生じさせ、その上で起きた外国の反応を、さらに大きく報じて問題化していく日本のジャーナリズムの手法に、私はかねて疑問を抱いている。何度も繰り返されるこのジャーナリズムの手法を見るたびに、溜息が出てくるのである。

私は、歴史認識にかかわるこの手の微妙な問題に右往左往せずに、冷静に対応していく識見と落ち着きを持ちたいものだと、いつも願っている。

カテゴリ: マスコミ, 政治

週刊誌の時代は終わったのか

2013.04.29

ゴールデンウィークに入る前に知人がある資料を提供してくれた。雑誌の実売部数を調査したABC公査の最新資料だ。その資料は、2000年から2012年までの12年間、すなわち干支(えと)でいえば“ひとまわり”の各誌の実売部数がそのまま出ている。

2000年からの12年間というのは、パソコンとインターネットの普及で、メディアのみならず社会そのものが大変革を遂げた時期である。

この間の雑誌の実売部数の変化は実に興味深い。ひと言でいうなら、「激減」という言葉を超え、「壊滅状態」あるいは「総崩れ」と表現した方がいいかもしれない。

例えば、かつて全盛を誇った男性週刊誌の衰亡ぶりは凄まじい。2000年下期(6月~12月)と2012年下期を比較してみると、主要週刊誌6誌(ポスト、現代、文春、新潮、朝日、毎日)だけで、実売が総計285万部から177万部まで実に「108万部」も減らしている(37・8%減)。

具体的に見てみると、週刊ポストが65万7000部から31万8000部へ、週刊現代が64万3000部から42万4000部へ、週刊文春が63万部から48万部へ、週刊新潮が50万6000部から36万5000部へ、週刊朝日が30万9000部から13万部へ、サンデー毎日が10万8000部から6万部へ、という具合だ。

ちなみに月刊誌の文藝春秋本誌も45万5000部から33万8000部に減らしている。この2000年代以降は、「雑誌からネットへ」という時代だったが、それがそのまま数字に表われているのである。

大手出版社は、日銭を稼いでいた雑誌の不調で、どこも赤字決算が目白押しだ。私の耳には、出版社の大型倒産がこれから数年で「顕在化するだろう」という悲観的な情報まで入ってくる。

各週刊誌のゴールデンウィーク合併号も出揃ったが、読みごたえのある記事は少なかった。情報の速報性でネットの後塵を拝し、さらには記事の深みやキレもかつての黄金時代とは比べるべくもない。

私自身が雑誌の現場で長く働いてきただけに、目の前の各誌の合併号を見て寂しい気がする。何が変わったのか、そして何が読者をここまで離れさせたのだろうか。私は、各誌の合併号を眺めながら、考えてみた。

私は、その第一は「見識」ではないか、と思う。「週刊誌に“見識”なんて関係があるのか」と笑う人もいるかもしれない。だが、告発記事や手記、スキャンダル報道……など、週刊誌には多くのジャンルがあるが、私は誌面から「見識」がなくなれば、読む人の興(きょう)は削がれ、媒体(メディア)そのものの存在意義もなくなるのではないか、と以前から考えていた。

最も重要なその「見識」が誌面から消え、情報の速報性や深みでも見るべきものがなくなった今、長年の読者が「週刊誌から去っていった」のも無理はない、と思う。

いうまでもなく、新聞やテレビが報じることができない告発記事や渦中の人物の手記、あるいは意外な視点や発想による独特の記事展開が週刊誌媒体の真骨頂だった。

しかし、この12年間でその肝心なものが確実に失われていった。インターネットの普及がそれに追い打ちをかけ、やがてボディブローにように効いていき、そして週刊誌の「死命を制した」のである。つまり、週刊誌業界は外部環境の変化に対応できず、さらには見識を失い、自壊している過程なのではないだろうか。

作り手の意欲や執念、そして見識が感じられる記事が、どの雑誌の誌面からも見られなくなっているというのは大袈裟だろうか。ゴールデンウィーク合併号の各誌の誌面を、私はそんな寂しい思いでじっと眺めている。

カテゴリ: マスコミ

問われている日本国民の“覚悟”

2012.08.20

昨日の尖閣への日本人上陸問題を報じる日本のマスコミの姿勢に私は驚いた。テレビ朝日が、「魚釣島に日本人上陸 軽犯罪法に抵触も……」と報じたのにつづき、次々と、あたかも上陸した日本人が「悪事をはたらいた」というニュアンスを色濃く滲ませて各メディアが報じていた。

上陸はしなかったものの、同行していたタカ派で知られる山谷えり子議員まで「正当化できるものではないかもしれないが、気持ちはわかる」とコメントしているようすもテレビに映し出されていた。

日本の固有の領土に日本人が行くことに対して、あたかも犯罪であるかのように報じ、国会議員である山谷えり子氏ですら、「正当化できるものではないかもしれないが」というコメントに表われる程度の認識しかないことに私は驚いた。

私は、この国には、マスコミを筆頭に国民の生命と財産、そして領土を守る、という基本の態勢が整っていないことを、改めて認識した。

北方領土、竹島、尖閣は、歴史的・学術的にも日本の固有の領土である。しかし、現状はどうだろうか。なぜ、その固有の領土がここまで攻め込まれなければならないのか――多くの日本人がそう感じているに違いない。

しかし、この日本のマスコミを含め、政治家たちの姿勢を見れば、生き馬の目を抜く国際社会の中で、むしろ「攻め込まれる」のが当たり前かもしれないと思う。

中国は、南沙、西沙諸島でベトナム、フィリピンとも一触即発の状態にある覇権国家である。今後、中国の膨張政策は、アジア各地でさまざまな紛争のもとになり、「尖閣」はもちろん、その次は「沖縄」へも進んでいくことが予想されている。

日本が望むと望まないとにかかわらず、中国は日本の領土への侵略を進めてくる。その中で“最悪の事態”を避けるためには、日本が「毅然たる姿勢」を示し、これ以上、進めば、「大変な事態になるぞ」という断固たる意志を相手にわからせ、将来の“最悪の事態”を回避しなければならない。

だが、日本では、政治家も、マスコミも、 “北京詣で”を繰り返し、北京政府の意向を窺うものばかりだ。一昨年の尖閣ビデオ問題でもわかったように、相手方がどんな違法行為をおこなっているかを政府が隠し、マスコミも報じないため、海上保安庁の一職員がそれを“公開”し、結果として「職場を追われたこと」が思い出される。

今回も香港の活動家が警備にあたっていた海上保安庁の巡視船にコンクリートを投げるなど、極めて悪質で暴力的な公務執行妨害がおこなわれたとされるが、国民はその実態を見ることができない。

その上で、国外への強制退去という“大甘処分”によって、中国側はさらに日本の弱腰姿勢を確信し、北京政府のお墨付きをもらった“官製”反日デモが中国各地で起こっている。

3年前に“友愛”を掲げて発足した民主党政権は、鳩山由紀夫から菅直人、そして野田佳彦の各氏へと首相は代わっても、アジア各国から舐められ、紛争の火種が広がるばかりだ。

私は前述のように、日本が「毅然たる姿勢」を示し、これ以上進めば、「大変な事態になるぞ」という断固たる意志をここでわからせなければ、本当に大変な“最悪の事態”が来ることを懸念している。

国際社会では相手をつけ上がらせたら、その増長は際限なく広がることは常識だ。では、相手を増長させないためには何をすべきか、そのための知恵を絞らなければならない時に、日本のマスコミは、日本人が日本の固有の領土に上陸したことをあたかも“犯罪”であるかのようにしか捉えていないのである。

「日本」を危うくしているのは、政治家たちだけでなく、マスコミであることを痛感する。8月16日付のブログでも書いた通り、マスコミを覆う「自己陶酔型シャッター症候群」のために、やがて日本国民は大きな損害を受けるに違いない。そのことが私には情けない。

遠からず海上保安庁の警備では“防御”できない事態がくる。その時、自衛隊による“海上警備行動”が要請されるだろう。これは、人命もしくは財産の保護、治安の維持のために自衛隊が出動するものだが、この時、中国海軍はどう出るのか。

そんな事態に至らせないために、日本は早く“毅然たる姿勢”を示さなければならない。決して、相手に日本を「舐めさせてはならない」のである。

たとえば、暴力行為に関しては、不法行為のビデオも即座に公開し、強制退去ではなく、きちんとした刑事事件として立件し、罪に服させなければならない。

もちろん、中国は報復行動に出るだろう。中国にいる日本の駐在員や旅行者には、その報復行動に対する覚悟が必要になる。「領土」と「平和」を守るためには、“譲歩”ではなく“毅然たる姿勢”、そして“覚悟”が必要であることに、政治家やマスコミだけでなく、国民全員が気づかなければならない。

