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「トランプ-蔡英文」衝撃会談の意味

2016.12.03

中国にとって、アメリカのトランプ次期大統領による“衝撃的”な出来事がつづいている。最大のものは、本日、トランプ氏が台湾の蔡英文総統と「電話会談をおこなった」ことだ。

台湾の総統とアメリカの大統領や次期大統領とのやりとりが「公になった」のは、1979年の米台断交後、もちろん初めてのことだ。

中国にとって、何が衝撃だったのか。それには、まずアメリカの「台湾関係法」を理解しなければならない。「ひとつの中国」を原則にして、歴史的な米中国交正常化が成った1979年、アメリカは、台湾(中華民国)を守ることを目的とした「台湾関係法」をつくった。

これは事実上の「軍事同盟」であり、それまでの米台間のすべての「条約」や「協定」は維持されることになった。つまり、アメリカは、台湾を「国家同様に扱う」ことを定め、責任を持って「守り抜く」意思を明らかにしたのだ。

アメリカは中国に対して「貴国とは、国交を樹立する。しかし、それは中華民国(台湾)との関係を完全に断つという意味ではない。わが国は、どんなことをしても中華民国を守る」と宣言したのである。

それは、たとえ第二次世界大戦終了の4年後(1949年)に成立した中華人民共和国と国交を結んだとしても、連合国軍の大切な仲間であった「中華民国を見捨てることはしない」という強烈なアメリカの意思表示であり、人道的な決意によるものだった。

これによって、中国の「台湾侵攻」は、永久的ではないにしても、封殺を余儀なくされた。中国にとっては、仮に台湾侵攻をおこなうとすれば、「中米戦争の勃発」を意味するものになったのだから無理もない。アメリカの姿勢は、日本が台湾に対しておこなった1972年の「日華断交」とは根本的に異なるものだったと言える。

しかし、逆に考えれば、中国にとっては、「アメリカに方針転換さえさせれば、台湾をどうとでもできる」ということも意味する。歴代のアメリカ大統領とは“異質な”トランプ氏の登場は、ある意味、中国には、「待ちに待ったチャンス」だったのである。

だが、世界の首脳に先がけて日本の安倍首相がトランプ氏との直接会談にこぎつけて以降、中国の旗色は悪い。11月14日に習近平国家主席は、電話で当選への祝意を伝えたとはいうものの、トランプ氏から中国への尊重や敬意の思いは未だに伝わってこない。

一方、あれだけオバマ大統領に罵声を浴びせていたフィリピンのドゥテルテ大統領が昨日、トランプ氏と電話会談をおこない、これまた良好な米比関係に向かって第一歩を踏み出した。テレビに映し出された会談中、そして会談後のドゥテルテ大統領の満面の笑みは、親密な関係を築けた証明とも言える。

そして、今日の蔡英文総統との電話会談である。ここで重要なのは、蔡総統がトランプ氏に「台湾の国際社会への参画」に対して理解を求めた点である。トランプ氏の返答がいかなるものだったのかは、詳らかになっていないが、筆者には、台湾の政府関係者から「(台湾)外交部にはトランプ氏の娘婿であるジャレッド・クシュナー氏と大学時代の親友がおり、彼を通じてトランプ氏の台湾への理解は相当深いと聞いている」という話が伝わっている。

国防長官に“狂犬”の異名をとるジェイムズ・マティス退役大将が指名されたことが明らかになった直後に、ドゥテルテ、そして蔡英文という二人の首脳との電話会談をおこなったトランプ氏。中国にとって“対米防衛ライン”とされる日本-台湾-フィリピンという「第一列島線」の首脳がいずれもトランプ氏との「関係強化」を現実のものにしつつあることをどう捉えるべきだろうか。

トランプ氏がよく比較されるドナルド・レーガン元大統領は、1980年代の任期「8年間」に強気の姿勢を一切崩さず、SDI構想(戦略防衛構想、通称スター・ウォーズ計画)によって、ついにソ連の息の根を止め、冷戦を「終結」させた歴史的なアメリカ大統領となった。

当時のソ連に代わる超大国にのし上がった中国に対して、果たしてトランプ氏はどんな政策を打ち出すのだろうか。今日の「トランプ-蔡英文」会談の報を受けた中国の王毅外相は、報道陣を前にして、「(これは)台湾のこざかしい動きに過ぎない。国際社会が築いた“ひとつの中国”という大局を変えることはありえない!」と吐き捨て、激しい動揺と苛立ちの深さを浮き彫りにしてしまった。

トランプ氏の登場は、南シナ海や東シナ海での傍若無人な中国の動きに今後、どんな影響をもたらすのだろうか。外交とは「生き物」である。大統領選の最中とは異なり、共通の価値観を持つ先進資本主義国のリーダーとして、トランプ氏に世界の“意外な”期待が寄せられつつあるのは確かだろう。

カテゴリ: 中国, 台湾

流動化する「韓国情勢」の先にある懸念

2016.11.30

昨日、帝国ホテルで第25回山本七平賞(PHP研究所主催)の受賞パーティーがあり、出席させてもらった。受賞者は、『なぜ私は韓国に勝てたか 朴槿恵政権との500日戦争』(産経新聞出版)の加藤達也・産経新聞編集委員で、特別賞には、読売新聞編集委員の三好範英氏による『ドイツリスク』(光文社新書)が選ばれた。

両作とも大変な力作だったので、妥当な受賞だったと思う。かくいう私も、6年前にこの賞をいただいた。今回は、二人の受賞者が共に「新聞記者」ということで、多くの新聞社幹部が集うパーティーとなった。

新聞記者の知り合いが数多くいたので、旧交を温めることができたパーティーでもあった。しかし、なんといっても、話題は、この授賞式の当日に、朴槿恵大統領が「辞意を表明した」ことだろう。

加藤前ソウル支局長は、受賞の喜びを「大変栄誉ある賞をいただき光栄です。韓国では、裁判所も検察も、政治の力によって動きます。この本が、日本人の韓国への理解を促す一助になれば幸いです」と挨拶した。

加藤氏は、朴槿恵大統領への名誉毀損で起訴され、出国停止状態のまま闘い抜き、無罪判決を勝ち取った人物である。加藤氏がコラムで書いた「セウォル号事件」の際の“空白の7時間”がまさに大問題となり、ついに朴氏が辞意を表明するに至ったというのは、なんとも感慨深い。

会場には、山本七平賞の選考委員でもある呉善花さんもいたので、久しぶりに話をした。彼女もまた朴大統領の辞任には、特別の感慨を持っていた。

しかし、与党セヌリ党の朴大統領の失脚は、当然ながら、野党勢力の伸長を促し、今後、多くの韓国ウォッチャーが懸念する通り、韓国の急速な“左傾化”が憂慮されている。

言いかえれば、北朝鮮勢力との接近である。今回の反朴デモにも、多くの北朝鮮工作員がかかわっているのは自明だが、私が思い起こすのは、あの金大中時代から廬武鉉時代(1998年~2008年)のことである。

韓国が、10年の長きにわたって続いたあの「太陽政策」の失敗を、再び繰り返さない保証はどこにもない。それは、極端な見方かもしれないが、韓国に「軍事クーデター」さえ呼び起こしかねない“不安定な政治状況”をもたらすだろう。

核弾頭の小型化に向けて急ピッチの研究開発がつづく北朝鮮。果たして韓国は、アメリカの「THAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル)」導入が、激しい中国の反発を生んでいる中で、“ポスト朴”政権が誕生しても、腰砕けせずに、この導入方針を「維持」できるのか、予測がつかない。

おまけに、アメリカには、さらに先行き「不透明」なトランプ政権が誕生し、朝鮮半島をめぐる米・中の綱引きがどう展開するのかもわからない。

日本の尖閣支配に対して、中国国家海洋局海監東海総隊が「日本の実効支配打破を目的とした定期巡視」をおこない始めて、丸4年。いつ、どのタイミングで、尖閣に中国の武装漁民が上陸し、それを守るために、中国の4000トン級の新型多機能海洋法執行船がどう出るのかも予断を許さない。

不安定要素を増す東アジア情勢で、韓国が、まさに「太陽政策」の金大中・廬武鉉時代の「再来」となるのなら、これは日本人も“他国の出来事”などと笑っていられる場合ではない。

来年は、フランスでも大統領選があり、ドイツでは連邦議会選挙もある。「2017年は、世界情勢が一挙に流動化する」という観測が流れる中、習近平・中国国家主席や、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長が“高笑い”するような事態が東アジアに現われることだけは避けなくてはならない。

2017年は、「アメリカ-日本-台湾」の連携の重要性が、さらにクローズアップされる年となるだろう。その意味で、日本の安倍首相がトランプ次期大統領を御(ぎょ)することができるのかどうかは、東アジアのみならず、世界平和という観点からも、非常に重要だ。

仮に、それが失敗して、「米中接近」の時代が逆に到来するなら、私たち日本人も、ある種の覚悟が必要な「時」を迎えるかもしれない。

カテゴリ: 国際, 政治

“オバマを呼び寄せた男”の「菊池寛賞」受賞

2016.10.14

今朝、1本の電話が私の携帯に入った。「おかげ様で菊池寛賞を受賞しました」。静かで凛(りん)とした声だった。広島在住の森重昭さん(79)からである。

森重昭さんと言っても、ピンと来る人は少ないだろう。だが、アメリカのオバマ大統領を“広島に呼び寄せた男”と言ったらどうだろうか。

私は今年5月29日にも、「“オバマ広島訪問”を陰で実現した人々」と題して、なぜオバマ大統領の「広島訪問」が実現し、これほどの感動を呼んだのか、その理由を当ブログで書かせてもらった。その「実現」に大きな役割を果たした人こそ、森重昭さんだった。

アメリカの‟三大タブー”とは、周知のようにネイティブアメリカンの虐殺と隔離政策、黒人差別、そして広島・長崎への原爆投下である。アメリカでは、大統領の被爆地訪問は、それ自体が謝罪を意味し、タブーを侵(おか)すことになるため、これまで実現したことがなかった。

しかし、そのタブーが今年、破られた。伊勢志摩サミットに出席したオバマ大統領は、タイトなスケジュールの中、広島を訪れ、犠牲者に献花したのである。「あり得ないことが起こった」。私は、そのことを思い、当ブログで舞台裏について、書かせてもらったのだ。

米大統領の広島訪問に大きな力となったのは、森さんがサラリーマン生活のかたわら、広島で日本軍の捕虜になっていたアメリカ兵が原爆で12人も被爆死していることを調べ、これを本(『原爆で死んだ米兵秘史』光人社・2008年)として著わしたことだった。

およそ40年にわたって被爆米兵のことを調べ続けた森さん自身も8歳の時に被曝し、多くの知人を喪(うしな)っている。そんな過去を持つ森さんは、訪米して12人の米兵の遺族を探し当て、一人、また一人と面会していった。

アメリカの遺族が感動したのは、即死を免れて辛うじて2週間近く生存した2人の米兵が宇品(うじな)で治療を受けた上で亡くなり、手厚く葬られ、墓標も立てられていたという事実だった。

「広島では、米兵犠牲者も追悼の対象になっています。彼らを含めた全犠牲者を悼み、核廃絶への祈りを広島から発信してください」。広島市民のその思いは、やがて、英訳された森さんの作品『原爆で死んだ米兵秘史』と共にホワイトハウスに持ち込まれ、この事実がアメリカに伝わった。「謝罪のためではなく、米兵を含む全犠牲者への追悼を!」という広島市民の声が、ついにホワイトハウスを「揺り動かした」のである。

周知のように、アメリカの退役軍人組織「アメリカ在郷軍人会」は、米政界に大きな影響力を持つアメリカ最大の圧力団体の一つだ。「原爆投下は、その後の日本本土上陸作戦で失われるはずだった多くのアメリカ兵の命を救った」という論が、いまだにアメリカでは大勢だ。つまり、アメリカでは、原爆投下に対する“謝罪”は、今も「許されていない」のだ。

米大統領の被爆地訪問が一度も実現しなかったのは、このアメリカ最大の圧力団体「在郷軍人会」の力を見せつけるものでもあった。だが、そこに森さんが調べた「12人の米兵」を含む全犠牲者への「追悼のために」という新たなキーワードが加わったことによって、オバマ大統領の広島訪問へのタブーは「取り除かれていった」のである。

あのオバマ大統領の電撃訪問と、17分間の感動のスピーチは、こうして実現した。そして、スピーチの後、招かれていた森さんに歩み寄ったオバマ大統領は、森さんを抱き寄せ、優しく背中を撫でた。全世界に映し出されたそのシーンを見て、私は、感動で心が震えた。

それは、あきらめることなく、気の遠くなるような長期にわたって、こつこつと調査を続けた森さんの努力と執念が報われた瞬間だったと思う。そのことをたまたま知っていた私は、当ブログをはじめ、いくつかの媒体で、オバマ広島訪問の裏舞台を書かせてもらった。

今朝の森さんからの電話は、そのことに対するお礼だった。お陰で、立派な賞をいただきました、と。その時、私は森さんのこの気配りと優しさこそが、広島へオバマ大統領を呼び寄せた“赦(ゆる)しの心”に繋(つな)がっているのではないか、と感じた。

「謝罪」を要求することは、たやすい。現に、憎悪を煽り、国家間の軋轢(あつれき)を助長することに邁進(まいしん)する国が、日本のすぐ近くには存在している。

しかし、広島市民は、謝罪要求を敢えて封印し、この被爆地・広島の地から「核廃絶の意味と、その祈りを発信してください」という、より重要な、いわば‟大義”に向かって突き進んだ。私はそのこと自体に心を動かされたのだと思う。

その立役者であった森さんが、菊池寛賞を受賞した。私は、思惑や商魂が左右する昨今の賞の中で、偉業を達成した‟市井(しせい)の人”森さんにスポットライトをあててくれた菊池寛賞とその選考委員に感謝したい。埋もれた事実を発掘し、世の中を動かした人が受賞するに相応(ふさわ)しい賞だったと、私は思う。

カテゴリ: 歴史

国会「二重国籍」論議が示したものは何か

2016.10.06

これは、逆に、蓮舫氏に感謝すべきことかもしれない。私は、昨日(5日)、今日(6日)と2日にわたって続いた自民党の有村治子議員の「二重国籍」に関する国会質問を見ながら、そう思った。

民進党の蓮舫氏が「二重国籍」を隠したまま、三度も参議院議員に当選し、行政刷新担当大臣という閣僚にも就いていた事実は、国会に大きな波紋を広げた。なぜなら、その二重国籍騒動の中で、蓮舫氏の過去の発言が次々と明らかになり、結果的に、民進党代表選のさなかでの発言が虚偽であったことが白日の下に晒されたからだ。

朝日新聞紙上で発言していた「(日本の)赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」(1992年6月25日付夕刊)、「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」(1997年3月16日付夕刊)、週刊現代誌上での「そうです。父は台湾で、私は二重国籍なんです」(1993年2月6日号)、あるいは、文藝春秋「CREA」誌上での「だから自分の国籍は台湾なんですが、父のいた大陸というものを一度この目で見てみたい、言葉を覚えたいと考えていました」(1997年2月号)…等々、かつて蓮舫氏は、二重国籍を隠すことなく、堂々とこれを表明していた。

日本より、むしろ「父の生まれた国」への熱い思いを滔々と語っていた蓮舫氏が、民進党代表選の過程で、元通産官僚の八幡和郎氏(現・徳島文理大大学院教授)の指摘でこの問題が浮上するや、発言が二転三転し、ついには、代表選の途中で「台湾籍離脱の手続き」をせざるを得ないところまで追い込まれたのは周知の通りだ。

代表選の対抗馬だった前原誠司氏にも「ウソは言うのはよくない」と窘(たしな)められたほどの蓮舫氏が、それでも代表に当選するあたりが、民進党という政党の限界を表わしているだろう。

しかし、ここで重要なのは、国益が衝突する外交や国防の最前線で、果たして蓮舫氏のように、「父の母国」に強い思いを持つ二重国籍者に、日本の自衛隊の最高指揮官であり、外交の責任者たる「総理」になる資格が果たしてあるのだろうか、という根本問題である。

外交や防衛の最前線では、言うまでもなく、ぎりぎりの判断が求められる。日本の国益を代表してその任に当たる人物が、「(日本の)赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」という人物があたることに疑問を持たない人はいるのだろうか。

日本では、国籍選択は国籍法第14条によって規定されており、「二重国籍」は認められていない。また、外務公務員法には「外務公務員の欠格事由」という項目があり、二重国籍は厳しく戒められている。それにもかかわらず、前述のように日本の自衛隊の最高指揮官であり、外交の責任者たる「総理」に二重国籍者が「就く資格」が果たしてあるのか、ということである。

本日の参議院予算委員会で有村治子氏は、外交官以外にも、総理補佐官や外務大臣、自衛隊員、要人警護のSPなど、国家機密に近い、あるいは、これを知る立場に就く人が二重国籍者であってもいいのか、という問題意識をもとに質問をおこなった。

現行法制度のもとで二重国籍状態にある人物が閣僚など「政府の要職」に就く可能性が排除されないことに関して、安倍首相は、「国家機密や外交交渉にかかわる人々であり、適切な人物を選ぶよう運営してきた」と説明し、「問題点として存在する。われわれもしっかり研究したい」と答弁するにとどめた。

外務公務員法にのみ、明確な「二重国籍」の禁止条項があるという歪(いびつ)な法体系を炙り出すことになった今回の二重国籍騒動。民進党には、コスモポリタニズムを信奉し、世界市民(地球市民)を志向する人が多いのかもしれない。

しかし、民進党が、国益がぶつかり合う国際社会の舵(かじ)取りを任せられる政党ではないことが、有村氏の国会質疑で浮かび上がったことは間違いないだろう。

カテゴリ: 政治

小池都知事は「税金“掴み取り”時代」に終止符を打てるのか

2016.09.30

国会、そして都議会も開会し、いよいよ政治の季節がスタートした。国会では、早くも「年明け解散」の憶測が流れ、与野党の攻防が本格化している。しかし、なんといっても、世間の注目は、小池百合子東京都知事だろう。

一昨日(9月28日)、都知事就任後初の都議会の本会議で、所信表明演説をおこない、豊洲問題について「都政は都民の信頼を失ったと言わざるを得ない。誰が、いつ、どこで、何を決めて隠したのか、責任の所在を明らかにしていく」と語り、“旧勢力”への事実上の宣戦布告をやってのけた。

小池氏は、さらに「なれ合いや根まわしでコトを丸く収めるのではなく、都民の前で決定過程を詳(つまび)らかにする。議論をぶつけ合うのが、新しい姿だ」と述べ、都議会との真剣勝負も宣言した。

私は、「やっとこういう時代が来たか」と、東京都の納税者の一人として思う。全国で唯一、地方交付税の分配を受けない富裕自治体・東京。2億5千万人の人口を抱えるインドネシアと同規模の「13兆円」の予算を有する東京都では、当初の計画からいくら金額が膨張しようが、「すべてOK」という納税者からは信じられないような感覚が都庁全体に蔓延(まんえん)していた。

いわば業者による税金の“掴(つか)み取り”である。豊洲市場にかけた異常な予算には、盛り土のない空洞問題よりも、都民の多くはそちらの方に溜息をついている。

豊洲市場の主要3施設の落札率は「99・9%」だったという報道に接して怒りを覚えない納税者はいるだろうか。平成25年11月に行われた1回目の入札時の予定価格は、3棟で合計約628億円だったが、応札がなく不調に終わり、12月におこなわれた再入札では、一挙に1035億円まで膨らんだという。

土壌汚染対策費も当初の約1・5倍にあたる858億円に膨張するなど、最終的な総事業費は5884億円に及ぶとされる豊洲市場。まさに「税金“掴み取り”」の集積とも言える様相を呈している。

東京五輪の予算の膨張ぶりもまた、溜息が出るばかりだ。コンパクトな大会が売り物だったはずの東京五輪の開催費の総額が、いつの間にか、招致段階の7340億円から4倍以上の「3兆円」にハネ上がる見込みというのである。

これは、東京都の都政改革本部の会議が試算したものだが、果たして、そんな膨張を納税者の誰が許すのだろうか。

湯水のごとく税金を使うのではなく、質素で、それでいて整然とした日本らしいオリンピックにして欲しいというのは、都民だけでなく国民全体の思いだろう。関連施設や競技会場の建設にあたって、業者による落札率が100%近くになるような事態は、絶対に許してはならない。

小池都知事は一体、誰と、そして何に対して戦いを挑むのだろうか。それは、富裕自治体として、ほとんどチェックもなかった「税金“掴み取り”体質」である。

長年、業者と飲食を共にし、さまざまな恩恵を受けながら、「都議―業者―都庁職員」という納税者不在のトライアングルは維持されてきた。この長年の悪弊、言ってみれば、窺い知ることができなかったブラックボックスを打破できるかどうか。小池氏の手腕は、そこにかかっている。

2020年の東京五輪後、日本は政治の大動乱期を迎える。仮に、小池氏が東京都の膿(うみ)を出し切り、数千億円、いや、それ以上の税金を都民のもとに取り戻すことができるなら、小池氏は、‟ポスト安倍”の筆頭に躍り出るだろう。

「維新」との連携で、小池新党は、東京五輪後の政界のイニシアティブをとることができる可能性がある。石原慎太郎氏が80歳になってから都知事を辞任し、「総理への道」を夢見て17年ぶりに衆議院議員に復帰したように、小池氏の最終目標も、当然、「総理の座」にある。

税金にたかる“トライアングル”の元凶を炙(あぶ)り出し、納税者の負託に応えて欲しいと心から願う。

カテゴリ: 政治

「小池百合子氏圧勝」が証明した“DR戦争”の決着

2016.08.02

小池百合子氏の圧勝で、ほっと胸を撫で下ろした人が、私のまわりには沢山いる。なにより恐れたのは、「鳥越氏が都知事になることだった」という人がいたのでその理由を聞いたら、「都政が“プロ市民”たちに牛耳られるのは、どうしても嫌だった」という。

たしかに都民とは関係のない「憲法改悪阻止」「ストップ・ザ・安倍」「非核都市宣言」……等々と、昨年の国会周辺を取り巻いた人たちが主張することをそのまま述べておられた鳥越氏とその支援者たちに、ある種の“恐怖”を感じた向きは少なくなかったようだ。

都庁で“プロ市民”が跋扈(ばっこ)し、13兆円もの予算に大きな影響を与えるような事態が避けられたことは、たしかによかったと思う。

前回のブログでも書いたように、日本の人口の10分の1が集中する大都市東京では、人生の終末を迎えた老人たちが悲惨な環境にいる。「待機児童問題」より遥かに深刻な問題がそこにはある。

NHKは、「漂流老人」という言葉を用いて、劣悪な環境の中で人生の終末を過ごす人々の姿を捉えていたが、「待機児童」問題も含めて、つくづく東京に住む人は、幸せをつかめていないように感じる。

そこへ1970年代の思想そのままの“老ジャーナリスト”が出て来ても、支持を得られなかったのは、当然だったように思う。

統一候補として鳥越氏を担いだ野党四党は、直前の参院選で計「240万票」を獲得している。知名度のある鳥越氏を統一候補にできた段階で、野党には「勝てる」という目算があっただろう。

しかし、鳥越氏が獲得した票数は、わずか「134万票」。目論見より100万票以上、少なかったのである。そのことをどう見るか。私は、この選挙が「新時代の到来」を意味するものであったということを感じる。ほかの言葉で言い換えるなら、“ドリーマー時代の終焉”ということだ。

今の世の中が、昔のような「左」と「右」との対立の時代でないことは、当欄でも繰り返し論評してきた通りだ。現実には決して目を向けない“ドリーマー(夢見る人)”と、現実を直視する“リアリスト(現実主義者)”の戦いという「DR戦争」がつづいている今、その「決着」を示す選挙結果だったように思う。

今回の選挙がおもしろかったのは、「DR戦争」を明確に示すキャラクターが揃ったことだった。まさに鳥越氏は、“ドリーマー”を代表する人物だったし、“リアリスト”である増田氏と小池氏の二人は、「組織をバックにする人」と「そうでない人」に分かれて、有権者の審判を仰いだ形になった。

選挙戦の過程で、鳥越氏は、過去に尖閣問題に関して、「一体どこの国が日本に攻めてくるって言うんですか」「(中国が攻めてくるというのは)妄想です。そんなことはあり得ない」「万一、ないとは思うが中国が攻めてくる可能性はあるかもしれない。その場合は、自衛隊が戦うべきです。アメリカなんか要らないです」と、支離滅裂な発言をしていたことが明らかになった。

それは、70年代から時間が止まっているのではないのか、と思わせるレベルの低さであり、実際に選挙演説でも、「ガン検診受診率を100パーセントにする」「島嶼部では、消費税を5パーセントにする」という現実離れしたことを語り、口を開けば開くほど票を減らしていった。

自らの女性スキャンダルが報じられた際の対応も最悪だった。「事実無根」として週刊誌を検察へ刑事告訴したが、出演したテレビ番組では、当該の女性とその旦那との「三者会談」をおこなったことを認めてしまった。その上で、最後まで記者会見も開かず、「一体、どの部分が事実無根なのか」という有権者の根本的な疑問には、ついに答えることがなかった。

その人物が、慰安婦の一方的な証言には、「立派な証拠になる」と発言していたことや、また、自らサンデー毎日編集長時代に宇野宗佑首相の女性スキャンダルを女性証言だけで報じたことを「上に相談せず、自分のクビをかけて世に出した」と答えていたことがわかり、まさに“史上最大のブーメラン”という笑い話にもなってしまった。

出馬表明の時が「支持がMAX」であり、あとは本人の実像が露わになるにつれて、票が減り続けるという、‟喜劇の主役”ともなった鳥越氏を見て、私は、この鳥越氏の「票の減り方」こそ、新時代の到来を意味するものだと思った。

もし、インターネット時代以前の「新聞」と「テレビ」だけが大衆の情報源だった時代なら、鳥越氏の「虚像」は、維持されたに違いないと思うからだ。マスコミの「主役」である“ドリーマー”のジャーナリストや評論家によって、露骨な鳥越氏支持の番組が目についたが、もはや、それが「通用しなくなった」ことを、今回の選挙は明確に示したのである。

私が注目したのは、投票日の出口調査で、20代の若者の中に、鳥越氏を支持する人が、「10パーセント」に満たなかったという事実である。各メディアの出口調査で、そのことが明らかになったことで、私は、「うーん」と唸ってしまった。

鳥越氏を支持している層とは、「高齢者」であり、若者は、いくら既存のマスコミが鳥越氏を推しても、もはや反応しない。笛吹けど「踊らない」のである。なぜだろうか。

それは、若い人こそ「現実」を見ているからだ。あの民主党政権時代の「3年3か月」で、就職の“超氷河期”を過ごし、いわば地獄ともいうべき「現実」を徹底的に見せつけられた。彼ら若者は、口では、耳ざわりのいいことばかりを唱えるドリーマー政治家たちの「本質」をとっくに見てとっていたのである。

