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待機児童問題は「舛添知事」の“命取り”になるのか

2016.03.19

これは、ひょっとしたら、舛添要一都知事の“命取り”になるかもしれない。私はそう思っている。いや、そうすべきだと思う。

都議会議員のやながせ裕文氏が、「舛添知事は、韓国人学校より保育所をつくれ!」と必死で訴えている新宿区の「韓国人学校問題」のことである。

私は、都民であり、新宿区民でもある。今はもう成人しているが、二人の息子は新宿区で育っている。新宿区民として、やながせ都議に「がんばれ! なんとか舛添知事の暴走を止めてください!」と声を大にして言いたいと思う。

発端は、3月16日、東京都が韓国学校を増設する用地として、新宿区矢来町にあった旧都立「市ケ谷商業」の跡地を韓国政府に有償で貸し出す方向で「具体的な協議に入る」と発表したことだ。

そのことを報じた産経新聞によれば、「韓国政府から要請があったため」で、都は地域住民の意見を踏まえ利用方法や条件などを詰めるのだそうだ。しかし、これに反発の声が上がった。新宿区と言えば、東京都の中でも待機児童の多さで、かねて有名な地だからだ。

新宿区では、昨年4月時点での待機児童は「168名」となっている。話題になったツイッターの「保育園落ちた日本死ね!!! 何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」とつぶやいた母親ではないが、本当に「何なんだよ日本」と思っている母親はいくらでもいるのである。

都では「保育所」や「特別養護老人ホーム」など福祉施設が大きく不足しており、待機児童、待機老人問題は言うまでもなく喫緊(きっきん)の課題だ。やながせ都議によると、東京都は都立公園の緑地まで「福祉施設に転用」しなければならない事態に陥っているという。

当該の市谷商業の跡地は、現在、新宿区立小学校の校舎の建て替えで仮校舎になっており、これが終了したら、新宿区で「2校目」になる韓国人学校の用地にする計画だという。

「都民より韓国人を」という舛添知事の感覚はどこから来るのだろうか。新宿区にすでに1つある韓国人学校で生徒が収容できなくなったというのなら、自分たちで土地を探して「2か所目」をつくればいいだけのことである。

待機児童や待機老人問題をはじめ、さまざまな用途がある都の土地を「韓国人学校のために貸与しなければいけない理由」は一体、どこにあるのだろうか。しかも、昨年、新宿区長が市谷商業跡地の「継続使用」を都に打診したところ、都から「要望は受け入れられない」と断られた、というのである。

周知のように韓国人学校は、韓国の「民族教育」がおこなわれている各種学校に過ぎない。そんな学校に、なぜ都民(新宿区民)がシワ寄せを受けなければならないのだろうか。

都の資産や税金が韓国の「民族教育」のために使われることに「都民のコンセンサス」が得られるなら、舛添氏は、これを取ってからやるべきだろう。

私は、2014年7月、舛添氏が就任間もない時期に韓国を訪れたときの発言や振る舞いをどうしても思い出してしまう。当ブログでも書いたが、舛添知事はこの時、朴槿惠大統領と青瓦台で会い、まるで朝貢外交でやってきた使節のようにぺこぺこと頭を下げている。

その舛添氏の姿は韓国国民の溜飲を大いに下げさせ、セウォル号事件での窮地がつづいていた朴大統領にとって大きな“支援”となった。

そして、会談で舛添氏は、朴大統領から次のような“お言葉”を頂戴している。「一部政治家の言動で両国関係に難しさが出ているが、正しい歴史認識を共有しつつ、関係を安定的に発展できるよう努力をお願いする」「慰安婦問題は両国関係だけではなく、普遍的な人権に対する問題。真摯な努力で解決できる」と。

この「正しい歴史認識」と「慰安婦問題」について、舛添氏がどんな返答をしたのか、当時、報道はなかった。しかし、彼がこの時、ソウル大学でおこなった講演での発言を見れば、容易に想像がつく。

「90%以上の東京都民は韓国が好きなのに、一部がヘイトスピーチをして全体を悪くしているのです」――舛添氏は“事実”とは全く異なるそんな発言をしたのである。

世界各地で慰安婦像を建て、さまざまな議会で日本非難の決議をおこない、日本を貶める行動を世界中で展開している韓国に、のこのこと出かけて行き、あちこちで愛想を振りまいてきたのだ。

都民の「誰」が、こんなことを都知事に望んでいるのだろうか。私は不思議でならない。報道によれば、舛添氏の就任以来の海外出張費は、すでに「3億3千万円」にも及んでいるという。

都民の税金は、こうして喫緊の課題ではなく、知事の「都市外交」に消えている。私は、外交とは国の専管事項なので、なぜ自治体の長が、相手国に誤解を与えるような二元外交をおこなえるのか、これまた不思議でならない。

誰か、舛添氏の“暴走”を止める人はいないのだろうか。都民を守るために都議会の“解散覚悟”で都知事の不信任決議に向けて動き出す政党や都議はいないのだろうか。

いずれにせよ、「2018年都知事選」で、舛添氏の「再選」を阻むために、多くの政治勢力が結集することが強く求められる。少なくとも、私は「都民」より「外国」の利益をはかりたい知事だけは、ご免蒙りたい。

カテゴリ: 政治

「恬(てん)として恥じず」朝日新聞は“再び”死んだ

2016.02.20

昨日の朝日新聞、そして今日の産経新聞の記事を見て、目が点になった人は多かったに違いない。仰天、唖然、衝撃……どんな言葉を用いても、そのことを表現することは難しいだろう。

私は前回のブログで、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の「対日審査」での日本の主張について書かせてもらった。

外務省の杉山晋輔・外務審議官が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がなかったことを説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造」であったこと、さらには、朝日新聞の報道が国際社会に「大きな影響」を与えたことを指摘したのである。

私は、日本政府が国連の場で、こうした事実関係を「初めて」説明したことと、外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている、という趣旨のことを書かせてもらった。

しかし、昨日の朝日新聞朝刊には、その外務省に対して、朝日が「抗議をおこなった」ことが書かれていたのだ。私は職業柄、主な新聞には、すべて目を通すようにしているが、その朝日の記事には本当に驚いた。

第4面の「総合面」に〈国連委発言で慰安婦報道言及 本社、外務省に申し入れ〉と題して、朝日が国連での杉山審議官の発言に対して、〈18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」などとして遺憾であると文書で申し入れた〉と報じたのである。

「えっ? ウソだろ……」と呟きながら、この記事を読んだ人は少なくなかっただろう。朝日の記事の主要部分をそのまま引用する。

〈申入書(※筆者注=朝日が外務省に申し入れた文書)では、国際的な影響について、朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会でも見解が分かれ、報告書では「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「吉田氏に関する『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」などの意見が併記されたと説明。国際社会に大きな影響があったとする杉山氏の発言には根拠が示されなかったと指摘した。

 また、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じた点について、朝日新聞社はおわびし、訂正しているが、20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」と指摘した。慰安婦の人数については諸説あることを報じていることも伝えた。川村泰久外務報道官は文書を受け取った上で、「お申し入れの内容が詳細なので、精査させて頂きます」とコメントした〉

いかがだろうか。私は、品のない表現で大変申し訳ないが、“居直り強盗”という言葉を思い浮かべた。そして、こんな“子供の屁理屈”にも劣る言辞が通用すると「本気で思っているのだろうか」と考えた。少なくとも、自分たちが、根拠もなく慰安婦の強制連行を世界に広めたことに対して、反省のかけらもないことがわかる。

あらためて言うまでもないが、朝日新聞の報道の一例を示すと、1992年1月11日付朝刊1面トップで、朝日は、日本軍が慰安所の設置などに関与したことを示す資料が見つかった、と大々的に報じている。当時の宮沢喜一首相の訪韓わずか「5日前」にブチ上げられた記事である。

その中で朝日は「従軍慰安婦」の用語解説をおこない、〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と書いた。

しっかりと、〈挺身隊の名で強制連行〉と書き、〈その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と記述している。また、翌12日付の社説でも〈「挺身隊」の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられた〉と書いている。

これはほんの一例だが、朝日新聞は、長年の外部からの指摘に耐えかねて、ついに一昨年(2014年)8月5日、「検証記事」を掲げた。そのなかで、〈読者のみなさまへ〉と断って、わざわざ〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と、「混同」「誤用」を認めているのである。

杉山審議官の国連での発言は、もちろん、それらを踏まえたものだ。しかし、当の朝日新聞は、こともあろうに、これに対して「抗議」をおこなったのである。子供の屁理屈にもならない、というのは、〈20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」〉と噛みついている点だ。

では、その〈20万人〉がどこから出てきたものなのか、〈女子挺身隊との混同〉でなければ「いったい何でこんな途方もない数字が出てきたのか」、それを自ら指摘・告白するのが、礼儀であり、大人というものである。〈慰安婦の人数については諸説ある〉という申し入れの文言は、明らかに「開き直り」というほかない。

私は、自分自身の経験を思い起こした。2014年5月20日付で朝日新聞が、「吉田調書を入手」したとして、福島第一原発の現場の人間の「9割」が所長命令に違反して撤退した、と1面トップで報じた件だ。

吉田昌郎所長をはじめ、現場の多くのプラントエンジニアたちにも取材した私は、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』というノンフィクションを2012年に出しているが、その取材結果をもとに、朝日の記事を「誤報である」と指摘した。

それに対して、朝日新聞は「報道機関としての名誉と信用を著しく毀損する」として、私に「謝罪と訂正」を要求する文書を送りつけてきた。そして、その文書の中には、要求に応じない場合は、「法的措置を検討する」という“脅しの文言”がしっかり入っていた。

私は、朝日新聞という報道機関が「自由な言論を封殺」しようとしたことに、一種の感慨が湧き起こった。自分たちに都合の悪いことに対しては、言論や表現の「自由な空間」を守るどころか、「圧殺する」という恐ろしい体質を同紙が持っていることがあらためてわかったからだ。

私は、これで逆に大いなる闘争心が湧き起こり、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……等々で、自分にできる最大の論陣を張らせてもらった。その意味で、私に対する朝日の“脅し戦略”は、まったくの逆効果をもたらしたことになる。

幸いに3か月後の9月11日、朝日新聞は自らの「誤報」を認め、木村伊量社長が記者会見を開き、訂正・謝罪の発表と、社長退陣と編集幹部の更迭がおこなわれた。

私はその後、朝日新聞からの正式な謝罪を受けたが、今回の外務省への抗議は、「真実」を指摘された時の「開き直り」という点で、まったく「共通」のものであることがわかる。

今回の朝日の外務省への申入書には、自らつくった慰安婦報道に対する「第三者委員会」の委員の中には、朝日の報道が「国際的な影響を与えた」ということに「そうではない」と言っている人がいます、と書いている。なんと稚拙な論理だろうか。

岡本行夫、北岡伸一両委員は、はっきりと朝日の報道が韓国による批判に弾みをつけ、過激化させたことに言及しているが、波多野澄雄、林香里両委員は、「国際的な影響はない」との見解だった、というのである。

イタズラを怒られた駄々っ子が、「でも、ボクは悪くないって言ってる人もいるもん!」と、お母さんに必死で訴えているような図である。

私は、昨年末に出た朝日新聞の元スター記者、長谷川熙さんの『崩壊 朝日新聞』の一節を思い出した。長谷川さんは半世紀以上務めた「朝日新聞」にいる記者たちのことを“パブロフの犬”だと書いて、その典型例の実名まで挙げている。

〈旧陸海軍について、いかなる虚偽の悪行が伝えられても、旧軍のことであれば、記者であるのにその真否を究明することなく、なんでも実話と思い込んでしまうその現象を私は、ロシアのパブロフが犬の実験で見つけた有名な生理反射(ベルの音と同時に犬に餌をやっていると、ベルの音を聞いただけで犬は、餌がなくても唾液を出すことをパブロフは発見した)になぞらえてみた。(略)そうした条件反射のまさに典型例が、吉田証言関係の虚報でとりわけ大きな影響を内外に及ぼしたと私が見る北畠清泰であり、そして一連の虚報を背景に、OBになってからではあるが、慰安所糾弾の模擬法廷の開催へと突き進んだ松井やよりである〉

事実をそっちのけに、“条件反射”のように「日本」を貶める朝日の記者たち。彼らは、朝日に言及した国連での杉山発言の中身を今回も「抗議の段階」でしか報じていない。都合の悪いことは、ねぐり続ける朝日新聞らしい姿勢というほかない。

本日の産経新聞には、その朝日新聞広報部のコメントとして、「記事と申入書に書いてある以上は、お答えできない」というものが紹介されていた。ただ、「溜息が出る」だけである。私は思う。朝日新聞が、再び「死んだ」ことは間違いない、と。

カテゴリ: マスコミ

国連でやっと主張された「慰安婦強制連行」の真実

2016.02.17

ああ、やっとここまで来たのか。そんな思いがする。今朝の産経新聞が1面トップで〈慰安婦問題 強制連行説は「捏造」 「20万人、朝日が混同」 政府、国連委で説明〉と報じた。

日本が国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で、慰安婦問題に関する事実関係を説明したのである。外務省の杉山晋輔・外務審議官が「強制連行を裏付ける資料がなかったこと」を説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造であった」こと、さらには、朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会に大きな影響を与えた」ことを指摘したのだ。

日本政府が国連の場で、こうした事実関係を説明するのは言うまでもなく「初めて」のことだ。私は、まだまだ不十分とはいえ、政府、というより外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている。「ああ、やっと時代が変わってきた」と。

一方的に糾弾されるばかりで、歴史の真実を歪められてきた日本と日本人が、どう「本当の事実と向き合っていくか」という時代が来つつあるのではないだろうか。

これまで当欄で何度も書いてきたように、従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行」問題にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが、数多く存在した。

「公娼制度」として、そういう商売が認められていたあの時代に、そんな幸せ薄い生涯を送った女性が多かったことは、歴史に銘記しなければならない「事実」である。

当時、朝鮮の新聞には、大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となっていった。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならない。「歴史に銘記しなければいけない」という理由は、まさにそこにある。

しかし、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の官憲によって「強制連行されたものだ」と喧伝し、世界中に広めた日本のメディアがあった。朝日新聞である。同紙の一連の報道によって、慰安婦強制連行問題は、日本を窮地に追い込むアイテムとなった。

慰安婦の「強制連行」とは、「拉致」「監禁」「強姦」のことである。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら「強姦」だからだ。それを日本が「国家としておこなった」という虚偽が朝日新聞によって世界中にばら撒かれたのだ。

現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、ここに根ざしている。今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障害」となっているのは、周知の通りだ。

しかし、日本が国家として「強制連行した慰安婦」という虚偽に対して、やっと今回、日本政府が国連欧州本部「女子差別撤廃委員会」の対日審査で、初めて「反論した」のである。

私は、「違うこと」を「違う」と言うことができなかった時代を、本当に不幸に思う。いまだにドリーマーでありつづける日本のマスコミが、インターネットの普及によって、真実と向き合わなければならなくなったことを感じる。ついには慰安婦の強制連行を喧伝しつづけた朝日新聞の立場が崩れていったことを、本当に「時代の流れだなあ」と感じるのである。

日本を貶めることに邁進している人々が「歴史修正主義」なる言葉を用いて、盛んに論評をしているのを最近、よく目にする。歴史に重要なのは「真実」だけであり、「歴史修正主義」などという観念論ではなく、慰安婦の強制連行説について、本当に真実を論評して欲しいと思う。

しかし、今日の朝日新聞を読むと、この外務省による“初の反論”も、第2社会面に〈慰安婦問題「不可逆的に解決」 国連委で日本強調〉という小さな記事でしか報じられていなかった。

もちろん、全45行にしか過ぎないその小さな記事の中には、朝日新聞が過去におこなったこと、そしてそのためにこれほどの「日本への不利益」がもたらされたことなどには、一切触れられていない。

私は、今も朝日新聞に“洗脳”されつづける読者が数多くいることを不思議に思う。どうして、そこまで「日本を貶めつづけたいのか」、本当に「なぜなのですか」と聞いてみたい。

歴史上で日本は、数々の過ちを犯している。しかし、それは日本だけではなく、世界中が帝国主義、植民地主義に覆われていたあの時代そのものを把握した上で、考えていかなければならない。そうしなければ、何が真実なのかを見誤ってしまうだろう。

1970年代に、全共闘世代を中心に持て囃された「反日亡国論」。その残滓を今も消し去れないでいる日本の大手マスコミとジャーナリズム。その“負の遺産”を日本のマスコミが拭い去ることができるのは、一体いつのことだろうか、と思う。

今回の国連の場でも、中国から1993年に慰安婦の強制性を認めた「河野談話」をもとに、日本の主張に対して「受け入れられない」という激しい反発があったという。それぞれの国家の思惑が激突する「歴史の真実」をめぐる闘いは、やっと「緒についた」ばかりだ。

真実に対して「謙虚であること」が最も重要であることは言うまでもない。そして、それを毅然として主張しつづけることの困難さも、私たちは理解しなければいけない。

日本には、不幸にして“うしろから弾を撃ってくる「内なる敵」”が数多く存在している。しかし、“情報ビッグバン”というべきインターネット時代に、やっと多くの人々が真実に目覚めつつある。是非、この流れを大切にしてもらいたいと、心から願う。

カテゴリ: 歴史

大勝でも台湾「蔡英文」新総統が歩む“茨の道”

2016.01.17

一夜が明け、昨夜の興奮が嘘だったかのように台北は静かな「雨の休日」を迎えている。先週から台湾総統選の取材に来ている私は、つい10時間ほど前までの“地響き”のような熱狂と興奮が「ひょっとして夢だったのではないか」という錯覚に陥ってしまった。

行政院や立法院など、台湾政府の中心組織が集中するエリアに近い北平東路の民進党本部は、投票が締め切られる午後4時前頃から、続々と詰めかけた支持者たちによって、うねりを伴った凄まじい熱気に包まれていた。

交通を完全にシャットアウトし、本部前のステージに設(しつら)えられたオーロラビジョンに開票速報が映し出されると、群衆の大歓声がその度に湧き起こった。記者会見を終えて、蔡英文新総統(59)がステージに上がったのは、午後9時を過ぎてからだっただろうか。

「この(選挙)結果は世界に台湾の自由と民主を示した」。彼女がそう語ると群衆の興奮は最高潮に達した。予想された勝利だったとはいえ、689万票という大量得票と、国民党の朱立倫候補(54)に300万票以上の差(朱氏が獲得したのは381万票)をつけるという圧勝に、現場のボルテージは上がりつづけた。

「新しい未来、新しい台湾」
「ありがとう台湾人、ありがとう台湾人!」

オーロラビジョンに映る言葉が、喜びの大きさを表わしていた。たしかに、この結果は、測り知れないものがある、と私は思った。

国民党の馬英九政権が2期8年にわたって押し進めた中国との接近政策は、昨年11月、習近平―馬英九という初の中台首脳会談となり、「ひとつの中国」をお互い認め合う事態に至っていた。

中国に併呑される危機感が台湾全土を覆った中、有権者がどんな判断を下すか、世界中の関心が選挙に集まった、と言っていいだろう。

しかし、中国との急接近策ではなく、「現状維持」を訴え、台湾人のアイデンティティを前面に打ち出した蔡女史が、「史上最大の勝利」を得たのである。

一昨年3月、馬英九総統が進めた中台間の「サービス分野の市場開放」をおこなうサービス貿易協定に反発した若者が立法院を占拠した「ひまわり運動」をきっかけに、反国民党の空気が台湾の主流となっていた。そして、その半年後の2014年11月、統一地方選で民進党は圧勝し、馬政権は事実上のレームダック状態となっていた。

それは、今回の総統選と同時におこなわれた立法院選挙でも、過半数を遥かに超える68議席(過半数は57議席)を得たことでもわかる。まさに“うねり”のような民意が示されたのである。しかし、これほどの大衆の支持を基盤とするとはいえ、民進党政権がこれから歩むのは、“茨(いばら)の道”であることは間違いない。

露骨な中国の干渉と闘わなければならない蔡英文政権は、今や貿易の40%を中国に依存するようになった台湾経済の舵(かじ)取りの手腕が問われる。中国からやって来る年間400万人もの観光客が、これから中国政府の締めつけによってどうなるのかが、まず注目される。

民進党が党の綱領に掲げる台湾の「独立」は、実行の素振りを見せたら中国が2005年に制定した「反国家分裂法」適用への格好の口実になるだろう。

今回の取材で、多くの有権者が「今回勝っても、結局、いつかは中国に併呑される」という悲観的な予想を私に語ってくれた。低迷する経済と、大きくなる一方の台湾人のアイデンティへの意識が強く私の印象に残った。また「アメリカと日本が頼りです」と悲痛な思いを伝えてくれた人も少なくなかった。

台湾併呑を目指す中国と、それに真っ向から対決する政権の誕生で、日本の“生命線”である台湾海峡の波はますます高くなる。西太平洋の支配を目指す中国にとって、台湾併呑は既定路線であることは言うまでもない。台湾と台湾海峡へのそれぞれの思惑が交錯する「日・米・中」3か国の今後の出方が注目だ。

アメリカによる「航行の自由作戦」で、米中が南沙諸島で一触即発の状態にあるのは周知だが、すでに昨年末、アメリカはフリゲート艦2隻を含む18億3000万ドル(約2240億円)相当もの台湾への武器売却を決定している。

中国への刺激を回避するために台湾への武器売却をストップさせていたアメリカが「4年ぶり」に売却を再開したことで、「台湾関係法」に基づき、アメリカは“台湾を守る意志”を明確に中国に示したとも言える。

それらの事情や、台湾人の本音、あるいは今回の選挙の裏舞台については、複数の雑誌から原稿を依頼されているので、そこで詳しく書かせてもらうつもりだ。

いずれにせよ、茨の道を歩む蔡英文女史をどこまで支えることができるか――それはアメリカと日本の「覚悟」と「決意」が問われるものでもある。

中国の動向が、さまざまな意味で世界の懸念となっている中、大海に漕ぎ出す蔡英文新政権の行方について、私たち日本人が無関心でいることは許されない。

日本は果たして台湾をどう支援していくのだろうか。一転して静かな雨の休日となった台北で、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 台湾

加藤ソウル前支局長「無罪判決」から何を学ぶか

2015.12.17

「(無罪判決は)予想できなかった」。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長(49)が、記者会見で漏らしたこの言葉が、四面楚歌の中での裁判の厳しさを表わしていた。

本日、ソウル中央地裁において、加藤氏は韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を傷つけたとして名誉毀損に問われていた刑事裁判で、「無罪判決」を勝ち取った。

私は、昨年8月から「1年4か月」にわたる、これまでの加藤氏と産経新聞の「闘い」に注目してきた一人だ。本日は、その当の産経新聞から無罪判決へのコメントを求められ、思いつくまま、感想を述べさせてもらった。

「いったい、この裁判は何だったんだろう」と私は率直に思っている。なぜなら、そもそも加藤氏のコラムは、どこにも問題を見出しようもない、つまり、最初から裁判で争われるようなものでは「全くなかった」からだ。

ことは、韓国の有力紙『朝鮮日報』が、咋年7月18日、「大統領をめぐるウワサ」と題して興味深いコラムを掲載したのが発端だ。そこには、セウォル号事件の当日、パク大統領が「7時間も所在不明」だったこと、さらに「世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」ということが書かれていたのだ。

“秘線”とは、密会する異性のことを指すのだろうが、加藤氏はこの『朝鮮日報』のコラムを引用しながら、「噂の真偽は不明だが」ときちんと断わった上で、こんな噂が流されるほどパク大統領は追い詰められており、「権力基盤が揺らいでいる」ことを指摘したのである。

加藤氏のコラムは、さまざまな点に配慮した上で書かれており、一読すれば、大統領を誹謗中傷するようなものでないことは、すぐにわかる。公人中の公人である大統領の動静をもとに、日本の読者に「韓国の政治情勢」をわかりやすく伝えたものだった。

だが、周知のように韓国は、「言論の自由」も、「報道の自由」も、およそ存在しない国である。権力者の前では、民主主義国家で共有されている、これらさまざまな基本原則が“有名無実化”されており、要は、権力者の怒りを買えば、どんなものが「名誉毀損」とされ、どんなことで「刑事責任」を追及されることになるのか、まったくわからないのである。恐ろしい国だと思う。

それも、発端になった韓国の有力紙『朝鮮日報』のコラムは不問に伏した上で、産経新聞だけを起訴したのだから、もう目茶苦茶である。

ちょうど起訴の2日前に、加藤氏は、雑誌『正論』に「性搾取大国韓国の不都合なる真実」と題して、名乗り出て訴訟沙汰になっている米軍相手の慰安婦「ヤンコンジュ(洋公主)」たちのことを記事にし、慰安婦問題で日本を批判する韓国政府を舌鋒鋭く批判していた。そのことも、パク大統領には許せなかったのかもしれない。

「これは当然の判決であって、特別に感慨を抱くということはありません。公人中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図。このあり方は、近代的な民主主義国家の姿としてどうなんでしょうか。いま一度、考えてもらいたいと思います」

本日、判決後にそんな怒りの記者会見をおこなった加藤氏の気持ちはよくわかる。一方、加藤氏を起訴し、「懲役1年6か月」という求刑までおこなっていた韓国の検察当局は、最後に政権からも梯子(はしご)を外され、世界に「恥を晒した」と言える。

この事件で失墜した韓国の「国家的信用」が回復されるのは極めて難しいだろう。民主主義国家の根幹を成す「言論・表現の自由」がこの国に存在しないことは、先月、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)・世宗(セジョン)大学教授を在宅起訴して、世界を唖然とさせたことでもわかる。

起訴の理由は、驚くべきことに、「秩序の維持などのためには、言論の自由や学問の自由は制限される」というものだった。「気に入らない言論は叩きつぶす」「都合の悪い研究はやめさせる」というのが、韓国の際立った特徴であり、基本姿勢なのだ。まさに“独裁国家”である。

一連の出来事は、韓国が先進国と「価値観の共有」ができるような成熟した国家になるまでには、まだまだ長い歳月が必要であることを教えてくれる。

それにしても、今回の裁判は最後まで驚かされた。これまた近代国家、民主主義国家の原則である「三権分立」も韓国には「ない」ことがわかったからだ。

韓国外務省が判決を前にして、裁判所に対し、「日韓関係などを考慮し、(判決に対して)善処するよう要請した」というのである。つまり、韓国では、「司法の独立」もなく、政府が判決の中身に干渉したり、要望を出したりすることができるのである。

もともと加藤氏の起訴が、大統領の“意向”であったことは間違いなく、事件は最初から司法への政治介入から始まり、最後も政治介入で「決着させる」という極めて特異な経過を辿ったことになる。「三権分立」さえない国には、「民主主義国家とは何ぞや」と聞くことさえ憚られる思いだ。

本日、李東根(イ・ドングン)裁判長は、3時間もの判決文朗読でこう言及した。
「韓国は民主主義制度を尊重しなけければならない。憲法でも“言論の自由”が保障されている」
「外国記者に対する表現の自由を差別的には制限できない。本件も、言論の自由の保護内に含まれることは明らかだ」
「大統領の公的地位を考慮すれば、名誉毀損は認められない。私人、朴槿恵に対する誹謗目的もあったとは認めれない」

そして、「判決は、次の通りである」と前置きして、「無罪」を宣言したのである。3時間もの間、着席も許されず、立って朗読を聞き続けた加藤氏は、ついに「無罪」という言葉に辿り着いたのだ。

それは、「三権分立」もなく、最初から「有罪」という結論が決まっていた中での、まさに「予想外」の判決だった。

私は、この無罪判決は、ひとつの大きな「道」を示したと思っている。それは、加藤氏も、産経新聞も、そして官邸も、一度も韓国に譲歩せず、毅然とした姿勢を貫き通したことにある。