カテゴリ: マスコミ, 中国

光市母子殺害事件の最高裁判断

2012.02.21

昨日、ついに光市母子殺害事件の最高裁の判決が下った。上告棄却で、元少年(30)の死刑が確定した。事件から13年の歳月をかけて辿り着いた結論だった。

拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』が出版されて3年半。ついに遺族の本村洋さん(35)は、死刑判決を勝ち取ったのだ。妻・弥生さん(23)=当時=と夕夏ちゃん(11か月)=同=の無念を胸に「この日」が来ることを願って闘いつづけた本村さんは、最高裁第一小法廷で万感の思いでその判決を聞いた。

法廷の最前列で、風呂敷で包んだ遺影を胸に弥生さんのお母さんの隣に座っていた本村さんは、その瞬間、「長い間、お疲れさまでした』とお母さんに声をかけた。ハンカチで目頭を抑えながら、お母さんは、「長い間……ありがとうございました……」と、答えていた。

弥生さんのお父さんや、本村さんのご両親、お姉さんの肩が震えていたのが印象的だった。その全員が、無残な弥生さんと夕夏ちゃんのご遺体を見て、この日が来るのを一日千秋の思いで待ち続けた方々である。

私は、この瞬間を傍聴席の三列目で静かに見つめていた。日頃、親しくしていただいているご家族だが、とても声をかけることはできなかった。一方で、私は広島拘置所で元少年と面会も続けている。粛然とする思いだった。

判決後、本村さんが記者会見で語ったのは、「この判決に勝者はない」という言葉だった。元少年の死刑が確定しても、それは「勝者がいない」ものだ、という本村さんの言葉は重かった。

判決の夜、私は本村さん、それにご両親と一緒に食事をした。13年間の苦悩を語る本村さんとご両親の言葉が胸に迫った。長かった裁判が本当に終わったことを実感させられた。

私はこの2日間、フジTVの『知りたがり』で事件の解説をさせてもらうなど腰の落ち着く暇がなかった。この事件の真実を伝えたかったので、私はできるだけ各テレビ局の出演要求に応えさせてもらった。しかし、そんな中でこの判決を境に各メディアが元少年の実名報道に踏み切ったことに私は驚いた。

各局は、「少年の死刑が確定することになり、社会復帰して更生する可能性が事実上なくなったことなどを考慮して、実名で報道しました」と放送した。

元少年が社会復帰して更生する可能性がなくなったことなどを「考慮」して実名報道するとは、なんと残酷な理由だろうか。更生する可能性がなくなれば実名報道していい、という無慈悲な理由を掲げるメディアのレベルに私は溜息しか出てこない。

少年法の第1条には、こう記述されている。「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」。すなわち、「少年法」の対象になるのは「非行のある少年」なのである。

家庭裁判所に送致されてきた少年の中で、“非行”ではなく凶悪な“犯罪”を犯した者は、検察に逆送致され、起訴されたあと公開の刑事裁判にかけられる。この段階で“少年法の理念”の対象外になると「解釈できる」という法律家もいる。

日本の少年法のもとになったのは、アメリカのイリノイ州で初めて少年裁判所が創設された時、基本とされた「国が親に代わって保護をする」という“国親思想”である。これを念頭にでき上がった「日本の少年法」の理念が凶悪犯罪を引き起こした少年に対しても、そのまま無条件で当てはめられるべきか否かは、議論が必要であることは間違いないだろう。

少なくとも、その問題意識を持つことによって、かつての日本の各メディアは、永山則夫や山口二矢(おとや)など凶悪犯罪を起こした少年を、実名報道してきた歴史がある。しかし、いま各メディアは、「社会復帰して更生する可能性が事実上なくなった」いう理由で、死刑判決を受けた元少年を実名報道するというのである。

なんと無残なことができるのかと呆れたのは、私だけではないだろう。私は、かつて元少年を実名で本に記述したことがある。しかし、それは少年法第1条の文言をはじめ、これらさまざまな事情を考え抜いた末に記述したものである。

この事件は、実名報道問題以外にもさまざまな問題を提起してくれる。メディアの愚かさが次々露呈されたのも、この事件の特徴といってもいいだろう。

日本の司法を大変革させた本村さんの偉業に拍手を送ると共に、この事件は、真に「改革」されなければならないのは実は「マスコミである」ことを教えてくれたような気がする。

カテゴリ: マスコミ, 事件

社会は重い課題を背負わされた

2011.12.06

昨日、『日本の息吹』でジャーナリストの桜林美佐さんと対談した。桜林さんは、自衛隊関係の著作などがあり、さまざまな分野で活躍されている方である。2時間の予定だったが、話が弾み、予定を大幅にオーバーしてしまった。

ちょうど昨日は、『週刊ポスト』に作家・百田尚樹さんと私との対談「真珠湾攻撃から70年 零戦の勇士たちの最後のメッセージ」が4ページにわたって掲載されたばかりだったので、必然的に戦争の話など、さまざまな事柄を語りあい、貴重な時間となった。

そして今日は、明治大学の基礎マスコミ講座で講義があった。長引いた単行本の締切・校了作業で、スケジュールにいろいろ皺寄せが来ているので、12月だが、連日、そういうスケジュールに追われている。

風邪でも引いたらすべての予定が狂い、多くの方に迷惑をかけてしまうので、寒さが厳しくなってきた今は、神経を使わなければならない。

明治大学の基礎マスコミ講座は、もう10年ほどやらせてもらっている。毎年、熱心なマスコミ志望の学生が新聞やテレビ、出版社へと入っていくので、私としても、やり甲斐がある。今日もさまざまな話をさせてもらった。

来年はいうまでもなく“超”という字がつく就職難の年である。しばらくは、この超氷河期がつづくだけに、マスコミを目指す大学生の目の色も違う。

これからは、マスコミの中でも倒産、合併、吸収など、さまざまな現象が起きてくるだろう。それだけに、どのメディアを志向し、どういう戦略で入社試験を突破するか、またジャーナリストを志望する学生には、どういう視点が必要かなど、さまざまなことを講義させてもらった。

私の授業は、一方的に私が話すのではなく、学生たちにも参加してもらっていろいろな事柄を話し合う形式をとっている。そのため、学生たちが今、どんなことを考えているかが私にもわかり、大変参考になる。今日もその意味で、貴重な時間を過ごさせてもらった。

さて、埼玉県三郷市で起きた女子中学生殺害未遂事件、そして千葉県松戸市の8歳女児の刃物での傷害事件が、通信制高校に通う16歳少年の犯行だとわかった。

今回の事件は、1997年に神戸市須磨区で起きた神戸連続児童殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇聖斗事件と「何十万人に一人現われる異常犯罪者による凶行」という点で極めて似ている。

16歳少年は、学校に切断した猫の頭部を持ってきて、刃物まで持ち歩いていた。今回、怪我を負った被害者の心身の傷ははかり知れないが、まだ死者が出る前に犯人が逮捕されただけでも、幸運だったと言えるだろう。2人が殺された酒鬼薔薇事件の二の舞だけは避けられたわけである。

だが、この少年は、いったい今後どのような道を歩むのだろうか。いうまでもなく少年院とは、「少年の健全育成」を理念の中心に据え、刑罰でなく、矯正教育を施す機関である。

この少年が少年院、あるいは医療少年院から出てくるのは、過去の例を見てもそれほど遠い将来ではない。少年が社会復帰した時、「新たな被害者を出さないために」大人たちはどうすべきなのか。

すべての大人が叡智を集めて、この少年の「次の犯罪」を阻止しなければならない。第二の酒鬼薔薇聖斗の誕生で、社会はまたひとつ重い課題を背負わされたのである。

カテゴリ: マスコミ, 事件

またしても貶められた大正世代

2011.12.03

NHKのBSで放映された「シリーズ辛亥革命100年」の素晴らしい内容をほんの9日前にブログで賞賛させてもらったが、今日は、逆にNHKに苦言を呈したいと思う。本日夜9時から1時間15分にわたって放映されたNHKスペシャル『真珠湾から70年 証言ドキュメンタリー 日本人の戦争』である。

今日の番組は、NHKが過去何年にもわたって放映して来た「兵士の証言シリーズ」を再編集してまとめたものだ。過去、何度か番組に登場してきた老兵たちの証言が再編集され、新たな番組としてでき上がっていた。

「過去の歴史をここまで貶めることができるものなのか」。私は番組を見て、そう思った。番組というのは、取材フィルムの「どこを切りとるか」で内容はまったく変わるものである。それにしても、自分たちや戦死者のことがこれほど貶められる内容に、果たして証言した老兵たち当人は「納得しているのだろうか」と、私は考えつづけた。

NHKには申し訳ないが、番組のスタッフは、ごく一面的な“単純正義”を疑いなく信じ、それを実現できたこの番組におそらく“自己陶酔”しているレベルなのではないか、と思う。

ご高齢の元兵士たちに4時間も5時間も取材させてもらえば、さまざまなことが浮かび上がってくる。その人が一番証言したかったことではなく、一部分を引っ張り出し、さらにそこを強調して全体の印象づけを狙う――今回の番組は、そういう手法ででき上がったものではないだろうか。

