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「敗れて」勝負師となった内村航平

2012.08.02

秋に出すノンフィクションの取材で、福島県の勿来(なこそ)、郡山、福島と、ここのところ取材で福島県内を“転戦”している。福島は、東京にも負けないほどの暑さだ。列島を覆い尽くす熱暑は、ここ福島でも同じだ。

連日、昼間は取材、夜はホテルでのオリンピック観戦で、寝不足がつづいている。昨夜の体操・内村航平の個人総合の金メダルに私はさまざまな感慨を抱いた。

団体戦の最終演技「あん馬」のフィニッシュが崩れ、いろいろな意味で“弱さ”を露呈してしまった内村。王者ならば、あそこでビシッと決めて団体での「銀メダル」を確定しなければならなかった。

内村は、この失敗で勝負師として「敗れた」。日本チームは4位に転落してメダルを「逃した」と思われた。だが、その内村の演技の採点をめぐって日本チームは審判団にクレームをつけた。

結局、抗議は受け入れられ、内村の得点は上がり、日本チームは4位から「2位」となって銀メダルを獲得した。私は日本チームの抗議を見ながら、「そんなことはやめろ」と心の中で叫んでいた。

内村の演技がフィニッシュで失敗し、勝負に「敗れた」ことは、この演技を見ていた世界中の人がわかっている。その採点にクレームをつけても、残るのは日本に対する不快感だけである。

案の定、表彰台に上がった日本チームには、ブーイングが浴びせられた。それは、細かな「採点」の問題ではなく、勝負に敗れた者(チーム)の抗議が「不快感しか残さない」ことを物語っていた。

かつてオリンピックで採点にクレームをつけるのは、ソ連や東ドイツなどの東欧、共産圏と相場は決まっていた。それが映し出されるたびに、世界中の人々が悪しきナショナリズムを前面に出す共産主義国に不快感を覚えたものである。

私は、個人総合に出てきた内村に、その団体戦の後遺症がどの程度、残っているか、それだけを心配していた。やはり内村のプレッシャーはかなりのものだった。映像を通じても、それがひしひしと伝わってきた。

普段はぴたりと決める着地が微妙に動き、やはり本調子ではなかった。だが、内村は、演技の難度を少しずつ下げ、より勝負に徹した技を心掛けた。体力、精神力の限界が近づく中、内村は戦いつづけた。

たしかに会心の演技ではなかった。だが、内村は耐えに耐えた。極限の緊張状態の中で、誇りも自尊心も捨て、ただ「勝つ」ことに向かって、耐えつづけたのである。

それこそが「勝負師」の真の姿だったと、私は思う。若くして頭角を現してきた内村に、初めて「勝負師」としての試練が課せられたのだと思い、私は内村の演技を見つづけた。

そして、内村は最後まで踏ん張りぬき、金メダルを獲得した。東京五輪の遠藤幸雄、メキシコ五輪・ミュンヘン五輪2連覇の加藤沢男、ロサンゼルス五輪の具志堅幸司につづいて、4人目の世界王者となったのである。

歴代の伝説の王者たちと肩を並べた内村は、マイクを向けられた時、こう語った。「(この金メダルは)重たいし、一番、輝いています」と。それは23歳の青年が、真の意味で「勝負師」となったことを表わす実に味わい深い言葉だった。

カテゴリ: 体操

体操王国ニッポンの系譜

2009.05.24

今日は、赤坂プリンスホテルで“体操王国ニッポン”を支えた故遠藤幸雄さん(3月25日死去)の「お別れ会」があり、体操界の重鎮や実力者が一堂に会した。

体操男子で日本人初の個人総合金メダルを「東京オリンピック」で獲得した遠藤さんの偉業は、何十年経とうと輝きを失うものではない。

その中で、先日、「新潮45」連載中のスポーツドキュメントの取材でお世話になった加藤沢男さんと、その師匠である金子明友さん(82)にお会いし、会のあとホテルのすぐ隣にある中国料理「維新號」で食事した。