そして、日本政府は、あらゆるチャンネルを通じて、「この裁判がどういう意味を持っているか」を韓国に伝えてきている。一種の“脅し”である。

それは、「やれるものなら、やってみろ」という気迫が伴うものでもあっただろう。私は、一貫したこうした毅然とした姿勢が、今回の「無罪判決を生んだ」と思っている。

韓国のような国家に対して「譲歩」では何も生まれないことを日本人は知るべきだろう。それを「教えてくれた」という意味では、この裁判もそれなりの意義があったと言える。

今後、今回の国家的信用失墜に対して、韓国は長く苦しむことは間違いない。民主主義国家としての価値観が共有できない「弾圧国家」としてのレッテルが貼られた韓国は、その払拭(ふっしょく)のためには長い歳月が必要だろう。

この無罪判決で、「両国の関係は改善される」などという楽観的な観測が早くも出ている。しかし、日本側からすり寄る必要は全くない。

韓国は、民主主義国家ではないことが証明されたのだ。今後は、その“根本”に目を向けさせるために、日本は、毅然として「距離」を置き、同じ価値観を共有できるまで、じっと「待てばいい」のである。そのことを日本人は肝に銘じるべきだと、私は思う。

カテゴリ: 司法, 国際

「国家のあり方」と映画『海難1890』の感動

2015.12.05

本日、封切りになった映画『海難1890』を観に行った。朝8時40分からの、まさに最初の回である。朝早くて、さすがに「TOHOシネマズ新宿」もまだ、人影は少なかった。

これほど早く観に行ったのには、わけがある。私自身が先週、トルコ軍艦「エルトゥールル号」の悲劇と迷走する「邦人救出」問題を真っ正面から扱ったノンフィクション『日本、遥かなり』(PHP)を上梓したからだ。

拙著は、この映画の中で描かれている「イラン・イラク戦争(1985年)」だけでなく、「湾岸戦争(1990年)」、「イエメン内戦(1994年)」、「リビア動乱(2011年)」など、日本という国家から見捨てられる海外在住の邦人の「救出問題」を取り上げている。

しかし、2部構成の中の第1部で、およそ200ページを費やしてエルトゥールル号遭難事件とテヘランからの邦人脱出問題を描かせてもらっているため、映画がこの部分をどう表現しているのか、「一刻も早く知りたかった」のである。

映画は脚色されているので、拙著のようなノンフィクションとは全く異なっている。しかし、非常に見応えがある映画だった。

日本とトルコの「人」と「人」、「真心」と「真心」、助け合うということの意味、さらには、国境を越えた無償の友情の大切さ……等々、多くのことを教えてくれる力作だった。何度も目頭が熱くなるシーンがあり、さすが日本―トルコの合作映画だと思った。

私は、映画が描いた1890年に起こったエルトゥールル号の和歌山・紀伊大島沖での台風による遭難事故の部分が特に興味深かった。

見ず知らずの“異国”の人々を救出する紀伊大島・樫野(かしの)地区の村民の必死の姿が、観客の心を見事に震わせたと思う。映画と実際の「史実」を比較するのは野暮というものだろう。むしろ私は、そこで描かれている“人としての姿”に心を打たれたのである。

実際の史実がどんなものであったかは、ノンフィクションである拙著を見て欲しいが、私は、この映画が「伝えようとしたもの」について、大いに共感したのだ。

映画の中で、テヘラン在住の女性日本人教師を演じる忽那汐里(くつな・しおり=二役=)が「どうして、日本が日本人を助けられないんですか!」と叫ぶシーンがある。まさに映画の“核心”である。

国家が自国民の命を救う─それはどこの国でも当たり前のことであり、国家の重要な責務のひとつである。しかし、日本は違う。

現在に至るまで、日本は、海外に住む邦人たちをさまざまな場面で見捨て続けてきた。「イラン・イラク戦争」しかり、「湾岸戦争」しかり、「イエメン内戦」しかり、「リビア動乱」しかり、である。

幸いにイラン・イラク戦争では、トルコ航空によって邦人は救出されるが、私は、これら見捨てられ続けてきた多くの邦人に直接インタビューし、その実態を知った。「国際貢献」の最前線で、あるいは、ビジネスのために、世界の隅々で活動している邦人は、いざとなったら、日本という国から「救出の手」を差しのべてもらうことは「できない」のである。

それは、自国民の命を助けるという“究極の自衛”が、「自衛隊の海外派兵につながる」、あるいは、「海外での武力行使への口実にされる」などという信じられない「主張」をおこなう政治勢力やジャーナリズムによって、「悪」とされているからである。

彼ら“内なる敵”に対して、譲歩や配慮をおこない続けてきた日本では、最も大切な「自国民の命」が蔑(ないがし)ろにされてきたのだ。

自国民が海外で「窮地」に陥り、「救出」を待っていても、その救出を他国に委ねる国――それが日本なのである。それでも「よし」とする倒錯した考えや観念論を未だに持ち続ける人々は、自分の家族が同じように海外で窮地に陥っても「果たして同じことが言えるのだろうか」と、私は思う。

自衛隊法など、さまざまな改正を重ねながら、そして今年、紆余曲折の末に成立した種々の安全保障関連法でも、「邦人救出」には、さまざまな手枷・足枷(てかせ・あしかせ)がついているのが実情だ。

当該国が「秩序を維持」しており、当該国の「同意」があり、さらには当該国の関係当局との「連携」等の条件が満たされなければ、邦人救出に向かえず、さらに輸送についても「安全の確保」が絶対条件とされているため、ほかの先進主要国のように、あらゆる手段を通じて「自国民の救出」をおこなうことが日本は事実上、できないのである。

『海難1890』を観ながら、“究極の自衛”である「邦人救出」の意味を、多くの日本人に考えて欲しいと思った。私は今日、国家の「あり方」と、人としての「真心」について考えさせてくれる力作の映画に、久々に出会うことができた。

カテゴリ: 映画

「習―馬会談」で始まる中国の“台湾併呑作戦”

2015.11.07

「ああ、ついにやってしまった」。そんな声が猛然と台湾で広がっている。来年1月16日に総統選を控えた台湾で、国民党の馬英九総統が“ひとつの中国”を全世界にアピールするために習近平・中国国家主席との会談をシンガポールでおこなった。

この会談は、多くの台湾人に怒りと失望をもたらしている。私のもとにも、そういう声が届いている。総統選が「国民党の敗北確実」と言われている情勢で、なぜ馬英九はこの時期に会談をおこなったのか。

「馬英九は、台湾を売るのか」「これは、なりふり構わぬ国民党の生き残り戦術だ」という声が台湾で上がっている理由を考えてみたい。

本日、シンガポールのホテルでおこなわれた1949年の中台分断後、初めての首脳会談は、「両岸(中台)関係の改善こそ地域の平和発展につながる」とアピールし、“ひとつの中国”を認め合うことを確認した。このことは、これから想像以上に波紋を広げていくだろう。

来年1月の台湾総統選挙で優位に立つ台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史とその支持者、つまり多くの本省人(もともと台湾に住んでいた人々)への痛烈なパンチを外省人(戦後、蔣介石と共に大陸から渡って来た人々)の一族である馬英九は繰り出したことになる。

この会談の意味を理解するには、“ひとつの中国”を認めることが、台湾にとってさまざまな意味で大きな問題となり、同時に、いかに中国がほくそ笑むことかを理解する必要がある。

私は、今日の「習―馬会談」のニュースを見ながら、さる7月22日に来日し、衆議院第一議員会館とキャピトル東急の2か所で、台湾の李登輝元総統(92)がおこなった講演を思い出した。

李氏は、「台湾パラダイムの変遷」と題して台湾の民主化をテーマに講演した。私もその講演をこの耳で聴いた。李氏は、衆議院第一議員会館では日本の国会議員を相手に、そしてキャピトル東急では、支持者や関係者たちに対して、共に日本語でスピーチしたのである。

ここで、注目されたのは、李氏が戦後台湾を統治した国民党政権を「外来政権」だと指摘したことだ。そして、台湾は「台湾人のもの」であることを強調したことである。

李氏の訴えは、歴史を見れば、まったく正しい。台湾はこれまで、さまざまな国に支配を受けてきた歴史がある。16世紀、ポルトガル船が台湾を発見した時、ポルトガル語で「美しい島」という意味を持つ「フォルモサ」という名がつけられ、ヨーロッパに台湾の存在が初めて紹介された。

しかし、ポルトガルは台湾を植民地経営せず、その後、17世紀前半にオランダが台湾に到達した。次にスペインが進出しようとしたが、オランダはこれを撃退し、台湾の植民地支配を確立する。

このオランダ支配に終止符が打たれるのは、台湾に進出した明の将軍・鄭成功(ていせいこう)の力による。清朝に滅ぼされた明朝の復興を目指して台湾制圧をおこなった鄭成功は、福建省生まれの父と日本人の妻との間に生まれた。俗称は「国性爺(こくせんや)」であり、江戸時代に近松門左衛門が書いた「国性爺合戦」は、彼の活躍を描いたものである。

その後、鄭氏の政権を倒して清朝が17世紀の終わりから台湾支配をおこなうが、清は1895年に日清戦争で日本に敗れ、台湾を日本に割譲する。以後、日本が50年にわたって台湾統治をおこなうのである。

日本の敗戦後、台湾は、共産党との国共内戦に敗れた蔣介石率いる国民党の支配を受け、現在に至る。李登輝氏は、これら、台湾を支配してきた日本も含むすべての政権を「外来政権」と規定したのだ。

台湾は「台湾人による独自の国家」であるというのが、李登輝氏の見解だ。しかし、その台湾の総統である馬英九が、「台湾は自国の領土」として“ひとつの中国”を主張しつづけている中華人民共和国のトップとわざわざ会談し、“ひとつの中国”を認めてしまったのである。

言うまでもないが、中華人民共和国は、1949年に成立した新しい共産主義国家であり、これまで台湾を支配した歴史的な事実はない。台湾を自国の領土と主張するなら、これまで台湾を支配したことがあるオランダも、そして日本も、同じ主張をしていいことになる。

少なくとも、中国共産党が台湾を支配する根拠は見当たらない。つまり、台湾は、李登輝氏の言うように、「台湾人による台湾人の国家」というのが、最も妥当で、根拠があるのである。

では、なぜ、馬英九総統は、いわば“台湾を中国に売る”ような行動に出たのだろうか。その目的は、国民党が敗北確実の来年1月の総統選の前に、“ひとつの中国”を既成事実化し、新たに総統となる蔡英文女史の手足を縛ることにあったことは明白だろう。

中国と台湾の指導者同士が一度、“ひとつの中国”で合意した意味は大きい。なぜなら、今後、それに反するどんなことをおこなっても、それは「中台のリーダー同士のコンセンサスを破る」ことになり、「許されない」からだ。

つまり、そんなことをおこなうリーダーは、たちまち“排除される”ことになる。これは中国にとって、はかり知れないメリットである。中台の指導者が一度、“ひとつの中国”で合意したという事実さえあれば、それでいいのである。

「馬英九は台湾を中国に売り渡したのか」と非難される所以(ゆえん)がそこにある。大陸との一体化、つまり大陸への復帰こそ、外省人を代表する馬英九が隠し続けていた“本音”だったのである。

まさに「第三次国共合作」が、馬の悲願だったことになる。「それほど大陸と一緒になりたければ、自分たちだけで大陸へ帰れ!」という抗議デモの声もまた、本省人の偽らざる本音だろう。

中国と台湾の交流窓口機関が1992年に話し合った、いわゆる「92年コンセンサス(92共識)」の長年にわたる論争が、どうしても私の頭から離れない。中国側は「これで“ひとつの中国”を認め合った」と主張し、台湾側は、「その“中国”が何を意味するかは、それぞれが述べ合うこと、としたものだ」と主張して、“ひとつの中国”の原則を確認したものではない、としてきた。

それから23年が経過した今も、李登輝氏が「そのような合意があったとは、総統だった私も報告を受けていない。当時、会談に出席した人間に聞いても、合意はなかったと言っている。これは2000年以降、国民党に都合よく利用させるためにつくり上げられたものだ」と繰り返し発言しているのは周知の通りだ。

この「92年コンセンサス」問題を見ても、“ひとつの中国”を認めるということは、台湾にとって、そして本省人にとっては、許されざることなのである。

それを支持率10%台しかなくなり、退任寸前の馬英九総統が、これを全世界に向かってアピールしたのである。すでに会談の前に、台湾では、プラカードに「馬は台湾を中国に売るのか」「恥を知れ」と書かれた抗議デモが起こっていることが報道されている。

南シナ海での問題でも、常に“既成事実化”を基本とする中国共産党の戦略に、今回の会談は大きな「根拠」を与えたことは確かだ。中国にとって、馬英九は、これ以上はない“愛(う)い奴”となったのである。

アメリカの「航行の自由作戦」によって、南シナ海全域を自分の領海と主張する中国は冷水を浴びせられた。国内的にも窮地に陥っている習近平にとって、そんな折も折、大きな“成果”を馬英九がもたらしてくれたのである。

「台湾関係法」によって、台湾を守る義務があるアメリカにとっても、習―馬会談は、ショックだっただろう。なぜなら、“ひとつの中国”を互いが認め合っていることが既成事実化されれば、台湾への軍事侵攻すら、今後は「国際社会が“国内問題”に口を出すな」と、中国に言ってのけられるからである。

蔡英文女史の民進党政権にとっても、この習―馬会談の結果に、長く縛られていくに違いない。蔡英文政権が誕生する前のこの「駆け込みコンセンサス」が、中国による台湾「併呑(へいどん)」の第一歩にならないことを心から祈りたい。

カテゴリ: 中国, 台湾

「中国」vs「日米台」の激動の時代到来へ

2015.10.11

10月6日に訪日して注目を浴びた台湾の最大野党「民進党」の総統候補、蔡英文主席(58)が台湾に帰国後も、話題をまいている。

昨日「10月10日」は、辛亥革命を祝う「双十節」だった。孫文による辛亥革命勃発の記念日である。中国・台湾双方が“建国の父”と慕う孫文を偲び、両方で大々的な祝賀がおこなわれてきた。

今年の記念行事で最大の話題は、なんといっても台湾の式典だっただろう。中国の“力による現状変更”が活発化する激動の東アジア情勢――その中で、極めて重要な意味を持つ台湾総統選を「3か月後」に控え、鍵を握る人物が勢ぞろいしたからだ。

蔡英文女史が、民進党が野党に転落した2008年以来、初めて民進党主席として式典に出席した。ほかにも、総統選の国民党候補・洪秀柱(67)=立法院副院長=、新北市市長も務める国民党主席の朱立倫(54)、あるいは、親民党主席の宋楚瑜(73)、そして立法院院長の王金平(74)が一堂に会したのである。

支持率40%以上をつづけ、独走している蔡英文女史に対して、「このままでは蔡英文に勝てない」という危機感を強める与党国民党は、ついに蔡英文が訪日中の10月7日、中央常務委員会を開催し、国民党の次期総統候補として洪秀柱を立てることを「取りやめる」ことを打ち出した。

混乱状態に突入した与党国民党だが、候補の本命は、なんといっても国民党主席の朱立倫である。これまで立候補を頑なに固辞してきたが、いよいよ決断の「時」が来たようだ。2010年11月の新北市長選で、当の蔡英文女史を破った人物だけに、その決断は大きな波紋を呼ぶだろう。

5年前の新北市長選の再現となる「朱立倫vs蔡英文」になれば、国民党は豊富な資金力を誇るだけに、どんな一発逆転策をはかるか、まだ予断を許さない。テレビCMを使った巧みなネガティブ・キャンペーン等々、国民党の大反撃が予想される。

そこで、意味を持ってくるのが、蔡英文女史の今年5月の「訪米」であり、今回の「訪日」である。

前回の総統選(2012年)で馬英九に完敗した蔡英文陣営は、その原因を徹底分析した。それは、2つの「原因」に集約された。ひとつは、民進党の陳水扁・前総統による不正蓄財の後遺症であり、もうひとつは、多くの国民が抱いていた民進党に対する「不安感」である。

台湾人のアイデンティティに重きを置き、独立志向の強い民進党に「中国がどう出るか」という不安感が広がり、国民党の馬英九が支持を集めたのである。

しかし、前回総統選以後、蔡英文陣営は「現状維持」政策を前面に押し立て、「台湾独立」を含む一切の懸念を払拭し、台湾人の安心感を勝ち取ろうとした。「現状維持」とは、言葉通り、中国との関係で「現状を維持する」ということだ。

そして、さらに台湾人の安心感を勝ち取るために選んだ作戦が、今年5月の「訪米」であり、今月6日からの「訪日」だったのである。

野党・民進党の候補者であるにもかかわらず、蔡英文に対するアメリカの待遇は、驚くべきものだった。マケイン上院軍事委員会委員長をはじめ、メディロス国家安全保障会議アジア上級部長、ブリンケン国務省副長官ら、錚々たるメンバーと会見し、多国間軍事演習への台湾の参加を促す意向まで示された。蔡英文女史の顔が米『タイム』誌の表紙を飾るほどの反響を呼んだことは記憶に新しい。

そして、日本でも、安倍首相の実弟・岸信夫衆院議員の案内で、地元・山口を訪問し、帰京後、自民党幹部と会談し、さらに安倍首相本人とも「密会」するなど、日本からも破格の厚遇を受けた。

蔡英文女史は、アメリカと日本のお墨付きをもらうことに成功したと言えるだろう。これは、李登輝・元総統と、許世楷・元駐日代表という二人の大物の戦略が大いに関係している。「民進党への“不安感”さえ減らせば、勝利は疑いない」という確固たる戦略によるものである。そして、それは見事に成功した。

中国の強引な“力による現状変更”に対抗するには、アメリカ、日本、台湾が力を合わせるしかない。言いかえれば、東アジアの安定のためには、「アメリカ―日本―台湾」の強固な結びつきが必須なのだ。

しかし、中国も手を拱(こまね)いているわけではない。逆に、中国は今、沖縄へのアプローチを盛んにおこなっている。前回のブログでも指摘したように、沖縄にある米軍基地をグアムまで“後退”させることができれば、東シナ海、南シナ海での中国の軍事的優位が圧倒的なものになるからだ。

沖縄県の翁長雄志知事が先月、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会と並行して行われたNGO主催のシンポジウムで講演し、普天間基地の辺野古移設に対して、「沖縄県民の人権、民主主義が無視されている」と世界にアピールしたことを、どう捉え、どう分析すればいいだろうか。

翁長知事は、講演で、沖縄が独自の言語、文化を持つ「独立国だった」という歴史も訴えている。独立志向の沖縄から米軍基地がなくなれば、中国がどう出るかは、想像に難くない。まさに、それは中国の“意向”通りの内容だったと言える。

中国による南沙諸島(スプラトリー諸島)への進出も、実は、1992年に米軍がフィリピンからグアムに撤退した直後に起こったことを忘れてはならない。そのことを考えれば、一方の翁長知事が今年4月、訪中した際、李克強首相が会うという“破格の厚遇”を与えたことが何を意味するかは、自明だろう。

誰に、どんな厚遇を与えるか。それが、いかに大きな意味を持っているかを考えると、実に興味深い。沖縄に手をぐっと突っ込んできた中国と、一方、台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史に“お墨付き”を与えたアメリカと日本――。

最後にこの“お墨付き”が台湾総統選にどんな影響を与えるか。「中国」vs「日米台」の激動の時代到来へ、東アジアの今後の動向に決定的な意味を持つ選挙だけに、目が離せない。

カテゴリ: 中国, 台湾

激動「東アジア」の鍵を握る台湾「蔡英文女史」の来日

2015.09.30

今日で9月も終わる。11月に上梓する長編ノンフィクションの執筆で徹夜の連続である。そのため、ブログも更新できないままだった。

さまざまなことがあった9月だったが、なんといっても、安保法制が成立したことが、日本にとっては大きな出来事だったと言える。対中国法案ともいうべき安保法制が通ったことは、中国に対する「牽制」になったことは否定できない。

中国と韓国以外のアジア諸国が法案の成立を歓迎したのは、象徴的だった。いまや東アジアにとどまらず、世界中の懸念となっている中国の膨張主義。日米同盟の強化によって、尖閣と東シナ海への中国の侵攻を躊躇(ためらわ)せることができたなら、安保法制も一定の役割を果たすことになる。

それでも、私は、いよいよ東アジアで「激動が始まる」と思っている。来年1月に台湾総統選があり、そこで民進党の蔡英文女史(59)が、総統になる可能性が極めて高いからだ。

台湾人の誇りと自立を基礎とする民進党政権に対して、いったい中国はどう出るのか。仮に“何か”があったなら、アメリカは「台湾関係法」に基づき、台湾を守るのだろうか。その時、日本はどうするのか。来年以降、両岸関係(中台関係)からは、いっそう目が離せないのである。

来週、その“話題の人”蔡英文女史が来日する。日本に住む台湾人、そして応援してくれる日本人への挨拶とお披露目が目的だが、いうまでもなく安倍政権との「意思疎通」が大きな眼目だ。

10月6日に東京入りし、7日には安倍首相の地元・山口に飛び、村岡嗣政知事と山口県庁で会談する。しかも、すべて同行して道案内するのは、安倍首相の実弟、岸信夫・衆院議員である。

事実上、「安倍家」が全面的に受け入れた形での来日なのだ。そもそも、安倍首相が「師」とも仰ぐ李登輝元総統の外交ブレーンを務めたこともあるのが蔡英文女史である。その蔡女史が「師」と仰ぐのが許世楷・元台湾駐日代表である。安倍首相と許氏との親密な関係は、知る人ぞ知る。

今回、山口から帰京して、いったい蔡英文女史は誰と会うのか、中国側が神経を尖らせているのも無理はない。いざ総統になると、中国のさまざまな妨害で「来日」は難しい。それだけに彼女の東京での一挙手一投足が注目されるのである。

憲法改正によって実現した1996年の第1回台湾総統選の折、中国は軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込んだ。李登輝氏の「総統選」勝利を阻止するためである。しかし、結果は、逆に台湾人の反発を買って、李登輝氏の大勝利につながったことが思い出される。

台湾の友人からは、「総統選までの4か月間が心配だ」という声も私のもとに寄せられている。何をするかわからない中国だけに、身辺の安全も含めて徹底した警戒が求められる。そして、仮に総統選に勝利しても、政権移譲がなされる来年5月までに、国民党の馬英九総統が何を繰り出してくるかもわからない。

総統に就任後、蔡女史には、“茨(いばら)の道”が待っているが、それでも日本とアメリカがバックにいることは大きい。また、日本にとっても、東シナ海の安定のためには、「アメリカ―日本―台湾」の強固な結びつきは必須なのだ。

いま中国は、沖縄へのアプローチを活発化させている。沖縄にある米軍基地をグアムまで“後退”させることができれば、東シナ海、南シナ海の中国の軍事的優位性は圧倒的なものになるからだ。

9月21日、沖縄県の翁長雄志知事は、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会と並行して行われたNGO主催のシンポジウムで講演し、普天間基地の辺野古移設に対して、「沖縄県民の人権、民主主義が無視されている」と世界にアピールした。

翁長知事が、それに加えて、沖縄が独自の言語、文化を持つ「独立国だった」という歴史を訴えたことに、中国は、ほくそ笑んだに違いない。独立志向の沖縄から米軍基地がなくなれば、中国がどう出るかは、想像に難くない。

いま話題の中国による南沙諸島(スプラトリー諸島)への進出も、実は、1992年に米軍がフィリピンからグアムに撤退した直後に起こったことを思い起こす。そのことを考えれば、今年4月、訪中した翁長知事に、李克強首相が会うという“破格の厚遇”を与えたことが何を意味するかは、自明だろう。

沖縄に手をぐっと突っ込んできた中国と、一方、国民党の馬英九政権で冷えていた台湾との関係を緊密にし、日・米・台の総合的な安全保障を視野に入れる安倍政権。まさに、「東シナ海、波高し」である。

さまざまな意味で、蔡英文女史の来日の意味は大きい。安保法制が成立した折も折、来日する「東アジア」のキーを握る蔡英文女史の動向に注目したい。

カテゴリ: 中国, 台湾

「戦後70年」日本の未来への“障害”となっているのは何か

2015.08.29

戦後70年の「夏」が終わろうとしている。この夏は、テレビも、新聞も、ラジオも、戦後70年の企画や特集のオンパレードだった。国民の多くが70年前に終わった第二次世界大戦の悲劇の大きさを改めて思い起こしたに違いない。

報道量のあまりの多さに「戦争」と聞いて、辟易(へきえき)している向きも少なくないだろう。私自身は、海外(台湾)まで戦没者の慰霊祭のために出かけるなど、例年にも増して忙しく、印象に残る夏だった。

昨日は、「正論」懇話会の講演で、和歌山まで行ってきた。「毅然と生きた日本人~戦後70周年にあたって~」という演題で話をさせてもらったのである。

そのなかで、私はこの夏に感じたこととして、「日本の未来」に対して「障害」となっているのは「何なのか」という話を、安倍談話を例に出して講演した。それは、中国や韓国との「真の友好」を妨げているのは一体、誰なのか、というものである。

台湾から帰国したあとの8月14日に、私はちょうど「安倍談話」に接した。首相自ら記者会見をして発表した内容は、専門家が長期間、検討して出したものだけに、あらゆるものに配慮したものだったと言えるだろう。

それは、戦争で犠牲になった人々に対して、「国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜(つうせき)の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」というものだった。

そして、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、わが国は、そう誓いました」と、つづいた。

また、女性の人権についても、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、わが国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」と、述べたのである。

さらに「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、建設的な未来への重要性も語った。

それは、戦後、繰り返されてきた過去の談話やスピーチに引けをとらないものであり、実にわかりやすく、印象的なものだったと言える。安倍政権を倒したいメディアでも、さすがにケチをつけにくいのではないか、と私はテレビの画面を見ながら、思ったものである。

しかし、翌日の新聞紙面を見て、私は、溜息が出た。読売新聞や産経新聞を除いて、むしろこの談話を非難するものが「圧倒的」だったのだ。

朝日新聞は、その中でも急先鋒だった。1面で〈引用・間接表現目立つ〉、2・3面も〈主語「私は」使わず〉〈おわび 最後は踏襲〉と攻撃一色で、社説に至っては、〈戦後70年の安倍談話 何のために出したのか〉と題して、徹底した批判を加えた。

それによれば、〈侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワード〉は盛り込まれたが、〈日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ〉、談話は〈極めて不十分な内容〉であったというのである。

そして、社説子は、〈この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う〉と主張し、〈その責めは、首相自身が負わねばならない〉と締めくくった。

私は、正直、呆れてしまった。それは、いつまで経っても、中国や韓国に「日本攻撃」をするように「仕向ける」報道手法がとられ、これからもそれに添って、中国や韓国が延々と「日本を攻撃していく」という“未来”がわかったからである。

それは同時に、ここまで中国や韓国との間の友好関係が「誰によって破壊されてきたのか」を明確に指し示すものでもあった。

私たちの子や孫の世代、すなわち「未来」に向かって障害となっているのは「誰」なのか、という問いには、自ずと答えが出てくるはずである。それは日本のマスコミが、絶対に日本と中国・韓国との和解と真の友好への発展は「許さない」ということだ。

私は、今から30年前の1985(昭和60)年の夏を思い出す。「戦後40年」を迎えた夏だ。あの時、巷では「戦後政治の総決算」を唱えた当時の中曽根康弘首相を打倒すべく、朝日新聞をはじめ“反中曽根”メディアが激しい攻撃を繰り広げていた。それは、“打倒安倍政権”に邁進している今のメディア状況と酷似している。

この時、中曽根首相の「靖国参拝」を阻止するために大キャンペーンを張っていた朝日新聞が、「人民日報」を担ぎ出し、ついに中国共産党機関紙である同紙に、靖国参拝批判を書かせることに成功するのである。

文化大革命でも明らかなように、中国は「壁新聞」の国である。人民は、“お上”の意向を知るために、北京市の長安街通りの西単(シータン)というところに貼りだされている新聞を読み、上の“意向”に添って行動し、あの文革で権力抗争の一翼を担ったのはご承知の通りだ。

そんな国で、人民日報が取り上げて以降の「靖国参拝問題」がどうなっていったかは、あらためて説明の必要もないだろう。A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978(昭和53)年であり、それが明らかになったのは、翌年のことだ。その後、この時まで日本の首相は計21回も靖国に参拝しているのに、どの国からも、たった一度も、問題にされたことはなかった。