戦争とは、悲惨なものだ。多くの日本の若者が太平洋戦争で命を落とし、その数は230万人にものぼった。番組では、その方々がいかに悲惨な体験をし、同時にアジアの人々にいかにひどいことをしたかということのみを描き切った。

そこには、当時の若者の使命感や責任感、潔さ、そして死んでいった兵士たちの無念さ、さらに言えば、当時日本が置かれた国際情勢や、列強のアジア侵略の背景も何も描かれていない。そこが描けなければ、彼ら兵士たちは単に加害者となり、歴史の犯罪者にされてしまうだけなのである。

私は、中国や韓国がこの内容をどれほど喜んでいるだろうか、と思いながら番組を見た。同時に国会でさえ大問題となったあの2年前のNHKスペシャル『プロジェクトJAPAN』の事件を思い出した。

日本の台湾統治を貶め、台湾人の証言を意図的に真意と違うように編集したこの番組は、糾弾の街頭デモが起こるほどの大問題に発展し、台湾でも大きく取り上げられる事態となった。

今日の番組を見て、太平洋戦争のことをなにも知らない視聴者は、「日本てなんてひどいことをしたのか」「こんな悪事を日本は働いたのか」という思いだけが植えつけられたに違いない。中国や韓国の若者に歴史問題で責められ、ひと言も返す言葉がない日本の若者が「こういう番組でつくられていく」ことを感じざるを得なかった。

地獄の戦場で突撃を繰り返し、同じ世代の「7人に1人が戦死」したという未曾有の悲劇の世代が、大正生まれの人々である。彼らは、凄まじい気迫で圧倒的な火力を誇る米軍をたじろがせ、多くが子孫も残さないまま死んでいった。

だが、生き残った戦友たちは、死んでいった仲間の無念を胸に働きつづけ、高度経済成長という“20世紀の奇跡”を成し遂げた。その人々を、今日の番組では、アジアへの加害者、さらに言えば、犯罪者としての視点でしか描いていなかったのである。

物言わぬ大正世代は、この番組で、またしても貶められ、傷つけられてしまった。ここ数年、老兵たちに取材をつづけている私には、彼らの本音がわかるだけに今日の番組が残念でならない。

先日、「真珠湾70周年」を記念して対談した作家・百田尚樹さんは、彼ら大正世代のことを「他人のために生きた世代」と語っていた。

いつまで、大正世代は不当に貶められつづけるのだろうか。私は番組が終わった時、思わず深い溜息が出てしまった。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

「政権末期」というのは怖い

2011.07.29

政権末期というのは怖い。自らの政権の延命のためには、国家としての利益や将来を見据えての価値判断もなく、ただやみくもに“話題”になるものに飛びつく傾向がある。

電撃訪問によって、北朝鮮拉致問題を動かした当時の小泉首相の行動にならおうと、盛んに訪朝への道筋をつけようと動いてみるなど、とにかく今の菅政権は危なすぎる。

そんな中で、今日の産経新聞の正論欄にタイミングよく日大の百地章教授が注目すべき論文を発表していた。題して「震災のかげで“悪法”を通すのか」。

かつて自民党の野中広務氏や古賀誠氏らのほか、部落解放同盟などの要請によって、「人権侵害救済法」という、名前だけは実に耳に心地よい法案が姿を現した。

しかし、それは、「差別的言動」をなくすという美名のもとに、時の権力者にとって目の上のたんこぶともいうべき「言論」を取り締まろうとする意図を持つ法律だった。

人権救済機関は強い権限を持つ「三条委員会」とし、内閣府ではなく法務省の外局とするなど、いま熱心に成立を目指す民主党案の骨子はこれまで何度も葬られてきた人権侵害救済法とほとんど変わらない。百地教授の指摘は明快だ。

「人権侵害を“不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為”としているだけで、一体、何が人権侵害に当たるのかは定かでない。その定義が極めて曖昧な上、一度、人権委員会によって差別発言に当たると認定されてしまえば、裁判所の令状なしに自由に家宅捜索や文書等の押収が行われ、出頭命令にも従わなければならなくなる。明らかに表現の自由や令状主義を保障した憲法に違反する」と。

権力者にとって都合のいい「監視社会」を到来させる懸念を百地教授は訴えている。実は、拙著『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮文庫)の中でも、この法律が持つ問題点は、詳しく記述させてもらった。

だが現在、この法律を政権末期の土壇場に駆け込み成立させるという悪い噂が永田町には流れている。百地論文によれば、民主党案では、「中央人権委員会」に加えて全国各都道府県に「地方人権委員会」が設置され、国民の言動をくまなく監視することが可能となるそうである。

日本の言論の自由は、民主党政権によってそこまで危機に晒されている。政権末期というのは、まことに怖い、と思う。政権延命のためには、恥も外聞もなく、さらに言えば、もともと哲学も、確固たる信念も持ちえない国家の領袖の場合、国民は最後に「どこへ」連れて行かれるかわからないのである。

溜息をついている場合ではない。日本が迎えているこの大きな危機に対して、国民一人一人が監視していくしかないだろう。

いよいよ8月も間近だ。こうした駆け込み法案の成立だけは阻止しなければ、大変なことになる。そのためには、一刻も早い菅首相の退陣が望まれる。だが、民主党政権が続く限り、その懸念が払拭されないのが、なんとも苛立たしい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

産経新聞「著者に聞きたい」

2011.07.10

本日の産経新聞「著者に聞きたい」(13面)に私のインタビュー記事が掲載された。『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』についてのインタビューである。

産経新聞の大野敏明編集委員が、零戦特攻によってわずか23年で生涯を閉じたこの日系2世の生きざまに注目、わざわざ私にインタビューをしてくれたものである。

記事は、簡潔な中に要点をまとめてくれており、嬉しい限りだった(すでにネットでも流れている)。昨日のブログでもお伝えした某月刊誌の座談会でも話題になったように、本来の毅然とした日本人像を描くことの重要性を最近、強く感じる。

それは、大震災からの復興という大命題が国民一人一人に突きつけられている今だからこそ、余計に感じられるのかもしれない。すぐに勝ち馬に乗ろうとしたり、ただ「権利」「権利」と主張する日本人が増えている。

慎み深さを忘れた日本人が多くなってきている中、毅然とした生きざまを示した人々の姿をノンフィクションとして描いていきたい。拙著に注目してくれた産経新聞に感謝である。

カテゴリ: マスコミ

東電がらみの2つの問い合わせ

2011.05.07

昨日は、東京電力がらみで2つの取材を受けた。一つは、東京電力の記者会見が一般に公開され、そこで反原発運動の運動家たちが会見に出席し、会見が荒れていることに対するコメントを求められたものである。

もう一つは、私が東京電力の勝俣恒久会長たちと一緒に“あご足つき”で、中国に旅行したのではないか、という問い合わせだった。前者は某大手紙からの取材で、後者はある政党機関紙からの問い合わせだ。

前者については、「大手マスコミだけに限られた会見よりも、たとえ反原発の運動家が参加しようと、原則、会見はオープンにすべきである」という意味のコメントをさせてもらった。会見する側の当事者と“なあなあ”でおこなわれる記者会見をよく目にするが、そんなものより緊張感を持って、国民の怒りが直接、東電にぶつけられる形式の会見の方が幾倍もいいと思うからである。

さまざまな会見を見ていると、大手マスコミの驕りを感じることが多々あるので、そのあたりも私がオープンな会見が必要であると思う理由の一つだ。

もう一つの問い合わせの方は、正直、仰天した。新聞、雑誌の幹部たちと共に、私が東電に中国旅行の招待を受けて、ただで「中国に旅行してきた」というのである。

たしかにネットを見れば、そんな情報が流れている。私は、東電の勝俣会長と会ったこともなければ、当然、旅行したこともない。面識すらない人間の私ですら、ネットでは、東電の“あご足つき中国旅行”の接待を受けていることになっているらしい。私は、某宗教団体には、とんでもない誹謗中傷をいつも流されているが、それにしても、ネットのいい加減さには呆れる。

いちいち気にしていては、ジャーナリストの仕事はできない。一方で応援してくれる人もいれば、一方では必ず足を引っ張ろうとする人間も、残念ながらいるからだ。ノンフィクションンの世界は特殊な世界だけに、そういう誹謗中傷にも耐えていくしかないのである。

カテゴリ: マスコミ

テレビ西日本が取り上げる『蒼海に消ゆ』

2011.04.29

いま福岡にいる。明日(土)のテレビ西日本の「土曜NEWSファイルCUBE」(午前10時25分~11時45分)にスタジオ出演するためである。

新刊『蒼海に消ゆ』が発売になって4日。カリフォルニアの州都・サクラメントで生まれ育った日系アメリカ人・松藤大治(まつふじ・おおじ)海軍少尉が零戦に乗って祖国アメリカの艦船に特攻して戦死するまでの23年の生涯を辿ったノンフィクションである。

15歳の時に父母の祖国・日本にやって来た松藤さんは、福岡・糸島の糸島中等学校(現・糸島高校)の2年に編入し(当時の中等学校は5年制)、剣道部に入部して猛稽古に励んだ青年だった。