それを思うと、2位増田寛也氏に100万票以上、また、3位鳥越俊太郎氏にはダブルスコア以上の大差をつけた「291万票」という小池百合子氏の大勝には、さまざまな意味が含まれていたことがわかる。

日本の選挙の中で、唯一、コントロールが利かない選挙――それが東京都知事選である。1100万人(正確には、1127万4000人)の有権者を持つ東京都知事選の結果は、言うまでもなく日本の「今後」を指し示すものである。

悔しくてたまらない既存メディアは、これを「若者の右傾化」と呼ぶ。あるいは、「ネトウヨ」などというレッテルを貼って、その真実を見ようとしない。だが、今回の選挙で明らかになったのは、「若者こそリアリスト」であり、彼らが「DR戦争の主役である」ということだ。

60年安保を経験した高齢者、70年安保を戦った団塊の世代。先にイデオロギーありきの「55年体制」にどっぷり浸かった、言わば“55年症候群”の人たちの時代は「終焉を迎えた」のである。

世代間戦争は明らかに若者、つまり、リアリストの勝利となった。その意味で、小池氏大勝は、高らかに“新時代の到来”を宣言するものだったと思う。

カテゴリ: 政治

いよいよ東京都民の「見識」が問われる

2016.07.13

私は、溜息ばかり吐(つ)いている。一連の都知事選候補者騒動を目の当たりにして、である。タレントの石田純一氏(62)が突然出てきたり、小池百合子氏(63)が「都議会の冒頭解散」という“あり得ない公約”をブチ上げたり、都知事選が‟劇場型”であることは承知しつつも、「おいおい、大丈夫か」という思いが強い。

それでも、最後の最後に、鳥越俊太郎氏(76)が野党統一候補として出てきたことへの驚きに比べれば、まだまだ大したことではなかっただろう。鳥越俊太郎氏の名前を聞いて、いったい「都政をどう考えているのか」「都民も舐められたものだ」と思ったのである。

鳥越氏の7月12日の記者会見での発言を聞いて、私は自分の耳を疑い、「ああ、やっぱり」と思った。舛添問題の発端となった例の都立市ヶ谷商業跡地の韓国人学校増設問題に対する質問に、彼は「具体的に知りません」と答えたのである。

当ブログでも何度も書いてきたように、市ヶ谷商業跡地の韓国人学校増設問題とは、待機児童、待機老人問題に悩む東京都の喫緊(きっきん)の課題として浮かび上がったものだ。しかし、鳥越氏は、その問題を知らない。

「(知事の)任にあたることになったら、東京都民に納得いただける策を打ち出したいと思います。今の段階では、そういう立場にないですから詳しいことは言えません。すみません」

鳥越氏は会見でそう言ったのである。そして、彼の口から出たのは、憲法改正問題や安全保障法案の問題で、ひたすら安倍政権批判だった。数日で「消えた」タレントの石田純一氏が、都政とは関係のない「国政レベルの話に終始した」のと、まったく同じだったのだ。

さらに鳥越氏は、「中国、韓国、アジア各国の首都と首都サミットのようなものを開いて、若者の文化交流、音楽の交流を首都レベルでお互いに続けていく。そうすることで、国では難しいけど、自治体同士で地に足が着いた交流ができるかもしれない。そういうことは、ちらっと考えています」と語った。

私は、「あーあ」と思った。舛添氏がおこなった、まさに“都市外交”とやらの弊害が都民から反発を食らったまさに韓国人学校増設問題だったのに、鳥越氏は、それを知らないばかりか、さらに国を飛び越えた“都市外交”を押し進めようというのである。

頼むからそんなことに都民の税金を使わないでくれ、是非、都内の老人施設をまわり、都心の高齢者がどんな環境で人生の「最期」を迎え、どう過ごしているか、見て欲しい。私は、心からそう叫びたくなった。

‟二元外交”をおこなえば、相手に誤ったメッセージが伝わってしまう危険性があり、舛添氏がそこから躓(つまづ)いたことも知らないまま、あなたは「野党統一候補」という御輿(みこし)に乗って出てきたんですか。私は、そう思って、暗澹たる思いになった。

前回のブログでも書いたように、「2代」つづけて自公が押し立てた都知事がスキャンダル塗(まみ)れで任期途中で辞任した。猪瀬、舛添という2人の都知事の不祥事に、最も反省しなければならないのは、二人を選んだ東京都民である。しかし、それを押し立てた自公が、性懲りもなく、東京都民の税金を4000億円も地方に割り振った元岩手県知事の増田寛也氏(64)を担いだのである。

前回のブログで、「自公に鉄槌を!」と私は書かせてもらったが、本当に反省のかけらもない、どうしようもない組織だと思う。全国でダントツの数を誇る待機児童8000人、そして日本で最も悲惨な最期を迎えている大都会東京の待機老人たち――いったい、今すぐ手を差し伸べなければならない彼らを差しおいて、都民の税金はどこへ消えているんだろうか。

まともな都政論争を聴きたい、と心から思う。今日おこなわれた日本記者クラブでの四者の討論会を聞いていても、鳥越氏の話を聞いて、「なぜ都知事なのか」「せめて都政というものを少しは勉強してくれ」と思わない人はいただろうか。

私は『リーダーの本義』というビジネス書を出したばかりだが、「あなたには、“リーダーの本義”というものがわかっていますか」と問うてみたい衝動に駆られた。

野党統一候補でいけば勝てる、というネームバリュー重視の選択だったのだろうが、いかにも都民は「舐められた」ものである。いい加減、都民も「見識」を示さなければ、さまざまな意味で、次世代へ禍根を残すだろう。

カテゴリ: 政治

次の都知事には「本義に生きる人」を

2016.06.15

つくづく人間の器量とは、土壇場でこそ発揮されるものだと思う。舛添要一都知事の醜態は、人間として、リーダーとしての「行動」「考え方」「覚悟」、あるいは、「身の処し方」……など、あらゆることについての「教訓」を後世に残してくれた。

その意味では、舛添氏は、長く日本の歴史に「名を残した」ことになる。国民の怒りが尋常なものでないことを最後に知った与党の自民党と公明党の優柔不断さも見苦しいものだった。「引導を渡した」のは与党だったとはいえ、とても許されるべき感覚ではなかっただろう。都民による彼ら「自公への鉄槌(てっつい)」は、いつか必ず振り下ろされるべきだと私は思う。

それにしても、待機児童問題で悩む「新宿区の要請」を蹴って、旧都立「市ケ谷商業」の跡地を韓国学校の増設用地として貸し出すという舛添氏の方針が明らかになって以降、丸3か月も迷走した末の辞任劇に、私は、ある種の感慨を覚えている。

市ヶ谷商業跡地問題で、〈これは、ひょっとしたら、舛添要一都知事の“命取り”になるかもしれない。私はそう思っている。いや、そうすべきだと思う〉と、当ブログで書かせてもらったのは、ちょうど3か月前の3月17日だった。

以後の動きを私は、へえーっと溜息をつきながら、見させてもらった。都知事として呆れるようなケチな“醜聞”が次々と噴出して来た。そして、その疑惑解明の最大の功労者は、今回も週刊文春だった。またも“文春砲”の威力を見せられたのである。

先週号で「独走第6弾」となっていたが、まさに政党交付金という名の「税金」にたかる公私混同の政治家の姿について、実に細かく、丹念に、辛抱強く、報道してくれたと思う。それは、国民の税金で政治資金、すなわち政党交付金を賄うべきか否か、ということの是非まで問うものでもあっただろう。

物事の真相や疑問点への解明を週刊誌に“丸投げ”するマスコミばかりの中で、またひとつ週刊誌の役割を果たしてくれたのではないだろうか。

私事で恐縮だが、私は、人間の器量は、土壇場でこそ発揮され、ホンモノのリーダーとは、大きな使命、すなわち「本義」に忠実に生きる人たちであることを著わした『リーダーの本義』というビジネス書をちょうど上梓した。

これは、福島第一原発所長だった吉田昌郎氏や、終戦時、内蒙古の在留邦人の命を救い、戦後は「台湾」を救った根本博・陸軍中将、あるいは「義」のために闘い、悟りを得て「不識庵」と名乗った戦国最強武将・上杉謙信……等々、「本義」に生き、死んでいった多くのリーダーたちの姿を描かせてもらったものだ。

私は、この3か月間、この本の校了作業をしながら、舛添氏の醜態を見つづけた。都知事の本義とは何か――。私は、その意味では、舛添氏が、そのことをわかっているのか、あるいは、考えたことがあるのか、ということを、この3か月間、ずっと考えていたことになる。

都民の生命・財産を守るという最大の「本義」を忘れ、毎週末、都外の湯河原に公用車で通い、豪華外遊では都民の税金を惜しげもなく使い、生活費にさえ自身の身銭は切らず、ひたすら“税金”にたかり、待機老人や待機児童の問題など都の喫緊の課題への「視察」は一度もおこなわず、ひたすら趣味の美術館まわりを視察名目でやり続けた人物。

そんなリーダーが、すべてが明らかになっても、それでも開き直ろうとした姿は、日本人の美徳とされる「恥」の概念からも、本当に多くの教訓を私たちに与えてくれたと思う。

「私欲」のみで生きる人は世の中に多いので、それは責められるべきことでもない。しかし、1300万人の都民の生命と財産を守る「使命」のある都知事には、私は「本義」のために生きる人を選びたい。

カテゴリ: 政治

「オバマ広島訪問」を陰で実現した人々

2016.05.29

私は、なぜオバマ大統領の「広島訪問」がこれほどの感動を呼んだのか、その理由を考えている。そして、これを実現させた名もなき人々のことに思いを馳せている。

「核なき世界」は、人類の悲願だ。しかし、すべての形勢を一挙に逆転する力を持つ核兵器を相手が手放さないかぎり、「自分だけが放棄」することはできない。そのことは誰もがわかっている。

だが、世界一の核大国の指導者が「自分が生きている間は達成できないだろう」という国際社会の現実を示しながら、その核廃絶への“思い”を被爆地・広島で、予定を遥かに超える「17分間」にわたってスピーチしたのである。

この演説は、学生時代から「核廃絶」を主張しつづけたバラク・オバマという人間の集大成の意味を持つものだったと思う。その歴史的スピーチを終えたあと、彼は坪井直さん(91)、森重昭さん(79)という二人の被爆者に歩み寄り、言葉を交わした。

その姿を見て、多くの日本人は感動した。私もその一人だ。私は、特にオバマ大統領が、二人目の森さんをハグした時、「ああ、これは……」と心を揺さぶられた。なぜなら、森さんは、結果的にオバマ大統領を広島に呼び寄せた、“最大の立役者”とも言える人物でもあったからだ。

その森重昭さんを抱き、オバマ氏が背中を優しく撫でるシーンは、事情を知っている人にとって、本当に感慨深かったと思う。私は、昨年の5月26日に当ブログで「広島サミットの実現を」ということを書かせてもらったが、今回、かたちこそ違ったものの、アメリカ大統領の広島訪問を執念で実現した人たちに敬意を表したいと思う。

今回のオバマ広島訪問を実現するために大きな力を発揮した中に、一人の元新聞記者がいる。読売新聞のワシントン支局で特派員として活動し、のちに政治部長となり、現在は、広島テレビの社長を務める三山秀昭氏(69)である。

彼こそ森重昭さんの活動をワシントンのホワイトハウスに持ち込んだ人物である。いや、アメリカ大統領の来訪を待ち望む“広島市民の思い”を「オバマへの手紙」として、ホワイトハウスに持っていった人物だ。

平和公園には、世界中から年間1000万羽を超える折鶴が寄せられている。地元メディアである広島テレビは、その折鶴を再生した紙に、それぞれの思いを書いてもらい、それを「オバマへの手紙」と題し、集めるキャンペーンを続けていた。

三山氏によってホワイトハウスに持ち込まれた広島県知事、広島市長、被爆者、主婦、子どもたちなど幅広い層からの手紙には、「謝罪」を求める言葉や、アメリカへの「恨み」がつづられたものは一通もなかった。

そこには、今回、オバマ氏と対面した被爆者、坪井直さんの「あなたには、人類を救う力がある。来訪を切望しています」というものも含まれていた。被爆者たちの手紙は、ほとんどが「とにかく広島を見てください。そして核廃絶への一歩を共に踏み出しましょう」というものだったのである。

アメリカ大統領の広島訪問に、大きな力となったのは、森重昭さんが、サラリーマン生活のかたわら、捕虜になっていたアメリカ兵がこの原爆で12人も被爆死していることを調べつづけ、これを本(『原爆で死んだ米兵秘史』)として著わしていたことだった。

「広島では、米兵犠牲者も追悼の対象になっています。彼らを含めた全犠牲者を追悼して、核廃絶への祈りを広島から発信してください」

それこそが、広島市民の祈りなのである。71年間もアメリカ大統領の広島訪問が実現しなかったのは、周知の通り、「原爆投下は、その後の日本本土上陸作戦で失われるはずだった多くのアメリカ兵の命を救った」という論がアメリカで大勢だからである。つまり、アメリカでは、原爆投下に対する“謝罪”は許されないのだ。

今回の訪問が実現したのは、招く側の広島にその「謝罪」を要求する意図がなかったからである。その代わり、広島市民の「謝罪ではなく追悼を―」「原爆の悲惨さをその目で焼き付けて“核なき世界”へのアピールをー」という意図がホワイトハウスに伝わったからにほかならない。

三山氏は、ホワイトハウスへ広島市民の「オバマへの手紙」を持っていった際、森さんの被爆米兵に関する英文原稿を持ち込み、「米兵犠牲者も追悼の対象になっている」ことを縷々(るる)説明している。

つまり、アメリカ国内の世論やさまざまな事情を考慮しても、米兵犠牲者の話は、広島を訪れやすい「カード」である、として持ちかけたのである。

そして、ついにオバマ大統領の広島訪問は実現した。今回、森さんは「被爆者として」ではなく、米兵犠牲者を「発掘した人として」特別招待を受けた。その連絡があったのは、訪問わずか2日前の25日であり、アメリカ大使館から「ケネディ大使の要請」という形だった。

なぜ「アメリカ大統領の広島訪問」は実現したのか。そのことを考えると、本当に感慨深い。それは、間違いなく広島の人々の“赦(ゆる)しの心”によるものだったからである。“謝罪”を求めるのではなく、終始、“赦し”の上に立った大義を求める姿勢が、「核なき世界」を夢見るオバマ氏をついに被爆地・広島に呼び寄せたのだ。

憎悪を煽り、国家間の軋轢(あつれき)を助長することで政権の求心力を維持しようとする大国がすぐ近くに存在するだけに、広島の人々が成し遂げた“とてつもない出来事”に、私はただただ頭(こうべ)を垂れるだけである。

カテゴリ: 国際, 歴史

日中外相会談「大失敗」の意味

2016.05.02

最近、どうも不思議なことがある。安倍政権の外交姿勢である。2012年12月の政権発足以来、“対中包囲網外交”を展開し、ある意味の「焦り」を中国側に生み出してきた安倍外交が、ここのところ、どうもおかしいのだ。

中国の報道を細かくフォローしている『レコードチャイナ』が4月30日におこなわれた北京での「日中外相会談」の新華社の報道を紹介している。それによれば、中国の王毅外相は岸田文雄外相にこう述べたのだそうだ。

「この数年の間に、日中関係は絶えず波乱がありました。その原因については日本側が一番よくおわかりでしょう。近年、日本はたびたび関係改善を希望しています。もしあなたが誠心誠意で来たのであれば、私たちは歓迎します」

「中国には“その言葉を聞き、その行動を見る”という言葉があります。今日はあなたがどのように日中関係を改善するか意見を伺いたい。それと同時に、日本側が本当に行動に移すかということも見なければなりません」

「日中は隣国。私たちは当然日本と健全で安定した友好関係を発展させることを希望しています。同時に、この関係は必ず、歴史を正視するという基礎、約束を守るという基礎、協力であり対抗ではないという基礎の上に築かれなければなりません。あなたの今回の訪中が、日中関係の実質的な改善に作用することを期待しています」

これらは一読すればわかるように、「外交の常識」では考えられないような非礼な言葉の連続である。一国の外相を迎える時に、これほどの礼を失した態度と言辞で会談に臨んだ例は、なかなかあるものではない。

岸田外相に対して王毅外相が発言した中身は、要するに「日本が関係改善を希望しているから、あなたに会ってやった。もし、誠心誠意、日本が態度を改めるなら歓迎してやる」「日本にどんな関係改善の意見があるのかは聞く。しかし、問題はそれを日本が本当に行動に移すかどうかだ」「日本は、歴史を正視し、約束を守れ。中国に対抗するのではなく、中国に協力的であれ」ということである。

私は、2014年11月にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で訪中した安倍首相に対して、習近平国家主席が、憮然とした態度で会見したことを思い出した。ほかの国の首脳との会見では、バックに両国の国旗を配して、にこやかに接遇したが、安倍首相に対してだけは、あからさまに「我々は、あなたを歓迎していない」という態度をとったのである。

今回も予想されたこととはいえ、王毅外相の態度に、多くの日本人が呆れ返ったに違いない。1970年代から80年代に持て囃(はや)された「日中友好」という概念が、もはや「とうに存在しなくなったこと」がわかる。

読売新聞によると、これに対して、岸田外相は日本の記者団から会談での発言内容を質問されても、「日本の立場をしっかり伝えた」と語るだけだったという。一方、中国側は王毅外相の発言を詳しく公表し、その中には、岸田外相が「歴史の反省」に言及したとも指摘したそうだ。つまり、王毅―岸田会談は、中国側の「一方的な攻撃」で終わったのである。

産経新聞は、王毅外相の発言を中国側が以下の「4項目」の対日要求を岸田外相に出した、という視点で報じている。

(1)誠実に歴史を反省し、「一つの中国」政策を守る。
(2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」をまき散らさない。
(3)経済面で中国を対等に扱い、互恵を基礎に各領域の協力を推進する。
(4)国際・地域協力で中国への対抗心を捨てる。

いやはや凄まじい要求である。まるで宗主国が属国を指導し、窘(たしな)めるかのような文言というほかない。これらの報道を読んで、根本的な疑問を持たない人がいるだろうか。

「一体、日本は何を期待して、中国を訪問しているのだろうか」ということである。今回の訪中は、中国とのパイプの太さを強調する自民党の二階俊博総務会長と外務省における‟チャイナスクール”の積極的な動きによって実現したものとされる。

チャイナスクールとは、中国で「中国語の研修」を受けた日本の外交官たちのことだ。彼らは、語学研修時代から中国政府と深い関係を結んでいる。彼らの特徴は、中国の意向に従順で、中国を利用して自らの立身出世をはかることにある。言うなれば、「どっぷりと中国に浸った外交官たち」である。

この3月には、外務省の「チャイナスクール」を代表する横井裕氏(前トルコ大使)が駐中国大使に就任し、安倍政権下で‟干されて”いたチャイナスクール組は復活を遂げていた。

中国側の思惑通りの今回の展開は、中国がそのチャイナスクールを利用して日本側を見事に「手玉にとった」ということにほかならない。そして、今月20日に、台湾で民進党の「蔡英文政権」が発足する前に、「日台接近」に対する警鐘を鳴らすことにも成功したことになる。

着々と成果を挙げていた政権発足以来の「対中包囲網外交」を安倍首相はなぜ「転換」したのだろうか。しかし、いずれにせよ、きっかけが、前述の2014年11月に北京で開かれたAPECにあったことは確かだろう。

この時、日本は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで一致したことを「認める」という大失態を犯している。

日本政府がそれまでの「尖閣は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場から「日中両国が『異なる見解』の存在を‟認識”した」というものに転じたのである。私はそのニュースを聞いて、耳を疑った。

中国は、これからはこの合意をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出し、「日本もそれを‟認識”していたではないか」と強調してくるだろう。

「必要ならば、武力で自国の領土(※釣魚島のこと)を守る準備はできている」と事あるごとに言い続けている中国にとって、それは計り知れないほど望ましい「日本側の譲歩」だったのである。この時も、それを押し進めたのは、チャイナスクールの面々だった。

会うたびに、日本が譲歩を迫られる中国との「会談」。岸田外相は、今回の訪中で中国の李克強首相とも会談し、同氏の今秋の「訪日」を要請したという。これだけコケにされても、それでもまだ中国の首脳に日本に「来てもらいたい」らしい。

私は、せっかく成果を挙げていた安倍首相の対中外交が「変質している」ことを深く懸念する。中国との「真の友好」を目指すなら、今は中国と「接近する」ことではなく「距離を置く」ことの方が重要だからだ。

日本が中国に対して、毅然と距離を置き、中国側から日本への「接近」のシグナルとメッセージを引き出さなければならなかったはずである。経済的にも、また南シナ海での領土問題や、あるいはPM2・5などの環境問題でも、困っているのは「中国の側」だからだ。

今回の岸田訪中は、日本国民だけでなく、他のアジア諸国にも大いなる失望を生んだ。周辺諸国と摩擦を繰り返し、国際的に孤立化する習近平政権に、なぜ日本はこうも擦(す)り寄らなければならなかったのか。

絶対に譲歩してはならない国に対して、誤ったメッセージを伝えてしまった岸田外相。チャイナスクールの復活と、対中包囲網外交の変質は、これから安倍政権に重いボディブローとなって効いてくるだろう。

カテゴリ: 中国, 政治

「1票の格差」という欺瞞

2016.04.29

昨日、共同通信の配信で、この夏の第24回参議院議員選挙に「293人」が立候補の名乗りを上げていることが明らかになった。各地方紙がこれを一斉に大きく報じたことで、参院選への空気が一挙に高まった感がある。

野党は勝敗の鍵を握る32の改選1人区のうち、すでに「21選挙区」で統一候補擁立に事実上、合意しているのだそうだ。勝敗の行方は、まさに「与野党一騎打ち」の選挙区での成績次第なのである。

今回の参院選は、公職選挙法の改正によって、史上初めて「18歳以上」が有権者となる。また、「一票の格差」を是正するため、「鳥取と島根」、そして「徳島と高知」が「合区」となった。つまり、2県で「1議席」しか選ばれないのである。

熊本地震の影響もあり、衆参同日選挙の可能性がほぼ消えた今、この2点が参院選の注目点となる。私は、後者の「1票の格差」問題に大いなる疑問を持つ一人だ。

私自身が、代表的な過疎県である「高知県」の出身であることも関係しているだろう。高知県は、簡単に言えば、四国の南側(太平洋側)を占め、7100平方キロメートルもの面積がある。しかし、過疎で人口は減り続け、今は「72万8000人」しか県民がいない。川崎市の人口のおよそ半分だ。

「1票の格差」を唱える弁護士たちや、これに憲法違反のお墨付きを与えた最高裁をはじめ、司法の人間は、果たして真の意味で「1票の価値」を考えているのだろうか、と思う。

拙著『裁判官が日本を滅ぼす』でも指摘させてもらったが、司法の人間(特に裁判官)は、事案を判決文に組み込む「要件事実」だけで判断する。そのための訓練を徹底的に受けているのだ。そこで排されるのは、「事情」である。

「1票の格差」の司法判断を例にすれば、機械的に人口と議席の配分で選挙区ごとの「1票の格差」を割り出し、これを「違法」「違憲」と訴える“原告”がいれば、「要件事実」は整っている。そのまま機械的に「違法」「違憲」と判断すればいいだけである。

そこには、本来の政治が持っている役割や、切り捨てられる地方の問題、さらには都市部出身の議員たちだけで決められていく政治が何をもたらすか、それが本当に民主主義と言えるのか、というような「事情」は一切、考慮されない。

私は民主主義国家で、ある程度の「1票の格差」があるのは当然だと思っている。東京に住む人間と、地方に住む人間が数字的な「1票の価値」にこだわるなら、それは「地方を切り捨てる」しかないからだ。

有無を言わせぬ「少子化」によって、今後、日本の人口はますます都市部に集中していく。過疎県は、人口がさらに減少し、不便な地方に住む人はどんどん少なくなっていく。そこから選出される国会議員もいなくなっていくのである。

すでに過疎県は「合区」にされ、今後、過疎化が進めば、2県だけでなく3県、4県で「1議席」という事態も遠からず来るだろう。都会出身ばかりの国会議員によって国政が論じられ、ますます人口の都市部集中と過疎化が進んでいくというわけだ。

高校野球だって、そのうち、東京や大阪、神奈川など人口の多いところから何校も出場して、地方は「2県に1校」、「3県に1校」などという時代が到来するかもしれない。「地方の時代」などと、うわべでは言いながら、実際には、完全に地方が「切り捨てられる」のである。

ちなみにアメリカの上院では、「各州2名ずつの選出」と定められており、人口が3700万人もいる「カリフォルニア州」と、わずか「56万人」のワイオミング州では、1票の格差は、実に「66倍」もある。

だが、アメリカでは、「これほどの1票の格差は許されない」として、ワイオミング州と隣の州を「合区にして是正せよ」などという声は起こらない。

日本では、わずか「2・13倍」で、‟違憲状態”なのだそうだ。弁護士たちが意気揚々と「1票の格差」を訴える原告団として裁判所に入っていくニュースをよく目にするが、私は、「この人たちは、民主主義の基本というものを本当にわかっているのだろうか」と疑問に思う。

取材や講演で、全国に出張する私は、地方で「1票の格差」についての司法判断に対して、反発の声をよく聞く。先月も北海道で、「私たちがこんなに過酷で広大な北海道に住んでいるから、北海道は日本の領土なんだ。もし、いなかったら、とっくに外国の領土になってるよ」と怒る人がいた。

地方のことを「理解」も、「想像」もできない司法の人間たちの判断によって、どんどん「地方が切り捨てられていく」のは、本当に情けないかぎりである。

「1票の格差」訴訟と、その最高裁判断への「ノー」を国民が突きつける時は、すでに到来しているように思う。政治家こそ、声を上げるべきだろう。地方出身の国会議員たちは一体、何をしているのだろうか。

果てしなくつづく都会への住民移動と、それを追いかけて「1票の格差」を是正していこうとする司法判断に敢然と反対を唱え、‟地方切り捨て”にストップをかけようとする政党が出てくれば、是非、そんな党を支持したいものだ。

カテゴリ: 司法, 政治

待機児童問題は「舛添知事」の“命取り”になるのか

2016.03.19

これは、ひょっとしたら、舛添要一都知事の“命取り”になるかもしれない。私はそう思っている。いや、そうすべきだと思う。

都議会議員のやながせ裕文氏が、「舛添知事は、韓国人学校より保育所をつくれ!」と必死で訴えている新宿区の「韓国人学校問題」のことである。

私は、都民であり、新宿区民でもある。今はもう成人しているが、二人の息子は新宿区で育っている。新宿区民として、やながせ都議に「がんばれ! なんとか舛添知事の暴走を止めてください!」と声を大にして言いたいと思う。