しかし、朝日が反靖国参拝キャンペーンを繰り広げ、人民日報がこれに追随したこの昭和60年以降、靖国神社は中国や韓国で「軍国主義の象徴」となり、「A級戦犯を讃える施設」とされていった。

靖国神社が、吉田松陰や坂本龍馬を含む、およそ250万人もの幕末以来の「国事殉難者」を祀った神社であることは、どこかへ「消し飛んだ」のである。靖国参拝を完全に「外交問題化」「政治問題化」することに成功した朝日新聞は、より反靖国キャンペーンを強め、中国は日本に対する大きな“外交カード”を手に入れたのである。

慰安婦問題については、これまで当ブログで何度も取り上げ、しかも、昨年、朝日新聞による訂正・撤回問題に発展したので、ここでは触れない。しかし、この問題も朝日新聞によって「外交問題化」「政治問題化」していったことは周知の通りだ。

今回の安倍談話でも、中・韓に怒りを呼び起こすように記事化し、「これでもか」とばかりに一方的な紙面をつくり上げた朝日新聞をはじめとする日本のメディア。私は、溜息をつきながら、これらの記事をこの夏、読んだのである。

折も折、フランスの「ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)」がその2日後の8月17日、興味深い報道をおこなった。同ラジオは、フランス外務省の予算で運営されている国際放送サービスだ。

この放送の中国語版が安倍談話を取り上げ、これを報じた『レコード・チャイナ』によれば、「中国が歴史問題で日本に毎年のように謝罪を迫るのは根拠のないことだ」「日本は中国への反省や謝罪だけでなく、罪を償うための賠償もしている」「永遠の不戦を誓った日本に比べ、日本による侵略、植民地化をくどくどと訴える中韓は、あまりにも遅れている」と論評した。

その内容は、常識的、かつ中立的なものと言える。敗戦国も「領土割譲や賠償、戦勝国による一定期間の占領、戦争裁判などが終われば、敗戦国の謝罪や清算も終わりを告げられる」ものであり、償いを終えた敗戦国にいつまでも戦争問題を訴え続けることに疑問を呈したのである。

さらには、「平和主義、民主主義を掲げる日本が、軍事拡張路線、権威主義の中国に屈することはない」と主張し、日本の首相が替わるたびに中国が謝罪を求めていることは、同じ敗戦国である「ドイツやイタリアでは見られない事態」だというのである。

その報道は、最後に「安倍談話に盛り込まれた“謝罪”というキーワードは、表面上は中国の勝ちのように思われがちだが、国際世論を考えれば本当の勝者は安倍首相だ」とまとめられている。だが、RFIが報じたこの内容は、日本のメディアには、ほとんど無視された。

70年もの間、平和国家としての実績を積み上げてきた日本が、「力による現状変更」で、今や世界中の脅威となっている中国に対して「謝り方が足りない」と当の日本のメディアによって主張されていることを、私たちはどう判断すればいいのだろうか。

私には、代々の日本の首相などが表明してきた謝罪や談話の末に「戦後50年」の節目に出された村山談話で、日本と中・韓との関係は、どうなったかが、想起される。

朝日新聞をはじめ日本のメディアが歓迎したあの村山談話の「謝罪と反省」によって、両国との関係は、むしろ「それまで」より悪化していった。村山談話以降の歳月は、両国との関係が“最悪”に向かって突っ走っていった20年だったのである。

どんなに反省し、謝罪しようが、彼らを“煽る”日本のメディアはあとを絶たず、日本への怒りを中・韓に決して「収まらせはしない」のである。そして、この「戦後70年」夏の報道でもわかった通り、それは「今後もつづく」のである。

どんなことがあっても、日本の未来への“障害”となりつづける日本のマスコミ。私たちの子や孫の世代に大きな重荷を負わせるそんな日本の媒体が、なぜいつまでも存続できているのか、私にはわからない。

カテゴリ: 歴史

戦後70年「バシー海峡慰霊祭」に集った人々の涙

2015.08.02

本日(8月2日)午前11時15分から、台湾南部の屏東(へいとう)県猫鼻頭にある潮音寺において、「戦後70周年バシー海峡戦没者慰霊祭」がおこなわれた。

バシー海峡と聞いて、すぐに「ああ、あそこか」と思う人は、相当な台湾通であり、戦争通だろう。太平洋戦争(大東亜戦争)末期、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡は、米軍が同海峡に敷いた潜水艦の“群狼作戦”によって、南方への日本の輸送船の多くが撃沈されるという悲劇の舞台となった。

それでも、太平洋戦争の日米主力の“決戦の場”となったフィリピンのルソン島、レイテ島への兵力の輸送は必要欠くべからざるものであり、大本営の無謀な輸送作戦は強引に続けられ、犠牲者も膨大な数になっていった。

1944(昭和19)年から1945(昭和20)年にかけて、バシー海峡は大本営によって、 “魔の海峡”“輸送船の墓場”と称されるようになった。

バシー海峡での戦没者の数は今も定かでない。しかし、バシー海峡とその周辺海域で、少なくとも、「10万人」の犠牲者が出たと言われている。私は、昨年10月、この海峡の悲劇を描いた戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』を上梓した。

主役の一人は、昭和19年8月、乗っていた輸送船「玉津丸」がバシー海峡で撃沈され、12日間もの地獄の漂流の末に奇跡的に救助された独立歩兵第十三聯隊の通信兵、中嶋秀次上等兵(2013年10月、92歳で死去)である。

中嶋さんは飲み水もない炎熱のバシー海峡を12日間も筏(いかだ)で漂流し、当初50人ほどいた漂流者の中で、たった一人、生還した。

バシー海峡の戦没者は、あくまで輸送途上の「戦死」である。 これまで大規模な慰霊祭がおこなわることもなく、「忘れ去られた戦没者」となっていた。

生き残った中嶋さんは戦後、無念の涙を呑んで死んでいった戦友たちの慰霊と鎮魂のために、半生を捧げた。戦後36年を経た1981(昭和56)年、中嶋さんは、バシー海峡を見下ろす同地に私財と日台の多くの協力者の浄財によって、やっと鎮魂の寺「潮音寺」を建立したのである。

以来、34年。長い間、風雨に晒されつづけたその潮音寺で、「戦後70年」を記念して、本日、慰霊祭がおこなわれたのだ。

どこまでも青く澄み渡った空の下、バシー海峡戦没者の遺児でもある臨済宗禅林寺の吉田宗利住職(73)による読経が潮音寺に流れる中、参列者およそ170名が、ひとりひとり順番に焼香していった。吉田住職は、拙著に登場する「駆逐艦呉竹」の吉田宗雄艦長の忘れ形見である。

3歳の時に死に別れた父親の顔を吉田住職は記憶していない。しかし、母親が亡き夫の海軍兵学校の同期の文集に残した手記には、父子が別れる時のようすがこう綴られている。

〈主人と長男は固く握手をして「じゃあ、行ってくるよ。元気でいるんだよ」と頭をなで、短い言葉を残して、決然たっていきました。虫が知らせたのか、長男宗利は、いつまでもいつまでも泣き叫んで、「父ちゃんについていくんだ」と駄々をこね、困らせました。主人がそれに答えるように幾度ともなく振り返り、手を振り振り元気でたって行った姿が、今もなお脳裏を離れません〉

その3歳の子供が、戦後70年を経て73歳となり、亡き父と、10万人におよぶ戦没者に対してお経をあげるために、佐賀県小城市からわざわざやって来てくれたのである。

潮音寺の前に設えられた祭壇の横には、李登輝・元台湾総統、海部俊樹・元総理、小泉進次郎・衆院議員、ジャーナリスト・櫻井よしこ、評論家・金美齢……等々の各氏からの花輪がところ狭しと並んでいた。また音楽巡礼者であり、シンセサイザー奏者である西村直記氏による「バシー海峡にささぐ」も演奏された。

吉田住職の読経の中、ご遺族をはじめ多くの参列者が焼香をおこなった。私もその一人だ。風雨に耐えてきた潮音寺の二階本堂に、ひとりひとりが上がり、戦没者に手を合わせた。私は、ご遺族の姿を見ながら、胸が一杯になった。

「人は二度死ぬ」と言われる。一度目は、肉体の「死」という物理的な死である。二度目は、その存在と死さえも、忘れ去られる時だ。

輸送途上の戦死者は、国からも、軽んじられてきた。しかし、その “忘れ去られた戦没者”に対して、ご遺族をはじめ、多くの方々が集まり、心から手を合わせてくれていた。

目に涙を浮かべながら焼香する方もいた。戦後70年を経て、バシー海峡戦没者への真の意味の「鎮魂」と「慰霊」が、吉田住職の読経のなかで、おこなわれたのである。

私には、尊い命を捧げた戦没者たちに「あなた方のことは決して忘れません」と、それぞれの参列者たちが心で伝えているように感じられた。

そのあと、バシー海峡の海岸線に行って、海への献花がおこなわれた。吉田住職がふたたび読経をおこなう中、参列者の中から、思わず、「おーい、日本に帰ってこいよぉー!」という声が上がった。魂だけでも日本に帰って来てくれ、という意味である。

南国でしか見ることができない抜けるような真っ青な空の下、目の前に広がるコバルトブルーのバシー海峡に向かって、参列者の間から、そんな声が飛んだのだ。日本に帰って来て欲しい――それは、参列者遺族たちにとって共通する思いだろう。

ご遺族の中には、父をバシー海峡で喪い、その妻である母親も亡くなり、母の遺骨を持って参列されていた女性がいた。母の遺骨を海に流しながら、女性は「お父さん。お母さんと一緒に日本に帰ろう」と、バシー海峡に向かって語りかけていた。

その時、「海ゆかば」が参列者の間から流れ出した。武道家・三好一男氏が、その歌声に合わせて、鎮魂の空手演武をバシー海峡に向かっておこなった。戦後70年――私は台湾最南部のバシー海峡を望む地で、亡くなった方々の無念を忘れまいとする人、そして本当の平和を祈る人の姿を見ることができた。

夜、高雄の国賓大飯店で慰霊祭の晩餐会がおこなわれた。その場で、これまで潮音寺の維持のために力を尽くしたきた台湾の方々に感謝状が渡された。私も、『慟哭の海峡』の著者として、「バシー海峡戦没者の無念と未来」と題した講演をさせてもらった。

夥しい数の日本の若者の「命」と「無念」を呑みこんだバシー海峡。彼ら戦没者を「二度」死なせることがあってはならない。私は、講演でそんな話をさせてもらった。慟哭の海峡は、70年という時を超えて、今も平和の尊さを静かに訴えていた。

カテゴリ: 歴史

折も折、「李登輝・元総統」来日をどう受け止めるか

2015.07.23

昨夜は、台湾の李登輝・元総統を歓迎する会があり、永田町のキャピトル東急ホテルに行ってきた。主催は、日本李登輝友の会である。李登輝氏は日本の国会議員有志に招聘されて、国会議員会館で演説し、日本外国特派員協会で記者会見、そして東日本大震災の見舞いに現地を訪れるため来日した。

私は、まだ現役の週刊新潮デスク時代にジャーナリストの櫻井よしこさんと共に、李登輝氏が総統時代にも、また総統を下りたあとの陳水扁時代にもお会いしたことがある。1999年と2005年である。

1度目は総統公邸で、2度目は私邸で、ともに会食を挟んで数時間にわたる取材だった。いずれも奥様の曾文惠さんもご一緒で、奥様を大事にされている李登輝氏の優しさと人柄を感じた面会でもあった。そんなこともあって、この日の歓迎会では、私はご本人を前にしてスピーチもさせてもらうという栄誉に浴した。

久しぶりにお会いする李登輝氏は、さすがに92歳というお歳を感じさせた。李氏は、1923(大正12)年生まれである。私は台湾関係だけでなく、戦争ノンフィクションを数多く書いているが、その大正生まれの方々が、ここ数年、幽冥境を異にすることが多い。

戦争ノンフィクションの中でも書かせてもらっている通り、私は大正生まれの方は“他者のために”生きた世代だと思っている。たとえば、日本では、大正生まれの男子は1348万人いるが、その内およそ200万人が戦死している。実に7人に1人である。

戦争で多大な犠牲を払い、戦後はビジネス戦士となって復興と高度成長の担い手となったこの世代は、本当に“他者のために生きた世代”だと思う。日本の統治下にあった台湾でも、多くの若者が戦死している。

李登輝氏の2つ年上のお兄さんも、フィリピン・ルソン島のマニラ攻防戦で海軍の陸戦隊の一員として戦死している。李登輝氏自身も、名古屋の高射砲部隊の陸軍少尉として敗戦を迎えている。

李登輝氏はこの日、昼間に国会議員会館で講演をし、そして夜はこの歓迎会に出席されるという、若者でもハードなスケジュールをこなしていた。

堂々たる体躯の李登輝氏がキャピトル東急の1階「鳳凰の間」に疲れも感じさせずに、SPや秘書を従えて現われたのは午後7時のことだ。たちまち会場は李登輝氏を取り囲んで“握手攻め”となったが、李氏は笑顔で応えていた。一国を率いてきたリーダーだけに、見る人に疲れなどを微塵も感じさせない様子はさすがだった。

私が直接、李登輝氏の姿を見たのは、3年半ぶりのことだ。2012年1月13日、それは李登輝氏自身が憲法を改正してまでスタートさせた直接選挙による第5回目の「台湾総統選」の最終日だった。

翌日の投開票を控え、民進党の蔡英文女史の応援演説に李登輝氏が現われたのである。新北市の中心部・板橋にあった総合競技場。ここに10万人近い支持者を集めて、蔡英文陣営は、最後の訴えをしていた。

夜の帳(とばり)が下りる中、「ドンスワン! ドンスワン!」と民進党支持者たちは、必死に叫んでいた。ドンスワンとは、台湾語で「当選」という意味だ。その時、紹介のアナウンスと共にステージに最後に登場したのが李登輝氏だったのである。

総合競技場のオーロラビジョンに映し出された89歳の李登輝氏に民衆はどよめいた。つい3か月ほど前に、李氏がガンの手術をしたということを皆が知っていたからである。

長身の李氏は、そこで蔡英文女史の肩を抱き、「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と訴えた。一瞬にして、競技場は独特の雰囲気に包まれた。私の目は、まわりの台湾人たちの様子に吸い寄せられた。

彼らは涙ぐんでいた。手で目をこする若者がいた。ハンカチで目頭を押さえる女性もいた。物も言わず、ただステージを、そしてオーロラビジョンを凝視する人もいた。

それをもし「求心力」と表現するのなら、凄まじい「求心力」というしかないだろう。あるいは、それは、政治家としての「オーラ」と表現すべきかもしれない。その時、私が思ったのは、大衆にこれほどのインパクトを与える政治家は果たして日本にいるだろうか、ということだった。

台湾の行く末を国民党に託してはいけない――国民党の元主席でもある李登輝氏自身のその姿勢は、どれだけ台湾の本省人に影響を与えただろうか。残念ながら、陳水扁時代の“負の遺産”を清算しきれなかった民進党は、選挙に敗れた。

しかし、その蔡英文女史が、ふたたび国民党に挑む台湾総統選が半年後に迫っている(総統選の投開票は、2016年1月16日)。李登輝氏が、あの新北市の総合競技場で訴えた「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」という言葉の意味が、あらためて問われる選挙を迎えるのである。

私は、自分がいるパーティー会場にその李登輝氏が目の前にいることが少し、不思議な感じがした。朝の新聞(産経新聞)に台北から日本に向かう時に記者たちに「日本の国会の中(議員会館)で演説することに対して、中国が反発する可能性はありますか」と聞かれ、「私は客人であって、私を招いたのは日本の国会議員です。中国が反対するなら、それは皆に笑われるだけのことだ」と言ってのけたことが報道されていたのを思い出した。

日本の政治家が、与党も野党も、そしてマスメディアも、中国のご機嫌ばかり窺ってきた中で、李登輝氏は長くアジアで異色の政治家だったと言えるだろう。1988年に総統就任以来、本省人出身の初の総統として李登輝氏は孤軍奮闘してきた。

郝柏村や李煥といった国民党内の外省人の大立者をひとりひとり排除し、次第に本省人として「民主国家」を実現していく“静かなる革命”は、前例のないものだった。台湾と言えば蔣介石の白色テロ時代のイメージを持つ私たちジャーナリズムの人間には、それは大きな驚きだった。

そして、李登輝氏は92歳となっても、いまだに大変な“発信力”を持っているのである。パーティーに来る前におこなわれた国会議員たち約300人を前にした議員会館での「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演内容も、すでにパーティー会場に伝わっていた。

李氏は「戦後台湾を統治した中国・国民党政権は“外来政権”である」と指摘し、さらに「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と明言したというのである。

講演を聴いた足でそのままパーティー会場に来た人も少なくなかった。私が注目したのは、講演で李氏が「“ひとつの中国”という原則について、われわれは決して同意できない」と語ったことだった。

李氏は、「あくまで台湾は、中国の一部ではない」ということを日本の国会のひとつの施設の中で明言したのである。講演後の質疑でも、「私は、(日本の)安全保障関連法案を高く評価する。日本が主体的に安全保障に対して意識を持つことが、アジア全体の平和につながっていく」とも、述べたという。

それは、長く中国の脅威と対峙してきた政治家ならではの感想だった。パーティーのスピーチでは、李登輝氏は、「我是不是我的我」という言葉の意味を語った。この言葉は、直訳すれば、「私は、私でない私である」ということである。

難解で、かつ、さまざまに解釈できる言葉だが、素直に受け取れば、自分は個人である自分ではなく、さまざまなものに尽くすために存在する、という意味だろう。

これは、李登輝氏が傾倒する日本の武士道が説く「無私の精神」と関連がある。李登輝氏はある雑誌で、後年にキリスト教に入信することで、「私とは何か」という問題に「一つの答えを見出せた」と語ったことがある。

それは、自分の命は、いつなくなっても構わない、台湾のために死力を尽くして働き、いかなる栄誉も求めない、これまでも、そして、これからもそうしていく――それが、「我是不是我的我」という言葉だと李登輝氏は言うのである。

人間が持つ「使命感」や「責任感」への思いが、いかに李登輝氏の内面に強いか、ということを感じさせる言葉だ。パーティーのスピーチでも、李氏はその言葉を語った。私は、3年半前の新北市の競技場に現われた李登輝氏の姿を思い出しながら、そのスピーチを聴いた。

私は、パーティーの最後に、これらを踏まえて、「他者のために生きた」大正生まれの男たち、そして李登輝氏について、個人的な考えをスピーチさせてもらった。そして、南シナ海をはじめ、さまざまな場所で現実の脅威となっている中国という存在についても、話をさせてもらった。

歴史的経緯も含めて、「尖閣は日本の固有の領土だ」と言いつづけた92歳の李登輝氏が、折も折、来日したことをどう受け止めるか。

そして、台湾で昨年起こった「太陽花学運(ヒマワリ学生運動)」によって、馬英九政権の中国への傾斜をストップさせた台湾の人々をどう思うか。彼らは、日本人以上に、大きな関心を持って、日本の安保法制論議を見守っている。

私は、さまざまな意味で、参議院では、現実に立脚した有意義な安保法制論議を国民の一人として期待したく思う。

カテゴリ: 中国, 台湾

いつまで続くのか「空想」と「現実」の戦い

2015.07.17

安保法制が衆議院を通過し、参議院に送られた。いつものように国会では、中身の乏しいエモーショナルな質問が繰り返された末の衆院通過だった。

私は、今国会での議論に期待を寄せていた一人だ。中国の膨張主義による領土拡大路線と、北朝鮮の核ミサイル開発という“二つの大きな脅威”に対して、日本人がどう自分たちの「生命と財産」、そして自国の「領土」を守るのか、という極めて重要な「安全保障問題」が議論されるはずのものだったからである。

しかし、「これは、戦争法案だ」「子供たちを戦場に送るな」という情緒的な主張のもと、重箱の隅をつつくような枝葉末節の議論に終始した印象が拭えない。与党推薦の参考人の学者が「安保法制は違憲である」と国会で述べたことから、その傾向はさらに強まった。

歴史的な自民党のこの“大失策”は、これほど大事な国会審議の参考人選考を「官僚に丸投げする」という信じられない感覚から生じたものだ。しかし、同時に、それは、官僚まで反乱を起こすほどの大きな安全保障問題だったことを示している。

安倍首相が言う「ホルムズ海峡の機雷除去」というのは、目の前の中国と北朝鮮の脅威に比べて、あまりに説得力の薄いものだった。それが、「国民にエモーショナルに訴えて、戦争への危機感を盛り上げ、反対の声を大きくしていこう」という野党の戦略をますます加速させる原因にもなったと思う。

憲法論議は極めて重要なので、「違憲だ」「合憲だ」とただ主張するのではなく、本質に入っていって欲しかった。国会での三人の学者による「違憲論」と、百地章・日大教授や西修・駒大教授の「合憲論」も踏まえて、本格的な論議をして欲しかった国民は多かっただろう。

私が憲法論議で興味があったのは、「形式論」ではない。それは、憲法そのものの意味も含めた論議である。平和憲法を持つ日本は、その憲法が規定している「戦力の不保持」の中で生きている。

しかし、現実には、日本は自衛隊という立派な「戦力」を持つ国である。自衛隊が持つ戦車や戦闘機、護衛艦……等々を見て、「いや、これは戦力ではありません」と言ったら、世界から腹を抱えて大笑いされるだろう。実際に、日本の憲法学者には、「自衛隊は違憲」と述べる人が多い。

では、そんな「存在」がなぜ認められているのか。そのポイントは、当の憲法が定めている国民の「幸福追求権」にある。国民の幸福は、言うまでもないが、他国からの「攻撃」や「支配」を受けないことを大前提とする。自分たちの生命や財産、あるいは領土を失って「幸福を追求」することができないことは当然だからだ。

そこに、憲法が「戦力の不保持」を謳(うた)っていながら、「自衛力」が認められ、自衛隊という「戦力」が容認されている根拠がある。その中で、国際社会の現実を踏まえて、その日本の「自衛権の行使」の線引きをどこにするかという、極めて重大な論議が今国会には期待されていたのである。

私は、国民は、切実な、本当の意味の“存立危機事態”の議論を聞きたかっただろうと思う。少なくとも私はそうだった。しかし、116時間に及ぶ衆院での国会質疑の中で、国民が関心を寄せた議論の本質には、ついに至らなかった。

最大の原因には、全質問の「9割」が、野党によって占められていたことにあるだろう。枝葉末節にこだわる野党には、「政権に打撃を与える」ことのみに汲々として、大局として国民の生命・財産を守るにはどうしたらいいのか、という最も重要な議論をおこなう意識が見られなかった。

それは、アメリカが「世界の警察」の座を降り、現実化する中国と北朝鮮の脅威の中の「日本が置かれている状況」への危機感が、野党側にはほとんど感じられなかったという意味でもある。

私は、2013年9月10日、オバマ大統領がアメリカ国民に対してテレビを通じて、「私は、退役軍人や連邦議員から“アメリカは、世界の警察官でなければいけないのか”という書簡を受け取っています」「アメリカは世界の警察官ではありません」と宣言して以降、世界は「新たな国際情勢に突入した」と思っている。

それは、長くつづいた冷戦下の国際情勢が“過去のもの”となり、その後のアメリカ“一強時代”も終焉した、ということである。

アメリカの衰退を見てとった中国が、南シナ海で他国の領土に軍事基地を建設するという挙に出たのは、周知の通りだ。そして、日本の領土であるはずの東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)を自国の「核心的利益(つまり自国の領土)」と表現し、「必要ならば、武力で領土を守る準備はできている」とまで広言するに至った。

13億人の中流化を目指して驀進(ばくしん)する中国には、圧倒的な食糧や資源の不足という事態が刻々と迫っている。それは、同時に周辺諸国への“しわ寄せ”と“脅威”となって現実化しているのである。

われわれ日本人は、この先、自分たちの子や孫の時代の平和をどう守るか、つまり相手にどう手を出させないか、言いかえれば「相手に戦争を起こさせないためにはどうすればいいか」、ということを真剣に議論しなければいけなかったはずである。

そのことが論議されるはずの国権の最高機関たる国会で、情緒的で、かつ現実を踏まえない「質問」が延々と続いたことを、国民はどう捉えればいいのだろうか。大いなる関心を持って国会質疑に見入っていた国民には、溜息しか出てこなかったのではないだろうか。

私は、これは、「左派勢力」と「右派勢力」の戦いではないと思う。いや、このいまだに「左右の対立」でしか、こういう重要な問題を捉えられない単一の思考こそ、すべての元凶ではないかと思っている。

この単一の思考法が最も蔓延しているのは、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。私はこれを「マスコミ55年症候群」と呼んでいる。1955(昭和30)年に、保守合同によって誕生した自由民主党と、左右の再統一によってできた日本社会党との「保革対立」が始まった、あの55年体制である。

イデオロギーによる考え方が“絶対”だったあの時代の思考をいまだにつづけている日本のマスコミや国会の状況には、本当の意味で溜息が出るだけである。

私は、いま激突しているのは左と右の勢力ではなく、空想家、夢想家である“ドリーマー(dreamer)”と現実を見据える現実主義者“リアリスト(realist)”であろうと思う。つまり、DR戦争だ。

「一国平和主義」、言いかえれば冷戦下の「空想的平和主義」の中で生きてきた人々が、果たして「現実」を見て本当の意味の議論ができるのかどうか。私は、参議院でこそ、国民の生命・財産、そして領土を守るために「何が必要なのか」という本当の意味の安全保障論議を闘わせて欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 国際, 政治

「習近平」を追い詰められないアメリカが歴史に残す「禍根」

2015.06.28

激動する国際情勢と、いつまで経っても「本質論」に至らない安保法制をめぐる日本の国会審議。中国の戦略にアメリカが完全に呑み込まれつつある今、「このままでアジア、そして日本は大丈夫なのか」という思いがこみ上げてくる。

6月23日、24日の2日間、ワシントンでおこなわれた米中戦略経済対話は、完全に“中国の勝利”に終わった。そんなはずはない――そう言いたい向きも少なくないだろう。しかし、私は、オバマ大統領が「いつもの失敗を繰り返してしまったなあ」と思っている。例の「オバマの口先介入」というやつだ。

アメリカと中国が安全保障から経済まで、幅広い課題について話し合うこの「対話」でアメリカがどこまで中国の譲歩を引き出せるか、世界中が注目していたと言ってもいいだろう。

報道だけ見れば、アメリカは、南シナ海での中国の“力による現状変更”に対して、中止を改めて要求し、オバマ大統領自身も、中国代表団との会談の中で、「緊張緩和」のための具体的措置を求める発言をおこなったという。それは、大統領による「異例の言及と抗議」とのことだが、本当にそんな勇ましいものだったのだろうか。

答えは、対話が終わったあとの記者会見を見れば明らかだろう。アメリカのケリー国務長官とルー財務長官、中国の楊潔篪(ようけっち)国務委員と汪洋副首相の4人がそろって記者会見したが、それは、イランと北朝鮮の核開発問題やテロ対策、また地球温暖化対策など、「幅広い分野で協力していくこと」で合意したことが成果として強調されただけだった。

逆に、その場で楊国務委員に「中国は領土主権や海洋権益を守る断固とした決意を再確認した」と発言され、「異例の言及と抗議」が、なんの効力も発していないことが明らかになったのだ。つまり、中国側は、アメリカから経済制裁等の具体的な対抗措置への示唆も言及もなく、いつも通りの「口先介入で終わる」ことを、とうに見越していたのである。

私は、アメリカは将来に大きな禍根を残した、と思っている。実は、中国にとって、このアメリカとの対話はかなり「覚悟のいったもの」だったと思う。今春、初めて岩礁埋め立てを「砂の万里の長城」という表現で告発し、空からの監視と国際世論を巻き込んだアメリカの戦略は順調に進んでいたかのように思えた。

なぜなら、中国にとって恐いのは「最初だけ」だからだ。自国の領土と軍事基地として「既成事実化」を狙う中国は、その時期さえ凌げば、あとは「どうにでもできる」ことを長年の経験から熟知している。