短かかった松藤少尉の青春の中で、昭和11年から15年までの4年間を過ごした地、それが福岡の糸島である。この作品では、糸島時代の松藤少尉の姿に多くのページを費やしている。

これに注目してくれたのが、福岡の代表的テレビ局であるテレビ西日本である。同局が祖国アメリカへ特攻するという数奇な運命を辿った松藤青年の生涯を取り上げてくれることになったのである。

時代の波に呑み込まれ、東京商科大学(現・一橋大学)2年の時に学徒出陣で海軍に入隊し、特攻隊への道を歩む松藤さんの生涯を、まず地元のテレビ局が注目してくれたことに泉下の松藤さんも喜んでおられるだろう。

松藤さんが地元糸島から出征していったのは昭和18年12月のこと。それから70年近くが経過して、松藤さんの姿が地元で蘇(よみがえ)るのである。テレビ西日本の放映エリアの方は、是非、松藤少尉の毅然とした生きざまをご覧になってください。

カテゴリ: マスコミ

熱意ある若者たち

2011.04.08

今日は、昼と夜、2回講演があった。昼は新宿ロータリークラブ、夜は表参道の「宣伝会議」だった。特に印象が深かったのは夜の方である。雑誌「宣伝会議」が主宰している編集者・ライター養成講座の特別講師だった。

実は夜の部は、1か月前に予定されていたものだった。あの大震災の当日である。首都圏の電車という電車が止まったあの日、講演は直前で中止になった。それから1か月が経過し、再び企画されたのである。

30年近い経験をもとに、さまざまな観点で話をさせてもらった。夜7時前から「2時間」という時間帯というのに、熱心な編集者・ライター志望の人たちが大教室に集まり、立錐の余地もなかったので、こちらも熱が入った。

編集者・ライターとしての根本と、物事の考え方、取材の方法など、少しでも参考になればと思って話をさせてもらった。2時間の話のあとも、個人的に質問する人が列となり、あまりの熱心さに驚いた。

大学でもジャーナリズム講座は時々、やらせてもらうが、熱心さが全然違っていた。意欲がある若者の多さに、なんだか安心した。質問の内容もバライティーに富んでいた。

若者にこの熱心さがある限り、日本は大丈夫だ。西新宿の事務所に帰りついたのは、結局、夜10時を過ぎていた。帰りのタクシーの中で、ちょっと若い人たちに頼もしさを感じた夜だった。

カテゴリ: マスコミ

守秘義務規定“厳格運用”の危うさ

2010.11.10

いまこの国では、“木の葉が沈んで石が浮く”事態が国民注視の中で進んでいる。

周知のように、中国船が海保の巡視艇に体当たりで突っ込んで来る迫力ある映像が動画投稿サイトのYou Tubeに投稿され、国民は初めて「日本の領土・領海」の最前線で「何」が起こっているのか目のあたりにすることができた。

事件発生から実に59日目、一部の国会議員にすでに編集されたビデオが公表され、さらに5日が経ってからの出来事だった。

中国という国の本質を知らず、落とし所を見誤り、右往左往し続けた菅政権がやっとビデオの一部を国会議員に公開したのは、11月1日のことだったのである。

しかし、それでも主権者たる国民は“真実”を見ることができなかった。国会にまで提出され、議員たちがその目で見て、それぞれの表現で“説明”されたビデオは、すでにその「機密性を失っている」にもかかわらず、である。

その異常な状態にピリオドを打ったのが、投稿された当該の映像だった。しかし、本末転倒の驚愕の事態が惹起(じゃっき)されたのは、国家公務員法の守秘義務を盾に、「情報漏洩の厳罰化」の方針が仙谷由人官房長官によって明らかにされてからである。

検察・警察合同の捜査が始まり、ついに本日(11月10日)、第5管区の海保職員が「私がやりました」と名乗り出て捜査当局の聴取を受けたのである。

日本の領土内で不法行為をおこなった中国人船長が「お咎めなし」で釈放され、そこで起こった「事実関係」を国民の知る権利に基づいて公開した告発者に「刑事責任が問われようとしている」のだ。まさに本末転倒の事態である。

しかし、私はマスコミと野党を含む政治家たちの反応に、これまた驚いた。野党自民党は、海保職員の行為を許した監督責任を菅政権に問うべく問責決議案提出まで散らつかせて攻撃を始め、マスコミも国家公務員法の守秘義務違反を問題視し、追及の度を強めている。

私は報道を見ながら、「この国の政治家とマスコミはどうなってしまったのか」と思わざるを得なかった。中には、問題の本質をすりかえ、“ネット社会の危うさ”さえ持ち出してこの海保職員を非難する報道もあった。

私は、「国民の知る権利」がどうしてここまで軽く扱われているのか、と思う。憲法には、主権者たる国民の「知る権利」が謳われている。言うまでもなく、憲法とは、すべての法律の上位に立つ国の根本法規である。

「知る権利」は、民主主義の根本原理に基づくものであり、国民は公的機関が保有する情報に対しても無制限ではないものの、「知る権利」を有する。これが失われれば、時の権力者によって都合よく情報が操作され、国家はたちまち「独裁性」を強め、民主主義そのものが失われていくからだ。

その民主主義の根幹を成す「国民の知る権利」と、「公務員の守秘義務」との狭間に立って仕事をしているのが、マスコミ・ジャーナリズムである。

記者たちは、「国民の知る権利」に応えるべく、「公務員の守秘義務」という壁を乗り越えて彼らにアプローチし、真実に迫り、時に権力者に対する監視役ともなり、報道をおこなっている。

つまり、国家公務員の守秘義務が「無制限」かつ「絶対的」なものであるなら、そもそもマスコミ・ジャーナリズムの活動は成り立たないのである。

日々、“朝駆け夜討ち”と呼ばれる記者たちの取材活動は、国家公務員の守秘義務規定が厳格に運用された瞬間、「取材活動」ではなく国家公務員法違反という犯罪を「教唆する活動」に変わってしまうからだ。

しかし、今日の報道を見ていると、なぜか「公務員の守秘義務」を厳格に解釈し、自らの首を絞めるかのような報道が圧倒的だった。報道側が「国民の知る権利」に対する自分たちの役割と使命を見失っているのではないか、と懸念を感じたのは私だけではあるまい。

昨日のブログでも書いたように、ここで忘れてはならないのは、「事件情報とは“公共情報”である」という原則である。事件が起こった時に、被害者や加害者などのプライバシー情報(個人名その他の情報)を含め、報道が許されているのは、事件情報がそもそも「公共情報」であるからにほかならない。

今回の尖閣での事件情報(ビデオ映像)は、主権者たる国民にとって、その「領土・領海」に関する事件情報であり、高度に公共性が強い情報だ。すでに国会で議員に対して公開され、「機密性」を失っているものの、知る権利を有する主権者国民にとっては、「見ておかなければならない」映像だったことは間違いない。

稚拙な対応を繰り返し、コトここに至っても、主権者に対して映像を公開しなかった菅政権に対して、命を張って領土を守る仕事をおこなっている“現場”から痛烈な抗議の意思表示があったのだと私は解釈している。

そして、そういう行為が許される「度量がある」ことが、日本が自由と民主主義に根ざした国である証明でもある、と私は思っていた。しかし、今回、その私の淡い期待は見事に打ち砕かれた。

4年前に「公益通報者保護法」が日本でも施行されたように、こういう“公益情報”を通報した日本国民は「保護される」権利を有している。つまり、「法律」とは相反する規定や概念が別の法律に「存在する」という多様性を持っており、一部の法律の解釈だけですべてを判断してはならないものなのだ。

本日の報道では法律家のコメントが数多く紹介されていた。しかし、法律家は、事柄を法の“要件事実”だけで解釈する癖(へき)があり、全体を見通して高い見地から本質を述べることができない場合が多い。そこを念頭に入れて、距離を置きながら彼らのコメントを聞くことをお勧めする。

繰り返すが、この海保職員を単に国家公務員の守秘義務違反を犯した“犯罪者”であると切って捨てることは「民主主義を守る」上で大きな障害となることをマスコミも肝に銘じるべきだろう。

法律には「軽重」というものがある。国家公務員の守秘義務が「厳格」かつ「絶対性」をもって運用されるようになった時、国民の知る権利と日本の民主主義が大きく後退することを、マスコミも政治家ももっと自覚しなければならない。

カテゴリ: マスコミ, 事件

学生よ、マスコミの門を叩け

2010.10.27

今日は、久しぶりに明治大学の基礎マスコミ講座の授業が和泉校舎であった。夕方6時からの授業だというのに、マスコミ・ジャーナリズムを目指す熱心な学生たちが教室には集まっていた。

授業を始めようと思ったら、冒頭、いきなり学生たちが、小生の『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社)の山本七平賞受賞に対するお祝いの言葉を読み上げてくれた。そして、花束まで贈呈された。思いがけないことで感激した。