発端は、3月16日、東京都が韓国学校を増設する用地として、新宿区矢来町にあった旧都立「市ケ谷商業」の跡地を韓国政府に有償で貸し出す方向で「具体的な協議に入る」と発表したことだ。

そのことを報じた産経新聞によれば、「韓国政府から要請があったため」で、都は地域住民の意見を踏まえ利用方法や条件などを詰めるのだそうだ。しかし、これに反発の声が上がった。新宿区と言えば、東京都の中でも待機児童の多さで、かねて有名な地だからだ。

新宿区では、昨年4月時点での待機児童は「168名」となっている。話題になったツイッターの「保育園落ちた日本死ね!!! 何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」とつぶやいた母親ではないが、本当に「何なんだよ日本」と思っている母親はいくらでもいるのである。

都では「保育所」や「特別養護老人ホーム」など福祉施設が大きく不足しており、待機児童、待機老人問題は言うまでもなく喫緊(きっきん)の課題だ。やながせ都議によると、東京都は都立公園の緑地まで「福祉施設に転用」しなければならない事態に陥っているという。

当該の市谷商業の跡地は、現在、新宿区立小学校の校舎の建て替えで仮校舎になっており、これが終了したら、新宿区で「2校目」になる韓国人学校の用地にする計画だという。

「都民より韓国人を」という舛添知事の感覚はどこから来るのだろうか。新宿区にすでに1つある韓国人学校で生徒が収容できなくなったというのなら、自分たちで土地を探して「2か所目」をつくればいいだけのことである。

待機児童や待機老人問題をはじめ、さまざまな用途がある都の土地を「韓国人学校のために貸与しなければいけない理由」は一体、どこにあるのだろうか。しかも、昨年、新宿区長が市谷商業跡地の「継続使用」を都に打診したところ、都から「要望は受け入れられない」と断られた、というのである。

周知のように韓国人学校は、韓国の「民族教育」がおこなわれている各種学校に過ぎない。そんな学校に、なぜ都民(新宿区民)がシワ寄せを受けなければならないのだろうか。

都の資産や税金が韓国の「民族教育」のために使われることに「都民のコンセンサス」が得られるなら、舛添氏は、これを取ってからやるべきだろう。

私は、2014年7月、舛添氏が就任間もない時期に韓国を訪れたときの発言や振る舞いをどうしても思い出してしまう。当ブログでも書いたが、舛添知事はこの時、朴槿惠大統領と青瓦台で会い、まるで朝貢外交でやってきた使節のようにぺこぺこと頭を下げている。

その舛添氏の姿は韓国国民の溜飲を大いに下げさせ、セウォル号事件での窮地がつづいていた朴大統領にとって大きな“支援”となった。

そして、会談で舛添氏は、朴大統領から次のような“お言葉”を頂戴している。「一部政治家の言動で両国関係に難しさが出ているが、正しい歴史認識を共有しつつ、関係を安定的に発展できるよう努力をお願いする」「慰安婦問題は両国関係だけではなく、普遍的な人権に対する問題。真摯な努力で解決できる」と。

この「正しい歴史認識」と「慰安婦問題」について、舛添氏がどんな返答をしたのか、当時、報道はなかった。しかし、彼がこの時、ソウル大学でおこなった講演での発言を見れば、容易に想像がつく。

「90%以上の東京都民は韓国が好きなのに、一部がヘイトスピーチをして全体を悪くしているのです」――舛添氏は“事実”とは全く異なるそんな発言をしたのである。

世界各地で慰安婦像を建て、さまざまな議会で日本非難の決議をおこない、日本を貶める行動を世界中で展開している韓国に、のこのこと出かけて行き、あちこちで愛想を振りまいてきたのだ。

都民の「誰」が、こんなことを都知事に望んでいるのだろうか。私は不思議でならない。報道によれば、舛添氏の就任以来の海外出張費は、すでに「3億3千万円」にも及んでいるという。

都民の税金は、こうして喫緊の課題ではなく、知事の「都市外交」に消えている。私は、外交とは国の専管事項なので、なぜ自治体の長が、相手国に誤解を与えるような二元外交をおこなえるのか、これまた不思議でならない。

誰か、舛添氏の“暴走”を止める人はいないのだろうか。都民を守るために都議会の“解散覚悟”で都知事の不信任決議に向けて動き出す政党や都議はいないのだろうか。

いずれにせよ、「2018年都知事選」で、舛添氏の「再選」を阻むために、多くの政治勢力が結集することが強く求められる。少なくとも、私は「都民」より「外国」の利益をはかりたい知事だけは、ご免蒙りたい。

カテゴリ: 政治

「恬(てん)として恥じず」朝日新聞は“再び”死んだ

2016.02.20

昨日の朝日新聞、そして今日の産経新聞の記事を見て、目が点になった人は多かったに違いない。仰天、唖然、衝撃……どんな言葉を用いても、そのことを表現することは難しいだろう。

私は前回のブログで、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の「対日審査」での日本の主張について書かせてもらった。

外務省の杉山晋輔・外務審議官が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がなかったことを説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造」であったこと、さらには、朝日新聞の報道が国際社会に「大きな影響」を与えたことを指摘したのである。

私は、日本政府が国連の場で、こうした事実関係を「初めて」説明したことと、外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている、という趣旨のことを書かせてもらった。

しかし、昨日の朝日新聞朝刊には、その外務省に対して、朝日が「抗議をおこなった」ことが書かれていたのだ。私は職業柄、主な新聞には、すべて目を通すようにしているが、その朝日の記事には本当に驚いた。

第4面の「総合面」に〈国連委発言で慰安婦報道言及 本社、外務省に申し入れ〉と題して、朝日が国連での杉山審議官の発言に対して、〈18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」などとして遺憾であると文書で申し入れた〉と報じたのである。

「えっ? ウソだろ……」と呟きながら、この記事を読んだ人は少なくなかっただろう。朝日の記事の主要部分をそのまま引用する。

〈申入書(※筆者注=朝日が外務省に申し入れた文書)では、国際的な影響について、朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会でも見解が分かれ、報告書では「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「吉田氏に関する『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」などの意見が併記されたと説明。国際社会に大きな影響があったとする杉山氏の発言には根拠が示されなかったと指摘した。

 また、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じた点について、朝日新聞社はおわびし、訂正しているが、20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」と指摘した。慰安婦の人数については諸説あることを報じていることも伝えた。川村泰久外務報道官は文書を受け取った上で、「お申し入れの内容が詳細なので、精査させて頂きます」とコメントした〉

いかがだろうか。私は、品のない表現で大変申し訳ないが、“居直り強盗”という言葉を思い浮かべた。そして、こんな“子供の屁理屈”にも劣る言辞が通用すると「本気で思っているのだろうか」と考えた。少なくとも、自分たちが、根拠もなく慰安婦の強制連行を世界に広めたことに対して、反省のかけらもないことがわかる。

あらためて言うまでもないが、朝日新聞の報道の一例を示すと、1992年1月11日付朝刊1面トップで、朝日は、日本軍が慰安所の設置などに関与したことを示す資料が見つかった、と大々的に報じている。当時の宮沢喜一首相の訪韓わずか「5日前」にブチ上げられた記事である。

その中で朝日は「従軍慰安婦」の用語解説をおこない、〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と書いた。

しっかりと、〈挺身隊の名で強制連行〉と書き、〈その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と記述している。また、翌12日付の社説でも〈「挺身隊」の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられた〉と書いている。

これはほんの一例だが、朝日新聞は、長年の外部からの指摘に耐えかねて、ついに一昨年(2014年)8月5日、「検証記事」を掲げた。そのなかで、〈読者のみなさまへ〉と断って、わざわざ〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と、「混同」「誤用」を認めているのである。

杉山審議官の国連での発言は、もちろん、それらを踏まえたものだ。しかし、当の朝日新聞は、こともあろうに、これに対して「抗議」をおこなったのである。子供の屁理屈にもならない、というのは、〈20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」〉と噛みついている点だ。

では、その〈20万人〉がどこから出てきたものなのか、〈女子挺身隊との混同〉でなければ「いったい何でこんな途方もない数字が出てきたのか」、それを自ら指摘・告白するのが、礼儀であり、大人というものである。〈慰安婦の人数については諸説ある〉という申し入れの文言は、明らかに「開き直り」というほかない。

私は、自分自身の経験を思い起こした。2014年5月20日付で朝日新聞が、「吉田調書を入手」したとして、福島第一原発の現場の人間の「9割」が所長命令に違反して撤退した、と1面トップで報じた件だ。

吉田昌郎所長をはじめ、現場の多くのプラントエンジニアたちにも取材した私は、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』というノンフィクションを2012年に出しているが、その取材結果をもとに、朝日の記事を「誤報である」と指摘した。

それに対して、朝日新聞は「報道機関としての名誉と信用を著しく毀損する」として、私に「謝罪と訂正」を要求する文書を送りつけてきた。そして、その文書の中には、要求に応じない場合は、「法的措置を検討する」という“脅しの文言”がしっかり入っていた。

私は、朝日新聞という報道機関が「自由な言論を封殺」しようとしたことに、一種の感慨が湧き起こった。自分たちに都合の悪いことに対しては、言論や表現の「自由な空間」を守るどころか、「圧殺する」という恐ろしい体質を同紙が持っていることがあらためてわかったからだ。

私は、これで逆に大いなる闘争心が湧き起こり、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……等々で、自分にできる最大の論陣を張らせてもらった。その意味で、私に対する朝日の“脅し戦略”は、まったくの逆効果をもたらしたことになる。

幸いに3か月後の9月11日、朝日新聞は自らの「誤報」を認め、木村伊量社長が記者会見を開き、訂正・謝罪の発表と、社長退陣と編集幹部の更迭がおこなわれた。

私はその後、朝日新聞からの正式な謝罪を受けたが、今回の外務省への抗議は、「真実」を指摘された時の「開き直り」という点で、まったく「共通」のものであることがわかる。

今回の朝日の外務省への申入書には、自らつくった慰安婦報道に対する「第三者委員会」の委員の中には、朝日の報道が「国際的な影響を与えた」ということに「そうではない」と言っている人がいます、と書いている。なんと稚拙な論理だろうか。

岡本行夫、北岡伸一両委員は、はっきりと朝日の報道が韓国による批判に弾みをつけ、過激化させたことに言及しているが、波多野澄雄、林香里両委員は、「国際的な影響はない」との見解だった、というのである。

イタズラを怒られた駄々っ子が、「でも、ボクは悪くないって言ってる人もいるもん!」と、お母さんに必死で訴えているような図である。

私は、昨年末に出た朝日新聞の元スター記者、長谷川熙さんの『崩壊 朝日新聞』の一節を思い出した。長谷川さんは半世紀以上務めた「朝日新聞」にいる記者たちのことを“パブロフの犬”だと書いて、その典型例の実名まで挙げている。

〈旧陸海軍について、いかなる虚偽の悪行が伝えられても、旧軍のことであれば、記者であるのにその真否を究明することなく、なんでも実話と思い込んでしまうその現象を私は、ロシアのパブロフが犬の実験で見つけた有名な生理反射(ベルの音と同時に犬に餌をやっていると、ベルの音を聞いただけで犬は、餌がなくても唾液を出すことをパブロフは発見した)になぞらえてみた。(略)そうした条件反射のまさに典型例が、吉田証言関係の虚報でとりわけ大きな影響を内外に及ぼしたと私が見る北畠清泰であり、そして一連の虚報を背景に、OBになってからではあるが、慰安所糾弾の模擬法廷の開催へと突き進んだ松井やよりである〉

事実をそっちのけに、“条件反射”のように「日本」を貶める朝日の記者たち。彼らは、朝日に言及した国連での杉山発言の中身を今回も「抗議の段階」でしか報じていない。都合の悪いことは、ねぐり続ける朝日新聞らしい姿勢というほかない。

本日の産経新聞には、その朝日新聞広報部のコメントとして、「記事と申入書に書いてある以上は、お答えできない」というものが紹介されていた。ただ、「溜息が出る」だけである。私は思う。朝日新聞が、再び「死んだ」ことは間違いない、と。

カテゴリ: マスコミ

国連でやっと主張された「慰安婦強制連行」の真実

2016.02.17

ああ、やっとここまで来たのか。そんな思いがする。今朝の産経新聞が1面トップで〈慰安婦問題 強制連行説は「捏造」 「20万人、朝日が混同」 政府、国連委で説明〉と報じた。

日本が国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で、慰安婦問題に関する事実関係を説明したのである。外務省の杉山晋輔・外務審議官が「強制連行を裏付ける資料がなかったこと」を説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造であった」こと、さらには、朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会に大きな影響を与えた」ことを指摘したのだ。

日本政府が国連の場で、こうした事実関係を説明するのは言うまでもなく「初めて」のことだ。私は、まだまだ不十分とはいえ、政府、というより外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている。「ああ、やっと時代が変わってきた」と。

一方的に糾弾されるばかりで、歴史の真実を歪められてきた日本と日本人が、どう「本当の事実と向き合っていくか」という時代が来つつあるのではないだろうか。

これまで当欄で何度も書いてきたように、従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行」問題にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが、数多く存在した。

「公娼制度」として、そういう商売が認められていたあの時代に、そんな幸せ薄い生涯を送った女性が多かったことは、歴史に銘記しなければならない「事実」である。

当時、朝鮮の新聞には、大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となっていった。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならない。「歴史に銘記しなければいけない」という理由は、まさにそこにある。

しかし、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の官憲によって「強制連行されたものだ」と喧伝し、世界中に広めた日本のメディアがあった。朝日新聞である。同紙の一連の報道によって、慰安婦強制連行問題は、日本を窮地に追い込むアイテムとなった。

慰安婦の「強制連行」とは、「拉致」「監禁」「強姦」のことである。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら「強姦」だからだ。それを日本が「国家としておこなった」という虚偽が朝日新聞によって世界中にばら撒かれたのだ。

現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、ここに根ざしている。今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障害」となっているのは、周知の通りだ。

しかし、日本が国家として「強制連行した慰安婦」という虚偽に対して、やっと今回、日本政府が国連欧州本部「女子差別撤廃委員会」の対日審査で、初めて「反論した」のである。

私は、「違うこと」を「違う」と言うことができなかった時代を、本当に不幸に思う。いまだにドリーマーでありつづける日本のマスコミが、インターネットの普及によって、真実と向き合わなければならなくなったことを感じる。ついには慰安婦の強制連行を喧伝しつづけた朝日新聞の立場が崩れていったことを、本当に「時代の流れだなあ」と感じるのである。

日本を貶めることに邁進している人々が「歴史修正主義」なる言葉を用いて、盛んに論評をしているのを最近、よく目にする。歴史に重要なのは「真実」だけであり、「歴史修正主義」などという観念論ではなく、慰安婦の強制連行説について、本当に真実を論評して欲しいと思う。

しかし、今日の朝日新聞を読むと、この外務省による“初の反論”も、第2社会面に〈慰安婦問題「不可逆的に解決」 国連委で日本強調〉という小さな記事でしか報じられていなかった。

もちろん、全45行にしか過ぎないその小さな記事の中には、朝日新聞が過去におこなったこと、そしてそのためにこれほどの「日本への不利益」がもたらされたことなどには、一切触れられていない。

私は、今も朝日新聞に“洗脳”されつづける読者が数多くいることを不思議に思う。どうして、そこまで「日本を貶めつづけたいのか」、本当に「なぜなのですか」と聞いてみたい。

歴史上で日本は、数々の過ちを犯している。しかし、それは日本だけではなく、世界中が帝国主義、植民地主義に覆われていたあの時代そのものを把握した上で、考えていかなければならない。そうしなければ、何が真実なのかを見誤ってしまうだろう。

1970年代に、全共闘世代を中心に持て囃された「反日亡国論」。その残滓を今も消し去れないでいる日本の大手マスコミとジャーナリズム。その“負の遺産”を日本のマスコミが拭い去ることができるのは、一体いつのことだろうか、と思う。

今回の国連の場でも、中国から1993年に慰安婦の強制性を認めた「河野談話」をもとに、日本の主張に対して「受け入れられない」という激しい反発があったという。それぞれの国家の思惑が激突する「歴史の真実」をめぐる闘いは、やっと「緒についた」ばかりだ。

真実に対して「謙虚であること」が最も重要であることは言うまでもない。そして、それを毅然として主張しつづけることの困難さも、私たちは理解しなければいけない。

日本には、不幸にして“うしろから弾を撃ってくる「内なる敵」”が数多く存在している。しかし、“情報ビッグバン”というべきインターネット時代に、やっと多くの人々が真実に目覚めつつある。是非、この流れを大切にしてもらいたいと、心から願う。

カテゴリ: 歴史

大勝でも台湾「蔡英文」新総統が歩む“茨の道”

2016.01.17

一夜が明け、昨夜の興奮が嘘だったかのように台北は静かな「雨の休日」を迎えている。先週から台湾総統選の取材に来ている私は、つい10時間ほど前までの“地響き”のような熱狂と興奮が「ひょっとして夢だったのではないか」という錯覚に陥ってしまった。

行政院や立法院など、台湾政府の中心組織が集中するエリアに近い北平東路の民進党本部は、投票が締め切られる午後4時前頃から、続々と詰めかけた支持者たちによって、うねりを伴った凄まじい熱気に包まれていた。

交通を完全にシャットアウトし、本部前のステージに設(しつら)えられたオーロラビジョンに開票速報が映し出されると、群衆の大歓声がその度に湧き起こった。記者会見を終えて、蔡英文新総統(59)がステージに上がったのは、午後9時を過ぎてからだっただろうか。

「この(選挙)結果は世界に台湾の自由と民主を示した」。彼女がそう語ると群衆の興奮は最高潮に達した。予想された勝利だったとはいえ、689万票という大量得票と、国民党の朱立倫候補(54)に300万票以上の差(朱氏が獲得したのは381万票)をつけるという圧勝に、現場のボルテージは上がりつづけた。

「新しい未来、新しい台湾」
「ありがとう台湾人、ありがとう台湾人!」

オーロラビジョンに映る言葉が、喜びの大きさを表わしていた。たしかに、この結果は、測り知れないものがある、と私は思った。

国民党の馬英九政権が2期8年にわたって押し進めた中国との接近政策は、昨年11月、習近平―馬英九という初の中台首脳会談となり、「ひとつの中国」をお互い認め合う事態に至っていた。

中国に併呑される危機感が台湾全土を覆った中、有権者がどんな判断を下すか、世界中の関心が選挙に集まった、と言っていいだろう。

しかし、中国との急接近策ではなく、「現状維持」を訴え、台湾人のアイデンティティを前面に打ち出した蔡女史が、「史上最大の勝利」を得たのである。

一昨年3月、馬英九総統が進めた中台間の「サービス分野の市場開放」をおこなうサービス貿易協定に反発した若者が立法院を占拠した「ひまわり運動」をきっかけに、反国民党の空気が台湾の主流となっていた。そして、その半年後の2014年11月、統一地方選で民進党は圧勝し、馬政権は事実上のレームダック状態となっていた。

それは、今回の総統選と同時におこなわれた立法院選挙でも、過半数を遥かに超える68議席(過半数は57議席)を得たことでもわかる。まさに“うねり”のような民意が示されたのである。しかし、これほどの大衆の支持を基盤とするとはいえ、民進党政権がこれから歩むのは、“茨(いばら)の道”であることは間違いない。

露骨な中国の干渉と闘わなければならない蔡英文政権は、今や貿易の40%を中国に依存するようになった台湾経済の舵(かじ)取りの手腕が問われる。中国からやって来る年間400万人もの観光客が、これから中国政府の締めつけによってどうなるのかが、まず注目される。

民進党が党の綱領に掲げる台湾の「独立」は、実行の素振りを見せたら中国が2005年に制定した「反国家分裂法」適用への格好の口実になるだろう。

今回の取材で、多くの有権者が「今回勝っても、結局、いつかは中国に併呑される」という悲観的な予想を私に語ってくれた。低迷する経済と、大きくなる一方の台湾人のアイデンティへの意識が強く私の印象に残った。また「アメリカと日本が頼りです」と悲痛な思いを伝えてくれた人も少なくなかった。

台湾併呑を目指す中国と、それに真っ向から対決する政権の誕生で、日本の“生命線”である台湾海峡の波はますます高くなる。西太平洋の支配を目指す中国にとって、台湾併呑は既定路線であることは言うまでもない。台湾と台湾海峡へのそれぞれの思惑が交錯する「日・米・中」3か国の今後の出方が注目だ。

アメリカによる「航行の自由作戦」で、米中が南沙諸島で一触即発の状態にあるのは周知だが、すでに昨年末、アメリカはフリゲート艦2隻を含む18億3000万ドル(約2240億円)相当もの台湾への武器売却を決定している。

中国への刺激を回避するために台湾への武器売却をストップさせていたアメリカが「4年ぶり」に売却を再開したことで、「台湾関係法」に基づき、アメリカは“台湾を守る意志”を明確に中国に示したとも言える。

それらの事情や、台湾人の本音、あるいは今回の選挙の裏舞台については、複数の雑誌から原稿を依頼されているので、そこで詳しく書かせてもらうつもりだ。

いずれにせよ、茨の道を歩む蔡英文女史をどこまで支えることができるか――それはアメリカと日本の「覚悟」と「決意」が問われるものでもある。

中国の動向が、さまざまな意味で世界の懸念となっている中、大海に漕ぎ出す蔡英文新政権の行方について、私たち日本人が無関心でいることは許されない。

日本は果たして台湾をどう支援していくのだろうか。一転して静かな雨の休日となった台北で、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 台湾

加藤ソウル前支局長「無罪判決」から何を学ぶか

2015.12.17

「(無罪判決は)予想できなかった」。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長(49)が、記者会見で漏らしたこの言葉が、四面楚歌の中での裁判の厳しさを表わしていた。

本日、ソウル中央地裁において、加藤氏は韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を傷つけたとして名誉毀損に問われていた刑事裁判で、「無罪判決」を勝ち取った。

私は、昨年8月から「1年4か月」にわたる、これまでの加藤氏と産経新聞の「闘い」に注目してきた一人だ。本日は、その当の産経新聞から無罪判決へのコメントを求められ、思いつくまま、感想を述べさせてもらった。

「いったい、この裁判は何だったんだろう」と私は率直に思っている。なぜなら、そもそも加藤氏のコラムは、どこにも問題を見出しようもない、つまり、最初から裁判で争われるようなものでは「全くなかった」からだ。

ことは、韓国の有力紙『朝鮮日報』が、咋年7月18日、「大統領をめぐるウワサ」と題して興味深いコラムを掲載したのが発端だ。そこには、セウォル号事件の当日、パク大統領が「7時間も所在不明」だったこと、さらに「世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」ということが書かれていたのだ。

“秘線”とは、密会する異性のことを指すのだろうが、加藤氏はこの『朝鮮日報』のコラムを引用しながら、「噂の真偽は不明だが」ときちんと断わった上で、こんな噂が流されるほどパク大統領は追い詰められており、「権力基盤が揺らいでいる」ことを指摘したのである。

加藤氏のコラムは、さまざまな点に配慮した上で書かれており、一読すれば、大統領を誹謗中傷するようなものでないことは、すぐにわかる。公人中の公人である大統領の動静をもとに、日本の読者に「韓国の政治情勢」をわかりやすく伝えたものだった。

だが、周知のように韓国は、「言論の自由」も、「報道の自由」も、およそ存在しない国である。権力者の前では、民主主義国家で共有されている、これらさまざまな基本原則が“有名無実化”されており、要は、権力者の怒りを買えば、どんなものが「名誉毀損」とされ、どんなことで「刑事責任」を追及されることになるのか、まったくわからないのである。恐ろしい国だと思う。

それも、発端になった韓国の有力紙『朝鮮日報』のコラムは不問に伏した上で、産経新聞だけを起訴したのだから、もう目茶苦茶である。

ちょうど起訴の2日前に、加藤氏は、雑誌『正論』に「性搾取大国韓国の不都合なる真実」と題して、名乗り出て訴訟沙汰になっている米軍相手の慰安婦「ヤンコンジュ(洋公主)」たちのことを記事にし、慰安婦問題で日本を批判する韓国政府を舌鋒鋭く批判していた。そのことも、パク大統領には許せなかったのかもしれない。

「これは当然の判決であって、特別に感慨を抱くということはありません。公人中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図。このあり方は、近代的な民主主義国家の姿としてどうなんでしょうか。いま一度、考えてもらいたいと思います」

本日、判決後にそんな怒りの記者会見をおこなった加藤氏の気持ちはよくわかる。一方、加藤氏を起訴し、「懲役1年6か月」という求刑までおこなっていた韓国の検察当局は、最後に政権からも梯子(はしご)を外され、世界に「恥を晒した」と言える。

この事件で失墜した韓国の「国家的信用」が回復されるのは極めて難しいだろう。民主主義国家の根幹を成す「言論・表現の自由」がこの国に存在しないことは、先月、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)・世宗(セジョン)大学教授を在宅起訴して、世界を唖然とさせたことでもわかる。

起訴の理由は、驚くべきことに、「秩序の維持などのためには、言論の自由や学問の自由は制限される」というものだった。「気に入らない言論は叩きつぶす」「都合の悪い研究はやめさせる」というのが、韓国の際立った特徴であり、基本姿勢なのだ。まさに“独裁国家”である。

一連の出来事は、韓国が先進国と「価値観の共有」ができるような成熟した国家になるまでには、まだまだ長い歳月が必要であることを教えてくれる。

それにしても、今回の裁判は最後まで驚かされた。これまた近代国家、民主主義国家の原則である「三権分立」も韓国には「ない」ことがわかったからだ。

韓国外務省が判決を前にして、裁判所に対し、「日韓関係などを考慮し、(判決に対して)善処するよう要請した」というのである。つまり、韓国では、「司法の独立」もなく、政府が判決の中身に干渉したり、要望を出したりすることができるのである。

もともと加藤氏の起訴が、大統領の“意向”であったことは間違いなく、事件は最初から司法への政治介入から始まり、最後も政治介入で「決着させる」という極めて特異な経過を辿ったことになる。「三権分立」さえない国には、「民主主義国家とは何ぞや」と聞くことさえ憚られる思いだ。

本日、李東根(イ・ドングン)裁判長は、3時間もの判決文朗読でこう言及した。
「韓国は民主主義制度を尊重しなけければならない。憲法でも“言論の自由”が保障されている」
「外国記者に対する表現の自由を差別的には制限できない。本件も、言論の自由の保護内に含まれることは明らかだ」
「大統領の公的地位を考慮すれば、名誉毀損は認められない。私人、朴槿恵に対する誹謗目的もあったとは認めれない」