金子―遠藤―加藤という東京教育大学(現筑波大学)の師弟の系譜は、体操王国ニッポンの栄光の系譜とぴたり重なる。理論と実践で多くの名選手を育て、国際審判員としても活躍し、最後は筑波大学副学長にもなった金子さん。その冷静で奥深い話は今日も健在だった。

アジア最多の「8個」の金メダルを持つ弟子、加藤さんも金子さんの前ではさすがに影が薄い。優しい目で弟子の話を聞きながら、時々、発する金子さんの貴重な言葉に加藤さんも私も聞き入った。あらためて、体操界のドキュメントを書きたくなった一日だった。

カテゴリ: 体操

『新潮45』の連載スタート

2009.04.16

明日発売の『新潮45』(5月号)から、スポーツドキュメント「あの一瞬」の連載をスタートさせる。およそ1年にわたる長丁場の連載だ。

第1回は日本人として最多、いや「アジアで最多」の金メダルを持つ男・加藤沢男を取り上げている。『極限の緊張状態を凌駕した「加藤沢男」逆転のウルトラC』と題して、1968年のメキシコ五輪「体操」個人総合の金メダルのドラマを描かせてもらった。

加藤さんは9・90でしか逆転できないという追いつめられた土壇場で、その9・90を出して逆転の金メダルを獲得する。それは世界のメディアが「奇跡」と表現した場面である。

その後も、3つのオリンピックで逆転に次ぐ逆転によって8個の金メダルを獲得した加藤沢男。私は、いつか加藤さんに話を聞く機会があれば、「あなたは、なぜいつも極限の緊張状態を克服することができたのですか」という質問をしたいと思ってきた。

私たちの世代にとって、加藤沢男という人間は、それほど伝説的に“勝負強い”男だった。ここぞ、という時に、絶対に国民の期待に応えてくれた選手なのである。

そして、加藤さんの口からその秘密を聞いた時、私は思わず「えっ?」と問い返していた。加藤さんは、その理由を「それは、私が“失敗をする練習”を繰り返してきたからではないでしょうか」と答えたのである。

練習とは「失敗をしない」ためにするものではないのか。そしてあなたは本番で絶対に「失敗をしない」男ではなかったのか。だが、加藤選手は自分は「失敗をする」練習をし続けた男だというのである。意外な答えは、やがて話を聞く私を「感動させる」ことになる。

詳細は『新潮45』をお読みいただきたいが、アスリートたちの極限の闘いの裏にあるドラマには、やはり心が動かされる。どんな凝縮された「あの一瞬」を読者の皆さんに提供していけるか、私自身も楽しみである。

連載、ご期待ください。

カテゴリ: 体操

「遠藤死す!」の衝撃

2009.03.25

本日、「遠藤死す!」の報に衝撃を受けました。
「遠藤」とは東京五輪の体操個人総合で金メダルを獲得した遠藤幸雄さんのことです。
アジア人として最多「8個」の金メダルを持つ体操の加藤沢男さん(現筑波大学教授)から一報をもらいました。
遠藤さんと加藤さんは、体操の名門・東京教育大学(現筑波大学)の先輩と後輩。加藤さんは遠藤さんの体調不良を知り、近く見舞いに行こうとしていた矢先でした。

東京(遠藤)、メキシコ(加藤)、ミュンヘン(加藤)という3つのオリンピックの個人総合で金メダルを奪取した2人の闘いぶりは今も忘れられません。
金メダルへの「極限の緊張状態」と闘った2人の偉業は50代以上の日本人にとって、忘れることのできないものでしょう。

東京五輪で遠藤さんが背負ったものの大きさは想像もつきません。「ご苦労様でした。そしてありがとうございました」と言わせて欲しいと思います。
取材滞在中の旭川で、遠藤さんの偉業に思いを馳せながら「献杯」させてもらいます。

WBC2連覇の余韻もさることながら、民主党の小沢一郎代表の続投に絶句した人も多いのでは?「俺は辞める」と公の場で宣言した末に居座ったあの騒動から、およそ1年5か月。結局、このヒトには恥も外聞もない。言うまでもないが、民主党にとってこの「続投」は致命傷だ。だが、それでも続投が許される政党に「明日がない」ことは疑いない。

カテゴリ: 体操, 随感