その学生のお祝いの言葉の中に「基礎マスコミ研究室も今年26年目を迎えました。私たちも根本博のような覚悟の下に、成長していければと思っています」という部分があった。

拙著の中に描かれている根本博将軍が身をもって示した“覚悟”に対して、学生たちが「何か」を感じてくれていたことがわかり、嬉しかった。

マスコミ志望の明治の学生たちにジャーナリズムとは何か、そして作文・面接の指導をやらせてもらって、すでに10年ほど経つ。

その間、多くの学生たちがマスコミへと進み、ジャーナリズムの世界で活躍している。頼もしい限りだ。

今日は、作文講座をやる前に学生たちに「ものの考え方について~思考停止とタブー~」と題して、日頃常識だと思っている概念が実はまったく「そうではない」ものであるという話をさせてもらった。

尖閣問題や核廃絶問題を例にとっての話だったが、私が展開した意外な論理展開に、学生たちも興味津々のようだった。

要は、日本の社会やマスコミが毒されている「思考停止」に対して、いかに柔軟で根本を見据えた考え方ができるかどうか――その発想や思考の仕方を見つめ直してもらったのである。

今日は他大学からも聴講に来てくれていたので、帰りに学生たちと居酒屋に寄って、いろいろ話をした。学生と話し合うのは、いつになっても面白い。こういう熱心な学生に是非、マスコミの門を「叩いて欲しい」ものだ。


カテゴリ: マスコミ, 随感

明日発売の「Voice」と「文藝春秋」

2010.09.09

明日10日発売の「Voice」(10月号・PHP研究所)が6ページにわたって私のインタビュー記事を掲載してくれている。「この命、義に捧ぐ」の取材秘話と、“冬の時代”と言われるノンフィクションの現状に対する見解を聞かれて、さまざまな見地から話をさせてもらったものだ。

私の取りとめのない話を、見事な構成力で的確にまとめてくれている。ちょうど「この命、義に捧ぐ」が第19回山本七平賞を受賞したので、このインタビュー記事自体が絶好のタイミングとなった。

今のノンフィクション界は、作者の思い入ればかりが前面に出た「俺が……」「俺が……」という作品や、あるいは自分自身の特殊な個人体験を書いた作品ばかりが幅を利かし、いわゆる“一人称ノンフィクション”こそが「正しい」と誤解されている。

しかし、言うまでもなく、そんな作者の「思い入れ」ばかりが詰まった作品に読者はついて来ない。なぜならノンフィクション作品の主役というのは、取り上げられた「人物」であり「出来事」だからだ。読者はそこにこそ興味を抱き、そして「本を手にとってくれている」ことを、私たち書き手は忘れるべきではないのである。

なぜノンフィクションが読者からソッポを向かれてしまったのか。長くこの世界にいる私なりの分析をさせてもらった。

有望な若い書き手も出始めているだけに、早く業界全体が“一人称ノンフィクション”のくびきから逃れ、広範な読者を再び獲得できる“三人称ノンフィクション”への道を模索して欲しいものだと思う。もちろん、そのためには、徹底した取材力が要求されるが、そこにこそ、「やり甲斐が生まれる」のではないだろうか。

明日は「文藝春秋」10月号も発売になる。太平洋戦争“生還者”の証言の「短期集中連載」も同号から始まる。第1回は、零戦の元パイロットや特攻で生き残った稀有な証言者たちが次々と登場する。長期間にわたって私自身が全国を飛び歩き、集めてきた貴重な証言の数々である。

九死に一生を得るどころか、「奇跡」としか言いようのない状況の中で生還してきた老兵たちは、私たち後輩たちにどんな証言を残してくれるのか。ご注目ください。

カテゴリ: マスコミ, 随感

小沢一郎の失敗

2010.09.01

いよいよ民主党代表選だ。「小沢一郎は致命的な大失敗をした」と思いながら、私は両陣営の旗揚げのニュースを見た。

政治資金規正法の虚偽記載で三人の元秘書が逮捕され、検察審査会から「起訴相当」の刃を突きつけられている小沢氏。国民が、その小沢氏がついに自分自身が出馬するところまで追い込まれたことを「どう見ているか」は、マスコミ各社の世論調査の数字が物語っている。

これでは、単なる“ピエロ”である。小沢氏のかつての政治の師・田中角栄がそうであったように、“闇将軍”として政界の実権を握るのならわかる。しかし、これほどカネにまみれ、塀の内側にさえ落ちかねない人間が、自らステージの上にノコノコ上がってくるとは、いくらなんでも滑稽過ぎる。

誰かを擁立して“闇将軍”になるしか小沢氏には「道はなかった」のに、迫る司直の手を恐れ、自ら「権力者」になるしかなかったのである。しかし、田中真紀子など、誰もついてこないような人間しか小沢氏はコマを持ち得なかったのだ。

今日の小沢氏の旗揚げ式を見ていると、海江田万里氏や赤松前農相などの姿があった。万難を排して、そこに持っていくことができれば、ある意味、面白かったかもしれない。あるいは、地方票もある部分「取り込める」かもしれなかったからである。

しかし、国民の“常識”から外れたピエロの出馬で、勝利を勝ち取ることは到底無理になった。その意味で、“おだてられて”“木に登ってしまった”小沢氏は哀れというほかないだろう。

そんな永田町の喧噪をよそに、私は今日、浜松町で、マスコミ志望の大学生たちを相手に延々と講演をやっていた。朝10時から夕方6時過ぎまで丸1日、セミナーの講師を務めたのだ。文化放送キャリアパートナーズの主催である。

セミナーの内容は、マスコミが求める人材像の話から始まって、合格作文術、合格面接術……等々、多岐にわたった。さすがに1日中、立ちっ放しだと疲労も蓄積したが、マスコミに入ろうとする意欲ある大学生たちの熱心さにアト押しされて、楽しくやらせてもらった。

昔も今もマスコミに入るのは至難の業だ。文章講座も含めて、プロの指導を学生たちは待ち望んでいる。そのことを今日、ひしひしと感じた。聞けば、どこの大学でもジャーナリスト養成講座、面接・作文講座等々はあまり充実していないようだ。

長年にわたって培ってきたものを学生たちに伝えることができるのは、私の喜びのひとつでもある。

カテゴリ: マスコミ, 政治

自らの使命に忠実であれ

2010.08.28

もう8月も終わりだというのに、東京は、相変わらず喘ぐような“都市熱”に覆われている。いつになったらこの不快な酷暑が過ぎ去るのか、溜息ばかりが口をつく。

間もなく始まる月刊誌の短期集中連載の最終ゲラを本日やっと校了。そのあと、明治大学のマスコミゼミの教え子である某大手紙記者が束の間の夏休みを利用して西新宿の事務所を訪ねてくれた。

夜には、記者の彼女も“合流”して談論風発となった。近く放映されるWOWOWの特別ドラマ「なぜ君は絶望と闘えたのか」の予告編も一緒に観た。その迫力に全員が圧倒された。

映像の迫力に負けてばかりはいられない。われわれ活字の人間は何を表現すべきなのか。新聞記者はいったい何を書くべきなのか。地方支局にいる彼は、2年目となり、やっと所轄担当から県警担当に上がったばかりだ。サツネタ、街ネタ、歴史、行政……地方には地方の報ずべきネタが、そこここに存在する。

私が近く月刊誌に発表する記事は、「太平洋戦争“生還者”の証言」である。地方には地方の生き残り兵士がいる。今、私たちジャーナリストが何を取材し、何を活字として後世に残すべきなのかが問われている。

そんな話を、現役バリバリの大手紙記者の教え子とできるとは嬉しく、頼もしい限りだ。しかし、こっちも“若さ”と“気迫”ではまだまだ負けないつもりだ。

日本全国、私を「待ってくれている」貴重な歴史の証言者がいる。この秋も東奔西走の毎日となりそうだ。自らの使命に忠実でありたい、と心から願う。

カテゴリ: マスコミ, 随感

緻密な取材と資料収集を

2010.07.28

今日は、ひっきりなしに事務所に来客があった。最後は、今年マスコミに入った早稲田野球部のOBだ。

フレッシュマンの彼は、しばらく見ない間に“社会人”、そして“マスコミ人”になっていた。話は、取材のやり方から歴史問題、高校野球、大学野球、そしてプロ野球にまで及び、時間が経つのを忘れた。

若い人と話すといろいろな刺激がある。最大のものは、ジャーナリストに最も必要な相手から吸収しようとする「意欲」を思い出させてもらえることだ。目がギラギラしていた自分自身がフレッシュマンだった頃を久しぶりに思い浮かべた。

今日はそれと共に、来週発売になる新作のカバーと刷り出しが事務所に届いた。多くの方に取材に協力いただき、やっとでき上がったものだけに感慨深い。

私の作品は、人間讃歌が多い。凄まじい生きざまを示した毅然とした日本人を描くのがテーマの一つだからだ。4月末に出した「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」は発売3か月足らずで、もう累計7万部を突破した。来週発売の新刊も、是非この勢いでいきたいものだ。