そして、「判決は、次の通りである」と前置きして、「無罪」を宣言したのである。3時間もの間、着席も許されず、立って朗読を聞き続けた加藤氏は、ついに「無罪」という言葉に辿り着いたのだ。

それは、「三権分立」もなく、最初から「有罪」という結論が決まっていた中での、まさに「予想外」の判決だった。

私は、この無罪判決は、ひとつの大きな「道」を示したと思っている。それは、加藤氏も、産経新聞も、そして官邸も、一度も韓国に譲歩せず、毅然とした姿勢を貫き通したことにある。

そして、日本政府は、あらゆるチャンネルを通じて、「この裁判がどういう意味を持っているか」を韓国に伝えてきている。一種の“脅し”である。

それは、「やれるものなら、やってみろ」という気迫が伴うものでもあっただろう。私は、一貫したこうした毅然とした姿勢が、今回の「無罪判決を生んだ」と思っている。

韓国のような国家に対して「譲歩」では何も生まれないことを日本人は知るべきだろう。それを「教えてくれた」という意味では、この裁判もそれなりの意義があったと言える。

今後、今回の国家的信用失墜に対して、韓国は長く苦しむことは間違いない。民主主義国家としての価値観が共有できない「弾圧国家」としてのレッテルが貼られた韓国は、その払拭(ふっしょく)のためには長い歳月が必要だろう。

この無罪判決で、「両国の関係は改善される」などという楽観的な観測が早くも出ている。しかし、日本側からすり寄る必要は全くない。

韓国は、民主主義国家ではないことが証明されたのだ。今後は、その“根本”に目を向けさせるために、日本は、毅然として「距離」を置き、同じ価値観を共有できるまで、じっと「待てばいい」のである。そのことを日本人は肝に銘じるべきだと、私は思う。

カテゴリ: 司法, 国際

「国家のあり方」と映画『海難1890』の感動

2015.12.05

本日、封切りになった映画『海難1890』を観に行った。朝8時40分からの、まさに最初の回である。朝早くて、さすがに「TOHOシネマズ新宿」もまだ、人影は少なかった。

これほど早く観に行ったのには、わけがある。私自身が先週、トルコ軍艦「エルトゥールル号」の悲劇と迷走する「邦人救出」問題を真っ正面から扱ったノンフィクション『日本、遥かなり』(PHP)を上梓したからだ。

拙著は、この映画の中で描かれている「イラン・イラク戦争(1985年)」だけでなく、「湾岸戦争(1990年)」、「イエメン内戦(1994年)」、「リビア動乱(2011年)」など、日本という国家から見捨てられる海外在住の邦人の「救出問題」を取り上げている。

しかし、2部構成の中の第1部で、およそ200ページを費やしてエルトゥールル号遭難事件とテヘランからの邦人脱出問題を描かせてもらっているため、映画がこの部分をどう表現しているのか、「一刻も早く知りたかった」のである。

映画は脚色されているので、拙著のようなノンフィクションとは全く異なっている。しかし、非常に見応えがある映画だった。

日本とトルコの「人」と「人」、「真心」と「真心」、助け合うということの意味、さらには、国境を越えた無償の友情の大切さ……等々、多くのことを教えてくれる力作だった。何度も目頭が熱くなるシーンがあり、さすが日本―トルコの合作映画だと思った。

私は、映画が描いた1890年に起こったエルトゥールル号の和歌山・紀伊大島沖での台風による遭難事故の部分が特に興味深かった。

見ず知らずの“異国”の人々を救出する紀伊大島・樫野(かしの)地区の村民の必死の姿が、観客の心を見事に震わせたと思う。映画と実際の「史実」を比較するのは野暮というものだろう。むしろ私は、そこで描かれている“人としての姿”に心を打たれたのである。

実際の史実がどんなものであったかは、ノンフィクションである拙著を見て欲しいが、私は、この映画が「伝えようとしたもの」について、大いに共感したのだ。

映画の中で、テヘラン在住の女性日本人教師を演じる忽那汐里(くつな・しおり=二役=)が「どうして、日本が日本人を助けられないんですか!」と叫ぶシーンがある。まさに映画の“核心”である。

国家が自国民の命を救う─それはどこの国でも当たり前のことであり、国家の重要な責務のひとつである。しかし、日本は違う。

現在に至るまで、日本は、海外に住む邦人たちをさまざまな場面で見捨て続けてきた。「イラン・イラク戦争」しかり、「湾岸戦争」しかり、「イエメン内戦」しかり、「リビア動乱」しかり、である。

幸いにイラン・イラク戦争では、トルコ航空によって邦人は救出されるが、私は、これら見捨てられ続けてきた多くの邦人に直接インタビューし、その実態を知った。「国際貢献」の最前線で、あるいは、ビジネスのために、世界の隅々で活動している邦人は、いざとなったら、日本という国から「救出の手」を差しのべてもらうことは「できない」のである。

それは、自国民の命を助けるという“究極の自衛”が、「自衛隊の海外派兵につながる」、あるいは、「海外での武力行使への口実にされる」などという信じられない「主張」をおこなう政治勢力やジャーナリズムによって、「悪」とされているからである。

彼ら“内なる敵”に対して、譲歩や配慮をおこない続けてきた日本では、最も大切な「自国民の命」が蔑(ないがし)ろにされてきたのだ。

自国民が海外で「窮地」に陥り、「救出」を待っていても、その救出を他国に委ねる国――それが日本なのである。それでも「よし」とする倒錯した考えや観念論を未だに持ち続ける人々は、自分の家族が同じように海外で窮地に陥っても「果たして同じことが言えるのだろうか」と、私は思う。

自衛隊法など、さまざまな改正を重ねながら、そして今年、紆余曲折の末に成立した種々の安全保障関連法でも、「邦人救出」には、さまざまな手枷・足枷(てかせ・あしかせ)がついているのが実情だ。

当該国が「秩序を維持」しており、当該国の「同意」があり、さらには当該国の関係当局との「連携」等の条件が満たされなければ、邦人救出に向かえず、さらに輸送についても「安全の確保」が絶対条件とされているため、ほかの先進主要国のように、あらゆる手段を通じて「自国民の救出」をおこなうことが日本は事実上、できないのである。

『海難1890』を観ながら、“究極の自衛”である「邦人救出」の意味を、多くの日本人に考えて欲しいと思った。私は今日、国家の「あり方」と、人としての「真心」について考えさせてくれる力作の映画に、久々に出会うことができた。

カテゴリ: 映画

「習―馬会談」で始まる中国の“台湾併呑作戦”

2015.11.07

「ああ、ついにやってしまった」。そんな声が猛然と台湾で広がっている。来年1月16日に総統選を控えた台湾で、国民党の馬英九総統が“ひとつの中国”を全世界にアピールするために習近平・中国国家主席との会談をシンガポールでおこなった。

この会談は、多くの台湾人に怒りと失望をもたらしている。私のもとにも、そういう声が届いている。総統選が「国民党の敗北確実」と言われている情勢で、なぜ馬英九はこの時期に会談をおこなったのか。

「馬英九は、台湾を売るのか」「これは、なりふり構わぬ国民党の生き残り戦術だ」という声が台湾で上がっている理由を考えてみたい。

本日、シンガポールのホテルでおこなわれた1949年の中台分断後、初めての首脳会談は、「両岸(中台)関係の改善こそ地域の平和発展につながる」とアピールし、“ひとつの中国”を認め合うことを確認した。このことは、これから想像以上に波紋を広げていくだろう。

来年1月の台湾総統選挙で優位に立つ台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史とその支持者、つまり多くの本省人(もともと台湾に住んでいた人々)への痛烈なパンチを外省人(戦後、蔣介石と共に大陸から渡って来た人々)の一族である馬英九は繰り出したことになる。

この会談の意味を理解するには、“ひとつの中国”を認めることが、台湾にとってさまざまな意味で大きな問題となり、同時に、いかに中国がほくそ笑むことかを理解する必要がある。

私は、今日の「習―馬会談」のニュースを見ながら、さる7月22日に来日し、衆議院第一議員会館とキャピトル東急の2か所で、台湾の李登輝元総統(92)がおこなった講演を思い出した。

李氏は、「台湾パラダイムの変遷」と題して台湾の民主化をテーマに講演した。私もその講演をこの耳で聴いた。李氏は、衆議院第一議員会館では日本の国会議員を相手に、そしてキャピトル東急では、支持者や関係者たちに対して、共に日本語でスピーチしたのである。

ここで、注目されたのは、李氏が戦後台湾を統治した国民党政権を「外来政権」だと指摘したことだ。そして、台湾は「台湾人のもの」であることを強調したことである。

李氏の訴えは、歴史を見れば、まったく正しい。台湾はこれまで、さまざまな国に支配を受けてきた歴史がある。16世紀、ポルトガル船が台湾を発見した時、ポルトガル語で「美しい島」という意味を持つ「フォルモサ」という名がつけられ、ヨーロッパに台湾の存在が初めて紹介された。

しかし、ポルトガルは台湾を植民地経営せず、その後、17世紀前半にオランダが台湾に到達した。次にスペインが進出しようとしたが、オランダはこれを撃退し、台湾の植民地支配を確立する。

このオランダ支配に終止符が打たれるのは、台湾に進出した明の将軍・鄭成功(ていせいこう)の力による。清朝に滅ぼされた明朝の復興を目指して台湾制圧をおこなった鄭成功は、福建省生まれの父と日本人の妻との間に生まれた。俗称は「国性爺(こくせんや)」であり、江戸時代に近松門左衛門が書いた「国性爺合戦」は、彼の活躍を描いたものである。

その後、鄭氏の政権を倒して清朝が17世紀の終わりから台湾支配をおこなうが、清は1895年に日清戦争で日本に敗れ、台湾を日本に割譲する。以後、日本が50年にわたって台湾統治をおこなうのである。

日本の敗戦後、台湾は、共産党との国共内戦に敗れた蔣介石率いる国民党の支配を受け、現在に至る。李登輝氏は、これら、台湾を支配してきた日本も含むすべての政権を「外来政権」と規定したのだ。

台湾は「台湾人による独自の国家」であるというのが、李登輝氏の見解だ。しかし、その台湾の総統である馬英九が、「台湾は自国の領土」として“ひとつの中国”を主張しつづけている中華人民共和国のトップとわざわざ会談し、“ひとつの中国”を認めてしまったのである。

言うまでもないが、中華人民共和国は、1949年に成立した新しい共産主義国家であり、これまで台湾を支配した歴史的な事実はない。台湾を自国の領土と主張するなら、これまで台湾を支配したことがあるオランダも、そして日本も、同じ主張をしていいことになる。

少なくとも、中国共産党が台湾を支配する根拠は見当たらない。つまり、台湾は、李登輝氏の言うように、「台湾人による台湾人の国家」というのが、最も妥当で、根拠があるのである。

では、なぜ、馬英九総統は、いわば“台湾を中国に売る”ような行動に出たのだろうか。その目的は、国民党が敗北確実の来年1月の総統選の前に、“ひとつの中国”を既成事実化し、新たに総統となる蔡英文女史の手足を縛ることにあったことは明白だろう。

中国と台湾の指導者同士が一度、“ひとつの中国”で合意した意味は大きい。なぜなら、今後、それに反するどんなことをおこなっても、それは「中台のリーダー同士のコンセンサスを破る」ことになり、「許されない」からだ。

つまり、そんなことをおこなうリーダーは、たちまち“排除される”ことになる。これは中国にとって、はかり知れないメリットである。中台の指導者が一度、“ひとつの中国”で合意したという事実さえあれば、それでいいのである。

「馬英九は台湾を中国に売り渡したのか」と非難される所以(ゆえん)がそこにある。大陸との一体化、つまり大陸への復帰こそ、外省人を代表する馬英九が隠し続けていた“本音”だったのである。

まさに「第三次国共合作」が、馬の悲願だったことになる。「それほど大陸と一緒になりたければ、自分たちだけで大陸へ帰れ!」という抗議デモの声もまた、本省人の偽らざる本音だろう。

中国と台湾の交流窓口機関が1992年に話し合った、いわゆる「92年コンセンサス(92共識)」の長年にわたる論争が、どうしても私の頭から離れない。中国側は「これで“ひとつの中国”を認め合った」と主張し、台湾側は、「その“中国”が何を意味するかは、それぞれが述べ合うこと、としたものだ」と主張して、“ひとつの中国”の原則を確認したものではない、としてきた。

それから23年が経過した今も、李登輝氏が「そのような合意があったとは、総統だった私も報告を受けていない。当時、会談に出席した人間に聞いても、合意はなかったと言っている。これは2000年以降、国民党に都合よく利用させるためにつくり上げられたものだ」と繰り返し発言しているのは周知の通りだ。

この「92年コンセンサス」問題を見ても、“ひとつの中国”を認めるということは、台湾にとって、そして本省人にとっては、許されざることなのである。

それを支持率10%台しかなくなり、退任寸前の馬英九総統が、これを全世界に向かってアピールしたのである。すでに会談の前に、台湾では、プラカードに「馬は台湾を中国に売るのか」「恥を知れ」と書かれた抗議デモが起こっていることが報道されている。

南シナ海での問題でも、常に“既成事実化”を基本とする中国共産党の戦略に、今回の会談は大きな「根拠」を与えたことは確かだ。中国にとって、馬英九は、これ以上はない“愛(う)い奴”となったのである。

アメリカの「航行の自由作戦」によって、南シナ海全域を自分の領海と主張する中国は冷水を浴びせられた。国内的にも窮地に陥っている習近平にとって、そんな折も折、大きな“成果”を馬英九がもたらしてくれたのである。

「台湾関係法」によって、台湾を守る義務があるアメリカにとっても、習―馬会談は、ショックだっただろう。なぜなら、“ひとつの中国”を互いが認め合っていることが既成事実化されれば、台湾への軍事侵攻すら、今後は「国際社会が“国内問題”に口を出すな」と、中国に言ってのけられるからである。

蔡英文女史の民進党政権にとっても、この習―馬会談の結果に、長く縛られていくに違いない。蔡英文政権が誕生する前のこの「駆け込みコンセンサス」が、中国による台湾「併呑(へいどん)」の第一歩にならないことを心から祈りたい。

カテゴリ: 中国, 台湾

「中国」vs「日米台」の激動の時代到来へ

2015.10.11

10月6日に訪日して注目を浴びた台湾の最大野党「民進党」の総統候補、蔡英文主席(58)が台湾に帰国後も、話題をまいている。

昨日「10月10日」は、辛亥革命を祝う「双十節」だった。孫文による辛亥革命勃発の記念日である。中国・台湾双方が“建国の父”と慕う孫文を偲び、両方で大々的な祝賀がおこなわれてきた。

今年の記念行事で最大の話題は、なんといっても台湾の式典だっただろう。中国の“力による現状変更”が活発化する激動の東アジア情勢――その中で、極めて重要な意味を持つ台湾総統選を「3か月後」に控え、鍵を握る人物が勢ぞろいしたからだ。

蔡英文女史が、民進党が野党に転落した2008年以来、初めて民進党主席として式典に出席した。ほかにも、総統選の国民党候補・洪秀柱(67)=立法院副院長=、新北市市長も務める国民党主席の朱立倫(54)、あるいは、親民党主席の宋楚瑜(73)、そして立法院院長の王金平(74)が一堂に会したのである。

支持率40%以上をつづけ、独走している蔡英文女史に対して、「このままでは蔡英文に勝てない」という危機感を強める与党国民党は、ついに蔡英文が訪日中の10月7日、中央常務委員会を開催し、国民党の次期総統候補として洪秀柱を立てることを「取りやめる」ことを打ち出した。

混乱状態に突入した与党国民党だが、候補の本命は、なんといっても国民党主席の朱立倫である。これまで立候補を頑なに固辞してきたが、いよいよ決断の「時」が来たようだ。2010年11月の新北市長選で、当の蔡英文女史を破った人物だけに、その決断は大きな波紋を呼ぶだろう。

5年前の新北市長選の再現となる「朱立倫vs蔡英文」になれば、国民党は豊富な資金力を誇るだけに、どんな一発逆転策をはかるか、まだ予断を許さない。テレビCMを使った巧みなネガティブ・キャンペーン等々、国民党の大反撃が予想される。

そこで、意味を持ってくるのが、蔡英文女史の今年5月の「訪米」であり、今回の「訪日」である。

前回の総統選(2012年)で馬英九に完敗した蔡英文陣営は、その原因を徹底分析した。それは、2つの「原因」に集約された。ひとつは、民進党の陳水扁・前総統による不正蓄財の後遺症であり、もうひとつは、多くの国民が抱いていた民進党に対する「不安感」である。

台湾人のアイデンティティに重きを置き、独立志向の強い民進党に「中国がどう出るか」という不安感が広がり、国民党の馬英九が支持を集めたのである。

しかし、前回総統選以後、蔡英文陣営は「現状維持」政策を前面に押し立て、「台湾独立」を含む一切の懸念を払拭し、台湾人の安心感を勝ち取ろうとした。「現状維持」とは、言葉通り、中国との関係で「現状を維持する」ということだ。

そして、さらに台湾人の安心感を勝ち取るために選んだ作戦が、今年5月の「訪米」であり、今月6日からの「訪日」だったのである。

野党・民進党の候補者であるにもかかわらず、蔡英文に対するアメリカの待遇は、驚くべきものだった。マケイン上院軍事委員会委員長をはじめ、メディロス国家安全保障会議アジア上級部長、ブリンケン国務省副長官ら、錚々たるメンバーと会見し、多国間軍事演習への台湾の参加を促す意向まで示された。蔡英文女史の顔が米『タイム』誌の表紙を飾るほどの反響を呼んだことは記憶に新しい。

そして、日本でも、安倍首相の実弟・岸信夫衆院議員の案内で、地元・山口を訪問し、帰京後、自民党幹部と会談し、さらに安倍首相本人とも「密会」するなど、日本からも破格の厚遇を受けた。

蔡英文女史は、アメリカと日本のお墨付きをもらうことに成功したと言えるだろう。これは、李登輝・元総統と、許世楷・元駐日代表という二人の大物の戦略が大いに関係している。「民進党への“不安感”さえ減らせば、勝利は疑いない」という確固たる戦略によるものである。そして、それは見事に成功した。

中国の強引な“力による現状変更”に対抗するには、アメリカ、日本、台湾が力を合わせるしかない。言いかえれば、東アジアの安定のためには、「アメリカ―日本―台湾」の強固な結びつきが必須なのだ。

しかし、中国も手を拱(こまね)いているわけではない。逆に、中国は今、沖縄へのアプローチを盛んにおこなっている。前回のブログでも指摘したように、沖縄にある米軍基地をグアムまで“後退”させることができれば、東シナ海、南シナ海での中国の軍事的優位が圧倒的なものになるからだ。

沖縄県の翁長雄志知事が先月、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会と並行して行われたNGO主催のシンポジウムで講演し、普天間基地の辺野古移設に対して、「沖縄県民の人権、民主主義が無視されている」と世界にアピールしたことを、どう捉え、どう分析すればいいだろうか。

翁長知事は、講演で、沖縄が独自の言語、文化を持つ「独立国だった」という歴史も訴えている。独立志向の沖縄から米軍基地がなくなれば、中国がどう出るかは、想像に難くない。まさに、それは中国の“意向”通りの内容だったと言える。

中国による南沙諸島(スプラトリー諸島)への進出も、実は、1992年に米軍がフィリピンからグアムに撤退した直後に起こったことを忘れてはならない。そのことを考えれば、一方の翁長知事が今年4月、訪中した際、李克強首相が会うという“破格の厚遇”を与えたことが何を意味するかは、自明だろう。

誰に、どんな厚遇を与えるか。それが、いかに大きな意味を持っているかを考えると、実に興味深い。沖縄に手をぐっと突っ込んできた中国と、一方、台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史に“お墨付き”を与えたアメリカと日本――。

最後にこの“お墨付き”が台湾総統選にどんな影響を与えるか。「中国」vs「日米台」の激動の時代到来へ、東アジアの今後の動向に決定的な意味を持つ選挙だけに、目が離せない。

カテゴリ: 中国, 台湾

激動「東アジア」の鍵を握る台湾「蔡英文女史」の来日

2015.09.30

今日で9月も終わる。11月に上梓する長編ノンフィクションの執筆で徹夜の連続である。そのため、ブログも更新できないままだった。

さまざまなことがあった9月だったが、なんといっても、安保法制が成立したことが、日本にとっては大きな出来事だったと言える。対中国法案ともいうべき安保法制が通ったことは、中国に対する「牽制」になったことは否定できない。

中国と韓国以外のアジア諸国が法案の成立を歓迎したのは、象徴的だった。いまや東アジアにとどまらず、世界中の懸念となっている中国の膨張主義。日米同盟の強化によって、尖閣と東シナ海への中国の侵攻を躊躇(ためらわ)せることができたなら、安保法制も一定の役割を果たすことになる。

それでも、私は、いよいよ東アジアで「激動が始まる」と思っている。来年1月に台湾総統選があり、そこで民進党の蔡英文女史(59)が、総統になる可能性が極めて高いからだ。

台湾人の誇りと自立を基礎とする民進党政権に対して、いったい中国はどう出るのか。仮に“何か”があったなら、アメリカは「台湾関係法」に基づき、台湾を守るのだろうか。その時、日本はどうするのか。来年以降、両岸関係(中台関係)からは、いっそう目が離せないのである。

来週、その“話題の人”蔡英文女史が来日する。日本に住む台湾人、そして応援してくれる日本人への挨拶とお披露目が目的だが、いうまでもなく安倍政権との「意思疎通」が大きな眼目だ。

10月6日に東京入りし、7日には安倍首相の地元・山口に飛び、村岡嗣政知事と山口県庁で会談する。しかも、すべて同行して道案内するのは、安倍首相の実弟、岸信夫・衆院議員である。

事実上、「安倍家」が全面的に受け入れた形での来日なのだ。そもそも、安倍首相が「師」とも仰ぐ李登輝元総統の外交ブレーンを務めたこともあるのが蔡英文女史である。その蔡女史が「師」と仰ぐのが許世楷・元台湾駐日代表である。安倍首相と許氏との親密な関係は、知る人ぞ知る。

今回、山口から帰京して、いったい蔡英文女史は誰と会うのか、中国側が神経を尖らせているのも無理はない。いざ総統になると、中国のさまざまな妨害で「来日」は難しい。それだけに彼女の東京での一挙手一投足が注目されるのである。

憲法改正によって実現した1996年の第1回台湾総統選の折、中国は軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込んだ。李登輝氏の「総統選」勝利を阻止するためである。しかし、結果は、逆に台湾人の反発を買って、李登輝氏の大勝利につながったことが思い出される。

台湾の友人からは、「総統選までの4か月間が心配だ」という声も私のもとに寄せられている。何をするかわからない中国だけに、身辺の安全も含めて徹底した警戒が求められる。そして、仮に総統選に勝利しても、政権移譲がなされる来年5月までに、国民党の馬英九総統が何を繰り出してくるかもわからない。

総統に就任後、蔡女史には、“茨(いばら)の道”が待っているが、それでも日本とアメリカがバックにいることは大きい。また、日本にとっても、東シナ海の安定のためには、「アメリカ―日本―台湾」の強固な結びつきは必須なのだ。

いま中国は、沖縄へのアプローチを活発化させている。沖縄にある米軍基地をグアムまで“後退”させることができれば、東シナ海、南シナ海の中国の軍事的優位性は圧倒的なものになるからだ。

9月21日、沖縄県の翁長雄志知事は、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会と並行して行われたNGO主催のシンポジウムで講演し、普天間基地の辺野古移設に対して、「沖縄県民の人権、民主主義が無視されている」と世界にアピールした。

翁長知事が、それに加えて、沖縄が独自の言語、文化を持つ「独立国だった」という歴史を訴えたことに、中国は、ほくそ笑んだに違いない。独立志向の沖縄から米軍基地がなくなれば、中国がどう出るかは、想像に難くない。

いま話題の中国による南沙諸島(スプラトリー諸島)への進出も、実は、1992年に米軍がフィリピンからグアムに撤退した直後に起こったことを思い起こす。そのことを考えれば、今年4月、訪中した翁長知事に、李克強首相が会うという“破格の厚遇”を与えたことが何を意味するかは、自明だろう。

沖縄に手をぐっと突っ込んできた中国と、一方、国民党の馬英九政権で冷えていた台湾との関係を緊密にし、日・米・台の総合的な安全保障を視野に入れる安倍政権。まさに、「東シナ海、波高し」である。

さまざまな意味で、蔡英文女史の来日の意味は大きい。安保法制が成立した折も折、来日する「東アジア」のキーを握る蔡英文女史の動向に注目したい。

カテゴリ: 中国, 台湾

「戦後70年」日本の未来への“障害”となっているのは何か

2015.08.29

戦後70年の「夏」が終わろうとしている。この夏は、テレビも、新聞も、ラジオも、戦後70年の企画や特集のオンパレードだった。国民の多くが70年前に終わった第二次世界大戦の悲劇の大きさを改めて思い起こしたに違いない。

報道量のあまりの多さに「戦争」と聞いて、辟易(へきえき)している向きも少なくないだろう。私自身は、海外(台湾)まで戦没者の慰霊祭のために出かけるなど、例年にも増して忙しく、印象に残る夏だった。

昨日は、「正論」懇話会の講演で、和歌山まで行ってきた。「毅然と生きた日本人~戦後70周年にあたって~」という演題で話をさせてもらったのである。

そのなかで、私はこの夏に感じたこととして、「日本の未来」に対して「障害」となっているのは「何なのか」という話を、安倍談話を例に出して講演した。それは、中国や韓国との「真の友好」を妨げているのは一体、誰なのか、というものである。

台湾から帰国したあとの8月14日に、私はちょうど「安倍談話」に接した。首相自ら記者会見をして発表した内容は、専門家が長期間、検討して出したものだけに、あらゆるものに配慮したものだったと言えるだろう。

それは、戦争で犠牲になった人々に対して、「国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜(つうせき)の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」というものだった。

そして、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、わが国は、そう誓いました」と、つづいた。

また、女性の人権についても、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、わが国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」と、述べたのである。

さらに「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、建設的な未来への重要性も語った。

それは、戦後、繰り返されてきた過去の談話やスピーチに引けをとらないものであり、実にわかりやすく、印象的なものだったと言える。安倍政権を倒したいメディアでも、さすがにケチをつけにくいのではないか、と私はテレビの画面を見ながら、思ったものである。