軍事基地を完成させた後、つまり“既成事実”としてスタートした後、いくら抗議が来ようと、それが何の功も奏さないことは、お見通しなのだ。それは中国の建国以来の歩みを振り返れば一目瞭然だ。

1949年の建国以来、ウィグル侵攻(新疆侵攻)、チベット侵攻、朝鮮戦争、中印戦争、内モンゴル粛清、中ソ国境紛争(珍宝島事件)、中越戦争……等々、毛沢東の「権力は銃口から生まれる」という言葉通り、周辺国とも、あるいは国内でも、力による政策を一貫してつづけてきた中国は、“既成事実化”が「すべて」であることを誰よりも知っているのだ。

南沙諸島の7つの岩礁に軍事基地と港湾施設さえつくり上げれば、あとは「どうにでも」なり、「国内問題に干渉することは許されない」と言って突っぱねたら、自分の思うがままであることなど、先刻承知なのである。

しかし、習近平・国家主席が置かれている現在の状況を考え合わせると、アメリカの弱腰は、実に残念に思える。それは、いま繰り広げられている中国国内の熾烈な権力抗争が大きくかかわっている。

多くの中国ウォッチャーが言及しているように、現在、習近平氏は、胡錦濤・前国家主席の派閥との激しい権力抗争の真っ只中にある。「中国共産主義青年団(共青団)との戦い」とも称されているが、腐敗撲滅運動に名を借りたこの権力抗争によって、中国の指導部内が不穏な空気に覆われているのは事実だ。

その上、習近平氏は、昨年来、人民解放軍の旧勢力との戦いにも手を出してしまった。今年3月、人民解放軍の権力者、郭伯雄(元共産党軍事委員会副主席・元上将)を拘束し、昨夏には、これまた権力者の徐才厚(同じく党軍事委員会副主席・元上将)の党籍剥奪(徐才厚氏は今年3月死去)をおこない、習氏は有無を言わせぬ権力抗争を仕掛けている。

郭伯雄と徐才厚は、およそ10年間にわたって、人民解放軍の権力者として振る舞い、多くの子飼いの幹部がいる。武力だけでなく、「やっていない商売はない」と言われるほどの巨大な商圏と利権を持つ人民解放軍を敵にまわすことは、たとえ国家主席でも相当な覚悟と勇気が必要なことは言うまでもない。

軍を敵にまわせばクーデターの恐れもあるし、事実、習氏は、首都・北京の警備主任を自分の信頼のおける人物にすげかえ、「暗殺」を具体的に防ぐ方策を採っている。

戦いの原則から見れば、相手が強大な場合、戦線を一気に拡げたり、多方面で同時に戦うことは絶対に避けなければならない。しかし、習氏は、ただでさえ胡錦濤派と激しい権力抗争をおこなっているさなかに、人民解放軍ともコトを構えてしまったのだ。

そんな時だからこそ、アメリカにとっては「今」が千載一遇のチャンスだったと言える。自らの存在を否定された上、中国に新たなリーダーの登場を期待する「戦略」へとアメリカが舵を切ったら、習氏は相当、追い込まれたに違いない。

しかし、今回の「対話」がオバマ大統領のいつもの「口先介入」だけで終わろうとしていることに、習氏はどれだけ安堵しているだろうか。「してやったり」とほくそ笑む習氏の顔が思い浮かぶ。

その意味で、南沙諸島の“力による現状変更”は、中国の既成事実化が成功し、完全にアメリカの敗北に終わりつつあると言える。

アメリカは、7つの岩礁を中国領と認めないために、「口先介入」ではなく、米軍機や米艦船を12カイリ以内に派遣し、国際世論を背景に実際に“わがもの顔”の中国にプレッシャーを与えなければならない。

すでに、南シナ海は、海南島に海軍基地を置く中国の事実上の「支配下にある」と言っていい。中国は、1隻あたり10本の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を積み込み可能な原子力潜水艦をすでに「3隻」保有している。2020年までには、これが倍増すると見られている。

海軍の総兵力は、およそ26万人にのぼり、通常潜水艦だけで60隻以上保有しているのである。北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊は、軍事費の増大につれて、年を経るごとに戦力が充実して来ている。彼らは、南シナ海全域を遊弋(ゆうよく)し、周辺国との摩擦を厭わず、事実上の中国の“内海化”を果たすだろう。

日米の隙(すき)を突いて、尖閣(中国名・釣魚島)に乗り出してくるのも、時間の問題だろう。専門家が指摘するように、最初は人民解放軍の軍人が“漁民”を装って上陸し、日本の海上保安庁がこれの排除に苦戦して自衛隊が出動するのを「待つ」のではないか、と言われている。これに類するやり方で、小規模か大規模かを問わず、“紛争”に発展させる方法をとるのだろうか。

権力掌握に苦戦する習近平氏の基盤が脆弱な今こそ、毅然とした姿勢を貫くべきなのに、アメリカは、また将来に大きな禍根を残そうとしている。“弱腰”と“無策”をつづけるのは、アメリカ民主党の宿䵷(しゅくあ)でもあるのだろうか。

それと共に、中国が大喜びするような枝葉末節の質疑に終始し、相変わらず「空想的平和主義」に陥った空虚な議論しかできない日本の国会。野党議員や日本のメディアを手玉にとり、嗤(わら)っているのは、中国だけである。

カテゴリ: 中国, 国際

中国国防白書と「広島サミット」の実現

2015.05.26

今日、中国政府は2年に1度の国防白書「中国の軍事戦略」を発表し、国防部の楊宇軍・報道官が記者会見をおこなった。南シナ海での領有権争いについて、白書にいったいどんな表現を盛り込むのか、注目が集まっていた。

周知のように、中国は南沙諸島(スプラトリー諸島)で7つの岩礁を遥(はる)か800㌔も離れた中国本土の土砂で埋め立て、飛行場や港湾施設らしきものを猛然と建設中だ。去る4月、米軍高官が「これは、“砂の万里の長城”だ」と厳しく非難し、南シナ海での力による中国の現状変更が、国際社会の懸念材料としてこれまで以上にクローズアップされていた。

国防白書の表現は、予想通り、「一部の域外の国が南シナ海問題に全力で介入している」とするものだった。「一部の域外の国」とは、言うまでもなくアメリカのことだ。名指しこそしないものの、アメリカを非難し、この問題で「一切、妥協しない姿勢」を中国は、世界に宣言したのである。

白書はこう続いている。「一部の域外の国は、頻(しき)りに海や空での偵察活動をおこなっている。われわれの海上主権を守る争いは、これから長い期間に及ぶだろう」。そう前置きして、白書はさらにこう強調した。「(われわれは)海上軍事闘争の準備を最優先し、領土主権を断じて守り抜く」と。

これまで中国要人が繰り返し発言してきた通り、国防白書でも、領有権争いでの「核心的利益」を守り抜く姿勢を明確にし、「アメリカとの対決」をも辞さない決意を明らかにしたのである。

また、日本に対しては、「日本は、戦後体制からの脱却を積極的に追求し、安全保障政策を大幅に変更した。日本の行方が地域の国々の高い関心を集めている」と、日本の動きを牽制した。

私は、昨年8月、日本が中国の海洋進出などを批判した2014年版「防衛白書」を発表した際、「日本は中国との対話を求めながら、一方で誤った立場を堅持し、中国の脅威を宣伝している」と、同じ国防部の楊宇軍・報道官が激しく非難したシーンを思い出した。

「もはや中国の暴走は、誰にも抑えられない」――そんな感想を誰もが抱いたのではないだろうか。“力による現状変更”は、相手国の堪忍袋の緒が切れた時、一挙に最悪の事態に突き進むのは、これまでの歴史が証明する通りだ。

フィリピンから在比米軍が撤退した1990年代半ば、中国は南沙諸島のミスチーフ礁を一挙に占領して建造物を構築し、その後も着々と“力による現状変更”をつづけ、ついには“砂の万里の長城”を築くに至っている。

昨年のロシアによるウクライナ問題(クリミア危機)と、中国による南シナ海領有権問題は、両国が国際秩序に対して真っ向から対決姿勢を示している点に特徴がある。

私は、これらの事態を前にして、自由主義圏のこれまで以上の団結が問われていると思う。その国際社会の結束と世界平和のために是非、来年、実現して欲しいものがある。

それは、「広島サミット」だ。来年、日本でのサミット(主要国首脳会議)の開催都市の決定が、いま大詰めを迎えている。早ければ、6月早々にも発表されるだろう。

私は、是非、「広島」でのサミット開催を望みたい。先週、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「各国指導者らに被爆地訪問を要請」する一文が、中国の反対で合意文書から削除された。その理由が、「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく、被害者であるかのように描こうとしており、同意できない」というものである。

また、習近平国家主席は、去る5月23日夜、3000人の訪中団を組織してやって来た二階俊博・自民党総務会長に対して、「日本軍国主義の侵略の歴史を歪曲(わいきょく)し、美化しようとするいかなる言動に対しても、中国国民とアジア被害国の人々は許さないだろう」と語った。

“力による現状変更”を押し進める中国によって、戦後70年におよぶ地道な日本の平和への貢献と努力が、踏みにじられているのである。

増大する中国の脅威を前に、これほど先進自由主義諸国の結束が必要な時はないだろう。だが、戦後70周年を迎えても、日本に謝罪を求めつづけているのが、中国と韓国だ。しかし、「広島」はどうだろうか。

あれほどの悲劇を受けながら、広島では知事、市長、経済界も含め、多くの広島市民がアメリカに謝罪を要求していない。いや、アメリカを含む各国首脳を心から歓迎し、核軍縮と平和への実現に手を携えて進んでいきたいと呼びかけている。

オバマ大統領は、2009年4月、チェコ共和国の首都プラハで、「核廃絶」への具体的な目標を示した演説によって、ノーベル平和賞を受賞している。そのオバマ氏も、再来年には大統領としての任期を終える。

もし、オバマ大統領が、広島でのサミットで、核軍縮に対するメッセージを世界に発信し、さらに“力による現状変更”には、国際社会が決然と立ち向かうという姿勢を示すことができたら、どれほど有意義なサミットになるだろうか。もはや怖いもの知らずでやりたい放題となった中国にとっても、それは脅威となるに違いない。

そして、これまで日本の歴代の総理が表明してきた「反省」と「お詫び」を全くかえりみずに「日本批判」と「謝罪要求」を繰り返す韓国にとっても、広島の人たちの前向きな姿勢は、測り知れない衝撃をもたらすだろう。

それは同時に、オバマ大統領にとっても、勇退への花道として歴史的なものになる可能性がある。自ら主体的に広島を訪問するのではなく、日本政府が決めたサミット開催場所が「広島」なら、アメリカ国内の保守派の反発を受けることなく、自然なかたちで広島訪問を実現でき、さらにそこでノーベル平和賞受賞者としての歴史的演説のチャンスがめぐってくるからである。

私は、将来、核軍縮と21世紀の平和が、「広島からスタートした」と言われるようになることを望む。それと同時に小渕恵三首相(当時)が多くの反対を押し切って「沖縄サミット」を実現した時のことを思い出す。

1999年4月22日の読売新聞夕刊1面トップに、「2000年サミット、福岡で」「東京以外では初開催 小渕首相固める」という“スクープ記事”が載った。

それは、小渕首相が翌年に予定されているサミットの開催地を「福岡市とする意向を固めた」というものだった。読売新聞は、周到にこの報道の準備を進め、当時の野中広務官房長官、鈴木宗男官房副長官らから情報をとり、大々的に“スクープ”したのである。

しかし、その報道の当日、小渕首相は、野中、鈴木両氏を部屋に呼んで「君たちはどう思っているかわからんが……」と前置きして、「私は、サミットを沖縄でやりたいんだ」と語った。

「えっ?」と二人が息を呑んだのは当然である。もはや「福岡サミット」が最有力となって、野中、鈴木両氏も、そのことに疑いを持っていなかったからである。

しかし、小渕首相はその時に初めて自分の真意が「沖縄」にあることを告げ、そしてその言葉通り、信念を曲げることなく、太平洋戦争の激戦の地でのサミットを敢然と実施したのである。

その沖縄サミットの時に比べて、国際平和への懸念は、中国の台頭によって遥かに増大している。そして、“軍国日本”を強調することによって自分たちを善なる立場に置こうとする中国の戦略は、露骨なまでに剥き出しになってきている。

私は、国際平和のために、そして核軍縮への道のために、「広島サミット」を是非、安倍首相に実現して欲しいと思う。それが70年間、ひたすら平和を希求し、核軍縮を望んでやまない日本国民と、心ある世界の人々の期待に応える方法ではないか、と思う。

カテゴリ: 中国, 歴史

ふたたび「裁判官は日本を滅ぼす」

2015.05.14

本日、予想していた通り、私の上告が棄却された。例の日航機事故遺族が私の作品を「著作権侵害」で訴えていた件である。日本の裁判では、最高裁で上告が受理され、原判決が破棄される率は、わずか「1%」なので、予想通りの結果と言える。

決定文を読んでみると、やはり「事実誤認と法令違反の主張」は上告理由にあたらないということで、私の主張は全く審理されなかったことになる。すなわち、当ブログの論評も一審・二審で私が書いてきたものと重なってしまうが、あらためて記述させてもらいたい。

私が、『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』という当該のノンフィクション作品を上梓したのは、日航機墜落事故から25年が経った2010年夏のことだ。これは、1985年8月に起こった日航機墜落事故の6遺族の「その後の四半世紀」を追った作品である。

それぞれのご家族を「1章完結」で取り上げたため、作品は「全6章」で成り立っている。サブタイトルでもわかるように、これは初めて「父と息子」にスポットをあてた日航機墜落事故のノンフィクションだった。

私は、登場していただいた「6家族」の方々に、直接、私自身が取材に伺い、絶望から這い上がってきた四半世紀に及ぶ「勇気」と「感動」の物語をお聞きし、すべてを実名で描かせてもらった。

そして、あの悲劇を乗り越えた家族の感動の物語として発表させてもらったのである。この訴訟以後、『尾根のかなたに』と改題されて小学館から文庫化された作品は、WOWOWの特別ドラマとして放映され、2012年度の文化庁芸術祭ドラマ部門の優秀賞を受賞した。

私は、ノンフィクション作家であり、取材当事者であるご本人たちの了解を得て取材をさせてもらい、日記や手記があるならそれを提供していただいている。そして、「事実」と異ならないように気をつけて原稿を書くのを基本としている。一切の「創作」と「虚構」を排除するのが、私の作品だ。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発表後、この作品の第3章に登場するご遺族の一人、今年82歳になる池田知加恵さんが「著作権侵害」で私を訴えてきた。

彼女は、日航機墜落事故で亡くなったご主人を持つ未亡人だ。作品は、「父と息子」をテーマにしていたため、あらかじめこの知加恵さんのご子息に10時間近い取材をさせてもらい、その上で、母親である知加恵さんにも別の日に3時間半にわたって取材をさせてもらった。

取材当時77歳だった知加恵さんは、その時、17年前に出したという事故の時の自身の体験をまとめた『雪解けの尾根』という手記本を私に提供してくれた。「ほおずき書籍」というところから出した自費出版の本である。その時、知加恵さんは、わざわざ「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサインしてくれた。

彼女はこの時、事故から25年も経過しており、ご高齢だったこともあり、「私にとっては、この本を書いた時が“記憶の期限”でした」と仰られた。

私の取材は、極めて詳細に当時の状況を聞き取らせてもらう形をとる。記憶が曖昧になっていた彼女のその申し出をお聞きし、必然的に私の取材は、提供されたこの手記本に添ってご本人に「記憶を喚起」してもらいながら、「事実確認」をする形でおこなわれることになった。

ご高齢の方への取材というのは、こういう方法は珍しくない。戦争関連のノンフィクションを数多く書いている私は、最前線で戦った実際の元兵士に取材させてもらう際には、ご自身が若い時に戦友会誌などに書いた回想録なども提供してもらうことがある。

それをもとに「記憶を喚起」してもらいながら取材をさせていただくのだ。できるだけ正確に「事実」を書くことが、読者に対する私の義務であり、責任でもあると考えているからだ。

また、「より正確に事実を書いて欲しい」というのは、取材を受ける側の願いでもあると思う。私は知加恵さんに長時間にわたって、こうしてご自身の手記本に基づいて記憶を喚起してもらいながら、取材をさせていただいたのだ。

記憶が戻ってきた知加恵さんは、「このことは本に書いてなかったかしら?」「そうそう、それ書いてあるでしょ」と途中で何度も仰り、そのたびに本の中の該当の箇所を探し直すことが度々あった。

ノンフィクションには、言うまでもないが「フィクション(虚構)」があってはならない。記述は「事実」に基づかねばならず、そのため、取材が「すべて」である。

作家が想像によって「創作」することが許されないノンフィクション作品の世界では、「本人証言」と「日記・手記の発掘」が何より重要なのである。そこが、小説との決定的な違いだ。

取材の際、知加恵さんは著書だけでなく、事故に関連してご自身が登場したニュースやワイドショーを録画したDVDを提供してくれたり、取材後も自分の発言の訂正部分を手紙で書いて送ってくれたり、積極的に取材にご協力をいただいた。

それは、私が恐縮するほどの取材協力だった。私は、ご自宅をお暇(いとま)する時も、「大変ありがとうございました。今日の取材と、このご本に添って、事実を間違えないようにきちんと書かせてもらいます」と約束した。

そして、その言葉通り、事実関係に間違いのないように細心の注意を払って原稿を書いた。そして、巻末には、「参考文献」として『雪解けの尾根』を明記したのである。

私が書かせてもらったのは、彼女がどう行動し、どう思ったのか、という「事実」だけである。つまり、私は「本人に直接会って」、「手記本を提供され」、記憶が曖昧になっていたご本人に「記憶を喚起してもらいながら、その手記本をもとに事実確認取材をおこない」、これを記述したのである。

もちろん、手記本と同一の文章はひとつもない。忠実にただ「事実」だけを淡々と描写させてもらったのだ。事実がひとつしかない以上、突き詰めて取材すれば、「事実」が当事者の手記と似ているのは当然である。いや、似ていなければ、それはノンフィクションではなく、小説である。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発刊後、知加恵さんは「著作権侵害だ」と私を訴えてきた。そして、私は裁判で、この経過を証言し、事情を説明し、その立証もおこなった。だが、裁判官には、それらに一切耳を傾けてもらうことはできなかった。

30年以上にわたって記事や本を書く仕事をしている私にとって、それは、あらためて日本の官僚裁判官について、考える機会を与えてくれた。それは、私のデビュー作でもある『裁判官が日本を滅ぼす』を思い起こすことでもあった。

驚くべきは、裁判では、知加恵さんが「正確に事実を書いてもらうよう」私にお願いしたことを認めた上で、「被控訴人が上記のとおり控訴人門田に対し事実の正確な著述を求めたからといって、これによって直ちに、被控訴人が被控訴人書籍について複製又は翻案することを許諾したと認めることができない」としたことだ。

私は、『雪解けの尾根』について、「複製」も「翻案」もしていないし、その「許諾」を求めたこともない。複製とは「コピー」のことであり、翻案とは「つくりかえる」ことである。私は、あくまで取材に基づいてノンフィクション作品を書いただけであり、「複製」も「翻案」もしておらず、このような論理破綻の判決文が現に“通用”していることに仰天する。

専門的なことを言えば、日本の官僚裁判官の限界は、「要件事実教育」に起因する。日本の裁判官が、裁判で重視するのは「要件事実」だけで、「事情」には決して踏み込まない。なぜなら、いちいち「事情」に踏み込んでいったら、一人の裁判官が200~300件、あるいはそれ以上抱えている案件が「処理できない」からである。

そこで、判決に組み込んでいかなければならない「要件事実」だけが判断のポイントになり、これだけを“抽出”する教育を裁判官は延々と受けている。そこに日本の裁判官が繰り返しているトンデモ判決の「理由」がある。

「事情」に踏み込まない日本の裁判官には、「小説とノンフィクションとの違い」や、「取材時のやりとり」、あるいは、本人が「手記本を提供した時のようす」……等々、そんな「事情」は関係がないのである。つまり、著作権侵害で訴える人がいて、ふたつの書籍の記述の一部が「類似」しているという「要件事実」があれば、それだけでいいのである。

日本の司法の判断に従えば、私は取材の時に「利用してはいけないもの」をご本人から提供され、それをもとにご本人に対して「書いてはいけない事実」を3時間半にわたって、延々と「確認取材」しつづけていたことになる。

これが、今の日本の「司法の限界」であることをつくづく思う。言うまでもないが、ノンフィクションに対する私の姿勢や手法はこれからも変わらない。どこまでも「真実に忠実な作品」をこれまで同様、書いていきたいと思う。

世にも滑稽な結果となったこの裁判が意味するものは何か。こんな裁判がつづくかぎり、日本は、官僚裁判官によって、やがて滅ぼされるに違いない。国民の裁判参加という負担のもとに刑事裁判では裁判員制度によって官僚裁判官の暴走に少しだけ歯止めがかかっている。

しかし、民事裁判の官僚裁判官は、なんの洗礼も受けておらず、旧態依然のままだ。真の意味の「司法改革」を是非、国民の一人として考えていきたく思う。

カテゴリ: 池田家との訴訟

顕在化する東アジア「二つの脅威」

2015.04.24

昨日から今日にかけて、東アジアにおける“二つの脅威”をしみじみ考えさせられる記事を読んだ。このままで、「東アジアは大丈夫か」、そして「日本は存立できるのか」ということを大袈裟ではなく真剣に考えざるを得ない記事である。

一つは、昨日(4月23日付)の毎日新聞朝刊に掲載された同紙の金子秀敏・客員編集委員による〈砂の長城のコスト〉と題するコラムである。

今月上旬、世界に衝撃を与えたハリー・ハリス米太平洋艦隊司令官による「中国が南シナ海に“砂の万里の長城”を築いている」という発言を捉え、この問題を掘り下げたコラムだ。

中国が南シナ海の南沙諸島で七つのサンゴ礁を埋め立て、軍事基地と思われるものを猛烈な勢いで建設しているという暴露は2週間ほど前、世界に驚愕をもたらした。アメリカが公表した衛星写真とハリス司令官の発言によるものである。

それは、いわば“海の万里の長城”とも言えるもので、埋め立てには「砂」が用いられているため、ハリス司令官は、これを“砂の万里の長城”と表現したのである。金子記者のコラムは、この問題を実に明快に解説してくれた。

〈中国が南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島で七つのサンゴ礁を埋め立てている。それを米国の太平洋艦隊司令官は「砂で万里の長城を作っている」と評した。なかなか意味深い〉。そう始まるコラムは、中国の作業の模様をこう表現する。

7つの岩礁の中の「美済(ミスチーフ)礁」では、〈ポンプ船が海底の砂を吸い上げ、「C」形の環礁の内側にまいている。その衛星写真が発表された。この環礁は満潮時に海面下に隠れて暗礁になる。国連海洋法条約では領土主張ができないが、それを埋めて「古来、暗礁ではなかった」と言うつもりだろうか。工事は2013年9月に始まり、軍艦がポンプ船を護衛している〉

また、〈永暑(ファイアリークロス)礁は3000メートル級の飛行場を造ろうという勢いだ。海底の砂を吸い上げていては間に合わない。約800キロ離れた中国大陸から土砂を続々と運んでいる。中国から海軍司令官が視察に来ているから、これも軍の作戦に違いない〉。猛烈な勢いで進む中国の軍事拠点化について、コラムは、こう指摘する。

台湾紙の分析を引いて、そこにかける中国の費用について、コラムはこう書き進む。〈このサンゴ礁を海面から3メートルの高さまで埋め立てるには6億1100万立方メートルの土砂を必要とし、飛行場完成までに必要な総経費は日本円に換算しておよそ1兆4000億円〉

領有を争っている地に強引に軍艦の護衛つきで、これほどの巨費を投じて、堂々と“陸地化”が進んでいるのである。まさに国際社会が中国に対して懸念表明してきた「力による現状変更」にほかならない。

このコラムを読みながら、私は、昨年5月の「アジア安全保障会議」での出来事を思い出した。安倍首相が基調講演で「法による南シナ海の安定」を訴えたことに、中国人民解放軍の王冠中・副参謀総長が、「安倍首相は中国を挑発しており、決して受け入れることはできない」と、怒りの会見をおこなったのだ。

しかし、アメリカのヘーゲル国防長官は、同会議でこう発言している。「中国は一方的行動によって(地域を)不安定化させている。中国は、安定した地域の秩序のために貢献するか、それとも、地域の平和と安全保障を危険に晒すか、どちらを選ぶのか」と、痛烈な批判をおこなったのだ。

中国が南シナ海の大半を「自国領である」と主張して地図上に独自に引いた「九段線」が東アジア最大の脅威になっていることは周知の通りだ。この9本の境界線は、「中国の赤い舌」と称され、それによって、強引に「埋め立て」と「軍事拠点化」が進んでいるのである。

金子記者のコラムは、こう続いている。〈永暑礁の飛行場はすでに長さ500メートル、幅53メートルになり、長さ400メートル、幅20メートルの駐機場も完成した。米国の軍事専門家は、発電所や兵舎の建設が終われば、防空ミサイル、レーダーを配備すると見る〉

そして、コラムは、次は南シナ海上空・防空識別圏(ADIZ)設定に進むことを予想した上で、こう締めくくられている。〈南沙が海と空の長城になれば、東シナ海上空で起きた中国戦闘機の異常接近事件が南シナ海でも起きる。米海兵隊のF18戦闘機が台湾に緊急着陸して備えを始めたという見方もうなずける〉と。

領有が争われているサンゴ礁を含む岩礁を、有無を言わせず埋め立て、軍事拠点化することが、現在の国際社会で現に「通用している」のである。そして、その国に、沖縄県知事が出かけていき、李克強首相と会談してわざわざ「沖縄はかつて琉球王国として、中国をはじめ、アジアとの交流の中で栄えてきた歴史がある」などと、発言していることを私たち日本人はどう捉えればいいのだろうか。

中国の強引な手法は、国際社会からの忠告を無視して大戦へと突き進んでいった、かつてのドイツと日本を彷彿(ほうふつ)させるものである。金子記者のコラムは、そのことへの恐怖をかきたてる実に読み応えのあるものだった。

もう一つの記事は、今朝(4月24日)の各紙が報じている北朝鮮の「核弾頭保有」に関するニュースだ。各紙とも、アメリカのウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙が報じた1本の記事を一斉に紹介している。

それは、〈中国の核専門家が、「北朝鮮は、すでに核弾頭20個を保有している」と推計し、来年までにそれを「倍増するために十分な濃縮ウラン製造能力を備えている可能性がある」との見方を示した〉という衝撃的な内容だ。

ウォールストリート・ジャーナル紙によると、この中国の核専門家の見解が、〈アメリカの核専門家に伝えられた〉とのことで、その数字は、〈アメリカでは最近の研究報告で、北朝鮮が保有する核兵器は推計10~16基とみられており、今回の中国の推計はそれを上回る〉という。

記事では、ジョンズ・ホプキンズ大学の米韓研究所が打ち出した「最悪のシナリオ」では、〈2020年までの保有数が最大100基になる〉としていることも、記されている。

あの北朝鮮が〈核弾頭を保有〉し、それが〈2020年までの保有数が最大100基になる〉可能性があるというのである。日本列島全体をゆうに射程に収めるテポドンを持つ北朝鮮が、ついに「核弾頭の開発」に成功したことを私たちは、どう考えればいいのだろうか。

当コラムでも、北朝鮮による「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」が成功した段階で、日本はその存立にかかわる危機を迎えることを繰り返し、指摘してきた。極めて高度な技術が要求される「起爆装置の開発」が、北朝鮮でどの程度進んでいるかは、記事からは窺い知れない。

しかし、昨日から今日にかけての2つの記事は、戦後、“空想的平和主義”に浸り、平和ボケしてきた私たち日本人に、東アジア情勢に無関心でいてはならないことを冷静に伝えてくれている。

水面下で進む中国による日本の政界やマスコミへの工作を懸念すると共に、中国にモノ申すことをタブーとする“日本に蔓延する風潮”を一刻も早く打破して欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 中国, 北朝鮮