いつも書くことだが、ノンフィクションというのは、いかに「自分」を消せるかにかかっている。客観的に人物と情景をいかに描写できるかがポイントだ。作者の思い入ればかりが鼻につくノンフィクションが幅を利かす中、いかにそれとは正反対の作品を生み出せるかが私の課題である。

来週発売の作品は、まさにそのことに徹したものだ。これからも緻密な取材と資料収集を旨として、このような作品を次々と生みだしたい。

カテゴリ: マスコミ, 随感

悩める若者に勇気を

2010.07.14

今日は、事務所に千客万来だった。単行本の締切が終わった後、そのまま地方出張に行ったため、たまりにたまった用件が一挙に押し寄せた感じだった。

フジテレビの「ザ・ノンフィクション」の番組スタッフが私のコメント録りのために、やって来た。昨年、台湾&金門島にまで一緒に行ってもらったスタッフである。

「この命、義に捧ぐ――台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」がすでに5刷・5万部を超えたことは以前、このブログでも書いた。今度は、この根本中将について、フジテレビが8月15日の終戦記念日にドキュメンタリー番組を制作して放映してくれるのである。

「門田さんはなぜ根本中将を書こうとしたのか」「なぜ台湾で根本さんのことが歴史上から消されていたのか」「それをどうやって掘り起こしていったのか」……さまざまな観点から質問が飛んだ。

毅然とした日本人像を描くことをテーマとしている私には、根本さんのように“義”に命を捧げ、毅然と生きた人の生涯を描くことは最大の喜びだ。こういう題材に出会った時の嬉しさは何事にも代えがたい。

取材での苦労話も交えながら、いろいろとコメントさせてもらった。スタッフは「あまりに描かなければならない事柄が多過ぎて、放映時間(1時間)が短かすぎます」と嘆いていたが、今から放映が楽しみである。

出版界でノンフィクションが“冬の時代”であるのと同様、テレビの世界でもドキュメンタリー番組はバラエティーやドラマに押されている。彼らの奮闘を祈らずにはいられなかった。

毅然と生きたかつての日本人の姿を「現代」に蘇らせて欲しい。根本さんの生きざまは、人生に悩み、挫けそうになっている若者にも必ず勇気を与えてくれるものと思う。

カテゴリ: マスコミ, 随感

真実にこそ感動がある

2010.07.08

昨日は東京から佐賀、長崎、そして今日は夜、福岡にやって来た。明日は福岡市内の取材の後、小倉に移動する。証言者を訪ねて九州行脚である。

太平洋戦争“生還者”の証言に日々、感動を新たにしている。極限の「生と死」の場にいた人々の述懐は、やはり重い。うわべだけの正義を振りかざしてきた戦後ジャーナリズムの浅薄さが浮き彫りにされるようだ。

拙著「この命、義に捧ぐ」が発売2カ月で5万部を超えた。ともに12万部を超えた「甲子園への遺言」と「なぜ君は絶望と闘えたのか」を上回るペースだ。

「なぜ君は絶望と闘えたのか」は、江口洋介が主役となってドラマ化させることになった。この秋に放映されるそうだ。新刊「この命、義に捧ぐ」も、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」が8月15日の終戦記念日に取り上げてくれることになった。

自分の作品が次々とテレビ化されることは嬉しい。多くの方にこの主役たちの生きざまを知ってもらえるからだ。

以前にも書いたが、出版界がノンフィクションを軽視し、個人の特殊な体験や告白ものばかりを囃したてるようになって久しい。そういうものなら出版社は費用をかけずに作品を生み出せるからだ。

しかし、やがてノンフィクション全体が読者にソッポを向かれ、本格的なノンフィクションの絶対数が少なくなっていった。

その結果、手間ヒマとお金がかかるノンフィクション作品が生まれにくくなるという悪循環に陥った。今、まさにノンフィクション界はその地獄の中にいる。出版界自体がノンフィクションを貶め続けているわけである。

しかし、「この命、義に捧ぐ」で取り上げさせてもらった根本博中将、「甲子園への遺言」の“伝説の打撃コーチ”高畠導宏さん、「なぜ君は絶望と闘えたのか」の本村洋さんなど、凄まじい生きざまを示した人間、あるいは感動を覚えずにはおられない出来事や現象はいくらでもある。

こういう人物や出来事を描けるのは、ノンフィクションだからこそである。真実ゆえに読者が「共感してくれる」のだと私は思っている。

本を1冊仕上げるごとに「人間とは素晴らしい」と思う。毅然と生きた日本人をまた自分の手で紹介できた、という喜びは何物にも代えがたい。

小説の世界に大きく水をあけられているノンフィクション界をどうか応援して欲しいと思う。真実ゆえに必ず生きる勇気と気力を与えてくれるはずだ。そういう題材があるところに私はどこへでも行く。

カテゴリ: マスコミ, 随感

ジャーナリズムは冒険を

2010.05.24

大阪取材4日目。今日も茨木市で、日航機墜落事故ご遺族の貴重な25年目の証言を得ることができた。着々と貴重な証言が積み重なっている。充実した内容のノンフィクションになりそうだ。

夜、取材の帰りに、梅田で大阪読売新聞の元記者で、かつての“黒田軍団”の重鎮と飲んだ。

黒田軍団の解体からすでに約20年が経つ。ナベツネの露骨な大阪社会部切り崩し工作で失われた社会部の勢いは、今も戻ってきていない。

かつてのパワーあふれる軍団のエピソードを聞きながら、私はマスコミ全体の“変化”を感じざるを得なかった。単なるエリート集団と化した今のマスコミ・ジャーナリズムに、地を這うような調査報道は皆無となってしまった。

今のマスコミを称して「巣で口に餌(えさ)を放り込まれるのを待つひな鳥」と語る向きもある。それほど今のマスコミは当局に見事に飼いならされているということだ。最近は、エリート学生が「官僚志望」と「マスコミ志望」という信じられない“かけもち”をやるケースが増えているという。

新聞記者が書くノンフィクションの傑作にも、最近、とんと出会えないでいる。安定ばかり求め、冒険を忘れきった日本のジャーナリズムの世界に、「明日」はやってくるのだろうか。ジャーナリズムの将来を憂うる二人の中年男の飲み会――ホテルに戻ってきたら、すでに日付が変わってしまっていた。

カテゴリ: マスコミ, 随感

学生の間に培わなければならないもの

2010.05.17

関西の取材旅行から帰り、今日は久しぶりに明治大学でのマスコミ講座があった。今日の授業は、和泉校舎での1、2年生が対象だ。もうこの講座の講師を担当するようになって10年ほどになる。

毎年、マスコミに人材を送り込んでいるこの講座のお陰で、私も、マスコミ各社に随分と教え子が増えた。昨年、夏の甲子園大会を取材をしている時も、この講座出身の教え子と甲子園の取材現場で遭遇し、いろいろと情報交換をおこなったことを思い出す。

私の母校・中央大学よりマスコミに人材を送り出すことに熱心な明治が、大いにマスコミに勢力を張っていることを実感した。

今日も、目をキラキラさせたフレッシュマン(1年生)から、マスコミ受験を目前に控えている3年生まで、百名ほどのマスコミ志望学生にさまざまな話をさせてもらった。

私の授業は目的が明確だ。マスコミ・ジャーナリズムとは何で、いかにしてそのマスコミ・ジャーナリズムの世界に入るか、である。

そのために物事を見る視点や感性、はたまた精神力などについて、どう身につけ、どう養っていくか、という実践的な話をさせてもらった。

私は、作文の書き方についても実践的に方法論について指導をするが、授業が終わっても熱心に具体的な質問をしに来る学生もいて、なかなか頼もしかった。

授業をおこなう度に、将来のジャーナリストたちを育てる意義を感じる。人間の情感と情念を描き、毅然とした生きざまを表現し、そして巨悪に立ち向かっていく闘志を、若い人たちには身につけて欲しいと思う。

学生の間に培わなければならないものは、あまりに多い。がんばれ学生諸君!