しかし、翌日の新聞紙面を見て、私は、溜息が出た。読売新聞や産経新聞を除いて、むしろこの談話を非難するものが「圧倒的」だったのだ。

朝日新聞は、その中でも急先鋒だった。1面で〈引用・間接表現目立つ〉、2・3面も〈主語「私は」使わず〉〈おわび 最後は踏襲〉と攻撃一色で、社説に至っては、〈戦後70年の安倍談話 何のために出したのか〉と題して、徹底した批判を加えた。

それによれば、〈侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワード〉は盛り込まれたが、〈日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ〉、談話は〈極めて不十分な内容〉であったというのである。

そして、社説子は、〈この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う〉と主張し、〈その責めは、首相自身が負わねばならない〉と締めくくった。

私は、正直、呆れてしまった。それは、いつまで経っても、中国や韓国に「日本攻撃」をするように「仕向ける」報道手法がとられ、これからもそれに添って、中国や韓国が延々と「日本を攻撃していく」という“未来”がわかったからである。

それは同時に、ここまで中国や韓国との間の友好関係が「誰によって破壊されてきたのか」を明確に指し示すものでもあった。

私たちの子や孫の世代、すなわち「未来」に向かって障害となっているのは「誰」なのか、という問いには、自ずと答えが出てくるはずである。それは日本のマスコミが、絶対に日本と中国・韓国との和解と真の友好への発展は「許さない」ということだ。

私は、今から30年前の1985(昭和60)年の夏を思い出す。「戦後40年」を迎えた夏だ。あの時、巷では「戦後政治の総決算」を唱えた当時の中曽根康弘首相を打倒すべく、朝日新聞をはじめ“反中曽根”メディアが激しい攻撃を繰り広げていた。それは、“打倒安倍政権”に邁進している今のメディア状況と酷似している。

この時、中曽根首相の「靖国参拝」を阻止するために大キャンペーンを張っていた朝日新聞が、「人民日報」を担ぎ出し、ついに中国共産党機関紙である同紙に、靖国参拝批判を書かせることに成功するのである。

文化大革命でも明らかなように、中国は「壁新聞」の国である。人民は、“お上”の意向を知るために、北京市の長安街通りの西単(シータン)というところに貼りだされている新聞を読み、上の“意向”に添って行動し、あの文革で権力抗争の一翼を担ったのはご承知の通りだ。

そんな国で、人民日報が取り上げて以降の「靖国参拝問題」がどうなっていったかは、あらためて説明の必要もないだろう。A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978(昭和53)年であり、それが明らかになったのは、翌年のことだ。その後、この時まで日本の首相は計21回も靖国に参拝しているのに、どの国からも、たった一度も、問題にされたことはなかった。

しかし、朝日が反靖国参拝キャンペーンを繰り広げ、人民日報がこれに追随したこの昭和60年以降、靖国神社は中国や韓国で「軍国主義の象徴」となり、「A級戦犯を讃える施設」とされていった。

靖国神社が、吉田松陰や坂本龍馬を含む、およそ250万人もの幕末以来の「国事殉難者」を祀った神社であることは、どこかへ「消し飛んだ」のである。靖国参拝を完全に「外交問題化」「政治問題化」することに成功した朝日新聞は、より反靖国キャンペーンを強め、中国は日本に対する大きな“外交カード”を手に入れたのである。

慰安婦問題については、これまで当ブログで何度も取り上げ、しかも、昨年、朝日新聞による訂正・撤回問題に発展したので、ここでは触れない。しかし、この問題も朝日新聞によって「外交問題化」「政治問題化」していったことは周知の通りだ。

今回の安倍談話でも、中・韓に怒りを呼び起こすように記事化し、「これでもか」とばかりに一方的な紙面をつくり上げた朝日新聞をはじめとする日本のメディア。私は、溜息をつきながら、これらの記事をこの夏、読んだのである。

折も折、フランスの「ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)」がその2日後の8月17日、興味深い報道をおこなった。同ラジオは、フランス外務省の予算で運営されている国際放送サービスだ。

この放送の中国語版が安倍談話を取り上げ、これを報じた『レコード・チャイナ』によれば、「中国が歴史問題で日本に毎年のように謝罪を迫るのは根拠のないことだ」「日本は中国への反省や謝罪だけでなく、罪を償うための賠償もしている」「永遠の不戦を誓った日本に比べ、日本による侵略、植民地化をくどくどと訴える中韓は、あまりにも遅れている」と論評した。

その内容は、常識的、かつ中立的なものと言える。敗戦国も「領土割譲や賠償、戦勝国による一定期間の占領、戦争裁判などが終われば、敗戦国の謝罪や清算も終わりを告げられる」ものであり、償いを終えた敗戦国にいつまでも戦争問題を訴え続けることに疑問を呈したのである。

さらには、「平和主義、民主主義を掲げる日本が、軍事拡張路線、権威主義の中国に屈することはない」と主張し、日本の首相が替わるたびに中国が謝罪を求めていることは、同じ敗戦国である「ドイツやイタリアでは見られない事態」だというのである。

その報道は、最後に「安倍談話に盛り込まれた“謝罪”というキーワードは、表面上は中国の勝ちのように思われがちだが、国際世論を考えれば本当の勝者は安倍首相だ」とまとめられている。だが、RFIが報じたこの内容は、日本のメディアには、ほとんど無視された。

70年もの間、平和国家としての実績を積み上げてきた日本が、「力による現状変更」で、今や世界中の脅威となっている中国に対して「謝り方が足りない」と当の日本のメディアによって主張されていることを、私たちはどう判断すればいいのだろうか。

私には、代々の日本の首相などが表明してきた謝罪や談話の末に「戦後50年」の節目に出された村山談話で、日本と中・韓との関係は、どうなったかが、想起される。

朝日新聞をはじめ日本のメディアが歓迎したあの村山談話の「謝罪と反省」によって、両国との関係は、むしろ「それまで」より悪化していった。村山談話以降の歳月は、両国との関係が“最悪”に向かって突っ走っていった20年だったのである。

どんなに反省し、謝罪しようが、彼らを“煽る”日本のメディアはあとを絶たず、日本への怒りを中・韓に決して「収まらせはしない」のである。そして、この「戦後70年」夏の報道でもわかった通り、それは「今後もつづく」のである。

どんなことがあっても、日本の未来への“障害”となりつづける日本のマスコミ。私たちの子や孫の世代に大きな重荷を負わせるそんな日本の媒体が、なぜいつまでも存続できているのか、私にはわからない。

カテゴリ: 歴史

戦後70年「バシー海峡慰霊祭」に集った人々の涙

2015.08.02

本日(8月2日)午前11時15分から、台湾南部の屏東(へいとう)県猫鼻頭にある潮音寺において、「戦後70周年バシー海峡戦没者慰霊祭」がおこなわれた。

バシー海峡と聞いて、すぐに「ああ、あそこか」と思う人は、相当な台湾通であり、戦争通だろう。太平洋戦争(大東亜戦争)末期、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡は、米軍が同海峡に敷いた潜水艦の“群狼作戦”によって、南方への日本の輸送船の多くが撃沈されるという悲劇の舞台となった。

それでも、太平洋戦争の日米主力の“決戦の場”となったフィリピンのルソン島、レイテ島への兵力の輸送は必要欠くべからざるものであり、大本営の無謀な輸送作戦は強引に続けられ、犠牲者も膨大な数になっていった。

1944(昭和19)年から1945(昭和20)年にかけて、バシー海峡は大本営によって、 “魔の海峡”“輸送船の墓場”と称されるようになった。

バシー海峡での戦没者の数は今も定かでない。しかし、バシー海峡とその周辺海域で、少なくとも、「10万人」の犠牲者が出たと言われている。私は、昨年10月、この海峡の悲劇を描いた戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』を上梓した。

主役の一人は、昭和19年8月、乗っていた輸送船「玉津丸」がバシー海峡で撃沈され、12日間もの地獄の漂流の末に奇跡的に救助された独立歩兵第十三聯隊の通信兵、中嶋秀次上等兵(2013年10月、92歳で死去)である。

中嶋さんは飲み水もない炎熱のバシー海峡を12日間も筏(いかだ)で漂流し、当初50人ほどいた漂流者の中で、たった一人、生還した。

バシー海峡の戦没者は、あくまで輸送途上の「戦死」である。 これまで大規模な慰霊祭がおこなわることもなく、「忘れ去られた戦没者」となっていた。

生き残った中嶋さんは戦後、無念の涙を呑んで死んでいった戦友たちの慰霊と鎮魂のために、半生を捧げた。戦後36年を経た1981(昭和56)年、中嶋さんは、バシー海峡を見下ろす同地に私財と日台の多くの協力者の浄財によって、やっと鎮魂の寺「潮音寺」を建立したのである。

以来、34年。長い間、風雨に晒されつづけたその潮音寺で、「戦後70年」を記念して、本日、慰霊祭がおこなわれたのだ。

どこまでも青く澄み渡った空の下、バシー海峡戦没者の遺児でもある臨済宗禅林寺の吉田宗利住職(73)による読経が潮音寺に流れる中、参列者およそ170名が、ひとりひとり順番に焼香していった。吉田住職は、拙著に登場する「駆逐艦呉竹」の吉田宗雄艦長の忘れ形見である。

3歳の時に死に別れた父親の顔を吉田住職は記憶していない。しかし、母親が亡き夫の海軍兵学校の同期の文集に残した手記には、父子が別れる時のようすがこう綴られている。

〈主人と長男は固く握手をして「じゃあ、行ってくるよ。元気でいるんだよ」と頭をなで、短い言葉を残して、決然たっていきました。虫が知らせたのか、長男宗利は、いつまでもいつまでも泣き叫んで、「父ちゃんについていくんだ」と駄々をこね、困らせました。主人がそれに答えるように幾度ともなく振り返り、手を振り振り元気でたって行った姿が、今もなお脳裏を離れません〉

その3歳の子供が、戦後70年を経て73歳となり、亡き父と、10万人におよぶ戦没者に対してお経をあげるために、佐賀県小城市からわざわざやって来てくれたのである。

潮音寺の前に設えられた祭壇の横には、李登輝・元台湾総統、海部俊樹・元総理、小泉進次郎・衆院議員、ジャーナリスト・櫻井よしこ、評論家・金美齢……等々の各氏からの花輪がところ狭しと並んでいた。また音楽巡礼者であり、シンセサイザー奏者である西村直記氏による「バシー海峡にささぐ」も演奏された。

吉田住職の読経の中、ご遺族をはじめ多くの参列者が焼香をおこなった。私もその一人だ。風雨に耐えてきた潮音寺の二階本堂に、ひとりひとりが上がり、戦没者に手を合わせた。私は、ご遺族の姿を見ながら、胸が一杯になった。

「人は二度死ぬ」と言われる。一度目は、肉体の「死」という物理的な死である。二度目は、その存在と死さえも、忘れ去られる時だ。

輸送途上の戦死者は、国からも、軽んじられてきた。しかし、その “忘れ去られた戦没者”に対して、ご遺族をはじめ、多くの方々が集まり、心から手を合わせてくれていた。

目に涙を浮かべながら焼香する方もいた。戦後70年を経て、バシー海峡戦没者への真の意味の「鎮魂」と「慰霊」が、吉田住職の読経のなかで、おこなわれたのである。

私には、尊い命を捧げた戦没者たちに「あなた方のことは決して忘れません」と、それぞれの参列者たちが心で伝えているように感じられた。

そのあと、バシー海峡の海岸線に行って、海への献花がおこなわれた。吉田住職がふたたび読経をおこなう中、参列者の中から、思わず、「おーい、日本に帰ってこいよぉー!」という声が上がった。魂だけでも日本に帰って来てくれ、という意味である。

南国でしか見ることができない抜けるような真っ青な空の下、目の前に広がるコバルトブルーのバシー海峡に向かって、参列者の間から、そんな声が飛んだのだ。日本に帰って来て欲しい――それは、参列者遺族たちにとって共通する思いだろう。

ご遺族の中には、父をバシー海峡で喪い、その妻である母親も亡くなり、母の遺骨を持って参列されていた女性がいた。母の遺骨を海に流しながら、女性は「お父さん。お母さんと一緒に日本に帰ろう」と、バシー海峡に向かって語りかけていた。

その時、「海ゆかば」が参列者の間から流れ出した。武道家・三好一男氏が、その歌声に合わせて、鎮魂の空手演武をバシー海峡に向かっておこなった。戦後70年――私は台湾最南部のバシー海峡を望む地で、亡くなった方々の無念を忘れまいとする人、そして本当の平和を祈る人の姿を見ることができた。

夜、高雄の国賓大飯店で慰霊祭の晩餐会がおこなわれた。その場で、これまで潮音寺の維持のために力を尽くしたきた台湾の方々に感謝状が渡された。私も、『慟哭の海峡』の著者として、「バシー海峡戦没者の無念と未来」と題した講演をさせてもらった。

夥しい数の日本の若者の「命」と「無念」を呑みこんだバシー海峡。彼ら戦没者を「二度」死なせることがあってはならない。私は、講演でそんな話をさせてもらった。慟哭の海峡は、70年という時を超えて、今も平和の尊さを静かに訴えていた。

カテゴリ: 歴史

折も折、「李登輝・元総統」来日をどう受け止めるか

2015.07.23

昨夜は、台湾の李登輝・元総統を歓迎する会があり、永田町のキャピトル東急ホテルに行ってきた。主催は、日本李登輝友の会である。李登輝氏は日本の国会議員有志に招聘されて、国会議員会館で演説し、日本外国特派員協会で記者会見、そして東日本大震災の見舞いに現地を訪れるため来日した。

私は、まだ現役の週刊新潮デスク時代にジャーナリストの櫻井よしこさんと共に、李登輝氏が総統時代にも、また総統を下りたあとの陳水扁時代にもお会いしたことがある。1999年と2005年である。

1度目は総統公邸で、2度目は私邸で、ともに会食を挟んで数時間にわたる取材だった。いずれも奥様の曾文惠さんもご一緒で、奥様を大事にされている李登輝氏の優しさと人柄を感じた面会でもあった。そんなこともあって、この日の歓迎会では、私はご本人を前にしてスピーチもさせてもらうという栄誉に浴した。

久しぶりにお会いする李登輝氏は、さすがに92歳というお歳を感じさせた。李氏は、1923(大正12)年生まれである。私は台湾関係だけでなく、戦争ノンフィクションを数多く書いているが、その大正生まれの方々が、ここ数年、幽冥境を異にすることが多い。

戦争ノンフィクションの中でも書かせてもらっている通り、私は大正生まれの方は“他者のために”生きた世代だと思っている。たとえば、日本では、大正生まれの男子は1348万人いるが、その内およそ200万人が戦死している。実に7人に1人である。

戦争で多大な犠牲を払い、戦後はビジネス戦士となって復興と高度成長の担い手となったこの世代は、本当に“他者のために生きた世代”だと思う。日本の統治下にあった台湾でも、多くの若者が戦死している。

李登輝氏の2つ年上のお兄さんも、フィリピン・ルソン島のマニラ攻防戦で海軍の陸戦隊の一員として戦死している。李登輝氏自身も、名古屋の高射砲部隊の陸軍少尉として敗戦を迎えている。

李登輝氏はこの日、昼間に国会議員会館で講演をし、そして夜はこの歓迎会に出席されるという、若者でもハードなスケジュールをこなしていた。

堂々たる体躯の李登輝氏がキャピトル東急の1階「鳳凰の間」に疲れも感じさせずに、SPや秘書を従えて現われたのは午後7時のことだ。たちまち会場は李登輝氏を取り囲んで“握手攻め”となったが、李氏は笑顔で応えていた。一国を率いてきたリーダーだけに、見る人に疲れなどを微塵も感じさせない様子はさすがだった。

私が直接、李登輝氏の姿を見たのは、3年半ぶりのことだ。2012年1月13日、それは李登輝氏自身が憲法を改正してまでスタートさせた直接選挙による第5回目の「台湾総統選」の最終日だった。

翌日の投開票を控え、民進党の蔡英文女史の応援演説に李登輝氏が現われたのである。新北市の中心部・板橋にあった総合競技場。ここに10万人近い支持者を集めて、蔡英文陣営は、最後の訴えをしていた。

夜の帳(とばり)が下りる中、「ドンスワン! ドンスワン!」と民進党支持者たちは、必死に叫んでいた。ドンスワンとは、台湾語で「当選」という意味だ。その時、紹介のアナウンスと共にステージに最後に登場したのが李登輝氏だったのである。

総合競技場のオーロラビジョンに映し出された89歳の李登輝氏に民衆はどよめいた。つい3か月ほど前に、李氏がガンの手術をしたということを皆が知っていたからである。

長身の李氏は、そこで蔡英文女史の肩を抱き、「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と訴えた。一瞬にして、競技場は独特の雰囲気に包まれた。私の目は、まわりの台湾人たちの様子に吸い寄せられた。

彼らは涙ぐんでいた。手で目をこする若者がいた。ハンカチで目頭を押さえる女性もいた。物も言わず、ただステージを、そしてオーロラビジョンを凝視する人もいた。

それをもし「求心力」と表現するのなら、凄まじい「求心力」というしかないだろう。あるいは、それは、政治家としての「オーラ」と表現すべきかもしれない。その時、私が思ったのは、大衆にこれほどのインパクトを与える政治家は果たして日本にいるだろうか、ということだった。

台湾の行く末を国民党に託してはいけない――国民党の元主席でもある李登輝氏自身のその姿勢は、どれだけ台湾の本省人に影響を与えただろうか。残念ながら、陳水扁時代の“負の遺産”を清算しきれなかった民進党は、選挙に敗れた。

しかし、その蔡英文女史が、ふたたび国民党に挑む台湾総統選が半年後に迫っている(総統選の投開票は、2016年1月16日)。李登輝氏が、あの新北市の総合競技場で訴えた「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」という言葉の意味が、あらためて問われる選挙を迎えるのである。

私は、自分がいるパーティー会場にその李登輝氏が目の前にいることが少し、不思議な感じがした。朝の新聞(産経新聞)に台北から日本に向かう時に記者たちに「日本の国会の中(議員会館)で演説することに対して、中国が反発する可能性はありますか」と聞かれ、「私は客人であって、私を招いたのは日本の国会議員です。中国が反対するなら、それは皆に笑われるだけのことだ」と言ってのけたことが報道されていたのを思い出した。

日本の政治家が、与党も野党も、そしてマスメディアも、中国のご機嫌ばかり窺ってきた中で、李登輝氏は長くアジアで異色の政治家だったと言えるだろう。1988年に総統就任以来、本省人出身の初の総統として李登輝氏は孤軍奮闘してきた。

郝柏村や李煥といった国民党内の外省人の大立者をひとりひとり排除し、次第に本省人として「民主国家」を実現していく“静かなる革命”は、前例のないものだった。台湾と言えば蔣介石の白色テロ時代のイメージを持つ私たちジャーナリズムの人間には、それは大きな驚きだった。

そして、李登輝氏は92歳となっても、いまだに大変な“発信力”を持っているのである。パーティーに来る前におこなわれた国会議員たち約300人を前にした議員会館での「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演内容も、すでにパーティー会場に伝わっていた。

李氏は「戦後台湾を統治した中国・国民党政権は“外来政権”である」と指摘し、さらに「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と明言したというのである。

講演を聴いた足でそのままパーティー会場に来た人も少なくなかった。私が注目したのは、講演で李氏が「“ひとつの中国”という原則について、われわれは決して同意できない」と語ったことだった。

李氏は、「あくまで台湾は、中国の一部ではない」ということを日本の国会のひとつの施設の中で明言したのである。講演後の質疑でも、「私は、(日本の)安全保障関連法案を高く評価する。日本が主体的に安全保障に対して意識を持つことが、アジア全体の平和につながっていく」とも、述べたという。

それは、長く中国の脅威と対峙してきた政治家ならではの感想だった。パーティーのスピーチでは、李登輝氏は、「我是不是我的我」という言葉の意味を語った。この言葉は、直訳すれば、「私は、私でない私である」ということである。

難解で、かつ、さまざまに解釈できる言葉だが、素直に受け取れば、自分は個人である自分ではなく、さまざまなものに尽くすために存在する、という意味だろう。

これは、李登輝氏が傾倒する日本の武士道が説く「無私の精神」と関連がある。李登輝氏はある雑誌で、後年にキリスト教に入信することで、「私とは何か」という問題に「一つの答えを見出せた」と語ったことがある。

それは、自分の命は、いつなくなっても構わない、台湾のために死力を尽くして働き、いかなる栄誉も求めない、これまでも、そして、これからもそうしていく――それが、「我是不是我的我」という言葉だと李登輝氏は言うのである。

人間が持つ「使命感」や「責任感」への思いが、いかに李登輝氏の内面に強いか、ということを感じさせる言葉だ。パーティーのスピーチでも、李氏はその言葉を語った。私は、3年半前の新北市の競技場に現われた李登輝氏の姿を思い出しながら、そのスピーチを聴いた。

私は、パーティーの最後に、これらを踏まえて、「他者のために生きた」大正生まれの男たち、そして李登輝氏について、個人的な考えをスピーチさせてもらった。そして、南シナ海をはじめ、さまざまな場所で現実の脅威となっている中国という存在についても、話をさせてもらった。

歴史的経緯も含めて、「尖閣は日本の固有の領土だ」と言いつづけた92歳の李登輝氏が、折も折、来日したことをどう受け止めるか。

そして、台湾で昨年起こった「太陽花学運(ヒマワリ学生運動)」によって、馬英九政権の中国への傾斜をストップさせた台湾の人々をどう思うか。彼らは、日本人以上に、大きな関心を持って、日本の安保法制論議を見守っている。

私は、さまざまな意味で、参議院では、現実に立脚した有意義な安保法制論議を国民の一人として期待したく思う。

カテゴリ: 中国, 台湾

いつまで続くのか「空想」と「現実」の戦い

2015.07.17

安保法制が衆議院を通過し、参議院に送られた。いつものように国会では、中身の乏しいエモーショナルな質問が繰り返された末の衆院通過だった。

私は、今国会での議論に期待を寄せていた一人だ。中国の膨張主義による領土拡大路線と、北朝鮮の核ミサイル開発という“二つの大きな脅威”に対して、日本人がどう自分たちの「生命と財産」、そして自国の「領土」を守るのか、という極めて重要な「安全保障問題」が議論されるはずのものだったからである。

しかし、「これは、戦争法案だ」「子供たちを戦場に送るな」という情緒的な主張のもと、重箱の隅をつつくような枝葉末節の議論に終始した印象が拭えない。与党推薦の参考人の学者が「安保法制は違憲である」と国会で述べたことから、その傾向はさらに強まった。

歴史的な自民党のこの“大失策”は、これほど大事な国会審議の参考人選考を「官僚に丸投げする」という信じられない感覚から生じたものだ。しかし、同時に、それは、官僚まで反乱を起こすほどの大きな安全保障問題だったことを示している。

安倍首相が言う「ホルムズ海峡の機雷除去」というのは、目の前の中国と北朝鮮の脅威に比べて、あまりに説得力の薄いものだった。それが、「国民にエモーショナルに訴えて、戦争への危機感を盛り上げ、反対の声を大きくしていこう」という野党の戦略をますます加速させる原因にもなったと思う。

憲法論議は極めて重要なので、「違憲だ」「合憲だ」とただ主張するのではなく、本質に入っていって欲しかった。国会での三人の学者による「違憲論」と、百地章・日大教授や西修・駒大教授の「合憲論」も踏まえて、本格的な論議をして欲しかった国民は多かっただろう。

私が憲法論議で興味があったのは、「形式論」ではない。それは、憲法そのものの意味も含めた論議である。平和憲法を持つ日本は、その憲法が規定している「戦力の不保持」の中で生きている。

しかし、現実には、日本は自衛隊という立派な「戦力」を持つ国である。自衛隊が持つ戦車や戦闘機、護衛艦……等々を見て、「いや、これは戦力ではありません」と言ったら、世界から腹を抱えて大笑いされるだろう。実際に、日本の憲法学者には、「自衛隊は違憲」と述べる人が多い。

では、そんな「存在」がなぜ認められているのか。そのポイントは、当の憲法が定めている国民の「幸福追求権」にある。国民の幸福は、言うまでもないが、他国からの「攻撃」や「支配」を受けないことを大前提とする。自分たちの生命や財産、あるいは領土を失って「幸福を追求」することができないことは当然だからだ。

そこに、憲法が「戦力の不保持」を謳(うた)っていながら、「自衛力」が認められ、自衛隊という「戦力」が容認されている根拠がある。その中で、国際社会の現実を踏まえて、その日本の「自衛権の行使」の線引きをどこにするかという、極めて重大な論議が今国会には期待されていたのである。

私は、国民は、切実な、本当の意味の“存立危機事態”の議論を聞きたかっただろうと思う。少なくとも私はそうだった。しかし、116時間に及ぶ衆院での国会質疑の中で、国民が関心を寄せた議論の本質には、ついに至らなかった。

最大の原因には、全質問の「9割」が、野党によって占められていたことにあるだろう。枝葉末節にこだわる野党には、「政権に打撃を与える」ことのみに汲々として、大局として国民の生命・財産を守るにはどうしたらいいのか、という最も重要な議論をおこなう意識が見られなかった。

それは、アメリカが「世界の警察」の座を降り、現実化する中国と北朝鮮の脅威の中の「日本が置かれている状況」への危機感が、野党側にはほとんど感じられなかったという意味でもある。

私は、2013年9月10日、オバマ大統領がアメリカ国民に対してテレビを通じて、「私は、退役軍人や連邦議員から“アメリカは、世界の警察官でなければいけないのか”という書簡を受け取っています」「アメリカは世界の警察官ではありません」と宣言して以降、世界は「新たな国際情勢に突入した」と思っている。

それは、長くつづいた冷戦下の国際情勢が“過去のもの”となり、その後のアメリカ“一強時代”も終焉した、ということである。

アメリカの衰退を見てとった中国が、南シナ海で他国の領土に軍事基地を建設するという挙に出たのは、周知の通りだ。そして、日本の領土であるはずの東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)を自国の「核心的利益(つまり自国の領土)」と表現し、「必要ならば、武力で領土を守る準備はできている」とまで広言するに至った。

13億人の中流化を目指して驀進(ばくしん)する中国には、圧倒的な食糧や資源の不足という事態が刻々と迫っている。それは、同時に周辺諸国への“しわ寄せ”と“脅威”となって現実化しているのである。

われわれ日本人は、この先、自分たちの子や孫の時代の平和をどう守るか、つまり相手にどう手を出させないか、言いかえれば「相手に戦争を起こさせないためにはどうすればいいか」、ということを真剣に議論しなければいけなかったはずである。

そのことが論議されるはずの国権の最高機関たる国会で、情緒的で、かつ現実を踏まえない「質問」が延々と続いたことを、国民はどう捉えればいいのだろうか。大いなる関心を持って国会質疑に見入っていた国民には、溜息しか出てこなかったのではないだろうか。