産経新聞「加藤達也・前ソウル支局長」が耐えた8か月

2015.04.15

“筋違い”の上に“理不尽”と“不条理”が重なった目茶苦茶な「8か月」だった。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長の出国停止の措置が解かれ、4月14日夜、ついに加藤氏はソウルから日本に帰国を果たした。

出国禁止措置が繰り返されること実に8回。昨年の11月27日の初公判では、ソウル地裁前に100人ほどの保守系の抗議団体が集まり、加藤氏を乗せた車に生卵が投げつけられるなどの狼藉が加えられた。それは、加藤氏の身の安全が極めて憂慮される「8か月」でもあった。

周知のように、3月4日には、ソウル市内の講演会会場で、リッパート駐韓アメリカ大使が暴漢に切りつけられ、80針もの頬の縫合手術を受けた。

もともと伊藤博文を暗殺したテロリスト「安重根」を国家の英雄に祭り上げている国だけに、ひとたび“渦中の人物”となれば、身の安全をはかるには、細心の注意が必要なのである。それだけに、9か月ぶりに無事帰国した加藤氏の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろしたのは、家族ばかりではなかっただろう。

私は、この8か月間で、韓国はどれほどの国際的信用を失っただろうか、と思う。結局、この問題によって、国際社会で、「ああ、韓国のことだから」「あそこは危ない」「言論の自由をあの国が獲得するのはいつだろう」……そんなことが再認識されることになった。

つまり、韓国は「法治国家」ではなく、「人治国家」であることが、まさに証明されたのである。今回の事件でわかったことは、大きく分けて2点ある。1つは、韓国が「言論の自由」や「表現の自由」といった民主主義国家が共有している「価値観」を持たない国であることが、あらためて明らかになったことだ。

2つめには、韓国に対しては、一寸たりとも「譲歩をしないこと」の大切さを教えてくれた、という点だ。何ひとつ譲歩せず、加藤氏は堂々と自説を唱えつづけた。だからこそ、「出国禁止」を解くという“譲歩”を韓国がおこなったのである。

今回のことは、ジャーナリズムにとって、そして通常の民主主義国家にとって、唖然とすることの連続だった。そもそも特派員というのは、その対象の国の政治・経済・社会状況や世論の動向、あるいは、その国がこれからどこへ進むのかも含め、さまざまな出来事や現象を記事にして、自国の読者に伝えていくのが役目である。

今回の場合、あのセウォル号事故があった当日の朴槿恵大統領の「謎の7時間」について、韓国の有力紙『朝鮮日報』が書いた記事を、加藤前支局長がインターネットのコラムで論評し、伝えたものである。

加藤氏は、噂の「真偽はわからない」ことをきちんと明記した上で、そんな噂が出てくる「背景」をわかりやすくコラムで説明した。それは、あの事故のあと、朴大統領がどういう状況や立場に置かれているかが、よく理解できるものだった。

しかし、韓国の検察は、もとの『朝鮮日報』のコラムも、またその執筆者も、不問に伏したまま加藤前支局長のコラムだけを、インターネットによる「情報通信網法」に基づく名誉毀損として取り上げたのである。

そして、そんな情報通信網法違反という“微罪”で「在宅起訴」し、しかも8か月という長期にわたって「出国禁止」にするという、民主国家では考えられない異常な措置をとったのだ。

これは、立場を「逆」にして考えたらわかりやすい。日本の大手新聞が「安倍首相の謎の7時間」をめぐる噂をコラムとして書いたとしよう。そして、韓国の東京特派員が、そこに書かれている噂と安倍首相が置かれている政治的状況について、「噂の真偽はわからないが」と断った上で、そういう噂が飛び交う背景を踏まえてインターネットで記事(コラム)を書いたとする。

もし、日本の検察が、その韓国人特派員を、もとの日本の大手新聞のコラムと執筆者を全く不問に伏したまま「在宅起訴」し、8か月も「出国禁止」の措置をとったとしたら、いったい韓国の世論は、どんな沸騰を見せるだろうか。そして、日本政府は、どんな糾弾を受けるだろうか。

韓国は、情報通信網法違反という微罪で、まさにそれを「おこなった」のである。加藤氏が受けた理不尽で、不条理で、筋違いな措置とは、それだ。すなわち韓国には、民主主義の根幹である言論や表現の自由というものに対する「敬意」も、さらに言えば、「問題意識」も、まるでなかったのである。

この異常な事件は、ついに国際的な人道問題となり、韓国に拠点を置く外国メディアで構成する「ソウル外信記者クラブ」が、朴大統領宛ての書簡を大統領府(青瓦台)に送り、加藤前支局長の出国禁止措置が長期化している状況に「憂慮を表明」するに至った。

もはや誰の目にも、韓国がとり続けている措置の異常性が明らかになった今、ついに「出国停止措置」は解除せざるを得なくなったのだ。私は、この意味は大きいと思う。それは、加藤前支局長が一寸たりとも譲らず、堂々と自分の立場を主張しつづけたことが生んだものだからだ。

裁判の過程では、噂が「虚偽であった」ことが認定された。しかし、もとより加藤前支局長のコラムの主題は、真偽不明の「噂」が乱れ飛ぶ朴大統領が置かれている「状況」を伝えるものだ。噂の真偽は不明であることをわざわざ断わった上で、書いたコラムなのである。

さらに言えば、ならば『朝鮮日報』のコラムと執筆者は、なぜ不問に伏されるのか、ということが改めてクローズアップされたと言うべきだろう。

韓国には、「道理」というものが存在しないとしか思えない。道理を弁(わきま)えてさえいたら、言論の自由を踏みにじり、外国のジャーナリストを“見せしめ”のように痛めつけるやり方が「選択」されるはずはないからだ。

私は、韓国のこの道理のなさについて、2005年に成立した「反日法(親日反民族行為者財産帰属特別法)」のことを思い出した。日本統治時代に日本に協力した人物が蓄えた財産は、たとえ「代」を越えた子孫であっても「没収」されるということを定めた法律だ。

日韓基本条約で請求権はお互いの国が放棄している。それでも韓国国民は、この「反日法」によって、戦前に日本の協力者であったことと、財産の構築が証明されれば、その子孫の財産は「没収」されることになったのである。「理不尽」「不条理」を通り越して、まさに目茶苦茶である。

加藤前支局長の出国禁止が解かれた理由に、同盟国のアメリカの中で広がった韓国への「不信」も無縁ではない。中国への接近を強める韓国の姿勢に対しても、また民主主義国家とは思えない感情的で、法を無視したやり方にも、「いい加減にしろ」という意見は、アメリカで想像以上に大きくなっている。

そのことに、さすがに青瓦台も気がついたのではないか。アメリカにおける韓国に対する失望と困惑の拡大が、今回の加藤前支局長の出国禁止措置の停止に大きく影響していると思われる。

いずれにせよ、韓国は国際的な信用という点において、はかり知れないダメージを受けた。最後まで毅然とした姿勢を崩すことがなかった加藤前支局長に敬意を表するとともに、今後も歯に衣着せぬ、ますます厳しい青瓦台への論評を期待したい。

カテゴリ: 国際

「高野連」ってナニモノなのか?

2015.04.03

敦賀気比高(福井県敦賀市)が北陸勢初の甲子園制覇を果たした。昨夏は準決勝で、優勝した大阪桐蔭に乱打戦の末に敗れ去ったものの、今大会では優勝候補の筆頭と見られていた通りの「堂々の初優勝」だった。

平沼翔太投手は、2年生だった昨夏も、落ち着いた語り口で、試合後、鋭くその日のピッチングについて振り返ってくれるクレバーな投手だった。北信越勢が大躍進したその昨夏の大会で、「来年は全国制覇か」と思わせてくれるナンバー・ワン投手だったと言える。

今大会では、準決勝で「満塁弾2発」、決勝戦では「決勝2ラン」を放った松本哲幣選手の目を見張る打棒と共に、圧倒的な力を見せつけた。また、あわや「北海道勢の初優勝か」と思わせた東海大四高の大澤志意也投手の緩急をつけた絶妙のピッチングも圧巻で、間違いなく“歴史に残る決勝戦”だったと思う。

しかし、北陸勢初の優勝に湧く福井県では、敦賀市内で選手の祝賀パレードも許されないのだそうだ。地元紙の報道によれば、「日本高野連は過度な祝賀行事の自粛を要請しており、選手が帰郷した2日、河瀬一治市長らが会見で市民に理解を求めた」(福井新聞)のだそうだ。

昭和53(1978)年に福井商業(福井市)が準優勝した際にはパレードがあり、約3万5千人が福井駅から福井市体育館までを埋め尽くし、偉業をたたえたという歴史を踏まえた上で、記事は、こう指摘している。

「日本高野連は“出場校の手引”の中で、▽華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける ▽ファンの熱狂が無統制を招き思わぬ事故を誘発する―と、行きすぎた祝賀行事の自粛を学校に要請。日本学生野球憲章も、学生野球を商業的に利用することを禁じている。このため同校も自粛方針を市民に伝えている」

記事は、さらにこうつづいている。「河瀬市長はこの日の定例会見で『祝賀行事をしないことに市民からおしかりもある。経済も原発停止で冷え切っている中、盛り上げたい気持ちもあるが、学生スポーツであり行事やセールの自粛は仕方ないこと』と理解を求めた」

過度な祝賀行事の自粛って、何だろう。「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」って、それは、どういうことだ。一体、どの口が言っているのか、私は不思議でならない。

なぜなら、それは、高校野球が何で成り立っているか、という根本がわかっていないからである。高校野球がこれほどの人気を誇っているのは、「郷土愛」が大きい。

わが郷土、わが県、わが町の学校を必死で応援し、卒業生も一体となって熱をこめて応援するのは、根本に「郷土愛」があるからである。単にその「高校」だけの「栄光」に終わらないところに、戦前の中等学校優勝野球大会から始まって、これほどの「長い歴史」を有する秘密がある。

オリンピックは、その「郷土愛」が「国」のレベルに引き上げられたもので、高校野球はその基(もと)の「郷土愛」というものなのだろうと思う。

優勝パレードは、甲子園に行くことができなかった応援してくれた人々への感謝をこめた御礼の意味を持つもので、いわばお世話になった人々、応援してくれた人々への「報恩感謝」という「高校野球の根本」に当たるものとも言える。

しかし、それを「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」という「間違った心情」を持つ高野連に、私は呆れる。

40年前の昭和50(1975)年、私は、地元の高知高校が原辰徳を擁する東海大相模を延長の末に倒して初優勝し、高知市での優勝パレードに行った。それは、「高知にこれほどの人がいたのか」というほどの人手だった。「ありがとう! ありがとう!」という感謝の言葉で、通りは埋め尽くされていた。

高校野球は、そこに本質がある。すなわち「ありがとう!」なのである。郷土の名誉のために、母校の名誉のために、そして自分自身のために、死力を尽くして闘う球児たちへの「人々の思い」が、高校野球の長い歴史を支えてきたのである。

その根本を忘れた高野連の「祝賀パレード自粛要請」に、私は溜息しか出てこない。それは、そもそも高野連の歴史そのものが、「高校生を英雄扱いし、スターをつくって人気を煽ってきた」歴史ではなかったのか、ということでもある。

高野連の職員を構成する元新聞社の社員たちが、表面上の「高校生らしさ」を謳い、それでいて、ひたすらヒーローづくりに励んできたのが、高野連の歴史だ。あなた方は、一体なにを勘違いしているのか、と問いたい。

なぜ、それほどまでに高野連は、さまざまな介入をおこなうのか。それは、霞が関の官僚社会と似ている。「介入」、すなわち「規制」は、それをする者にとって、不可欠なものだからだ。

「バスの停留所を移動させるのにも認可が必要だった」という霞が関の有名な「規制」の問題がある。世界に冠たる“官僚統制国家”である日本は、「規制」によって、官僚が自らの権力を維持し、天下り先を確保してきた歴史がある。

そういう規制に対する「許可」をスムーズに受けるためには、官僚の天下りを受け入れることが最も重要だったからだ。やっとこの“官僚統制国家”からの脱却を進める日本で、それと全く同じやり方を続けているのが高野連だ。

数年前まで、日本全国を講演して歩く高野連の理事がいた。さまざまな県が、その理事を「招聘」し、「接待」し、「講演」をしてもらって、最大限に持ち上げて機嫌よく帰ってもらうということを繰り返した。

それは、高野連に「睨まれたくないから」である。「規制」と「介入」というのは、それほど大きい。現に、地元の人が「ありがとう。よく頑張ってくれた!」という声をかけることのできる場は、「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」という実に短絡的で単純な「高野連の論理」によって、福井県では“奪われた”のである。

私は、当ブログで「単純正義」という言葉を使って再々、述べさせてもらっているが、高野連には、新聞メディアが陥っているその「本質に目を向けない」単純正義が漂っているような気がする。言葉を換えれば「偽善」である。

今大会の開会式で、奥島孝康・高野連会長は、かつての「野球害毒論」について触れるスピーチをおこなった。私は、これまで何度もこの野球害毒論について指摘させてもらっているが、これを唱えたのは、ほかならぬ「朝日新聞」である。

明治44(1911)年、朝日新聞は、「野球という遊戯は悪くいえば巾着(きんちゃく)切りの遊戯である」「野球は賤技なり、剛勇の気なし」「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」……等々、新渡戸稲造や乃木希典まで登場させて、全22回にもわたる野球への大ネガティブ・キャンペーンを張った。

朝日新聞のこの野球攻撃は、新聞の間で激しい論争を巻き起こすが、そのわずか4年後の大正4(1915)年に、朝日新聞は一転、全国中等学校優勝野球大会(現在の「全国高等学校野球選手権大会」)を開催し、当時の村山龍平社長が第1回大会で始球式をおこない、その“変わり身の速さ”にライバル社は唖然とさせられた。

今年は、その年から100年目にあたる「高校野球100周年」である。同時に、この事実は、朝日新聞の今に至る「変節の歴史」を示す貴重な1ページとも言える。

新聞販売のために高校野球を利用し、できるだけ話題になるようにヒーローをつくってマスコミに大々的に報道させ、商業的に利用してきた高野連をはじめとする大人たち――「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」などと、見当違いなことを言っている自分自身の胸に、一度、手を当ててみたらいかがだろうか、と思う。

カテゴリ: 野球

なぜ『マッサン』はこれほどの反響を呼んだのか

2015.03.28

本日の放映で、話題を呼んだNHKの朝の連続ドラマ『マッサン』が終了した。毎朝、胸が熱くなるシーンが必ず登場する稀有(けう)な朝ドラだった。私は、このドラマを第1回から最終回まで、すべて観た。

もちろん、長期出張や海外取材で観えない時もあったが、予約した毎回録画で必ず、あとで観るようにした。私は、第1回を観た時、いや、テーマソングの「麦の唄」が流れてきた時に、この番組の成功を確信した。

私は、歌詞を聴きながら、番組が始まる前に、あの時代の人々が辿った苦難の道と毅然とした生きざまを思い浮かべた。戦争で多くの命が失われたこの世代は、まさに歌詞の中に出てくるように「嵐吹く大地」に立ち、「嵐吹く時代」を生きた人々だったからだ。

シンガーソングライターの中島みゆきさんは、短いこの歌詞とメロディーに見事に、そのことを込めていた。その世代の生きざまが、彼らにとっては、気の遠くなるような2014年から2015年という時代に「描かれた」のだ。私は、この「麦の唄」を聴き、第1回を観て以降、連続録画の予約で、すべてを観ることに決めたのである。

「人生はアドベンチャー」という信念で、愛する夫と共に異国で生きることを選んだエリー。毎回、支え合うことの大切さを教えてくれるドラマ展開は、竹鶴政孝とリタというニッカウヰスキー創業者夫妻の実際の物語をもとにしているだけに、圧倒的な説得力と感動があった。

それは、事実を基にしたドラマ、つまり真実の物語であり、言ってみれば、“ノンフィクション・ドラマ”だった。私は、中盤で展開された大阪での物語も、お節介で人情味あふれる関西の人々のエリーとの泣き笑い劇を、毎回、楽しませてもらった。

舞台を北海道・余市に移しても、感動と笑いはつづいた。どんなことがあっても挫けないマッサンとエリーに、視聴者は溜息を吐(つ)きつづけたのではないか。どうして、挫けないのか。なぜ、それでも前進するのか、と。

私は、戦争ノンフィクションをはじめ、明治や大正生まれの人々の姿を数多く描かせてもらっている。今年は、「戦後70周年」ということもあって、そのうち5冊が一挙に文庫化されることになっている。

私がそれらの取材を通じて知っているのは、まさに「どうして、挫けないのか。なぜ、それでも前進するのか」ということだ。当時の日本人は、明らかに今の日本人とは「違う」のである。

特高(特別高等警察)に目をつけられ、スパイ容疑までかけられるエリーと、必死にそれを守り、支えるマッサンと周囲の人々の温かさも、胸に染みる描き方だった。まさに「嵐吹く時代」であり、エリーだけでなく、日本人すべてが苦難の中で、もがきつづけた時代だった。

娘・エマが想いを寄せていた一馬(かずま)が出征し、のちに戦死。その一馬が遺したモルト(原酒)が、戦後、苦境に陥った会社を救うことになる場面もまた、感動の展開だった。

「どんなことがあってもあきらめない」――それこそが、物造りに邁進する者の誇りであり、同時に明治、大正生まれの人々の真骨頂である。その毅然とした生き方を毎朝、ドラマを通じて現代の日本人は「教えてもらった」のではないだろうか。古き、よき日本人とは何か、を。

エリー役を演じたシャーロット・ケイト・フォックスさんが日本語もわからない中で必死に演技する姿は、実在したリタ夫人が経験したさまざまな苦労と重なり、また彼女の独特の魅力もあって、日本中の視聴者の心を捉えた。

ドラマの最後は、エリーが遺したマッサンへの手紙だった。「私の夢はマッサンでした」と始まる手紙は、いかにエリーが夫を愛し、感謝し、心から支えようとしてきたかをわからせてくれるものだった。マッサンは、残された夫を気遣いながら「1日に1度思い出してください。夜、寝る時におやすみと言ってください。私はいつもそばにいます」とつづく、そのエリーの手紙を読む。その時、目からも鼻からも、“涙”が出てくるマッサン役の玉山鉄二さんの迫真の演技に、観る者は釘づけになったのではないだろうか。

玉山さんには、拙著『尾根のかなたに』が原作のWOWOWドラマ(「尾根のかなたに」※芸術祭ドラマ部門優秀賞受賞)にも、かつて出演してもらったことがある。今回の連続ドラマでは、演技派として完全に地歩を固めた玉山さんの一挙手一投足に、本当に目を吸い寄せられた。今後は、玉山さんには「日本」だけでなく、是非「世界」に活躍の場を広げていって欲しいと思う。

私は、テレビもクオリティーの時代を迎えていると思う。民放のドラマは、ここのところ低視聴率に喘いでいる。必死に視聴者に迎合しようとはしているが、それがいとも簡単に跳ね返されることの連続だ。

原因は何だろうか。私は、ドラマも「真実の時代」、そして「クオリティーの時代」を迎えているのではないか、と思う。先日、放送90周年を迎えて『紅白が生まれた日』というドラマがNHKで放映されていた。昭和20年12月31日に、紅白の第一回が放送されるまでの人間ドラマを描いたものである。

実際の話をフィクション化した作品だが、恋人や家族を戦争で失った『リンゴの唄』の並木路子の苦悩をはじめ、真実のストーリーにはやはり説得力があり、感動があった。沈黙の末に並木路子が「きっとどこかで(家族や、最愛の人が)聴いていてくれている……そう願って唄います」と呟いて歌い始める場面が圧巻だった。

また当時のGHQが、あらゆる面に、いかに「指導」という名の介入をおこなっていたかが、目の当たりにできるドラマでもあった。「戦後日本」がどういうかたちでスタートしたのかも、よくわからせてくれる内容だった。

真実とクオリティー――今後の映像が抱えるキーワードは、これなのではないだろうかと思う。そういえば、封切以来、満員をつづけているハリウッド映画『アメリカン・スナイパー』も、原作はイラク戦争に4度も従軍し、160人を狙撃したクリス・カイル兵曹長の自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』を基にしたクリント・イーストウッド監督作品である。

ラストシーンでは、実際のクリス・カイルの葬送の記録映像が流されるという「真実」をもとにしたものだ。アメリカでも、そして日本でも、記録的な興行収入になっているこの映画が観る者の心を捉えるのは、そこに「真実」があるからではないだろうか。

私は、『マッサン』の最終回を観ながら、さまざまなことを考えさせられた。真実とクオリティーの時代、そして毅然と生きた人間の姿――私も、そんな人物や出来事の「真実」をノンフィクション作品として、これからも生み出していきたいと思う。

カテゴリ: テレビ

風評被害との闘いがつづく「震災4周年」

2015.03.11

今日で、震災から4年が経った。昨日も、原発事故に関して都内で講演をさせてもらった。歳月の流れの速さを最近とみに感じる。本日は、4周年に合わせて政府主催の追悼式が千代田区の国立劇場で営まれた。

天皇・皇后両陛下、安倍総理、犠牲者の遺族代表ら約1200人が参列したこの追悼式典で心に残ったのは、遺族代表の菅原彩加さん(19)のスピーチだった。

それは、聴く者の胸を締めつけるものだった。一緒に津波に流された母親から「生きる」ために離れなければならなかった4年前のことを彼女はこう語った。

「釘が刺さり、木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿。右足が挟まって抜けず、一生懸命、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私一人ではどうにもならないほどの重さでした。母のことを助けたいが、このままここにいたら、また流されて死んでしまう。“助けるか”“逃げるか”――私は自分の命を選びました。

いま思い出しても涙が止まらない選択です。最後、その場を離れる時、母に何度も“ありがとう”“大好きだよ”と伝えました。“行かないで”という母を置いてきたことは本当に辛かったし、もっともっと伝えたいことも沢山あったし、これ以上辛いことは、もう一生ないのではないかなと思います」

彩加さんが、静かに、そして淡々とスピーチしただけに、余計、聴くものに哀しみが込み上げてきた。彼女の今後の人生に幸多かれ、と祈らずにはいられなかった。

私はこの4年で、震災関連のノンフィクションを4冊も出させてもらったが、それでも、まだまだ書かなければならないことがあることを痛感した。

今、4年が経って、私の頭を離れないのは、果たして“復興の障害”になっているのは何だろうか、ということだ。

昨年9月、すでに浜通りを走る「国道6号線」も、全線開通となった。福島県の富岡町-双葉町間の通行止め区間およそ14キロの通行規制が解除されたのだ。すなわち、福島第一原発の横を一般車も走行できるようになった。JR常磐線の開通も、やっと視野に入ってきた感がある。

復興自体は、着々と進んでいるのだ。だが、福島には、今ひとつ元気がない。私は先週、福島を訪れたが、その際、福島民友新聞のインタビューを受けた。

その記事が一昨日(3月9日朝刊)に掲載された。私はこの時、福島民友新聞を見て、驚いたことがある。それは毎朝の同紙に、福島各地の定点で測った放射線量が掲載されていたことだ。

さらに毎週日曜日には、世界の主要都市の放射線量も掲載されている。たとえば3月1日(日)に掲載された福島市内の放射線量は0・1~0・2マイクロシーベルト(毎時)で、上海の0・59マイクロシーベルト(同)より圧倒的に少ない数値だ。

さすがに福島第一原発の「立地自治体」であり、「帰還困難区域」でもある大熊町、双葉町などの数値は高いが、福島県内各地の放射線量は、とっくに他の都道府県と同じレベルになっているのである。

私は、福島民友新聞に掲載されている客観的なこれらの数値を見ながら、それでも「復興の障害になっているのは一体、何だろうか」と考えた。

それは、「風評被害」ではないだろうか。つまり、必要以上に放射線の影響が喧伝(けんでん)されている、ということである。

私はそれを踏まえて福島民友新聞のインタビューに「福島の風評被害の払拭(ふっしょく)には、客観的なデータを積み上げることが最も大事だ」と指摘させてもらった。

マスコミは、他県とも変わらない普通の日常をおくっている福島の本当の姿をもっと報じるべきではないだろうか。そして、風評被害に苦しむ福島に「真実」という名のエールを送るべきではないだろうか、と思う。

私は、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』で、福島に生まれ育った男たちによる凄まじい原発事故との闘いを描かせてもらった。生と死をかけて、原子炉建屋に突入を繰り返したプラントエンジニアたちの姿には、心を動かされた。

吉田所長が語った「あのままいけば、チェルブイリ事故の10倍になっていた」という絶望的な状況で、彼らは何をおこなったのか。彼らこそ、4年前、日本の崩壊を止めた人たちである。

つまり、福島が「日本を救った」のだ。私は、そのことを多くの人に知って欲しいと思う。「日本を救った福島」として、誇りと自覚を持つことが大切だと思う。私は、そのことを誰よりも子どもたちに知って欲しい。そして、あなたたちの先輩は、こういうふうにして日本を救ったんですよ、というメッセージを送りたい。

風評被害を脱するためには、それをまき散らす運動家たちの言動に惑わされないことが、まず大切だ。もはや各地点の放射線量も、そして農作物も、とっくに福島は安全基準をクリアしている。

そのことを客観的なデータとして、マスコミには是非、報じて欲しいと思う。昨年12月、私が浜通りの高校生に向けて講演した時、生徒たちから「地元の人たちがこれほどのことをしたということに、心が動かされた」という感想が寄せられた。

なにより大切なのは、「真実を知ること」である。福島には、風評被害と真っ正面から向きあってその“根源”を断ち、一刻も早い真の意味の復興を望みたい。

カテゴリ: 原発, 地震

「共産主義」が淘汰され「民族主義」に至った中国の怖さ

2015.02.25

「1980年代、中国共産党はすでに“破産”していた」――そんなことを言われたら、「えっ、本当か?」と思わず、自分の目をこする向きも少なくないのではないだろうか。しかも、そんな記事を掲げたのが「朝日新聞」だと知ったら、どうだろうか。

今日(2月25日)、朝日新聞朝刊のオピニオン欄(17面)に、興味深いインタビュー記事が掲載された。題して「中華民族復興」。アメリカの文化人類学者、パトリック・ルーカス氏(50)が朝日新聞の取材に応じて語ったものだ。私は、この記事が、さまざまな意味で興味深かった。

朝日新聞がこれを掲載したこと自体がおもしろかったし、1980年代から中国に留学し、長く中華民族の研究をつづけ、国際教育交流協議会・北京センター長も務めるアメリカ人研究者の独特の視点に大いに興味を駆きたてられたのだ。

ルーカス氏の習近平国家主席に対する分析はユニークだ。それによると、習近平はこの20~30年の間で、最も「民族主義的な中国の最高指導者」であり、その理論が「中国は特別である」「中国の需要は他者より大事だ」といった特徴的な2つから「成り立っている」ことだという。

習近平は、「偉大なる中華民族の復興」を唱え、自分たちが歴史上優秀な民族であり、アジアの中心だった元々の地位に戻る、と言いたいのだそうだ。その理論の危険性をルーカス氏は、「愛国主義には健康的な部分もあり、必ずしも他者を傷つけるわけではありません。しかし、民族主義はそもそもが差別意識であり、他者を必要とする。そして往々にしてその他者に害を与えます」と指摘している。

つまり、中国の「民族主義」への警鐘が、このインタビューの核心と言える。ルーカス氏はその上で、「1980年代、中国共産党は“破産”した」と分析している。共産党が呼びかける共産主義のイデオロギーを、誰も信じなくなり、そのために、「共産党は、市民の信任を得るため、何か新たなものを必要とした」というのである。

私が大学時代も含め、毎年のように中国を訪れていたのは、同じ1980年代のことである。抑圧と独裁が特徴だった中国共産党と、それを冷めた目で見つめる人民の姿が、当時の私には印象的だった。人々の物質的な要求を満足させるために「改革開放路線」をとった中国は、当然の帰結として貧富の差が拡大していく。その頃のことをルーカス氏も独特の視点で観察していたようだ。