カテゴリ: マスコミ, 随感

マスコミ人の談論風発

2010.05.11

昨夜は、拙著「この命、義に捧ぐ」でもいろいろ協力してもらった台湾のテレビ局のスタッフが東京を訪れていたので、夜遅くまで会合をした。

新宿で会食した後、5人が西新宿の私の事務所を訪れ、談論風発の楽しい飲み会となった。

来年は、台湾にとっては、あの孫文の「辛亥革命」からちょうど百年という記念の年だ。台湾のテレビ局としてもさまざまな企画を考えているようだ。それに絡んで、東京、そしてこの後、アメリカでも取材してくるという。

及ばずながら、私もいくつかの企画を出させてもらった。「日本側のレポートは門田さんが是非やってください」と言われ、「いいですよ~」と二つ返事をしてしまった。拙著の取材では多大な協力をしてもらっただけに、少しでも役に立ってあげたいと思う。

それにしても、国は違ってもマスコミ・ジャーナリズムに携わる人たちのバイタリティは、やはり共通している。話していても時間が経つのをつい忘れてしまった。

さて、今日は取材で鹿児島に飛ぶ。ここのところ出張つづきで腰が温まる暇がない。夏に出すノンフィクションの取材が佳境を迎えているのだ。休んでいる暇はない。

カテゴリ: マスコミ, 随感

「亡国の小沢一郎」の迫力

2010.04.15

今日発売の週刊新潮に、「亡国の小沢一郎」の短期集中連載第1回が掲載されていた。証言者は「元筆頭秘書」である

第1回は「小沢一郎が倒れた朝」。1991年6月、小沢氏が心筋梗塞で倒れた時のことが克明に綴られている。

そのほかにも、小沢氏の傲慢ぶりや、泥酔のさま、麻雀のために国会を欠席する様子などが、元側近ならではのビビッドな表現で活写されている。

久々に読みごたえのある政治記事である。今後、核心の胆沢ダムの「天の声」問題や政治資金を利用しての私産構築の問題に話は及んでいくだろう。国民の税金である政党交付金がどこに消え、どう小沢氏の私有財産へと変貌していったのか。そこが是非、読みたいところだ。

綻びがあっちこっちから出始めた小沢氏。この人が幹事長職にとどまっている限り、民主党は有権者からソッポを向かれ続けるだろう。

小沢氏の居座りを最も喜んでいるのは、自民党だ。失点合戦の行き着いた先には、7月の参院選がある。早くも民主党の過半数割れが取り沙汰され始めた。

その前に、鳩山首相の米軍普天間基地移設問題での政権放り投げもありうる状況だ。支持率が危険水域に入って来た以上、何かのスキャンダルで一気に政権が瓦解する可能性もある。

国会議員の先生方も、今年のゴールデンウィークは外遊にうつつを抜かす「時」ではなさそうだ。

カテゴリ: マスコミ, 政治

活字ジャーナリズムの“談論風発”

2010.03.12

昨夜は、新聞記者、月刊誌編集者、週刊誌デスクの3人が事務所を訪ねてきてくれた。そのまま「飲み会」に突入、夜中まで談論風発、さまざまなことを話し合った。

いずれもマスコミの最前線で活躍する40代のばりばりの人たちである。政治、歴史、事件……等々、あらゆることが俎上に乗った。

さすがに活字ジャーナリズムの第一線で働く面々とあって、話題には事欠かない。記事には書けない話もいろいろ飛び交った。外に飲みに行って、また事務所に戻って飲んでいる内に、気がつくと午前2時になっていた。

嬉しいのは、私が来月に出版する本の内容にそれぞれが関心を持ってくれたことだ。記事の面でいろいろ応援してくれるという。

あさってからその単行本の詰めの取材で台湾に行く。歴史ノンフィクションの醍醐味を私自身が味わいたい。

カテゴリ: マスコミ, 随感

「康子十九歳 戦渦の日記」

2010.03.02

今日は、BSイレブンの「インサイドアウト」という番組にゲスト出演させてもらった。夜10時からの1時間番組である。

拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)を取り上げてもらい、歴史への思いと毅然とした日本人の姿について、話をさせてもらった。

もともと番組プロデューサーが大学時代の友人だったこともあって声をかけてもらったが、番組終了後、屋台のおでんやで一杯やって大いに盛り上がった。

別に、民放局からの出演依頼もある。それもまた大学時代の関係からの誘いであり、いろいろとありがたい限りだ。

しかし、私が語らせてもらうことは難しいことは何もない。物事の本質を見る目と毅然とした日本人について、である。私は、そのことについて、さまざまな現象や事件をあてはめて話をさせてもらっているに過ぎない。

人間のありようを話したり、文章で描いたりする時に、あっちへ、あるいはこっちへ、とフラフラするマスコミ人や編集者は実は少なくない。

コメントするたびに「自分だけはそうありたくない」と思う。同時に、そう思い続ける限り、世に作品を問い続ける資格は少なくともあるのではないか、とも思う。

いつまでそれが続くか、自分との闘いでもある。

カテゴリ: マスコミ, 随感

気骨の判決

2009.08.17

昨夜のNHKドラマ「気骨の判決」はおもしろかった。吉田久という実在の裁判官が太平洋戦争下、大政翼賛選挙で、さまざまな圧力をはね返して“選挙無効”の判決を下すまでを描いたドラマだった。

これは新潮新書の「気骨の判決」という本を原案にしている。著者は、NHKの清永聡記者。歴史に埋もれていた裁判を掘り起こして「現代」にその意味を問うた労作だった。

しかし、この番組宣伝にもドラマのモトとなった本のことは一切紹介されず、実際の番組でもエンドロールに、わずか一行、「原案」として紹介されたに過ぎなかった。あまりにエンドロールが画面に流れるスピードが速かったため、ほとんどの視聴者が、本の題名すらわからなかったのではないか。

一つのネタが掘り起こされ、それが一冊の本となるまでには多くの壁を乗り越え、膨大な労力を費やさなければならない。しかし、ドラマ化やドキュメンタリー化する制作者側には、そのことに対する意識や敬意が感じられない場合が多い。

今回もその典型だった。自分たちスタッフの名前だけは目立つように配し、もとになった本が軽視される傾向はマスコミの「良心」としていかがなものかと思う。

ドラマが“力作”だっただけに、そのことが余計惜しまれる。

カテゴリ: マスコミ, 司法, 歴史

“官製ジャーナリズム”しか生き抜けないのか

2009.07.29

今日は、事務所を訪ねてきた某大手出版社の編集者からノンフィクション界の実情についていろいろと聞いた。

それによると、この業界の常識は「ここでは飯が食えない」ということに尽きるらしい。雑誌の原稿料は安く、本となっても、印税はわずか10%で、費用対効果はすこぶる悪い。みんなあっちこっちのアルバイト原稿で糊口を凌いでいる有り様だという。

“官製ジャーナリズム”しか生き抜けない日本の言論界のお粗末な実態を垣間見る話だった。たしかに原稿料や印税の安さは、マス目を埋めることによって生計を立てている人間にとっては、「生きていける」ぎりぎりだと言っていいだろう。

おもしろく、かつ意義のある作品を生み出したい意欲のあるジャーナリストは結構いるのに、結局、それが作品に結びつかない日本の現状には溜息が出るばかりだった。

暗い話はここまでとする。

今日も甲子園へ強豪校が次々と名乗りを上げた。激戦の神奈川で最後に笑ったのは、横浜隼人だった。横浜に10対9、桐光学園に5対1、桐蔭学園に6対5と、甲子園なら「ベスト8」クラスのレベルの高い試合を凌ぎきった実力は侮れない。

東東京は、踏ん張ってきた都立雪谷高校が横綱・帝京の前に力尽きた。そのほか、埼玉は聖望学園、和歌山は智弁和歌山、奈良は天理……等々、優勝戦線に絡んできそうな学校が続々、名乗りを上げている。明日はさらに強豪校が名乗りを上げてくるだろう。

明日の注目は西東京の日大三高、愛知の中京大中京、高知の明徳義塾、愛媛の西条あたりか。高校球界の名将もかなり揃ってきた。

今年の甲子園は興味深い。

カテゴリ: マスコミ, 野球

「人」こそが財産

2009.04.17

今年、新聞記者となり、研修が終わって支局に赴任する教え子が挨拶に来た。4月に入ってまだ間もないのに、すっかり社会人の雰囲気で大学時代とまるで面構えが変わっていた。頼もしい限りだ。

首都圏の某県で“サツ廻り”から彼の記者生活はスタートする。意欲満々で、どうやったら警察の人に好かれるか、どうネタを拾えばいいか、熱心に聞いていった。

長い長い記者生活のスタートである。彼の燃えた眼を見ていると、「こいつは将来、なにかをモノにする」と確信した。ジャーナリストとして不可欠なのは、いうまでもなく正義感と情熱だ。その両方を持ったナイスガイに期待するところ大である。

これから取材で出会う一人一人、いやプライベートでも会う一人一人が君の財産だ。「人」に可愛がってもらうことでジャーナリストとして視野を広げ、成長していって欲しい。

最初はつらいだろうが、大丈夫。ジャーナリズムの世界が、これほどやり甲斐のあるところだとわかって、すぐに夢中になるだろう。

がんばれ!