私は、これは、「左派勢力」と「右派勢力」の戦いではないと思う。いや、このいまだに「左右の対立」でしか、こういう重要な問題を捉えられない単一の思考こそ、すべての元凶ではないかと思っている。

この単一の思考法が最も蔓延しているのは、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。私はこれを「マスコミ55年症候群」と呼んでいる。1955(昭和30)年に、保守合同によって誕生した自由民主党と、左右の再統一によってできた日本社会党との「保革対立」が始まった、あの55年体制である。

イデオロギーによる考え方が“絶対”だったあの時代の思考をいまだにつづけている日本のマスコミや国会の状況には、本当の意味で溜息が出るだけである。

私は、いま激突しているのは左と右の勢力ではなく、空想家、夢想家である“ドリーマー(dreamer)”と現実を見据える現実主義者“リアリスト(realist)”であろうと思う。つまり、DR戦争だ。

「一国平和主義」、言いかえれば冷戦下の「空想的平和主義」の中で生きてきた人々が、果たして「現実」を見て本当の意味の議論ができるのかどうか。私は、参議院でこそ、国民の生命・財産、そして領土を守るために「何が必要なのか」という本当の意味の安全保障論議を闘わせて欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 国際, 政治

「習近平」を追い詰められないアメリカが歴史に残す「禍根」

2015.06.28

激動する国際情勢と、いつまで経っても「本質論」に至らない安保法制をめぐる日本の国会審議。中国の戦略にアメリカが完全に呑み込まれつつある今、「このままでアジア、そして日本は大丈夫なのか」という思いがこみ上げてくる。

6月23日、24日の2日間、ワシントンでおこなわれた米中戦略経済対話は、完全に“中国の勝利”に終わった。そんなはずはない――そう言いたい向きも少なくないだろう。しかし、私は、オバマ大統領が「いつもの失敗を繰り返してしまったなあ」と思っている。例の「オバマの口先介入」というやつだ。

アメリカと中国が安全保障から経済まで、幅広い課題について話し合うこの「対話」でアメリカがどこまで中国の譲歩を引き出せるか、世界中が注目していたと言ってもいいだろう。

報道だけ見れば、アメリカは、南シナ海での中国の“力による現状変更”に対して、中止を改めて要求し、オバマ大統領自身も、中国代表団との会談の中で、「緊張緩和」のための具体的措置を求める発言をおこなったという。それは、大統領による「異例の言及と抗議」とのことだが、本当にそんな勇ましいものだったのだろうか。

答えは、対話が終わったあとの記者会見を見れば明らかだろう。アメリカのケリー国務長官とルー財務長官、中国の楊潔篪(ようけっち)国務委員と汪洋副首相の4人がそろって記者会見したが、それは、イランと北朝鮮の核開発問題やテロ対策、また地球温暖化対策など、「幅広い分野で協力していくこと」で合意したことが成果として強調されただけだった。

逆に、その場で楊国務委員に「中国は領土主権や海洋権益を守る断固とした決意を再確認した」と発言され、「異例の言及と抗議」が、なんの効力も発していないことが明らかになったのだ。つまり、中国側は、アメリカから経済制裁等の具体的な対抗措置への示唆も言及もなく、いつも通りの「口先介入で終わる」ことを、とうに見越していたのである。

私は、アメリカは将来に大きな禍根を残した、と思っている。実は、中国にとって、このアメリカとの対話はかなり「覚悟のいったもの」だったと思う。今春、初めて岩礁埋め立てを「砂の万里の長城」という表現で告発し、空からの監視と国際世論を巻き込んだアメリカの戦略は順調に進んでいたかのように思えた。

なぜなら、中国にとって恐いのは「最初だけ」だからだ。自国の領土と軍事基地として「既成事実化」を狙う中国は、その時期さえ凌げば、あとは「どうにでもできる」ことを長年の経験から熟知している。

軍事基地を完成させた後、つまり“既成事実”としてスタートした後、いくら抗議が来ようと、それが何の功も奏さないことは、お見通しなのだ。それは中国の建国以来の歩みを振り返れば一目瞭然だ。

1949年の建国以来、ウィグル侵攻(新疆侵攻)、チベット侵攻、朝鮮戦争、中印戦争、内モンゴル粛清、中ソ国境紛争(珍宝島事件)、中越戦争……等々、毛沢東の「権力は銃口から生まれる」という言葉通り、周辺国とも、あるいは国内でも、力による政策を一貫してつづけてきた中国は、“既成事実化”が「すべて」であることを誰よりも知っているのだ。

南沙諸島の7つの岩礁に軍事基地と港湾施設さえつくり上げれば、あとは「どうにでも」なり、「国内問題に干渉することは許されない」と言って突っぱねたら、自分の思うがままであることなど、先刻承知なのである。

しかし、習近平・国家主席が置かれている現在の状況を考え合わせると、アメリカの弱腰は、実に残念に思える。それは、いま繰り広げられている中国国内の熾烈な権力抗争が大きくかかわっている。

多くの中国ウォッチャーが言及しているように、現在、習近平氏は、胡錦濤・前国家主席の派閥との激しい権力抗争の真っ只中にある。「中国共産主義青年団(共青団)との戦い」とも称されているが、腐敗撲滅運動に名を借りたこの権力抗争によって、中国の指導部内が不穏な空気に覆われているのは事実だ。

その上、習近平氏は、昨年来、人民解放軍の旧勢力との戦いにも手を出してしまった。今年3月、人民解放軍の権力者、郭伯雄(元共産党軍事委員会副主席・元上将)を拘束し、昨夏には、これまた権力者の徐才厚(同じく党軍事委員会副主席・元上将)の党籍剥奪(徐才厚氏は今年3月死去)をおこない、習氏は有無を言わせぬ権力抗争を仕掛けている。

郭伯雄と徐才厚は、およそ10年間にわたって、人民解放軍の権力者として振る舞い、多くの子飼いの幹部がいる。武力だけでなく、「やっていない商売はない」と言われるほどの巨大な商圏と利権を持つ人民解放軍を敵にまわすことは、たとえ国家主席でも相当な覚悟と勇気が必要なことは言うまでもない。

軍を敵にまわせばクーデターの恐れもあるし、事実、習氏は、首都・北京の警備主任を自分の信頼のおける人物にすげかえ、「暗殺」を具体的に防ぐ方策を採っている。

戦いの原則から見れば、相手が強大な場合、戦線を一気に拡げたり、多方面で同時に戦うことは絶対に避けなければならない。しかし、習氏は、ただでさえ胡錦濤派と激しい権力抗争をおこなっているさなかに、人民解放軍ともコトを構えてしまったのだ。

そんな時だからこそ、アメリカにとっては「今」が千載一遇のチャンスだったと言える。自らの存在を否定された上、中国に新たなリーダーの登場を期待する「戦略」へとアメリカが舵を切ったら、習氏は相当、追い込まれたに違いない。

しかし、今回の「対話」がオバマ大統領のいつもの「口先介入」だけで終わろうとしていることに、習氏はどれだけ安堵しているだろうか。「してやったり」とほくそ笑む習氏の顔が思い浮かぶ。

その意味で、南沙諸島の“力による現状変更”は、中国の既成事実化が成功し、完全にアメリカの敗北に終わりつつあると言える。

アメリカは、7つの岩礁を中国領と認めないために、「口先介入」ではなく、米軍機や米艦船を12カイリ以内に派遣し、国際世論を背景に実際に“わがもの顔”の中国にプレッシャーを与えなければならない。

すでに、南シナ海は、海南島に海軍基地を置く中国の事実上の「支配下にある」と言っていい。中国は、1隻あたり10本の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を積み込み可能な原子力潜水艦をすでに「3隻」保有している。2020年までには、これが倍増すると見られている。

海軍の総兵力は、およそ26万人にのぼり、通常潜水艦だけで60隻以上保有しているのである。北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊は、軍事費の増大につれて、年を経るごとに戦力が充実して来ている。彼らは、南シナ海全域を遊弋(ゆうよく)し、周辺国との摩擦を厭わず、事実上の中国の“内海化”を果たすだろう。

日米の隙(すき)を突いて、尖閣(中国名・釣魚島)に乗り出してくるのも、時間の問題だろう。専門家が指摘するように、最初は人民解放軍の軍人が“漁民”を装って上陸し、日本の海上保安庁がこれの排除に苦戦して自衛隊が出動するのを「待つ」のではないか、と言われている。これに類するやり方で、小規模か大規模かを問わず、“紛争”に発展させる方法をとるのだろうか。

権力掌握に苦戦する習近平氏の基盤が脆弱な今こそ、毅然とした姿勢を貫くべきなのに、アメリカは、また将来に大きな禍根を残そうとしている。“弱腰”と“無策”をつづけるのは、アメリカ民主党の宿䵷(しゅくあ)でもあるのだろうか。

それと共に、中国が大喜びするような枝葉末節の質疑に終始し、相変わらず「空想的平和主義」に陥った空虚な議論しかできない日本の国会。野党議員や日本のメディアを手玉にとり、嗤(わら)っているのは、中国だけである。

カテゴリ: 中国, 国際

中国国防白書と「広島サミット」の実現

2015.05.26

今日、中国政府は2年に1度の国防白書「中国の軍事戦略」を発表し、国防部の楊宇軍・報道官が記者会見をおこなった。南シナ海での領有権争いについて、白書にいったいどんな表現を盛り込むのか、注目が集まっていた。

周知のように、中国は南沙諸島(スプラトリー諸島)で7つの岩礁を遥(はる)か800㌔も離れた中国本土の土砂で埋め立て、飛行場や港湾施設らしきものを猛然と建設中だ。去る4月、米軍高官が「これは、“砂の万里の長城”だ」と厳しく非難し、南シナ海での力による中国の現状変更が、国際社会の懸念材料としてこれまで以上にクローズアップされていた。

国防白書の表現は、予想通り、「一部の域外の国が南シナ海問題に全力で介入している」とするものだった。「一部の域外の国」とは、言うまでもなくアメリカのことだ。名指しこそしないものの、アメリカを非難し、この問題で「一切、妥協しない姿勢」を中国は、世界に宣言したのである。

白書はこう続いている。「一部の域外の国は、頻(しき)りに海や空での偵察活動をおこなっている。われわれの海上主権を守る争いは、これから長い期間に及ぶだろう」。そう前置きして、白書はさらにこう強調した。「(われわれは)海上軍事闘争の準備を最優先し、領土主権を断じて守り抜く」と。

これまで中国要人が繰り返し発言してきた通り、国防白書でも、領有権争いでの「核心的利益」を守り抜く姿勢を明確にし、「アメリカとの対決」をも辞さない決意を明らかにしたのである。

また、日本に対しては、「日本は、戦後体制からの脱却を積極的に追求し、安全保障政策を大幅に変更した。日本の行方が地域の国々の高い関心を集めている」と、日本の動きを牽制した。

私は、昨年8月、日本が中国の海洋進出などを批判した2014年版「防衛白書」を発表した際、「日本は中国との対話を求めながら、一方で誤った立場を堅持し、中国の脅威を宣伝している」と、同じ国防部の楊宇軍・報道官が激しく非難したシーンを思い出した。

「もはや中国の暴走は、誰にも抑えられない」――そんな感想を誰もが抱いたのではないだろうか。“力による現状変更”は、相手国の堪忍袋の緒が切れた時、一挙に最悪の事態に突き進むのは、これまでの歴史が証明する通りだ。

フィリピンから在比米軍が撤退した1990年代半ば、中国は南沙諸島のミスチーフ礁を一挙に占領して建造物を構築し、その後も着々と“力による現状変更”をつづけ、ついには“砂の万里の長城”を築くに至っている。

昨年のロシアによるウクライナ問題(クリミア危機)と、中国による南シナ海領有権問題は、両国が国際秩序に対して真っ向から対決姿勢を示している点に特徴がある。

私は、これらの事態を前にして、自由主義圏のこれまで以上の団結が問われていると思う。その国際社会の結束と世界平和のために是非、来年、実現して欲しいものがある。

それは、「広島サミット」だ。来年、日本でのサミット(主要国首脳会議)の開催都市の決定が、いま大詰めを迎えている。早ければ、6月早々にも発表されるだろう。

私は、是非、「広島」でのサミット開催を望みたい。先週、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「各国指導者らに被爆地訪問を要請」する一文が、中国の反対で合意文書から削除された。その理由が、「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく、被害者であるかのように描こうとしており、同意できない」というものである。

また、習近平国家主席は、去る5月23日夜、3000人の訪中団を組織してやって来た二階俊博・自民党総務会長に対して、「日本軍国主義の侵略の歴史を歪曲(わいきょく)し、美化しようとするいかなる言動に対しても、中国国民とアジア被害国の人々は許さないだろう」と語った。

“力による現状変更”を押し進める中国によって、戦後70年におよぶ地道な日本の平和への貢献と努力が、踏みにじられているのである。

増大する中国の脅威を前に、これほど先進自由主義諸国の結束が必要な時はないだろう。だが、戦後70周年を迎えても、日本に謝罪を求めつづけているのが、中国と韓国だ。しかし、「広島」はどうだろうか。

あれほどの悲劇を受けながら、広島では知事、市長、経済界も含め、多くの広島市民がアメリカに謝罪を要求していない。いや、アメリカを含む各国首脳を心から歓迎し、核軍縮と平和への実現に手を携えて進んでいきたいと呼びかけている。

オバマ大統領は、2009年4月、チェコ共和国の首都プラハで、「核廃絶」への具体的な目標を示した演説によって、ノーベル平和賞を受賞している。そのオバマ氏も、再来年には大統領としての任期を終える。

もし、オバマ大統領が、広島でのサミットで、核軍縮に対するメッセージを世界に発信し、さらに“力による現状変更”には、国際社会が決然と立ち向かうという姿勢を示すことができたら、どれほど有意義なサミットになるだろうか。もはや怖いもの知らずでやりたい放題となった中国にとっても、それは脅威となるに違いない。

そして、これまで日本の歴代の総理が表明してきた「反省」と「お詫び」を全くかえりみずに「日本批判」と「謝罪要求」を繰り返す韓国にとっても、広島の人たちの前向きな姿勢は、測り知れない衝撃をもたらすだろう。

それは同時に、オバマ大統領にとっても、勇退への花道として歴史的なものになる可能性がある。自ら主体的に広島を訪問するのではなく、日本政府が決めたサミット開催場所が「広島」なら、アメリカ国内の保守派の反発を受けることなく、自然なかたちで広島訪問を実現でき、さらにそこでノーベル平和賞受賞者としての歴史的演説のチャンスがめぐってくるからである。

私は、将来、核軍縮と21世紀の平和が、「広島からスタートした」と言われるようになることを望む。それと同時に小渕恵三首相(当時)が多くの反対を押し切って「沖縄サミット」を実現した時のことを思い出す。

1999年4月22日の読売新聞夕刊1面トップに、「2000年サミット、福岡で」「東京以外では初開催 小渕首相固める」という“スクープ記事”が載った。

それは、小渕首相が翌年に予定されているサミットの開催地を「福岡市とする意向を固めた」というものだった。読売新聞は、周到にこの報道の準備を進め、当時の野中広務官房長官、鈴木宗男官房副長官らから情報をとり、大々的に“スクープ”したのである。

しかし、その報道の当日、小渕首相は、野中、鈴木両氏を部屋に呼んで「君たちはどう思っているかわからんが……」と前置きして、「私は、サミットを沖縄でやりたいんだ」と語った。

「えっ?」と二人が息を呑んだのは当然である。もはや「福岡サミット」が最有力となって、野中、鈴木両氏も、そのことに疑いを持っていなかったからである。

しかし、小渕首相はその時に初めて自分の真意が「沖縄」にあることを告げ、そしてその言葉通り、信念を曲げることなく、太平洋戦争の激戦の地でのサミットを敢然と実施したのである。

その沖縄サミットの時に比べて、国際平和への懸念は、中国の台頭によって遥かに増大している。そして、“軍国日本”を強調することによって自分たちを善なる立場に置こうとする中国の戦略は、露骨なまでに剥き出しになってきている。

私は、国際平和のために、そして核軍縮への道のために、「広島サミット」を是非、安倍首相に実現して欲しいと思う。それが70年間、ひたすら平和を希求し、核軍縮を望んでやまない日本国民と、心ある世界の人々の期待に応える方法ではないか、と思う。

カテゴリ: 中国, 歴史

ふたたび「裁判官は日本を滅ぼす」

2015.05.14

本日、予想していた通り、私の上告が棄却された。例の日航機事故遺族が私の作品を「著作権侵害」で訴えていた件である。日本の裁判では、最高裁で上告が受理され、原判決が破棄される率は、わずか「1%」なので、予想通りの結果と言える。

決定文を読んでみると、やはり「事実誤認と法令違反の主張」は上告理由にあたらないということで、私の主張は全く審理されなかったことになる。すなわち、当ブログの論評も一審・二審で私が書いてきたものと重なってしまうが、あらためて記述させてもらいたい。

私が、『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』という当該のノンフィクション作品を上梓したのは、日航機墜落事故から25年が経った2010年夏のことだ。これは、1985年8月に起こった日航機墜落事故の6遺族の「その後の四半世紀」を追った作品である。

それぞれのご家族を「1章完結」で取り上げたため、作品は「全6章」で成り立っている。サブタイトルでもわかるように、これは初めて「父と息子」にスポットをあてた日航機墜落事故のノンフィクションだった。

私は、登場していただいた「6家族」の方々に、直接、私自身が取材に伺い、絶望から這い上がってきた四半世紀に及ぶ「勇気」と「感動」の物語をお聞きし、すべてを実名で描かせてもらった。

そして、あの悲劇を乗り越えた家族の感動の物語として発表させてもらったのである。この訴訟以後、『尾根のかなたに』と改題されて小学館から文庫化された作品は、WOWOWの特別ドラマとして放映され、2012年度の文化庁芸術祭ドラマ部門の優秀賞を受賞した。

私は、ノンフィクション作家であり、取材当事者であるご本人たちの了解を得て取材をさせてもらい、日記や手記があるならそれを提供していただいている。そして、「事実」と異ならないように気をつけて原稿を書くのを基本としている。一切の「創作」と「虚構」を排除するのが、私の作品だ。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発表後、この作品の第3章に登場するご遺族の一人、今年82歳になる池田知加恵さんが「著作権侵害」で私を訴えてきた。

彼女は、日航機墜落事故で亡くなったご主人を持つ未亡人だ。作品は、「父と息子」をテーマにしていたため、あらかじめこの知加恵さんのご子息に10時間近い取材をさせてもらい、その上で、母親である知加恵さんにも別の日に3時間半にわたって取材をさせてもらった。

取材当時77歳だった知加恵さんは、その時、17年前に出したという事故の時の自身の体験をまとめた『雪解けの尾根』という手記本を私に提供してくれた。「ほおずき書籍」というところから出した自費出版の本である。その時、知加恵さんは、わざわざ「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサインしてくれた。

彼女はこの時、事故から25年も経過しており、ご高齢だったこともあり、「私にとっては、この本を書いた時が“記憶の期限”でした」と仰られた。

私の取材は、極めて詳細に当時の状況を聞き取らせてもらう形をとる。記憶が曖昧になっていた彼女のその申し出をお聞きし、必然的に私の取材は、提供されたこの手記本に添ってご本人に「記憶を喚起」してもらいながら、「事実確認」をする形でおこなわれることになった。

ご高齢の方への取材というのは、こういう方法は珍しくない。戦争関連のノンフィクションを数多く書いている私は、最前線で戦った実際の元兵士に取材させてもらう際には、ご自身が若い時に戦友会誌などに書いた回想録なども提供してもらうことがある。

それをもとに「記憶を喚起」してもらいながら取材をさせていただくのだ。できるだけ正確に「事実」を書くことが、読者に対する私の義務であり、責任でもあると考えているからだ。

また、「より正確に事実を書いて欲しい」というのは、取材を受ける側の願いでもあると思う。私は知加恵さんに長時間にわたって、こうしてご自身の手記本に基づいて記憶を喚起してもらいながら、取材をさせていただいたのだ。

記憶が戻ってきた知加恵さんは、「このことは本に書いてなかったかしら?」「そうそう、それ書いてあるでしょ」と途中で何度も仰り、そのたびに本の中の該当の箇所を探し直すことが度々あった。

ノンフィクションには、言うまでもないが「フィクション(虚構)」があってはならない。記述は「事実」に基づかねばならず、そのため、取材が「すべて」である。

作家が想像によって「創作」することが許されないノンフィクション作品の世界では、「本人証言」と「日記・手記の発掘」が何より重要なのである。そこが、小説との決定的な違いだ。

取材の際、知加恵さんは著書だけでなく、事故に関連してご自身が登場したニュースやワイドショーを録画したDVDを提供してくれたり、取材後も自分の発言の訂正部分を手紙で書いて送ってくれたり、積極的に取材にご協力をいただいた。

それは、私が恐縮するほどの取材協力だった。私は、ご自宅をお暇(いとま)する時も、「大変ありがとうございました。今日の取材と、このご本に添って、事実を間違えないようにきちんと書かせてもらいます」と約束した。

そして、その言葉通り、事実関係に間違いのないように細心の注意を払って原稿を書いた。そして、巻末には、「参考文献」として『雪解けの尾根』を明記したのである。

私が書かせてもらったのは、彼女がどう行動し、どう思ったのか、という「事実」だけである。つまり、私は「本人に直接会って」、「手記本を提供され」、記憶が曖昧になっていたご本人に「記憶を喚起してもらいながら、その手記本をもとに事実確認取材をおこない」、これを記述したのである。

もちろん、手記本と同一の文章はひとつもない。忠実にただ「事実」だけを淡々と描写させてもらったのだ。事実がひとつしかない以上、突き詰めて取材すれば、「事実」が当事者の手記と似ているのは当然である。いや、似ていなければ、それはノンフィクションではなく、小説である。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発刊後、知加恵さんは「著作権侵害だ」と私を訴えてきた。そして、私は裁判で、この経過を証言し、事情を説明し、その立証もおこなった。だが、裁判官には、それらに一切耳を傾けてもらうことはできなかった。

30年以上にわたって記事や本を書く仕事をしている私にとって、それは、あらためて日本の官僚裁判官について、考える機会を与えてくれた。それは、私のデビュー作でもある『裁判官が日本を滅ぼす』を思い起こすことでもあった。

驚くべきは、裁判では、知加恵さんが「正確に事実を書いてもらうよう」私にお願いしたことを認めた上で、「被控訴人が上記のとおり控訴人門田に対し事実の正確な著述を求めたからといって、これによって直ちに、被控訴人が被控訴人書籍について複製又は翻案することを許諾したと認めることができない」としたことだ。

私は、『雪解けの尾根』について、「複製」も「翻案」もしていないし、その「許諾」を求めたこともない。複製とは「コピー」のことであり、翻案とは「つくりかえる」ことである。私は、あくまで取材に基づいてノンフィクション作品を書いただけであり、「複製」も「翻案」もしておらず、このような論理破綻の判決文が現に“通用”していることに仰天する。

専門的なことを言えば、日本の官僚裁判官の限界は、「要件事実教育」に起因する。日本の裁判官が、裁判で重視するのは「要件事実」だけで、「事情」には決して踏み込まない。なぜなら、いちいち「事情」に踏み込んでいったら、一人の裁判官が200~300件、あるいはそれ以上抱えている案件が「処理できない」からである。

そこで、判決に組み込んでいかなければならない「要件事実」だけが判断のポイントになり、これだけを“抽出”する教育を裁判官は延々と受けている。そこに日本の裁判官が繰り返しているトンデモ判決の「理由」がある。

「事情」に踏み込まない日本の裁判官には、「小説とノンフィクションとの違い」や、「取材時のやりとり」、あるいは、本人が「手記本を提供した時のようす」……等々、そんな「事情」は関係がないのである。つまり、著作権侵害で訴える人がいて、ふたつの書籍の記述の一部が「類似」しているという「要件事実」があれば、それだけでいいのである。

日本の司法の判断に従えば、私は取材の時に「利用してはいけないもの」をご本人から提供され、それをもとにご本人に対して「書いてはいけない事実」を3時間半にわたって、延々と「確認取材」しつづけていたことになる。

これが、今の日本の「司法の限界」であることをつくづく思う。言うまでもないが、ノンフィクションに対する私の姿勢や手法はこれからも変わらない。どこまでも「真実に忠実な作品」をこれまで同様、書いていきたいと思う。

世にも滑稽な結果となったこの裁判が意味するものは何か。こんな裁判がつづくかぎり、日本は、官僚裁判官によって、やがて滅ぼされるに違いない。国民の裁判参加という負担のもとに刑事裁判では裁判員制度によって官僚裁判官の暴走に少しだけ歯止めがかかっている。

しかし、民事裁判の官僚裁判官は、なんの洗礼も受けておらず、旧態依然のままだ。真の意味の「司法改革」を是非、国民の一人として考えていきたく思う。

カテゴリ: 池田家との訴訟

顕在化する東アジア「二つの脅威」

2015.04.24

昨日から今日にかけて、東アジアにおける“二つの脅威”をしみじみ考えさせられる記事を読んだ。このままで、「東アジアは大丈夫か」、そして「日本は存立できるのか」ということを大袈裟ではなく真剣に考えざるを得ない記事である。

一つは、昨日(4月23日付)の毎日新聞朝刊に掲載された同紙の金子秀敏・客員編集委員による〈砂の長城のコスト〉と題するコラムである。

今月上旬、世界に衝撃を与えたハリー・ハリス米太平洋艦隊司令官による「中国が南シナ海に“砂の万里の長城”を築いている」という発言を捉え、この問題を掘り下げたコラムだ。

中国が南シナ海の南沙諸島で七つのサンゴ礁を埋め立て、軍事基地と思われるものを猛烈な勢いで建設しているという暴露は2週間ほど前、世界に驚愕をもたらした。アメリカが公表した衛星写真とハリス司令官の発言によるものである。

それは、いわば“海の万里の長城”とも言えるもので、埋め立てには「砂」が用いられているため、ハリス司令官は、これを“砂の万里の長城”と表現したのである。金子記者のコラムは、この問題を実に明快に解説してくれた。

〈中国が南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島で七つのサンゴ礁を埋め立てている。それを米国の太平洋艦隊司令官は「砂で万里の長城を作っている」と評した。なかなか意味深い〉。そう始まるコラムは、中国の作業の模様をこう表現する。

7つの岩礁の中の「美済(ミスチーフ)礁」では、〈ポンプ船が海底の砂を吸い上げ、「C」形の環礁の内側にまいている。その衛星写真が発表された。この環礁は満潮時に海面下に隠れて暗礁になる。国連海洋法条約では領土主張ができないが、それを埋めて「古来、暗礁ではなかった」と言うつもりだろうか。工事は2013年9月に始まり、軍艦がポンプ船を護衛している〉