共産党にとって、貧富の差が拡大することは本来、許されない。厳しい抑圧によってその不満を封じなければ、統治そのものが揺るぎかねなかった。

興味深いのは、ルーカス氏がこの時点で、「共産党は帽子を変え、マスクを変えることにした。共産主義はいわば淘汰され、民族主義が統治に使われ始めたのだ」と分析していることである。

「共産主義の淘汰」と「民族主義による統治」――インタビューは、そこからがおもしろい。ルーカス氏は、1995年前後に始まった当時の江沢民国家主席の愛国主義教育について、「ここで登場したのが“被害者の物語”。これは極めて便利なものだった」としている。そこで「敵」として登場したのが「日本人と、その侵略行為」であり、「民族主義と共に、こうした“記憶”が呼び起こされた」というのである。

ルーカス氏は、毛沢東時代には「中華民族が立ち上がった“勝利者の物語”」だけで十分で、80年代まで、「統治者は“被害者の物語”を必要としなかった」と、指摘している。つまり、改革開放路線による貧富の拡大は、80年代から90年代にかけて“勝利者の物語”だけでは人民を納得させられなくなり、そこに「民族主義」とそれを補強する“被害者の物語”が必要になっていった、というのである。

厄介なのは、今では「民族主義のパワーが大きくなりすぎて、コントロールできない状況」が生じており、そのために「中国政府は対外的に一寸たりとも譲らないといった強硬姿勢」を続けざるを得なくなっていることだ、とルーカス氏は言う。「政治はお互いに譲歩するもの。しかし、外国人に譲歩をすれば、政府も批判を免れなくなっている」と、今の中国の危うさを語るのだ。

私はこのインタビュー記事を読みながら、1985年8月、それまで問題にされたこともなかった「靖国参拝」を人民日報まで“動員”して外交カードに仕立て上げた朝日新聞の報道を思い出した。つまり、「中国の民族主義」を煽った当の朝日新聞が、その民族主義を批判するインタビュー記事を掲げたこと自体が感慨深かった。

インタビューを終えた朝日新聞の中国総局長は、記事の最後に、「隣り合う国の民族主義が互いに刺激し合うことは避けられない。同氏の指摘は、我々日本人もまた、民族主義の“負の連鎖”のなかにあることを気づかせてくれる。東アジアの民族主義の拡大を抑えるにはまず、この自覚こそが求められている」と書いている。

これには、さすがに吹き出してしまった。いかにも「朝日新聞らしい」と言えばそうだが、相手に外交カードを与えて日中の友好関係を破壊し、中国の民族主義台頭を促す大きな役割を果たした自分自身の総括ではなく、こんな“お決まりの結論”が突然、出てきたからだ。

それは、このユニークなインタビュー記事には、あまりに不似合いなものだった。「吉田調書報道」と「慰安婦報道」につづき、「中国報道」でも朝日新聞の“総括”が始まったのか、と思ったのは早計だった。だが、朝日をはじめ、新聞メディアには、タブーを恐れず、多種多様な視点をこれからも、どんどん提示して欲しいと思う。

カテゴリ: 中国

日本は「台湾」を支えることができるのか

2015.02.05

台湾の霧社(南投県仁愛郷)で「桜の植樹祭」を終えたあと、私は台南と高雄で「二二八事件」の取材をおこない、昨夜遅く台北から日本に帰ってきた。

後藤健二さんがISによって殺害されたという痛ましいニュースに接したのは、霧社でのことだった。台湾でもニュースが流れ、衝撃を受けた。同じジャーナリストの一人として、後藤さんに心より哀悼を表したい。

さらに、昨日は、台北の松山空港で、金門島行きの復興(トランスアジア)航空の飛行機が墜落した。ちょうどその時間、私は基隆河にかかる大直橋をタクシーで通っていた。墜落現場は、そこから数キロ東の基隆河であり、おまけに「タクシーが巻き添えになった」と聞き、ひやりとした。

金門島行きの航空便は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)の金門島取材の時にいつも利用していたものだ。乗り慣れた国内便だけに、ニュースを聞きながら、他人事ではない気がした。

さて、霧社の桜の植樹祭は、2月1日に滞りなく終わった。私自身も、桜を1本、植樹した。前夜には、霧社の近くの廬山温泉に集まった参列者たちを前に、短い講演もさせてもらった。「歴史とは“無念”の思いの積み重ねである」という話である。

霧社には、蜂起したセデック族に惨殺された女性や子供を含む約140人の日本人の無念が、今もこもっている。日本軍と警察による合同の鎮圧部隊によって800人を超えるセデック族など原住民が討伐され、彼らの無念も、霧社には漂っている気がした。

1930(昭和5)年の事件以来、すでに85年が経過した。霧社ほど、その歳月の経過を感じさせてくれる地も珍しいだろう。その間に、山岳地帯にあるこの霧社が、大きな「変化」を遂げたからだ。

日本の敗戦で入ってきた国民党によって、事件の首謀者モーナ・ルダオは、一転、「抗日英雄」となった。霧社の中心部には、抗日英雄紀念公園があり、そこには、モーナ・ルダオを讃える「紀念碑」と「像」と「墓」があった。

一方、日本人犠牲者の殉難碑は、長い年月の間に完全に“消されて”いた。かつて日本人殉難碑の下には、日本人犠牲者の遺骨が眠っていた。殉難碑そのものが「墓地」でもあったのだ。

その日本人殉難碑は、やがて壊され、その上に今は白い建物が建っている。案内してくれた地元の人によれば、「殉難碑が壊された後、掘り返したら大量の骨が出てきた。それを埋め直して、上に建物をつくったのだ」と説明してくれた。

無惨というほかない。セデック族の蜂起によって、小学校の運動会の場で、集まった日本人は女子供の区別なく首を狩られた。そして、その遺体は一か所に集められ、葬られたのである。

しかし、1945(昭和20)年、戦争に負けた日本は台湾を去った。すると、前述のようにセデック族の頭目モーナ・ルダオが「抗日英雄」とされ、逆に日本人犠牲者の墓が「消された」のだ。私たちが植えた桜が満開の花を咲かせる時、無残に消された日本人犠牲者の遺骨は、それをどう眺めるのだろうか。

私は、そんな思いを抱きながら、霧社から下りた。そのまま私は、台南に向かった。台南で、1947年(昭和22)年に起こった「二二八事件」のある犠牲者のことを取材するためである。

そこには、日本人として死んだ、たった一人の「二二八事件」の犠牲者がいる。私は、その一家の5代にわたる日本への思いと絆を描きたいと思っている。

国民党独裁政権の下で、戦後の台湾人は、「価値観」も、「アイデンティティ」も、また「言語」さえも、完全に“分断”された。そして「留日」と呼ばれた日本で学んだ台湾人エリートたちは、徹底した弾圧を受けた。

今も拭えない「外省人」と「本省人」の深い溝は、そこに起因する。それでも、必死で生きようとする台湾人は、代を越えて、やっと自分たちの「価値観」と「アイデンティティ」を確立しようとしている。

しかし、それは同時に「中国との距離」が開くことを表わしている。外省人を支持基盤にする国民党が急速に中国共産党と接近をはかり、それを台湾人が阻止しようとする図式は、今後も続くだろう。

その意味で、来年の総統選は、今まで以上の激戦となり、さらに言えば、「台湾の運命」を決するものになるに違いない。

いま台湾は、観光地という観光地が中国人によって占められている。その光景が示すように、経済的に台湾は中国への依存度を年を追うことに強めている。もし、民進党候補者が総統になれば、たちまち中国は露骨な干渉に出てくるだろう。

台湾への観光客をストップさせるのか、あるいは台湾からの商品について関税をいじるのか。中国が台湾に嫌がらせをする手段はいくらでもある。中国が仕掛けてくる、そんな経済戦争に、いったい台湾はどう立ち向かうのだろうか。

その時、ポイントになるのは、「日本」である。すなわち日本が台湾にどう手を差し伸べ、どう根底から支えるのか。

安全保障上も、お互いが最も重要な地位にあることを、口にこそ出さないものの、お互いがよくわかっている。覚悟と友情を持って、日本は台湾を支えるべきだと、私は思う。

日本と台湾との“絆”を表わす、ある一家の「5代」にわたる日本への思い――「二二八事件」で無惨な最期を遂げた人物を軸に、ある「一家」の物語を、いつかノンフィクション作品として完成させたい。そんな思いが離れることがなかった台湾の旅だった。

カテゴリ: 台湾, 歴史

「日本」と「台湾」の切っても切れない縁

2015.01.31

いま台北にいる。明日(日付が変わったので本日)は、台中を経由して霧社(現在の南投県仁愛郷)に行く。1930(昭和5)年に「霧社事件」が起こった地である。事件から85年という気の遠くなるような歳月が経過したが、この地で2月1日に桜の植樹祭がおこなわれるため、私は、それに出席するためにはるばるやって来た。

霧社事件といえば、映画『セデック・バレ』でご存じの方もいるだろう。原住民のセデック族の頭目モーナ・ルダオが日本の支配に反発して蜂起し、激しい戦いの末に敗れ去った。

蜂起は、霧社の小学校の運動会の時におこなわれ、およそ140人もの日本人が殺害された。日本人が首を狩られる壮絶なシーンは、映画『セデック・バレ』を観た方には、強烈な印象が残っているに違いない。それだけに、私は恩讐を越えて、この植樹祭にこぎつけた方々に心からの敬意を表したい。

日清戦争で1895(明治28)年に日本が清朝から割譲を受けた台湾は、その後、激動の現代史を生きてきた。50年間にわたる日本の統治と、日本の敗戦による、その後の外省人による国民党統治の時代である。

戦後の台湾は、戒厳令下で自由に物を言うこともできなかった国民党時代と、1987年の「戒厳令」解除以後の李登輝時代、そして、その後の国民党と民進党との激しい闘いの時期に分けられる。

昨年の“ひまわり運動”で国民党政府を譲歩させた学生たちの立法院占拠事件は、7か月後の統一地方選の民進党圧勝の土台となった。来年に迫った総統選も、おそらく民進党が勝利するのではないか、と予想されている。

なぜ、香港の学生運動が敗れ、台湾では勝利したのか。そこには、中国と台湾の人権意識と言論の自由をめぐる、はかり知れない「差」が存在する。台湾の本省人たちが日本に好意を寄せる一方で、中国を毛嫌いする理由も、「人権」と「自由」に起因していることは疑いない。

今晩は、台北に在住する日本の新聞やテレビの支局長、ジャーナリスト、ビジネスマン、女性教師……等々といった多彩な方々が歓迎会を催してくれた。また、故司馬遼太郎に“老台北(ラオタイペイ)”と呼ばれた蔡焜燦先生も病を押して、わざわざ顔を見せてくれた。

ベストセラー『台湾人と日本精神』の著者である蔡先生は、この1月、満88歳になられた。台湾のなかでも、真の意味での「親日派(ご本人の言によれば“愛日派”)」といえるだろう。「最近、台湾には日本を懐かしんでやまない“懐日派”も出て来ていますよ」と、蔡先生の日本への変わらぬ厚情を聞かせてもらった。

中国が台湾の動向に神経を尖らせるのも、いつまで経っても、台湾のなかで親日派が圧倒的な数を誇っているからである。来年の総統選で民進党政権が発足すれば、親日勢力がさらに力を増し、ここのところ進んでいた「中台接近」へのブレーキもかかるだろう。

それを阻止するためには、中国は総統選で、なんとしても国民党に勝利してもらわなければならないのである。今、経済力で台湾をがんじがらめにしている中国は、国民党を支援するために、今後1年、露骨な経済攻勢をかけてくるに違いない。

台湾は、日本列島から沖縄、台湾、フィリピン、インドネシア……という中国が定めた「第一列島線」のど真ん中に位置する。逆にいえば、私たち日本人にとって、台湾は安全保障上も、極めて重要な位置にあり、いわば日本の生命線ともいえる“国家”なのである。

折しも、日本では、映画『KANO』が封切られている。台湾の嘉義農林が霧社事件翌年の1931(昭和6)年に夏の甲子園で準優勝を遂げる実話を描いた映画だ。

台湾人、原住民、そして日本人の「3者」で構成された同校野球部が、憧れの甲子園で準優勝を遂げるまで勝ち続けたのは、奇跡というほかない。そして、それが霧社事件の翌年であったことに、「歴史」と「運命」の不思議さを感じざるを得ない。

台湾の人々の日本への熱い思いに感謝し、日本人も台湾の「現状」と「今後」に、いま以上に関心を持たなければならないと思う。そして、彼らが必死で守ろうとしている「自由」と「民主主義」のために、できるだけの協力をしていきたいと思う。

だからこそ、2月1日に開かれる霧社での日本と台湾の原住民との恩讐を越えたイベントの意義は大きい。私も、日本と台湾の“永遠の友好”に思いを馳せながら、心してこのイベントに参加したい。

カテゴリ: 台湾

「信頼される新聞」と朝日新聞の社説

2015.01.24

昨日(1月23日)は、朝日新聞の「誤報」問題をテーマにして「信頼される新聞とは」と題されたシンポジウム(於:毎日ホール)にパネラーとして参加した。パネラーは、ジャーナリストの池上彰さん、朝日新聞で慰安婦検証作業に携わった武田肇・朝日新聞大阪社会部記者、そして私の3人である。

シンポジウムは1977年に毎日新聞社が編集綱領を制定したのを記念し、毎日労組が87年から毎年開いているものだ。池上さんとも、武田記者とも、初めてお会いする私にとっては、どういうシンポジウムになるのか、パネラーでありながら、同時に興味津々でもあった。

私にこのシンポジウムの声がかかったのは、「吉田調書」報道をめぐって朝日新聞の誤報を指摘した当事者だったからだろうが、それと共に新聞メディアに対して“批判的”な立場として招かれたのではないかと想像する。

しかし、私は、日本にとって新聞は「なくてはならない存在」だと思っており、朝日新聞に対しても、それだからこそ、常日頃、厳しい論評をさせてもらっている。

シンポジウムは、2時間だったので、話し尽くすことはもちろんできなかった。しかし、プロ中のプロである池上彰さんが真ん中に座ってリードしてくれたので、聴衆はそれなりに面白かったのではないか、と思う。

私は、朝日新聞に対して日頃、「日本を貶めることを目的としているのか」と問いかけ、論評している。武田記者は言うまでもなく、私のその論評に批判的だった。

池上さんも「新聞社に日本を貶める目的で入ってくる人はいない」と発言していた。その通りだと思う。いや、今でも「自分は日本を貶めるためにやっている」などと思っている朝日新聞記者も、ほとんどいないだろう。

しかし逆に、私は、だからこそ「罪が深い」と思う。私には、朝日新聞の内部に友人が多い。彼らの特徴は、自分たちは「権力の監視」をおこなっている、という自負を持っていることにある。話の端々にそれを感じるが、「権力の監視」はジャーナリズムの大きな役割なので、当然だろう、と思う。

しかし、あの細川政権の時、あるいは、民主党政権の時に、果たして朝日新聞は本当に「権力の監視」をしていたのだろうか。私には、政権とべったりになった朝日新聞の露骨な姿しか思い浮かばないが、この際、そのことは措(お)いておこう。

やはり、武田記者もシンポジウムで「権力の監視」や、「歴史の負の部分を見つめること」の大切さについて、発言していた。私は「それを真の意味でおこなうなら」まったく異論がない。だが、「事実を曲げてまで」という言葉をその頭につけるとどうだろうか。

もし、それが「事実を曲げてもいいから“権力の監視”をおこなう」、あるいは、「事実を曲げてまで“歴史の負の部分を見つめる”」というものだったとしたら、私は日本人の一人として、それは絶対にやめて欲しいと思う。

慰安婦問題をここまで大きな国際問題にしたのは、言うまでもなく朝日新聞だ。世界中が貧困だったあの時代、さまざまな事情で、身を売らなければならなかった女性や、親に売られていった女性など、春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるをえなかった薄幸な女性たちは数多くいた。

しかし、朝日新聞は、慰安婦となった彼女たちのことを「日本軍や日本の官憲によって強制連行されてきた“被害者”」として報道し、まったく異なる大問題としてきたのである。

不幸にも身を売らなければならなかった女性たちがいたことと、いやがる婦女子を無理やり国家が戦場に強制連行することは、まったく違う。後者こそが、朝日新聞によってつくり上げられた「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」であり、いま国際的に日本が浴びている、いわれなき非難の根源でもある。

昨年6月に、韓国政府を訴えた洋公主(ヤンコンジュ)と呼ばれた米兵相手の朝鮮人女性たちも、その貧困の時代の薄幸な女性たちだ。朝鮮戦争時にアメリカ軍の兵士たちに身を売る商売についた彼女たちは、当時の韓国軍に「第五種補給品」と呼ばれ、なかにはドラム缶に詰め込まれて前線に運ばれた人もいた。

歴史家の秦郁彦氏による『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)には、各国の慰安婦の有様が詳細に記述されている。女性の人権問題として、また「戦場の性」の問題として大いに議論していけばいいと思う。

しかし、朝日新聞が報じ、これほどの国際問題にしてきたのは、前述のように「日本軍と日本の官憲が、朝鮮の女性たちを戦場に連行して、兵士たちとの性交渉を強いた」という「虚偽」なのだ。ここを絶対に忘れてはならない。

朝日新聞が言うように「歴史の負の部分を見つめること」は重要だ。しかし、それが「事実でないことをデッチ上げ」、「先人を貶めること」であることは許されない。そして、朝日新聞は、昨年12月22日に、第三者委員会がこの問題を検証し、報告書まで提出したのである。

その報告書には、「論理のすりかえ」や「レッテル張り」、あるいは「他者の言説への歪曲」など、朝日新聞がこれまで使ってきた手法に対して、厳しい指弾が成されていた。

しかし、一昨日(1月22日付)の朝日新聞の社説には驚かされた。いったい、あの第三者委員会の報告書は何だったんだろう、と思わざるを得ないものだった。

それは、〈「慰安婦」記述 事実をなぜ削るのか〉と題して、教科書会社の数研出版が、高校の公民科の教科書3点から「従軍慰安婦」の言葉を削除することを取り上げたものだ。

私は、どんな論理展開をするのか興味があったので読んでみた。朝日が「従軍慰安婦」が教科書から削られることに大いに不満であることはタイトルからもわかった。しかし、読みすすめる内に、これは第三者委員会で指摘された「論理のすりかえ」そのものの社説であることがわかった。以下は一部抜粋である。

〈朝日新聞は、慰安婦にするため女性を暴力的に無理やり連れ出したとする故吉田清治氏の証言記事を取り消した。同会(※門田注:「新しい歴史教科書をつくる会」のこと)はそれを挙げ「『慰安婦問題』は問題として消滅した」と主張する。だがそういった極端な主張は、日本が人権を軽視しているという国際社会の見方を生む。
 慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が二度と起きないようにしなければならない。論争のあるテーマだが、避けて通るべきではない。議論の背景や論点など多様な視点を示す必要がある。教科書はそのためのものであってほしい〉

ここで記述されているように、「新しい歴史教科書をつくる会」が本当に「『慰安婦問題』は問題として消滅した」というのなら、それは朝日が長年、主張してきた「強制連行問題に決着がついた」ということだろう。

朝日新聞がつくり上げた「慰安婦の強制連行」、すなわちこの問題の本質が「消えた」以上、そう表現するのはおかしくない。しかし、この社説は、それを、慰安婦問題そのものを「消そう」としている「悪い奴がいる」と読者に思わせている。そして、慰安婦問題という「日本にとって負の歴史」から目をそらしてはいけない、と自分たちを正義の立場に置き、さらにその上で、教科書からこれを削るな、と主張しているのである。

第三者員会が指摘した「自らの主張のために、他社の言説を歪曲ないし貶める傾向」や「論理のすりかえ」の手法が巧みに用いられていることにお気づきになるだろうか。

私は、「ああ、朝日は何も変わらないなあ」と思う。少なくとも年明け以降の社説を読むかぎり、昨年暮れの第三者委員会の指摘は、朝日の論調や手法に何の変化ももたらしていない。

昨日のシンポジウムでは、パネラーの武田記者の真面目で前向きな姿勢に、私は、朝日新聞の将来に若干の希望を持たせてもらった。だが、実際の社説とその論調を読むかぎり、朝日が「信頼される新聞」になる道のりは、極めて険しいと思わざるを得ないのである。

カテゴリ: マスコミ

2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する

2014.12.31

いよいよ激動の2014年が終わる。私にとっては、新聞とは何か、新聞記者とは何か、を考えさせてくれる「1年」でもあった。来たる2015年はどんな年になるのか、今年の出来事から考えてみたい。

ふり返ると、2014年は、私は年明けから徹夜の連続だった。過酷な現実や歴史の真実と向き合い、必死でそれを切り取ろうと取材する新聞記者の姿を描くノンフィクション作品のためだ。それは、角川書店から3月に発売した『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞』である。

私は、この作品で、福島県の地方紙・福島民友新聞を取り上げさせてもらった。同紙は、津波で一人の若手記者を失い、さらに停電とそれに伴うトラブルで新聞発行の危機にも陥った。凄まじい葛藤と闘いの真実は、「新聞」と「新聞記者」というものが何であるか、を私に教えてくれるものだった。

その命を落とした若い記者は、2011年3月11日、福島県南相馬市で津波の最前線で取材していた時、自分の命と引きかえに地元の人間の命を救った。大津波に呑まれて死んだその記者の行動と姿は、同僚に大きな衝撃を与えた。

それは、ほかの記者たちも津波を撮るべく海に向かい、そして、同じように命の危機に陥っていたからだ。なかには目の前で津波に呑まれる人を救うことができなかった記者もいた。

なぜ自分が生き残って、あいつが死んだんだ――。一人の記者の「死」は、生き残った同僚たちに大きな哀しみと傷痕を残した。それは、「命」というものを深く考えさせ、その意味を問い直す重い課題をそれぞれに突きつけた。私は、そのことを当事者たちに長時間かけて話してもらった。

その中で、新聞記者の役割と使命の重さを感じ、それをノンフィクションとして描かせてもらったのである。同時に「紙齢(しれい)」を途切らせてはならないという新聞人たちの強烈な思いも知った。

「紙齢」とは、創刊以来つづくその新聞の通算発行部数のことだ。これが、「途切れる」、すなわち、「紙齢を欠く」ことは新聞にとって「死」を意味する。

創刊100年を超える歴史を持つ福島民友新聞は、この時、記者を喪っただけでなく、激震とその後の電気系統のトラブルで、新聞が発行できない崖っ淵に立たされた。ぎりぎりの状況で、凄まじい新聞人たちの闘いが展開されたことに私は圧倒された。

福島民友新聞で繰り広げられた出来事によって、新聞と新聞記者の存在意義を描かせてもらった私は、5月以降、今度は、別の新聞とまったく異なる闘いを余儀なくされることになる。

朝日新聞である。同紙は、故吉田昌郎・福島第一原発元所長が政府事故調の聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」を独占入手したとして、今年5月20日、「2011年3月15日朝、所員の9割が吉田所長の命令に違反して福島第二(2F)に撤退した」という大報道をおこなった。

総務・人事・広報など女性所員を含む700名あまりが詰めていた免震重要棟から、所長命令に「従って」2Fへ退避した所員たちが、「命令違反」と真逆に書かれていることに私は仰天した。

なぜなら、私は、吉田氏本人や90名ほどの現場の人間たちに取材し、実名であの土壇場での闘いを『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)に描いている。朝日が書いた場面は、拙著のメインとなる、まさにそのヤマ場である。

詳細な実名証言による拙著の記述を、朝日新聞は全面否定してきたことになる。私は、まずブログで朝日新聞の記事は「誤報である」と指摘し、以後、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……と、あらゆる媒体で「なぜ誤報なのか」という指摘をさせてもらった。

論評をおこなう私に対して、朝日新聞は、「謝罪と訂正記事の掲載」を要求し、それをしない場合は、「法的措置を検討する」という脅しの抗議書を送ってきた。

しかし、8月に入って、産経新聞、読売新聞、共同通信が相次いで「吉田調書」を入手し、朝日新聞の報道を全面否定した。そして、9月11日に前代未聞の記事の撤回・謝罪、編集幹部の更迭、社長の辞任が発表された。

朝日新聞社内に置かれている「報道と人権委員会(PRC)」は11月に見解を出した。それは、全編、驚きの連続だった。特に、「吉田調書」そのものを担当の記者以外、上司は誰も読んでおらず、編集幹部がこれを読んだのが、政府が吉田調書の公開を決定した「8月21日」だったことに絶句した。

朝日新聞は、肝心の吉田調書すら読まずに、言論弾圧の抗議書を私に送りつけていたのである。それだけではない。朝日新聞は、取材対象者が700人以上もいたにもかかわらず、「たった一人」の現場の人間も取材もしていなかった。

私は、同じジャーナリズムの世界にいる人間として、唖然とした。福島民友新聞の記者たちが命をかけて「真実」を切り取ろうとしたことを描いたノンフィクション作品を上梓した私にとって、それは驚き以外のなにものでもなかった。あまりにお粗末なその実態と経緯は、ブログや拙著『吉田調書を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP)で書かせてもらったので、詳細はそちらでお読みいただきたい。

私は、暮れが近くなって(12月22日)発表された朝日新聞の第三者委員会の「従軍慰安婦問題」に関する報告書の中で、ある部分に目が吸い寄せられた。

それは、外交評論家でもある岡本行夫・第三者委員会委員の見解が記された箇所である。そこには、こんなことが書かれていた。

〈新しい方向へレールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々ならぬものがある。

 当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。

 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。
 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。

 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。朝日新聞社への入社は難関だ。エリートである社員は独善的とならないか。「物事の価値と意味は自分が決める」という思いが強すぎないか。

 ここでは控えるが、ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない〉(一部略)。

岡本氏の見解に私は同意する。新聞社は運動体ではない――当たり前のことであり、読者も同じ思いだろう。日本は思想、信条も、すべてが許され、そして表現の自由も保証された社会である。反原発活動でも、反日運動でも、好きなだけやればいい。

大いに自分の信じる活動に邁進すればいいのである。ただし、それは新聞記者を「やめてから」の話であろうと思う。

新聞記者が客観情報をねじ曲げてまで「自分の主義や主張を押し通すこと」は許されない。それは、驕り以外のなにものでもない。

私は今回の朝日誤報事件が、“新聞離れ”を進めるのではないか、と危惧している。たしかに「運動体」と化し、「角度をつける」ような新聞に国民が愛想を尽かすのは無理もないだろう。

しかし、本来の新聞は、そんなものでもないし、日本にあるのは朝日新聞のような新聞社だけではない。私は、新聞の役割は、「気づき」にあると思っている。毎朝毎朝、さまざまな客観情報を提供し、各界の知識人が、独自の論評を掲載し、“へぇー”と心底、唸らせてくれる新聞もある。

「こういう見方もあるのか」「そういう事実があったのか」と、それまで気づかなかったことを教えてくれる貴重な存在が「新聞」なのだ。

決して、新聞は「同じ」ではない。それぞれに“生きている記事”を掲載しているところは多い。新聞を取るのを「やめる」のではなく、「代えて」みて欲しい。そして“気づき”の役割を果たしている本当の新聞に、もう一度、チャンスを与えてあげて欲しいと思う。

2015年。それは、将来、生き残る新聞と消えていく新聞が“二極化”していく年になるのではないだろうか。2014年の最後の日に、私はそんなことを考えさせてもらった。

カテゴリ: マスコミ

衆院選は「DR戦争」に突入した

2014.12.02

いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。

しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“realist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。

今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。

他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。

いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。

その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。

しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。

マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。

しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。

だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。

その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。

彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。

その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。

中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。

私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。

すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。

11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。

朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。

もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。

集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「realist(現実主義者)」との対立でもある。

左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。

それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。

カテゴリ: 中国, 政治

やはり「本質」に踏み込まなかった朝日新聞「第三者委員会」

2014.11.13

朝日新聞の「吉田調書」誤報事件に対する第三者委員会の「検証結果」が明らかにされた。題して〈「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解〉。全21ページにわたる報告書である。

私は、さまざまな感慨を持ちながら読ませてもらった。第三者委員会の3人の委員には申し訳ないが、それは「まったく“本質”に踏み込めていない」ものだった。しかし、致し方ない、と私は思う。