カテゴリ: マスコミ

「挑戦者」の気持ちで

2009.04.14

新聞社2社、通信社1社から明日のコメントを頼まれた。古巣・週刊新潮の「朝日新聞阪神支局襲撃事件の告白手記」の問題について、である。

熟慮の末、コメントは辞退させていただいた。何を言っても、今は週刊新潮攻撃の材料にされてしまうだけだし、後輩たちについて今、「コメントする」のは忍びないという思いからである。

さまざまな点について言いたいことはある。そもそもあの手記をなぜ「GO」にしたのか、その判断の拠りどころは一体何だったのか、アメリカ大使館の“指示役(主犯?)”とやらと和解した段階で、なぜ今回の事態が予想できなかったのか……等々、今週、他誌が一斉に報じている「告白者」のインタビュー記事を見るにつけ、かつてはあれほど「戦争」に強かった週刊新潮の変貌ぶりに溜息が出てしまう。

しかし、現役の記者たちは挫(くじ)けず、これからも敢然と巨悪に立ち向かって欲しいと思う。半世紀にわたって巨悪と対峙し、こつこつと“新潮ジャーナリズム”が築き上げられてきた道のりは、今回のことだけで消え去ることはない。どうか新たに「挑戦者」の気持ちで日々の取材に取り組んでいって欲しいと思う。

そのためには、世間が納得する「けじめ」が必要だ。そうでなければ、今後、週刊新潮がどのような主張や論評をおこなおうと、それは誰にも振り向いてもらえない。その意味で、新潮は今、まさに「存亡の危機」に立っている。

週刊新潮が出直しできるだけの「けじめ」をつけられるか否か。多くの新潮ファンが祈るような気持ちでそれを待っている。

カテゴリ: マスコミ

優れたドキュメンタリー番組とは

2009.04.12

一昨日のブログで書いたNHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー 第1回『アジアの“一等国”』」の報道内容が波紋を広げている。

台湾の日本統治がいかにひどかったかを主張する内容に「あまりに偏向が過ぎる」「日本が一方的に台湾人を弾圧したとするのは間違い」という非難の声が上がり始め、「日本李登輝友の会」が4月10日に福地茂雄NHK会長宛に抗議声明を出したという。

同番組で主要な登場人物だった台湾の老人が、「発言の一部分だけを強調され、一方的な日本批判にされてしまった」と怒っているともいう。

力作が多いNHKスペシャルの中で、たしかにこの番組は“異質”だった。「日本統治時代」「国民党による“白色テロ”の時代」、そして「戒厳令解除以降の民主化の時代」「民進党時代とそれに対する揺り戻しの現在」……と、複雑で、常に揺れ動く台湾の歴史を、あまりにも短絡的な取り上げ方をしてしまったと思う。

NHKスペシャルは2月下旬、「菜の花畑の笑顔と銃弾」というタイトルで、昨年8月にアフガニスタンで殺害された農業指導員の伊藤和也さん(享年31)が生前撮影していた写真3千枚をもとに、伊藤さんの5年間に渡った「現地での活動」を再現する優れたドキュメンタリーを放映している。

伊藤さんの遺したメールや手紙をひもとき、あるいは伊藤さんに指導を受けたアフガニスタンの人々を訪ね、過酷な現地の現実、救援活動の試行錯誤などを浮き彫りにした作品で、感動を覚えた人は少なくなかったと思う。

そういう地道で意義深いものが多いNHKスペシャルで、今回の番組はいかにも残念だ。波紋は今後も広がりそうだが、批判は批判として真摯に受けとめ、このような“短絡的な”番組は2度とつくらないで欲しいと思う。

カテゴリ: マスコミ

マスコミに来たれ!

2009.04.11

今日、マスコミ志望の早大生が相談に来た。放送局志望の学生である。6日(月)には、出版社志望の中大生も来た。この時期には、ジャーナリストや編集者を志望する大学生がいろいろなツテを辿って相談に来るのである。

私は、8、9年前から明治大学の「基礎マスコミ講座」で文章やジャーナリズムについて講義をさせてもらっている。毎年、講義を聞いてくれる中からマスコミに進む学生が少なからずいる。新聞・テレビなど、無事マスコミに入った教え子の中には、入社後も連絡を取り合っているものもいる。

同時に、この新入社員の時期には毎年のように“苦労談”が伝わってくる。マスコミ内部の「理想」と「現実」のギャップが早くもこの研修の時期から露わになってくるのだ。

しかし、彼らに共通しているのは、生き生きした、あるいはギラギラとした「眼」である。無事マスコミに入った喜びとやる気が、そこには漲っている。功名心でも何でもいい。埋もれたものを果敢に掘り起こし、どんな圧力にも屈しない「日本のジャーナリズムここにあり!」という若者らしい成果に是非、挑戦して欲しいと思う。

今日、相談に来た早大生にも、中大生にも、そして明大生にも、マスコミの扉が無事開かれんことを祈る。あの「入社作文術」を忘れるな。そして面接突破のポイントも忘れるな。苦しいのはあと少し。「明けない夜はない」のです。

カテゴリ: マスコミ

NHKスペシャル「アジアの一等国」

2009.04.10

今日は、締切つづきのために観ることができなかった4月5日放映のNHKスペシャル『シリーズJAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国”』の録画をゆっくりと観させてもらった。私が、今年7月に出版するノンフィクションは、台湾とも関係のある作品なのでこの番組は興味深かったが、少々驚いた。

全編、日本の台湾統治がいかにひどかったか、ということを視聴者に印象づけようというもので、これほど一定の意図に基づく番組構成は珍しい。こういう番組の中で、自分たちの証言が使われていることを、登場人物たちは果たして知っているのだろうかと、ふと、気になった。NHKスペシャルには、『激流中国』など、力作が多かっただけに、その落差にびっくりしたのは私だけではないだろう。

戦前、韓国と同じように日本統治時代を経験した台湾。しかし、両国の日本に対する感情には、大きな差がある。韓国とは正反対に、台湾には、「ハーリーズ(哈日族)」と呼ばれる日本びいきの人たちが今も沢山いる。

そういう親日家たちの中にも、日本に対して複雑な思いを抱いている人は少なくない。特に、この番組にも登場した元台湾人日本兵など高齢の方々だ。彼らには、日本に「切り捨てられた」という思いがある。

それは、現在の日本が政治家も経済人も「北京」にばかり顔を向け、中国首脳に拝謁するために北京詣でを繰り返し、一方では「北京」の反発を恐れ、要人の訪台はほとんどなく、「日本のために働き、今も日本に対して郷愁にも似た思いを抱く自分たち」が、まるでかえりみられていないことに対する“複雑な思い”である。

番組の終わりに、その元台湾人日本兵が「(自分たちは)みなしごになって捨てられたみたいですよ。人を馬鹿にしてるんだ、日本は」と叫ぶ場面がある。「台湾の当時の青年がいかに日本に協力して尽くしたか心を察してもらいたい」と、その老人は続ける。「それなのに」と言葉を接(つ)いだ瞬間、次の言葉は、なぜか編集でカットされている。そして、番組にはフランス人の歴史学者が登場し、「なぜ世界の人々は日本をこのように見るのか理解しなければならない」というコメントを発する。ここで番組は終了するのである。

私は1987年以降、取材で台湾を20回以上、訪問しており、多くの高齢の方々に面会を繰り返している。あの流れの中で、老人は、「それなのに」の次に「なぜ日本は私たちを忘れて、中国ばかり大事にするんだ!」と言ったのではないだろうか、と思う。少なくとも、私が会ってきた方々に共通する思いは、そうだった。

しかし、この番組は、それを「日本統治時代に対する恨み」であると、無理矢理、視聴者に印象づけた。

私はこの時、つい1か月ほど前の報道を思い出した。イギリスのBBCが共同でおこなった世界アンケートで、日本の好感度が「3年連続世界一」になったというニュースである。秩序を重んじ、勤勉でこつこつ努力する日本人の姿がどう世界で見られているかを表す貴重な外国メディアのアンケート結果である。

BBCとNHK。二つの巨大メディアの報道姿勢は興味深い。

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新潮よ、負けるな!

2009.04.09

古巣(週刊新潮)が世間から指弾を受けている。朝日新聞阪神支局襲撃事件について、週刊新潮誌上で「私が実行犯だ」と告白した人間がそれを「翻した」のである。

本日発売の週刊文春や各新聞で、得意気に「あれはデタラメだった」と告白している男の写真を見て、新潮ファンは、「あーあ」と、溜息を洩らしたに違いない。いずれにしても、週刊新潮にとって、大きな失態となった。

なぜ、ライバル誌で“逆告白”されるまで手を拱いていたのか、編集部の自浄能力について「?」がつけられても仕方がないだろう。

すでに週刊新潮は、90年代を支えたベテランデスクたちが編集部を去って新たな時代を迎えているが、これまで数々の戦いをおこなってきた新潮ジャーナリズムがうまく継承されていないことに寂しさを感じた新潮OBも少なくないだろう。

「信頼」というのは、築き上げるのには長い時間がかかるが、崩れるのは一瞬だ。
週刊新潮に才能あふれる部員が揃っていることは出版界でも広く知られている。また一つ一つ、先輩方が長い時間をかけてやってきたように、歯を食いしばって「信頼」を築き上げていって欲しい。

ここはケジメをきちんとつけて、初心に帰って一から出直すしかない。これまで半世紀にわたって新潮がやってきたことに心の中で拍手を送ってくれるファンが想像以上に多いことを忘れないで欲しい。そして、新潮が打撃を受けていることを喜んでいる“巨悪”に負けないで欲しい。

ガンバレ! 新潮。

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