また、〈永暑(ファイアリークロス)礁は3000メートル級の飛行場を造ろうという勢いだ。海底の砂を吸い上げていては間に合わない。約800キロ離れた中国大陸から土砂を続々と運んでいる。中国から海軍司令官が視察に来ているから、これも軍の作戦に違いない〉。猛烈な勢いで進む中国の軍事拠点化について、コラムは、こう指摘する。

台湾紙の分析を引いて、そこにかける中国の費用について、コラムはこう書き進む。〈このサンゴ礁を海面から3メートルの高さまで埋め立てるには6億1100万立方メートルの土砂を必要とし、飛行場完成までに必要な総経費は日本円に換算しておよそ1兆4000億円〉

領有を争っている地に強引に軍艦の護衛つきで、これほどの巨費を投じて、堂々と“陸地化”が進んでいるのである。まさに国際社会が中国に対して懸念表明してきた「力による現状変更」にほかならない。

このコラムを読みながら、私は、昨年5月の「アジア安全保障会議」での出来事を思い出した。安倍首相が基調講演で「法による南シナ海の安定」を訴えたことに、中国人民解放軍の王冠中・副参謀総長が、「安倍首相は中国を挑発しており、決して受け入れることはできない」と、怒りの会見をおこなったのだ。

しかし、アメリカのヘーゲル国防長官は、同会議でこう発言している。「中国は一方的行動によって(地域を)不安定化させている。中国は、安定した地域の秩序のために貢献するか、それとも、地域の平和と安全保障を危険に晒すか、どちらを選ぶのか」と、痛烈な批判をおこなったのだ。

中国が南シナ海の大半を「自国領である」と主張して地図上に独自に引いた「九段線」が東アジア最大の脅威になっていることは周知の通りだ。この9本の境界線は、「中国の赤い舌」と称され、それによって、強引に「埋め立て」と「軍事拠点化」が進んでいるのである。

金子記者のコラムは、こう続いている。〈永暑礁の飛行場はすでに長さ500メートル、幅53メートルになり、長さ400メートル、幅20メートルの駐機場も完成した。米国の軍事専門家は、発電所や兵舎の建設が終われば、防空ミサイル、レーダーを配備すると見る〉

そして、コラムは、次は南シナ海上空・防空識別圏(ADIZ)設定に進むことを予想した上で、こう締めくくられている。〈南沙が海と空の長城になれば、東シナ海上空で起きた中国戦闘機の異常接近事件が南シナ海でも起きる。米海兵隊のF18戦闘機が台湾に緊急着陸して備えを始めたという見方もうなずける〉と。

領有が争われているサンゴ礁を含む岩礁を、有無を言わせず埋め立て、軍事拠点化することが、現在の国際社会で現に「通用している」のである。そして、その国に、沖縄県知事が出かけていき、李克強首相と会談してわざわざ「沖縄はかつて琉球王国として、中国をはじめ、アジアとの交流の中で栄えてきた歴史がある」などと、発言していることを私たち日本人はどう捉えればいいのだろうか。

中国の強引な手法は、国際社会からの忠告を無視して大戦へと突き進んでいった、かつてのドイツと日本を彷彿(ほうふつ)させるものである。金子記者のコラムは、そのことへの恐怖をかきたてる実に読み応えのあるものだった。

もう一つの記事は、今朝(4月24日)の各紙が報じている北朝鮮の「核弾頭保有」に関するニュースだ。各紙とも、アメリカのウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙が報じた1本の記事を一斉に紹介している。

それは、〈中国の核専門家が、「北朝鮮は、すでに核弾頭20個を保有している」と推計し、来年までにそれを「倍増するために十分な濃縮ウラン製造能力を備えている可能性がある」との見方を示した〉という衝撃的な内容だ。

ウォールストリート・ジャーナル紙によると、この中国の核専門家の見解が、〈アメリカの核専門家に伝えられた〉とのことで、その数字は、〈アメリカでは最近の研究報告で、北朝鮮が保有する核兵器は推計10~16基とみられており、今回の中国の推計はそれを上回る〉という。

記事では、ジョンズ・ホプキンズ大学の米韓研究所が打ち出した「最悪のシナリオ」では、〈2020年までの保有数が最大100基になる〉としていることも、記されている。

あの北朝鮮が〈核弾頭を保有〉し、それが〈2020年までの保有数が最大100基になる〉可能性があるというのである。日本列島全体をゆうに射程に収めるテポドンを持つ北朝鮮が、ついに「核弾頭の開発」に成功したことを私たちは、どう考えればいいのだろうか。

当コラムでも、北朝鮮による「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」が成功した段階で、日本はその存立にかかわる危機を迎えることを繰り返し、指摘してきた。極めて高度な技術が要求される「起爆装置の開発」が、北朝鮮でどの程度進んでいるかは、記事からは窺い知れない。

しかし、昨日から今日にかけての2つの記事は、戦後、“空想的平和主義”に浸り、平和ボケしてきた私たち日本人に、東アジア情勢に無関心でいてはならないことを冷静に伝えてくれている。

水面下で進む中国による日本の政界やマスコミへの工作を懸念すると共に、中国にモノ申すことをタブーとする“日本に蔓延する風潮”を一刻も早く打破して欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 中国, 北朝鮮

産経新聞「加藤達也・前ソウル支局長」が耐えた8か月

2015.04.15

“筋違い”の上に“理不尽”と“不条理”が重なった目茶苦茶な「8か月」だった。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長の出国停止の措置が解かれ、4月14日夜、ついに加藤氏はソウルから日本に帰国を果たした。

出国禁止措置が繰り返されること実に8回。昨年の11月27日の初公判では、ソウル地裁前に100人ほどの保守系の抗議団体が集まり、加藤氏を乗せた車に生卵が投げつけられるなどの狼藉が加えられた。それは、加藤氏の身の安全が極めて憂慮される「8か月」でもあった。

周知のように、3月4日には、ソウル市内の講演会会場で、リッパート駐韓アメリカ大使が暴漢に切りつけられ、80針もの頬の縫合手術を受けた。

もともと伊藤博文を暗殺したテロリスト「安重根」を国家の英雄に祭り上げている国だけに、ひとたび“渦中の人物”となれば、身の安全をはかるには、細心の注意が必要なのである。それだけに、9か月ぶりに無事帰国した加藤氏の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろしたのは、家族ばかりではなかっただろう。

私は、この8か月間で、韓国はどれほどの国際的信用を失っただろうか、と思う。結局、この問題によって、国際社会で、「ああ、韓国のことだから」「あそこは危ない」「言論の自由をあの国が獲得するのはいつだろう」……そんなことが再認識されることになった。

つまり、韓国は「法治国家」ではなく、「人治国家」であることが、まさに証明されたのである。今回の事件でわかったことは、大きく分けて2点ある。1つは、韓国が「言論の自由」や「表現の自由」といった民主主義国家が共有している「価値観」を持たない国であることが、あらためて明らかになったことだ。

2つめには、韓国に対しては、一寸たりとも「譲歩をしないこと」の大切さを教えてくれた、という点だ。何ひとつ譲歩せず、加藤氏は堂々と自説を唱えつづけた。だからこそ、「出国禁止」を解くという“譲歩”を韓国がおこなったのである。

今回のことは、ジャーナリズムにとって、そして通常の民主主義国家にとって、唖然とすることの連続だった。そもそも特派員というのは、その対象の国の政治・経済・社会状況や世論の動向、あるいは、その国がこれからどこへ進むのかも含め、さまざまな出来事や現象を記事にして、自国の読者に伝えていくのが役目である。

今回の場合、あのセウォル号事故があった当日の朴槿恵大統領の「謎の7時間」について、韓国の有力紙『朝鮮日報』が書いた記事を、加藤前支局長がインターネットのコラムで論評し、伝えたものである。

加藤氏は、噂の「真偽はわからない」ことをきちんと明記した上で、そんな噂が出てくる「背景」をわかりやすくコラムで説明した。それは、あの事故のあと、朴大統領がどういう状況や立場に置かれているかが、よく理解できるものだった。

しかし、韓国の検察は、もとの『朝鮮日報』のコラムも、またその執筆者も、不問に伏したまま加藤前支局長のコラムだけを、インターネットによる「情報通信網法」に基づく名誉毀損として取り上げたのである。

そして、そんな情報通信網法違反という“微罪”で「在宅起訴」し、しかも8か月という長期にわたって「出国禁止」にするという、民主国家では考えられない異常な措置をとったのだ。

これは、立場を「逆」にして考えたらわかりやすい。日本の大手新聞が「安倍首相の謎の7時間」をめぐる噂をコラムとして書いたとしよう。そして、韓国の東京特派員が、そこに書かれている噂と安倍首相が置かれている政治的状況について、「噂の真偽はわからないが」と断った上で、そういう噂が飛び交う背景を踏まえてインターネットで記事(コラム)を書いたとする。

もし、日本の検察が、その韓国人特派員を、もとの日本の大手新聞のコラムと執筆者を全く不問に伏したまま「在宅起訴」し、8か月も「出国禁止」の措置をとったとしたら、いったい韓国の世論は、どんな沸騰を見せるだろうか。そして、日本政府は、どんな糾弾を受けるだろうか。

韓国は、情報通信網法違反という微罪で、まさにそれを「おこなった」のである。加藤氏が受けた理不尽で、不条理で、筋違いな措置とは、それだ。すなわち韓国には、民主主義の根幹である言論や表現の自由というものに対する「敬意」も、さらに言えば、「問題意識」も、まるでなかったのである。

この異常な事件は、ついに国際的な人道問題となり、韓国に拠点を置く外国メディアで構成する「ソウル外信記者クラブ」が、朴大統領宛ての書簡を大統領府(青瓦台)に送り、加藤前支局長の出国禁止措置が長期化している状況に「憂慮を表明」するに至った。

もはや誰の目にも、韓国がとり続けている措置の異常性が明らかになった今、ついに「出国停止措置」は解除せざるを得なくなったのだ。私は、この意味は大きいと思う。それは、加藤前支局長が一寸たりとも譲らず、堂々と自分の立場を主張しつづけたことが生んだものだからだ。

裁判の過程では、噂が「虚偽であった」ことが認定された。しかし、もとより加藤前支局長のコラムの主題は、真偽不明の「噂」が乱れ飛ぶ朴大統領が置かれている「状況」を伝えるものだ。噂の真偽は不明であることをわざわざ断わった上で、書いたコラムなのである。

さらに言えば、ならば『朝鮮日報』のコラムと執筆者は、なぜ不問に伏されるのか、ということが改めてクローズアップされたと言うべきだろう。

韓国には、「道理」というものが存在しないとしか思えない。道理を弁(わきま)えてさえいたら、言論の自由を踏みにじり、外国のジャーナリストを“見せしめ”のように痛めつけるやり方が「選択」されるはずはないからだ。

私は、韓国のこの道理のなさについて、2005年に成立した「反日法(親日反民族行為者財産帰属特別法)」のことを思い出した。日本統治時代に日本に協力した人物が蓄えた財産は、たとえ「代」を越えた子孫であっても「没収」されるということを定めた法律だ。

日韓基本条約で請求権はお互いの国が放棄している。それでも韓国国民は、この「反日法」によって、戦前に日本の協力者であったことと、財産の構築が証明されれば、その子孫の財産は「没収」されることになったのである。「理不尽」「不条理」を通り越して、まさに目茶苦茶である。

加藤前支局長の出国禁止が解かれた理由に、同盟国のアメリカの中で広がった韓国への「不信」も無縁ではない。中国への接近を強める韓国の姿勢に対しても、また民主主義国家とは思えない感情的で、法を無視したやり方にも、「いい加減にしろ」という意見は、アメリカで想像以上に大きくなっている。

そのことに、さすがに青瓦台も気がついたのではないか。アメリカにおける韓国に対する失望と困惑の拡大が、今回の加藤前支局長の出国禁止措置の停止に大きく影響していると思われる。

いずれにせよ、韓国は国際的な信用という点において、はかり知れないダメージを受けた。最後まで毅然とした姿勢を崩すことがなかった加藤前支局長に敬意を表するとともに、今後も歯に衣着せぬ、ますます厳しい青瓦台への論評を期待したい。

カテゴリ: 国際

「高野連」ってナニモノなのか?

2015.04.03

敦賀気比高(福井県敦賀市)が北陸勢初の甲子園制覇を果たした。昨夏は準決勝で、優勝した大阪桐蔭に乱打戦の末に敗れ去ったものの、今大会では優勝候補の筆頭と見られていた通りの「堂々の初優勝」だった。

平沼翔太投手は、2年生だった昨夏も、落ち着いた語り口で、試合後、鋭くその日のピッチングについて振り返ってくれるクレバーな投手だった。北信越勢が大躍進したその昨夏の大会で、「来年は全国制覇か」と思わせてくれるナンバー・ワン投手だったと言える。

今大会では、準決勝で「満塁弾2発」、決勝戦では「決勝2ラン」を放った松本哲幣選手の目を見張る打棒と共に、圧倒的な力を見せつけた。また、あわや「北海道勢の初優勝か」と思わせた東海大四高の大澤志意也投手の緩急をつけた絶妙のピッチングも圧巻で、間違いなく“歴史に残る決勝戦”だったと思う。

しかし、北陸勢初の優勝に湧く福井県では、敦賀市内で選手の祝賀パレードも許されないのだそうだ。地元紙の報道によれば、「日本高野連は過度な祝賀行事の自粛を要請しており、選手が帰郷した2日、河瀬一治市長らが会見で市民に理解を求めた」(福井新聞)のだそうだ。

昭和53(1978)年に福井商業(福井市)が準優勝した際にはパレードがあり、約3万5千人が福井駅から福井市体育館までを埋め尽くし、偉業をたたえたという歴史を踏まえた上で、記事は、こう指摘している。

「日本高野連は“出場校の手引”の中で、▽華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける ▽ファンの熱狂が無統制を招き思わぬ事故を誘発する―と、行きすぎた祝賀行事の自粛を学校に要請。日本学生野球憲章も、学生野球を商業的に利用することを禁じている。このため同校も自粛方針を市民に伝えている」

記事は、さらにこうつづいている。「河瀬市長はこの日の定例会見で『祝賀行事をしないことに市民からおしかりもある。経済も原発停止で冷え切っている中、盛り上げたい気持ちもあるが、学生スポーツであり行事やセールの自粛は仕方ないこと』と理解を求めた」

過度な祝賀行事の自粛って、何だろう。「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」って、それは、どういうことだ。一体、どの口が言っているのか、私は不思議でならない。

なぜなら、それは、高校野球が何で成り立っているか、という根本がわかっていないからである。高校野球がこれほどの人気を誇っているのは、「郷土愛」が大きい。

わが郷土、わが県、わが町の学校を必死で応援し、卒業生も一体となって熱をこめて応援するのは、根本に「郷土愛」があるからである。単にその「高校」だけの「栄光」に終わらないところに、戦前の中等学校優勝野球大会から始まって、これほどの「長い歴史」を有する秘密がある。

オリンピックは、その「郷土愛」が「国」のレベルに引き上げられたもので、高校野球はその基(もと)の「郷土愛」というものなのだろうと思う。

優勝パレードは、甲子園に行くことができなかった応援してくれた人々への感謝をこめた御礼の意味を持つもので、いわばお世話になった人々、応援してくれた人々への「報恩感謝」という「高校野球の根本」に当たるものとも言える。

しかし、それを「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」という「間違った心情」を持つ高野連に、私は呆れる。

40年前の昭和50(1975)年、私は、地元の高知高校が原辰徳を擁する東海大相模を延長の末に倒して初優勝し、高知市での優勝パレードに行った。それは、「高知にこれほどの人がいたのか」というほどの人手だった。「ありがとう! ありがとう!」という感謝の言葉で、通りは埋め尽くされていた。

高校野球は、そこに本質がある。すなわち「ありがとう!」なのである。郷土の名誉のために、母校の名誉のために、そして自分自身のために、死力を尽くして闘う球児たちへの「人々の思い」が、高校野球の長い歴史を支えてきたのである。

その根本を忘れた高野連の「祝賀パレード自粛要請」に、私は溜息しか出てこない。それは、そもそも高野連の歴史そのものが、「高校生を英雄扱いし、スターをつくって人気を煽ってきた」歴史ではなかったのか、ということでもある。

高野連の職員を構成する元新聞社の社員たちが、表面上の「高校生らしさ」を謳い、それでいて、ひたすらヒーローづくりに励んできたのが、高野連の歴史だ。あなた方は、一体なにを勘違いしているのか、と問いたい。

なぜ、それほどまでに高野連は、さまざまな介入をおこなうのか。それは、霞が関の官僚社会と似ている。「介入」、すなわち「規制」は、それをする者にとって、不可欠なものだからだ。

「バスの停留所を移動させるのにも認可が必要だった」という霞が関の有名な「規制」の問題がある。世界に冠たる“官僚統制国家”である日本は、「規制」によって、官僚が自らの権力を維持し、天下り先を確保してきた歴史がある。

そういう規制に対する「許可」をスムーズに受けるためには、官僚の天下りを受け入れることが最も重要だったからだ。やっとこの“官僚統制国家”からの脱却を進める日本で、それと全く同じやり方を続けているのが高野連だ。

数年前まで、日本全国を講演して歩く高野連の理事がいた。さまざまな県が、その理事を「招聘」し、「接待」し、「講演」をしてもらって、最大限に持ち上げて機嫌よく帰ってもらうということを繰り返した。

それは、高野連に「睨まれたくないから」である。「規制」と「介入」というのは、それほど大きい。現に、地元の人が「ありがとう。よく頑張ってくれた!」という声をかけることのできる場は、「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」という実に短絡的で単純な「高野連の論理」によって、福井県では“奪われた”のである。

私は、当ブログで「単純正義」という言葉を使って再々、述べさせてもらっているが、高野連には、新聞メディアが陥っているその「本質に目を向けない」単純正義が漂っているような気がする。言葉を換えれば「偽善」である。

今大会の開会式で、奥島孝康・高野連会長は、かつての「野球害毒論」について触れるスピーチをおこなった。私は、これまで何度もこの野球害毒論について指摘させてもらっているが、これを唱えたのは、ほかならぬ「朝日新聞」である。

明治44(1911)年、朝日新聞は、「野球という遊戯は悪くいえば巾着(きんちゃく)切りの遊戯である」「野球は賤技なり、剛勇の気なし」「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」……等々、新渡戸稲造や乃木希典まで登場させて、全22回にもわたる野球への大ネガティブ・キャンペーンを張った。

朝日新聞のこの野球攻撃は、新聞の間で激しい論争を巻き起こすが、そのわずか4年後の大正4(1915)年に、朝日新聞は一転、全国中等学校優勝野球大会(現在の「全国高等学校野球選手権大会」)を開催し、当時の村山龍平社長が第1回大会で始球式をおこない、その“変わり身の速さ”にライバル社は唖然とさせられた。

今年は、その年から100年目にあたる「高校野球100周年」である。同時に、この事実は、朝日新聞の今に至る「変節の歴史」を示す貴重な1ページとも言える。

新聞販売のために高校野球を利用し、できるだけ話題になるようにヒーローをつくってマスコミに大々的に報道させ、商業的に利用してきた高野連をはじめとする大人たち――「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」などと、見当違いなことを言っている自分自身の胸に、一度、手を当ててみたらいかがだろうか、と思う。

カテゴリ: 野球

なぜ『マッサン』はこれほどの反響を呼んだのか

2015.03.28

本日の放映で、話題を呼んだNHKの朝の連続ドラマ『マッサン』が終了した。毎朝、胸が熱くなるシーンが必ず登場する稀有(けう)な朝ドラだった。私は、このドラマを第1回から最終回まで、すべて観た。

もちろん、長期出張や海外取材で観えない時もあったが、予約した毎回録画で必ず、あとで観るようにした。私は、第1回を観た時、いや、テーマソングの「麦の唄」が流れてきた時に、この番組の成功を確信した。

私は、歌詞を聴きながら、番組が始まる前に、あの時代の人々が辿った苦難の道と毅然とした生きざまを思い浮かべた。戦争で多くの命が失われたこの世代は、まさに歌詞の中に出てくるように「嵐吹く大地」に立ち、「嵐吹く時代」を生きた人々だったからだ。

シンガーソングライターの中島みゆきさんは、短いこの歌詞とメロディーに見事に、そのことを込めていた。その世代の生きざまが、彼らにとっては、気の遠くなるような2014年から2015年という時代に「描かれた」のだ。私は、この「麦の唄」を聴き、第1回を観て以降、連続録画の予約で、すべてを観ることに決めたのである。

「人生はアドベンチャー」という信念で、愛する夫と共に異国で生きることを選んだエリー。毎回、支え合うことの大切さを教えてくれるドラマ展開は、竹鶴政孝とリタというニッカウヰスキー創業者夫妻の実際の物語をもとにしているだけに、圧倒的な説得力と感動があった。

それは、事実を基にしたドラマ、つまり真実の物語であり、言ってみれば、“ノンフィクション・ドラマ”だった。私は、中盤で展開された大阪での物語も、お節介で人情味あふれる関西の人々のエリーとの泣き笑い劇を、毎回、楽しませてもらった。

舞台を北海道・余市に移しても、感動と笑いはつづいた。どんなことがあっても挫けないマッサンとエリーに、視聴者は溜息を吐(つ)きつづけたのではないか。どうして、挫けないのか。なぜ、それでも前進するのか、と。

私は、戦争ノンフィクションをはじめ、明治や大正生まれの人々の姿を数多く描かせてもらっている。今年は、「戦後70周年」ということもあって、そのうち5冊が一挙に文庫化されることになっている。

私がそれらの取材を通じて知っているのは、まさに「どうして、挫けないのか。なぜ、それでも前進するのか」ということだ。当時の日本人は、明らかに今の日本人とは「違う」のである。

特高(特別高等警察)に目をつけられ、スパイ容疑までかけられるエリーと、必死にそれを守り、支えるマッサンと周囲の人々の温かさも、胸に染みる描き方だった。まさに「嵐吹く時代」であり、エリーだけでなく、日本人すべてが苦難の中で、もがきつづけた時代だった。

娘・エマが想いを寄せていた一馬(かずま)が出征し、のちに戦死。その一馬が遺したモルト(原酒)が、戦後、苦境に陥った会社を救うことになる場面もまた、感動の展開だった。

「どんなことがあってもあきらめない」――それこそが、物造りに邁進する者の誇りであり、同時に明治、大正生まれの人々の真骨頂である。その毅然とした生き方を毎朝、ドラマを通じて現代の日本人は「教えてもらった」のではないだろうか。古き、よき日本人とは何か、を。

エリー役を演じたシャーロット・ケイト・フォックスさんが日本語もわからない中で必死に演技する姿は、実在したリタ夫人が経験したさまざまな苦労と重なり、また彼女の独特の魅力もあって、日本中の視聴者の心を捉えた。

ドラマの最後は、エリーが遺したマッサンへの手紙だった。「私の夢はマッサンでした」と始まる手紙は、いかにエリーが夫を愛し、感謝し、心から支えようとしてきたかをわからせてくれるものだった。マッサンは、残された夫を気遣いながら「1日に1度思い出してください。夜、寝る時におやすみと言ってください。私はいつもそばにいます」とつづく、そのエリーの手紙を読む。その時、目からも鼻からも、“涙”が出てくるマッサン役の玉山鉄二さんの迫真の演技に、観る者は釘づけになったのではないだろうか。

玉山さんには、拙著『尾根のかなたに』が原作のWOWOWドラマ(「尾根のかなたに」※芸術祭ドラマ部門優秀賞受賞)にも、かつて出演してもらったことがある。今回の連続ドラマでは、演技派として完全に地歩を固めた玉山さんの一挙手一投足に、本当に目を吸い寄せられた。今後は、玉山さんには「日本」だけでなく、是非「世界」に活躍の場を広げていって欲しいと思う。

私は、テレビもクオリティーの時代を迎えていると思う。民放のドラマは、ここのところ低視聴率に喘いでいる。必死に視聴者に迎合しようとはしているが、それがいとも簡単に跳ね返されることの連続だ。

原因は何だろうか。私は、ドラマも「真実の時代」、そして「クオリティーの時代」を迎えているのではないか、と思う。先日、放送90周年を迎えて『紅白が生まれた日』というドラマがNHKで放映されていた。昭和20年12月31日に、紅白の第一回が放送されるまでの人間ドラマを描いたものである。

実際の話をフィクション化した作品だが、恋人や家族を戦争で失った『リンゴの唄』の並木路子の苦悩をはじめ、真実のストーリーにはやはり説得力があり、感動があった。沈黙の末に並木路子が「きっとどこかで(家族や、最愛の人が)聴いていてくれている……そう願って唄います」と呟いて歌い始める場面が圧巻だった。

また当時のGHQが、あらゆる面に、いかに「指導」という名の介入をおこなっていたかが、目の当たりにできるドラマでもあった。「戦後日本」がどういうかたちでスタートしたのかも、よくわからせてくれる内容だった。

真実とクオリティー――今後の映像が抱えるキーワードは、これなのではないだろうかと思う。そういえば、封切以来、満員をつづけているハリウッド映画『アメリカン・スナイパー』も、原作はイラク戦争に4度も従軍し、160人を狙撃したクリス・カイル兵曹長の自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』を基にしたクリント・イーストウッド監督作品である。

ラストシーンでは、実際のクリス・カイルの葬送の記録映像が流されるという「真実」をもとにしたものだ。アメリカでも、そして日本でも、記録的な興行収入になっているこの映画が観る者の心を捉えるのは、そこに「真実」があるからではないだろうか。

私は、『マッサン』の最終回を観ながら、さまざまなことを考えさせられた。真実とクオリティーの時代、そして毅然と生きた人間の姿――私も、そんな人物や出来事の「真実」をノンフィクション作品として、これからも生み出していきたいと思う。

カテゴリ: テレビ

風評被害との闘いがつづく「震災4周年」

2015.03.11

今日で、震災から4年が経った。昨日も、原発事故に関して都内で講演をさせてもらった。歳月の流れの速さを最近とみに感じる。本日は、4周年に合わせて政府主催の追悼式が千代田区の国立劇場で営まれた。

天皇・皇后両陛下、安倍総理、犠牲者の遺族代表ら約1200人が参列したこの追悼式典で心に残ったのは、遺族代表の菅原彩加さん(19)のスピーチだった。

それは、聴く者の胸を締めつけるものだった。一緒に津波に流された母親から「生きる」ために離れなければならなかった4年前のことを彼女はこう語った。

「釘が刺さり、木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿。右足が挟まって抜けず、一生懸命、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私一人ではどうにもならないほどの重さでした。母のことを助けたいが、このままここにいたら、また流されて死んでしまう。“助けるか”“逃げるか”――私は自分の命を選びました。