報告書を書くにあたり、委員たちは「26人」から聴取をおこない、「37人」から報告書の提出を受けたそうだ。計63人に対する調査結果である。冒頭にそう書いてあるので、私は少しだけ期待しながら読んだ。

しかし、読みすすめる内に、すべて予想通りの「提言」であり、まるで「予定調和」そのものであることがわかった。なぜなら、第三者委員会はこの事件の「本質」には絶対に「触れて」はならず、もし、そのことを指摘でもしたら、「朝日新聞は解体しなさい」という提言にしかならなかっただろうからだ。

これまでも書いてきた通り、第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業が、世間の非難をかわすために設置されるものだ。いわば批判を少しでもやわらげ、国民の“ガス抜き”をするための委員会である。

そのためには、ある程度きびしい意見を出してもらう必要がある。それに“真摯に”反省する態度を示して、「2度とこんなことは繰り返しません」と宣言し、「再出発」をするための“道具”が第三者委員会なのだ。

すなわち、設置された時点で、シナリオと着地点は決まっている。私は、言論機関である新聞社が「第三者委員会」を立ち上げた時点で、「着地点」が想像できたが、今回の報告書を読んで、これで「果たして幕引きができるのか」と思った。

本日、私は、『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所)を出版した。その発売に合わせるかのように、第三者委員会の結論が出たことに、私は驚いた。

拙著で指摘したのは、「朝日新聞は自らの主張やイデオロギーに沿って事実をねじ曲げる」ということだ。報告書の中には、マスコミの常識では考えられない内部の出来事が書かれている。たとえば、あの「命令違反による撤退」報道がおこなわれた時、編集幹部は、「秘匿性が高い」ことを理由に担当記者にこの吉田調書を読ませてもらえなかったそうだ。

また、当該記事の締切の時に、記事自体への疑問点が大阪編集局をはじめ、さまざまなところから寄せられたが、それらはすべて無視されたという。

上司にすら肝心の吉田調書を見せず、他の記者にも一切、見せないまま、あの記事は書かれ、私からの「これは誤報である」との指摘があっても、それでも上司が吉田調書そのものを「見なかった」というのである。

この編集局の恐るべき実態には、開いた口が塞がらない。何度も書いてきたので繰り返さないが、当該の記事は「命令違反による撤退」という構成要件が成り立っていないお粗末なものだ。つまり、吉田調書を見なくても、「誤報であること」がわかるものだった。

それでも、吉田調書を持って来させて「確認」すらせず、「誤報である」との指摘をしてきたジャーナリストに対して「法的措置を検討する」という抗議書を送りつけてきた「体質」を、国民はどう考えるべきなのか。

そこには、驕りと独善によって目が眩んだ朝日新聞の真実の姿がある。自分たちで吉田調書を検証もしないまま、私の論評に対して「黙れ。お白洲に引っ張り出すぞ」という抗議書を送りつけて来たのは、もはや、朝日新聞は「言論機関には値しない」ことを示している。

従軍慰安婦の「強制連行」報道と同じく、朝日の体質とは、自らの主張やイデオロギーに都合のよい事実を引っ張って来て、それをつなぎ合わせて「真実とはかけ離れた報道」をすることにある。

私は長くつづいてきたこのやり方を「朝日的手法」と呼んできた。つまり、自らの主張やイデオロギーに沿った記事なら、朝日には「真実などどうでもいい」のである。つまり、その手の記事には「チェックなど必要ない」のだ。

私は、朝日新聞とは、「言論機関」ではなく、ある政治的目的を実現させるための「プロパガンダ機関」なのだと思う。従軍慰安婦のありもしない「強制連行」を「日本人を貶めるため」には、チェックもしないまま記事として掲げて、世界中に流布させたことでもわかる。そして、今回は、「反原発」「再稼働反対」という方針に基づく記事なら、「吉田調書」の真実など、簡単に捻じ曲げてしまったのである。

報告書は、「報道内容に重大な誤りがあり、公正で正確な報道姿勢に欠ける点があった。記事の取り消しは妥当だった」と書いている。しかし、外部の委員なら、この長くつづいてきた「朝日の体質」こそ指摘するべきであって、報告書に書いてあるような部下を「過度に信頼したこと」が誤報の原因などと、するべきではないはずである。あまりに事前の想像通りの「予定調和」のような報告書を読み、私は、ただただ溜息を吐(つ)いている。

カテゴリ: マスコミ

尖閣の“致命的譲歩”と日中首脳会談

2014.11.08

中国の“力の戦略”に、ついに日本は屈した。APEC(アジア太平洋経済協力会議)を前にして日中両政府が11月7日に発表した文書について、私は、「ああ、日本はやってはいけないことをしてしまった」と思った。

第一報を聞いた時、正直、耳を疑った。それが、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで「一致した」というものだったからだ。

中国問題に多少でも関心がある人間なら、「まさか」と誰しもが思ったに違いない。日本政府は、これまで一貫して尖閣について、「日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場をとっていたからだ。

今回、日中両国が4項目で合意した文面の中で問題の部分(第3項目)を読んでみると、「双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域で近年緊張状態が生じていることに異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで、意見の一致を見た」というものである。

日本側から見れば、至極当然の文言で、なんら目くじらを立てるものではないように思える。だが、私には、冒頭のように「ああ、してやられた」としか思えなかった。たしかにこの文章では、尖閣諸島など東シナ海の海域において「“領土問題”が存在する」とは言っていない。

しかし、あの中国共産党相手に、これはいかにもまずい。今後、中国は、この文言をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出すだろう。

中国の論理では、日本が「異なる見解」を有していることを「認識」したというのは、すなわち「領有権を中国が主張していること」を日本側が認めたことになる。今後、日本側からいくら「領土問題は存在しない」と言っても、中国側から言えば、「おまえは“異なる意見”があることを認識していたではないか」となるからだ。

さらに問題なのは、後段の「対話と協議を通じて、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態を回避する」という見解である。これは、尖閣に対して延々とおこなってきた中国による“示威行動”がついに功を奏したことを意味している。なぜなら、「不測の事態を回避する」というところまで「日本を“譲歩”させた」ことになるからだ。

中国にとって、これで尖閣問題は、フィリピンやベトナムが頭を悩ませる西沙(パラセル)諸島や南沙(スプラトリー)諸島と、同じレベルの問題まで「引き上げること」に成功したと言える。

言うまでもなく中国にとっては、「自国が領有権を主張している」海域に公船を派遣しようが、民間の漁船が出向いていこうが、「日本とは“見解が異なる”のだから当然」ということになる。

なんでも都合よく解釈して、あとは“力攻め”で来る中国共産党にとっては、願ってもない「成果を得た」ことになる。本日、外国記者たちとの会見に出てきた王毅外相の抑えようのない「笑み」がすべて物語っている。

私が疑問に思ったのは、日本は、「前提条件なしの首脳会談」を求めていたはずなのに、なぜこんな譲歩をしてしまったのか、ということだ。そして、日本はこれで「何を得たのか」ということである。

中国の首脳とそこまでして「会談しなければならない」理由はいったい何なのか。APECのホスト国である中国で、なぜ、日本は首脳会談を実現しなければならなかったのだろうか。

日本は、「会話の扉はいつでも開かれている」という立場をただ堅持していればよかったはずだ。「前提条件なしの首脳会談」がだめというのなら、つまり、向こうが会いたくなければ、「会わなければいい」し、これまで当ブログで何度も書いてきたように、冷静さを堅持し、毅然として中国と「距離を置くべきだった」のである。

独善と傲慢な国家運営によって周辺諸国と摩擦を繰り返している習近平政権に、なぜ日本は擦り寄らなければならなかったのだろうか。レームダック状態に陥ったオバマ政権がいくら日中の首脳会談と摩擦の緩和を望んでいようと、日本がそれに乗る必要はなかったはずである。中国との「真の友好」を目指すなら、今はむしろ「距離を置くこと」の方が大切だからだ。

報道によれば、8日付の環球時報(中国共産党機関紙の「人民日報」系)は、さっそく4項目の合意文書について、「安倍首相の靖国参拝を束縛」することができ、さらに(釣魚島の)主権に関して、これまで“争いは存在しない”と公言していた日本が、「危機管理メカニズム構築に関して中国と協議したいと望んでおり、これは釣魚島海域で“新たな現実”が形成されたと宣告したのと同じだ」と、勝利宣言ともとれる記事を掲載した。

私は、この報道の通りだと思う。中国にとって、それは「歴史的な勝利」を意味しており、その“新たな現実”なるものによって、尖閣周辺の“力による示威行動”は今後、増えることはあっても、減ることはないだろうと思う。

つまり、「何年後かの日本」は、尖閣をめぐってより危機的な状況に陥るだろうということだ。絶対に譲歩してはならない国に対して、なんの益もない「日中首脳会談実現」のために、日本は致命的な失策を犯してしまったのである。

カテゴリ: 中国, 政治

朝日誤報事件「故郷土佐」で訴えたこと

2014.10.27

一昨日、昨日(土・日)に、2日続けての講演で故郷・高知に帰ってきた。25日は、昭和19年10月25日に戦局挽回のために特攻が始まって70年目の記念日だった。その日に合わせて、「特攻、その真実」というテーマで、故郷で講演をさせてもらった。

ちょうど今月、戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』(角川書店)を出したばかりでもあり、故郷での講演ということで、ふたつ返事で引き受けさせてもらった。

特攻第1号といえば、関行男大尉が率いた「敷島隊」が広く知られている。しかし、この定説には異論が存在する。というのも、敷島隊は10月21日の初出撃で敵艦隊を発見できず、23日、24日の出撃を合わせて、計3度も引き返している。

やっと10月25日の「4度目」の出撃によって敵艦隊と遭遇することに成功。250㌔爆弾を抱いて体当たりを敢行し、空母一隻撃沈、さらに一隻が火災停止、軽巡洋艦一隻も轟沈という大戦果を挙げたと伝えられる。だが、その時、実は時間的には、敷島隊ではなく「菊水隊」の方が先に敵に特攻を敢行していたのではないか、という説が存在する。

海軍兵学校出の関大尉を“第一号”にしたかった海軍上層部の意向があり、菊水隊は記録上、特攻“第一号”とはなっていない。しかし、どこが第一号なのかというこの“時間論争”は専門家の間では、いまだに議論がなされている。

菊水隊には、高知県幡多(はた)郡出身の宮川正・一等飛行兵曹がいた。私は、この宮川一等飛行兵曹の逸話をはじめ、特攻にまつわるさまざまなエピソードを紹介しながら、当時、最前線で戦った男たちの「信念」と「無念」を語り継ぐことの重要性を講演で話させてもらった。

そして、昨日の26日には、「ネット新時代のジャーナリズムを考える~朝日新聞は何に敗れたのか~」というホットなテーマで、講演をさせてもらった。こちらは、話題がホットなだけに、聴いてくれている人たちの熱気がより伝わってきて自然と力が入った。

高知は、土佐出身の自由民権運動家・植木枝盛が立志社の機関誌『海南新誌』創刊号巻頭に「自由は土佐の山間より出ず」と書いた言葉でわかるように、日本の「自由と民主主義」の原点となった地である。私はその土佐で、いま日本が「時代の転換点に立っている」ことを話させてもらったことに少なからず意義を感じている。

真実を追及するのではなく、自らの「イデオロギー」や「主張」に従って、自分の都合のいい事実をピックアップして「真実」とはほど遠いものを掲げて大衆を誘導していく――私が長く“朝日的手法”と呼んできた日本のジャーナリズムの悪弊をじっくり2時間にわたって話をさせてもらった。「朝日新聞の敗北」の意味を私なりの解釈で講演させてもらったのである。

一連の従軍慰安婦報道と「吉田調書」報道――朝日新聞を襲ったこの二つの事柄は決して難しく考えることはないと思う。このことで明らかになったのは、これまで当ブログでも書きつづけているように、「朝日新聞は日本を貶めるためなら真実を捻じ曲げる」という、ただそれだけのことである。

なぜ朝日は事実を曲げてでも、日本を貶めたいのか。これは、1970年代に新左翼がもてはやした「反日亡国論」を理解しないとわかりにくいかもしれない。

日本の戦後は、「戦争を反省すること」から始まったことに異論はないだろう。戦争とは“絶対悪”なので、戦争を反省することに誰も反対はない。しかし、戦争をするというのは、一方が悪いのではなく、両方に必ず非があるはずなのに、日本では「日本だけがすべて悪かった」という短絡的な戦争反省論が構築され、それに支配されてきたことに不幸の第一があった。

それは、GHQによって生み出された非常に歪(いびつ)な戦争反省論だった。それも無理はなかっただろう。もし、「戦争犯罪」を指弾するなら、“焦土化作戦”によって、日本中の都市を焼き払い、広島・長崎に住む非戦闘員の頭上に原爆を投下したアメリカは、国際法に違反しただけでなく、人道上の罪という観点からも、本来、「許されるものではない」からである。

しかし、そのことから逃れ、日本だけを糾弾するためには、日本の指導者を徹底的に非難し、「日本だけが悪かった」という理論を構築する必要があった。昨日までの日本の指導者たちが断罪されることに多くの日本人は戦争に敗れたことの悲哀を感じ、瞑目(めいもく)した。

だが、そのGHQにもろ手を挙げて同調し、日本を弾劾する方向に突っ走っていった新聞があった。それが、戦前・戦中を通じて最も軍国主義を煽った朝日新聞である。GHQの顔色を窺いながら、ひたすらGHQにとって“愛(う)いやつ”になったメディアの代表が朝日新聞である。

朝日は、ひたすら「日本だけが悪かった」という論陣を張りつづけ、それに反する意見や文化人を全面否定する路線をひた走った。自分の意見に反対する者に“右翼”のレッテルを貼り、「日本だけが悪かった」論を拡散させつづけるのである。

それが全盛時代を迎えたのが、1970年代である。ベトナム反戦の風潮に乗って今度は「反米」を掲げた朝日は、全共闘世代、いわゆる団塊の世代に全面的に受け入れられた。それでも朝日新聞は「日本だけが悪かった」という主張を引っ込めることはなかった。

「日本だけが悪かった」という理論は、やがて新左翼の間に「反日亡国論」を生んだ。アジアの人民に災厄だけをもたらした日本人には“生存する権利”などなく、文字通り滅びればいい、という極端な理論である。強固な「反日」の思想は、当時の若者に幅広く受け入れられ、特にジャーナリズムの世界に「根を張る」ことになる。

そして、朝日新聞をはじめ、日本のメディアは大衆を誘導するためには、「事実」を自分の主張に合うべく都合よく“加工”し、それで大衆を誘導していくことの手法を多用していくようになる。“真実”より“イデオロギー”という時代の到来である。朝日新聞はいつの間にかそのことに慣れ、次第にそれが“当たり前”のようになっていった。

私は、2014年9月11日、朝日新聞が「吉田調書」報道で自らの誤報を認め、謝罪の上に自らの記事を撤回した時、「ああ、時代の転換点が遂にやって来た」と思った。それは、事実を捻じ曲げてまで自分の国を貶めるジャーナリズムの正体がやっと国民の前に「明らかになった」という意味である。

朝日新聞とは、平和を愛し、先人を敬い、家族や郷土、そして国を愛するという大多数の日本人の「実は敵だった」ことがやっと「明らかになった」のである。

日本人は「決して誇りを持ってはいけない」「国を愛するのは右翼だ」「日の丸は許されない」という彼(か)の国の代弁者ともいうべき存在でありつづけた朝日新聞の正体、ひいては“進歩的”ジャーナリズムの問題点が私たちの前に明らかになった意義は大きいと思う。

朝日新聞の木村伊量社長が、社内の動揺を鎮めるために8月28日に社内メールで出した内容は興味深い。週刊文春によってスッパ抜かれたその中身には、こういうくだりがあった。

「私の決意はみじんもゆらぎません。絶対ぶれません。偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意をあおる彼らと、歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする私たちと、どちらが国益にかなうアプローチなのか。改めて問うまでもないことです」

平和を愛し、先人を敬い、家族や郷土、そして国を愛するという大多数の日本人の心が、木村社長には「偏狭なナショナリズム」としか捉えられないのだろうと思う。そして、「歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする」のが朝日新聞なのだそうだ。

私は、申し訳ないが、こう言わせていただきたい。「歴史の真実をねじ曲げて誤った情報を世界に広げ、アジアの近隣諸国との信頼関係を決定的に破壊してきた」のが朝日新聞なのだ、と。

日本人は今、朝日新聞の長年の報道によって、朝鮮人女性の「強制連行」というありもしない事実をつくり上げられ、「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」を弄んだ日本人として世界中から非難されている。

そこまで歴史の真実をねじ曲げて、朝日新聞が「日本と日本人を貶めるのはなぜですか?」と、私は本当に朝日新聞に聞いてみたい。多くの日本人は、「偏狭なナショナリズム」など持っていない。あなたが勝手にそんな“敵”をつくり上げて、自分の立ち位置を「正しいもの」と強弁しているだけではないですか、と問うてみたいのである。

私は、そんな話を故郷・土佐でさせてもらった。「自由は土佐の山間より出ず」という自由発祥の地で、戦後ジャーナリズムのくびきから脱することの「意義」について、最初に話をさせてもらったことに、私は深い感慨を覚えた。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

永田町で教訓を「生かす者」「殺す者」

2014.10.20

「なんのための改造だったの?」。永田町では、そんな声が飛び交っている。改造前には、辞任が取り沙汰されるような閣僚スキャンダルは出なかったのに、満を持したはずの内閣改造をおこなった直後、次々とスキャンダルが噴き出した。

目玉だった女性閣僚のうち、小渕優子経済産業相と松島みどり法相の二人が「一緒に辞任する」というのだから、大変な事態である。

先週から今週にかけて、辞任劇に至る永田町の動きは興味深かった。選挙区内の祭りで配られた「うちわ」をめぐって松島みどり法相が窮地に追い込まれていくのに対して、最初に追及した民主党の蓮舫議員も、「うちわ」のようなものを「配っていた」と反撃を食らうなど、低レベルな議論が飛び交う様相を呈していたからだ。

さらに週刊新潮の報道から発した小渕優子経済産業相の案件の方は、「呆れてものも言えない」というのが多くの国民の本音ではないだろうか。

いまどき、これほど「露骨」で、しかも「わかりやすい」不明朗な資金処理をやっていたこと自体に国民は驚いたに違いない。今まで問題にならなかったことの方が不思議なぐらいのお粗末な資金処理である。

女性総理候補のトップといってもよかった小渕氏は、大きな打撃を受けた。私は、これまで繰り返されてきた政治資金問題、いわゆる“政治とカネ”の問題で、過去の事件による教訓が「まったく生かされていないこと」に最も驚いた。

記者会見で小渕氏は、「私自身がわからないことが多過ぎる」「信頼するスタッフのもとでおカネの管理をしていただいたが、その監督責任が十分ではなかった」「すべて私が甘かった」と思わず吐露した。

後援会の誰かに“食いもの”にされたのか、あるいは、自分が全く知らないところで“何かが起こっていたのか”――いずれにせよ、小渕氏の政治家としての資質の問題だろう。

過去の教訓を「生かす」か「殺す」か。それで運命が大きく変わってくるのは永田町に限らず、一般社会の常識である。私はその意味で、小渕氏の失態に同情の余地はなく、さらに言えば、この脇の甘さで“国家の領袖”を目指すのは、とても無理だと感じざるを得なかった。

私は、大臣就任時、各メディアのインタビューに対して能面のような表情で答える小渕氏のようすを見て、「あれ?」と思った。小渕氏の人間的な魅力がまったく出ていないように思えたのである。

だんだん自民党内で地歩を固めるにつれ、逆に「表情」を失い、「能面」のようになってしまったのだろうか。失言を恐れて機械的なやりとりになっていったのかもしれないが、もしそうなら、政治家としての限界だろう。ご本人の「実力」と政治的な「地位」、それに周囲の「期待の大きさ」との間に、だんだんと「乖離(かいり)が生じていたのではないか」と推察する。

「二人を任命したのは私であり、責任は私にあります。こうした事態になったことに国民に深くお詫び申し上げます。しかし、政治の遅滞は許されません」と語った安倍首相も悔しさが隠せなかった。まさに「なぜ?」という思いだろう。

私は一方で、永田町の動きの中で過去の教訓を“プラス”にする側のことも印象に残った。ほかならぬ北朝鮮による「拉致被害者家族会」のことだ。

またしても「家族会」によって政府は「交渉とは何か」の基本を教えてもらっているような気がする。先週の10月16日夜、家族会が「安否に関する報告が聞ける段階まで派遣は待つべきだ」とする申入書を政府に提出した。

この申入書は、東京で開かれた集会の中で山谷えり子・拉致問題担当大臣に家族会から直接、手渡された。私も、このニュースに接してハッとした。そして、「さすがだなあ」と唸ってしまった。

「(拉致問題は)完全に決着している」。家族会が重視したのは、今月、ニューヨークで北朝鮮外務省の高官が、この発言をおこなったことだった。このひと言で、「北朝鮮の拉致問題に対する態度が変わりつつある」ことに家族会は気づいたのである。

叔父の張成沢を無惨にも粛清したことにより、頼るべき中国からソッポを向かれた金正恩・朝鮮労働党第一書記は、経済破綻の立て直しを日本からの「巨額の援助」に頼ろうと方針転換した。そこで出てきたのが、拉致被害者の「全面的な再調査」だった。

両国の間で合意されたこの「再調査」は、いかに北朝鮮が追い詰められているか、を表わすものでもあった。しかし、今月のニューヨークでの北朝鮮高官の発言は、家族会にとって「その方針は果たして堅持されているのか」という疑念を生じさせるものだったわけである。

さっそく、「いまピョンヤンにのこのこ出かけていったら、相手のペースに乗せられる」と懸念を持った家族会には、「さすが」というほかない。長年、北朝鮮と対峙している家族会にとっては、北朝鮮の考えることは「手に取るようにわかる」に違いない。

私は「無法国家との交渉とは何か」を家族会が教えてくれているような気がする。いや、「外交とは何か」という根本を教えてくれているのかもしれない。なぜなら、家族会は「調査結果の提出期限」を決め、それが守られない場合は「協議を白紙に戻すことも検討すべきだ」と主張しているからだ。

一刻も早く拉致されている肉親を取り戻したい家族会が、相手のやり方を熟知しているがゆえに、逆に「相手のペースに乗ってはならない」と必死で堪(こら)えているさまが浮かび上がる。

断腸の思いで今回の申入書が出されたことを想像すると胸が痛む。そして、集会で家族会代表の飯塚繁雄さんが語った以下の言葉も印象深かった。

「今、ピョンヤンに行くのは拙速だ。単に“来い”というだけで、日本側が乗り込んでいくのはリスクがある。それでも総理の判断で行くのであれば、担当者1人か2人で行き、情報を“持ち帰るだけ”にしていただきたい」

外交における交渉とは、「力と力」、「駆引きと駆引き」の勝負である。相手の要求通り、北朝鮮に、ただ行けば、相手のペースに乗り、家族会が指摘するように、相手のつくった土俵に上がることになってしまう。

秋から冬に向かえば、北朝鮮は今年も“飢餓の季節”を迎える。「引き伸ばしによる援助の先取り」で人道的支援を勝ち取ろうとする北朝鮮の目論見は、家族会の苦渋の申し入れによって風前の灯になったと言えるだろう。

本日、政府は、日本人拉致被害者の再調査について、伊原純一・外務省アジア大洋州局長ら交渉当事者を訪朝させることを正式決定する方針を固めたが、家族会の申入書によって、伊原局長への安倍首相の指示は、事前とは「決定的に違うもの」になるだろう。

「(拉致問題は)完全に決着している」という北朝鮮の揺さぶりが勝つのか、家族会が言うように「調査結果の提出期限を決め、それが守られない場合は協議を白紙に戻すべき」との主張が勝つのか。

秋が深まり、寒さが増していく中で始まった「北朝鮮」と「家族会」との我慢比べ――正義が勝つことを私は、信じたい。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治

朝日新聞「3度の転機」と生き残りへの「道」

2014.09.26

日本人にとって非常に不思議な存在である「朝日新聞」への非難が収まらない。中国と韓国の主張と一体化し、ひたすら日本人を貶めて来た同紙に、国民の怒りが一気に噴出しているように思える。

現在、世界から「性奴隷(sex slaves)を弄んだ民族」として日本が糾弾されているのが、朝日新聞の報道によるものであることは、これまで再三再四、書いてきた通りだ。

それが朝日新聞による「強制連行」報道に端を発しており、しかも、その「強制連行」が歴史上の「真実ではない」のだから、事情を知る日本人には、悔しく、情けなく、本当にやるせない思いだろう。今日は、少し違った視点でこの問題を書いてみたい。

9月11日におこなわれた朝日新聞の木村伊量社長の記者会見は、世のビジネスマンたちにとって「非常に興味深いものだった」という。それは、企業体としての朝日新聞社が「いかに危機管理能力が決定的に欠如していたか」を明確に表わすものだったからだそうだ。

メーカーに勤めているビジネスマンたちによって、特に関心が注がれたようだ。それは、その会社の「商品」に対する企業トップの認識という点である。

メーカーに勤務するビジネスマンたちは、まず第一に自社が売る商品を徹底的に自分なりに「分析」し、頭の中にすべてを「叩き込むこと」から始める。商品を売り込む場合でも、またクレームが来た場合でも、どんな時でも「商品」それ自体のありようが最も重要なものだからだ。

では、新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのだろうか。言うまでもないが、新聞社が消費者(購読者)に売っているのは新聞という名の「紙」である。だが、何も書いていない白い紙を売ろうとしても、誰も買ってはくれない。

新聞社は、その白い紙に「情報」と「論評」という付加価値を付けた活字を印刷することによって、その紙を読者に販売している。つまり新聞社の商品とは、紙面に掲載されている記事の中にある「情報」と「論評」にある。これこそが、新聞社が売る商品の「根幹」を成すものである。

今回の「吉田調書」問題を例にとってみよう。朝日新聞は政府事故調による吉田調書(聴取結果書)を「独占入手した」として、デジタル版まで動員した大キャンペーンを5月20日に始めた。その大々的な記事に対して、「これは誤報である」と私が最初にブログに書いたのは、5月31日のことだ。

朝日新聞にとっては、私は一介のライターに過ぎないかもしれない。しかし、私は、故・吉田昌郎所長をはじめ数多くの現場の人間を取材して『死の淵を見た男』というノンフィクションを書いた人間である。その人間が記事を「誤報だ」と申し立ててきたわけである。

つまり、新聞社にとって、消費者に売る「商品の根幹」であるスクープ記事に「クレームが飛んで来た」のである。これは、普通の企業にとっては、大変な事態だと思う。例えば、自動車メーカーに、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、専門家から突きつけられたとしたらどうだろうか。

まともな自動車メーカーなら、大急ぎで対応にあたり、必死で検証し、事態の収拾をはかろうとするだろう。しかし、朝日新聞は違った。私が、ブログのあと、週刊ポストに「朝日新聞“吉田調書”スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」と書くと、これに「言論」で反論するのではなく、「法的措置を検討する」という信じがたい抗議書を送りつけてきた。

その企業が売っている商品の根幹にかかわる指摘を、「黙れ、黙らんとお白洲に引っ張り出すぞ」という“脅し”で応じたことになる。私は、言論機関として「自由な言論」を封じるこのやり方に呆れる前に、朝日新聞に企業体としての「危機管理」がまったくなっていないことを知った。

世のビジネスマンも、そのことに注目したという。自社の商品の“根幹”にクレームが来たら、これは大変な事態であり、これをどう収拾するかは、頭を悩ませる重大案件である。しかし、朝日は、これを弾圧によって抑え込もうとしたのである。

普通の企業なら怖くてできないような対応をとった朝日新聞は、そればかりか、当該の週刊ポストが発売になった翌日、第二社会面に私と週刊ポストに対して「事実無根」の抗議書を送ったことを発表したのである。

その後のことは、これまでも書いてきた通りなので繰り返さない。ただ、この対応によって、大きな世間の関心事となった「吉田調書」問題は、私を駆り立てた。以降、私は各メディアをレクチャーして廻り、必要なら取材先を紹介するなどの行動に出た。