いま思い出しても涙が止まらない選択です。最後、その場を離れる時、母に何度も“ありがとう”“大好きだよ”と伝えました。“行かないで”という母を置いてきたことは本当に辛かったし、もっともっと伝えたいことも沢山あったし、これ以上辛いことは、もう一生ないのではないかなと思います」

彩加さんが、静かに、そして淡々とスピーチしただけに、余計、聴くものに哀しみが込み上げてきた。彼女の今後の人生に幸多かれ、と祈らずにはいられなかった。

私はこの4年で、震災関連のノンフィクションを4冊も出させてもらったが、それでも、まだまだ書かなければならないことがあることを痛感した。

今、4年が経って、私の頭を離れないのは、果たして“復興の障害”になっているのは何だろうか、ということだ。

昨年9月、すでに浜通りを走る「国道6号線」も、全線開通となった。福島県の富岡町-双葉町間の通行止め区間およそ14キロの通行規制が解除されたのだ。すなわち、福島第一原発の横を一般車も走行できるようになった。JR常磐線の開通も、やっと視野に入ってきた感がある。

復興自体は、着々と進んでいるのだ。だが、福島には、今ひとつ元気がない。私は先週、福島を訪れたが、その際、福島民友新聞のインタビューを受けた。

その記事が一昨日(3月9日朝刊)に掲載された。私はこの時、福島民友新聞を見て、驚いたことがある。それは毎朝の同紙に、福島各地の定点で測った放射線量が掲載されていたことだ。

さらに毎週日曜日には、世界の主要都市の放射線量も掲載されている。たとえば3月1日(日)に掲載された福島市内の放射線量は0・1~0・2マイクロシーベルト(毎時)で、上海の0・59マイクロシーベルト(同)より圧倒的に少ない数値だ。

さすがに福島第一原発の「立地自治体」であり、「帰還困難区域」でもある大熊町、双葉町などの数値は高いが、福島県内各地の放射線量は、とっくに他の都道府県と同じレベルになっているのである。

私は、福島民友新聞に掲載されている客観的なこれらの数値を見ながら、それでも「復興の障害になっているのは一体、何だろうか」と考えた。

それは、「風評被害」ではないだろうか。つまり、必要以上に放射線の影響が喧伝(けんでん)されている、ということである。

私はそれを踏まえて福島民友新聞のインタビューに「福島の風評被害の払拭(ふっしょく)には、客観的なデータを積み上げることが最も大事だ」と指摘させてもらった。

マスコミは、他県とも変わらない普通の日常をおくっている福島の本当の姿をもっと報じるべきではないだろうか。そして、風評被害に苦しむ福島に「真実」という名のエールを送るべきではないだろうか、と思う。

私は、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』で、福島に生まれ育った男たちによる凄まじい原発事故との闘いを描かせてもらった。生と死をかけて、原子炉建屋に突入を繰り返したプラントエンジニアたちの姿には、心を動かされた。

吉田所長が語った「あのままいけば、チェルブイリ事故の10倍になっていた」という絶望的な状況で、彼らは何をおこなったのか。彼らこそ、4年前、日本の崩壊を止めた人たちである。

つまり、福島が「日本を救った」のだ。私は、そのことを多くの人に知って欲しいと思う。「日本を救った福島」として、誇りと自覚を持つことが大切だと思う。私は、そのことを誰よりも子どもたちに知って欲しい。そして、あなたたちの先輩は、こういうふうにして日本を救ったんですよ、というメッセージを送りたい。

風評被害を脱するためには、それをまき散らす運動家たちの言動に惑わされないことが、まず大切だ。もはや各地点の放射線量も、そして農作物も、とっくに福島は安全基準をクリアしている。

そのことを客観的なデータとして、マスコミには是非、報じて欲しいと思う。昨年12月、私が浜通りの高校生に向けて講演した時、生徒たちから「地元の人たちがこれほどのことをしたということに、心が動かされた」という感想が寄せられた。

なにより大切なのは、「真実を知ること」である。福島には、風評被害と真っ正面から向きあってその“根源”を断ち、一刻も早い真の意味の復興を望みたい。

カテゴリ: 原発, 地震

「共産主義」が淘汰され「民族主義」に至った中国の怖さ

2015.02.25

「1980年代、中国共産党はすでに“破産”していた」――そんなことを言われたら、「えっ、本当か?」と思わず、自分の目をこする向きも少なくないのではないだろうか。しかも、そんな記事を掲げたのが「朝日新聞」だと知ったら、どうだろうか。

今日(2月25日)、朝日新聞朝刊のオピニオン欄(17面)に、興味深いインタビュー記事が掲載された。題して「中華民族復興」。アメリカの文化人類学者、パトリック・ルーカス氏(50)が朝日新聞の取材に応じて語ったものだ。私は、この記事が、さまざまな意味で興味深かった。

朝日新聞がこれを掲載したこと自体がおもしろかったし、1980年代から中国に留学し、長く中華民族の研究をつづけ、国際教育交流協議会・北京センター長も務めるアメリカ人研究者の独特の視点に大いに興味を駆きたてられたのだ。

ルーカス氏の習近平国家主席に対する分析はユニークだ。それによると、習近平はこの20~30年の間で、最も「民族主義的な中国の最高指導者」であり、その理論が「中国は特別である」「中国の需要は他者より大事だ」といった特徴的な2つから「成り立っている」ことだという。

習近平は、「偉大なる中華民族の復興」を唱え、自分たちが歴史上優秀な民族であり、アジアの中心だった元々の地位に戻る、と言いたいのだそうだ。その理論の危険性をルーカス氏は、「愛国主義には健康的な部分もあり、必ずしも他者を傷つけるわけではありません。しかし、民族主義はそもそもが差別意識であり、他者を必要とする。そして往々にしてその他者に害を与えます」と指摘している。

つまり、中国の「民族主義」への警鐘が、このインタビューの核心と言える。ルーカス氏はその上で、「1980年代、中国共産党は“破産”した」と分析している。共産党が呼びかける共産主義のイデオロギーを、誰も信じなくなり、そのために、「共産党は、市民の信任を得るため、何か新たなものを必要とした」というのである。

私が大学時代も含め、毎年のように中国を訪れていたのは、同じ1980年代のことである。抑圧と独裁が特徴だった中国共産党と、それを冷めた目で見つめる人民の姿が、当時の私には印象的だった。人々の物質的な要求を満足させるために「改革開放路線」をとった中国は、当然の帰結として貧富の差が拡大していく。その頃のことをルーカス氏も独特の視点で観察していたようだ。

共産党にとって、貧富の差が拡大することは本来、許されない。厳しい抑圧によってその不満を封じなければ、統治そのものが揺るぎかねなかった。

興味深いのは、ルーカス氏がこの時点で、「共産党は帽子を変え、マスクを変えることにした。共産主義はいわば淘汰され、民族主義が統治に使われ始めたのだ」と分析していることである。

「共産主義の淘汰」と「民族主義による統治」――インタビューは、そこからがおもしろい。ルーカス氏は、1995年前後に始まった当時の江沢民国家主席の愛国主義教育について、「ここで登場したのが“被害者の物語”。これは極めて便利なものだった」としている。そこで「敵」として登場したのが「日本人と、その侵略行為」であり、「民族主義と共に、こうした“記憶”が呼び起こされた」というのである。

ルーカス氏は、毛沢東時代には「中華民族が立ち上がった“勝利者の物語”」だけで十分で、80年代まで、「統治者は“被害者の物語”を必要としなかった」と、指摘している。つまり、改革開放路線による貧富の拡大は、80年代から90年代にかけて“勝利者の物語”だけでは人民を納得させられなくなり、そこに「民族主義」とそれを補強する“被害者の物語”が必要になっていった、というのである。

厄介なのは、今では「民族主義のパワーが大きくなりすぎて、コントロールできない状況」が生じており、そのために「中国政府は対外的に一寸たりとも譲らないといった強硬姿勢」を続けざるを得なくなっていることだ、とルーカス氏は言う。「政治はお互いに譲歩するもの。しかし、外国人に譲歩をすれば、政府も批判を免れなくなっている」と、今の中国の危うさを語るのだ。

私はこのインタビュー記事を読みながら、1985年8月、それまで問題にされたこともなかった「靖国参拝」を人民日報まで“動員”して外交カードに仕立て上げた朝日新聞の報道を思い出した。つまり、「中国の民族主義」を煽った当の朝日新聞が、その民族主義を批判するインタビュー記事を掲げたこと自体が感慨深かった。

インタビューを終えた朝日新聞の中国総局長は、記事の最後に、「隣り合う国の民族主義が互いに刺激し合うことは避けられない。同氏の指摘は、我々日本人もまた、民族主義の“負の連鎖”のなかにあることを気づかせてくれる。東アジアの民族主義の拡大を抑えるにはまず、この自覚こそが求められている」と書いている。

これには、さすがに吹き出してしまった。いかにも「朝日新聞らしい」と言えばそうだが、相手に外交カードを与えて日中の友好関係を破壊し、中国の民族主義台頭を促す大きな役割を果たした自分自身の総括ではなく、こんな“お決まりの結論”が突然、出てきたからだ。

それは、このユニークなインタビュー記事には、あまりに不似合いなものだった。「吉田調書報道」と「慰安婦報道」につづき、「中国報道」でも朝日新聞の“総括”が始まったのか、と思ったのは早計だった。だが、朝日をはじめ、新聞メディアには、タブーを恐れず、多種多様な視点をこれからも、どんどん提示して欲しいと思う。

カテゴリ: 中国

日本は「台湾」を支えることができるのか

2015.02.05

台湾の霧社(南投県仁愛郷)で「桜の植樹祭」を終えたあと、私は台南と高雄で「二二八事件」の取材をおこない、昨夜遅く台北から日本に帰ってきた。

後藤健二さんがISによって殺害されたという痛ましいニュースに接したのは、霧社でのことだった。台湾でもニュースが流れ、衝撃を受けた。同じジャーナリストの一人として、後藤さんに心より哀悼を表したい。

さらに、昨日は、台北の松山空港で、金門島行きの復興(トランスアジア)航空の飛行機が墜落した。ちょうどその時間、私は基隆河にかかる大直橋をタクシーで通っていた。墜落現場は、そこから数キロ東の基隆河であり、おまけに「タクシーが巻き添えになった」と聞き、ひやりとした。

金門島行きの航空便は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)の金門島取材の時にいつも利用していたものだ。乗り慣れた国内便だけに、ニュースを聞きながら、他人事ではない気がした。

さて、霧社の桜の植樹祭は、2月1日に滞りなく終わった。私自身も、桜を1本、植樹した。前夜には、霧社の近くの廬山温泉に集まった参列者たちを前に、短い講演もさせてもらった。「歴史とは“無念”の思いの積み重ねである」という話である。

霧社には、蜂起したセデック族に惨殺された女性や子供を含む約140人の日本人の無念が、今もこもっている。日本軍と警察による合同の鎮圧部隊によって800人を超えるセデック族など原住民が討伐され、彼らの無念も、霧社には漂っている気がした。

1930(昭和5)年の事件以来、すでに85年が経過した。霧社ほど、その歳月の経過を感じさせてくれる地も珍しいだろう。その間に、山岳地帯にあるこの霧社が、大きな「変化」を遂げたからだ。

日本の敗戦で入ってきた国民党によって、事件の首謀者モーナ・ルダオは、一転、「抗日英雄」となった。霧社の中心部には、抗日英雄紀念公園があり、そこには、モーナ・ルダオを讃える「紀念碑」と「像」と「墓」があった。

一方、日本人犠牲者の殉難碑は、長い年月の間に完全に“消されて”いた。かつて日本人殉難碑の下には、日本人犠牲者の遺骨が眠っていた。殉難碑そのものが「墓地」でもあったのだ。

その日本人殉難碑は、やがて壊され、その上に今は白い建物が建っている。案内してくれた地元の人によれば、「殉難碑が壊された後、掘り返したら大量の骨が出てきた。それを埋め直して、上に建物をつくったのだ」と説明してくれた。

無惨というほかない。セデック族の蜂起によって、小学校の運動会の場で、集まった日本人は女子供の区別なく首を狩られた。そして、その遺体は一か所に集められ、葬られたのである。

しかし、1945(昭和20)年、戦争に負けた日本は台湾を去った。すると、前述のようにセデック族の頭目モーナ・ルダオが「抗日英雄」とされ、逆に日本人犠牲者の墓が「消された」のだ。私たちが植えた桜が満開の花を咲かせる時、無残に消された日本人犠牲者の遺骨は、それをどう眺めるのだろうか。

私は、そんな思いを抱きながら、霧社から下りた。そのまま私は、台南に向かった。台南で、1947年(昭和22)年に起こった「二二八事件」のある犠牲者のことを取材するためである。

そこには、日本人として死んだ、たった一人の「二二八事件」の犠牲者がいる。私は、その一家の5代にわたる日本への思いと絆を描きたいと思っている。

国民党独裁政権の下で、戦後の台湾人は、「価値観」も、「アイデンティティ」も、また「言語」さえも、完全に“分断”された。そして「留日」と呼ばれた日本で学んだ台湾人エリートたちは、徹底した弾圧を受けた。

今も拭えない「外省人」と「本省人」の深い溝は、そこに起因する。それでも、必死で生きようとする台湾人は、代を越えて、やっと自分たちの「価値観」と「アイデンティティ」を確立しようとしている。

しかし、それは同時に「中国との距離」が開くことを表わしている。外省人を支持基盤にする国民党が急速に中国共産党と接近をはかり、それを台湾人が阻止しようとする図式は、今後も続くだろう。

その意味で、来年の総統選は、今まで以上の激戦となり、さらに言えば、「台湾の運命」を決するものになるに違いない。

いま台湾は、観光地という観光地が中国人によって占められている。その光景が示すように、経済的に台湾は中国への依存度を年を追うことに強めている。もし、民進党候補者が総統になれば、たちまち中国は露骨な干渉に出てくるだろう。

台湾への観光客をストップさせるのか、あるいは台湾からの商品について関税をいじるのか。中国が台湾に嫌がらせをする手段はいくらでもある。中国が仕掛けてくる、そんな経済戦争に、いったい台湾はどう立ち向かうのだろうか。

その時、ポイントになるのは、「日本」である。すなわち日本が台湾にどう手を差し伸べ、どう根底から支えるのか。

安全保障上も、お互いが最も重要な地位にあることを、口にこそ出さないものの、お互いがよくわかっている。覚悟と友情を持って、日本は台湾を支えるべきだと、私は思う。

日本と台湾との“絆”を表わす、ある一家の「5代」にわたる日本への思い――「二二八事件」で無惨な最期を遂げた人物を軸に、ある「一家」の物語を、いつかノンフィクション作品として完成させたい。そんな思いが離れることがなかった台湾の旅だった。

カテゴリ: 台湾, 歴史

「日本」と「台湾」の切っても切れない縁

2015.01.31

いま台北にいる。明日(日付が変わったので本日)は、台中を経由して霧社(現在の南投県仁愛郷)に行く。1930(昭和5)年に「霧社事件」が起こった地である。事件から85年という気の遠くなるような歳月が経過したが、この地で2月1日に桜の植樹祭がおこなわれるため、私は、それに出席するためにはるばるやって来た。

霧社事件といえば、映画『セデック・バレ』でご存じの方もいるだろう。原住民のセデック族の頭目モーナ・ルダオが日本の支配に反発して蜂起し、激しい戦いの末に敗れ去った。

蜂起は、霧社の小学校の運動会の時におこなわれ、およそ140人もの日本人が殺害された。日本人が首を狩られる壮絶なシーンは、映画『セデック・バレ』を観た方には、強烈な印象が残っているに違いない。それだけに、私は恩讐を越えて、この植樹祭にこぎつけた方々に心からの敬意を表したい。

日清戦争で1895(明治28)年に日本が清朝から割譲を受けた台湾は、その後、激動の現代史を生きてきた。50年間にわたる日本の統治と、日本の敗戦による、その後の外省人による国民党統治の時代である。

戦後の台湾は、戒厳令下で自由に物を言うこともできなかった国民党時代と、1987年の「戒厳令」解除以後の李登輝時代、そして、その後の国民党と民進党との激しい闘いの時期に分けられる。

昨年の“ひまわり運動”で国民党政府を譲歩させた学生たちの立法院占拠事件は、7か月後の統一地方選の民進党圧勝の土台となった。来年に迫った総統選も、おそらく民進党が勝利するのではないか、と予想されている。

なぜ、香港の学生運動が敗れ、台湾では勝利したのか。そこには、中国と台湾の人権意識と言論の自由をめぐる、はかり知れない「差」が存在する。台湾の本省人たちが日本に好意を寄せる一方で、中国を毛嫌いする理由も、「人権」と「自由」に起因していることは疑いない。

今晩は、台北に在住する日本の新聞やテレビの支局長、ジャーナリスト、ビジネスマン、女性教師……等々といった多彩な方々が歓迎会を催してくれた。また、故司馬遼太郎に“老台北(ラオタイペイ)”と呼ばれた蔡焜燦先生も病を押して、わざわざ顔を見せてくれた。

ベストセラー『台湾人と日本精神』の著者である蔡先生は、この1月、満88歳になられた。台湾のなかでも、真の意味での「親日派(ご本人の言によれば“愛日派”)」といえるだろう。「最近、台湾には日本を懐かしんでやまない“懐日派”も出て来ていますよ」と、蔡先生の日本への変わらぬ厚情を聞かせてもらった。

中国が台湾の動向に神経を尖らせるのも、いつまで経っても、台湾のなかで親日派が圧倒的な数を誇っているからである。来年の総統選で民進党政権が発足すれば、親日勢力がさらに力を増し、ここのところ進んでいた「中台接近」へのブレーキもかかるだろう。

それを阻止するためには、中国は総統選で、なんとしても国民党に勝利してもらわなければならないのである。今、経済力で台湾をがんじがらめにしている中国は、国民党を支援するために、今後1年、露骨な経済攻勢をかけてくるに違いない。

台湾は、日本列島から沖縄、台湾、フィリピン、インドネシア……という中国が定めた「第一列島線」のど真ん中に位置する。逆にいえば、私たち日本人にとって、台湾は安全保障上も、極めて重要な位置にあり、いわば日本の生命線ともいえる“国家”なのである。

折しも、日本では、映画『KANO』が封切られている。台湾の嘉義農林が霧社事件翌年の1931(昭和6)年に夏の甲子園で準優勝を遂げる実話を描いた映画だ。

台湾人、原住民、そして日本人の「3者」で構成された同校野球部が、憧れの甲子園で準優勝を遂げるまで勝ち続けたのは、奇跡というほかない。そして、それが霧社事件の翌年であったことに、「歴史」と「運命」の不思議さを感じざるを得ない。

台湾の人々の日本への熱い思いに感謝し、日本人も台湾の「現状」と「今後」に、いま以上に関心を持たなければならないと思う。そして、彼らが必死で守ろうとしている「自由」と「民主主義」のために、できるだけの協力をしていきたいと思う。

だからこそ、2月1日に開かれる霧社での日本と台湾の原住民との恩讐を越えたイベントの意義は大きい。私も、日本と台湾の“永遠の友好”に思いを馳せながら、心してこのイベントに参加したい。

カテゴリ: 台湾

「信頼される新聞」と朝日新聞の社説

2015.01.24

昨日(1月23日)は、朝日新聞の「誤報」問題をテーマにして「信頼される新聞とは」と題されたシンポジウム(於:毎日ホール)にパネラーとして参加した。パネラーは、ジャーナリストの池上彰さん、朝日新聞で慰安婦検証作業に携わった武田肇・朝日新聞大阪社会部記者、そして私の3人である。

シンポジウムは1977年に毎日新聞社が編集綱領を制定したのを記念し、毎日労組が87年から毎年開いているものだ。池上さんとも、武田記者とも、初めてお会いする私にとっては、どういうシンポジウムになるのか、パネラーでありながら、同時に興味津々でもあった。

私にこのシンポジウムの声がかかったのは、「吉田調書」報道をめぐって朝日新聞の誤報を指摘した当事者だったからだろうが、それと共に新聞メディアに対して“批判的”な立場として招かれたのではないかと想像する。

しかし、私は、日本にとって新聞は「なくてはならない存在」だと思っており、朝日新聞に対しても、それだからこそ、常日頃、厳しい論評をさせてもらっている。

シンポジウムは、2時間だったので、話し尽くすことはもちろんできなかった。しかし、プロ中のプロである池上彰さんが真ん中に座ってリードしてくれたので、聴衆はそれなりに面白かったのではないか、と思う。

私は、朝日新聞に対して日頃、「日本を貶めることを目的としているのか」と問いかけ、論評している。武田記者は言うまでもなく、私のその論評に批判的だった。

池上さんも「新聞社に日本を貶める目的で入ってくる人はいない」と発言していた。その通りだと思う。いや、今でも「自分は日本を貶めるためにやっている」などと思っている朝日新聞記者も、ほとんどいないだろう。

しかし逆に、私は、だからこそ「罪が深い」と思う。私には、朝日新聞の内部に友人が多い。彼らの特徴は、自分たちは「権力の監視」をおこなっている、という自負を持っていることにある。話の端々にそれを感じるが、「権力の監視」はジャーナリズムの大きな役割なので、当然だろう、と思う。

しかし、あの細川政権の時、あるいは、民主党政権の時に、果たして朝日新聞は本当に「権力の監視」をしていたのだろうか。私には、政権とべったりになった朝日新聞の露骨な姿しか思い浮かばないが、この際、そのことは措(お)いておこう。

やはり、武田記者もシンポジウムで「権力の監視」や、「歴史の負の部分を見つめること」の大切さについて、発言していた。私は「それを真の意味でおこなうなら」まったく異論がない。だが、「事実を曲げてまで」という言葉をその頭につけるとどうだろうか。

もし、それが「事実を曲げてもいいから“権力の監視”をおこなう」、あるいは、「事実を曲げてまで“歴史の負の部分を見つめる”」というものだったとしたら、私は日本人の一人として、それは絶対にやめて欲しいと思う。

慰安婦問題をここまで大きな国際問題にしたのは、言うまでもなく朝日新聞だ。世界中が貧困だったあの時代、さまざまな事情で、身を売らなければならなかった女性や、親に売られていった女性など、春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるをえなかった薄幸な女性たちは数多くいた。

しかし、朝日新聞は、慰安婦となった彼女たちのことを「日本軍や日本の官憲によって強制連行されてきた“被害者”」として報道し、まったく異なる大問題としてきたのである。

不幸にも身を売らなければならなかった女性たちがいたことと、いやがる婦女子を無理やり国家が戦場に強制連行することは、まったく違う。後者こそが、朝日新聞によってつくり上げられた「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」であり、いま国際的に日本が浴びている、いわれなき非難の根源でもある。

昨年6月に、韓国政府を訴えた洋公主(ヤンコンジュ)と呼ばれた米兵相手の朝鮮人女性たちも、その貧困の時代の薄幸な女性たちだ。朝鮮戦争時にアメリカ軍の兵士たちに身を売る商売についた彼女たちは、当時の韓国軍に「第五種補給品」と呼ばれ、なかにはドラム缶に詰め込まれて前線に運ばれた人もいた。

歴史家の秦郁彦氏による『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)には、各国の慰安婦の有様が詳細に記述されている。女性の人権問題として、また「戦場の性」の問題として大いに議論していけばいいと思う。

しかし、朝日新聞が報じ、これほどの国際問題にしてきたのは、前述のように「日本軍と日本の官憲が、朝鮮の女性たちを戦場に連行して、兵士たちとの性交渉を強いた」という「虚偽」なのだ。ここを絶対に忘れてはならない。

朝日新聞が言うように「歴史の負の部分を見つめること」は重要だ。しかし、それが「事実でないことをデッチ上げ」、「先人を貶めること」であることは許されない。そして、朝日新聞は、昨年12月22日に、第三者委員会がこの問題を検証し、報告書まで提出したのである。

その報告書には、「論理のすりかえ」や「レッテル張り」、あるいは「他者の言説への歪曲」など、朝日新聞がこれまで使ってきた手法に対して、厳しい指弾が成されていた。

しかし、一昨日(1月22日付)の朝日新聞の社説には驚かされた。いったい、あの第三者委員会の報告書は何だったんだろう、と思わざるを得ないものだった。

それは、〈「慰安婦」記述 事実をなぜ削るのか〉と題して、教科書会社の数研出版が、高校の公民科の教科書3点から「従軍慰安婦」の言葉を削除することを取り上げたものだ。

私は、どんな論理展開をするのか興味があったので読んでみた。朝日が「従軍慰安婦」が教科書から削られることに大いに不満であることはタイトルからもわかった。しかし、読みすすめる内に、これは第三者委員会で指摘された「論理のすりかえ」そのものの社説であることがわかった。以下は一部抜粋である。

〈朝日新聞は、慰安婦にするため女性を暴力的に無理やり連れ出したとする故吉田清治氏の証言記事を取り消した。同会(※門田注:「新しい歴史教科書をつくる会」のこと)はそれを挙げ「『慰安婦問題』は問題として消滅した」と主張する。だがそういった極端な主張は、日本が人権を軽視しているという国際社会の見方を生む。
 慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が二度と起きないようにしなければならない。論争のあるテーマだが、避けて通るべきではない。議論の背景や論点など多様な視点を示す必要がある。教科書はそのためのものであってほしい〉

ここで記述されているように、「新しい歴史教科書をつくる会」が本当に「『慰安婦問題』は問題として消滅した」というのなら、それは朝日が長年、主張してきた「強制連行問題に決着がついた」ということだろう。

朝日新聞がつくり上げた「慰安婦の強制連行」、すなわちこの問題の本質が「消えた」以上、そう表現するのはおかしくない。しかし、この社説は、それを、慰安婦問題そのものを「消そう」としている「悪い奴がいる」と読者に思わせている。そして、慰安婦問題という「日本にとって負の歴史」から目をそらしてはいけない、と自分たちを正義の立場に置き、さらにその上で、教科書からこれを削るな、と主張しているのである。

第三者員会が指摘した「自らの主張のために、他社の言説を歪曲ないし貶める傾向」や「論理のすりかえ」の手法が巧みに用いられていることにお気づきになるだろうか。

私は、「ああ、朝日は何も変わらないなあ」と思う。少なくとも年明け以降の社説を読むかぎり、昨年暮れの第三者委員会の指摘は、朝日の論調や手法に何の変化ももたらしていない。

昨日のシンポジウムでは、パネラーの武田記者の真面目で前向きな姿勢に、私は、朝日新聞の将来に若干の希望を持たせてもらった。だが、実際の社説とその論調を読むかぎり、朝日が「信頼される新聞」になる道のりは、極めて険しいと思わざるを得ないのである。

カテゴリ: マスコミ

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