そして、8月末までに、朝日を除く全新聞が「これは誤報である」という朝日包囲網を敷くことになる。9月11日の記者会見は、朝日が「やってはいけないこと」を繰り返してきた結果だと、私は思う。

さて、今回の問題での朝日の粛清人事は凄まじいものだった。木村社長が「道筋がついた後の辞任」を示唆し、編集担当の杉浦信之・取締役編集担当、市川速水・ゼネラルマネジャー兼東京本社報道局長、渡辺勉・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長、市川誠一・東京本社特別報道部長を解任するというのである。

これほどの更迭をおこなった限りは、朝日新聞が「生まれ変わることができるのかどうか」がポイントになる。しかし、私は、それは望み薄だと思う。ただ、今回の出来事は、朝日新聞が創刊以来、「3度目の危機」であることは間違いないだろう。

朝日新聞の最初の危機は、1918(大正8)年に起こった「白虹(はっこう)事件」である。当時、朝日新聞は、大正デモクラシーの風に乗って、デモクラシー礼讃の記事を盛んに書いていた。しかし、米騒動による寺内正毅内閣への批判が巻き起こった時に、朝日新聞は「白虹日を貫けり」と書いた。

「白い虹」というのは、秦の時代、刺客・荊軻(けいか)が始皇帝への暗殺を企てた時に現われた自然現象とされる。「帝」に危害を加え、「内乱」のきっかけになるような不吉な兆候のことだ。

朝日新聞は、これで帝の暗殺と、内乱を煽っていると右翼に糾弾され、大規模な不買運動につながっていく。さらに、当時の村山龍平社長の人力車が右翼に襲撃され、村山社長が全裸にされて電柱に縛りつけられるという事件に発展する。村山社長の首には「国賊村山龍平」と書いた札がぶらさげられていたという。

この事件をきっかけに、村山社長と編集幹部の総退陣がおこなわれた。そして、編集方針も一変する。それまで大正デモクラシーを讃えていた記事から、それとは距離を置いたものとなり、紙面が右傾化していくのである。

そして、朝日はその後、どの社よりも極端な軍国主義礼賛の新聞社として変貌を遂げていく。戦時中はもちろんだが、すでに敗戦の情報をキャッチしていたはずの昭和20年8月14日の社説でさえ、中身は凄まじい。

「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」。

これほどの煽動的な記事を書いていた朝日新聞が、それまでの路線を一気に転換するのは、同年10月24日のことだ。「戦争責任明確化 民主主義体制実現」と1面で宣言し、村山長挙社長以下、取締役が総退陣し、社説で「自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と言ってのけたのである。

「白虹事件」で右翼新聞になり、今度は占領軍(GHQ)路線に乗って、過去の日本を徹底的に弾劾する路線を基本とするべく「宣言」をおこなったのだ。そして、それが、現在の「日本」そのものを貶める路線の原型となり、そして朝日新聞の明確な特徴となっていく。

これが全盛を迎えたのは、一九七〇年代である。全共闘世代、すなわち団塊の世代に朝日の主張は広範な支持を獲得し、それが「自分たちの主張は素晴らしい」「自分たちのイデオロギーこそ戦後日本の象徴である」との錯覚を生んでいった。

やがて、自分たちの主張やイデオロギーに沿って、情報を都合よく“加工”して、どんどん大衆に下げ渡していくという手法が確立する。これを私は「朝日的手法」と呼んでいる。朝日の記者はそれに慣れ、麻痺し、慰安婦の強制連行報道や、今回の吉田調書の誤報事件へと発展していったと、私は思う。

前回のブログでも書いたように、朝日がもし、“ニューメディア時代”の本当の意味を理解していたら、ここまでの「失敗」はしなかったと思う。インターネットの普及によるニューメディア時代は、これまでの「情報」のあり方を決定的に変えていたからだ。

インターネットを通じて、誰もがさまざまな情報を取得することができ、さらに個人個人が情報を発信するブログやSNSなど、さまざまなツールを持つに至った。私は、これを“情報ビックバン”と名づけているが、かつては新聞に都合よく“加工”されて下げ渡されていた「情報」を検証する術(すべ)を持たなかった大衆が、それを個人個人ができるようになったのである。

朝日新聞は、そういう“時代の変化”を読むこともできず、全盛を誇った70年代の手法をそのまま踏襲し、今回、墓穴を掘ってしまったのである。

私は、創刊以来「3度目」の危機に朝日新聞がどう対処するかに注目している。このまま、「中国と韓国」の主張との“一体化”をつづけ、徐々に部数を減らしていくのか。それとも、新たな路線に転換するのか。

私は、いずれも茨(いばら)の道であろうと思う。生き残れるかどうかは、年内で「部数」激減に歯止めがかかるかどうか、である。すべては、朝日新聞を長年購読してきた読者の動向にかかっている。彼らの朝日離れが続くなら、朝日新聞は「3度目の危機」によって、ついに消え去ることになる。

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“情報ビッグバン”に敗れた朝日新聞

2014.09.13

朝日新聞は、“情報ビッグバン”に敗れた。私は、そう思っている。朝日新聞の木村伊量社長の記者会見、そして「吉田調書」誤報の検証記事を見ながら、私には、いくつもの感慨が湧き起こった。

朝日新聞の「9・11」は、日本のジャーナリズムにとって「歴史的な日」であり、「時代の転換点」として長く記憶されることになるだろう。

おそらく従軍慰安婦報道の一部撤回につづく今回の吉田調書の誤報事件は、朝日の致命傷になると私は思う。それは、朝日新聞はジャーナリズムとしても、そして企業体としても「生き残れない」という意味である。

それは、朝日新聞が今、糾弾されているのは、単に吉田調書に対する誤報ではなく、意図的に事実を捻じ曲げて報道するという“朝日的手法”にほかならないからだ。それが報道機関にとってあってはならないことであり、その正体が白日の下に晒された以上、すなわち、国民がそのことに気づいた以上、それは朝日新聞にとって「致命傷」である、ということだ。

自らのイデオロギーや主張に基づいて、それに都合のいい事実をピックアップし、真実とはかけ離れたものをあたかも真実であるかのように報道する――朝日新聞がこれまでつづけてきた、その「手法」と「姿勢」そのものが糾弾されているのである。

私は、すでに“朝日的手法”が通用しない時代が来ていることを、なぜ朝日新聞は気がつかなかったのか、と思う。情報を独占し、自らの主張、イデオロギーによってそれを加工し、大衆に下げ渡していくという手法が、もはや通じなくなっていることに、である。

今回、5月20日に朝日新聞が「命令違反による撤退」という吉田調書報道をおこなった後、私が5月末にまずブログで誤報を指摘し、次に『週刊ポスト』誌上でレポートとしてまとめ、写真誌『フラッシュ』のインタビューに応じるなど、問題提起をしていった。

私自身が驚くほど、それらはインターネットによって拡散され、大きな影響を及ぼしていった。そして以降、産経新聞、読売新聞、共同通信といったマスメディアが吉田調書を入手して検証するに至り、朝日の誤報の具体的な問題点が次々、浮き彫りにされていった。

これは、いったい何を意味しているのか。それは大新聞が情報を独占し、加工して下げ渡していく時代がとっくに終焉しているということである。インターネットの登場によるニューメディア時代は、マスコミが情報を独占する時代を、あっという間に「終わらせていた」のである。

私は、これを“情報ビッグバン”と呼んでいる。情報を発信するのは、マスコミに限らず、それぞれの個人個人、誰にでもでき、ブログやSNSといったニューメディアは、その大きな手段となっている。今回、私が最初に情報発信したのが、「ブログであった」ことでもわかる。

これらニューメディアが台頭する以前、大衆は情報を確かめる術(すべ)を持たなかった。しかし、今は違う。マスメディアが大衆を導く時代は終わり、逆に大衆によって監視され、検証される時代に入っているのだ。

しかし、朝日新聞は、驕りと偏見によって、そのことに気づこうともしなかった。だが、その代償はあまりに大きかった。私はこれから朝日新聞を待っている試練は、はかりしれないほど大きいと思う。それは、いよいよ“本丸”での闘いが、これからスタートするからだ。

本丸とは、いうまでもなく朝日新聞によって、引き起こされた従軍慰安婦の「強制連行」問題だ。中国や韓国の側に立って、日本と日本人をどうしても貶めたい朝日新聞は、1991年8月、1人の朝鮮人慰安婦の取材をすることに成功する。

それは15歳の時にキーセンに売られ、またその後も売られていく金学順さんという薄幸な女性だ。初めて証言する従軍慰安婦として、朝日新聞は彼女を大きく取り上げつづけた。

彼女は、朝日新聞によって、「女子挺身隊の名で戦場に連行された朝鮮人慰安婦」に仕立て上げられた。強制連行の被害者、すなわち、のちに「性奴隷(sex slaves)」と称される従軍慰安婦の典型例として、朝日は彼女を「利用していく」のである。

しかし、実際の彼女は、不幸にも身内によって、身を売られた女性だった。しかし、それでは「日本」を糾弾することができない朝日新聞は、彼女を強制連行された存在としてデッチ上げていくのである。

だが彼女は、自分が「売られていった過去」を隠していない。朝日の報道後、名乗り出た彼女は、記者会見でも、自分が40円で売られたことを堂々と語っている。そしてその後、日本政府に損害賠償請求をした訴状の中にも、はっきりとそのことを記述している。

しかし、朝日新聞は、それでも彼女を「強制連行の被害者」としたのである。1992年1月11日付朝刊で、朝日は従軍慰安婦のことを「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と書いている。“強制連行”という謂われなき濡れ衣を日本人にかぶせつづけたのである。

その結果、日本はどうなったのか。そして日韓関係はどうなったのか。国連の人権委員会によって、慰安婦への謝罪と賠償を勧告され、世界のあちこちに従軍慰安婦像が建ち、日本人が「性奴隷を弄んだ民族」として非難を浴び、そして決定的に日韓関係は破壊されてしまったのである。

朝日新聞が、さる8月5日、6日に検証記事によって撤回したのは、「済州島で慰安婦狩りをした」という自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏に関わる記事だけだった。

しかし、朝日新聞の罪は、吉田清治証言を報道したことよりも、前述の通り、日本軍、もしくは日本の官憲による「強制連行」をつくり上げ、拡大し、そして世界に広めていったことにある。

朝日の報道によって、日本人が被った「不利益」と、失われた「名誉と信用」は、到底、損害額としてはじき出せるようなレベルではない。すなわち、それは、戦後、ひたすら日本と日本人を貶めることに血道を上げてきた朝日新聞の“不断の努力”が実をむすんだ結果なのである。

果たして、朝日新聞の本当の姿が、今後、どれだけ国民の前に明らかになるだろうか。私はそこに注目している。そして、その解明が成された時、私は朝日新聞が「終焉を迎える」と思っている。

中国や韓国の報道機関ならいざ知らず、繰り返されてきた朝日新聞による「日本人を貶める」報道。それが今後、一生懸命、働き、真面目にこつこつ努力してきた大多数の日本人に、受け入れられるはずがない。

私は、「吉田調書」報道の謝罪会見を開いた「2014年9月11日」は、日本のジャーナリズムのターニング・ポイントであり、同時に朝日新聞にとっては、生き残りさえ難しい「致命傷」を負った日だったと思う。

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「日本を貶める朝日新聞」は生き残れない

2014.08.31

いよいよ読売新聞も共同通信も“参戦”してきた。私は昨日の読売新聞、そして共同通信の配信記事を掲載した本日の地方紙の各紙を見て、いったい朝日新聞はどんな対応をとるのだろうか、と思った。

読売新聞も共同通信も、産経新聞につづいて「吉田調書(聴取結果書)」を入手し、「吉田調書の全容が明らかになった」として、大展開したのである。特に、読売新聞の報道量は凄まじいものだった。各面で、朝日新聞の「吉田調書報道」が誤報であることを繰り返して伝える紙面となっていたからだ。

1面トップでは、〈福島第一 吉田調書 「全面撤退」強く否定 「第二原発へ退避正しい」〉、2面で〈朝日報道 吉田調書と食い違い〉、3面では〈退避 命令違反なし〉、社会面トップの39面では、〈「命賭けて作業した」 吉田調書「逃亡報道悔しい」第一原発所員語る〉という記事を掲げたのだ。

つまり、産経新聞と同じく読売新聞も、吉田調書の“現物”を読んだ上で、朝日新聞の「吉田調書報道」を全面否定し、糾弾したのである。産経新聞につづき、これほどライバル社が同業他社の記事を“全否定”する事例は珍しい。朝日の手法に対して、同業者として、そして同じジャーナリストとして、“怒り”が抑えられなかったのだろう、と思う。

そして、共同通信の中身も痛烈だ。こちらも、吉田調書を入手し、〈吉田氏は聴取に、命令違反があったとの認識は示していない〉〈2Fまで退避させようとバスを手配した〉と、朝日の報道内容を全面否定した。

しかも、共同通信には、当時、免震棟内の緊急時対策本部で総務班長を務めた男性社員(46)が、退避前夜の3月14日、2号機の危機的状況を目の当たりにした吉田氏の命令で自分が避難先を探したと明らかにした上で、「第2原発に退避することは前夜のうちに決まっていた。吉田所長も理解していた。“命令違反”と書かれているが、それはいったい何だという感じです」と証言している。

この共同通信の記事は、今朝の地方紙を中心に一斉に掲載されている。私はこれらの報道をある種の感慨をもって見つめている。朝日新聞が5月20日から始めた「所長命令に違反して現場の9割の所員が撤退した」というキャンペーン記事に対して、私がブログで異を唱えたのは、5月末のことだった。

吉田所長以下、福島第一原発(1F)の事故現場で闘った多くの人々を取材していた私は、朝日新聞の報道が「虚偽」であることがすぐにわかったからだ。日本が有史以来、最大の危機に陥った2011年3月15日朝、福島第一原発の免震重要棟にいた女性社員を含む約700人の内、9割の所員が所長命令に「従って」、福島第二原発(2F)に「退避した」ことを私は知っていた。それが、たった一つの「厳然たる事実」である。

拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日―』の中でも、そのことは詳細に記述している。退避に先立つ3時間以上前(3月15日午前3時過ぎ)には、東電本店から「退避の手順」として、「健常者は2Fの体育館へ」「けが人は2Fのビジターへ」と具体的な退避先の建物も決められ、1Fに伝えられていた。退避する時は、「2Fへ」というのは、吉田所長以下、全員の共通認識だったのだ。

大きな爆発音が轟き、2号機の圧力抑制室(サプチャン)の圧力がゼロになった午前6時過ぎ、吉田所長は「各班は最少人数を除いて退避!」と叫んでいる。免震重要棟にいた女性社員を含むおよそ650人が、この吉田所長の命令に従ってバス5台と自家用車に分乗して、あらかじめ決められていた通り、「2Fに向かった」のである。

しかし、これが午前5時36分に東電本店に乗り込んだ菅首相の「逃げて見たって逃げ切れないぞ」「東電は100パーセント潰れる!」という大演説の直後だっただけに、吉田所長は、全体に流れるテレビ会議の発言では、菅首相がテレビ会議の映像を見ていることを前提に慎重な発言を繰り返している。

朝日新聞は、吉田調書の一部を取りだして「所長命令に違反して所員の9割が撤退した」と報じ、吉田所長の本当の命令は「1F構内か、その近辺にとどまることだった」と書いたのだ。

しかし、現場を少しでも取材したことがあるジャーナリストなら、これがいかに非常識であるかは、即座にわかる。なぜなら、1Fの中で最も安全な場所は、彼らがいる「免震重要棟」である。そこから出て、その約650名は、いったい構内のどこに行けばいいというのだろうか。放射性物質大量放出の危機に、防護マスクも圧倒的に不足している中で、どこかの“木陰”にでも「隠れていろ」という命令を吉田所長が出したとでもいうのだろうか。

朝日新聞は、一連のキャンペーン記事の中で、世界から称賛されたあの“フクシマ・フィフティー”も、福島原発に留まったのは、所員9割が所長命令に違反して2Fに撤退してしまった「結果に過ぎない」とまで書いたのである。

朝日の思惑通り、外国のメディアは朝日の報道を受けて、「パニックに陥った原発所員の9割が命令に背いて逃げ去った」「これは、“日本版セウォル号事件”だ」と大々的に報じたのは周知の通りだ。

しかし、各メディアが入手した「吉田調書」には、朝日が書いた「命令違反で所員の9割が撤退した」との吉田証言は存在しなかった。

吉田所長をはじめ、現場の人間に大勢取材している私は、現場の真実を知っている。だからこそ、朝日の第一報があった時、「ああ、いつものやり方だ」と、即座に理解できた。

それは、政治家や官僚などのちょっとした発言の「言葉尻」を捉えて中国や韓国の要人に“ご注進”し、それを打ち返して「大問題」にしていく、いわゆる“ご注進ジャーナリズム”を得意としてきたメディアならではの「手法」だと思ったのである。

朝日新聞が「吉田調書」の中の一部分の言葉尻を捉えて、事実とは真逆のことを報じてきた――そのことは、私にかぎらず、あの事故現場を取材してきたジャーナリストたちには、すぐにわかったのである。

私は、朝日の記事を全面否定する今回の報道が福島第一の現場に食い込んでいるメディアによるものであることに注目している。彼らには、当初から朝日の報道が虚偽であることはわかっていたが、吉田調書の現物を入手できていないために、これまでそれを「否定する報道」ができなかっただけなのである。

だが、政府が吉田調書の公開を決めたことにより、ついにこれを各メディアが入手し始めた。それは、そのまま朝日の誤報を白日の下に晒す結果につながったのである。

私が5月末にブログで意見を発表後、週刊誌、写真誌、月刊誌、インターネットテレビ、新聞が次々と私の論評を取り上げてくれた。そして、ついに先日の産経新聞につづいて読売新聞、そして共同通信も吉田調書を手に入れ、朝日新聞のその報道を全面否定したのである。それは、私が声を上げて、わずか「3か月後」のことだった。

私は、何十年か後になってこの「吉田調書」が公開された時、初めて朝日新聞の“誤報事件”が明らかになるだろう、と思っていた。しかし、何十年か経ってからでは、言うまでもなく意味はない。だから、正直言えば、ある種の“虚しさ”を覚えつつ、私は一連の論評を発表していた。

つまり、「吉田調書」の事実を捻じ曲げて、現場の職員、つまり「日本人を貶めた」朝日新聞の手法が、白日の下に晒されることなど「まずないのではないか」と思っていたのだ。

しかし、従軍慰安婦の検証記事を朝日新聞が発表(8月5、6日)以降、事態は急変した。慰安婦狩りの証言記事を撤回するまでに32年かかったとはいえ、正式に朝日は慰安婦狩りの証言記事を撤回した。

そこから、この「吉田調書問題」も、急展開してきたのだ。まず産経新聞、そして読売新聞、そして配信を始めた共同通信を含めたメディアは、実際に吉田調書の“現物”を手に入れて、堂々と朝日の「誤報」を取り上げ始めたのだ。

朝日新聞がいかに「誤報」をおこなったか、意図的な編集はどうおこなわれたか。ここに国民の関心が集まることは、実に貴重なことだと思う。私は、これは朝日新聞の“終わりの始まり”だと思っている。

それは、近く政府から公表される「吉田調書」によって、国民自ら、朝日新聞の「日本を貶める手法」を確認することができるからだ。「なぜこの調書で、あんな“真逆の記事”ができるのか」。それを国民は自ら、その目で判断できるのである。

私は、朝日新聞から抗議書を送付され、「法的措置」を講じることを検討する、という脅しの文句を伝えられている身だ。それは、言論機関とは到底思えない“圧力団体”の手法でもある。その当の朝日新聞が、どんな“意図的な編集”をおこなっているか、国民が自分の目で確かめればいいのではないか、と思う。

自らは現場で命をかけて奮闘した人々の「名誉と信用」を傷つけたことを恬(てん)として恥じず、それに批判の論評を掲げたジャーナリストに対しては、法的措置をちらつかせる抗議書を送りつける――私は、朝日新聞に対して、もはや言うべき言葉はない。

私の論評に対して、「朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損しており、到底看過できません」という抗議書を送りつけた朝日新聞は、それよりも明確な“完全否定”をおこなった読売新聞と共同通信に対して、どんな抗議書を送るのか、私はまずそこに注目したい。

しかし、「真実はひとつ」しかない以上、朝日新聞がどんなに抗(あらが)っても、いくら弁明しても、吉田調書報道の正当性を主張するのは、もはや無理だと私は思う。

私はコメントを求められたために、吉田調書の全文を読ませてもらったが、先日の産経新聞、今日の読売新聞と共同通信は、「吉田調書」の真実を客観的に報じている。それが私の率直な感想である。

「朝日新聞以外のメディア」は、読者に吉田調書の内容を「正確に伝えている」ので、朝日の“現場の人間”を貶める意図的な「編集とその手法」は、これから徹底的に分析されていくに違いない。

しかし、一度失われた名誉を回復するのは、難しい。世界中に流布された「現場の人間は逃げた」という内容は、なかなか払拭(ふっしょく)されないだろう。それは、従軍慰安婦報道と同じだ。日韓関係を徹底的に破壊し、世界のあちこちに従軍慰安婦像が建つような事態をもたらした朝日新聞の従軍慰安婦報道と同じく、失われた日本人の信用は、容易に回復されないだろう、と思う。

今週、朝日に広告掲載を拒否された『週刊文春』の記事の中に国際ジャーナリストの古森義久氏が、こうコメントしていた。「彼ら(筆者注=朝日新聞のこと)は日本という国家が嫌いなんですよ。日本は弱ければ弱いほどいい、という中国共産党と同じ発想。自らが信じる政治的なイデオロギーに合ったものしか選ばないから、結果的に間違えてしまう。それが朝日の体質なんでしょう」

また、『週刊現代』には、元朝日新聞記者の本郷美則氏の「朝日、特に社会部系は左傾した偏向報道を続けてきたが、それももう限界だろう。ニューメディアの普及により情報伝播は民主化され、旧メディアが民衆を操作する時代は終わったのだ」という意見も紹介されていた。

私も両氏と同意見である。私は反原発でも、原発推進の立場でも、どちらでもない。なぜなら、両方の意見に「一理がある」からだ。しかし、反原発という強固な主張を持つ朝日新聞が、その“イデオロギー”に基づいて、事実を捻じ曲げてまで「吉田調書」を偏向報道したことは、朝日にとって致命的だと私は思う。

それは、慰安婦報道と同じく、意図的に「日本を貶める」ことを前提としていることが国民の前に明らかになるからだ。私は、もはや朝日新聞が日本で「生き残る」ことは無理だと思う。それが、私が「朝日新聞の終わりの始まり」と思う所以である。

カテゴリ: マスコミ, 原発

日本人にとって「朝日新聞」とは

2014.08.20

もうここまで来ると「日本人にとって朝日新聞とは?」ということを真剣に考えなければならないのではないだろうか、と思う。一昨日から産経新聞が報じている「吉田調書」(聴取結果書)の真実は、多くの国民に衝撃を与えたのではないだろうか。

私は、産経新聞にコメントを求められ、吉田調書の全文を読んだ。そして、「朝日はなぜ事実を曲げてまで日本人を貶めたいのか」という文章を産経新聞に寄稿した。すると、朝日新聞から「名誉と信用を傷つけられた」として、抗議を受けている。

私は正直、そのことにも、呆れている。朝日新聞は5月20日付紙面で、「吉田調書入手」と銘打ち、「福島第一原発から職員の9割が所長命令に違反して撤退した」と、大キャンペーンを始めた。

その記事によって、世界のメディアが「日本人も原発の現場から所長命令に背いて逃げていた」「これは“第二のセウォル号事件”だ」と報じ、現場で命をかけて事故と闘った人々の名誉と信用は傷つけられた。

朝日新聞が報道機関として本当に「名誉と信用を傷つけられた」というのなら、紙面で堂々と反論すればいい。そして、命をかけた現場の人々の名誉と信用を自分たちが「傷つけていないこと」を、きちんと論評すればいいのである。

これまで何度も書いているので詳細は省くが、朝日が報じる2011年3月15日の朝、福島第一原発(1F)の免震重要棟には、総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”も含む700名ほどの職員がいた。その中には、女性職員も少なくなかった。事態が悪化する中で、彼ら彼女らをどう1Fから退避させるか――吉田昌郎所長はそのことに頭を悩ませた。

700名もの人間がとる食事の量や、水も流れない中での排泄物の処理……等々、1Fで最も安全な免震重要棟はその時、とても多数の人間が居つづけられる状態ではなくなっていた。1Fのトップである吉田所長は、2F(福島第二原発)への退避について、2Fの増田尚宏所長と協議をおこない、その結果、2Fは、「体育館で受け入れること」を決めている。

そんな交渉を前日からおこない、その末に3月15日朝6時過ぎに、大きな衝撃音が響き、2号機の圧力抑制室(サプチャン)の圧力が「ゼロになった」のである。それは放射性物質大量放出の危機にほかならなかった。もはや、彼ら彼女らを免震重要棟に留まらせていることはできなかった。

「各班は、最少人数を残して退避!」と吉田所長は叫び、のちに“フクシマ・フィフティ”と呼ばれる人々(実際には69名)を除いて、吉田所長の“命令通り”職員は2Fに退避したのである。

こうして女性職員を含む多くの職員が、バスと自家用車を連ねて2Fへと一斉に移動した。しかし、これを朝日新聞は“所長命令に違反して撤退した”と書いたのである。

この場面は、私が吉田所長以下、90名近い現場の人たちに取材して書いた拙著『死の淵を見た男』のヤマ場でもある。私は、この事態になる直前、「一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた」と、1Fに残ってもらう人間を“選別”する吉田所長の思いと姿を、当の吉田さん自身から詳細に聞いている。

私は、吉田さんの証言を聞きながら、「今の世にこれほど“生と死”をかけた壮絶な場面があるのか」と思い、そのシーンを忠実に描写させてもらった。

しかし、朝日新聞は、あの壮絶な場面を世界中のメディアが「所長命令に違反して現場から逃げ出した」と報じるようなシーンにしてしまったのである。

吉田調書には、吉田さんが「関係ない人間(門田注=その時、1Fに残っていた現場以外の多くの職員たち)は退避させますからということを言っただけです」「2Fまで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました。2Fの方に」とくり返し述べている場面が出てくる。

そして、「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危機的な状況で現場に向かっていく職員たちを吉田氏が何度も褒めたたえる場面が出てくる。そこには、「自分の命令に違反して、部下たちは2Fに撤退した」などという証言は出てこない。

吉田調書とは、いかに事態を収束させようと、現場で働く浜通りの人々、すなわち故郷、ひいては日本を救おうと頑張った人たちのようすが「よくわかる内容」だったのである。それは、私が予想した通りのものだった。

私は、「日本人にとって“朝日新聞”とは何だろう?」と、しみじみ考えている。従軍慰安婦の強制連行問題でも、朝日新聞は「私は済州島で慰安婦狩りをした」と言う自称・山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏の話を流布しつづけた。


32年間もその報道を訂正しなかった朝日新聞が、さる8月5日、この一連の記事を突然、撤回したのは周知の通りだ。しかし、世界中で「性奴隷(sex slaves)を弄んだ日本人」と喧伝され、日韓関係も完全に「破壊」された今となっては、その撤回も虚しい。

朝日新聞とは、日本人にとって何なのだろうか。今、そのことを多くの国民が「わがこと」として考える必要があると、日本人の一人として心から思う。

カテゴリ: マスコミ

従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞

2014.08.05

本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。

「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。

従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。

彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。

だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の官憲によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。

「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。

現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。

言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 杉浦信之〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。

〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉

私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。

〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。
 被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。
 戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉

「えっ? それはないだろう」。この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。

彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。

しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。

その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。

これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。

さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉

この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。

そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。

私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。

ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。

〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉

すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。

ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、スマランという場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。

まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。

また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。

驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。

さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた植村隆記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。

記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。

〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉

ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。

さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生(キーセン)に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。

私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要(かなめ)の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。

つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。

すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。

私は、不思議に思うことがある。それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。

なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。

従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

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